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2007年5月31日 (木)

■時が戻ったら■

あーあ、ついにやっちまった……
070530_23100001ヤフオクで『ゼーガペイン』全巻セット購入。
この作品だけは、「昔話」にするつもりだった。思い出の中で誇張し、熟成させ、自分の脳の中に溶け込ませるつもりだった。「昔、とてもいいアニメがあったんだよ。あれだけは忘れられないなぁ……」と、この口が語りだすときには、もう半分以上、俺の記憶で美化されている。そういう関係でいたかった。『ゼーガ』とは一期一会でいたかった。

DVDを所有する、ということは作品を対象化する、はっきりと自分の体の外に置く、ということなので、むしろ作品との間に距離をつくってしまうのではないだろうか。「その作品が好きならば、DVDを買うべき」――そんな短絡的なことではないと思う。ジブリ作品のDVDなんて、BOOK-OFFにいっぱいあるよね。映画館で楽しく観た記憶が、DVDで蘇るわけじゃない。
その作品を求めている時間、「もう一度観たいのに、観られない」と思いを募らせる時間にこそ、実はもっともその作品への愛が高まっているはず。「観ない」という選択で、その贅沢な時間を無限に引き延ばすことも出来るはず。
あえて事情は書かないけれど、僕はその権利を手放した。

よく、友達同士や知り合った人同士で映画の話をすると、記憶違いに気がつくでしょう。「あの映画で、こんなシーンがあったろ。あれは最高にカッコいいよね」と相手が気持ちよさそうに語っていても、「いや、それはPART3ではなくて、PART2の方だろ…」とか、「確かに似たようなセリフはあったけど、ぜんぜん解釈が違うんじゃ、コラ」とか、心ひそかに記憶違いを訂正したことは誰でもあるんじゃないの?
でも、それが映画なんです。フィルムという物理的存在が映画じゃないんです。1秒間に24コマも流れていってしまう過去、それが映画なんです。
上映を始めた瞬間から、どんどん終わっていく。途中で上映をやめても、映画館を抜け出しても、やっぱり映画が「終わる」ことには変わりがない。
映画の話をするとき、僕らはいつも過去の話をしている。しかも、人間には過去を正確に覚える能力がない。だから、映画は人の記憶にデタラメに刻み込まれ、その人間の価値観とゴッチャになって存在するしかない。
(以上、「映画」と書いた部分をすべて「映像作品全般」と言い換えてもらっても、ほぼ同じことです)

話がとっちらかってきたので、話を『ゼーガペイン』に戻します。
070531_00390001(←相変わらずお気に入りだけど、なんか「世界名作劇場」に出てきそうなキャラだと思った)
エンディング・テーマの「時が戻ったら/時が戻ったら」というリフレインには毎回泣かされるけど、それが『ゼーガ』が「過去」を守ろうとする話だから。舞浜のシーンは、すべて「過去のシミュレーション」で、主人公たちは保存された「過去データ」に立ち会う観客でしかない。その物語構造は「映画」と「我々の人生」とを何か抜き差しならない方法で結び付けているように思う。どちらも、流れていく(終わっていく)時そのもの。『ゼーガ』に心ひかれる人たちは、そのことに気がついているはず。
逆に……そんなシャレにならないことをやったから、『ゼーガ』は受けなかったのかも知れない。みんなが気がつきたくないことを、このアニメはやってしまったのかも知れない。
僕がこうして『ゼーガ』のDVDを買ってしまったことも、おそらく取り返しのつかない「過去」なんだよね。

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2007年5月29日 (火)

「図書館まで250メートル」

歩いて15分ほどのところに落ち着いた感じの古本屋があり、午後4時過ぎ、どうしてもそこに行きたくなったので、白いポロシャツをひっぱり出した。
食事もまだだったので、古本屋の先にある中華料理屋にも立ち寄ることに決めて、ヨレヨレになった革靴を履く。

