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2006年9月29日 (金)

■ラビィの肩甲骨■

辰巳出版「フィギュア通信」 Vol.1 発売中!
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●美少女フィギュア、その純なる歴史
「萌える像」、「タミヤ人形改造コンテスト」、「キャンパスフレンズセット」、そして、俺自らデザインナイフで指を切りながら体感したガレージキット創成期。文章には書かなかったけど、WAVEの『ガルフォース』シリーズ特典フィギュア「全裸のラビィ」の肩甲骨を掘ったのは俺です。美少女モノを造形したのって、その肩甲骨だけだった。怪獣専門だったから。
こういうジジィの体験や知識は、ちょっとだけ若者の役に立てばそれでいいよね。不思議なことに、当時は美少女モノを見て「うまい!」「かわいい!」と思うことはあっても、自分でつくろうとは思わなかった。トーントーンは大好きで、人形改造コンテストに応募したのにさ。でも、不思議なもんでバンダイのラムちゃんはポーズ変えに衣装バリエーション、と3体はつくったんだ。当時はエアブラシを使って、ラムちゃんのイラストも描いてた。丸ペンとポスターカラーの時代だったね。

でも、ラムちゃんのキットを改造しても似顔絵を描いても、興奮もしなければ支配欲も沸かなかった。モチベーションが思い出せない。ラビィの肩甲骨は、WAVEさんの作業場にあったヌードグラビアを参考にしたけど、別に何とも……怪獣のウロコ彫るみたいな気分だった。これは俺が正常なのではなく、何か情緒的な欠損を抱えていたことの証拠じゃないか。ひたすら「作業」をこなしていたような気がする。

●「新世紀エヴァンゲリオン」定番製品 完全紹介
これはまあ、カタログですね。各メーカーさんとのブッキングに追われまくり、せっかくのコラムも雑駁なものになってしまった。つまんなかったら、容赦なくクレームをつけていただきたい。

さて、今日は『コードギアス 反逆のルルーシュ』のマスコミ試写。
Ca270032話しているのは、竹田靑滋プロデューサー。向かって左端は、僕をサンライズに入れてくれた内田健二さん。辛うじて僕の顔を覚えていてくれた。
で、入り口に藤津亮太さんがいたので、嫌がるのを無理して隣に座って、いろいろ愚痴聞いてもらっちゃった。やばい。俺、藤津さんのこと好きかも。
まあ、そんな話はともかく、 アニメ自体は禁断の力を手に入れた美少年、ヨーロッパ調貴族趣味満点、メカ戦たっぷり、PCゲーム調(と、俺には見えた)学園ドラマあり、謎も陰謀もあり、血も出れば泣かせもある、と5本ぐらいのアニメをすべてぶち込んだような壮大なもの。これ一本見てれば、他のアニメ5本分は切り捨てても構わないぐらい。

先日、チマチマといろんな作品を見てれば線香花火的な感動は得られると書いたけど、『コードギアス』は一本でやっちゃってる。美少年は分からないけど、メカ戦は最高、とかさ。CLAMPは嫌いだけど、安田朗さんのメカは好きだとかさ。満漢全席なんだけど、全部を食べる必要はない。そういうつくりになっている。一個一個の要素が立ってるの。
060929_21370001(←バンダイのボーイズからの商品化第一弾は美少年フィギュアだし)
ファンサイトでオフ会開いたら、みんな別々の方向向いて話がかみ合わないかも知んない。それを一本のアニメでやっちゃう。感動のタグが、いくつも、何種類もぶら下がってる。
だから、多様性があるってのは強いよ。組織だけじゃなくて作品も。ちょっと無作法じゃないかと思える要素を入れといた方が、万が一のとき、一方向に倒れなくてすむからさ。俺がBLに目覚めても不思議じゃないよ。来年の今ごろは、美少年フィギュアがブームかも知れない。

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2006年9月28日 (木)

■イントレランス■

赤坂にて、アニメ『デスノート』完成披露試写&記者会見。と言っても、俺は取材ではなく、メーカーさんの好意で招待していただいただけ。携帯で写真撮ってるのなんて俺一人だったよ。Ca270031
左から、宮野真守さん、山口勝平さん、工藤晴香さん(はぐ! ハルカ!)、平野綾さん、荒木哲郎監督、中谷俊夫プロデューサー。
もともと、中谷プロデューサーに取材したのが発端だったんだけど、「文章の達人! ああまで行間を埋めてくれると、俺が頭いい人みたいに読めるね!」と声をかけてくれました。この人のチャームは、剛速球しか投げられないところ。蛮勇と言ってしまってもいいぐらい。作品も堂々たる出来ばえだった。そして、そんな中谷Pのインタビューの載る「アニカンR」は30日発売予定。

まあ、こういう明るい話題ばかりだといいんですけどね。
昨夜、パチンコ・メーカーに勤めている知り合いから電話があって、版権モノのパチが出来たから来年の発売を楽しみにしてほしい、と。ところが、俺に聞くわけだよ。「原作者の先生が太鼓判を押してくれたのに、アニメ化を担当した制作会社の版権管理部がゴネて、2ヶ月も作業がストップしましたよ! アニメ界ってそうなんですか?」 そういうことは俺みたいな三流じゃなくて、もっと偉い人に聞いてくれ。

午前中は、デザイナーのgakky先生から紹介された恐竜骨格模型の撮影立ち合い。
060928_10550001骨の美しさはカメラマン氏や編集者の理解を得られたようだけど、「廣田さん、萌え系は押入れにでも隠しているんですか」と軽犯罪者扱い。
前にも書いたように、セクシャルなものって何にでも融合する。擬人化なんて、諸星大二郎の『生物都市』並の勢いだもんね。もっと言うなら、萌えっていうのは何でも許容するんだ(少女と化石、なんて組み合わせは押井守がやっている)。今まで俺は「萌えとミリタリー」という対立項で考えてきたが、実は「女性と男性」がその実相なのかも知れない。ものすごーく、古風なテーマなのかも知れないね。

