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2007年7月11日 (水)

■今日という日が、昨日のためにあるのだとしたら■

昨日の記事は我ながら支離滅裂だが、だいたい書きたかった話題は出揃っているな……読み返すのも恥ずかしいぐらいだが。

本日、ひさびさに80年代アニメの仕事をしていたら、こんな一言にであった。「だが、今日という日が、昨日のためにあるのだとしたら」。思わず背筋が寒くなった。80年代を神格視しないと、30~40代のオタクは今日のアイデンティティを維持できないのではないか。
そのことを自覚している者は、先日やり玉にあげたオーガスの完成品トイを歓迎することは出来ないんだよ(話がホビー寄りに傾いていて申し訳ない……)。オーガスに限らず、超合金魂のアレとかコレとか。
070711_20210001オーガスのデザインは好きで、当時のプラモデルを持ってはいるけど、「今」新たに製品つくる理由をメーカーは本当に突き詰めて考えたのだろうか。俺は生理的に受け付けない。メガ80'sなんてサイトつくっといて何だけど、こんな状況を望んでいたわけじゃない。
確かに1/100ウォーカーギャリアが発売されたなかったのは無念だったけど、それは『ザブングル』の放送中だったから無念なのであって、今になってプラモデル“だけ”出るってのは、なんか即物的な気がするんだ。
これでいいのか、80年代。

今の20代がうらやましいというのは本当で、それは90年代に対して根拠薄弱な憧れがあるから。
よくアル中の人が酒を絶つと、甘いものが好きになるというが、それに近いのかも知れない。人は皆、何かに依存して生きているのだ。
90年代後半から現れた泣きゲーを、今の俺はプレイしたこともないくせに過大評価している。今後もプレイしないと思う。それは年配のファンからの伝聞だけで「初代ガンダムって偉大だったんですね!」と言い切ってしまう20代のガノタと何ら変わりない。だけど、耳年増の何が悪いっていうんだ。

勝手な理想や妄想を抱くことは、生き進んでいくための知恵である。「いまだ手に入らない」ことは明日への原動力になる。
もう知ってしまったもの、よく知っているものは時として重荷になるんだ。オッサンになると、それがどんどん重くなっていく。だから、今の俺は空白の90年代に勝手に片思い中。

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コメント

>放送中だったから無念
あー凄く分かりますね。
今メディアで何の展開もしてないのにプラモとか玩具出されても…
でもあの頃なし得なかった補完の意味もあるのかも。
嬉しい事は嬉しいけど何か空振り感は否めない。
エルガイムやダンバインは何故かそういった隙間にふと何度も発売されますねぇ。

>「いまだ手に入らない」ことは明日への原動力
これは確かにです。
無いモノは作る。
作る為には時間が必要。
時間を作るには生き延びなくて行けない。

でも無駄に時間を浪費してしまう自分がいる…

投稿: ギムレット | 2007年7月12日 (木) 00時37分

■ギムレット様
例えば『ボトムズ』はコツコツと小説を展開してきて、新作も決定したところでバンダイから出ましたよね。ニーズをうまく捕まえてると思うんです。
80年代モノなら、何でもいいってわけじゃないはずで、自分の中で「欲しい」と思ったら探すなり作るなりすればいいだけだと思うんですよ。絶版キットなんて、地方にいけばタダみたいな値段で売ってますから。

>エルガイムやダンバインは何故かそういった隙間にふと何度も発売されますねぇ。

あれはゲームの影響などがあるんじゃないですか? 
イヤなのは、「みんな好きだったでしょ、じゃあ買うよね?」って感じで突発的に出される完成品。作品への愛がないなら、もう80年代搾取はやめて欲しいです。

投稿: 廣田恵介 | 2007年7月12日 (木) 10時41分

>>今になってプラモデル“だけ”出るってのは、なんか即物的な気がするんだ。

プラモを出してくれたことは嬉しいのですが、買って、作って、盛り上がった気持ちをどこに持って行けばいいのかという不満は残ります。

子供の頃、夢中になってザブングルやダグラムのプラモを作ったのは、作品のオンエアや雑誌展開、遊び友達や模型店のバイト兄ちゃんとの話の盛り上がりなんかもコミですから。いくら完成度の高いプラモがリリースされても、あの頃のアニメに夢中になった気持ちまでは取り戻すことは出来ません。


>>「いまだ手に入らない」ことは明日への原動力になる。

最近はオンエアを見逃しても、半年も待てばDVDがリリースされますし、多少画質が落ちてもかまわなければ、ニコ動などで簡単に見れてしまいます。

逆に言えば、アクセスの手軽さに反比例して、作品に対する情熱や執着は薄れてしまいましたね。今から思えば、「見たくても見れない」「ほしくても手に入らない」という気持ちがあったからこそ、私達は作品に集中したし、いろいろなものを貪るように見て、取り込んでいったのでしょうね。

