■永井真理子の本名が俺と同じ苗字なので、なんか嬉しかった■
ピンボケで申し訳ないけど、これが復元されたガンヘッド。
昨夜のガンヘッドイベントは、『ガンヘッド』をネタにした川北紘一氏(特技監督)のイベントだったね……あの映画に特撮的な見せ場なんかひとつもないと思うんだが。『ガンヘッド』が「ロボットアニメ」に果たした役割というのは、来月発売のグレートメカニック24号のオヤヂ酒場を読んでいただくとして、俺は改めて、この映画の「フィルム」の部分が好きなのだと思い知った。セリフやカッティング。あと、こういう部分とかね。DVDのメイキングで原田眞人監督が「エイジングされた(使い込まれた)映像」と語っているけど、撮影もいい。
だから、本質的に「川北ナイト」「特撮ナイト」だった昨夜のイベントでは、強烈な疎外感に襲われた。はぐれものの映画の中で、さらに少数派のファン(笑)。
よく、どうして自分がアニメ好きなのか考えるんだけど、心の中に幼児性を残しているからだろうね。アニメって「絵解き」だと思うんだ。現実を限りなく抽象化したもの。特撮も、ミニチュアや合成で現実を加工したもの。アニメも特撮も、とりあえず「あるがままの生の現実」を歪めたところにその快感がある。アニメ・特撮マニアに外見がイタタな人が多いのも道理で、精神の生成過程で「現実と折り合いがつけられなかった」わけだよね。
だから、アニメ好きや特撮好きは「やめる/やめない」という問題ではない。もしそれらに「飽きた」としたら、潜在意識の部分で現実と何とか折り合いがつけられた証拠じゃないだろうか?
俺の場合、浪人時代に実写映画に出会ったのが大きかった。それで、一気にアニメから離れた。実写映画の方が表現として面白い、と気がついた。日芸の映画学科に入って、『ガンヘッド』が公開されたのは四年生の時だったかな。一度アニメから離れたからこそ、演出やセリフのテンポ感に注目できたんだろうね。
それでも、『ガンヘッド』が好きなのは「ロボット」というアニメなモチーフが出てくるからだし、もっと単純に「SF映画だから好き」とも言える。現実のお話じゃないから身近に感じる、という部分は確実にある。
(ただ、日本伝統の着ぐるみ特撮というのは生理的に苦手。ヒーロー物もダメ。その理由はいまだ自分でも発見できてない)
で、現実を忌避する自分の性癖を自覚しながら、やっぱり上手く現実と付き合っていかねばならないのよ、我々は。「アニメは実写ドラマより優れている」とか「特撮映画は一般映画より高尚」とか意固地に理論武装しちゃダメ。一度、自分の執着するものから距離を置いてみるのもいいと思う。
で、昨夜は歌舞伎町でしたからね。
もちろんキャバクラ→アフターで焼肉コース。
俺には現実の結婚生活より、夜の女たちと一夜かぎりの仲良しごっこをする方が向いている。でも、それは三年間の結婚生活があったから言えることだよね。
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