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2006年12月30日 (土)

■150■

アニカンR  Vol.4(2007年冬号) 5万セット限定発売中!
アニカン FREE Vol.30 配布中!
Ani_04_1
●『のだめカンタービレ』 大澤信博プロデューサー インタビュー
●『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』 ufotable(企画・制作) インタビュー
厳密には、アニカンRもアニカンFREEも1/1から発売・配布開始ですかね。内容は同じじゃなくて、それぞれ書き分けてます。アニカンRの方では、2006年のアニメ界を振り返る特集が組まれていて、2006年は2005年より40番組も多い150番組が放映されたとか。
もう、個人の想像をはるかに超える数字に達しているけど、ネットに燃料投下するには、これぐらいの量があった方が面白い。無料動画サイトの隆盛を筆頭に、ネットとアニメの相性のよさがハッキリした一年だったと思うけど。ネットやってない人なら、「今年のアニメって『ゲド戦記』ぐらいしかなかったね」となるんじゃないの? そこへアニメ雑誌と地上波テレビが加わっても、この「量のありがたみ」を感じることは出来ないだろう。ネットだったら、この150本を誰かが必ず見ている。見られていない番組は一本もないはず。日本のどこかで、どんな視聴の困難な番組でも絶対に誰かが追っていて、何かしらコメントしている。(俺も含めて)そうした無名のコメンテーターが、150本という量を支えていると思うんだ。
もう、「話題作が年に数本あって、それをみんなが共有する」という世界ではなくなってきている。無数の「俺の話題作」がネットの中に無秩序に放り込まれている感じ。その混沌を楽しめるかどうかじゃないかな。
一本だけ太い木があればそれでいいって人もいるんだろうけど、俺はどこに何があるか分からないジャングルの方が心地いい。

世の中は年末なので、深夜にいろいろと映画が放映されてるね。やっぱり、タダはいいね。

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2006年12月28日 (木)

■検索ワードは「メガゾーン」「ラジオ」で■

ごく一部の方たちに、大事なお知らせがあります。なんと『メガゾーン23』のラジオドラマが新春の1月6日26時30分より文化放送でスタート! 内容は、ちゃんと本編につづくストーリー。061228_19370001 あんまり書いちゃうと面白くないので伏せておくけど、「そういう分岐の仕方もありかな」という按配になるよう、意見させていただいた。
いい意味でのアバウトさが『メガゾーン』の魅力だと思うので、ガチガチな考証は必要ないでしょう。だいたい、作品が違うのに同じ時系列で考える必要はないんだよ。『ガンダム』は作品の個性がまったく違うのにひとつの年表に割り込ませてしまって、もはや宇宙世紀年表の窮屈さを楽しむM的な世界に突入しているのでは……
『メガゾーン』は、時代の勢いで「やっちまった」迂闊さがキュートなんですよ、と打ち合わせの席で力説しちゃったよ。

宇宙世紀といえば、昨日会った方から同人誌をいただいた。
061227_21580001「航空ファン」ならぬ「航宙ファン」。ネタは、『ガンダムセンチネル』で、俺の最も苦手なジャンルなんだけど、この本は遊び心があって良かった。
(本の上に乗っているのは、ガイナックスの忘年会用のカード。なんと、ガイナックスの忘年会で庵野監督をつかまえて、その場でイラストを発注するという計画を編集者が発案したのだ。監督は『エヴァ』が多忙らしく現れなかったが、怪獣捕獲作戦じゃないんだから……)
『メガゾーン』のラジオやゲームもそうだけど、80年代のリソースを今になっても楽しめるのはオヤジの特権だ。あの頃、若者で良かったと思うよ。反面、オールディーズしか楽しめない人は、もう「余生」に入ってるとも感じる。俺より若いのに「余生」を過ごしてる人は大勢いる。「昔は良かった」モードは、人類の遺伝子に組み込まれているのかも知れないね。ある程度生きた人間を最前線からリタイアさせていかないと、世代交代がうまくいかないから。
だって、「余生」に入った人って幸せそうだもんね。ただ、一生リタイアしないイレギュラーな人がいるから面白いんだ。何事もプログラム通りにいかない、というのが面白い。

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2006年12月26日 (火)

■ボロボロのスピリッツ■

昨夜からの雨で、知り合いの作業場でエアブラシを使わせてもらう計画が頓挫(湿気が多いと、エアブラシが水を吹いてしまうのだ)。
061220_16400001最近はクラフト魂が復活して、フィギュア塗装用にリキテックスまで買い出す始末。
まあ、よく考えると趣味でフィギュアを塗っている場合じゃないと思い、月末~来月にかけての仕事を整理してみる。
●フィギュア王(10ページぐらい)
●単行本(俺の著書ではないが、著作権がらみのもの。丸一冊)
●ムック本(80年代アニメ本。丸一冊)
●雑誌(というか定期刊行ムック。8ページ構成・執筆)
●企画書(某社のお手伝い。40ページぐらい)
●DVDブックレット(全7巻。第一巻は12ページ)