さて、明日は『コードギアス』のマスコミ試写です。

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2006年9月27日 (水)

■ポケットに名作を■

災害救助モノの映画のアイデア出しを頼まれていて、ようやく時間が出来たので、もう本筋そっちのけ、引きこもり少女の失恋話に仕立てて送る。プロデューサーからは24時間たっても返答なし。調子に乗りすぎたかな?
060925_17530001関係ないけど、「出版業界最底辺日記」は、なかなか元気づけられる本だ。1990年の有害コミック撲滅キャンペーンに関して「一ツ橋の腰抜けサオ師編集者が風邪をひけば、下請け三流エロ漫画編集者は末期ガンになるという、典型例」とバッサリ。この感覚、下請け孫請けの三流ライターにはよ~く分かる。

昨日。アトリエSさんが新製品をW社のスタジオに持ってきてくれたので、撮影立ち合い。PVC製の萌えフィグについて、いろいろと裏話が聞けて参考になった。
中でも面白かったのは、「ひょっとしてブログでレビューを書くのが目的でフィギュアを購入しているユーザーもいるのでは?」という指摘。だから発売直後は勢いが良くても、長く売れる商品(あるいはキャラクター)が減ってきているんじゃないだろうか。
「レビューのために買う」というのは、毎日食べたものの写真をブログにアップする感覚に近い。出来れば毎日レビューしたいわけだから、長持ちしなくても品数が多いほうがいい。アニメがいっぱい放映されたり配信されたりしているのも、似たような理由かも知れない。つまり、フィギュアを買ったりアニメを見たりするのが生理になってるの。
食べ物の記録をつけたい人は、なるべく色んなお店で毎日違った食事の写真を撮りたいわけだよね。だから、どうしても雑食性になる。アニメも同じじゃないの? 1クールか2クールずつショートスパンで見ていって、たまに『仮面ライダー』も混ぜてみたり、 Gyaoで『エウレカ』を見たりさ。もちろん、好き嫌いはあるにしても。

そして、そういう生理の中で「なかなか美味い」とか「ちょっとイマイチ」とか線香花火的な060927_04180001感動は絶えず起きている。「まずかったから、金返せ」って気分にはならない。まずいならまずいなりに、ネタにはなるじゃない。
熱狂的『エヴァ』ファンだったメグロくんが「新作映画が決定したのに、意外にみんな大騒ぎしないんだね」と怪訝な顔をしていたけど、そういうお前も、やけに冷静じゃん、と。つまり、歴史的・記念碑的アニメをみんな求めなくなったのかも知れない。
メルクマールは、個人の生理の中にあればいいんだよね。「日経キャラクターズ!」が休刊したのは「オタク文化全体を俯瞰で見渡す」ことに意味がなくなったからでもあると思う。今は携帯電話みたいに、それぞれのポケットに入る作品さえあればいい。ちょっと前まで俺も「アニメの本数が多すぎる」とほざいていたけど、逆に多くないとけいないんだよね。雑食するためには。

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2006年9月24日 (日)

■へしおったフラグ■

先日つい悪態をついてしまった「日経キャラクターズ!」の取材で、パルパティーン皇帝役のイアン・マクダーミド氏に会ったのは去年の夏。
060924_15110001イアン氏を5誌ぐらいの記者が囲んで、順番に質問していく形式だったのだが、最後に通訳の女性が言った。「皆さん、どうやら彼の好みのタイプばかりみたいですよ。朝なのに機嫌が良かったのは、そのせいなんです!」
その場にいたのは全員小太りの男ばかりで、痩せているのは僕だけだった。もし僕に男色の気があれば、イアン氏とお近づきになるチャンスだったと思う。
なんでこんな話をしたかというと、「ぺ・ドゥナと付き合うには、まず取材という形で会うのが一番では?」とシミュレートしたら、イアン氏の顔が思い浮かんだからだ。

ぺ・ドゥナの映画を見ていたら、なぜか無性に王子バーに行きたくなったので、メグロくん夫婦を吉祥寺に呼びつけて行ってきた。
060923_18250001まず一階のメイド居酒屋で添加物満載の料理に舌鼓を打ってから、三階のPrinceへ。お目当ての王子はいなかった。これで2回も会うのに失敗した。今は、そういう“流れ”なんだろうと思う。
ガックリして店を出ると、交差点のところで「いつもありがとうございます」と後ろから声をかけられた。よくよく聞くと、メイド居酒屋のカウンターで働いていた店員さんだった。私服だから分からなかった。俺がメイド狙いの客だったら、これフラグもいいとこですよ? 「ちょっとお茶でもどうですか?」という展開は無理にしても、「駅まで一緒に行きましょう」は大アリ。可愛い子だったんだけど、俺はキャバ通いのバツイチ中年のハゲ男なんすよ。だから、このフラグは俺のものじゃないと思った。実にもったいない。
こんな幸運もあるんだから、メイド系飲食店の子にマジ恋している野朗ども、可能性はゼロじゃないぞ!

