■映画に振り回される■
一日おきぐらいに午前中から取材があって、帰ってから原稿書いて、それが終わったら、ある企画のために○○な基準で選ばれた20本の映画を、眠るまで見続ける……という日々が続いている。
まあ、本当はその企画のために書くのをとっておきたいんだけど……もう予告編を見返すだけで泣けるのが、『渋谷区円山町』。2本のストーリーのオムニバスのようになっているんだが、だんぜん後編がいい。ほとんど泣きっぱなし。
これ、完全に女子高生ターゲットの映画だよ。監督も女性だし、オヤジの視線なんか、これっぽっちも意識してない。だけど、この映画を見ながらとっていたメモに「生まれてきて良かった!」と書いてある(笑)。もちろん、俺の字で。
それで、思った。映画を見て泣くことの、どこが悪いんだって。「泣くというのは感動じゃない。生理現象だ」と誰かに言われたんだよな。あるいは、本で読んだんだよな。じゃあ、感動の基準って、どこで見定めればいいんだ。
大人になったら、映画を「批評」しなくちゃいけないのか? なるほど、心の中に社会性を菌糸のように張りめぐらせることが「大人になる」ってことなんだろう。それは分かる。だからって、どんな作品を見ても、社会的に、ロジカルに解析しないとダメなのか?
もうちょっとみんな、映画に振り回されてはどうだろう、と思ってしまう。自分だけは、一枚岩のように、ずっと変わらないと思っている人間がいる……それは違う。変わることがアイデンティティだ。
『渋谷区円山町』の後編の主演は、『時かけ』で声優デビューした仲 里依紗だ。そもそも、俺は女
子高生にはあんまり興味がない。でも、そういう問題じゃないよ。高校でイジメられていた里依紗が、気の強い女の子に引っ張られるようにして渋谷の街を歩く。映画の大半は、二人が渋谷を歩くシーンだ。
最初は目的があって渋谷に行ったのに、どんどん目的が薄れていく。日が暮れる。朝になる。意味もなく渋谷で遊びつづける。また日が暮れる。この滞空時間。どこにも係留されていない自由。自由だから、不安。不安だから、二人は意味もなく歩きつづける。
その不安を乗り越えた二人は、ラストシーンで、もう何年も前からの友だちのように手をつないで歩きはじめる。その笑顔を見たときに、俺は「後悔しないように生きよう」と、本気で思ったよ。絶対に、彼女たちのように笑ってから死のうと。
さて、お題に上がっている映画は、あと4本。俺は何度でも、何十回でも映画に振り回されてやる。
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