上記の作業を、あと一ヶ月ぐらいで終わらせる。

編集者からの電話で知ったのだが、『創聖のアクエリオン』の新作OVA、ようやく発売決定。テレビを熱心に観ていたファンだけが買うわけだから、ブランクをおいて全二巻を発売するというのは賢い売り方だ。なにしろ、同月に発売される別タイトルと競合する必要がなくなる。無理やりな特典を付ける必要もない。
061226_18400001(←関係ないけど、「出演」はしてないだろ)
最近、中身を知らずに買ったDVDといえば、Amazing Nuts!。これを買う感覚は、作者の名前だけでコミックスを買うのに近い。反面、無料動画サイトでアニメを観るのは、電車の網棚に捨てられていた漫画雑誌をめくるようなものだろう。紙も悪いし、広告も邪魔だし、話も途切れてるし。タダで拾ったからには、それなりのペナルティがある。だから、無料動画サイトの画質はガビガビで丁度よろしい。
俺、床屋に置いてあったボロボロのスピリッツで『花男』を読んで、松本大洋のファンになったからね。内容も見ないで単行本を買ってるよ。ゾンザイに扱われることが作品(作家)にとって不幸とは限らないのだ。

来年からDVDのブックレットを担当することになったアニメだが、実は見たことも聞いたこともないタイトルだった。でも、たまたまこの作品と出会って、ずっと追いかけているファンがいる。その出会いに傷をつけたくないから、ブックレットの仕事は頑張るのです。なんか矛盾したこと言ってるかな?

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2006年12月24日 (日)

■企画って難しい■

高度4000メートルぐらいでは、まだ“地ベタ感”が離れてくれない。
061224_11100001スカイダイビングの一日体験に行って来た。取材とかでなく、自腹で。その成果は別の場所で披露するとして……滞空時間が短かったせいか、フリーフォール (ガンヲタにはお馴染みの自由落下)でも、足の裏に地面がついている感覚がとれない。
どうも今ひとつ、求めていた感覚と違った。
むしろ、重力と空気だけを使って4キロもの空間を移動した、という経験のほうが大事かも知れない。

これは活字になってないかも知れないけど、押井守監督が「ガンダム系のもので、唯一見てみたいと思う映像は、高さ20メートルのロボットのコックピットを開いたときの空気感」と言っていたのを思い出した。確かに、それはアニメでは創出できない感覚だ。
061216_15510001(←原稿の合間にガンプラつくると、なぜか能率が上がるんです)
昨夜も、知り合いから「やはり実写で完璧なリアルロボット映画をつくるべきでは……」と言われたけど、もう時期を逸したんじゃない?
企画って難しい。
GONZOの『マルドゥック・スクランブル』が製作中止になったけど、潰れる企画には潰れるだけの理由があるわけで。友達も参加していたから言いづらいけど、よくある話だよ。
数限りなく企画がついえてきたのを見てきたから言うけど、「通った企画だけがいい企画」。逆を言うと、世の中に出た企画というのは、条件が整ったから世に出られたわけだよね。人なり、金なり、環境なりが必要としたから作品として成立するんでしょ? 俺が「どんなクソな作品からでも学べる」と言っているのは、そういうこと。
だから、真っ先に作品の悪口から入る人って(実質はともかく)頭が悪く見えてしまう。知識がないからバカなんじゃなくて、向上心がないからバカなんだよ。

ところで、ダイブする前に飛行場でリチャード・バックの 『イリュージョン』を読んだのは正解だった。相変わらず胡散臭いんだけど、独特の浮遊感がある。

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2006年12月22日 (金)

■偶然は必然に勝る■

「フィギュア王」 107号 24日発売!
107
●Toy's NEW ARRIVAL 執筆
『綿の国星』の陶磁器製フィギュアが良いです。 

●ピュグマリオンの小部屋 構成・執筆

俺のページじゃないけど、レゴ「エクソフォース」が凄いことになってるよ! 詳しくは立ち読み後、購入して読むように!

閑話休題。手作りポップが目立つ渋谷アミューズCQN。ようやく『フラガール』を観てきた。
061221_15170001こういう手作りポップが映画館にあるというのはいいな。人の匂いがする。
好きなパターンの話だ。『リンダ リンダ リンダ』、『がんばっていきまっしょい』、『プリティ・リーグ』系の女性主体の起死回生物語。 
もうちょっと戦略的に「閉山間際の炭鉱町をフラダンスで蘇らせる」裏話をあの手この手で見せてくれるのかと思ったら、情緒主体だね。泣かせのポイントを用意しておいて、それを巧みに配置して見せていく感じ。見せ方がうまいから泣けるけど、奥深くはない。
炭鉱とフラダンスという異文化衝突の題材であるが、そこを情緒で切り抜ける。思い切ったね。
唯一、蒼井優の母親が、「女の職業の変遷」を実感する瞬間(ストーブを集めるシーン)には文化的な主張があった。俺らの世代が見なくてはいけないのは、そこでしょう。柔軟性のない者は、ただ次世代に駆逐されていくのみ。

