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2007年6月18日 (月)

■後ろ向きに、80年代■

1989年1月7日、バイト先で知り合った子に「会いましょう」と呼び出された。だが、その子は「今日、実はちょっと用事があるんで」とか言って、ものの数分で帰ってしまった。帰りぎわ、電話番号を書いたメモ(当時は携帯電話なんかなかったので、自宅の電話)を渡された。夜になってから「何だったの、今日は?」と電話したら、いきなり「性格が合わないので、もう会えません」とか言い切られましたよ。
その日に昭和が終わり、翌朝から平成がはじまったんだ。「80年代って、昭和とともに終わったんだよな」とボンヤリ考えていたら、「そうだ、俺、天皇崩御の日にフラれたんだった」。なんか象徴的な気がする。コジツケだけど。
翌1990年、僕はひっそりと大学を卒業した。僕のモラトリアムは、90年代の到来とともに終わった。翌年、バブル経済も終了。何もかも、いっしょくたに全部終わってくれた。

80年代の後半、バンダイから「Bクラブ」というホビー誌が出ていた。『スケバン刑事』から士郎正宗、『王立宇宙軍』から小林誠まで、情報誌と呼ぶにはあまりに偏りすぎた内容。ただ、「Bクラブ」文化というのは確実にあったし、mixiに「Bクラブ」というコミュがあってもいいと思う(調べてみたら、あった。入った)。誌上で模型連動の映像化企画募集もあって、僕の応募作は「やってみようか!」とコメントされていたのに、いざ編集部に行くと、「いや、ちょっと口が滑っただけ」とはぐらかされたのを覚えている。
070617_23300001(←南野陽子をアニメ風にアレンジした『スケバン刑事』完成品。発想はガレージキットなのに、バンダイ・ホビー部の正規版権品というあまりに「Bクラブ」な製品。と、ちょっとあさのまさひこ風に紹介)
とにかく、「Bクラブ」の発行された85年ともなると、もうプロもアマも有名も無名もへったくれも、「とにかく才能とやる気のあるやつ、全員来い!」という部活ノリが、オタク文化を支配していた。

ただ、部活ですからね。あくまで、それは放課後、生徒たちが勝手にやること。80年代前半というのは、ちゃんと大人が文化をリードしていて、僕らも大人に期待していたのだった。
80年代初頭、『ガンダム』劇場版公開ごろは、まだアニメのことを「まんが」と呼ぶ同級生がいた。前に「テレビアニメの劇場版は、ファンサービス」と書いたけど、当時は違っていた。映画として公開されることで、ちゃんと新聞に「映画評」が載り、扱いは『蘇る金狼』なんかと同列になるわけですよ。「ガキ向けテレビまんが」に映倫マークがついて、ちゃんと全国の一番館でロードショーされる……いじめられっ子が、いきなり校長先生に表彰されるようなもんだよ。ルサンチマンがあり、逆転の美学があった。『いぬかみっ!』が映画化されるのとは、根本的に違う(笑)。
070618_00130001そして、ついに1983年、飛ぶ鳥を落とす勢いの角川映画がアニメに進出。『幻魔大戦』。何たって、美輪明宏を「まんが映画」に出しちゃったんだからね。 『もののけ姫』に美輪さんが出るのとは、もう文化的革新性が違ったんだ。キャストには江守徹や白石加代子までいる。キャラクターは原作『AKIRA』でブレイク直前の大友克洋。「まんが映画」を「映画」にバージョンアップする手練手管に関して、角川春樹は当時のアニメ制作者の数段上を行っていた。
角川アニメには、「大人の力で、アニメ文化に社会性を持たせる」というベクトルが厳然とあった。

大げさじゃなくて「これは、映画の歴史が変わるな」と思ったよ。「ガンダムから4年で、テレビまんがはここまで来た」と。16歳の小僧にとっては「世界が革命される」に等しい高揚だった。
ところが、いざ公開が始まると、みんな『幻魔大戦』より『クラッシャージョウ』に流れる。キャラも監督も安彦“ガンダム”良和(ちょっと80年代風に表記)だし、あとは細かいゲスト・キャラをいろんな漫画家が描いていて、それが出てくるたび場内のあちこちで笑い声。劇中劇で『ダーティペア』が上映されると拍手喝さい。おいおい、アニメ・ファンしか観に来てないじゃん!
もうね、怒りで言葉が出なかった。オタクの友達は「あと二回観にいくぞ」と息巻いてたけど、ようは彼のような客を取り込むシステムがすでに出来上がっていたんだよね。これじゃ、「まんが映画」が「アニメ映画」になっただけじゃねーか! 当時から、「部分」しか見ないヤツはいたんだよ。同じ頃公開された『うる星やつら オンリー・ユー』では、ラムちゃんの胸チラを写真に収める者が続出したし。

僕は『幻魔』という作品ではなく、『幻魔』の“志”を支持した。その態度が、僕に挫折を味わわせた。『王立宇宙軍』の時も同様だった。「Bクラブ」に主観丸出しの熱い推薦文(編集部名義だったと思う)が掲載されていて、それに感激して初日に行ったんだ。時は87年、もう放課後の時代に突入していた。何もかも、部活で盛り上げるしかない時代になっていた。
翌年、『AKIRA』『トトロ』『逆シャア』が公開されたけど、僕はすべて無視した。それらを当時ノリノリで観に行った人たちは、アニメが「映画」になろうとあがいた頃を知らなかったんじゃないか、と思う。

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コメント

廣田さま ご無沙汰しております。お元気ですか?

私は『幻魔大戦』公開の初日に朝早くからならんで観たクチです。最後の最後まで『ジョウ』とどちらを観るか悩みぬいたことを今でも憶えています。当時の小遣いでは映画一本が限界でしたから。

あのときなぜ『幻魔』を選んだのか?とにかく怖いお話らしいが終わり方が予測できない。どうしても結末を知りたい。決め手は結局これでした。『幻魔』は、選び抜いて劇場に足を運んだ作品です。

キャストや原作のファンでもなんでもない映画にひきつけられ、劇場に足を運んでしまう。

今のところ唯一の体験です。

投稿: TAKA | 2007年6月23日 (土) 17時18分

■TAKA様
どうも、大変ご無沙汰しております。
僕も、『幻魔』の原作はよく知らなかったし、何か思い入れがあったわけでもなかったんです。
むしろ『ジョウ』の方が馴染み深くはあったんですが、「知らないものに接してみたい」という願望が勝ったんですね。

ただ、多くのアニメ・ファンは「知ってるものを、何度も楽しみたい」みたいです。未知の体験を嫌う、というか。
まあ、それが普通の感覚なんですかね(笑)
たまに自分の中の常識を疑ってしまいますね……

投稿: 廣田恵介 | 2007年6月24日 (日) 14時32分

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