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●『アクエリオン』新年会2008で昨年のブームを大回顧! 執筆
1ページの小さな記事だけど……いよいよ、『アクエリオン』関連の仕事もこれでラストですかね。ムックに公式同人誌にCDドラマ……と、浅すぎず深すぎずという関係でした。この作品は、絵柄も内容もアキバ文脈とは徹底的に外れていて、頭翅様がBLっぽいということぐらい? というか、BLとやおいはどう違うんだ? オタクとアキバぐらい違うのか?
ともあれ、同時期放映の『エウレカセブン』と比較すれば、どれほどトレンドに背を向けた作品であったかよく分かると思う。
閑話休題。『ライラの冒険』のプレス試写最終日は、別室でDVD上映せねばならないほどの混雑ぶり。それだけでも大ヒットの予感がする。
映画って、数百~一千通りぐらいの見方が出来ると思うので(人それぞれという意味ではなく、一人の人間の中にそれだけ多彩な視点が存在しうるということ)、ありきたりな批判はしない。だけど、この齟齬感は何なんだろう、と思う。
この映画の「物語」に、何の必然性も感じない。それは「ライトノベルが分からん、PCゲームが分からん」という感覚に最も近い。ひょっとして、俺らの知っている「物語」は数十億、数百億かけたメジャー映画からは消えつつあるのかも知れない。
主人公が選ばれし者、つまり「勝ち組」で、何の努力もなしに都合よく現れた大人に助けられながら冒険していく(そういうのは冒険とは言わないけど・笑)のは、もう『ハリー・ポッター』で慣れている。それはいい(よくないが)。
で、主人公の少女に、超重要アイテム「黄金の羅針盤」が託されるんだけど……これ、ゲームの攻略本なんだよ。危機の突破の仕方が、羅針盤を見れば全部分かるんだ(笑)。だけど、ケータイを持っているのが当然の今の小学生なら「あれ、ひとつ欲しいな」ぐらいは思うかも知れない。その便利さが、生理的にイヤだ。「守護精霊」として出てくる動物たちも同様。あいつら、餌とか糞はどうしてるんですか? たまごっちじゃないんだからさ。
つまり、便利なアイテムや可愛いキャラをアイキャッチとして配置しているだけで、努力とか信頼とか喪失とか苦渋とか、子供に必要なもの(と俺が思い込んでいるもの)は一切ない! そういう安全で快適な冒険が「映画」として通用するようになったのだ。時代は変わった。
で、それは「ダメな大作映画が一本増えた」ということではなく、何かドラスティックな変化 が映画と観客の間に起きはじめているのではないだろうか。その真裏には『ハリー・ポッター』を筆頭とする児童向けファンタジー文学のヒットがあるんだけど……それらライト・ファンタジーとライトノベルの爆発的普及は、やっぱり不可分なわけだよね。『キノの旅』とか『ゼロの使い魔』なんて、海外で実写映画化されてもまったく違和感がない。(国内のアニメをハリウッドメジャーに仲介する会社があるので、可能性はおおいにある)
さあ、どうする、旧世代のオタクたちよ! 俺らの楽しめるコンテンツは、どんどんクラシックに限られていくぞ!
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コメント
私達が見知った「努力」ではないけれど、
何か別の「苦労」に共感する若い世代が増えたのかも。
いつの世もしんどさの量では変わらないのかなーと。
あと、「やおい」は少年漫画のパロディ、
「BL」は少女漫画風味のオリジナルと覚えておくと
わかりやすいです。
投稿: 眼鏡屋 | 2008年2月23日 (土) 22時04分
■眼鏡屋さま
大づかみに言うと、存在するだけ、居場所を占めるだけでも若い人間にとっては「苦労」ですしね。
「選ばれし者」というイージーな設定は、実は意外に切実なのかも知れません。
>「やおい」「BL」
おお、さすが(笑)!
