■夢を見てたんだろう 忘れたくないんだろう 別れがくるまえに■
FEVER 配布中
●“ビジョンクリエーター” 河森正治120分インタビュー 執筆
これは、SANKYOの創刊したフリーペーパーですね。そろそろパチンコ店なんかに置きはじめるんじゃないかな。9ページもの河森さんインタビューと『創聖のアクエリオン』解説、『Genius Party』レビュー、「VAN-FORCE」解説を書きました。
インタビューの内容は、2000年に初めてお会いしたとき聞いた話(ケイブンシャ『東京ロボット新聞』掲載)とダブっている部分もあって、もう七年前かぁ……と感慨深くなりましたね。天才は歳をとらないんだな、とか。
『ゼーガペイン』DVD購入以来、EDを歌うROCKY CHACKのシングルをちょっとずつ買っているんだけど、肝心のED「リトルグッバイ」のCD。サントラやOPに比べて、何だろう、このジャケのセンスは。でも、B面が10話でしか流れなかった「and you」ですからね。「夢を見てたんだろう 忘れたくないんだろう 別れがくるまえに」……いやー、いい感じに軟弱。あきらめ8割、未練が2割って感じの女々しい曲。実に『ゼーガ』っぽい。
『ゼーガ』のEDは評価が高いんだけど、今のアニソン・ブームからは取り残されている気がする。やっぱり、ストーリーを追っていかないと、歌詞の意味や演出効果が分からないからだろうね。つまり「全体の中の一部」なんだ。番組のEDとしては、ごくまっとうな役割を果たしたんだけど、今はそれじゃダメみたい。
その、「ちょっと残念」な雰囲気が、商売としてはとりあえず完結した『ゼーガ』のコンテンツ類からはジワリと染み出している。プラモデルも、「よく出来ているんだけど高い」とか言われてさ(笑)。
前回、前々回と80年代のことを回想したけど、結局、あの時代を見当はずれな期待感を持って生きたから、俺は感傷的になったような気がする。だから、ちょっと恵まれてない『ゼーガ』の今のポジションは、好き。居心地がいい。
自分の中の地図で、『ゼーガ』と近いところに位置しているのは『ヨコハマ買い出し紀行』かな、原作の。連載開始が94年だから、バブル崩壊後。そして、景気が上向いてきた去年になって終わった。90年代の空虚なムードを、かすかな動力源にして続いてきたような作品。だから、景気が良くなったら、もう走れないんだよね。
そういう、「世間の評価は寂しいんだけど、きちんと自分の役割を果たした作品」が好き。
| 固定リンク
コメント
はじめまして。自分もゼーガペイン大好きで。
この作品のポジションが、果たして作品に対する評価と評判が一致するのなら、この居心地の良さもなかったろうなあ、と思うんですが。
でも、込められた面白さに対して、それが他のモノよりも少し消費しにくいだけで、この有様になってしまうのは、受け手としてはどうなのかとも感じて。
そりゃあ冒頭数話の絶望的な退屈さはどうかとも思うんですが。
不幸なことに、アニメの神様が降りた珍しい例証なので、自分は今後、この作品とどう付き合えばいいのかと自問してます。
この扱いでいいのか、こんなのでいいのか、世間が受け入れないのは彼らが正しいからなのか?と。
この感情を処理しがたい今日この頃です。
投稿: sside | 2007年6月27日 (水) 07時00分
■sside様
書き込みありがとうございます。こうして『ゼーガ』好きな方とお話し出来るだけで嬉しいです。
やっぱり、アニメを観る目的のひとつに「みんなで楽しむ、話題にする」というのがあるので、ブランドネームの強いものが愛されがちなんでしょうね。メジャー感のあるものを共有して安心したいのが大衆の心理ですから。
>不幸なことに、アニメの神様が降りた珍しい例証
これは全く同感ですね。もっとダメな作品だったら、売れなくても納得いったのに(笑)。
でも、みんな「神様が降りた」部分を見てないんですよ。演出やドラマより、単に「絵」を見ている人のほうが圧倒的に多いです。
その傾向に対して、異存はないんです。「神様が降りた」瞬間を発見できた我々の方が、よほど幸福だからです。
投稿: 廣田恵介 | 2007年6月27日 (水) 08時49分
レス期待してませんでした、こちらこそありがとうございます。ゼーガペイン好きな人が居ると、それだけで嬉しいのがマイナーアニメの喜びでしょうか。
>アニメの神様
偶然と必然が絡み合って、この形になるべくして生まれたような錯覚を覚えるとき、間違いなく宿ってますね。
一番驚いたのは、シリーズ構成でガチガチに伏線引いてるのかと思ったら、脚本で「自由にやってもらってた」と言う関島氏のインタビューで。
4話越しの伏線消化や、フリに見えない前振りはそういう理由だったみたいです。
ROCKY CHACKの楽曲も書き下ろしじゃなかったって、やっぱり作品に奇跡は宿るんでしょうか。
放映終了後にイッキ観したんですが、鑑賞する目と手と脳が休めず、鉄鍋のジャンに出る五行膳よろしく「観せられ」て。
>演出やドラマより、単に「絵」を見ている人のほうが圧倒的に多いです。
