■アキバ/オタク■
劇場版アクエリオン 逆転壱発篇DVD 22日発売予定
●ブックレット構成・執筆
ブックレット以外では、レンタル版のキャッチコピー(というか、簡単な解説)を書きました。セル版とレンタル版とでは、微妙に仕様が違うというわけですね。見どころは、作り下ろしのエンディング。ポリゴンのシルヴィアとアクエリオンがばんばん踊りまくり、ちゃんとノンクレジット版も収録!
ほとんどテレビを見ない僕にとって、昨年の『アクエリオン』ブームは狂い咲きと呼ぶにふさわしかった。やっぱり、主題歌の完成度が、まず筆頭に上げられると思うんだけど……逆に、今は歌さえ消費できれば、にわかファンはそれで満足だろうし、それで何が悪いのかと思ってしまう。
実際、僕が先日「ハマってる」と書いた『洗脳・搾取・虎の巻』だって、ゲーム本編には興味がない。曲がよかったら当然のようにゲームもプレイする、という経路そのものが、もはや僕には「古く」感じる。コンテンツを徹底的に「面」で消費する人が、かつてはオタクと呼ばれていた。「面」を見るか「点」を見るかが、オタク文化とアキバ文化の境界線だ。
30代後半から40代で「ガンダムは初代から00まで、一通り押さえてます」という人はオタクではあるかも知れないが(以前なら確実にオタクと呼ばれただろう)、アキバとは何の関連もない。
この断絶に、オタクを自認していた人たちは戸惑う。カテゴリーを軽々と飛び越え、目の前のものには熱心な割に、その歴史には不勉強なアキバに眉をしかめる。そもそも、アキバ文化が秋葉原で発生するとは限らない。それはウィルスのように、個人の内面で発生する。よって、見つけることさえ難しい。オタクたちは、好きなアニメを自分の外に向かってアピールした。アキバは、間違ってもそれはやらない。内面で始まり、内面で沈静化する。
『空の境界』が映画興行史に残る異例のヒットを飛ばしても、ネットにはほとんどレビューが載らない。ファンたちは、この作品を周囲に薦めようとすらしない。なのに、記録的大ヒット。『エヴァ』を共有するようなわけにはいかんのだ。
アキバ文化というのは、どこか傷ついて見える。先日書いたように「殺す/殺される」関係もそうだし、いわゆる作画崩壊で「祭」が起きるのもそう。「壊れる」ことが、何らかの価値を持ってしまう。あちこちで生じる断線やディスコミュニケーションを積極的に楽しむ傾向がある。だから、明確な地図が存在しない。かつてのオタクたちは、地図を作成するのに躍起だった。アキバにとって、全体を見渡す地図など無用の長物、大きなお世話だ。
そんなことより、目の前のキャラなり作品なりが、自分の内面にどう関与するかの方が大事だ。内面に関わるものは、未完成でなくてはならない。未熟でなくてはならない。完成された古典はいらない。
僕は自分が関わったもの以外に、何度か美少女ゲーム企画について「意見を聞かせて欲しい」と呼ばれたことがある。「やはり、女の子だけでなく、老人をうまく描けないとダメでしょう」と言った記憶がある。ところが、僕から見て明らかに稚拙な絵のゲームが、売れた。プロデューサーは、その絵の稚拙さが「エロい」のだ、と確信を持っていた。
総合的なバランス感覚を体得せねばならない、というのは我々の世代の信仰でしかない。
オタクたちは、完成されたコンテンツを求め、評価した。アキバには、いまだ完成されざる何かが必要なのだ。
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