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2008年3月30日 (日)

■週後半■

東京国際アニメフェア、初日に行ってきた。毎年、どこかで何かしら手伝わせていただいていて、今080327_11180001年はジェネオンエンテインメントさんで配080327_11210001布された小冊子を少し(まだ現物を見てないのですが、『マリア様がみてる』の記事とか)。
前回も書いたけど、こういう、「ちょっと役に立ってる」感が好き。こうした仕事で交わされる、小さな信頼も好き。
個人的に楽しみだった『イヴの時間』の試写を見て、その後、パレットタウンの大観覧車まで歩く。

翌日、人と会って酒を飲み、その翌日、ずっと楽しんで進めてきたムック本の追加原稿が来て、それをたった一時間で書き終えてしまったことに後悔した。本当は、もっとチマチマやりたかった。
何かが楽しいとか、充実感がある、というのは欠けていた穴が埋まっていくからだと思うんだよな。モチベーションの持てない仕事って、「もう埋まってしまった穴」をさらに埋める作業だったりするものな。
だから、充実しているひと時というのは、自分の欠損と向き合う時間でもある。

そういう愛すべき仕事を終えてしまった夜だったせいか、不思議と寝つかれない。寝つかれないまま、ちょっとした仕事の打ち合わせのため、一時間ほど電車に揺られ、知らない駅で降りる。ぞくぞくするぐらい寂しい駅前の喫茶店で、男二人、ぼそぼそと打ち合わせる。「これは俺らにしか出来ない仕事だから、とにかく楽しんでやろう」という暗黙の空気が日曜日の店内に流れる。
そんなこんなで、3月が終わる。

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2008年3月26日 (水)

■この空の下で何とかなりゃいい■

アニメーションノート No.09 発売中
An_09
●『マクロスF』 22ページ特集 編集・執筆
河森正治、石垣純哉、高倉武史、各メカデザイナーの仕事&インタビュー、江端里沙×高橋裕人対談、佐藤道明サテライト社長インタビュー、そして第一話「デカルチャー・エディション」アクションシーン徹底解析(ぜんぶ3Dだと思ったら大間違いですよ)。河森さん、江端さん、高橋さんの色紙プレゼントまであり。版権イラストはないですが、シェリルのポスターの原画を1ページ大で載せました。
やれるだけのことはやったので、これから半年間盛り上がっていただきたい!

アニカンR-TV  創刊号 東京国際アニメフェアで先行発売
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●日本テレビ・中谷俊夫プロデューサー
●フジテレビ・高瀬敦也プロデューサー

それぞれインタビュー。内容は前者が『秘密』『RD 潜脳捜査室』、後者が『図書館戦争』『西洋骨董洋菓子店』の取材。日テレ深夜枠とノイタミナ枠は、深夜アニメの橋頭堡ですね。一向に勢いが落ちないのが頼もしい。
そして、この「アニカンR-TV」は新雑誌ですね。これは番組改変期のみに出るようです。

●アニカンR 004 東京国際アニメフェアで先行発売
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●河森正治×寺島拓馬 取材
内容は、『アクエリオン』を振り返って……という対談ですね。収録自体は、昨年暮れの関係者パーティの直前に行いました。放映時に河森監督にインタビューを申し込んでちょうど3年間、大小合わせれば何十という記事を書いてきましたが(連載記事もあったし)、おそらくこれが最後の『アクエリオン』記事でしょう。

