■ウェットが好き■
●近藤和久インタビュー
これはインタビュアーはヤマザキ軍曹で、僕は記事の形にまとめただけですね。他に山根公利さんも同席して、その夜は酒宴となったわけだけど、このメンツだとメカの話以外が出ないので、“メカ酔い”したのを覚えている。乗り物酔いみたいなもんだ。
●『トップをねらえ!』18年の空白
この特集記事のタイトルは、僕が考えた。リードは吉田シゲロウさん。もうちょっと「空白」の概念を説明して欲しかった(笑)。ようするに、前作『トップ』が「メカと美少女」の時代に幕を引き、その衣鉢(トップイズム)を継ぐ作品が現れなかった「空白」。新作『トップ』ですらトップイズムから大きく隔たったところに着地した。だから、余計に空白感が強調されていると思う。どうしてノスタルジアに逃げなかったのか、それは鶴巻監督のインタビューを読めば分かるはず。シメの文章は藤津亮太さんだけど、やっぱり「どうしてこうも立脚点が違うのか」について知的に読み解いている。
俺は途中の「科学講座」とか「作劇講座」を書いたのだけれど、図らずも「旧作トップは神」「アニメ史に残る感動大作」という歴史観に疑問符をつきつける特集にまとまったと思う。何しろ、鶴巻監督からしてそう言ってるもんね。ファンであることと作品を認めることとは、また違うんだよ。俺は『トップ2』のノノ(のルックス)が好きなんだけど、だからといってああいう絵でCDのジャケに載っても嬉しくないのよ。絵が悪いんでもキャラが悪いんでもない。
最近ずっと言ってるのは、コンセプトの問題なんだ。綾波とカヲルくんがダサイとか版権イラストが下手糞だと言っているのではなく、それで雑誌を構成するのが適切なのかが疑問なわけ。惰性や習慣でやっているとしたら、それは責められなければならない。
そういうことで言うと、グレメカの表紙もね……前から文句は言ってるんだけど、吉田氏の奥さんによると「この垢抜けなさがミリタリーファン向け」。だとしても、せめてロゴはもうちょっとカッコよく。
●オヤヂ酒場 『ゲド戦記』『ブレイブストーリー』/『時をかける少女』
前半が『ゲド』&『ブレイブ』、後半が『時かけ』。もうこの切り分けで熱意の差が歴然と分かるでしょ。藤津さんのハードジョークには相変わらずヒヤヒヤさせられるけど、「でも、そういうゲド戦記なら見たかったな」と思わせる。笑ってすませられるほど軽いジョークではない。吾郎監督のアニメ史観にすっぽり抜け落ちていた要素をぜんぶ言ってるから。
原稿ではカットしたけど、あの場で僕らが引き合いに出したのは『アキハバラ電脳組』の劇場版なんだ。『ゲド』より萌えアニメの方がマシと言っているわけでなく、トータルバランス的に、劇場版『アキハバラ』の方が優秀だよね、ということ。僕も藤津さんもテレビ版の『アキハバラ』をよく知らないのに、劇場版はちゃんと楽しめた。一見さんをどう受け入れるか、という課題を劇場映画はクリアしなきゃいけないんだよ。
●映像都市の文化誌 北海道・道北篇 『ハチミツとクローバー』/『天国の本屋・恋火』
おっと、自分の連載を忘れるところだった。タイミングよく『ハチクロ』を取り上げることが出来た。アニメの最終回は、原作のダイジェスト感を強調する形になってしまったと思う。回想シーンを丁寧に入れた分、余計にね。
原作は、あの森田を「負けさせた」のが見事だと思った。どうしてそうなったのか、真山が解説しているのも念が入っている。真山の台詞には、クリエイターとしての羽海野チカの業を感じる。今更だけど、はぐっていうキャラは羽海野先生の自画像だよね。はぐだけが陰画のように反転して見える(ようするに、つかみどころがなく感情移入が困難)のは、はぐが作家の心の中から出て来れていなかったからだろう。だから、最後の最後になって怪我をさせて“肉体”を与えたんだ。あのアクシデントによって、読者は、やっとはぐというキャラをつかめた。同時に、羽海野先生の心からはポンと離れたんじゃないだろうか。それでようやく、物語を終わることが出来たんだ。
はぐの体が傷ついた分、羽海野先生の心も傷ついたんじゃないかな。『ハチクロ』は、はぐを作家から乳離れさせる瞬間が“終わりどき”だったんだと思う。
ちなみに、この記事にはちゃんとアニメ版のはぐの画像がカラーで載ってるよ。しかも、一番いいカット。以前、グレメカに『ヨコハマ買出し紀行』を載せられたときも、ひそかにガッツポーズをとったものよ。どうも、俺はカッチリと硬派なものより、ウェットなものの方が好きだ。だから、みんながメカの本をつくっているとき、やんわりと抵抗するのだよ。みんなが同じ方向を向いているのは、つまんないからね。
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