でも、日本映画はダサいとか貧乏だとか誰も言わなくなったなぁ……と実感するよ。蒼井優は『鉄人28号』が良かったから注目しているんだけど、あの映画を「最悪」という人は、本当の最悪を知らないね。口汚く罵ってるのは、ほとんど原作原理主義者じゃないかと思うんだけど。だって、悪口の方向がやたらマニアックだもん。
Aoi(←蒼井優は才媛を演じさせたらピカイチの女優)
最近のガンプラみたいに解像度を上げた鉄人の勇姿を夢想してた人もガックリきたろうね。俺も観るまでは同じ気持ちだったよ。でも、そんなことに囚われていると、指の間から砂がこぼれ落ちていくのに気がつかない。
(あの映画のロボット表現については、前岡和之さんが素晴らしい考察を書いている)
せめて、ニーズの方向が「自分以外のどこか」から来ていると想像ぐらいは出来るだろ。人間、長生きすると自分の知らないものより知っているものの方が多くなる。そうすると、「知っているもの」が絶対尺度になってしまうんだよ。自分の定規に合わないものに出会うと、まずケナしてしまう。それは貧しいよ。
欠けている作品、欠けている人間には、予想不可能な何かが入り込む余地がある。偶然は必然に勝るのだ。

そういう柔軟性は女のほうが上かもな、と『フラガール』を観て思ったよ。『嫌われ松子の一生』にも泣かされた。映画の中の女は、みんな素敵だな。

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2006年12月19日 (火)

■思春期を死守する■

「東京ウォーカー」 1/4号 発売中!
Tkw

●『鉄コン筋クリート』レビュー執筆
『鉄コン』の記事としては「シネコンウォーカー」に続いて二回目か。ああいうハイブロウなアニメを一般のお客さん向けに解説するのは楽しいし、意義を感じる。もうちょっと濃い記事をお望みの方は「アニメーションノートNo.4」をオススメ(そっちは俺の仕事じゃないけど、よく出来てます)。

先日、「設定や作劇がジャンルを決めるんじゃない」と書いたけど、悪い予感が当たった。 『ゼーガペイン』のクライマックスは「敵の本拠地に乗り込み、ロボット同士が戦って地球を救う」というオールドタイプが燃える展開になっていて、ガックリ。あと、「不老不死を否定して今この瞬間を生きる」などとテーマがすり返られていて、別の意味で泣きたくなった。
ロボットアニメが健全なビジネススキームに支えられていた80年代は、「アニメは大人がつくるもの」だったから、大抵のギャップは我慢できたんだ。「大人はそう考えるのか」という学習になっていた。あれから20年、第一線でアニメをつくっている人たちは、もはや同世代なんだよね。だから、オヤジ同士、嫌な感覚まで共有できてしまう。
前に書いたこととも重なるけど、アニメは思春期を描きつづけるメディアだと思う。アニメの前では、誰もが少年でいたいんだよ。いい歳こいて 『時かけ』に泣くのは、心が思春期に戻るからでしょ。
『ブラックラグーン』は大人向けアニメとして絶品なんだけど、主人公のロックはモラトリアムを生きているんだと思う。

入学式から一学期の最後の一日までを永遠に繰り返す『ゼーガ』は、思春期を死守する物語だった。俺はその軟弱さに惹かれてたんだよね。
061218_02250001(←最後までいいキャラだった。声がいいね)
せっかく「永遠に学園生活を繰り返して何が悪い?」という問題提起が出てきたのに、絵に描いたような大団円はちょっと残念。実直なスタッフは、「最後はロボット戦でカタをつけるべき」と判断したんだろう。でも、それは型をなぞってるだけなのでは……
俺は13話あたりまでの湿っぽさがちょうど良かったんだけど、ここまでしっかりプロセスを踏んだドラマだと、もう最初の驚きはない。だから、「いっぺん最後まで見たから、もう終わり」でいい塩梅のアニメだったと思う。『ゼーガ』は。
だいたい、俺は作品にも人間にも完成度なんか求めてないもん。キラリと光る個性があれば、それで愛せる。

しかし、仕事でもプライベートでもアニメを見すぎた。そろそろ実写映画が見たい。

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2006年12月17日 (日)

■共感はするけど大嫌い■

「グレートメカニック23」 発売中!
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●映像都市の文化誌 吉祥寺篇
最終回の今回は、『聖戦士ダンバイン』と『メガゾーン23 PART2』で吉祥寺。『幻魔大戦』も入れたかったけどね。さり気なく王子バーを紹介できたし、これはこれで。最近めっきり行ってないけど。

●オヤヂ酒場
『グエムル 漢江の怪物』と『小さき勇者たち ガメラ』はいいとして、後半の『ハチミツとクローバー』、漫画、アニメ、映画の統括ってのは何だ、と我ながら思う。共犯の藤津さんは「廣田さんがやりたいだろうと思って」と人に押し付けてたけどね。しかも、次号から俺の連載これだけだよ(笑)。