僕はアニメ業界に、勝手な好感をいだいているからこういう仕事を続けているんだと思う。原則的に、この業界の人たちは純粋です。「金が欲しいからやってる」という人は、ほとんど見たことない。もっと醜い業界を、いっぱい見てきたのでねぇ……(笑)。
ちっぽけな自尊心のために顔を真っ赤にして怒っちゃう人とかさ。小銭欲しさに、裏で人の企画パクるような人とかさ。既得利権にしがみついて、向上心を捨てちゃった人とかさ。汚水を好む人たちは群れ集まって癒着するし。俺みたいなフリーランスなんかより、まっとうに会社に通っている人の方が、そういう醜い人たちをいっぱい見てきてるんじゃない?
でも、僕の知るアニメ業界は、そうじゃなかった。痛々しいまでに純粋だった。それは現場の人たちだけでなく、たまたまアニメ担当になったメーカーの人たちですらね。イヤイヤやってるとか、こっちの方が儲かるなんて態度の人はいなかった。最低でも、担当作品を愛してはいた。

僕のようなライターは、アニメ業界にいわば寄生しているんだろうし、業界が傾いたら、たちまち食いつめるんだろうけど……そしたらそれで、一緒に倒れてもいいよ(笑)。
自我とか主体性は、仕事に一番大事だとは思う。当事者意識がないと問題が起きたときに対応できないし、この歳になれば野心も必要だ。ただ、そういう仕事人としての態度の真裏で、僕はアニメ業界に片思いしてしまっていることに気がついた。

「この空の下で何とかなりゃいい/でも忘れられないことがいっぱいだ」と鈴木慶一とムーンライダーズは歌う。

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2008年3月20日 (木)

■酔いつぶれるように、映画を観たい■

バーチャルウォーカー 発売中
Vr_w
●記事4本 取材・執筆
風香さんのテトリス勝負、剣伎衆かむゐのYouTube撮影、小阪由佳さんのネットカフェ体験レポ、あとはブログ発マンガのレビューを書きました。微妙に統一性に欠けた取材を一冊の雑誌でやったわけですが、編集さんがページのイメージをガッチリ固めてくれたので、非常に楽ではありました。

さて、またもや映画『好きだ、』の話。公式サイトを見たら、告白用掲示板なんかがある。キモ。そういう映画として売り出すしかなかったのも分かるけどね。観た人のレビューを読むと、野波麻帆と永作博美の偉大なる飲みっぷりに満足したのは俺ぐらいなものだった。みんな「テーマが……」「ストーリーが……」って、映画観てそんなことばっか考えてんの? 映画は、自分の観たいところだけ観ればいい。その「自分だけの」って部分をさらすのが、みんな怖いのかも知れないね。

『好きだ、』は、断然、後半がいい。酒と女がメインだから。野波麻帆を酔いつぶらせた080319_22450001上、永作博美にビールと日本酒とウィスキーを飲ませるとは、くどい(笑)。結局、夜の街とか、アルコールにぶちのめされたような明け方が好きなんだよな……監督じゃなくて、俺が、だけど。
実体験とフィクションは、どちらが先に立つでもなく、寄り合わされて成立するのだと思う。もし俺が「酒と女」に対する愛情を40年かけてはぐくんでこなければ、『好きだ、』の後半シーンは全く価値を持たなかっただろう。
夜と酒は、昼間のルールを無効化させる。夜と酒は、真空の時間を生み出す。そのあぶくの中でしか語れないものが、男と女の間には、あまりに多い。
そして朝がくれば、僕らは何ごともなかったかのように時計のネジを巻きなおすのである。映画に必ず終わりがあるように、朝は必ずやってくる。

ずぶ濡れの猫のような気持ちで朝を迎えるのが好きだ。しらふで観ていたというのに、『好きだ、』を観終わった僕の脳には、しっとりとアルコールが染みわたっていた。このDVDをTSUTAYAに返すのが惜しい。もうしばらく酩酊していたい……。
ずいぶんとデタラメを書いたけど、つまり映画というものは、自分に都合のいいようにカスタマイズして観た方がいいってことだ。(というよりも、自分用にカスタマイズせずにフィクションに接することなど可能なのだろうか?)