昨夜は本田透さんの話題も出たんだけど、ご本人の写真を見ると意外にヲタっぽくなくてガッカリされるとか。俺の尊敬する根本敬さんも「女なんか構っていられない」と言いながら、写真を見ると実に男らしい。村崎百朗さんも目だけ見ると優しいんだよね。
今あげた人はオタクだけじゃないけど「ヲタとモテ」は、個人の柔らかい部分に接する問題だから、反発を招きやすいテーマだ。俺は17か18の頃が初体験だったんだけど、その相手からすら「髪型が気持ち悪い」とか「服が汚れていて臭い」とか、さんざん言われてました。俺の人生の中で、最もオタク濃度が高かった時期でもあるんだよ。
恋愛の実体験と脳内でのオタク嗜好は二重らせんのように付かず離れず共存しつづけるものじゃないかな。それが合致する瞬間というのは、40歳に手がとどきそうな僕でも味わったためしがない。ただ、何のコンプレックスもないイケメンどもよりは意義深い人生が待っている、それは間違いない。参考例として、僕の大好きな「RO ある恋の話」をリンクさせておく。

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2006年9月23日 (土)

■海洋堂ならヘルス嬢でも知っている■

「フィギュア王」 104号 25日発売!
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●Toy's NEW ARRIVAL 新作情報
やはり、萌えフィギュアというのは説明文が難しい。「LEON」をパクって書いていたら、「ですます調がヲタっぽくて痛い」と編集に注意された。例えば「制服キャラとしてはひさびさのクリーンヒットといえましょう」がNGだとしたら、「制服を着たキャラクターとしては、近年まれになかった見事な成功例と言えそうだ」の方がいいんだろうか? それって、「萌えのモード」に合った文章か? やはり萌えは恥と自虐の文化だ。次号で「ですます調」が消えていたら、俺の負けだと思って欲しい。

●ピュグマリオンの小部屋
今回から「ドール最新情報」と副題がついて、新製品コーナーに徹することになった。これは対象読者を読みきれなかったね。俺のドールへの入り口は、吉田良、澁澤龍彦だったから、女性向けにページをつくるのには無理があったのかも知れない。

●BRICK KINGDOM Vol.8
●VARIABLE RIDE 6th Ride

上記二つのコーナーについては、次号より別のライターさんにお願いすることになった。レゴの魅力、河森正治の魅力を俺だけが伝えるのは片寄っている、と前から意見していたからね。俺のラストの仕事は奇しくも『ガンヘッド』となった。他人に書かれなくて、良かったよ。

●『リーンの翼』のオーラちから Vol.3
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最終回になる今回は、富野監督不在なので第5話を中心にした名台詞集という形になった。版元の用意した画像データだけを使って、いかに読者を立ち止まらせるか。しかも、『リーン』はタイアップじゃなくて、俺と担当編集たった二人が勝手にプッシュしている作品。勝手に応援しているわけだから、最新情報が優先的に回されてくるわけじゃない。そうなると、純粋に構成力で勝負するしかない。何度も作品を見て、記事の狙いを明確にせねば。「今回の台詞の選定は、物語のキーでありながら物語から切り離しても普遍性のあるものが基準になっています。だから、「お前様」とか、局所的に面白い台詞は入らなかったのです。逆に「セックスは戦争」なんていう下世話な台詞は欠かせないのです。それを考えると、リュクスは独白や説明が多く、主張の強い普遍的な台詞が皆無に等しいのです。写真も見直してみましたが、考え込むような暗い表情ばかりです。よって、リュクスが「華」になるとは、どうしても思えません。」 編集者へ送ったメールの一部。「人それぞれ」なんて言う前に議論が必要。

例えば、あさのまさひこさんの文章に、萌えフィギュアに対する「いわくいいがたい恥ずかしい賞賛」を認めて胸のつかえが下りた人はいると思う。しかし、いま必要なのはハイエンドなPVC製萌えフィギュアを「一般向けに」「浅く」「とっつきやすく」語る言葉、文体だ。
ガンプラが素晴らしいなんて誰にでも書ける。萌えフィグが素晴らしいなんて書くには、まず勇気がいる。僕が語りたいフィギュアには、海洋堂なんていうヘルス嬢でも知ってるブランドネームはないんだからね(そのヘルス嬢は大阪在住だったが)。
萌えフィグというのは、オタク文化の最前線に放置されている。誰もが恥とためらいを隠せない「痛い」趣味。だからこそ腑分けが必要だ。
「サービス満点の造形がナイスですね」(レプリカントVol.25より)なんて、そんな逃げ口上を書くなら、俺は白紙で原稿を出すよ。

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2006年9月22日 (金)

■豊穣の秋■

アニカン Vol.6  配布中!
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●ブロッコリー 木谷高明会長インタビュー
ついこないだ「ブロッコリーに行ってくる」と書いたばかりなのに、もう刷りあがったんだ。早いねえ。萌えを長期的視野でビジネス化したのは、ブロッコリーが最初だろう。記事はライトにまとまっていると思うが、萌えビジネス(いや、「美少女特化キャラクタービジネス」と呼ぶべきか、この会社の場合)の底知れなさを体感した取材だった。
で、それをフリーペーパーで書かせてもらえた、というのは非常に幸せだ。俺は木谷会長の人生を垣間見たけど、読者は「ギャラクシーエンジェルの新作、楽しみだな!」と読み捨ててくれればいいんだよ。情報の鮮度が落ちないうちに。

キャラクタービジネスといえば、俺の離婚の契機となった思い出深い雑誌「日経キャラクターズ!」が休刊になってたんだね。知らなかったよ。
060922_03330001創刊準備号から関わっていたから、ちょうど3年ぐらいの付き合いか。最初の頃は、手探りで何でも取材していく現場主義に共感していたけど、どんどんタイアップが多くなっていってね。ガンプラ特集なんて苦心惨憺して一人で書いたのに、表4にアッガイの広告がドーンと載っていて「俺はバンダイの太鼓持ちか」と赤面したものよ。いや、広告なら広告だと最初に言ってくれれば割り切って仕事できたんだ。
お世話になった方々には頭が上がらないけど、そりゃ休刊にもなりますよ。キャラビズを追っていくはずがキャラビズそのものをやり始めたら、もうメディアとしての主張を放棄したも同然。ボトムズの別冊を拝見したけど、もう乾いた笑いしか出ない。「ボトムズ・アライヴ」と並べると俺の言いたいことが分かると思う。つまり、作品ごとにムックのつくり方は変わるはずで、読者はそこを厳しく見極めて、無駄なお金を使わないでほしい。
それは立体物を買うのでも同じ。ボトムズのプラモは、ガンプラの箱の中には入らないんだよね。そんな製品が出たとしたら、たとえ数百円でも買っちゃダメよ。