今号は『コードギアス』も載ってるので、俺のようにメカ戦を目当てに見ている人にはちょっと嬉しい。でも、『コードギアス』はロボットというアイコンが表示されているのであって、ロボットアニメじゃないよね。『エウレカ』もロボットアニメじゃなかったよね。
なんでかというと、ロボットの玩具でリクープを考えるのが「ロボットアニメ」だから。だから、玩具展開前提の『サイバーフォーミュラ』なんかはカーレース物よりはロボットアニメに近かったと思う。その『サイバーフォーミュラ』も、ファンの成長に合わせるかのようにOVAシリーズへ流れるわけだけど…年をとると、人は「時間を買う」ということを覚えるんだろうね。映像ソフトを買うというのは、つまり視聴時間を買っているわけだね。
061216_14420001(←いま読んでる本に影響されていなくもない)
子供は体感時間が大人と違うから、玩具で遊ぶ快楽を無駄とは思わない。時間というものを意識しはじめると、本や映画といった物理的に触らなくても満足の得られるもの、ソフトへと興味がうつるんだろう。
再三書いてきたけど、映像というのは所有できない。大画面テレビやサウンドシステムを揃える人は少数のマニアであって、大多数の人は「観た」だけで満足するし、それで何も間違っちゃいない。チューナー買わないと見られない地上デジタル放送なんて、本能的に受けつけないわけだよ。
新たにモノを買わないと見られないものは、いらない。

本能と生理の味方である俺としては、YouTubeはじめとする無料動画サイトを憎からず思っている。が、しょせんは代替物だし、メディアの過渡期にたまたま現れたピンチヒッターに過ぎないだろう。だから、YouTubeへのリンクを貼っただけのアフィリサイトからのトラックバックが来ると「ちったぁ工夫しろ、この貧乏人ども!」と侮蔑の言葉を投げかけながら削除してるよ。衝撃のアルベルトの言葉を借りれば、「誤解するな、わしは決してお前たちに加担するのでも馴れ合うわけでもない!」
ロボットアニメについて話を戻すと、設定や作劇がジャンルを決めるんではないからね。熱血主人公やワンダバな発進シーンが出てくるから「これぞロボットアニメの醍醐味!」って喜ぶのは脊髄反射。なんか、かつてSFがたどった道をロボットアニメも辿っているのかも知れない。「SFは文学だ!」っていう脅迫めいた頑迷固陋なフレーズ、理解はするけど俺は大嫌い。

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2006年12月15日 (金)

■痛みであって金ではない■

「EX大衆」 1月号 発売中!
Ex_1
●佐藤寛子 グラビアポエム執筆
ドアを閉めると、雨の音が遠くなる。盗みとってきた果実を、白いシーツにばらまくと、酸味のある独特の甘さが部屋いっぱいに広がった。後ろ手にカギをかけると、部屋はラズベリー一色に染まる。

●松金洋子 グラビアポエム執筆
たとえば、ミルクをたっぷり使ったプディング。皿をかたむけると、重みで落っこちてしまいそうだ。とっさに皿を水平にすると、その褐色のデザートは弾力豊かに震える。

●すほうれいこ グラビアポエム執筆
目を閉じたまま、虹色の貝を両手で包み込むと、それはとろけるように手の中でつぶれた。まるで魔法でもかけられたかのように、虹色の貝はやわらかく指の先にまとわりつく――

●「アイドルのキス顔 妄想ポエム館」執筆
ひっきりなしに行き交う人の流れの中で、細い指の間から伝わってくる冷たさは、彼女の発する信号だった。「ちゃんと、ここにいるよ」という信号。「日が暮れないうちに、急ごうよ」という信号。

……おいおい、いつの間にかポエム職人になっているよ、俺! せっかくなので、それぞれフレーズを上に抜き書きしてみた(全部読みたい人はコンビニで立ち読みしよう)。
なんでこれらのポエムがキモイのか編集者と話してみたのだが、ようは知っている相手(俺の場合、編集者)に性感帯を見せるようなもんだからだろう、と結論した。でも、ちょっとでも創作的な文章って自分の性感帯を探り当てるようなもんだと思うんだが。脳の痒いとこを探すというか。

昔、バンダイが模型情報という冊子を発行していて、成田亨さんの連載があったんだ。若き画学生だった成田青年は、仲間と「映画は芸術か商品か」について喧々諤々の論議をしたそうな。果たして、「映画とは極めて芸術性の高い商品である」という結論に達したそうだ(うろ覚えだけど)。
俺は自分のポエムを「極めて商業性オンリーの○○ネタのオマケ」ぐらいに思っているが、愛着はある。他の記事は編集に文を直されても平気だが、ポエムは一句でも直されるとちょっと痛みを感じる。あと、もし勝手に二次利用されたら、著作権を主張するだろうね。著作権というのは「痛み」であって、金ではない(たとえるなら、著作者人格権と著作財産権の違い。Winnyの作者が姉に宛てた書簡、あれは文学だよ。新聞は転載するにあたって著作権を考慮したんだろうな?)。

それはそうと、今日はガーランドの作者に会ってきた。
061215_19590001(写真と本日の出来事にはあまり関連はありません)
かつて、メガ80'sで「アートミック発掘現場」などという不届きなページをつくっていたことが、しっかりバレてましたよ。
アートミックは、オタク界の中央線文化だったような気がする。ネットによって、アニメやオモチャ文化の地域格差はほぼ均質化しつつある。かつては、海洋堂なんて「関西でゴチャゴチャやってる怪しげな奴ら」だったんだ。そうそう、あの距離感は大事だな。距離を埋めようとする努力は楽しい。だから、足で歩いて知らない地域に住んでる才能に出会う即売イベントは決してなくならないと思う。
ネットって農耕みたいなもんだからね。誰かが耕さねば安定供給できんのよ。

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2006年12月14日 (木)