実は、眼鏡屋さんからコメントがいただけないかと期待して書いたんです。なるほど、分かりやすい!
投稿: 廣田恵介 | 2008年2月23日 (土) 22時31分
>実は意外に切実
今の時代、「選ばれし者」というモチーフだけでも
本当はリスキーなのかも。
「自分は選ばれし者ではないのか?」という
人生の命題を若人につきつけちゃうわけだから。
投稿: 眼鏡屋 | 2008年2月23日 (土) 23時09分
■眼鏡屋さま
アタリ/ハズレ判定をつきつけられて生きているようなものですからね。
受験の重みも、人口の多かった僕ら世代と少子化の極端に進んだ今では違うでしょうし……
投稿: 廣田恵介 | 2008年2月23日 (土) 23時31分
確かに、同世代で「選ばれる選ばれない」つーふうに考えてる人間は多いですね。
前回の「お客さん気質」の話じゃないですけど、そのせいで煮え切らない部分はあるのかも。
「選んでくれない」から自分では動かないという。
逆に言えば「選ばれなかった」という事に軽い絶望感を感じている部分があるのかも知れず、そこで負の感情を産んでいるのなら可哀想だとも思います。
周りから「選ばれる選ばれない」とするより、自分が「選ぶ選ばない」の方が重要だと考えた方が、ずっと人生面白くなると思うんですけどね。
投稿: 朝の銀狐 | 2008年2月23日 (土) 23時46分
テラセンセこにゃにゃちわ~、|||-_||| サダコで~す♥
ハリウッド映画を(映画館でみるのを)軽く10年ほどみていない私です。メンタリティー的には「アンチ・アメリカ」的なポリシーで観ていないんですが(この辺のメンタリティーは、後の9.11以後の世界とシンクロするのですが)。
『ライラの冒険』、一生懸命に宣伝してますねー。
日本のアニメと同じく、ハリウッド映画も死にそうな文化をドーピングしている文化に等しく見えます。そろそろ気がついてもおかしくないのに、ハリウッド!ってだけで皆ついてゆきますよね。
少女信仰的な文化の文脈の流れから自然発生した日本の「ナウシカ」と違って、なんだかんだ言って男性社会のアメリカがこのような少女が主人公の物語は、胡散臭いにおいをプンプン感じます。ウソ臭いファミニズムをそろそろウソ、と認めたほうがいいですね、あの国も。認めたところから始めないと。
日本のオタクカルチャーに関して、ヤッターマンの騒ぎを例にして「いい年をした男性が子供っぽいというけれど、実は逆で老年化しているのだ」とかどっかに書いてありました。もちろん、そんな事わかってますよ!とっくにこの国は高齢化社会じゃないですか、と思いました。まず、認めたところからはじめないと、と思う今日この頃。
投稿: きゃてぃーなかぢま | 2008年2月23日 (土) 23時51分
■朝の銀狐さま
ひとつの仕事を長く続けていれば、「選ばれている」と感じることも少しはあります。
ただ、問題なのは全能感というか「すべてを与えられる/与えられない」という極端で性急なジャッジを欲しがる人が多いことじゃないでしょうか。
コンビニやネットは、その傾向を加速していると思うんですよ。
■きゃてぃー様
サダコ、懐かしいですね(笑)。
別に僕は、得るところがあればハリウッド製でも何でも構わないのですが、芸術よりも政治の世界だと思うんですよ。日本に輸入されるときは、政治の部分が脱臭されてくるから、すごく華やかに見えるんです。
女の子が主役なのは、将来にわたって稼いでくれるスターに成長してくれるから……まあ、言われてみればドーピングですね。
ただ、日本のアニメの現場はまだまだ元気だし、創作に対して、ずっと純粋です。
ひとつ気がついたのは、80年代に比べて、日本アニメがパクれるだけ価値のあるハリウッド映画が減ったなぁ……ってことです。
投稿: 廣田恵介 | 2008年2月24日 (日) 03時18分