そう考えると、「見られるし、見たいけど、あえて見ない」というものを1つくらい持っていたほうが、オタク世界に対してより深い情熱と愛情を保ち続けることができるのかな、とも思えますね。

投稿: ドラゴン山崎 | 2007年7月12日 (木) 13時42分

上の方で「絶版キットなんてタダみたいな値段」と書きましたが、店とアイテムによる、と訂正させていただきます(笑)。

■ドラゴン山崎様
今は、「見つけたら即買い→終了」なんですよね。ニコ動にコメント機能が付いているのは、孤独感を埋めるためでしょう。

「究極のプラモデル」を出してしまうと、そのコンテンツが神棚に祭られてしまうんですよね。だから、人気アイテムにはVer.2.0という考え方が出てくる。これもまた、モノをモノで上書きするだけなので、好きではないですね。メーカーのしいた一本道というのは面白くありませんよ。

>そう考えると、「見られるし、見たいけど、あえて見ない」というものを1つくらい持っていたほうが

そうなんです。「気分をつくる」工夫として、それを意図的にやってもいいんじゃないか、と最近思うようになりましたね。「まだ見てないものがある」というのは、意外に豊かなものです。

投稿: 廣田恵介 | 2007年7月12日 (木) 14時33分

廣田さま

私は、模型はつくるために買う、という当然の目的があって買っています。

完成品トイは、模型を作れないけど、立体物だけは欲しいという人たちのものだと思ってます。

ただの工業製品であるプラモデルが、自分の手で作ってやると、ひとつの「作品」になる。それは、ワクワクする体験です。

当時のプラモデルキットをそのまま復刻・リリースしてくれるタカラトミーのスタッフさんには感謝。

商売云々は抜きにして、某巨大メーカーの新製品を敵にまわしての再リリースですから、心意気に感服しています。

一方で残念なのは、当時なみの熱気を今の作品や時代に感じられないこと。

見れば面白いけれど、一度みたらそれでおしまい。
見逃しても、全然くやしくない。

一度見たら、その先がないんですよ。「もっと知りたい」とか「もっと見たい」とか。

・・・あ、「どうせすぐDVDがでるから慌てなくてもいいや」って心のどこかで思っているのか・・・

一度放送したら、絶対にDVD化しない作品!っていわれたら、それだけで気になっちゃうかも。

投稿: TAKA | 2007年7月12日 (木) 23時58分

■TAKA様
>一方で残念なのは、当時なみの熱気を今の作品や時代に感じられないこと。

ファン、消費者という意味では僕らはすでに第一線ではありませんし、アニメ・ホビー関連はそうした僕たちをターゲットにした高額製品ばかりになってきました。
プラモデルはもちろん、アニメもマニアックな媒体になりつつあるのかも知れません。
今の第一線というのは、やっぱり中高校生~20代であり、彼らが気軽に入手できるラノベじゃないでしょうか。

こうやって時代は変化していくんだなぁ、と思いますよ。自分の年齢とともに。
その変化を悲観視したとき、僕たちは「老けて」いくんでしょうね。

投稿: 廣田恵介 | 2007年7月13日 (金) 19時38分

「老ける」感覚も分からなければ、今のアニメファンの感覚も正直ピンと来ず(大体蒐集癖が無い)、な朝の銀狐です。
理系の雑学書は、名著と紹介されても平気で絶版だったり、ネットにも情報ほぼ皆無でオークションにも全くあがらねえってのがザラなので、気持ちは分からずも無く。と言って良いのやら悪いのやら…。

ただ、20代になった今、例えば少年漫画とかを読んだ時、不快感や不満を感じても、「俺が対象じゃないから」と思って、それを素直に口にするのに抵抗感が芽生える訳です。
今初めてエヴァを見たとしたら、昔のように憤ったりしないのかなあ、とか。
「中学生とかにはこの程度で良い」という、あの頃自分自身が腹を立てていた年上のスタンスを、自分がやっててどうする。という気にもなったりするわけで。

投稿: 朝の銀狐 | 2007年7月14日 (土) 00時16分

■朝の銀狐様
中学生の自分よりは大学生の自分の方が知識も経験も上、歳を重ねた分、分別をわきまえるようになった、と信じた方が自分に不安を感じなくてすみますよね。
記事にも書きましたが、何かに依存しないと人は生きていられないものですから。

だから、自分を疑ったり抵抗を感じたりした方がいいですよ。だって、「自分は大人だ」って自覚しているヤツって不気味じゃないですか。やっぱり、いくつになっても悩んでる人間の方が俺は好きですよ。

投稿: 廣田恵介 | 2007年7月14日 (土) 12時09分

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