■短くないとダメ■

「大人のガンダム3」 16日発売予定!
Otgan_3
●全作品ガンプラコラム執筆
これが書けるということは、一応新作が放映されるたびにガンプラ買ってはいたんだよね。

●ガンプラ新工場潜入ルポ
バンダイホビーセンターの取材は自分としては二回目だし、ありとあらゆる媒体で紹介されたけど、これが一番分かりやすくて面白いハズ。

●川口克己さんインタビュー
こういうインタビューは、ホビー誌、模型誌には載らないと思う。それにしても、ミリタリーSFという模型ならではのジャンルは、もっと発展してもいいような気が……ガンダム印が付かないとNGとは誰も決めてないんだが。

●ガンプラ座談会
ヤマザキ軍曹(モデラー)、天神英貴(イラストレーター)、千草巽(モデラー)、伊藤克仁(元ホビージャパン編集長)の座談会。これも模型誌では出来そうでできないだろう。この座談会をまとめてみて、自分がいかにホビー寄りの人間か気づかされたんだ。

今回は「写経」とさえ揶揄された宇宙世紀の考証やら裏設定やらを全く気にせず、のびのびと書けた。
あと、ヤマザキ軍曹が「速攻HGUCガンダム攻略戦」という記事を書いているので、ガンプラ好きな人は必携。

さて、大泉実成さんが『Zガンダム』が長すぎるので劇場版に逃避しようとしたそうですが……アニメって、なんでこんなに長いんだろうね? 俺が感激した『NewType』の記事は藤津亮太さんの仕業であることが判明したんだけど(笑)、アニメの主媒体がネットに移行したら、1クールとか2クールとかいうテレビの物差しは消えてほしいと思う。4話か6話で完結して欲しい。『ゼーガペイン』をオススメしようにも、26話という時点でアウトです。ようするに長さ的にはOVAフォーマットが一番見やすいように思うんだけど。
GyaOでやってる『幕末機関説いろはにほへと』は全13話か。PCの前でまんじりともせずに見るのにはギリギリだね。『FLAG』は全6話で完結? というか、なぜ高橋良輔作品ばかり無料配信? ともあれ「一回見ちゃえば十分」というのは、たくさんの番組から「選んでもらう」ための必須条件だ。
先日書いた「選ぶ」というアクションを後押しするのは、実は口コミだろうと思っている。情報誌のレビューではなく、生活密着型の居酒屋トーク。そのためには、とりあえず「一回全部見た」人間が必要なんだ。で、「とりあえず全部見る」ためには短くないとダメ。
本数が増えれば偶然の出会いも増す。そのためには作り手と利害関係のないポータルサイトみたいな人が片っ端からアニメ見ては布教していくのがベストじゃないか?と。だって、ブログのレビュー、いちいち読んでられないじゃん。

あと、俺のような仕事をしていると「これ、○日までに見といて!」みたいな感じでDVDが送られてくることもある。これも偶然の出会い。
061214_19150001で、俺が仕事で出会ったオススメはこれだ。
来年1月放映の『まなびストレート!』。まだPVしか見てないけど、これは狂気の沙汰。いわゆる「ぷに」みたいな絵柄は好きじゃないんだけど、061214_19170001_1この映像は文句なく凄いよ。まさしく、その「ぷに」の質感をデジタルで再現しているところが。
あと、これはモニターを携帯でパチ撮りした適当な画像だけど、レイアウトが決まってる。作画アニメというと枚数ばかり気にされるけど、これはデジタル処理でその一歩先を示していると思う。
こういうのは問答無用でDVDを買おうかと思ってしまうよなぁ……だから、これだけはYouTubeで済ますな!と利害関係ぬきに言っておきます。テレビが始まったら、まず見てみようよ。
萌えアニメに残された最後の役割は、新兵器の実験なのかも知れないね。いや、面白い時代だ。

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2006年12月12日 (火)

■倫理観の限界■

今月のイチオシは、壽屋のまりあ
Ca270089腕の筋肉とかすごく良く出来てるんだけど、なぜかアメリカ製のガレージキットを想起させる雑駁さがあるんだよ。「形が綺麗に出たんだから、細かいとこの仕上げは別にいいや!」という投げやりさまでセンスにしている。細部まで磨き上げる繊細さとは乖離したワイルドな造形。もちろん、原型は日本で生産は中国なんだけど、『ウィッチブレイド』というアメリカ産のモチーフが影響してるんだろうか? そうそう、「バタくさい」って語感がぴったり。不思議なフィギュアだよ。

ところで、忙しさも手伝って9日発売のアニメグラビア誌を買ったまま、カバンの中に忘れてたんだけど……やるじゃん、『NEWTYPE』。P130を読んで目を疑ったよ。「That's2006」という記事の一部なんだけど、ちょっと拾ってみようか。「深夜枠で“試写”を行い、そこで知名度を上げて、DVDでリクープするというやり方に限界が出てきたのだ」おーっ、DVDの広告だらけの雑誌でよく言った! 「(前略)米国のソーシャル・ネットワーキングサイト「YouTube」は、著作権的に問題のある利用法が後を絶たない一方で、すでにアメリカの映画会社が予告編などを「YouTube」を使って配信する例も出てきている」「こういったサービスが、TVの代替として成長する可能性は十分にある」まったくその通りだよね。何も終わりはしないよ。ただ変化が訪れるだけだ。
ほら、日本からの抗議を受けてYouTubeは3万件も違法画像を削除したじゃん。でも、みんな懲りずにアップしたでしょ。一円の得にもならないのに、単に共有したいがために。「見たい」という願望だけは誰にも邪魔できないんだ。

