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2007年11月29日 (木)

■ブレードランナー・ブルース■

新宿バルト9にて、『ブレードランナー』ファイナル・カットを鑑賞。『ブレラン』(笑)と言えば、ついこないだ、「ディレ071129_05240001クターズ・カット最終版」のDVDを入手し、その意外な退屈さにウンザリしたばかり。ファイナル・カットは、その最終版と「大差ない」というじゃないか。一緒に観る友人には悪いけど、「こりゃ、確実に寝るな」と覚悟完了でシートに座る。

ところが、予想もせぬ事態が起きた。
完璧に蛇足と思えた、ユニコーンの走る追加シーンで、「グラリ」と平衡感覚が狂った。頭はシートにしっかりもたせかけているし、地震が起きたわけでもない。なのに、「フラッ」と視界が揺らいだのだ。
画面では、ハリソン・フォードがカッと目を見開いている。「なるほど、そうか!」ってな顔だ。そして、彼はレプリカントの残していった写真を分析しはじめるのだが、そこから先は、もう映画そのものが「他」ではなくった。スクリーンに映っている何もかもが「自分」のことのように感じられる。

初公開時はロードショーを見逃し、二番館に友達を連れて六回ほど観に行った。あちこち071129_14430001_2 たらい回しにされてきたフィルムは、もちろんボロボロで、10秒あるシーンが三秒にちょん切られているのなんかデフォルトだった(パーフォレーションという穴が壊れた場合、フィルムが輪転しなくなるので、映画館主が勝手にスプライサーで切って繋いでしまうのだ。だから、『ブレードランナー』には「館主ファイナル・カット」が無数に存在するはず・笑)。
あの劣悪な環境で観た『ブレラン』こそが、俺にとっての『ブレラン』だった。そのノスタルジアが木っ端微塵に打ち砕かれたのは、もちろんDLP上映で音も映像もクリアになったから、だけではない。

相変わらずストーリーはご都合主義で安っぽく、次に来るシーンも分かってはいる。にも関わらず、ユニコーンのシーンから最低でも10分ほどは、スクリーンとの距離がゼロになった。それは網膜ではなく、脳内に再生される映像だった。
デッカードは私であり、レイチェルの弾くピアノの音色は私であり、未来の街の雑踏は私であり、ゾーラが撃たれて割れ散るガラス片ひとつひとつさえ、私だった。
ラストシーンで、もう一度ユニコーンが登場する。ハリソン・フォードは、またも「なるほど、分かった」という顔をする。何が分かったのかは、分からない。そんなことは重要ではない。おそらく、誰もが自分のユニコーンを持っているのだ。それは神がかった啓示なのかも知れないし、不吉の前兆なのかも知れない。いずれにせよ、論理では説明不可能な「何か」である。
人は、生きているうちに何度かユニコーンに出会っている。あるいは、ユニコーンの存在に気がつくことが、人生の目的とさえ思えてくる。

こうして、80年代ノスタルジアに閉じ込められていた『ブレラン』は、聖性をまとって俺の中に再インストールされた。
結局、重要なのは映画を「分かる」ことではなく、その映画と「いかなる関係を結ぶか」に尽きるのだ。「自分」を抜きに、映画を語ることは出来ない。

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2007年11月28日 (水)

■みんなの余生■

本日は、『空の境界』のマスコミ試写。魔術めいた映像美に陶酔。

さて、先日の記事で「人間の肉体のピークは10代で、だからアニメの主人公はみんな若い」と書いた。ジンバブエでは、平均寿命が36歳。アフリカのマラウイ共和国では40歳。
それで合点が行ったんだけど、40前後になると、フィッと業界から姿を消しちゃう人がいる。後から聞くと、「仕事やめて、田舎へ帰った」と。生物としては正しい行動なんだよね、それは。
不意に思い出したんだけど、俺、20歳までは「いかにして死ぬか」ってことばかり考えてた。それはナルシズムもあったんだろうけど、プラモデルもいっぱいつくって賞金も稼いだし、好きだった女の子とはエッチできたし、充足してたんだよな。第一志望の大学に入れたし、受験戦争とやらにも勝てました、と。
むしろ、大学出て、貧乏モデラーやってる頃の方が、よっぽど苦しかったよ。もう生物的なピークは過ぎてたから。
残る余生は、延々たる生への執着、煩悩との戦いよ。いつが余生って、この20年ばかし、ず~っと余生よ。

