■幼年期の終わり■
明け方まで『殺人の追憶』を観ていたのに朝9時に目が覚めてしまったので、『パプリカ』観てきました。気がついたんだけど、この手のアニメを観る客層ってアニメマニア/一般層の間に「美大系」の人たちがいるね。実際に美大に通ってなくても、専門学校だったり予備校だったり。服装見りゃ、分かります。
「アニメならではの表現」とか「奔放なイマジネーション」とか、何とでも誉められるんだけど、今監督のアニメはつつしみが深すぎて感情移入が難しい。パプリカはなかなか官能的なヒロインなんだけど、どうも今ひとつ下世話な方へ吹っ切れてくれない。オッサンキャラとパプリカが等価値なのよ。
ヴェンダースの『夢の果てまでも』って映画でも「夢の視覚化」が描かれていたけど、夢って視覚情報だけじゃないよね。匂い、雰囲気、感情、たまには思考だけの夢まである。 実写のほうが、そういう曖昧や混沌は描きやすいと思う。『パプリカ』では、あえて視覚情報に限定してメタモルフォーゼの面白さを追及したんだろうけどね。
あと、アニメって少年少女を主人公にした方が「いい」と思うんだ。「いい」っていうのは、「正しい」とはまたちょっと違う。アニメって子供の頃から目にしているものだから、せいぜい20歳ぐらいまでのキャラクターまでしか「受け付けない」と思う。セル画の質感が受け付けない、というのもあるし、観客が受け付けないということでもある。
アニメって、小学生までは当たり前に見ていても、中高校生になったら卒業するかハマるかのどっちかでしょう。その時、彼らの前にあるのは『イノセンス』みたいなオッサンしか出てこないアニメではなく、絶対に少年少女を主役にしたもののはず。アニメはそんな「幼年期の終わり」に最も意識される里程標じゃないかと思うんだ。
だから、小さい頃にアニメを見ていた50歳ぐらいの人までは、アニメに相対するとき、あの誇らしくも苦渋に満ちた「幼年期の終わり」に意識が立ち返るのじゃないかと思う。どんな大人な物話をやっても、どんなハイブロウな題材を選んでも、少年少女を主人公にしておけば、大概のことは「許せる」。これってアニメ特有の現象だと思う。
変身後のパプリカが少女っぽいのには、ちゃんと意味があるんだよ。
せっかく新宿まで来たので、ポールスミスでシャツを2本買い、やんばるでポーク玉子定食を食べたら、急いで帰宅。ムーンライダーズの実録映画は、かなり面白そう。
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