とはいえ、『ブレイブ ストーリー』が丸ごとアップされてたのは嫌だったな。それは『ブレイブ』が劇場公開作品で、入場料を払って観るものだからだろう。ただで見られるテレビアニメとはあり方が違う。あ、『ブレイブ』がテレビ放映されて、それがアップされていたら、こんなに嫌な気持ちにはならなかったろうね。それが俺の倫理観の限界かも知れない。なんでもOKではないな。
061211_05100001(←余談だけど、好きなキャラって作画が乱れても「わっはっは、下手くそめ!」と許してしまうのだけど、それは『ゼーガペイン』がストーリー最優先だから? それとも愛しすぎ?)
TVアニメって、連綿と「タダで見るメディア」だったじゃん。もし終わってしまっても、「どうせ再放送やるから、それ見よう」と気楽に付き合えたはず。再放送から人気が出たアニメはたくさんあったんだ。

テレビアニメが消滅して、ほとんどがネットで見られるようになった時にネックになるのは、「選ぶ」というアクションだろう。テレビには偶然の出会いがあるけど、ネットは何をするのでも、まず自分で選ばないといけない。しかも、「選んだら直行」だからね。
でも面白いよ。時代がシフトチェンジしていく瞬間に立ち会えるのは、ゾクゾクする。

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2006年12月10日 (日)

■風に吹かれているか?■

常時仕事が詰まった状態なので、相変わらずヤフオクで届くフィギュアだけが楽しみ。
061209_15080001←バンダイ製ララァ。フィギュア博物学として、これは押さえておきたい。当時は、こんなアイテムでもモビルスーツ並に気合入れて塗っていたような気がする。

先日の続きだが、言い直すなら「タダだから、というだけの理由では誰もアニメを見ない」ってことだな。本当にクオリティの高い映像が欲しければ、YouTubeのガビガビの画像や音質では満足できないはず。だとして、一本数千円で場所もとるDVDが適正なのかどうか。前に映像は所有できない、と書いたが、むしろ所有したいと思う人は少数なのかも知れない。
だとしたら、権利団体はYouTubeに抗議している場合じゃないと思う。花形産業だった劇場映画がテレビに駆逐されたのは、何百年も昔の話じゃない。万古不易、永遠不変のメディアなんてないんだよ。
アニメで言うなら、OVAという形態を維持できなくなったのはほんの20年前のことでしょう。

……と言いながらもだな。 『ネギま!?』のDVDが出ると知って、自動的に予約ボタンを押そうとしている自分もいるわけで。あの映像は手元に置いておきたい。
061207_01300001『ゼーガペイン』は、他人に見せたいからソフトが欲しいとう購入動機がある。いわゆる布教用というヤツだな。「ゼーガペインってアニメがあるから、YouTubeで見てよ!」とは俺は言わん。「見たければDVDを買えよ」とも言わん。こう言ってるよ。「俺がDVDを買って貸すから、見てくれ。見たくなければ、それでも構わない」。こういう心意気がYouTubeにかみついてる権利団体には感じられないのよ。

ついでにもう一言。アニメって、かなり原著作者によって保護されてると思うよ。アニメについて書くと、まず間違いなくメーカーや制作会社のチェックが入るもん。『スター・ウォーズ』についても大量に原稿を書いたけど、20世紀フォックスやルーカスフィルムが「ここんとこ、ちょっと修正お願いします」なんて言ってくることは一度もなかったよ。署名記事である以上、明らかな事実誤認以外は直す義務なんてないわけ。
アニメの場合でも、双方の意図さえ通じていれば理不尽な修正はないことを強調しておきたい。ただ、畑違いの人がたまたまアニメ業界とやりとりして「なんでこんなにチェックが厳しいの?」とギョッとされる場合も見てきました。実はアニメ批評誌が長続きしないのは、そのへんの意識のズレが原因なんじゃないかな?と邪推している。グレートメカニックの「オヤヂ酒場」なんて、あんな言いたい放題でよく続いてるなあ……と我ながら思うんだけど、そこは編集さんが各方面に確認と調整をしてくれてるわけだよね。

よく俺は、「風に吹かれているか」という言い方をするんだけど……それはまず第一に、自分の仕事が過保護にされず、ちゃんと結果主義で判断されているか?という意味。俺は風に吹かれてないと嫌なんだよ。実力以外では評価してほしくない。
同じように、今あらゆるコンテンツが風に吹かれているんだと思うよ。YouTubeというトリックスターによって。

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2006年12月 7日 (木)

■タダで観たいんじゃない■

この忙しいのに、所用があって隣町まで歩いてきた。この地域は古本屋全滅だと思ってたんだけど、あった。ありましたよ、ブックオフ以外の古本屋が。
061206_15550001俺の中で「使える古本屋」の基準は、稲垣足穂が揃えてあるかどうか。別に足穂が欲しいわけじゃなくて、店主のブランド意識が推し量れるから。