昨日、ちょっと岬洋子のことを書いたけど、あれは『ゴーダム』を見ろって意味じゃなくてね。興味を持った人間なら、たとえ止めても調べるんだよ。「古いアニメなんか見なくていい」というのは黙っていても発掘する若い人がいるから。忘れちゃいけないのは、『ハルヒ』もTYPE-MOONもいずれは考古学になるってことだ。だから、今の人間は今を精一杯盛り上げよう。ああ、そろそろ王子バー行きてぇな……

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2006年9月21日 (木)

■岬洋子の前髪■

三日連続で締め切りが続くという事態に見舞われている。次の締め切りまで24時間。次号のEX大衆は面白いことになりそう。いやー、こんなに見てないアニメがあるとは知らなかった。
060921_03170002それで、今回はネットの助けを借りたわけだけど……いいね、岬洋子! 今すぐ萌えたい人は検索してオープニングを見てごらん(どこで見られる、とまでは言いません)。ひさびさにこう、形と色と動きにときめきを感じたね。これが少年だったり老人だったりしたら、ぜんっぜん意味ないよ。俺の脳が「ボーイッシュな女の子だ」と認識するから快感が生まれるわけだよね。そこをすっ飛ばして物事の「テクニック」と「メカニズム」しか見ない人、俺は嫌いだね。
俺は今さっき、グラビア用ポエムを書き終えたばかりだけど、もちろん編集部から渡されたアイドルの写真やプロフを参考に妄想して書くわけ。でも、その妄想の感触ってのはレア(生っぽい)。過去の体験や印象をリミックスしている。
それに比べてどうなんだろう、この岬洋子のカットを描いたアニメーターの妄想の起源、動きのルーツは、「実際に目にした何か」の印象なんだろうか? スタジオの屋上におかっぱの女の子を連れて行って髪の動きを観察したのか? いやいや、まさか。
じゃあ、どうやってこの艶かしさを手で描けたのだろうね?

そういうことを考えると、「たかが二次元、平面の上でのこと」なんて間違っても言えない。
060918_17570001先日、ある会話がきっかけで思い出したんだけど、俺は感動した映画(小学6年の時にテレビで見た『ダウンタウン物語』)をコミカライズ、つまり手描きで漫画にしたことがあった。サントラも買ったけど、それは漫画のための資料。感動したら漫画にする、というのが当時の俺には当たり前に感じられた。ビデオなんかないから、ストーリーは思い出して描く。
全国に似たような遊びをやった人が何万人という単位でいるような気がする。もちろん、漫画家になるための鍛錬でも何でもなく、遊びで。

ただ、さっきの岬洋子の前髪の動きを描いたアニメーターは、それを「色っぽく」とか「洒落た感じに」とか狙いをこめてやってるわけだよね。もっと言うと、無から萌えをクリエイトしているわけだよね。フィギュアもそう。イミテイトじゃなくてクリエイト。参照すべき実物がないから。いかんいかん、まだ考えることが沢山あるね。

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2006年9月18日 (月)

■萌えの魔の手■

「萌える!自衛隊最新ガイド」 発売中
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●「自衛隊に対する“萌え”のメカニズム」執筆
島田フミカネ、MS少女、プラモのモ子ちゃん、『ぼくらの七日間戦争』、イラク派兵、日航ジャンボ機墜落……理論武装とまでは言わなくとも、柳の下の四匹目あたりの本なら、(たった2ページだけど)これぐらいは書いておかないと。
いずれ、「萌え本ブーム、あったよなぁ」と古本屋で手に取られる時が来るんだから、そのタイトルを恥じてはいけないよね。

「我が自衛隊、かく戦えり」
映画やアニメの中での自衛隊戦史。これは編集部の用意したリストをピックアップして画像を用意して、ラフ切ってネームを書いて……という「作業」だったので無署名だけど、ちょっと意地を張って『リーンの翼』を入れてみたり。

で、この2つの記事の間に各ライターが「私は○○萌えです」みたいなことを語るコーナーがあって、そこを一番読んで欲しい。映画『最終兵器彼女』のちょっとした裏話になっているから。俺は、ちせという存在をちゃんと考証して描くべきだと思っていた。でも、専門用語を投入すればするほど、「この映画はマニアのためのものじゃない」と反発された。逆だと思ったね。マニアが唸るぐらいの説得力を持たせないと、一般の観客にも薄っぺらさがバレてしまうから。『タイタニック』だって、冒頭で巨船が沈没にいたる周到なシミュレーションが出てきたじゃないか。作り手が観客以上に無知であることは許されないのですよ。

さて、僕は中学のとき、ミリタリーモデラーだった。当時はタミヤニュースを購読していたんだけど、読者の投稿ページに「シャーマン戦車をピンクに塗っている」と書いている女の人がいてビックリした。その女性はプラモデルの戦車に萌えていたわけだけど、模型の世界って「女人禁制」のムードがあるから、あまり理解はされなかったように思う。
うっかり見落としていたけど、ミリタリーと女の子を結びつけたキーパーソーンで鳥山明は重要だね。あったあった、このへんの。これだったら笑って許せるというか、ミリタリー独特の硬さに対して緩衝材として女性キャラが作用している。すると、哲学を少女キャラを介して口当たりよくした『ソフィーの世界』なんかも、『もえたん』と変わらない気がしてくる。
萌え本っていうのは、『マンガ日本の歴史』みたいな“絵解き”でしょ。セクシャルなものって何にでも応用可能じゃない。「ああ、俺の好きなミリタリーの世界が萌えキャラに犯されていく!」……ミリタリーで萌え嫌悪の人たちは「貞操の危機」を感じているんじゃないかな。潔癖なんだと思う、彼らは。

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2006年9月16日 (土)

