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2007年4月26日 (木)

■BABY BLUE■

Genius Partyのマスコミ試写に行ってきた。 劇場版『ZガンダムⅢ』の時みたいに、「ラストについては絶対070426_16310001 に書かないでください」と言われたわけじゃないけど、なんで公開日も決まったのに内容をここまで伏せておくのかよく分からないので、一応、具体的記述は避ける。

まず、一本目の河森正治監督『上海大竜』に腰を抜かし、それから一時間ばかり休んでいただき……ラストの渡辺信一郎監督『BABY BLUE』をじっくり味わって欲しい。これは『時かけ』に対するカウンターだよ。タイミング的にそうなっただけで、制作者にそんな意志は微塵もなかっただろうけど。『時かけ』観て、一度は「泣けた」「感動した」と公言しつつ、DVDの発売日すら忘れていた俺は、「あんたが見たかったのは、こっちじゃないの?」とヒジで小突かれた感じ。
『時かけ』を「なんか生理的にダメだった」「どうも騙されて泣いた気がする」と感じているダンナ方には、だんぜん『BABY BLUE』をオススメ。よくある青春モノのはずなのに、語り口がハードボイルド。そんなセリフは出てこないんだけど、「俺らに未来なんかなかったな。でも、それがどうしたよ」、そんな感じ。ぎりぎり寄り添っておいて、ポンと突き放す。視点が大人なんだよ。

『時かけ』をやり玉にあげて申し訳ないんだけど、あの作品って「もう一回観たい」って思わ070426_19000001_1せるでしょ。未練がましいっていうか、「また見てね、何度でも見てね」って媚態が、ぜんぶ計算づくで。『BABY BLUE』は、「一回観りゃ十分よ。いい大人が、いつまでも思い出に浸ってんなよ」。そんな潔さがある。快楽の属性が違うんだ。
ファミレスのドリンクバーで何杯もジュースお代わりするのが『時かけ』なら、『BABY BLUE』はバーで辛口のカクテルをキュッと一杯。やべえ、ホントに飲みたくなってきた。

当たり前のこと書くけど、映画のキモってストーリーじゃなくて、語り口だよね。人生も同じ。何があったか、ではなく、どう味わったか……だよね?

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2007年4月24日 (火)

■理想の食事は宇宙食■

腹が立つぐらい周囲の誰もほめてくれないので、もう自分から書く『創星のアクエリオン 裏切りの翼』に付属する特典CDドラマの脚本を書きました。しかも、2本も。
Aq16c323bamenテレビ放映がはじまった当時、俺はただの一視聴者でしたから、ファンとしては大出世だと思うんですけど。けっこう、周囲は「ふーん」って感じ。まあ、ほとんどプロデューサーの方たちと河森監督が考えたネタをまとめただけなんで、「俺の作品」とかいうつもりは毛頭ないし、収録も怖くていけなかったし……

この『アクエリオン』って、嫌いな人には徹底的に嫌われる作品なんだけど、それは食生活であるとか精神力であるとか、アニメを見ている間はつっこんで欲しくないところへ言及するからじゃないだろうか。 “アニメを見ている間”というのは、完全にヴァーチャルな世界に浸りたい時間。だから、みんな洗練されたほころびのないモノを求める。庵野秀明さんが言ってた「理想の食事は宇宙食」、この感覚に近い。無菌室に入るような感じ。
アニメという表現がテクノロジーの塊である限り、人工的なものとの接点は切れないと思う。例えば新海誠さんの作品は、描きこめば描きこむほど人工美が際立っていき、そこが受けてるんだと思う。あれは現実に存在するノイズを丁寧に取り除いた世界だから。
俺もどっかで「現実世界の汚さ」……それは皮膚感覚的な嫌悪感なんだけど、「どうして現実世界って完璧じゃないんだろう」と感じる部分もあるんでね。分かるのさ、アニメに清潔さを求める気持ちは。

で、『アクエリオン』はそれを壊している。主人公の靴が臭い、とか(笑)。女の子の足跡まで「臭い匂い」という。それはギャグに使われるんだけど、記号ではないんだよね。Aq10c012
苦手な人は、「臭い」ってだけでもうダメらしい。いや、それは俺も分かる。ギャグでも絵でもいいんだけど、洗練されてない分、生身の人間……「匂い」をアニメという人工物の中に感じてしまう。それを不快に感じる割合の高い人にとっては、『アクエリオン』は苦手なのかも知れない。
曖昧なもの、イレギュラーなものはアニメの中には入り込みにくい。それをやってしまったのが『アクエリオン』の強みであり、弱点でもあるのかも知れない。

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2007年4月21日 (土)