なんだかんだでガンプラへの逃避も断念、 『ゼーガペイン』も半分ちょっと過ぎたぐらいで視聴中断。でも、こんだけ体力と睡眠時間削ってアニメ観るなんて、ひょっとしたら人生初かも(忙しいせいもあるけど、そんなに忙しかったら最初から観ないし)。今ごろになってゼーガペインのプラモを欲しくなった俺は、都心に出るたび、量販店をさまよっている。せめてDVDのリリース中は関連商品が店頭に残っている状態が健全だと思うんだ(1月にファンブックが出るらしいけどね)。

放映前のキービジュアルにはピンと来なかったのに、ストーリーに惹かれてメカやキャラをだんだん好きになって商品が欲しくなって……って、この感覚は懐かしいな。アニメがソフトの売り上げで資金回収はじめるまでは、こんな感じだったよね。061207_02540001
(←声優の下手さも含めてお気に入り)
ひょっとしたら、俺は『ゼーガ』のDVDを買うかも知れない。それは、気に入ってくれそうな人に貸したいから。ここ数日、アニメ業界の人たちに何人か会ったけど、「YouTubeのせいで、DVDが売れない」なんて泣き言は一度も聞いてないよ。俺たちはタダでアニメを観たいんじゃない、いいアニメをたくさん観たいだけだ。そして気に入った作品が見つかれば、初めて関連グッズに金を払う。時には、血まなこで探すわけだよ。
だから、作品との出会いの機会を奪ってはならない。
野村総研がつまんない調査するから、「オタクは金持ち」なんていう腐った偏見が生まれただけであって、図書館に行ってみなさい。たかが数百円のラノベがボロボロになるまで回し読みされてるから。
そもそも、アニメを目先の金に換算しすぎなんだよ。「あの作品はDVDが売れなかったから失敗」とかさ。「あれだけ宣伝費をかけたのにコケた」とかさ。ただ、受け手が「あんな作品は観る価値ねーよ」とバサバサ切り捨てていかねばならぬほど、アニメの本数は飽和してるよね……。

アニメの制作本数が今の10分の1だったら、みんな精神的にも物質的にも豊かになれると思うんだ。でも、俺は『夜明け前より瑠璃色な』のキャベツすら一種の「豊かさ」と感じてしまうなぁ……みんなで怒りや笑いを共有できるって大事だからね。

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2006年12月 5日 (火)

■無視しても一向に構わない■

い・いかん。この一ヶ月間、この本の取材でガンプラ漬けになっていたためか、締め切りと打ち合わせと取材が明日一度に来るというのに、この体たらく。
061204_22400001これじゃ、大友の『童夢』に出てきたプラモマニアの浪人生だよ。『ゲド戦記』の第一巻で「歳をとると、自分に出来ることは限られてくる」と書いてあったけど、やること多すぎるよ。イベントもあるし。

昨日、打ち合わせの帰りに、ほとんどアニメを見ないデザイナー氏が「アニメでは、『蟲師』というのがよく出来てましたね。あんないい番組を深夜にやるなんて、すごく勿体ない」と言い出したので、ううむと腕を組んでしまった。
で、帰ってきてから、成り行きで『ネギま!?』の本編を初めて観たのだが……OPがどんなに凄いかは、前に書いたとおり。本編は、第五話をいきなり観た。なんだ、すげぇな、これ!
旧シリーズは文字通りハーレムアニメなので途中でやめてしまった。まあ、基本ストーリーは前とあまり変わらない。お話だけ追っていけば、夕方5時台放映というのもうなずける内容。
061204_22330001ギャグも、まあ普通でしょ。そこそこ萌える絵柄とダバ絵を交互に出すのは、常套でしょう。でも、そのどうでもいいギャグの瞬間瞬間に、無駄に情報が入ってんの。「ハイ」って手を挙げたときに、ワイシャツの袖がちょっとズレるとか。そのシーンとぜんぜん関係ない絵がポンとインサートされたり。同じ構図の中で、ちょっこっとアクションを飛ばしたり。そのリズム感の出し方が、もう神技。俺の脳内で近い感覚を探すと、ロベール・ブレッソン。思わずブレッソンの『シネマトグラフ覚書』を本棚から取り出す始末。
つまり、今の若い連中は萌えながらにしてモンタージュの快感を覚えていくわけだな。
いま、映画史を萌えアニメが肩代わりしている。ブレッソンより『ネギま!?』が格下なんてことは絶対にない。映像を見りゃ分かる。

しかも、その芸術性(と以外に呼びようがない)の部分は、凡百の魔法学園モノの体裁とありきたりのギャグの隙間に、無視しても一向に構わないミクロン単位で隠されてる。
061204_19310001←だから、何なんだよ、この凝りようは(笑))
そこでさっきのデザイナー氏の話に戻るけど、こんな凄い作品が平日の夕方5時半でいいのかよ?と。ちょこっと興味を持った人が好きな時間にネット検索して見られるようになったけど、それを規制して今より状況は好転するのだろうか?
俺がDVDを買う理由の半分は、人に貸すためだ。気に入った作品を他人に触れさせたいわけだ。いつでもどこでも誰でも見られる状況の方が、ユーザーにとってはいいに決まっている。今こそ、送り手と受け手のユートピアを探すべき時期だと思う。『青の6号』のゾーンダイクの言葉を借りるなら、「世界は滅ばぬ。ただ、変わるだけだ」。例えば、YouTubeを無くしたとしても、作品は死なない。僕らが欲しいのは「作品」ではなく「作品を観る手段」なのだ。