そう考えると、俺が30代になってからギャルゲーやったのも説明できるんだ。余生だから。本番は20歳前後で終えたから、あとはもう、シミュレーションでいいじゃん、と。
だから、ニートもそんなに否定しない。そんな、老骨に鞭打って社会奉仕する必要ないよ。だって、余生じゃん。
だいたい、みんな社会に適応しすぎなんだよ。娯楽のために映画観に行ったのに、「評価:60点」とか「★★★☆☆」なんてネットに書いちゃ駄目よ、アンタら。そんなの、学校の成績表と何が違うっていうんだよ。せっかく学校卒業したのに、なんでまだやる? 学校サボって映画に行った在りし日々を思い出せ。あの日々は、もう二度と帰ってこないんだぞ。なんたって、今は余生だからな。

あと、「働き盛り」って言葉は社会的要請から見た言葉であって、正確には「働かせ盛り」だよね。ジンバブエに行ったら、働き盛りの世代なんて最初からいませんから。
何度も言うようだが、個体としての役割は10代で終わる。10代が充実してりゃ、無理して20代まで生きる必要なんかない。後は、必死の撤退戦よ。だから、「会社、起こそうぜ!」と根拠もなく空元気で盛り上がろうとする人たちも出てくるわけ。あれは、今が余生と認めたくない人たち。

「若くない」ことは、すでにそれだけでマイナスである。だから、何度も何度も絶望しなくては、撤退戦は戦えない。絶望が怖いやつは、負ける。大丈夫、補給路はいたるところにある。キャバクラとかいろいろ(笑)。絶望しながら、余生を楽しもう。

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2007年11月22日 (木)

■沖田艦長はワープに耐えられなかった■

アニメNewtypeチャンネル 配信中
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●「時かけ」への思い ~オトナver.~
第一弾が岡野優さん、第二弾を僕が書きました。まあ、配信のPR用の文章ですね。タイトルは『“終わり”にあらがう物語』です。こちらからどうぞ。

以前、「どうしてアニメの主人公は少年少女ばかりなのか」について考えてみた。先日、ある人にインタビューしているときに、その答えらしきものにコツンとぶつかった。その人が言うには、人間の肉体的ピークってのは10代なんだそうです。
つまり、中高校生ぐらいじゃないと、タイムリープに耐えられない。肉体が。ギアス能力をルルーシュが授けられたのは、その肉体的ショックに耐えられる若い体だったから。アムロが15歳なのにガンダムの性能を限界以上に引き出せたのは、それだけヤツに伸び代があったってことでしょ。20歳のシャアが勝てるはずない。
ワープと波動砲を繰り返すヤマトの場合、若い古代や島は生き残り、沖田艦長は耐えられずに死ぬわけだ(笑)。

つまり、アニメってのは異世界に飛ばされたり、魔法を使ったり、肉体を酷使する設定が多いでしょ。その空想的な状況は、中高校生ぐらいの鋭敏な体でないと乗り越えられない。主人公を20歳以上にした瞬間、どんな話もリアルになってしまう。『カウボーイ ビバップ』なんかがいい例でしょ。スパイク(27歳)はよく、包帯ぐるぐる巻きになって寝てたもんね。
常識はずれな「アニメ的な」世界を物語るには、若い肉体が必要だという効率論なんだと思う。単に、肉体の完成された若者を主人公にした方が無茶をやれるし、説得力も出るってことでしょう。

