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2007年12月 5日 (水)

■蔑む分、愛す■

劇場版『空の境界』 「俯瞰風景」 パンフレットScan20006_3

●メイキングページ 構成・執筆
スキャナーの関係で汚くなってしまったけど、実物の表紙はツヤ消し黒に銀文字、という渋いデザインです。
単館でレイト、しかも月替わりで中篇を連続上映するという異例の興行パターンのため、ファンでない方はちょっと見づらいとは思いますが、「映画感」はむせかえるほど濃厚です。
今年ほど劇場アニメが充実してしまうと、テレビアニメを見るモチベーションが薄れていく……というのは、おそらく一部のマニアなのかな。

映画というメディアは特別だ。他の誰かが、僕の気に入った映画をどう思っているのかは、あまり興味がない。なぜなら、映画を気に入る、とは映画を自分の肉体の中に置くことだと思うから。
映画を自分の「外部」に置きたがる人が、あまりに多い。そうした人たちは、気に入った映画にさえ点数や順位をつけたがる。義務教育で最も嫌っていたことを、映画に対してやってしまっているんだ。
小学校低学年の頃は、先生が赤鉛筆でつけてくれるカタツムリのようなうずまき模様が点数だった。目の前で「よくできました」とオマケをつけてくれると、友達まで一緒になって喜んでくれた。
愛情が数値化できないことを、先生の赤鉛筆が教えてくれたんだ。

それが中学ともなると、「教育」の方向が急転換する。教室で盗難騒ぎがあれば、「犯人が見つかるまで、黒板の前に正座だ!」なんて教育が、1970年代に行われていた。正座はまだしも、土下座なんて日常茶飯事(いや、昼食抜きなんてこともあったから茶飯事とはいわない)。いいかい、14歳かそこらで、「クラスのみんな、ごめんなさい」って土下座だよ?
だから、ボクサーも相撲取りも、「国民のみんな、ごめん」と謝るわけだよ。あの見世物は、戦後民主主義教育のグロテスクな産物よ。
そして、「一人でも競争相手を下に蹴落とせ」の受験勉強が10代の少年少女を引きこもらせる。みんな、社会に出ても「自分より下」がいないと気がすまない。嘲笑したくてたまらない。10代の頃に「友達を蹴落とせ」と叩き込まれりゃ、そりゃそうなるでしょう!

……つい熱くなってしまったけれど、みんなもうちょっと「誉めようよ」と思う。もちろん、批判精神がないと、作品は鍛えられない。競争意識がないと、作り手は磨かれない。俺だって、編集者と議論してまで批判的な記事を書くことはあるさ。周りが誉め殺しなら、逆風を吹かすため、批判もする。本というものは、多様性がないといけないから。
だけど、そのずっと以前の、いわば幼稚な段階で「誉める」こと。それは、義務教育で叩き込まれた「蔑み」に対するカウンターになる。
……どう言ったらいいのかな。「誉められるものを見つける、探す」でもいいんだ。叩けるもの、嘲笑できるものを探してはいかん。蔑んだら、その分だけ、愛せ。
そうしないと、結局、俺らは義務教育の「成果」を繰り返す、くだらない日本人として一生を終えてしまう気がする。

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