■アニメを打ち切ろう■
その日は『エクスマキナ』の取材と、『アクエリオン』の打ち合わせがあったのだが、当日中にレビューというかレポートを書かなきゃいけないので、リアルタイムで『コードギアス』視聴。
第二期の予告があったそうなので(俺はすぐさま原稿にかかったので、見てない)、それで意外にみんな中途半端なラストに怒ってないんだろうか。俺は、主役二人が拳銃を撃ち合うところで「終わり」でいいじゃないかと思う。第二期に「続く」ってのはナシで。キャラクターは生死不明。その方が美しいではないか。
ラストに、延々とゆかなのナレーションが被るのも良かった。なんか言い訳っぽくて。「もう番組打ち切りだし、ストーリーはまとまらないし、でもどうにかまとめないと……」って感じがして(もちろん、事実はその逆なわけだが)。
俺は、「矢尽き、刀折れ」ってラストが好きなんだ。例えばTV版『エヴァンゲリオン』のラストは、許す/許さない以前に「好き」だから。悪あがき、っていうのかな。制作者の肉声が聞こえる瞬間が欲しいんだ。
地上波版『カウボーイ ビバップ』の最終回(1クールでは話が終わるはずがないので、散文詩のような構成にしたらしい)は見てないんだよねぇ……。
古い話で恐縮だけど、『バルディオス』なんて打ち切りになったから印象に残ってるようなもんだよ。『イデオン』も、TV版のラストは素晴らしいですからね。「ナレーション逃げ」の最もうまい部類に属するんじゃないの。『レイズナー』も、完結篇のOVAなんて見てない。打ち切りエンドの方が好きだから。「おいおい、ちゃんと最後までやれよ!」と苦笑しつつも、「お疲れさま」と肩を叩きたくなるような……そんなアニメに愛情を感じる。
今のTVアニメは、DVDのお試し版だから、打ち切りなんてほとんどない。近年だと、『妖奇士』ぐらい? 打ち切りをどう乗り切るか、って創意工夫の試される高等テクニックだし、作り手の人間性、人生観が露骨に顔をのぞかせることがある。
人生も予定通りにいかないし、だからこそ知恵と勇気が試される。「打ち切り」は決して恥ずかしいことではないのだ。まあ、「美しい」と感じてしまうのは俺ぐらいなものかな……
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
ビッグオーの1stシーズンラストは個人的に最高の打ち切りだと思ってるんですが、その後に2ndシーズンを見たらやりきれない気持ちになった記憶があります。それは野暮じゃないか?と思ってしまって。
コードギアスですが、続編決定してるとは言え反発が出なかったのは、あの打ち切り的な終わり方に皆納得か諦観してるんじゃないかなあ、と思った次第です。
ラストシーンの拳銃は、それまでの超人的な世界観に対して酷く人間的で。放たれたであろう銃弾は、同時に支持する視聴者にも決着を求めたのではないかと。
その形が歪んでいても作品と繋がっているのならば、それは愚痴となって苦情に通じるかも知れませんが、決着して切られた、或いは切った彼らは、最早語る言葉を持たないのではないかと。
投稿: sside | 2007年8月 2日 (木) 03時30分
■sside様
『コードギアス』については、僕が言いたかったことを的確に言語化してくださり、ありがとうございます。主役二人がお互いの武器を失った以上、もうデッドエンドしかないんです。臨界点。すべて出し切ったと思いますよ。
>ビッグオーの1stシーズンラストは個人的に最高の打ち切り
まったく同感です。番組の終わりと物語の終わりは、また別なんですよ。「ビッグオーは敵に勝ったのか負けたのか?」なんて言うバカがいるんです。アンタは幼稚園児かと。
僕は2ndシーズンは見てないんです。「謎解き篇をつくるべき」なんてアメリカ人らしい単純な発想ですよ。
そんなこんなで、アニメはマニアックなジャンルになりつつありますね……
投稿: 廣田恵介 | 2007年8月 2日 (木) 11時48分
テレビ版『マクロス』のように「人気が出たからもう1クール」なんてことになる作品よりも、打ち切りの方がなんぼか清々しいです。今さらですが「愛は流れる」以降のマクロスは蛇足だったですねぇ〜。
投稿: ドラゴン山崎 | 2007年8月 3日 (金) 03時07分
■ドラゴン山崎様
初代『マクロス』は別格ですよ。あらゆる「乗り切りテク」を投入した実験アニメだから。
あのダラダラ続いて、グダグダで終わる感じも悪くはないんですよ。「今見ると」という条件付きですが。
投稿: 廣田恵介 | 2007年8月 3日 (金) 12時27分
>ビッグオーは敵に勝ったのか負けたのか?
そんなことよりも作り手がどの様に戦ってのけたかの方が100倍大事なのに、と言うことでしょうか。
前回、書き込ませてもらってから考えたんですが、仰るとおり
>アニメはマニアックなジャンルに
なってるよなあ、コレって大丈夫なのかなあ、裾野が広がり、最早「子供」だけの持ち物じゃなくなったけど、それでいいのかなあ、と。
現在のアニオタ評価軸って、良くできた大人向けか、良くできた子供向けしかないけれど、言い方は悪いですが、文化を支えるのはプログラムピクチャーじゃないかな、と。
洋画で言うところの正攻法なA級作品を評価する軸が欠けてるような気がします。
良くできた打ち切りは、高度な作劇手法の一つだと思うんですが、受け手にも高度であることを求めるのは厳しいかなあ、と。
投稿: sside | 2007年8月 3日 (金) 18時37分
■sside様
『ビッグオー』は、けっこう作り手が海外ドラマのパターンを引用したりしてますから、ちょっと批評的な終わらせ方だと思うんですよ。スタイリッシュというか。
>裾野が広がり、最早「子供」だけの持ち物じゃなくなったけど、それでいいのかなあ、と。
いいんじゃないですか。アニメを映画の置かれている文化的ポジションと比べることに、ちょっと僕は齟齬を感じます。
宮崎駿が『もののけ姫』のメイキングでつぶやいた「どうせ、通俗娯楽だ」、この一言に尽きますよ。そんなものを真剣に見ているのは、やっぱり物好きなマニアなんですよ(笑)。
これから、そのマニア人口はもっと減っていくでしょうけど、マニア同士で議論するような評論は、誰かが継承していくだろうという気がします。
投稿: 廣田恵介 | 2007年8月 3日 (金) 20時50分