■思春期を死守する■
●『鉄コン筋クリート』レビュー執筆
『鉄コン』の記事としては「シネコンウォーカー」に続いて二回目か。ああいうハイブロウなアニメを一般のお客さん向けに解説するのは楽しいし、意義を感じる。もうちょっと濃い記事をお望みの方は「アニメーションノートNo.4」をオススメ(そっちは俺の仕事じゃないけど、よく出来てます)。
先日、「設定や作劇がジャンルを決めるんじゃない」と書いたけど、悪い予感が当たった。 『ゼーガペイン』のクライマックスは「敵の本拠地に乗り込み、ロボット同士が戦って地球を救う」というオールドタイプが燃える展開になっていて、ガックリ。あと、「不老不死を否定して今この瞬間を生きる」などとテーマがすり返られていて、別の意味で泣きたくなった。
ロボットアニメが健全なビジネススキームに支えられていた80年代は、「アニメは大人がつくるもの」だったから、大抵のギャップは我慢できたんだ。「大人はそう考えるのか」という学習になっていた。あれから20年、第一線でアニメをつくっている人たちは、もはや同世代なんだよね。だから、オヤジ同士、嫌な感覚まで共有できてしまう。
前に書いたこととも重なるけど、アニメは思春期を描きつづけるメディアだと思う。アニメの前では、誰もが少年でいたいんだよ。いい歳こいて 『時かけ』に泣くのは、心が思春期に戻るからでしょ。
『ブラックラグーン』は大人向けアニメとして絶品なんだけど、主人公のロックはモラトリアムを生きているんだと思う。
入学式から一学期の最後の一日までを永遠に繰り返す『ゼーガ』は、思春期を死守する物語だった。俺はその軟弱さに惹かれてたんだよね。
(←最後までいいキャラだった。声がいいね)
せっかく「永遠に学園生活を繰り返して何が悪い?」という問題提起が出てきたのに、絵に描いたような大団円はちょっと残念。実直なスタッフは、「最後はロボット戦でカタをつけるべき」と判断したんだろう。でも、それは型をなぞってるだけなのでは……
俺は13話あたりまでの湿っぽさがちょうど良かったんだけど、ここまでしっかりプロセスを踏んだドラマだと、もう最初の驚きはない。だから、「いっぺん最後まで見たから、もう終わり」でいい塩梅のアニメだったと思う。『ゼーガ』は。
だいたい、俺は作品にも人間にも完成度なんか求めてないもん。キラリと光る個性があれば、それで愛せる。
しかし、仕事でもプライベートでもアニメを見すぎた。そろそろ実写映画が見たい。
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