■アニメを解体しよう■
アニメーションノート No.5 発売中!
●まなびストレート! 構成・執筆
やっぱり、最初に見たPVのショックが忘れられず、『まなび』の絵づくりにのみ焦点を絞って取材しました。でも、こうして読むと今ひとつツッコミが足りないね。
まず、俺は集団の中で夾雑物になりたいので、ソリッドな「アニノー」の誌面にウェットな『まなび』の絵を地雷のように埋設したかった。とにかくね、この前も書いたけど、「好み」なんてものを俺自身も捨てたいし、読者にも「好み」を超越したところの「なぜ、そこまで描く?」という部分に注視して欲しかった。
……とは言いながらも、取材したのは第一話完成直前の頃で、俺は『まなび』を『台風クラブ』みたいなアンニュイな、シーンの点描みたいな作品になると勝手に思い込んでいた(それこそ、お前の「好み」じゃんか、と言われればそれまでだが)。描き込まれたワンカット、というのはそれだけで何かを語り出してしまうんだ……。「映画は、2コマあれば成立する」と言ったのは奥山順市だったかな。「映画の本質はアクション」と言ったのは押井守だったと思う。ここで言う「アクション」というのは銃撃戦という意味ではなく、モーションというか純粋な動きのことだろう。文学性・演劇性は、映画が他所(よそ)から借りてきたものである。宮崎駿が脚本という“演劇からの借り物”の段階をスキップして絵コンテから入るのは非常に納得できる。
優れたワンカットは、それ自体がひとつのストーリーだ。ロボット・アニメの合体シーン(バンク)は、本編とは別のひとつのストーリーである。オーケストラがピタリと止まって、バンドが演奏を始めるような感じ。
その瞬間を、みんな目撃しているはずなんだよ。それはメカが好きだとか萌えキャラがどうとか関係ない、純粋な美しさであるはず。メカ好きってスペック・マニアばっかりで、合体シーンの美しさを言う人間が誰もいないね。萌えアニメも同様。「絵」を見ているだけで「映像」を見てない。いや、見ているんだけど気がついてないんだろう。気がつくか否かは、人生観によるような気がする。刹那的に生きてるか否か、とか(笑)。
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