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2008年3月17日 (月)

■永作博美とサシで飲みたい■

EX大衆 4月号 発売中
Ex_08_04
●森下千里 グラビア・ポエム
●愛ドルのリコーダー 第3回 伊藤えみ

いま仕事している某誌の編集さんに、「ちょっとコンビニで買うのも恥ずかしいかもね」と言われた雑誌です。すみません、レギュラーでポエム書いてます。

前号執筆した「シネマガールズ」でオススメされていた映画『好きだ、』。レンタルしてあったので、横になって見はじめる。前半は、いまの流行りっぽい田舎の高校を舞台にした純愛ものの雰囲気だが、後半の都会編がいい。
080316_21050001前半で宮崎あおいの演じていた女子高生の17年後を、永作博美が演じるという無茶は、もうそういうレトリックなのだと納得する。ストーリーはほぼ不在で、役者の存在感で見せる映画だから。

永作が登場するまでワンクッションあって、主人公の男は野波麻帆演じる酔っ払い女を道で拾う。ほとんどアドリブのような芝居が何ともイキなのだが、朝とも夕方ともつかない光線の具合が素晴らしい。撮影がいいんだよな。
野波麻帆が道ばたで酔いつぶれるなら、永作も負けてはいない。居酒屋で「日本酒。何でもいいです」と頼んだ直後、「(飲みが)一周して、日本酒に戻った」とニッコリ(このセリフ、たぶんアドリブ)。もう、うわばみのように酒を飲む。素晴らしい。
次のシーン、主人公のマンションで、永作は今度はウィスキーをはじめる(おお、なんと素晴らしい飲みっぷり)。そこで、主人公が高校時代に自販機でエロ本を買った光景を、永作が思い出して語るんだ。「キョロキョロ…誰もいない。ガッシャーン…(本を)隠す。逃げる。…かっこ悪い」。この間合いもアドリブっぽいんだけど、なんたって距離感がすごい。観客との距離感が。「あ、こういう会話、前にあったような気がするなぁ」と思わせる。そう思った瞬間、カメラの前の永作と、映画を見ている俺との距離はゼロなんだ。たぶん、50年後にも同じような距離感・親密さを感じる人はいるだろう。映画って、そういう機能があるんだ。
080316_22230001全体として何か強く訴える映画じゃないんだけど、こう、薄明に包まれた部屋で、30過ぎた男女がサシで飲むってのがいいじゃない?
そのあとで、キスシーンがあったりストーリーの落ちがあったりするんだけど、それは俺にはどうでもいい。「こういうの、いいよなぁ」と一瞬でも思わせたら、それで映画というものは役割を果たしてるはずなんだ。

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2008年3月15日 (土)

■グレメカ発売とギャラクティカ■

グレートメカニックDX4 発売中
10068138
●『マクロスF』 吉野弘幸さんインタビュー
シリーズ構成の吉野さんですね。ホントは「今」ウケるアニメについて聞かせていただいたんだけど、グレメカ向きではないので、そこはカット。

●ハイ盆栽「夢想、妄想、シャアの勝ち」 製作
これはもう、前号でシャアの記事を書いたもんだから……あれ以来、シャアを好きになってしまって……だから、シャアのドリームを立体化したジオラマですね。

●オヤヂ酒場DX
今回は、『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ』と実写映画『ROBO☆ROCK』。そろそろまた、『ハチクロ』みたいにレールの外れた路線をやりたいんだけど、そっちは別の本で藤津さんとやっちゃったからなぁ(笑)。

●「全人類よ! バトルスター・ギャラクティカを見よ!」 構成・執筆
これ、第三特集なんだけど、実は今回のメイン(笑)。旧題『ギャラクチカ』を『ギャクチカ』と誤字ってしまったけど、山根公利さんを巻き込んで座談会やったり、もう誰にも止められない。たぶん連載決定。1シーズン12話まで見ると、「えっ、こっち行っちゃうの?」というアレレな展開で終わるんだけど……でも、やっぱり『ギャラクティカ:序章』の時点で、これは一生好きになると直感したからね。グレメカって、趣味丸出しではあるんだけど、「好き」ということに対しては、とことん厳しい。何度企画を出しても、愛が足りないと通らない。そんな本だから、『ギャラクティカ』をこんな程度で終わらせるわけがないよ、俺たちが。

