■余計なアプリ■
原稿終了と同時に落札通知が来たのが、このフィギュア。……コンセプトは悪くないんだよね。アメリカ人なりの精一杯の萌えを感じる。でも、見る目がある人は買わないはず。俺はこの違和感に2000円。『スター・ウォーズ』の新しいDVDは迷っている。あの原田眞人演出の日本語公開版が付くからだ。
(←俺の脳内では、こういう抱き合わせ状態なのだ)
仕事中、ずっとEP4~6まで流してたんだけど、俺は『SW』ではなく、ジョージ・ルーカスが好きなんだと分かった。監督じゃなくて、一妄想人として。ヘンリー・ダーガーと同列に語ってもいいぐらい。二作目以降は、大人の監督が撮っているので、あの鬱屈した妄想力が薄まってしまった。
さて、連日秋葉原で地道にネタ集めする「アキバBlog」さんの姿勢が、かつての俺にはよく分からなかった。だが、何となくその“場に寄せられる”感覚は分かるような気がしてきた。つまり、俺らが大学生だったバブル期の「とりあえず渋谷行こう」とか「六本木に行けば何とかなる」とか、“街に染まる”刹那的な安心感に近いんじゃないかな。俺だったら「下北沢に行けばモテる!」とか信じてたし。
その現場に“いる”ことによってアイデンティティを維持する。80年代の「渋谷をアメカジで歩けば、何とか“俺”でいられる」という感覚に似ている気がする。
「2ちゃんねるに巣食う連中は陰湿で嘘つきで信用できない」と言っている人はその人自身が2ちゃんねるに行くと「陰湿で嘘つきで信用できない」状態になるんだよね? それが嫌だから「そういう連中がいる場所だ」と決めつけてるんだよね? つまり、「陰気な人」が最初からいるわけじゃなくて、あなた自身や他の人が「陰気な人になる」わけだよね? 人間の属性なんて、そんな絶対的なものじゃないよ。自分で思っているほど強固でもない。俺だって、結婚したときは「結婚する人」にシフトが入ってただけだよ。今は「結婚より萌えフィギュアに価値を見出す人」になっているわけで……まあ、キャバ通いはそろそろやめようかと思ってるけど、そんな俺が周囲から「痛い人」だと思われているなら、俺という器に「痛い人属性」が流れ込んできたんじゃない?
だから、「俺からオタク趣味をとったら、何も残らない」というあきらめはナンセンスだよ。「人それぞれ」という割り切りもまったく意味がない。人というのは器にすぎないからさ。
もともと何もないところに、「オタク」というアプリケーションがささっているだけじゃないだろうか。それが深いか浅いか、痛いか気持ちいいかってだけだよ。
あえて語弊を招く言い方をすると、「イケメン」とか「スポーツ万能」というのもアプリケーションに過ぎないと俺は思う。優越感なんて人生のオプションに過ぎない。
さて、今日は歌舞伎町に『グエムル』を観に行った。昼間の歌舞伎町なんてひさびさだ。アーチェリーのお姉ちゃんは『リンダ リンダ リンダ』のボーカルの子なんだ。道理で好みの顔だ。
特撮怪獣映画という歪な伝統がない国だけに、発想もビジュアルも新鮮。日本映画には、東宝とか円谷とか余計なアプリが突き刺さったまんまだから、比較にもならんのよ。どこが、と言わないけど、DVDのジャケットを掲載させてもらおうと交渉したら「作品イメージを損ねないことが条件」ですよ? いい大人が「僕を傷つけたら承知しないぞ」って脅かしてるようなもんだ。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
アプリ良いです!
いや、「サプリ」って言葉が何というわけでもなく、何故か嫌いだったんですよ。でもアプリは良いですね。自分の中に取り入れて一体化する感じがある。それから照らし返して考えると、サプリってのが嫌いなのは、自分と取り入れるものとの間に妙に壁を感じるからなんですね。
今度からアプリ、頻繁に使うかもしれません。
投稿: 朝の銀狐 | 2006年9月12日 (火) 22時22分
■朝の銀狐様
いや、そんな深く考えて使った言葉じゃないですよ。何しろ「アプリケーション」という言葉を用語辞典で調べなおしたぐらいなので。しかも、必ずしも肯定的に使っているわけではないですし。
blogをやっていて気がついたのは、自分の言葉がけっこうストレートに人に届いてしまっていることですね。
何万部出していようが、雑誌ではこうもリアクションは返ってきませんからね。
投稿: 廣田恵介 | 2006年9月13日 (水) 03時36分