■名作グラビア化■
この三冊は、2007ナツイチ限定ブックカバーだそうで、もう何を売りたいんだか意味わかんない。現国の教科書に載るような文学は、いまやライダースナックみたいなもなんだろうな。初めから喰わないか、喰いあきてるか。だったら売らなきゃいいんじゃないかと思うんだが、ようは古典文学はグッズ化したってことなんだと思った。先日の『人間失格』にしたって、あれは小畑健グッズであって、太宰の功績はタイトリングぐらいでしょう。あれの中身を読まなくても、もう別に誰も困らない。とっくに、作品としての役割が終わってたって証だよね。中身と関係ない表紙で売る、というのはライダースナックの発想だから。
(ちなみに、太宰治、宮沢賢治、夏目漱石の著作権は失効している)
俺も『インディビジュアル・プロジェクション』を表紙買いして、中身は覚えてない(というか、表紙のおねーちゃんは話に出てきません)のに、まだ持ってるし。『神様のパズル』も表紙買い。ハルキ文庫だと、こうなっている。たとえ明日、日本中のラノベが焚書にされても、純文学や児童文学は、こうしてグラビア化・キャラ化していくんだろうね。
考えてみれば、世界名作劇場なんて、名作文学のキャラ化の歴史だよね。クラコン(クララ・コンプレックス)なんて言葉もあったし、『家なき子レミ』なんて主人公を少女にしちゃったぐらい。ディズニーとは、なんか志向性が違う。萌え擬人化を見ていても思うけど、もともと日本人は、キャラ化能力が高いんだよ。「これは絵に出来ない」ものなんてない。日本列島でもトップクオークでもキャラ化できるはず。
ただ、視覚に特化すると、別の感覚が必ず劣化していくからね。『らき☆すた』がサザエさんみたいに当たり障りのない日常話であるように、オタクの物語読解力は減摩していると思う。
もう、ある世代から以降は、物語(というか、文学)というもの自体が必要でなくなっている。そして、それで誰も何も困らない。俺も困らない。とにかく、そういう時代になったんだ。
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