『ギャラクティカ』座談会で言い忘れたんだけど、俺はどうも、艦内のシーンの“仕事感”が好きだ。現場感、というか。
080315_03140001今日で俺は41歳だけど、これぐらいの歳ともなれば、誰しも修羅場ってやつを経験しているはず(経験してないやつは、真面目に仕事してきてないね)。そこから逃げ出さず、どうやって最善の突破法を考えるか。『ギャラクティカ』の登場人物は職業軍人がほとんどだから、「仕事の現場」を描かざるを得ない。大統領のセリフにすら「大変でも、可能なら頑張ってやるしかないわ」なんて真理をついた言葉が出てくる。出来ない言い訳なんて、考えてられない。仕事が大変なんて当たり前。プライドなんて後回しだ。

いろんな要素の詰まったドラマだけど、作品の根底に誇りがある。それは勲章みたいにペカペカ光らせた安いプライドじゃない。その場で何をしたかだけが、その人間の価値を決める。

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2008年3月12日 (水)

■スーパー歌舞伎とギャラクティカ■

昨日も明日も、どういうわけかグッと濃い目の漫画家さんばかりにインタビューするスケジュールの中日、朝から新橋演舞場でスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』観劇。
080312_15320001途中、退屈してウトウトしてしまったけど、第三幕は「越えていた」。なんというか、スーパー歌舞伎のくせに、スーパー歌舞伎というジャンルを越えていた。俺は、映画を越える映画が好きだ。アニメを越えるアニメが好きだ。
自ら打ち立てた様式を、その作品自体が打ち壊す瞬間が好き。冷静沈着な人が、冷静さのあまり泣き出してしまうようなほころびを、俺はいつも探している。

もともと、俺が「スーパー歌舞伎、いつか見なくちゃな」と思ったのは20代の終わりごろ、あるアニメ会社から企画を頼まれたときだ。「最近は、どういうアニメを観てるの?」と聞かれ、「ジャイアント・ロボが凄かったです」と答えたんだ。すると、「あれは、スーパー歌舞伎に通じるものがあるよ、廣田くん」と。あれから十年ちょっと。ようやく気楽に観に行ける身分になりましたよ。

アニメつながりで(?)、今日もTVドラマ『ギャラクティカ』の話題を。友人が「このSFX技術で『マ080312_18480001 クロス』や『イデオン』が映像化されればなぁ」とメールしてきたけど、それは違います。『ギャラクティカ』の中に、ちゃんと『マクロス』も『イデオン』も入ってます。だから、80's世代は観なくてはならんのです。というかねぇ……俺ら40代の人間が、中学から高校ぐらいにかけて観てきたSFXだのアニメだのは、すべて『ギャラクティカ』のためにあったんだったんじゃないの?とさえ思える。『ブレードランナー』の要素もあるし、『ターミネーター』そっくりの設定もある。ぜんぶ『ギャラクティカ』に統合されている。……こうやって書くと、『トップをねらえ!』みたいだけど(笑)、同時多発核攻撃によって情報が錯綜していく描写は、何度見てもゾッとする。

どうしても、マニア的な視点から入らざるを得ないのが欠点だけど(視聴環境も限られているし)、『ガンダム』も『エヴァ』も最初はそうだった。その作品の「普遍性」は、作者ではなく「時代」がつくるのだと思う。「時代」をつくるのは、言うまでもなく個々人の意識である。
そして、何より『ギャラクティカ』が素敵なのは、こうして僕がブログで布教しているつもりでも「誰か一人が楽をしようとしたため、大勢の人間が犠牲になった。だから、コンピュータをネットワーク化してはならない!」なんてセリフが出てくるところなんだ。 

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2008年3月 9日 (日)