斜めに交差した横断歩道を、風船を両手に三つずつもった女性が歩いてくる。強い西日に眉をしかめながら、子供たちに風船を手渡す。彼女のジャンパーの後ろには、携帯電話会社のロゴ・マークがプリントされていた。
今日は日曜日だ、と気づく。
横断歩道の向かい側に、サッカーのユニフォームを着た少女が二人並んで立っていた。一人は腕組みをして、もう一人は右足に重心をかけて信号待ちをしている。もうずっと、何年もこうやって信号待ちをしてきたんだ、日曜日のたびに。そんな貫禄がただよっていた。

駅前は混みあっていたが、もっとも大きな横断歩道を渡りきってしまうと、ちょっとずつ人通りが少なくなっていく。そして、いくつ目かの信号で、ゆるやかな坂道が目の前を横切る。このあたりまで来ると、自分が一人で歩いていることが急に意識されはじめる。妙な充実感が、つま先まで満ちてくる。
ふいに、自分が何ひとつ荷物を持っていないことに気がつく。それに気がつくために、ここまで歩いてきたのだ、という気すらしてくる。

通りの先には、やけに静かなたたずまいのスーパーがあって、そこを過ぎたところに例の古本屋はある。日曜日なので、客が多い。みんな、店の前に並べられたインテリアだとか陶磁器だとかの雑誌に見入っている。
店内は、こんな晴れた日でもしっとりと薄暗い。店の奥では、いつも神経質そうな女性がパソコンをにらんでいる。何をいくらで買っても笑顔ひとつ見せないのだが、その人が本好きであることだけは分かるので、悪い気はしない。6列並んだ本棚から、一冊の小説を取り出した。背表紙には『楽園ニュース』と印刷されている。カバーをめくると、消え入りそうな文字で「1,400円」と鉛筆書きされていた。

本屋から歩いて数分のところにある中華料理屋に入り、清潔な木製カウンターの上で『楽園ニュース』を開いた。物語は、空港のロビーから始まる。もう一年近くも飛行機に乗ってないな、と思いながら料理が来るのを待つ。
食事を終えて、外に出た。まだ明るい。なんとなく帰る気持ちになれず、料理屋の先にあるT字路に立ち尽くした。「図書館まで250メートル」と書かれた青い看板が、街路樹の下に見えた。ふいに、後ろから自転車が追い越していく。ベースボール・キャップをかぶった女の子だ。彼女は青い看板の前で右に折れると、図書館の方へまっすぐ走っていった。

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2007年5月24日 (木)

■開戦の日■

「フィギュア王」 No.112 発売中
112
●「G.F.F」から「G.F.P」へ。その狙いとは? 執筆
表紙の純プラチナ製ガンダムの取材記事ですね。たった2ページですが。

結局、「フィギュア王」は全面撤退したつもりが、3号ぐらいで戻ってきてしまったけど、ショックなのは河森正治連載が終了!? 河森監督と寺島拓篤さんの対談、メチャ面白い、最高なのに……連載のラストをまとめ上げたライターの河合宏之さん、オツカレさまでした。なんか涙腺がゆるんできた。

さて、思い入れのあるものは手元に残すけど、自分の関わってきた本をBOOK-OFFに盛大に売りに行った。ライター始めたころは、自分の名前が誌面に載るだけで嬉しかったような気がする。でも、フッと執着が途切れるというか……失うことは、悪いことじゃないと思える。先ほどの河森連載の終了もそうだけど、「終わるということは よいことなのだ 炎をくぐって 新しく生まれ変わるのさ」(『陰陽師』第9巻より)。