あと、一見体を使ってないように見える萌え系・ハーレム系も同様。あれは、主人公の下半身が肉体的にピークに達してないと耐えられない……と、けっこうマジにそう思う。
あたるは何発も電撃をくらわなきゃいけないし、ラムはあの歳でないと、あんなにいっぱい電撃を出せない。『時かけ』といえば、筒井康隆の短編にものすごい方法でテレポテーションする短編があったけど、ようはああいうことだと思うんだよな。その短編のタイトルは忘れてしまったけど。

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2007年11月20日 (火)

■死への放物線■

『創星のアクエリオン 太陽の翼』 22日発売
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●特典CDドラマ
『温泉合体アクエリオンⅡ』
『ジェロームの告白』 脚本執筆

また今回も、冷や汗かかせてもらいました。こうして出来上がったものを聴かせていただくと、脚本というのはチームプレイ以外にはあり得ないのだと実感させられます。
それは、脚本という工程が全体のワークフローのどこに位置しているのか意識しないと駄目なんだってことですね。今回のように「声優さんや音響さんが何とか頑張ってくれるだろうから」なんてのは、絶対にNGなんだと冷や汗をかきながら、思いました。
そうは言いながらも、「あっはっは」と声出して笑っちゃったところも何箇所かあるんですけどね。

あと二本(ないし一本)書きあげれば、11月は無事終了。
071117_0630000120時にライブハウスで待ち合わせて飲みはじめ、いろんな人が入れ替わり立ち替わりで、朝7時まで。約11時間飲酒。
その割に、かなり細かいところまで記憶が鮮明。白いスラックスも汚れてないし、財布の中身もたいして減ってない。奇跡だ。

071119_01380001ラッカーシンナーの悪臭に耐えながら、仕事の合間に塗ってたんだけど、こいつだけは俺の力ではミリタリーチックに出来なかった。面積の広いヤツはドライブラシが難しいね。

071120_13230001この世のどこかに、セクシーなティンカー・ベルがあるはず……と信じていたら、中野にあった。
ただし、お値段6万円。コールドキャスト製だろうか。6万円でポンと買ったのって、コートとかバッグぐらい。……悩むね。



071115_14270001近所の古本屋で買った、『バーバレラ』のガイドブック。千円。小西康陽なんかが寄稿してるんで「?」と思ったら、90年代にリバイバル公開された時のパンフレットらしい。
辛抱たまらず、中古屋でDVDを買う。以前に見たときは、「何だ、このタルい映画は」と呆れたものだが、今回は隅から隅まで面白かった。この写真のスケスケ・コスチュームのバーバレラ、確かTVC15というガレキ・メーカーから出てたはず。スケスケ部分は、透明アクリルをバキュームフォームで抜いてあるという難易度高すぎる仕様だったと思う。そういうキットが現存したと考えるだけで、もうクラクラするほどのロマンを感じる。

じゃあ、そのキットが世界中探しても残ってなかったら、もう自分でつくる?って考えちゃう自分に、ほんのりと死の匂いを感じる。創作が常に生へ向かっているとは限らない。バーバレラのガレキ、俺がやるとしたら10年計画だよ。死への放物線。日常からの剥離。
だけど、何かを「極める」って、生存本能とは同居できない欲求じゃないかって気がするのだ。漫画版『侍ジャイアンツ』の最終回、分身魔球で勝利をおさめた番場蛮は、ピッチャーマウンドで立ったまま死んだからね。

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2007年11月15日 (木)

■歩いていける距離■

EX大衆 12月号 発売中
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●懐かしのアニメソング 熱唱ヒットパレード!
水木一郎さん、堀江美都子さん、それぞれインタビューを担当。
まさか、このお二人に間近でお会いできるとは!

