■理想の帝国■
ジョージ・ルーカスは映画監督ではない。「スター・ウォーズ妄想業」である。それに気がつかない人は「ルーカスには演出センスがない」などと言うが、妄想業なので演出の才能は不要なのである。いくつかのドキュメンタリーを見ると分かるが、ルーカスは撮影現場が苦手だ。NGテイクやアドリブを積極的に使った「映画」として唯一の傑作『アメリカン・グラフィティ』ですら、俳優とのミーティングを嫌がったという。
その非社交的性格ゆえ、現場で孤立してしまう『スター・ウォーズ』撮影時のルーカスには、たまらない親近感を覚える。
その『スター・ウォーズ』第一作からして、ルーカスの手前勝手な妄想癖は全開で、二体のロボットが砂漠を放浪するシーンのシュールさと来たら……最近になって第一作を見て「つまらん」と一言ですませた若者がいたが、非常によく分かる。観客の“対映画生理”は時代とともに変化していくし、第一作には、まだアメリカン・ニューシネマのダウナーな空気感が残っていたと思う。
“不朽の名作”ってのは幻想だよね。その瞬間だけ愛され、時代とともに忘れられていく作品の方が幸福な気もする。
何より心を打つのは、『ジェダイの復讐』が大ハッピーエンドで終わったのに、ルーカス本人は離婚しちゃうところだよね。(←実はハリソン・フォードも二回離婚しているが、ルーカスとは対照的なモテ離婚だからね)
ルーカスの元には養子のアマンダが残り、以降、ケイティ、ジェットと養子を迎え、男手ひとつで育て上げた。ルーカスは家族という名の帝国を築き上げたかったのだろうね。新三部作で一家全員がカメオ出演しているのは微笑ましいどころかうざったい限りだし、どこかいびつな愛情を感じるんだが、そうでもしないとルーカスの理想の帝国は完成しなかったのだね。
父親のいないアナキンがパルパティーンという“義父”に命を救われ、ルークとレイアがそれぞれ里子に出される新三部作のラストシーンは、なんとも痛々しい。血の繋がった親子関係が一切ないんだ。試写を観てルーカス本人が泣いたという話も何となく分かるような。彼は、言い訳は出来てもウソのつけない男だったんだ。
だから、俺が言いたいのは新三部作をダシにルーカスをいじめるなよ、と。あれは、映画に非常によく似た、別のメディアなんだ。
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