070524_15340001渋谷シネ・アミューズのカフェにて、チーズ・バーガー150gを食す。
窓際の席に座った男から「ボイン」という件名のメールが届く。グラビア誌に書いてる割に、巨乳などには興味のない俺だが、そのメールに添付されていた写真は素晴らしいものだった。俺の目の色が変わったのを確かめて、男はニヤリと笑う。
俺がナプキンで口を拭いて立ち上がるのと、男の携帯電話が鳴るのは、ほぼ同時だった。
今日は、開戦の日。気温は26度。
詳しくは書けないが、今日から始まった仕事は、やり遂げること自体が戦争だ。
今までだって、マシンガン片手に地雷を避けながら歩いてきた。フリーランスで生きるとは、そういうことだ。間違って味方を撃ったこともあった(笑)。とにかく、この歳まで真面目に仕事やってきてれば、撃ったり撃たれたりで、誰しも程よく満身創痍なはず(かすり傷程度の男は信用しない)。

今日は、新しい弾をもらったし、俺からも配った。これでまた戦える。
言葉は武器。容姿も武器。心も武器。怒りも優しさも武器。そう思える日を、迎えることが出来た。

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2007年5月20日 (日)

■エロゲもロックだ?■

もう時効だと思うので軽く聞き流してほしいんだが、僕は美少女ゲーム、いわゆる18禁ゲームの企画をやっていた。なんで僕のところにそんな依頼が来たのかは、いまだに分かりません。確か、エロゲをよく知らない人だから新鮮な企画が出せるんじゃないかとか、そんな理由だったと思う。

あ、思い出した。そのメーカーがプレステ用に恋愛シミュレーションをつくっていた頃、シナリオのデバッグをやらされたんだ(笑)。当時は『ときメモ』とか、もう徹底的にバカにしてたんだけど、そのデバッグやったゲームの中に一本だけすごく泣かせるシナリオがあって……でも、俺が気に入ったそのシナリオは、オタク(その頃は、かろうじてオタクという言葉が「男性名詞」であって、いわばまあ、電車男みたいな二次コン的な童貞青年のことを指していたように思う)には評判が悪かったらしい。まあ、とにかく俺はその手のゲームを初めてやって、初めて泣いたんだ。認める気になったんだ。
その時のことを覚えててくれたのかな、だいぶたってから今度は18禁ゲームやるから、アイデア出してくれ、と。僕はエロゲをプレイしたことなかったけど、二次コン的な嗜好はあるし、案外と楽しく企画書を書いた。でも、メーカーさんには「面白いじゃないの」と受けが良くても、クライアント、監督、シナリオ作家が入ってくると、「この企画は、ユーザーの神経を逆なでする」と言われて、毎回えらく難航した。

俺はたとえ二次元のエロゲであろうと、恋愛やセックスを描くからには「実体験」という裏づけが必須だと思っていた。だから、プロットやキャラの性格づけは、とぼしい実体験をベースにしたはずなんだ。……あのねえ、どうもそれがいけなかったらしい。そんな自然主義的な考え方、エロゲという妄想最重視のジャンルには無用の長物で、「ユーザーの神経を逆なでする」以外のなにものでもなかったんだ。
当時は、『痕~きずあと~』がヒットしていたんじゃないかと思う。ただ、俺はプレイしなかった。そんなことより、実体験をどうアレンジするかが大事だと思っていた。バカだね。
その頃、エロゲならではの絵の志向だとか(例えばエロ漫画とはユーザーの好みが違うんだとか)、独特の構図や塗り方だとか教わりはじめたんだけど、「なんか好きじゃないな」と一蹴してたようなような気がする。「この表現形式なら、もっと“リアルな”ストーリーが展開できるはずなのに!」とか文学青年のようなことをよく口にしていたと思う。
壮大な勘違いだよね。日活ロマンポルノかっての。
果たして、エロゲという形式から生じた文学が『ひぐらしのく頃に』なのだと気がつく。もちろん、俺がイメージしてたエロゲ発の文学というのは、『ひぐらし』とはぜんぜん違っていて、もっと実体験的で……って、ホラね。気がつくと「実体験」という言葉を使っている。それがアカンのですよ。それがオヤジなのですよ。
だから、俺の考えたゲームは売れなかったみたい。賢いプロデューサーが制作費を節約してトントンだったのが一本あったぐらいじゃないだろうか。

