■神秘と狂気は、四本足で■
どんなに忙しくても、一分でもいいからプラモデルを組み立てる。(←発光ダイオードと蛍光剤で、ここまで光るゼーガペイン)
出来れば、最近のガンプラのようにパーツ分割が考え抜かれているものがいい。なぜなら、パーツとパーツを組み合わせるうちに論理的な思考が指先から伝わってくるから。これは、文章を書く上で役立つ。そのために、ガンプラは絶やさないようにしている。趣味ではなく、仕事のツールだ(まあ、ゼーガペインは作品が好きだから買ったんだけどね)。
レゴなんかも、論理的思考を鍛えるのにピッタリかも知れないが、俺は幼稚っぽいので、ロボットのプラモの方が向いてるみたいだ。
あとは、犬のように路上を歩き回るのも仕事のひとつだ。犬はよく「人間の三歳児なみの知能」と言われるが、 それは違うと思う。「知能のあり方」が、人間とは異なるということではないだろうか。そんな考えでいるから、犬を擬人化して接している人とは、まったく話が合わない。犬が言葉を喋るような映画・漫画は、お話にならない。ほかの生き物に神秘を感じられない人は、人間に対しても想像力が働かないんではないか、と思う。
想像と妄想は別であって、「その人がどんな暮らしをしているか」なんていうのは妄想だ。「どのような考えをしているか」を洞察するのが想像力である。それは、神秘と狂気の領域だ。
神秘と狂気は、足元を四本足で歩き回っている(僕のアパートでは犬を飼えないが、散歩で出会うことはある)。
そうそう、散歩も仕事のうちだ。思いついた文をその場で携帯メールにして、自宅のPCに送る。そのままワープロソフトにコピペして、どんどん貯めていく。神秘も狂気も、文章化すれば下世話なエロ話と同じフォーマットに乗る。文章は傲慢だ。機能的なものは、何だって傲慢なんだ。
前の日記で「EX大衆」のポエムの一節を抜粋したが、ちょっと失敗したよなぁ……全体を通して読むと、ぜんぜん良いはずなんだよ。次号は2月中旬なので、バレンタインデーのネタでひとつ。
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