■痛みであって金ではない■
「EX大衆」 1月号 発売中!
●佐藤寛子 グラビアポエム執筆
ドアを閉めると、雨の音が遠くなる。盗みとってきた果実を、白いシーツにばらまくと、酸味のある独特の甘さが部屋いっぱいに広がった。後ろ手にカギをかけると、部屋はラズベリー一色に染まる。
●松金洋子 グラビアポエム執筆
たとえば、ミルクをたっぷり使ったプディング。皿をかたむけると、重みで落っこちてしまいそうだ。とっさに皿を水平にすると、その褐色のデザートは弾力豊かに震える。
●すほうれいこ グラビアポエム執筆
目を閉じたまま、虹色の貝を両手で包み込むと、それはとろけるように手の中でつぶれた。まるで魔法でもかけられたかのように、虹色の貝はやわらかく指の先にまとわりつく――
●「アイドルのキス顔 妄想ポエム館」執筆
ひっきりなしに行き交う人の流れの中で、細い指の間から伝わってくる冷たさは、彼女の発する信号だった。「ちゃんと、ここにいるよ」という信号。「日が暮れないうちに、急ごうよ」という信号。
……おいおい、いつの間にかポエム職人になっているよ、俺! せっかくなので、それぞれフレーズを上に抜き書きしてみた(全部読みたい人はコンビニで立ち読みしよう)。
なんでこれらのポエムがキモイのか編集者と話してみたのだが、ようは知っている相手(俺の場合、編集者)に性感帯を見せるようなもんだからだろう、と結論した。でも、ちょっとでも創作的な文章って自分の性感帯を探り当てるようなもんだと思うんだが。脳の痒いとこを探すというか。
昔、バンダイが模型情報という冊子を発行していて、成田亨さんの連載があったんだ。若き画学生だった成田青年は、仲間と「映画は芸術か商品か」について喧々諤々の論議をしたそうな。果たして、「映画とは極めて芸術性の高い商品である」という結論に達したそうだ(うろ覚えだけど)。
俺は自分のポエムを「極めて商業性オンリーの○○ネタのオマケ」ぐらいに思っているが、愛着はある。他の記事は編集に文を直されても平気だが、ポエムは一句でも直されるとちょっと痛みを感じる。あと、もし勝手に二次利用されたら、著作権を主張するだろうね。著作権というのは「痛み」であって、金ではない(たとえるなら、著作者人格権と著作財産権の違い。Winnyの作者が姉に宛てた書簡、あれは文学だよ。新聞は転載するにあたって著作権を考慮したんだろうな?)。
それはそうと、今日はガーランドの作者に会ってきた。
(写真と本日の出来事にはあまり関連はありません)
かつて、メガ80'sで「アートミック発掘現場」などという不届きなページをつくっていたことが、しっかりバレてましたよ。
アートミックは、オタク界の中央線文化だったような気がする。ネットによって、アニメやオモチャ文化の地域格差はほぼ均質化しつつある。かつては、海洋堂なんて「関西でゴチャゴチャやってる怪しげな奴ら」だったんだ。そうそう、あの距離感は大事だな。距離を埋めようとする努力は楽しい。だから、足で歩いて知らない地域に住んでる才能に出会う即売イベントは決してなくならないと思う。
ネットって農耕みたいなもんだからね。誰かが耕さねば安定供給できんのよ。
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コメント
ポエム、って以前書いてらしたけど、私の想像してたのと全然違いました。
読んで脳内で映像化されました。
「痛み」かぁ・・・
コンビニで立ち読みしようかな。
投稿: yuki | 2006年12月16日 (土) 08時50分
■yuki様
>コンビニで立ち読みしようかな。
たまに袋とじのページを無理やり見ようとする人が
いるけど、真似しないように。
投稿: 廣田恵介 | 2006年12月16日 (土) 09時35分