■ウェットが好き■

「グレートメカニック」 22号 発売中!
Gm22

●近藤和久インタビュー
これはインタビュアーはヤマザキ軍曹で、僕は記事の形にまとめただけですね。他に山根公利さんも同席して、その夜は酒宴となったわけだけど、このメンツだとメカの話以外が出ないので、“メカ酔い”したのを覚えている。乗り物酔いみたいなもんだ。

●『トップをねらえ!』18年の空白
この特集記事のタイトルは、僕が考えた。リードは吉田シゲロウさん。もうちょっと「空白」の概念を説明して欲しかった(笑)。ようするに、前作『トップ』が「メカと美少女」の時代に幕を引き、その衣鉢(トップイズム)を継ぐ作品が現れなかった「空白」。新作『トップ』ですらトップイズムから大きく隔たったところに着地した。だから、余計に空白感が強調されていると思う。どうしてノスタルジアに逃げなかったのか、それは鶴巻監督のインタビューを読めば分かるはず。シメの文章は藤津亮太さんだけど、やっぱり「どうしてこうも立脚点が違うのか」について知的に読み解いている。
俺は途中の「科学講座」とか「作劇講座」を書いたのだけれど、図らずも「旧作トップは神」「アニメ史に残る感動大作」という歴史観に疑問符をつきつける特集にまとまったと思う。何しろ、鶴巻監督からしてそう言ってるもんね。ファンであることと作品を認めることとは、また違うんだよ。俺は『トップ2』のノノ(のルックス)が好きなんだけど、だからといってああいう絵でCDのジャケに載っても嬉しくないのよ。絵が悪いんでもキャラが悪いんでもない。
最近ずっと言ってるのは、コンセプトの問題なんだ。綾波とカヲルくんがダサイとか版権イラストが下手糞だと言っているのではなく、それで雑誌を構成するのが適切なのかが疑問なわけ。惰性や習慣でやっているとしたら、それは責められなければならない。
そういうことで言うと、グレメカの表紙もね……前から文句は言ってるんだけど、吉田氏の奥さんによると「この垢抜けなさがミリタリーファン向け」。だとしても、せめてロゴはもうちょっとカッコよく。

●オヤヂ酒場 『ゲド戦記』『ブレイブストーリー』/『時をかける少女』
前半が『ゲド』&『ブレイブ』、後半が『時かけ』。もうこの切り分けで熱意の差が歴然と分かるでしょ。藤津さんのハードジョークには相変わらずヒヤヒヤさせられるけど、「でも、そういうゲド戦記なら見たかったな」と思わせる。笑ってすませられるほど軽いジョークではない。吾郎監督のアニメ史観にすっぽり抜け落ちていた要素をぜんぶ言ってるから。
原稿ではカットしたけど、あの場で僕らが引き合いに出したのは『アキハバラ電脳組』の劇場版なんだ。『ゲド』より萌えアニメの方がマシと言っているわけでなく、トータルバランス的に、劇場版『アキハバラ』の方が優秀だよね、ということ。僕も藤津さんもテレビ版の『アキハバラ』をよく知らないのに、劇場版はちゃんと楽しめた。一見さんをどう受け入れるか、という課題を劇場映画はクリアしなきゃいけないんだよ。

●映像都市の文化誌 北海道・道北篇 『ハチミツとクローバー』/『天国の本屋・恋火』
おっと、自分の連載を忘れるところだった。タイミングよく『ハチクロ』を取り上げることが出来た。アニメの最終回は、原作のダイジェスト感を強調する形になってしまったと思う。回想シーンを丁寧に入れた分、余計にね。
原作は、あの森田を「負けさせた」のが見事だと思った。どうしてそうなったのか、真山が解説しているのも念が入っている。真山の台詞には、クリエイターとしての羽海野チカの業を感じる。今更だけど、はぐっていうキャラは羽海野先生の自画像だよね。はぐだけが陰画のように反転して見える(ようするに、つかみどころがなく感情移入が困難)のは、はぐが作家の心の中から出て来れていなかったからだろう。だから、最後の最後になって怪我をさせて“肉体”を与えたんだ。あのアクシデントによって、読者は、やっとはぐというキャラをつかめた。同時に、羽海野先生の心からはポンと離れたんじゃないだろうか。それでようやく、物語を終わることが出来たんだ。
はぐの体が傷ついた分、羽海野先生の心も傷ついたんじゃないかな。『ハチクロ』は、はぐを作家から乳離れさせる瞬間が“終わりどき”だったんだと思う。

ちなみに、この記事にはちゃんとアニメ版のはぐの画像がカラーで載ってるよ。しかも、一番いいカット。以前、グレメカに『ヨコハマ買出し紀行』を載せられたときも、ひそかにガッツポーズをとったものよ。どうも、俺はカッチリと硬派なものより、ウェットなものの方が好きだ。だから、みんながメカの本をつくっているとき、やんわりと抵抗するのだよ。みんなが同じ方向を向いているのは、つまんないからね。

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2006年9月14日 (木)

■ルックスを考えよう■

「EX大衆」 10月号 明日発売!
Ex11
●アイドルのキス顔 Vol.1 「安藤沙耶香」 ポエム執筆!