秋山莉奈、雛形あきこ、森下悠里、グラビアポエム
●アイドルのキス顔チュ! Vol.15 松本さゆき 妄想ポエム

偉大なアニソン・シンガーに取材しながら、エッチなグラビアポエムを同じ本に書いてるのは、俺だけって気もする。……というか、他のライターは恥ずかしくて出来ないよね。でも、清濁併せ呑むのが俺は好きなので、もしグラビアポエムを書かせてもらえなくなったら、似たような媒体を探すと思う。
それが、俺のプライドの持ち方だ。

……と偉そうに書いていたら、「アイドルのキス顔」は次回で終了、新連載開始との電話が。
まあ、それじゃあ最終回は頑張って今夜のうちに書くとしてだ。
「プライドの持ち方」と関係あるのかどうか分からないが、先日、小学校の同窓会があった。ただ、俺は年末進行を言い訳に欠席した。歩いていける距離でみんな飲んでるので、「今から出て来いよ」と電話がかかってくる。しかし、一口飲めば朝まで飲まずにいられないのが、俺という人間だ。断るしかなかった。

すると昨夜、同窓会の写真がメールで送られてきた。それを見て唖然。三人ぐらいしか判別できない。しかし、女性陣は素晴らしかった。みんな20歳前後の頃より、今のほうが美人だぞ……って、誰が誰だか分からないけど。
とても不思議な気持ちだった。浦島太郎にでもなったような、あるいは自分だけ対岸に取り残され、みんな勝手に大人になってしまったかのような。なぜあの日、俺はあの場にいなかったのだろう? 
出席すれば、俺は彼ら彼女らの変貌ぶりを思い出として肉体化できたはずだ。
あるいは、写真さえ送られてこなければ、ここまで時間のズレに打ちのめされずにすんだはずだ。

つまり、俺たちは鏡さえ見なければ、永遠に12歳なのかも知れない。しかし、あの年、あの教室にいた俺らは、皆そろって40歳になった。俺は確実に彼ら彼女らと同じ舟に乗っており、俺だけ降りたわけではないのだ。
しかし、その実感がないのは、肉体がその場になかったから。
会ってしまえば、なんてことない世間話をして、またみんな仕事に戻っていくんだろう。それぞれの場所で、同じ分だけ歳をとるんだろう。
だのに、俺は入り口でセーブをし忘れたまま、ダンジョンの中を歩いているような妙な気分だ。

やはり、人生ほど面白いゲームはない。
キャバクラで、20歳年下に怒鳴られてる場合じゃないよなぁ……

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2007年11月 9日 (金)

■ギャルバイ、キャバクラ、ラビリンス■

所沢の古本市にて、アリイ製「美少女ギャルバイ ベレーちゃん」を入手。Ca270157 Ca270158_2           

80年代というよりは、昭和を感じさせる絵柄。後ろに描かれたバイクも、しっかりデッサンが狂っている。
内容は、ディフォルメされた動力入りバイクと三頭身フイギュアのセット。フィギュアは展示台(お立ち台)付きの立ちポーズなので、バイクには乗れない(でも、バイクは動力入り……という矛盾したコンセプトが良い)。
「タンクトップのセクシーぶりっ子とヤマハTZ250のドッキング!!」という箱の謳い文句が苦笑を誘うが、当時は、「アニメ流行ってるし、プラモなんてこの程度でいいじゃん?」という虚脱感に似た気楽さが、模型界に漂っていた気がする。あの時代、プラモデルはアニメと「寝た」んですよ。あの起きぬけの気だるい感じは、80年代前期のホビージャパンを読むと、よく分かる。

Ca270155 Ca270156 中身はこんな感じ。瞳デカールが付いているという事は、バンダイ製ラムちゃんの後の発売だね。あと、見逃してはならないのが「LIFE WORK」と書かれたデカール。これはベレーちゃんのタンクトップに貼るためのロゴなのです。そんなこと、説明図には一言も書いてない。つまり、ユーザーに「お前ら、気づけよ」と。物言わぬ凄み、脅迫にも似た気概が伝わってくるではないか。……ま、実際は書き忘れただけなんだろうけど。