相変わらず不勉強な僕は、エロゲというものが今どうなっているのか知りません。離婚した今も、買ってみようとは思いません。
ただ、あの頃すでに若いオタクとは徹底的に感覚がズレていて、奥歯で銀紙を噛んでしまったような、あの嫌な感触は今でも続いている。そしておそらく、その嫌な感触を消すまいとどこかで思っている……周囲の同世代人は、違和感を消そうと若い人を教育しようとしてるけどね。80年代がいかに豊潤だったか、その歴史のありがたさやなんかを。
けど、僕は奥歯で銀紙を噛み続けるだろう。つまり、若い世代に負け続けていこうと思う。それは、僕が実体験でしか世界を感じられないから。「嫌だ」と感じたものには、ほぼ間違いなく大事な何かが隠されているような気がするのだ。

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2007年5月17日 (木)

■違和感のある関係■

EX大衆 6月号 発売中!
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●アイドルのキス顔チュ! 三津谷葉子
今回のストーリーは、結婚中に暮らしていた神奈川県の砂浜が舞台(離婚も俺にとっては大事なネタなので)。『アクエリオン』のCDドラマ書いといて、相変わらずグラビア誌にも書きつづける俺。やっぱり、俺はこういう欲望丸出しの下世話な文化が大好きなんだ(もちろん、程度はあるにせよ)。自分の中の俗なる部分を認める、というのはいわゆる「恥を知る」ことにもなると思う。どんな人間でも、聖と俗の間を行ったり来たりしているはずなんだ……だって、自分だけは清潔でいようとする人間って面白くないもんね。

『奏光のストレイン』 Waltz.Ⅳ 27日発売予定
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●ブックレット構成・執筆
ファンの方には説明するまでもなく、今回はラヴィニア祭です。無理いって、バニーガールの設定まで取り寄せましたからね。
やっぱり、俺は「少数に強く支持されている作品」には、つい共感してしまう。『ムスメット』に対する感情もそうだけど、ファンの愛情濃度にほだされるというか……。マイナーだから、じゃなくて、そこに愛や誠意があるかどうか。

だって、これらの作品よりは確実にメジャーなタイトルのブックレットの仕事、つい最近断りましたからねえ。この春から放映されている某リメイク作品なんだけど、俺は作品や会社と仕事してるわけじゃなくて、メーカー担当者と仕事しているわけでね。その人間が倣岸不遜な態度をとったら、即座に撤退しますよ。
俺はたまに、デザイナーさんやカメラマンさんを「この人がいいです」と推薦したり、指名したりすることがあるけど……それは彼らの仕事に敬意を抱くからだよね。彼らを手足のように操れるから一緒に組むわけではなく、俺の予想を超えた仕事をしてくれるから……って、これってチームプレーの基本だよね。その人の才能に惚れ込んで頼んだわけだから、とにかく彼らを尊重するよね。
しかし、その某リメイク作品のメーカー担当者は、俺やデザイナーさんの顔に泥を塗るようなダメ出しをしたんで、もう我慢する必要はないと思った。ギャラもいらない。作品のメジャー/マイナーは関係ない。損得も関係ない。

まあ、俺も早く気づけば良かったんだけどね。大学四年のとき、俺は好きだった子にこんなことを言われた。「違和感のある関係をズルズルつづけてると、そのうちとんでもないことになっちゃうのよ」。この一言で、キッパリあきらめがついたんだ。以降、仕事の場でも人間関係でも、この一言は胸に刻み込んでるよ。

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2007年5月14日 (月)

■二日酔い、イベント、打ち上げ■

『創星のアクエリオン 裏切りの翼』 5月25日発売予定!
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●CDドラマ『あの青空へ』 ~麗花の思い出~ 脚本執筆
●CDドラマ『温泉合体アクエリオン ―ピエールは見た!? アリシア湯けむりツアー事件簿―』 脚本執筆

