■社会性を持つ■
アニメも映画も観たし、なんのかんの言って気になるらしく、フジテレビの『ハチミツとクローバー』を視聴。
映画については「グレメカ」誌上で苦笑させてもらったけど、ドラマは結構いい。というかねぇ、「見た以上は悪口禁止」という気分。
「原作漫画はとっくに完結したのに、アニメやって映画やって、まだドラマまでやんのか!? お前ら、そこまでネタないのかよ?」という気分は分かるんだが、そもそも漫画というもの自体、高度に「商品」として完成されたメディアだと思うので、そういう文句は出ない。
ただ、漫画というのは「人間の手」で描かれるので、読者との親和力が強い。ゲームも「手で」進めていく以上、気持ちが入りやすい。だから、『ネギま!』や『ひぐらしのなく頃に』の実写化には猛烈な反発が起きた。……まあ、少女漫画の場合はそんな過剰な反発は起きないんだけどね。独占欲の強い男性オタク特有の現象、といってしまえば話はそれで終わってしまうんだが、じゃあ、なんで男ばかりが原作漫画(あるいはゲーム)を死守したがるのか。
たぶん、映画になる、ドラマになるって「社会性を持つ」ということだから。漫画だったら独力で描ける。『ひぐらし』だって、竜騎士07さんの個人作品だ(ご本人は非常に社会経験豊富な方で、びっくりしたけど)。
ところが、映画・ドラマになるって、かかるお金の規模も違えば、かかわる人間の数もケタ違いになる。あちこち折り合いをつけて、関連各社の目論見も理解し、お金のことも考え含めなければ、企画なんて前へは進まない。
あと、実写になると、単純に作品を見る人間の数が増える。かけたお金の分、マスコミに露出しなくてはいけないから。顔見知りばかりだった公園から、誰がいるのか分からない広場に出ていかなくてはならないんだ。
で、女性は行動範囲が広がることに抵抗がないんじゃないだろうか。つまり、生まれながらに環境適応能力が高い。男のオタクは、逆なんだ。自分の理屈が通じない世界へ、自分の好きな作品が泳ぎだしていってしまう、その変化が怖い。胎内回帰的だ。せめて、心の拠りどころにしている漫画やゲームぐらい、生々しい大人の世界から隔離しといてくれよ。そういうことだと思う。
僕は、映画やドラマが成立するプロセスをある程度、知ってしまっている。だから、ドラマの『ハチクロ』で『北の国から』のパロディをやっても許せる。キャスティングだって、プロダクションの力関係とか、いろいろあったんだろ。つくってる側は、ファンと違ってリスクしょってるんだ。だから、「見た以上は悪口禁止」だ。
胸を張って言えるが、僕には社会性がない。にも関わらず、大人のやることに対して、怒る権利を失ったんだ。疲れたからじゃない。知りすぎ、分かりすぎ、諦めすぎ、許しすぎたんだ。
以前に、「蔑むな、愛せ」と書いた。愛は、怒りによって支えられるのかも知れない。だとしたら、『ネギま!』『ひぐらし』の実写化に猛反対した人たちには「最後まで、許すな」と言いたい。もし本当に、怒れば怒るほど、愛が深まるのであれば。
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