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2007年6月13日 (水)

■ゼーガペイン、2,900円■

見崎徹『編集者という病い』、24ページほど読んだところで読了。このままBOOK-OFF直070613_15230001 行。序章からして自慢と自己陶酔だらけの駄本。自分のことを「男はその頃…」なんて書いてやんの。キモ。
(←帯にあった書評。確かに「凄い」自慢話に「驚き」ましたけどさ)

さて、徒歩五分のところにあるTSUTAYAにレンタル落ちの『ゼーガペイン』DVD1~8巻(9巻のみナシ)が、2,900円で投げ売りされていた。特典映像はナシとしても、これに新品の9巻を加えても一万円以内に収まるよね。俺、その四倍の値段を出してボックス付(もちろん中古)を買ったわけです。

それで、なんとなく太宰治が入水自殺した玉川上水(家から衝動的に走れば30秒で着く)を散策しながら考えた。『ゼーガ』って、なんで2,900円で投売りされるようになっちまったんだろう?と。3Dの戦闘シーンには作り手の愛情が感じられないし、2D作画も、まあ大したことない。作画崩壊したくても、崩壊しようもない淡白な絵柄。
070612_00460001(←というか、この人たちあまり動かないよね)
例えば『エヴァ』というのは「アニメという表現とは何か?」に挑んでいた。だから、ちょっとアニメをお休みしていた旧世代も振り返った。『ゼーガ』は、「アニメ表現とは何か」どころか、「あるものを使え」なんだよね。「ストーリーさえ伝わればいい」と。その態度は『コードギアス』と似ているような気がする。『コードギアス』は「今あるものを全部使え」だったから。ただ、『コードギアス』はテレビの前を離れた後も話題を提供しようとあれこれ仕掛けがしてあった。「全部使う」のか「必要なだけ使う」のか、この差は大きい。これはもう、作り手の人間性にかかわってくる問題だ。
結果、『ゼーガ』は2,900円で売られちゃったわけだけどね。

しかし、『エヴァ』と『コードギアス』と『ゼーガペイン』を語る……なんか「古い」よね。これが070612_00440001_1 40男の「対アニメ生理」のサイクルなんだと勝手に思い込んでみる。
(←『ゼーガ』に挿入されていた数少ない小ネタ。これ、本物のオニギリじゃなくて「オニギリのデータ」なんだよね)
いまアニメに期待されているのは、ニコニコ動画でネタに出来るかどうか。 『ゼーガ』のEDもニコ動にUPされていて、書き込みもいっぱいあったけど、結局、『ゼーガ』で残った「ネタ」はEDだけかよ、と。同人誌なんかの二次創作はストーリーやキャラを噛み砕かないとつくれないけど、ニコ動で遊ぶなら作品世界を把握する必要ないからなぁ。
それで、やっぱりアニメは過去も未来も、ずっと中高校生ためのメディアだと思うので、これでいいと思う。ニコ動は、00年代の中高校生の対アニメ生理に、うまいことマッチしたんだ。あの短さとか手軽さが。

そのことと関係あるのかどうか分からないけど(実はぜんぜん関係ないんだけど)、最近は仕事断ってばかりだなぁ……みんな当然のように俺が全番組をチェックしてると思っているようだけど、そんなこと出来るわけないじゃない。やっぱり俺は「必要なときに必要なこと」だけをする『ゼーガ』派なんだ。

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コメント

ニコニコに今ないのは消えるのが早い会社制作だからじゃね?

投稿: よ | 2007年6月16日 (土) 23時57分

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