今朝サンプルが届いて、冷や汗をかきながらヘッドホンを耳に当てた。……大丈夫。ちゃんと(もとの脚本より圧倒的に)面白くなってます! 音楽の入り方とか、微細な声音の変化とか……やっぱり、一流だと思った。なんか裏話でも書こうかと思ったけど、何を書いてもネタバレになりそうなので、やめときます。
30代の最後にこんな仕事がやれて、本当に僕はラッキーだった。

さて。イベント前夜だというのに都内某所に呼び出された私(前回の日記参照)。話の内容・相談相手ともあまりに(-2文字削除-)なので、とにかく生ビールで酔う。酔わないとその場にいられない。12時間後。二日酔いのまま、イベント会場に向かう。ロフトの斉藤さんが顔を見るなり、「二日酔いですか」と指摘してくる。昨夜のことをアシスタントの子にボヤく。イベント開始。2時間半だけ1985年に戻る。イベント終了。プチ打ち上げで、夕方から居酒屋へしけこむ。070513_15360001                    070514_10490001
(←イベント会場で見せていただいた1/144ガーランドや、やまとの完全変形をディテール・アップしたモノ。イベントの司会は五回目ぐらいだけど、お客さんの濃さにああまで驚かされたのは初めだった。そういう意味では一番楽しいイベントだった)

「廣田さんの一番好きなアニメって何なんですか?」
まだ日が傾きはじめたばかりだというのに、プチ打ち上げは宴もたけなわ。
「そうだなぁ……『青の6号』?」
「アオノークゴー? どんな話なんですか?」
「悪い科学者がね、世界を滅ぼすためにモンスターをつくるの」
「モンスターですか」
「で、主人公はね、なんで科学者は世界を滅ぼすんだろう?って疑問に思うわけ。それで、そのモンスターたちをつくった科学者に会いに行くんだ」
「はあ……」
「でも、科学者はこう言うんだよ。“なぜ、君たちは戦う前に話し合おうとしなかったんだ。対話しようとしなかったんだ”って」
「ああ、はいはい」
「で、主人公は“確かにそうかも知れないな”って、科学者を撃ち殺す」
「ええっ、殺しちゃうんですか! なぜ?」
……だからさ、きっと人間と人間の出会いにはゴールがあるんだ。おそらく、そうだな。“自分にとって、この人は用がすんだな”って思ったら、そこがゴールなんじゃない? ゴールを無理に遠ざけようとするのは、すごく苦しいし……無駄なことだよね。それよりゴールを強引に近づけて、関係を終わらせる方がずっと楽だし、その方が賢明な場合もある。なぜかって? 先へ進めるから。
とにかく、ポケットは空のほうがいいんだよ。

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2007年5月12日 (土)

■通過点■

5月某日、銀座の路上にて、編集長がふいに言った。
「最近、萌えフィギュアは?」
「そっすねえ……ちょっと飽きちゃったかも」
「なんだ、飽きちゃったのかあ……」
070428_17550001で、飽きた頃に←のようなものが宅急便で送られてくる。

数時間後、新宿。学生時代の友人と半年ぶりぐらいで会う。飲酒。
「こういうフィギュア、どう思うよ」
「こういうのを買うと誤解されるだろ? 現実の女と話が出来ないんじゃないかとか、離婚の原因もコレなんじゃないかとか」
「まあ、何がしかの埋め合わせなんじゃないか、という気はしてるな」
「俺はフィギュアは買わないが、脳の別のところで“フィギュア嗜好に似た性質の欲望”は感じているはずなんだ。だから、俺はコレは買わないけど、コレを買うお前の気持ちは分かるんだよ」
「俺がこのフィギュアに反応した脳の部位……まあツボとでも言おうか。そのツボはお前にもあり、誰にでもあり、単に向けられる対象が違うってだけのことかな」
「しかし、そのツボが存在することすら 認めない連中が大半さ。そういう奴らは、他人の趣味を自分のそれと置き換えて考えることが出来ない」