■ガンダム→エヴァ→ギャラクティカ■

俺の中では、年末あたりから「ガンダム→エヴァ→ギャラクティカ」な気分なのに、なかなか世の中がそうなってくれない。今月15日発売の「グレートメカニックDX」では、8ページの特集をやっているので、このブログでは「ギャラクティカがキテるぞ!」と言うのは控えていた。でも、そろそろ解禁だ。この記事を読んだ人は、何らかの方法で『ギャラクティカ』を観てほしい。
080308_01330001そうだ、FLIX増刊の「Enjoy! 海外TVドラマLife」に、プロローグである『序章』の前編がオマケDVDとして付いている。この『序章』は、3年ほど前にひっそり発売された『バトルスター ギャラクティカ サイロンの攻撃』というDVDと全く同じ内容なので、そっちをレンタルしてきてもいい。とにかく観るべし。

何しろ、設定がガンダム+イデオン。「戦争は膠着状態に陥り、8ヶ月あまりが過ぎた……」っていう、あのノリ+スペース・ランナウェイ。ターゲットは日本の80's世代か?と思うほど。主役のギャラクティカが、第一線を退く寸前の老朽艦ってのがいい。そういう、「あの頃」によく体験した“くすぐり”が、いっぱい入っている。
それと、「ガンダム→エヴァ→ギャラクティカ」の「エヴァ」の部分を説明すると、同時代性があるから。手法が似ているとか、そういう意味ではない。『エヴァンゲリオン』は90年代の病葉(わくらば)そのものだったと思う。だとするなら、『ギャラクティカ』は、9.11以降の「疲弊」そのものだ。何がいつ起きて、誰が敵で、何が正義なのか、もう考えることさえ放棄したくなるような「今」を描いている……だから、『ギャラクティカ』のカメラワークはドキュメンタリー・タッチだ。

企画自体が、往年のSFドラマのリメイクだから、ついついマニア人気ばかりがオーバーヒート気味なんだけど……このドラマは、世界の縮図なんだよね。NHKの「映像の世紀」を一気に観てズドンと落ち込んだときの、あの感じに最も近い。
一時期、「ポスト・エヴァがなかなか来ない」と言われていたけど、もう日本とかアニメとか、そっちから「来る」という期待感自体を見直さないといけない。「日本のアニメには、10年ごとにビッグ・ウェーブが来る」って考え自体が間違っている。そう思い知らされたのが『ギャラクティカ』だった。
今はまだマイナーな存在だけど、『ギャラクティカ』が流行らない日本ってどうなんだろう、と思ってしまう。まあ、そのへんの愚痴の続きは、15日発売の「グレメカ」誌で。

最後に、Super! drama TVへのリンクを。しかし、これこそ地上波で、ゴールデンに放送すべき。

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2008年3月 4日 (火)

■映画と身体■

1999年に関わったムック本が、復刊されると連絡があった。
080304_00230001『シャアがくる!』というタイトルで、 なぜか「広田恵介」が著者となっている。たぶん、「武勇伝」とか「語録」とか、書いたテキスト量が多かったからだろう。実際、「復刊したいので、過去の原稿を使っていいですか」と打診はあったものの、僕の口座には一円も入らない(笑)。
この仕事を頼まれた僕は『Zガンダム』と 『逆襲のシャア』の難解さに苛立っていて、作品への不満が、そのまま本にぶちまけてある。編集チーフの木川明彦さんは「内容は面白いんで、何とか(版元に)通します!」と頑張ってくれた。
あと、感謝している編集者はSPA!のTommy鈴木さん。「金払って、アニメの宣伝をするのが僕らの仕事じゃないのです」という言葉は、今でもよく反芻する(金というのは、版元に払う画像使用料などのこと)。つまり、同じ素材を使っても、編集者やライターの主体性、向上心や挑戦心次第で、まったく違った本が出来るはずなのだ。