■オマケの人生■

『奏光のストレイン』 waltzⅢ 25日発売!
St_03
●DVDブックレット構成・執筆
「がんばれ、ストレイン」と、見本が届くたびに思う。このアニメのやけに濃い戦闘シーンの情報密度は、この作品に出会えたあなたと私とだけ楽しむことにしよう。最後までがんばれ、ストレイン。残りあと四巻。

童貞・処女には自殺する権利はない、と書いたのは寺山修司だったと思うけど、皆さんは女性から「大っ嫌いよ!」と言われたことはありますか? 俺はきっかり二日前に言われた。「大嫌い」、なんて甘美な響き。「大好きよ」と言われるより絶対いいよ、これは。正確には「そんな廣田さん、大嫌いです!」 しかも、それを言ったのは同い年かそれ以上の年齢の熟女ですからね。しかも美人です。こういう相手は、言葉の効果を考えてから口に出す。長く生きていると、ひとつの言葉の意味・解釈が二倍にも三倍にも膨らんで聞こえるんだ。生きているってのは、それだけで勉強になる。
070421_17330001(←『宮本から君へ』第十巻より。甲田美沙子に「大嫌い」と言われた宮本は、明らかに嬉しそう)
そうそう、「大嫌い」って言葉の中には「失望した」って意味が含まれてるんだ。なんて美しい言葉なんだろう。泥酔してたってのに、この一言だけはカッチリ記憶してたからな。

何冊か持っているジョージ・ルーカスの伝記のうち一冊を読んでいたら、「一度死にかけた僕は、オマケの人生を送っている」という意味のことが書いてあった。ハッとしたよね。そうか、今の人生はオマケなのか。そう考えると、いろいろ合点がいく。あえてトラブルの匂いのする所に飛び込んでみよう、という気にもなる。昨夜も打ち合わせ兼飲みで、そのまま朝までキャバクラ直行コースだ。朝陽がまぶしく、財布はカラ。クレジット・カードの売り上げ伝票しか出てこねえ。酒と香水ビンの中に浮かんで消える泡のような日々。だが、俺はもっと悲惨な人生をたくさん知っている。だから、今は万札はたいて飲み干すんだ。

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2007年4月15日 (日)

■星が眠りにつく頃■

EX大衆 5月号 発売中!
Ex07_5
「アイドルのキス顔チュ!」  原幹恵
今回は彼女と北海道へイチゴ狩りへ行くというストーリーなんだけど、一緒に旅行するような間柄だったら、もはやキスぐらいではときめかないかも知れない。もっと童貞ドリームに満ちたストーリーを考案せねば……。

朝起きると、香水の匂いがした。なんか、猛烈にキャバっぽい香りだ。おお、思い出した。昨夜、女の子が席についてる間中、ずっと手をにぎっていてくれたんだった。あれはなかなかいいサービスだ。
キャバの残り香で目覚める朝(というか昼過ぎ)。というかね。いくら付き合いでも、二日続けてキャバ行くなよ。一行も原稿書いてねーよ。
070415_05070001(←何だっけな、この地図。系列店の場所を女の子が教えてくれたんだっけか)
まず第一日目。「こんな僻地に、まさかキャバはありますまい」とタカをくくっていたら、パブがあった。安い。三人で一万円。気に入った子がいたので「指名していい?」と聞いたら「ここ、キャバクラじゃないよ」とムッとされた。でも、ちゃんと隣に戻ってきてくれて、いい子だったな。
妻子持ちの仕事仲間が帰宅したので、一人でもう一軒。安い。閉店までいたのに、一万円。ただし、女の子はみんな韓国人で、会話はすべて英語。「カラオケを歌ってくれ」と言われたので、『砂の十字架』を歌った。カラオケ代も込みで一万円。安い。ここに住みたいぐらい。

二日目。今度は都内ではあるけど、「このあたりに、まさかキャバはありますまい」という風情の駅前。地元で働いている飲み友達に案内してもらうと、あるわあるわ、十店舗以上。何しろ、歩道にキャバ嬢の名刺が落ちてるぐらい(実話)。道を歩けば、キャバにあたる。裏に携帯番号が書いてあったので、「名刺ひろったんで、今からキミの店行くよ」といきなり電話。知らない相手なのに。もう滅茶苦茶だ。そんな感じで、ワンセットずつハシゴ。
070411_01370001ある店で、タバコを持ってるのに吸わない子がいた。「この子は、なんで吸わないの?」と店主に聞いたら「当店では、ご指名のお客様の前以外では、タバコは控えさせております」。なんでだよ。「じゃあ、俺が場内指名する。吸っていいよ」。指名したのに、吸わない。なぜ。俺はこういう風潮が嫌いだ。なんでタバコだけ規制なんだよ(俺は吸わないけど、嫌煙の風潮が嫌なのだ)。
夜の世界ってのは、そもそも死に近いものだ。香水と安酒の匂いの中で、確実に寿命が縮んでいくのを感じる。昼の仕事をせず、毎晩キャバで働いている子がいる。そういう子が横につくと、亡者と酒を飲み交わしているようで、気が遠くなる。彼女たちは、どんな気持ちで朝を迎えるのだろう、といつも思う。