帰宅後、酒にも疲れ、寝る支度をしていると携帯が鳴る。もちろん、“現実の女性”からではない。“現実の男性”からのお誘いだ。
「えーっ、今から飲みに来いっていうの? 何時だか分かってる?」
断ると寝覚めが悪いので、さっさとシャツを着て出かける。
070511_02390001某所某店にて、たちまちアーリー・タイムスのボトルが空く。
ひとしきり話した後、横についた女の子が言った。
「とにかく、前に進んだ方がいいと思う。人生、どこでどう好転するか分からないから」
「あのな。人生好転すると思って進んだ結果が、離婚だったんだが」
「そんなの、結果のひとつに過ぎないじゃない? あなたが困ったときは、きっと周りの人たちが手をさし伸ばして助けてくれるよ」
「ふぅん?」
「何だか、そういう人だって気がするのよ」

翌々日。前日飲まなかったせいか、珍しく朝早く起きる。携帯が鳴った。
「えー、実は知り合いの女性の友達が(-46文字削除-)で、(-13文字削除-)らしくて、とにかく助けて欲しいんですよ」
「俺、明日イベントなんだよ! そもそも、女がらみで、どうして俺を呼ぶよ?」
もう分かった。俺のところにやってくるものは、今後すべてトラブルである。耽溺する時期も、傍観する時期も終わった。もはやこの人生には「実動」しか残っていない。すべてに意味があり、すべてに結果が待っている。ならば、対峙するまでだ。

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2007年5月 7日 (月)

■鬼太郎の憂鬱■

フジテレビを取材することになったので参考のため……というのは建前で、田中麗奈のネコ娘だけを目当てに見てきました。実写版『ゲゲケの鬼太郎』
070507_18290001実写版『鉄人28号』の蒼井優の扱いに関しては、来月15日発売の「グレートメカニック」オヤジ酒場を読んでいただくとして、やっぱこう、子供向けにつくってるくせに「でも、お父さん方も退屈でしょう?」って気配りで出てくるコスチューム系ヒロインね。 でも、しょせんは子供向けだから、露出もほどほどで。
ネコ娘は、手足の露出は大胆だったけど、どちらかというと鬼太郎に「パーッと遊びに行こうよ」と誘っちゃうところが良かった。放埓で刹那的で、でも本当は寂しがり屋……いいんだけどな、もうチョイ魅力に欠けたかな。

なんでかっていうと、ウエンツくんの演じる鬼太郎が可愛すぎるから。この脚本って、大仕掛けにならないように丁寧にシーン配分が考えられているんだけど、鬼太郎の立ち位置が泣かせるんだよ。人間の世界に土足で入り込んでくるくせに、飽くまでも人間と妖怪の境界にとどまることしか出来ない。その切なさをウエンツくんの知的な瞳が、よく表現している。ケータイで写真撮るシーンの戸惑った表情とか、もうあのあたりボロ泣き。その上で、あのラストは卑怯だよ!
070507_20330001_1鬼太郎の言動ひとつひとつが理にかなっていて、ちゃんと自分の力の限界も知っていて、だからこそヒーローになり得ている。っていうか、ヒーローになるぐらいしか、落としどころがないわけ。そこに、もうギュッと胸をつかまれた。
いわば、「みんなから信頼されるがゆえに学級委員を押しつけられちゃう転校生」。この映画の中で、彼はたったひとつの望みを捨てざるを得ない。でもまあ、僕にはネコ娘がいるし、いいか……みたいな明るくも切ないラストです(曲解すると)。

ウエンツくんはハーフであるからこそ、妖怪から責められ、人間の世界にも入れない鬼太郎を演じられたのかも知れないね。『鬼太郎』って原作マンガ自体はそんなに詳しくないんだけど、いわゆる漂泊民だよね。ネズミ男も含めて。そのしっとりした後ろ暗さが、この映画にはきっちり込められていて、とても好意を感じたな。

