■ガンプラ考■
シネコンウォーカー 2月号 配布中
●Movie special 『ジャンパー』記事お手伝い
見どころポイントみたいな超短文コラムを5本ほど書きました。
もう2005年のことだが、日経キャラクターズ!で「ガンプラで脳が活性化!!」という記事を書いた。諏訪東京理科大学の篠原菊紀教授がバンダイからの打診で、ガンプラを作った時に脳が活性化するかどうか調べたのだ。月刊トイジャーナルにも同じ内容の記事が載ったらしいのだが、僕の記事はバンダイの川口克己さんも列席し、「イマイチ信用できない!」と言いたげな表情の写真が載っているのが面白い。
とにかく、この時は「ガンプラを作ると、計算能力が上がる」「学習に役立つかも知れない」という効能のあるなし論で話がまとめられてしまったのが残念だった。(いま記事をめくってみて、すごい誤植を発見したけど黙っておこう……)
僕は、去年の秋ぐらいからガンプラ(具体的にはマスターグレード)を切らしたことがない。常に何かしら作っている。漠然としたアイデアが必要な仕事のときは、必ず組み立てるようにしている。黙々と数字に従ってパーツを追っていると、必ず相応しいフレーズが頭に浮かぶ。すぐ横にワードを開いたままのPCがあるのだから、散歩に出るより効率がいい。脳だけ散歩に行かせるにはガンプラがちょうどいいわけだ。
色なんか塗らない。何の創意工夫も工作技術もなしに――ようするに、本気にならずとも組み立てられるのがガンプラのすごいところだ。マニアやプロは「本気」で作るから、この手軽さを絶対に評価しない。
また、ライトユーザーは「このモビルスーツが好きだから買う」などの嗜好があると思うが、僕はパーツ数が多いか、安く買えるかどうかしか問題にしない。つまり、パーツを切り出して組み立てる時間だけが欲しいのだ。まったく、最低のユーザーだと思う。
ガンプラは車や艦船のプラモデルと違って、フィクションを基盤にした模型である。ここまで精度の高い製品でありながら、その根拠を夢想の中に置いている。そのような文化は、海外にはない。どうもこれは、「西洋では物の形をマッス(塊)で捉えるが、日本は線で捉える」という宮崎駿の指摘とも結びつくような気がする。
いわば、ガンプラはどれだけ立体的に構成されていようと、平面――線で描かれた抽象世界に奉仕しているのだ。どこまで精密に進化しようと、抽象性から逃れられないアンビバレンツがガンプラの人気の秘密ではないだろうか。そのガンプラの「日本性」については、なかなか誰も言及しない。
アメリカでアニメ映画といえば、キャラクターをマッスで捉えた3DCGがほとんどだ。一方、ガンプラが何億円の売り上げを示そうと、「では、立体的なガンダムを3DCGでアニメ化しましょう」とはならない(皆無ではないが、2Dのガンダムほどの支持は集めていない)。
何かを「実現」させるということの意味、「リアルである」ということの意味が日本と欧米では決定的に違う。日本のキャラクター文化は、無数のアイコンから成立している。僕はガンプラを必要としてはいるけど、そこに愛があるかと聞かれたら、ちょっと困ってしまう。
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コメント
手軽さが良い訳だからU.C.HGは本来のガンプラとはちがうファン層相手なのであまり話題に上らないんでしょうね。フィギュアやジープはロボに比べればいくら架空の物とはいっても現実的だし。企画への疑問はいまだに有ったりするのですが、デザイナーとしては複雑です。自分がガンプラの嫌いな所は左右の手脚というほぼ同じ形の物を2回づつ組まされる所です
(笑)。
投稿: ハム船長 | 2008年2月 4日 (月) 06時15分
■ハム船長さま
U.C.H.Gは、川口さんにお話をうかがうまで、本気で存在理由が分かりませんでした。SF3Dとガンプラが同居していた頃のホビージャパンをめくると、「こういう気分なのか」と納得はいくのですが、いわゆる「ガンプラ」ではないように思います。
僕は同じ作業をするのは、あまり苦痛ではないですね。何故かというと、組んでいる時間は別のことを考えているからです(笑)。
投稿: 廣田恵介 | 2008年2月 4日 (月) 13時35分