立ち読みする人もいなさそうだし、ちょっと語句をピックアップ。

「何の刺激もない高校生活に倦怠している僕には、校庭に出る気力もない」…これ、クレイジーケンバンドの『7時77分』だよね。

「9月の夜の都会の空」…稲垣足穂だよね。モロだよね。

「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」…江戸川乱歩だよね。さすがに、これは引用を明記したけど。

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念願の「セクシーグラビアの横にある痛いポエム」、ついに実現! しかも連載。プロになる前から、グラビア誌のポエムは書いてみたかったんだ。童貞ドリームだよね。大好きなんだよ、こういう世界。
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そして、地元のキャバクラで『Groovin’Magic』を手渡された俺。指名料の分だけ?タダでくれた。しかし……だっせぇジャケット(笑)。「いやいや、曲自体はポップなんだよ」と力説する俺は、そうとう痛々しかったと思う。
前に、アニメはサブカルチャーではなくなったのに、アニメの「ルックス」だけはダサいまま、と書いた。アニメ誌の表紙もそう。
サントラのジャケットでいえば、菅野よう子さんのプロデュースだと、そこそこアニメっぽさから離れている。それでも、「アニメにしては」という条件付きだよね。裏をめくると、ズビビッとセル画のキャラがいたりするもん。

俺らの年代でアニソンの話になると、「主役ロボの名前が入っていると燃える」「必殺技の名前を叫ぶと最高」とかいう話になる。もう30代、40代にとってアニソンは軍歌みたいなものだ。そんな俺らが「今のアニソンは堕落した」なんて言っても、若い人はスルーするように。
関連グッズのひとひとつにまでルックスにこだわったアニメって『フリクリ』ぐらいだよね。
060914_13180001←主題歌のジャケがこれだもん。明らかに垢抜けている。
『フリクリ』はDVDのジャケも最高だった。グラフィック・デザインという概念がある。

じゃあ、恥ずかしくないアニメはスタジオ4℃の作品なのか、とかそういう問題でもない(あれはあれで、別の落とし穴に落ちている気がする)。つまり、送り手側に、ユーザーを啓蒙しようという意識がないんだよ。ファンをなめてる。アニメ雑誌の版権イラストなんて、どれ一枚として鑑賞に耐えない。それさえ載せておけばアニメ誌になる、という考えが怠慢なんだ。それで仕事をした気になっている。作品に愛があるなら、ルックスを考えろということだ。
原作付アニメだったら、原作者の書き下ろしジャケだったりするじゃん……当事者意識がないよ。
今度出る初代ガンダムのDVDのジャケなんて、保守的すぎて反吐が出る。コンセプトに確固たる信念さえあれば、ギトギトのアニメ絵でもぜんぜんオッケーなのにさ。

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2006年9月12日 (火)

■余計なアプリ■

原稿終了と同時に落札通知が来たのが、このフィギュア。……コンセプトは悪くないんだよね。アメリカ人なりの精一杯の萌えを感じる。でも、見る目がある人は買わないはず。俺はこの違和感に2000円。
060912_02050001『スター・ウォーズ』の新しいDVDは迷っている。あの原田眞人演出の日本語公開版が付くからだ。
(←俺の脳内では、こういう抱き合わせ状態なのだ)
仕事中、ずっとEP4~6まで流してたんだけど、俺は『SW』ではなく、ジョージ・ルーカスが好きなんだと分かった。監督じゃなくて、一妄想人として。ヘンリー・ダーガーと同列に語ってもいいぐらい。二作目以降は、大人の監督が撮っているので、あの鬱屈した妄想力が薄まってしまった。

さて、連日秋葉原で地道にネタ集めする「アキバBlog」さんの姿勢が、かつての俺にはよく分からなかった。だが、何となくその“場に寄せられる”感覚は分かるような気がしてきた。つまり、俺らが大学生だったバブル期の「とりあえず渋谷行こう」とか「六本木に行けば何とかなる」とか、“街に染まる”刹那的な安心感に近いんじゃないかな。俺だったら「下北沢に行けばモテる!」とか信じてたし。
その現場に“いる”ことによってアイデンティティを維持する。80年代の「渋谷をアメカジで歩けば、何とか“俺”でいられる」という感覚に似ている気がする。

「2ちゃんねるに巣食う連中は陰湿で嘘つきで信用できない」と言っている人はその人自身が2ちゃんねるに行くと「陰湿で嘘つきで信用できない」状態になるんだよね? それが嫌だから「そういう連中がいる場所だ」と決めつけてるんだよね?
060912_20090001 つまり、「陰気な人」が最初からいるわけじゃなくて、あなた自身や他の人が「陰気な人になる」わけだよね? 人間の属性なんて、そんな絶対的なものじゃないよ。自分で思っているほど強固でもない。俺だって、結婚したときは「結婚する人」にシフトが入ってただけだよ。今は「結婚より萌えフィギュアに価値を見出す人」になっているわけで……まあ、キャバ通いはそろそろやめようかと思ってるけど、そんな俺が周囲から「痛い人」だと思われているなら、俺という器に「痛い人属性」が流れ込んできたんじゃない?
だから、「俺からオタク趣味をとったら、何も残らない」というあきらめはナンセンスだよ。「人それぞれ」という割り切りもまったく意味がない。人というのは器にすぎないからさ。
もともと何もないところに、「オタク」というアプリケーションがささっているだけじゃないだろうか。それが深いか浅いか、痛いか気持ちいいかってだけだよ。

あえて語弊を招く言い方をすると、「イケメン」とか「スポーツ万能」というのもアプリケーションに過ぎないと俺は思う。優越感なんて人生のオプションに過ぎない。

さて、今日は歌舞伎町に『グエムル』を観に行った。昼間の歌舞伎町なんてひさびさだ。
060912_13230001アーチェリーのお姉ちゃんは『リンダ リンダ リンダ』のボーカルの子なんだ。道理で好みの顔だ。
特撮怪獣映画という歪な伝統がない国だけに、発想もビジュアルも新鮮。日本映画には、東宝とか円谷とか余計なアプリが突き刺さったまんまだから、比較にもならんのよ。どこが、と言わないけど、DVDのジャケットを掲載させてもらおうと交渉したら「作品イメージを損ねないことが条件」ですよ? いい大人が「僕を傷つけたら承知しないぞ」って脅かしてるようなもんだ。

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2006年9月10日 (日)