これ以外に入手したのは、ホビージャパン83年10月号(創成期のガレージキット特集)、DARTS編集のタツノコ・ヒーローズ(セルワークはアートミック)、恐竜の図鑑など。一緒に回った友人と、日が暮れるまでお話。市民ホールはタダだし、落ち着ける。
その夜、都内に戻って仕事の打ち合わせ。先日、怒鳴られたキャバクラへ、逡巡した挙句に行ってみる。「そういう言い方って、失礼だよね。失礼だと思わない?」とまたしても怒られる。まあ、水が合わないんだろう。約束していた『時をかける少女』のDVDを「別に、返さんでもいいよ」と投げ渡す。これでカタはついた。俺にとって、『時かけ』は飛び道具だ。

水曜日、立川へ『パンズ・ラビリンス』を観に行く(いつ仕事してるんだろう、俺)。
071107_14480001_2チケット売り場で、60歳ぐらいのおじさんが「どんな映画なの?」と聞いていた。チケット売り場の係員は、「ホラー映画です」と断言、おじさんはチケットを買わずに逃げ帰ってしまった。確かに、クリーチャーのグロテスクさはハンパでない。ただ、それは必然性のある醜さだ。
ピーター・ジャクソンの傑作『乙女の祈り』も、妄想シーンの気持ち悪さに美学が感じられた。あと、DVD化されてないようだけど『白銀のラビリンス』というノルウェーの映画も、淫靡で陰惨で、それゆえに美しい映画だった。
『パンズ・ラビリンス』もその系譜。現実に起きることは、超現実的にしか語りえないのだ、と思う。

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2007年11月 6日 (火)

■私の暗黒時代■

今日もTSUTAYAに行ったんだけど…
071106_14020001右・『アクエリオン』(全巻貸し出し中)、左・『ゼーガペイン』(全巻貸し出しOK状態)。 この惨劇を、俺は黙って見ているしかないのだろうか?

さて、俺の暗黒時代といえば、言うまでもなく結婚していた三年間。何が辛かったって、「結婚の条件が就職すること」だったのだ。もちろん、当時はライターの仕事があったので、「フリーの仕事をつづけても良し」という会社を探した。新興のゲーム会社が、面接で「むしろ、ライターの仕事でいろんな情報を集めてほしい」と言ってくれた。結局、無能な旧経営者が放逐され、新経営者によるリストラが断行されるまで、その会社に籍を置いていた。
この会社の設立・リストラに関わった大人たちは、考えうる限りの最も悲惨な死に方をするであろう。俺はともかく、東京に出てきて間もない若者たちに幻滅を与えた罪は、贖いきれるものではないのだ。

俺は、リストラが決まってからも細田守の『デジモンアドベンチャー』の上映会をやったり、こっそりグラフィッカーを集めて、短編アニメをつくったりした。新経営者は「アニメづくりをやめろ」と迫ったが、俺はウソ泣きで切り抜けた。(このウソ泣きテクは、離婚のときにも大いに役立った)

さて、リストラされた月の月給は13万に満たなかった。妻は「バイト並み」と笑い飛ばしたが、同じ月、俺がライター業で稼いだ金は70万。だったら、元のようにフリーライターとして食っていけばいいだろうに、妻は「どこでもいいから、就職して」と迫る。親戚に恥ずかしいから、というのが主な理由だった。
当時住んでいた場所からすぐのところに、町工場のようなエロゲーメーカーがあり(実話)、シナリオライターを募集していた。「ここが丁度いいんじゃないか?」と提案、むろん妻へのイヤガラセである。
結局、俺は下げたくもない頭を下げて、もっと小さなゲーム会社に雑用のような形で雇われた。就業時間中、堂々と雑誌の記事を書いたり、携帯電話で編集者と(大声で)打ち合わせしたりした。とっととクビにして欲しかったのである。
この形ばかりの就職は、離婚の一年前ぐらいまで続いたんじゃないだろうか。ともあれ、暗黒時代といえば、入りたくもない会社へ履歴書を送りつづけ、妻の世間体のためだけに「会社員」をしていた三年間。