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2007年4月11日 (水)

■ダイアローグ協力■

昨日は、「ダイアローグ協力」として参加した映画『スピードマスター』の関係者試写。同じように台詞を書いたはずの某『最終兵器彼女』(監督が撮った覚えのない適当なカットが混入している問題作)とは雲泥で、ちゃんとエンドロールに名前がクレジットされていた。
070411_22150001_1(←蒲生麻由さん演じるリオが、コスといい表情といい素晴らしい。俺の頭の中では、『バーバレラ』とか『CQ』みたいな、SF系コスチューム・ヒロインなんだ。リオ主役でもう一本やろうぜ!)
『スピードマスター』は、『スター・ウォーズ』風に言うなら「フォースが帰ってきた」ような出来上がりで、『ブリスター!』の監督らしい遊び心が満載の怪作。
『スター・ウォーズ』といえば、ルーカスの書いた脚本があまりに単調だったので、ウィラード・ハイクとグロリア・カッツが台詞を直したんだ。俺がやった仕事も似たようなもの……と言いたいのだが、結局は俳優さんが血肉を入れるんだよね、台詞って。その肉声を録音部が拾って、ダビングして……って考えると、「俺様が台詞を書きました」なんて威張れないですよ。もとのシナリオそのままの台詞も残っているし。

試写会後、IMAGICA地下で打ち上げ。
070410_19410001その後、監督、俳優のウシマルさん、脚色協力のかおかお、楽曲提供のシガレットシーワズさんたちと、こっそりと真・打ち上げ。
人間は面白い。死ぬと分かっているのに、いろいろな物をつくりあげる。

あ、そうそう。メガゾーン23の公式サイト、出来てます。

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2007年4月 8日 (日)

■ラノベはロックだ■

どういうわけか、ライトノベル関係の取材に行かされることが多いんだけど、それは自分がラノベのユーザーじゃないので、ある程度の距離感を保って記事を書けるせいなのか。それとも、ラノベ好きと誤解されているだけなのか。
最近、某所でラノベ作家志望者があまりに不勉強ではないか、という声を耳にした。その方は志望者と実際に面接し、彼らが高名な(というか、一般人でも十分に知っているであろう)SF作家の名前を知らないので愕然としてしまい、ひいてはラノベ文化そのものに疑問を持たれたようだ。
不勉強は不勉強でいいんじゃない?と思った俺は、絶対に教育者になれないね。ラノベって、体系だてた「教養」や「知識」から離れたところでも生産できるフットワークの軽さが武器なのであって、読者も啓蒙されたいと思って読んでるわけではないと思う。東浩紀さんの近著を読めばよーく分かるけど、従来の小説を「軽く」「薄く」「甘く」したのがラノベではない。読み解くコードそのものが、我々の知る小説とは根本的に違う。だから、俺たちには読みづらくて当然。
もはや、俺たちオヤジには分からないメディアがオタク界のメインカルチャーをのし歩いている。ゾクゾクするね。

「知識も体験も乏しい若者は、せめて先人の残した書物にあって勉強しようぜ」という正論を、とうとう引っ込めるべき時が来た。むしろ、勉強せねばならんのは俺らオッサンの方なのだ。だって、ラノベってのは知識や体験が乏しいというハンデを逆手に、メディアを通じた(ゲームやアニメなどの)知識や体験を駆使して語る手段なのだから。前から繰り返し書いているが、文化は「何もない」ところから爆発的に芽吹いてくる。知識も体験もないから、若者はラノベに走る。
何しろ、ラノベはお金がなくても書けて、安く買える。図書館にも置いてあるし、おまけに万引きもしやすいサイズ。こりゃあ、強いよ。ラノベはロックン・ロールである。そして、俺らはロックの台頭に眉をしかめるオジサンだ。そういう歳になったのだねぇ。

それを認めたうえで、「ラノベなんぞ知ったことか」とサジを投げるのも自由。あるいは、「小僧ども、小説の何たるかを教えてくれるわ」とオヤジなりの知恵と勇気でラノベ文壇に戦いを挑むのも自由じゃなかろうか。ただ、体制や権威についた瞬間、人は自由を失う。それだけは間違いない。表現はみな、自由を目指すのだ。

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2007年4月 7日 (土)