■下敷きをスキャン■

歩いて10分のところにアニメスタジオがあるので、原稿の合間に素材もらいに行ったりできる素敵環境。それが三鷹。ペルシャとかマミのポジを借りてきた。
060908_12530001ブロッコリーの会長さんは、やはりカッコよかったぞ。(どうせ誰も読んでないだろうけど)「フィギュア王」103号に載せられなかった富野監督の言葉が頭をよぎった。確か、こんなやりとりだった。
「でも、『リーンの翼』のDVDが売れないと監督は困りますよね?」
「なんで困るの? 僕は『リーン』が百年後に残ってくれれば、それでいいもん」
「百年ですか?」
「少なくとも、十年後に残す勢いでつくらないと、みんな2~3年で忘れちゃうから」

まあ、今は半年前の作品ですら覚えきれないけど……今、オタクに必須なのは知識や教養じゃないんだよ。別に『ヤマト』なんか見てなくても平気だから。本気で、昔のアニメを見る必要なんかないと俺は思う。そんなことより、イベントや握手会に並ぶことの方が大事だって。そのライブ感というか即時的な“現場感”をいかに早く濃く味わうかが、今のオタクにとっての課題なんだよ。
それを「間違っている」などと言う権利は、誰にもない。残酷なことを言うけど、声優さんが亡くなるたびに泣くのは旧世代だけでいい。

今回はかなり無理をして古い作品の画像を集めていて、スタジオにポジがない場合は当時売られていた「下敷き」をヤフオクで落札してスキャンという荒業も駆使している。アニメ文化って素晴らしいよね。黒沢映画の下敷きなんかないもんね。
で、ヤフオク使ったのは初めてだったけど、これなら絶版になった萌えフィグが買えるじゃん! 絶版っていっても、半年とかそのぐらい前のだよ。PVC完成品ですよ。
Yui03(←こういう年代ものは、地方の模型屋で丹念に探した方が楽しいぞ)
だから、ヤフオクもそうだし、スピードだよ。今のオタクが獲得しなきゃいけないアビリティは。
きっと十年後、「あの頃のアニメは、やけに数が多くて、DVDなんか買ったそばから売ってたよね」と懐かしむ時代がくる。それだけのことだよ。だから、アニメっていう異端だった文化も、立派に時代の影響、時代の風を受けるようになったんだよ。どんどん使われて、どんどん忘れられていくのは健全だと俺は思う。たまに、気のくるった人が「百年後に残す!」といってつくるんだから、それでバランスがとれてるの。

取材続きの中、どこへ行っても「アニメ雑誌ってのは面白いんですかね?」という話題になる。ネット配信の時代に、月一冊だからね。
060910_00010001俺はジジィだし、業界周辺で食べさせてもらっているので買ってますけどさ。これ、上にハチクロの10巻でも乗せないと恥ずかしくて買えないよ、やっぱり?
もうひとつ、今のオタクの課題は「モテ」なんじゃないかと思う。結婚観や恋愛観なんて、昔のオタクは話さなかったんだ。今は「ヲタとモテ」は不可分になっている(もちろん、モテない方のモテ)。メイド喫茶が出てくるのは必然だったんだよ。あれは、もっと厳粛に受け止めないと。
メイド喫茶にしてもレイヤーにしても、今のヲタは自意識が強いんだよ。雑誌は、それをもっと敏感に受け止めないとさ。高見からエサ投げる時代じゃないんだよ。

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2006年9月 7日 (木)

■質量保存の法則■

今日何曜日だ? ボンズ行ったのいつだっけ? 月曜が日テレだったか。
060905_13520001で、うっかり「ギャラクシーエンジェル的なアニメは、あれはあれで意義がある」と言ったら、ブロッコリーも取材することになったんだ。
ボンズは錦織博監督インタビューだったんだけど、『妖奇士』は面白そう。何というか、“厚み”を感じるんだよな。さっとプレスリリース斜め読みしただけで、正統派娯楽のアイデアがみっしり詰まってるのが分かる。
じゃあ、なんで『ギャラクシーエンジェル』を擁護するのか。なんでブロッコリー行くのが嬉しいのか。「萌えアニメが諸悪の根源」みたいな風潮になると、そっちの味方をしたくなるというか、善も悪もないだろうって気になるから。そのへんは、今月のグレメカでも語られると思う。俺じゃなくて、藤津さんの口からだけど(笑)。

最近は、いろんなことを言いかけてはやめてるんだけど、例えば先日の「今どきアニメごときじゃ誰も引かない」ってのは、CMディレクターの嶋崎直登氏と電話で話してるときに出た話題。彼は90年代末にオタク第一世代が啓蒙活動していた状況が、もはや必要なくなった。それはそれで慶賀すべきだ」という文脈で言ったように思う。あと、「世代の差は越えられないんだから、もう彼ら第一世代が無理することはない」だったかな、この話題も今月のグレメカにちょっとリンクしてくるかも。楽しみだねー、グレメカ。
060906_17000001(←取材から帰ると、こういうデータが来てたりする。ガ社さん、対応早くて素晴らしい)
話を戻すと、世代というかオタクになりやすい年頃ってのがあると思う。それが晩期化・長期化してるだけじゃないか。
そのオタクの晩期化・長期化が「問題でない」ことを、問題にしたがる人たちがいる。 で、俺はその人たちの存在を問題にしたい。というか、興味がある。ミリタリー好きを引き合いに出したのも、そのためだし。

さて、オタクをやめた人間は何になるのか。キャバ通いを始めるのだろうか、結婚して本来の意味でのパパになるのだろうか。少なくとも、物事を終わらせることは常に重要だ。何かを始めるには、必ず何かを終わらせなくてはならないから。
人生にも質量保存の法則は成り立つんだよ。

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2006年9月 4日 (月)