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2006年12月 3日 (日)

■感傷の何が悪いんだよ■

何とか仕事一区切りさせて、「美少女フィギュアコンベンション」というのに行ってみた。
061203_12430001ある出版業界の人に「オタクの人って服装が黒々してませんか?」と言われたので注意してみると、ああ、確かに……一人だけこざっぱりした格好の客がいたので近くによってみたら、ポールスチュアートの紙袋を持ってた。銀座から直行だとしたら、ちょっと粋だね。

さて。仕事を後回しにし、眠い目をこすってアニメを見続けるなんて何年ぶりだろう? 確かに『アクエリオン』にも熱中したんだけど、今回はのめり込み方が度を越している。『ゼーガペイン』だ。画面の前で声を出して泣いたのなんて、何年ぶりだろう。
多分、この物語のベースにセンチメンタリズムがあるから好きなんだろうと思うけど、ついに主人公が「感傷の何が悪いんだよ」と言い切ってしまう。……確信犯だったのね。
「平和を守る」って、ロボットアニメのテーゼじゃないですか。『ゼーガ』も「かけがえのない」「俺たちの」「平和な暮らし」を守る話なんだけど……その「俺たち」の「平和」が全て虚構なんだよ。「かけがえのない」もへったくれも、もう滅んだ世界の話なんだよ。
061203_02420001(←こんな小さいディスクの中に、こんな凄い話が入ってるなんて…)
セカイ系というのは退行以外の何物でもないと思う。客観世界を放棄する、という開き直りだから。『ゼーガ』は、そこから先を描く。「進化型セカイ系」だ。主観世界を維持するために客観世界に責任を持たざるを得ないような知的な構造になっている。 かつては、このような物語を「SF」と呼んだ。
『ゼーガ』は、アニメではなくSFなんだよ。仮想現実を描くわけだから、絵に凝りすぎると瑣末なことが気になる。だから、絵はこれぐらい淡白でいいんだよ。ただ、0.5秒で好悪が決定されてしまう2006年のアニメ界では不利だったのかも知れない。日常パートの美術を新海誠にやらせれば……とも思ったが、セカイ系ってのは「SF」未満で足踏みする表現だから、実は合わない。
今は「プロセス」を省いて楽しめるアニメの時代だね。『コードギアス』の「全力で見逃せ!」は一発芸としては面白い。番組を観てなくても共有できる。でも、一歩一歩、たった一人で階段を昇っていくような「プロセス」の面白さが『ゼーガ』には残っていた。それが嬉しくてね。 

イベントがやや空振りだったので、最近届いたフィギュアでも。
Ca270072これ、蛍光灯の下だと彩色に何のメリハリもなくてさ。 今、フィギュアを写真に撮らない人っていないから、ひょっとしてライティングを意識して大味にしているのか?
そこまで考えてるとしたら、たいしたものだけど。
(この写真は窓からの自然光のみで撮影)

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2006年12月 1日 (金)

■この町で一番高い塔■

写真に撮ると、血のついた台本に見えかねないが…内田朝陽さんのサインの入った『スピードマスター』の台本だ!
061201_15230001赤いサインペンしかなかったのが、いけなかったかな……? ともあれ、内田朝陽さんのビデオコメント撮影をもって、イベント用素材はすべて終了。内田さんの演じた役のセリフの大半を僕が書いて、それを内田さんがしっかりと自分のものにしてくれていたので、思わずサインとツーショット写真を。もちろん、俳優からすれば誰が書いたかなんて関係ないだろうから、ありがた迷惑だったかも知れないが。
帰宅したら、アイドルグラビアのポエムが3本も発注されていた。いちもにもなく引き受ける。言葉で肉体に関与するのは、面白い。

ちょっと昨日の補足というか、コメント欄に書いたことを咀嚼する。
死んだぐらいで作家の価値は落ちないよ。それを大げさに「日本文化の喪失」みたいに騒ぎ立てるのは気味が悪いよ。「ウルトラマンの新シリーズは、ぜひ実相寺監督に……」って、それはお前が『ウルトラマン』しか知らないからだろ。ガンダムに出演していた声優さんが何人か亡くなったけど、みんな「セイラさんが」「ブライトさんが」「マ・クベ大佐が」って程度の認識しかないでしょって。俺の少年期の思い出に「死」が関与した、これはちょっと追悼でも書くのが大人の態度かも、いや書けるチャンスかも……ってことでしょ。
「死んだ有名人が持つ、この毒々しい娯楽価値って何……」(『ジェネレーションⅩ』より)
たまたま知ってた有名人が亡くなったからって、それを自己粉飾に使うなよ、みっともない。

ここ最近、致命的に勘が鈍っているので、田無のスカイタワー西東京まで歩いてきた。
061129_15440001いつもベランダから眺めるだけの建物が、いまや俺の体験の中に折り込まれた。
妄想の燃料は体験だ。見たいものは、自分の足で見に行くに限るね。

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