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2007年5月 6日 (日)

「フォークストン・モデラーズ・コンペティション」

「私たちは、“腕っこき”なんです」。女の子がそんな言い方をするのは嫌いなんだが、とにかく彼女はまだ15歳なので、反論はやめにした。
ジャバ・ザ・ハットの造形物なら、高校生の頃に粘土とパテでつくったことがあった。その頃、俺はあんた方よりちょっと年上だったが、当時は材料も資料もとぼしくてね。何度も映画館に通ったよ。そうそう、俺が初めて女の子と観た映画が『ジェダイの復讐』だったんだ。そう言うと、彼女はちょっと哀れむような感じの嫌な笑い方をした。おいおい、ホントなんだぜ? 俺は頭をかきながら、彼女たちのブースを後にした。まあ、頑張ってくれ。コンペの締め切りまで8時間。15歳だろ。ならば、時間は君らに味方してくれる。三人がかりなら、きっと間に合うよ。
彼女は制服のそでをまくり上げると、仲間たちに指示を出しはじめた。

映画に出てくるジャバ・ザ・ハットを造形したのは、スチュアート・フリボーン。ヨーダの最終的なデザインを決めたのもフリボーンだ。彼は天才だった。今でも天才だ。
ヨーダのモデルは、彼自身とアインシュタインだったんだ。賢者は、賢者をモデルにつくられたってわけだ、知ってた? もっとも『帝国の逆襲』が公開されたころ、あんたのお母さんは小学校か幼稚園だったと思うがね。
さて、どうだったでしょうか。そんなことを言いながら、バーテンダーはグラスを磨いている。
『スター・ウォーズ』がだめなら、『サハラ戦車隊』の話をしようか? ハンフリー・ボガート主演のやつ。撤退戦の映画だ。最近は、撤退戦という言葉が好きで、仕事の席でもよく使う。肯定的にね。この言葉だけは、若いやつには使わせん。
二杯目のマティーニが空になったので、俺は部屋に帰ることにした。「四分たてば、僕は30」とホテルの廊下で鼻歌をうたった。「ワインとマティーニ、どっちを選ぼうか

翌朝、二日酔いのままコンペ会場に行った。
俺の顔を見るなり
、彼女は目をふせた。「Hさん、お引取りください」。おいおい、実物大のジャバ・ザ・ハットはどうなったんだ?
「出来ませんでした」。出来なかっただって? 俺は、とにかく彼女たちのブースに向かった。カポックの削りカスでいっぱいだった。作業机の上には、カエルとナメクジのあいの子のようなクリーチャーが横たわっていた。そいつは確かにジャバ・ザ・ハットに似てはいたが、まず鼻の位置が違う。ハットは、左右で鼻の高さが違うんだ。映画をよく見ろ。背中の解釈もぜんぜん違う。レイア姫が、ハットの首をしめるだろ? セール・バージの船内でレイアが、ハットの体を飛び越える。あそこでちょっとだけハットの後姿が映るんだ。
ともあれ、未完成の状態ではコンペに出品すらできない。他のチームは、ちゃんと塗装まで終えている。俺は審査員ではなく、ただのインストラクターだ。伝説のジェダイ騎士の言葉を借りると、こんな立場だ。「私はあなたをお守りすることは出来ます。しかし、あなたのために戦うことは出来ないのです」。