■吹きさらしの夕陽のドックで■

劇団四季「ライオンキング」を観てきた。こんな立派なミュージカルになったんだから、もういい加減にジャングル大帝のパクリだとか言わなくてもいいんじゃないの? (隣席の人たちが話してたもんで)
060903_16090001 もちろん、ストーリーは陳腐で様式的なんだけど、表現の本質というのはストーリーではないからね。ありとあらゆる方法で、それこそ『ダーククリスタル』そっくりな方法まで使って、人間が動物を演じているという原始的な部分がいいんだよ。人間SFXだからさ。中休みが終わった直後に、観客席に鳥を舞わせるんだけど、それすら人間がやっている(しかも歌いながら)。あれは抽象的で祝祭的で、言葉に出来ないほど美しかった。
ある種の作品の「ネタ」は、コンセプトだったり発想だったりするのだよ。だから、ストーリーを書いているからといって「ネタバレ注意」と警告をうながすバカは、作品に個体差があることが分かってない。
もっと言うなら、人間に個体差があるなんてことすら分かってないんだろうね。プロのレビュアーですら誇らしげに「ネタバレ注意」なんて書いてるんだから、まったく頭が痛い。

いつもの雨女さんと観劇したので、そのまま日の出埠頭まで歩き、約10年ぶりに水上バスで浅草に行った。
060903_17070001 川から見る東京は美しかったが、隅田川というだけで『ゴジラ』を思い出してしまう俺は「オタク脳」だと思った。結局、女の子が目の前にいようが何だろうが、連想パターンが特撮やアニメに直結してしまうのがオタクじゃないかと思う。東京の川だったら『パトレイバー』のロケハンだ、とか。
俺は、オタク脳を武器に仕事しているんだと思った。ただ、オタク的連想をぺらぺら口にしてしまうのは、オタク脳を制御しきれてない。それはルックスとか関係ないんだよ。自律性の問題。その場の空気を読んで、不要なオタク知識を口にしないですむならば、あなたはオタクではありません。
船の後ろの座席では、おそらくお台場で遊んできたであろう女の子たちがクタクタに疲れて眠っていた。

夕方だったので、店じまいの始まった浅草寺の縁日と神谷バーを回って、吉祥寺に帰った。
060903_17420001 行きたい店は、どこも貸切や閉店だったので、初めて雨女さんと行った店で夕食をとった。そういえば、4ヶ月前に『ライオンキング』を観に行こう、と誘って、日にちまで覚えていてくれたのはこの人だけだった。「一応、約束は果たしたんだな」としんみりした気分になった。
ちょうど、夏も終わりだし。そういや、雨女は雨を降らさなかった。

で、その後、彼女の友達も呼んでカラオケに行ったんですけど。
060904_03510001 ←こんなの歌うんだよ、雨女さん。放送中は、まだ小学生だったらしいから、当然か(俺は社会人だったけど)。
俺は女の子に『ラムのラブソング』を無理やり歌わせるという癖があるんだけど、オタク脳の使いどころには、くれぐれも注意。
ともあれ、夏は終わった。 

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2006年9月 1日 (金)

■ラヴィと紀之ちゃん■

なんで、吉祥寺のHMVには『Groovin’ Magic』が売ってないんだよ!? カッコイイお店にはアニメのCDなんか置きません、という子供の発想はダサい。ていうか、“カッコイイ”っていうのは偏見なんだから、それと戦う努力をしろ。
そんなこと書いてたら、レコード屋に勤めている子から「今日、吉祥寺にいたでしょ?」とメールが来ましたよ。
_017 (写真は記事の内容とは一切関係ありません)

先日、スターの大西さんと食事していたら、不意に離婚の話題になった。僕の離婚話を聞いて、「やはりオタクに結婚生活は無理なのか…」と悩んでいる人がいたら、それは間違いだぞ。オタク同士、仲良く暮らしている人も大勢いるじゃないか。だいたい、オタクってのは安定志向が強いから、結婚には向いているんじゃないか?
ただ、俺が「結婚してくれ」とお願いした人は安定志向は異常なまでに強かったけどオタクじゃなかった。ギャルゲーをやれば、後からメールで「キモチワルイ」と言ってくれるナイスな女性だったね。それで、日経キャラクターズ!で『青6』の紀之ちゃんと『ラストエグザイル』のラヴィが表紙のやつ、あれの見本誌が届いたときだったか。あったあった、これこれ。
060831_23320001 ←「こんなダサイ本に書いてるなんて、みっともない。恥ずかしくて読む気にもなれない」とか言われて、そのときに「離婚するぞ」と決めたんだ。
だから、日経キャラクターズ!には感謝して欲しい。GONZOさんにも。俺は、あんた方のキャラや本が可哀想だったんだよ。
まあ、その他にも人生観の違いが一番大きかったね。とにかく、俺は不安定志向だから。

じゃあ、なんで結婚したかっていうと、自分の価値観だけで凝り固まる暮らしが嫌になったから。アニメやマンガとは関係ない人と生活しなくては、と痛感していたから。自分が30数年間ため込んできた趣味に閉じ込められていては、それこそ気が狂う。だから、同じオタクの人と結婚したり付き合ったりしては意味がないわけ。それも幸せなのかも知れないけど、俺自身が変わらないじゃん! ほら、ウディ・アレンが『アニー・ホール』で言ってたろ。「僕を入れてくれるクラブになんか入りたくない」って。俺と同じくらいにモテなくて、同じくらいにオタクで、同じくらいにダサくて……という女性ではダメだったのよ。
まあ、結婚というミッションは成功はしたものの、成功したがゆえに終止符を打たねばならなかった。我慢して「非オタクの妻が納得する立派な仕事」とやらを探すより、俺にはラヴィと紀之ちゃんの方が大事だと気がついたのだよ。彼女らについて書くことの方が。
それで、別れたんだ。
人間というのは、こうして出来上がっては壊れ、壊れては出来上がっていくんだね。

さて、さっきのメールに「ああ、アニメの主題歌を探してたんだよね~」と露悪趣味全開で書いたら、「言ってくれれば、ご用意しまっせ」という返事が来た。今日び、アニメの主題歌ぐらいじゃ誰も引いてくれねーよ! 理解されるとイラつくというこの不安定さこそ俺なんだよね。

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