「熱帯魚」
私たちは、ごく小さな街に暮らしていた。だが、越してきて間もなく再開発とやらで駅前に小綺麗なデパートが出来た。安いマンションに暮らす私と妻は、寝具売場で買えるわけでもないベッドに横になったり、最新のデザインの冷蔵庫を品定めしたり、そのデパートをちょっとした遊び場にしていた。
小さな街だったから、知り合いにもよく会った。デザイナーの女友達は結婚前からの知り合いで、独り身だが明るく、ショートヘアの良く似合う美人だった。だが、妻は私が彼女に軽く好意を持っていることを察してか、あまり彼女と話すことはなかった。
年の瀬も迫った頃、私と妻は連れだってデパートへ向かった。もう日が暮れかけていたが、帰宅時間なので人通りは多かった。広場の一角にテントが設けられ、消費者救済云々、と書かれていた。私は何のことかと首をひねったが、妻は「あんなのサラ金じゃないの、ねえ?」と口をとがらせた。どうやら生活の苦しい人に金を貸し出す機関のようだった。私たちも暮らし向きは明るくなかったので、妻のいらだちは分かった。
デパートの2階に広場が直結していて、プラネタリウムの投影機を模した大きなオブジェが飾られていた。非常に凝ったつくりで、星座盤がいくつも埋め込まれているのが、エスカレーターからよく見える。店内に入ると、天井から『アジア映画の全貌』と書かれた看板が下がっていた。妻は、私が学生時代に映画を専攻していたことを知っていたので、「ああ、たまに上映会みたいの、やってるね」と反応した。が、私が映画に再び没入することを警戒してか、その声は冷ややかだった。私は、以前なら一人で駆けつけただろうにな、と心の中で苦笑した。
今日は寝具売場を冷やかすこともなく、エスカレーターを乗りついで屋上へ向かった。小さなジェット・コースターのような乗り物が出来たというので、妻と乗るつもりだったのだ。それを聞かされた妻は、「うん、一緒に乗ろうね」と嬉しそうに手をつないできた。確かに、生活に追われている私たちには、ささやかで久しぶりの娯楽だった。
と、同じエスカレーターに例のデザイナーの女友達が乗っているのに気がついた。彼女は相変わらず一人だったが、やはり屋上の乗り物に乗りに来たのだそうだ。好奇心に溢れ、こうした新しい刺激を一人ででも楽しもうとする彼女が、私には眩しくすらあった。妻が強く私の手を握ったので、女友達は冷やかすようなことを言って、快活に笑った。
屋上のひとつ下の階では、何とかいう南洋の魚の展示会が行われていた。女友達は、妻と私をその展示会へ誘った。それは確かに珍しい魚だった。綺麗なピンクと白のまだら模様で、エイのように平べったく、タコのくちばしに似た排水口から水を吐いて、素早く泳ぐことが出来た。私はテレビでも、こうした珍しい生物を見るのが好きだった。今日はこの南洋の魚にショーをやらせるという。魚のショーはなかなかの見ものだったが、見物客は私たち3人だけだった。飼育係の青年が、懸命に盛り上げようと、魚に何度もジェット水流をやらせていた。「さあ、もう一頑張りだ!」などと呼びかけていたが、水の中で声が聞こえるのか、魚に識語能力があるのか、私は懐疑的になった。
だが、女二人は水槽の高さに腰を低くし、「可愛い!」と喜んでいた。魚は我々の手前まで泳いできて、大きなヒレをぱたぱたと振ってダンスのような動きを見せた。彼女たちは拍手をしたが、私は魚の突き出した目が面白いなと思う程度だった。だが、彼女たちの拍手に飼育係の青年も嬉しそうに笑って、魚の名前を呼んだ。「よく出来た、○○ちゃん!」
小さな水槽の中で健気に芸をこなす南洋の魚。仲間はいない。広い海洋も知らない。
私は、妻と女友達がしているように腰を低くし、次に魚が芸をしたら、拍手をしようと決めた。
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この夢を見たのは、別れた妻と知り合うずっと前のことだった。
ここに出てくるショートヘアのデザイナーというのは、今は旅行作家になっている元・友人(結婚したときに絶縁された・笑)を百億倍ぐらい美化した感じ。
実際に、妻とその元・友人が出会うことはなかった。
鼻筋がつーんと痛み、頭の後ろをコンとやると涙が出そうだ。昨夜、離婚以来はじめて「哀しい」という心情を味わった。痛恨、という感じだ。
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コメント
■コメントくださった方
あまりよくない流れになったので、削除させていただきました。
文意はくみとったつもりですので、なにとぞお許しください。
投稿: 廣田恵介 | 2006年4月 1日 (土) 12時17分