■闇の36時間■

月刊「創」 5月号 「マンガはどこへ行く」 発売中
Tsukuru0705
●「蟲師」と“世界の大友”異色顔合わせ 取材・執筆
ほんのちょっとではありますが、漆原友紀先生のミニインタビューもあり。もうすいぶん前から言われているけど、マンガのコマ割みたいに撮られた映画ってあるでしょ? 『蟲師』はその範疇に入らないと思うけど、それに慣れちゃうのって恐ろしいよ。物語を受け入れる経路が一個しかなくなる。
それはマンガ表現が幼稚って意味じゃなくて、もともと日本映画ってのは競争率も低く、表現として鍛えられるチャンスを逃し続けてきたと思うから。それが昨今、マンガのリズム感に毒されすぎているような気がする。

まあ、それはさておき。
丸3日間も赤坂、中野、歌舞伎町などで朝まで飲み続けた結果、友達から「走ってるね~」と笑われた。この「走ってる」のは、まあ「生き急いでいる」というような意味でございましょう。そんなつもりはないんだが。
070404_03000001 この3日間走りつづけた夜というのは……夜というより、闇に近かった。「夜」には、ほのかな明るさがある。かすかな温かみがある。「闇」には、それがないのだ。そのくせ、昼の世界にまで忍び込んでくるような、いやらしさ、狡猾さがある。(それは一緒に飲んだ人たちがどうの、という問題ではなく僕の肌が感じたことに過ぎないので、誤解なきよう)

「夜」と「闇」とは違う。闇は空虚であり、死の匂いがする。夜は感傷的で甘美だが、闇は虚無そのもの。 それを対象化して感じられただけでも、僕はラッキーだった。次からは、それを退けることが出来るからだ。
皆さん、夜を楽しむために酒を飲みましょう。闇に飲まれないように。

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2007年4月 1日 (日)

■大人の事情■

もうオープンまで10日を切ったから、発表しちゃいますか。
Index 最近、ラジオだゲームだとお騒がせの『メガゾーン23』ですが、公式サイトを制作中です(写真はトップページのテスト版です)。オープンは10日ごろなので、近くなったら、また告知します。内容は無印とPART Ⅱのストーリーやメカ紹介など、基本的なものですね。「マニューバ・ブック」が、すでに『メガゾーン』を見た人に向けたものだったので、公式サイトは未見の人が興味をもてるように心がけました。サイトのオープンと同時に5月13日に新宿ロフトプラスワンで開催されるイベント「メガゾーン23 リバイブ!」の詳細も明らかに出来るでしょう。
どうして、三流ライターの僕がこんなことをしているかというと、版元のひとつである株式会社えんに「マニューバ・ブック」での働きを認められ、外部スタッフとして携わることになったからです。
やっぱり、信頼は仕事の成果、カタチで勝ち取るもの。それがプロの世界です。

昨夜、私自らが告知したラジオが、ようやく終了してくれたんですが……ラジオに関しては、ああもズタズタのボロボロになるとは誰も予想してなかった。当時は、僕も「意見を聞きたい」と呼ばれていっただけだったし、その時点でゲームの内容はガッチリ決まってしまっていた。ゲームに関しては僕はノータッチ。
ただ、ラジオが迷走するうち、僕は『メガゾーン』に関しては原理主義者になろうと決めた。博物館の館長になろう、と。
そして、このラジオとゲームのおかげで「なかったこと」にされかねない『メガゾーン23 Cap020 PARTⅡ』に、じわじわと愛着がわいてくるのを感じた。だって、あの『PARTⅡ』をなかったことにするぐらいなら、あれに匹敵するアイデアと情熱と才能を持ってこなけりゃダメでしょう? それが出来ないのであれば、「なかったこと」になんかしてはいけない。

普通、まがりなりにも関係者の端くれになった人間は、ここまで書きはしませんよ。立場としてはラジオを擁護し、ゲームを応援するべき。……でも、それって慣習に過ぎないでしょ? なんで本音を隠す? 80年代のアニメって「大人の事情」に反抗してたよね? 『ガンダム』だって、企画自体が玩具メーカーへのカウンターでしょ。前にも書いたけど、80年代のアニメは、憤激が創作の土壌になっていた。それを「昔話」にするんなら、何のために俺たちは周囲の白い目に耐えながらアニメに熱中してたんだ?
今こそ思い出そう、あの時代、あの作品から「何を」学んだかを。 

そんなわけで、若い世代は俺たちのしがらみも怒りも気にせず、どんどんアニメを消費してください。夏の『コードギアス』完結編は、オジサンたちも楽しみにしています(笑)。
その一方で、作品を腐敗させない博物館主のような役割も引き受ける。新しい動きに柔軟に対応しながら、古き良き作品を腐らせないように頑張るべし。未来と過去の両方を同時に見られるのは、僕らオッサンだけなんでね。
とりあえず、『メガゾーン』の公式サイトとイベントは、楽しみに待っていてください。「メガゾーンってアニメ、最後はグズグズになって終わっちゃったね」なんて、絶対に言わさないように頑張ります。

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