俺は会場を出た。雑誌に出ているような“腕っこき”の造形家が優賞するのは目に見えていたからだ。
非常階段でタバコを吸っていると、彼女がやってきた。「表彰式には出ないのか?」 彼女は黙ってうなずいた。「このタバコを吸いおえたら、俺は帰る。もう戻ってこないぞ」。
「昨日は、もうしわけございませんでした」。作業の邪魔にならないようにするためだろう、彼女は長い髪を乱暴に後ろで結んでいた。髪にはカポックのかすがこびりついている。まず、ホテルに帰ってシャワーを浴びろよ。午後いっぱい眠れば、元気も出るさ。
「もっと、Hさんのつくったジャバをよく見ていれば、完成率も上がったと思うんですけど……」
「おいおい。あれは23年前につくったシロモノだぜ?」
「あの実物は今……」
「アメリカにある」
「アメリカ?」
嘘じゃない。俺がつくったジャバ・ザ・ハットのミニチュアは、日本のコレクターの手を通して、アメリカに送られた。ケナーやハスブロのフィギュアと一緒に、貸し倉庫にでも叩き込まれているんじゃないだろうか。
彼女は名刺を差し出した。「私、会社もってるんです。造形だけでなく、デザインとかいろいろ……これを機会に、今後いろいろ教えていただれば」
いろいろ。いろいろか。便利な言葉だよ。会社って15歳でつくれるもんなのかねぇ。
「悪いが、若いやつが起業で失敗した例は、いやってほど見てきたんだ。そんなことより、来年のコンペの出場手続きでも……」 自分でも、どれだけ退屈なことを言っているかは分かっている。
彼女はおとなしく名刺をひっこめると、ラッキーストライクの小箱を取り出した。そして、束ねていた髪をほどくと、なれた様子でタバコに火を点けた。「大丈夫です。これを吸いおえたら、もう“ここ”には戻ってきません」。
俺は自分のタバコを吸い終わったので、彼女を残して非常階段を降りていった。彼女はそっぽを向いたまま、フゥッと細い煙を吐いた。

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2007年5月 4日 (金)

■GUNHED■

月刊 創 6月号 発売中?
Ts_6
特集・マンガという表現

●長崎尚志氏インタビュー
●ライトノベルをとりまくメディアミックスの今

以上、二本を執筆。後者には『空の境界』のアニメを制作するユーフォーテーブルの近藤光さんのミニインタビュー付き。『空の境界』は、ライトノベルのレーベルで発売されたわけじゃないんだけど、小説の分野としてはラノベ領域に属していると思ったので、あえて。
ラノベって、そのものずばり「ここからここまでがラノベ」と無理に線引きするんじゃなくて、ぼんやりと「ラノベ的なもの」「ラノベ周辺」と捉えた方が分かりやすいし、そう認識した方が面白い。

まったく話は違うのだが、最近は深夜に友達と電話で話すことが多く、昨夜は『ガンヘッド』のどこがそんなにいいのかを熱く語った。
070224_19550001ようは、あの映画は自意識のあるロボットと共闘し、やがて同志となる部分がキモ。メカニックを相棒にするというドライさがいいんだよ。たいていのアクション映画は、戦いの果てに恋愛とか家族愛が待っていて、「愛のためなら頑張って戦う」という動機づけがあると思うんだが、『ガンヘッド』にはそれが一切ない。だって、主人公とガンヘッドは燃料をどうするか、残りの弾が何発あるか、しか気にしてないもん。現場主義っていうのかな。とりあえず、目の前の障壁を突破するため力を合わせる。それに徹してるのがいい。

『海猿』のクライマックスで、伊藤秀明が救援者を無視して恋人に携帯電話でプロポーズするでしょ。あのシーンを見ていて「こりゃ洗脳だな」と思った。恋愛・結婚が最終目的なら、何もかも肯定されるという。救援される側にも出産や離婚など家庭の事情が設定されていて、その話題が出た瞬間に許されるという。そこまで行くと、ゾッとするよね。
もちろん、『ガンヘッド』は映画としてはいびつなんだけど、恋愛至上主義に対するカウンターとして常備しておきたい一本。まあ、殺伐とした映画だとは思うけどね(笑)。

一昨日がデジタル・フロンティア取材で、明日がオムニバス・ジャパン。なんと2日も休むことが出来た。

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