そんな頃に知り合った人が、自費出版で本を出したという。自費出版といえば、●●●(どっちか、好きな社名を入れてください)。
実は僕、●●●にも履歴書を送り、面接試験まで進んだことがある。こちらは落ちる気満々なので、社長に「うちの本の中では、どれが一番好きですか?」と聞かれて、「御社の本は、一冊も読んでおりません」と朗らかに答えた。社長は「出版は、書いた人が一番えらい」とのたまっていたが、一番えらいのは読者だっての、バーカ。

というわけで、●●●から本を出した人のおかげで、我が暗黒時代を思い出すことが出来た。別に●●●がどうの、という話ではない。ただ、闇夜で出会った人とは闇夜でしか再会できないのではないか、という気がする。

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2007年11月 4日 (日)

■キャバ嬢に怒鳴られた■

001 『エイリアンVSプレデター』は、厨くさいなりに面白い映画だったが、今度の続編に出てくるプレデリアン。何よ、このデザインは。
俺がH.R.ギーガーだったら、ハリウッドを核攻撃しちゃうよ。
でも、こんなもんでも、デザインした本人は必死だったんだろうし、すべての創作物には最低限の敬意をはらわないといけないよね……。

そんなことを考えながら、近所のTSUTAYAに行ったら、『アクエリオン』がほとんど借りられていて、その横に「オススメ!」みたいなレイアウトで置いてあった『ゼーガペイン』はひとつも借りられていなかった。どっちも好きな作品だけに、これは見るにたえない光景だった。

まあ、そんなささやかなアレコレに胸を痛めるには理由があって、ひさびさにキャバクラがらみで痛恨事があったのだ。
071103_04220001発端は、嬢のブログを見たこと。ひどい客にひどいことをされた、と書いてあった。「おいおい、大丈夫ですか。今から、そっち方面に飲みに出るとこなんだけど」などとメールしたところ、数秒もたたぬうちに嬢から電話。「私も一緒に飲むから、急いで来て!」と。
普段は、営業メール一本よこさない。同伴もナシ。アフターなど、もってのほか。俺は月に一回ぐらいしかその店に行かないので、もう嬢と客って感じですらない。
まあ、愚痴るには丁度いい相手だったのかも知れない。

で、居酒屋ハシゴして飲みながら、色々話して。途中から、友達も合流して。「いい加減、店に出ないとダメだろ」って、店に場所うつして。「カラオケ歌いたい」って言うから、もう好きにさせて。こいつの鬱憤が晴れれば、まぁいいやって感じで。
ただ、どういう話の流れだったか、「君は、この人(俺の友達)が好きなのかと思ってたよ」と言ったら、「本人の前で、なんて事を言うんですか!」って、マジ切れされました。
近所のバーに場所かえたら、ちゃんと来てくれたので、相手の機嫌は直ったんだろう。でも、今にして思うと「なんて事を言うんですか!」って怒られたときの、俺の落ち込みが尋常でなかった。
なんかこう、人として補いがたい欠点を、指摘された感じだった。
そりゃ、プレデリアンにも同情したくなるってもんだよ。

でね、嬢はタバコを我慢するために、吸いたくなったらフリスクを口に入れるようにしてるんだって。で、「なんて事を言うんですか!」って怒鳴った直後に、ザーッとフリスクを口に注ぎ込んだ。それがまた、堪えた。キツイっすね。

キャバクラでは、男の品位が問われる。俺にとっては、人生の修行場だよ。って、年末進行なのに何やってんだか。

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