当てつけるつもりは毛頭ないんですが、「らきすた」の消化のされ方、でしょうか。
OPと作中の間に感じる断絶が、キャラクターが記号として全然別のことをやってても気にならないの?的な不自然さを感じてるのは自分だけじゃないのかな、と。
果たして彼らは、この違和感も「ブランド」でラッピング出来てるんでしょうか。
投稿: sside | 2007年6月28日 (木) 10時56分
■sside様
『鉄鍋のジャン』読んでて良かったです(笑)。僕も仕事が一段落したら睡眠時間を削って見続け、仕事中も次が気になって仕方がない、という状態でした。
>一番驚いたのは、シリーズ構成でガチガチに伏線引いてるのかと思ったら、脚本で「自由にやってもらってた」と言う関島氏のインタビューで。
それは凄いですね。伊東岳彦さんがピシッとプロットを組んだものとばかり思っていました。ラスト数話はちょっとガタついてましたが、構成力のお手本のようなシナリオだと思います。
あとは誰もが言っていることですが、EDの使い方。アレンジは原曲と違うようですが、もはや歌詞がストーリーの一部にさえなっているという……
>当てつけるつもりは毛頭ないんですが、「らきすた」の消化のされ方、でしょうか。
僕もやり玉にあげるつもりはないんですが、『らき☆すた』が一番分かりやすいですね。いま求められているのは一貫性がなくても楽しめる「パーツ」だと思います。
やっぱり、ストーリーを読解するにはそれなりの訓練が必要なんですよ。ただ、それは物語を楽しみたい人なら、おのずと身に付けていく力ですよね。そういう人が減っているのは、もう時代の趨勢としか言いようがありませんね。
投稿: 廣田恵介 | 2007年6月28日 (木) 19時00分
こちらにははじめまして。
「リトルグッバイ」のジャケットのセンスについてですが、このジャケットだけを御覧になると「and you」的な印象を受けられたということでしょうか。確かにこれを単品で見れば「別れが来る前に」っぽく映るのか、とも思ったのですが。
実際にはこのジャケットは、同日発売だったOP「キミヘ ムカウ ヒカリ」の全面帯(商品裏面)と組み合わせて1枚絵になるパーツでした。そういう仕掛け自体は他の作品でも見かけますが、この1枚絵に描かれた情景が(「リトルグッバイ」さながらに)ゼーガのその後の切ない展開を暗示する伏線として機能していたのが印象的でした。
このCDの発売は本放送が#07まで進んだ頃でしたが、その時点でこの1枚絵を見てしまったファンは、最後まで心を揺さぶられ続けることになりました。作品が完結した今になって見返しても、その情景はやはり切ないのです。そうした部分まで含めて、物語の広がりと深みとを味わえる作品に出会えたのは僥倖でした。受け手の読解力が下がっているからといって、作り手が物語のレベルを下げる必要はないと思いたいのですけれど、最近は難しいのでしょうね。
ゼーガは確かに神がかった出来ではありましたけれど、それは人の想いのなせる業であったと思います。舞浜サーバーが吹っ飛んだ4日後に舞浜大橋付近でのケーブル切断で首都圏大停電とか、AT-Xでは8/31に#16「復活の戦場」が放送されたとか、最終話放映日に京葉線火災事故で舞浜駅に電車が来なかったとかいう折には、ゼーガにはどんな神様がついてるんだと思ったものでした。長々と失礼しました。
投稿: しののめ | 2007年6月29日 (金) 22時24分
■しののめ様
書き込みありがとうございます。こうして『ゼーガ』を愛する人たちと話せるなんて、なんか夢みたいです。
「リトルグッバイ」のジャケに関しては、まぎらわしい表現ですみませんでした。単に、カミナギの表情が何をしようとしているのか分からなかったんです。曲のイメージから遠い、というか。
僕は「キミヘ ムカウ ヒカリ」は、TSUTAYAで借りたので、ジャケをよく見てないんです(笑)。でも、個人の方のブログを拝見して、どういう構成の絵なのか分かりました。「リトルグッバイ」のジャケをよーく見ると、キョウの髪が描いてありますね……。
あと、7話で発売というタイミングも絶妙ですね! 製作サイドがそこまで計算していたかは微妙ですけど。
>作り手が物語のレベルを下げる必要はないと思いたいのですけれど
その通りなんです。ただ、最近は受け手まで「DVDが何枚売れたから、勝ち」なんて言うでしょ? それは貧しいですよ。そんなことより審美眼を磨いて「俺の名作」を探しだして欲しいんですよ。受け手に義務があるとしたら、「マイ・ベストを見つけ、愛すること」。それに尽きますね。
>舞浜サーバーが吹っ飛んだ4日後に舞浜大橋付近でのケーブル切断
いろいろ教えてくださって、ありがとうございます。作品って、やっぱり現実からつくられるものだから、そういうことってあるんですよね。単純なことを言うと、『ゼーガ』は自分の日常を顧みないと、その切実さが分からない作品だと思います。
投稿: 廣田恵介 | 2007年6月30日 (土) 00時35分