閑話休題。
再び『渋谷区円山町』のこと。この映画に泣かされたからといって、僕は女子高生が好きになったわけではないし、渋谷が好きになったわけでもない。かつて女子高生であったこともなければ、これから女子高生になるわけでもない僕は、しかしこの映画を見ている間は、確実に女子高生だったのだと思う。
う~ん、何というか……リアルタイムに『渋谷区円山町』を観た女子高生より、40歳の俺の方が、瞬間最大風速的に、ずっとずっと女子高生だったぞ、ということだ。渋谷の朝焼けは痛かったし、一日歩いた分だけ疲れもした。つまり、「映画も身体で観る」ということだ。俺はずーっと自室のテレビの前に座っていたけど、ちゃんと渋谷を歩いてきたわけ!

以前に、「48歳で『魔女の宅急便』をつくった宮崎駿は、その時だけ13歳の少女になっていたはずだ」と書いた。それと同じことだ。13歳の中学生には『魔女の宅急便』をつくる基礎体力がない。身体の経験値が足りない。原則的に、フィクションというのは知識でなく身体からジェネレイトされるから。
それを考えると、身体にコンプレックスのある人がフィクションを過剰摂取しなければならないのも、ごく自然と思える。フィクションに接する時、われわれは己の身体と向き合っているわけだ。
さて、あと2本映画を観ればノルマ達成。来週は楽しい座談会だ。

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2008年3月 1日 (土)

■映画に振り回される■

一日おきぐらいに午前中から取材があって、帰ってから原稿書いて、それが終わったら、ある企画のために○○な基準で選ばれた20本の映画を、眠るまで見続ける……という日々が続いている。
080301_17550001まあ、本当はその企画のために書くのをとっておきたいんだけど……もう予告編を見返すだけで泣けるのが、『渋谷区円山町』。2本のストーリーのオムニバスのようになっているんだが、だんぜん後編がいい。ほとんど泣きっぱなし。
これ、完全に女子高生ターゲットの映画だよ。監督も女性だし、オヤジの視線なんか、これっぽっちも意識してない。だけど、この映画を見ながらとっていたメモに「生まれてきて良かった!」と書いてある(笑)。もちろん、俺の字で。

それで、思った。映画を見て泣くことの、どこが悪いんだって。「泣くというのは感動じゃない。生理現象だ」と誰かに言われたんだよな。あるいは、本で読んだんだよな。じゃあ、感動の基準って、どこで見定めればいいんだ。
大人になったら、映画を「批評」しなくちゃいけないのか? なるほど、心の中に社会性を菌糸のように張りめぐらせることが「大人になる」ってことなんだろう。それは分かる。だからって、どんな作品を見ても、社会的に、ロジカルに解析しないとダメなのか?
もうちょっとみんな、映画に振り回されてはどうだろう、と思ってしまう。自分だけは、一枚岩のように、ずっと変わらないと思っている人間がいる……それは違う。変わることがアイデンティティだ。

『渋谷区円山町』の後編の主演は、『時かけ』で声優デビューした仲 里依紗だ。そもそも、俺は女080301_17520001子高生にはあんまり興味がない。でも、そういう問題じゃないよ。高校でイジメられていた里依紗が、気の強い女の子に引っ張られるようにして渋谷の街を歩く。映画の大半は、二人が渋谷を歩くシーンだ。
最初は目的があって渋谷に行ったのに、どんどん目的が薄れていく。日が暮れる。朝になる。意味もなく渋谷で遊びつづける。また日が暮れる。この滞空時間。どこにも係留されていない自由。自由だから、不安。不安だから、二人は意味もなく歩きつづける。
その不安を乗り越えた二人は、ラストシーンで、もう何年も前からの友だちのように手をつないで歩きはじめる。その笑顔を見たときに、俺は「後悔しないように生きよう」と、本気で思ったよ。絶対に、彼女たちのように笑ってから死のうと。

さて、お題に上がっている映画は、あと4本。俺は何度でも、何十回でも映画に振り回されてやる。

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