« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »

2006年2月27日 (月)

■塩漬けにされた毎日■

「SUERTE 3月号」
sue02
●「SF映画に見る2XXX年の世界」
PART1の『エヴァンゲリオン』考察を見開きで書いてます。
林原さんのインタビューがあるとは知らなかった、クヤシイ。


---------------------------------------------

なんだかよく分からないが、声優さんと携帯メールで打ち合わせ、という得がたい経験をした。プロデューサーが「すぐメールしてください」と言ってくるのも何だかスゴイよな。マネージャーとか通さなくていいのかな、と。
俺もそうだけど、「引き際の分からない人」っていると思う。そういう人には何となく親近感がわく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月25日 (土)

■あの子が髪を切った日に■

「MEMO男の部屋 4月号」
memo2

●「MEMO ISM」、 スロットカーの記事






「フィギュア王 97号」97

●「アニメはノエインで流転する」
特に売り込んだわけでもないのに、『ノエイン』関連の仕事が最近立て続けに。

●「Toy's NEW ARRIVAL」
インタビューは、やまとの柳沢年尚さんです。

●「パワー・オブ・アクエリオン Vol.8」
今回も、さわやかに壊れてます。

●「ブロック・キングダム Vol.1」
なんと新連載! 一誌に4本もやっていけるのか? 見てのお楽しみ。

●「ピュグマリオンの小部屋」
写真が非常に綺麗。これが大阪取材の成果その1です。

----------------------------------------------------

榛名神社~榛名湖~草津スキー場~尻焼温泉、二日間の取材旅行から帰宅。
自分が茫洋とイメージしていた「あの世」を現世で見てしまうことになった。その詳しくは記事に生かしたいので、ここには書かない。
帰りの車中、「自分の考えや気持ちは言語化せず行動化せよ」という考えが浮かんだ。仕事やメールで書いて終わり、ではイケナイ。まず言葉に発する努力を。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年2月20日 (月)

■海に行くつもりじゃなかった■

『ノエイン』 DVD Vol.2

060216_jac ●いつの間にか届いていました、『ノエイン』2巻。今回もツボを押さえたライナー(というのだろうか?)になっているハズ。

-------------------------------------

パソコンデスクの上でインスタントラーメンを食い終わり、ツユが残ったままクルリと椅子を回転させたら、椅子の背がデスクにぶつかり、そのままラーメンの容器が床に落下した。
一転、地獄絵図。
床には資料が散乱しているので(引っ越してきたばかりだから棚などがない)、一部は乾かすのもあきらめ、ゴミ袋に入れた(幸い、終わったばかりの仕事だったので)。
思い出すかぎり、このような惨劇は20年前、友人と居酒屋で鯨飲して帰宅、自室(ジュータン敷き)に反吐をぶちまけた一件ぐらいだ。もはや学生レベルの事件である。今日は漫画のようなトラブルが続出した一日だったが、シメが「ニュータッチみそバターラーメン」とは……
先日、バレンタインデーに離婚するという離れ業をやってのけた僕だが、こんないかにも独身者な事件まで起こさなくともよろしい(独身とかいうより、赤ちゃんレベル)。
ああ、匂い対策はどうすればいいのだ……ファブリーズ一本まるまる使用するしかないのか? しかし、あれはどちらかというと布製品用。クリンビュー? ソフト99?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年2月19日 (日)

「夜」

 名字は平凡だったのか聞いたそばから忘れてしまったが、確か名前は「さえ」といった。「え」は「絵」と書くのだと教えられたので覚えていたのだろう。

 くるくると巻き毛で、美人だが目立たない顔をしていた。声も小さく、聞かれた事だけを丁寧に答えた。

 その夜は電車がなくなるまで飲み、彼女は歩いて自分の家に帰った。私は行くあてもなく暗い住宅街をさまよった。途中、忘年会か何かの一団に出くわした。彼らのふざけようが幼稚に過ぎたので、喧嘩でもしかけようと思ったが、私の足は何となく駅に向かった。

 途中の公衆電話から女友達に電話した。酩酊していたので、よく覚えていないが「さえ」の魅力を熱っぽく語ったようだった。電話の相手は「でも、彼女とは多分もう会えないよ」と妙な確信を込めて言った。何かゾッとした私は、その言葉を打ち消すように力強くアスファルトを歩き続けた。夜の街を歩くのは慣れていたので寂しくはなかった。

 そうすると、いつの間にか「さえ」が隣を歩いていた。なぜ彼女が私を追って来たのかは聞きそびれた。私たちは細かく入りくんだ路地を黙って歩いた。暗闇の待つ狭い階段を先に立って上る彼女の後ろ姿をよく覚えている。

 その界隈は、どこか本郷あたりを思わせるものだった。「今度、下町に散歩に行かないか?」と私は誘ってみたくなった。その時「多分もう会えない」という言葉が浮かんだので、私は黙ったぎり「また次の機会に誘えるさ」と根拠もなく言い聞かせて不安を打ち消した。

 駅に近づくと、いくらか明るかった。24時間営業のコーヒーショップがあったので、私たちはコーヒーを立ち飲みしながら、静かに話をした。そこで初めて、彼女が創作人形のモデルをしている事を知った。人形作りなら以前の私の生業だったので、少し嬉しくなって「どんな画材で色を塗るのだろう?」と聞いた。彼女はバッグから箱入りのパステルを取り出した。妙に粉っぽいので「本当にこれで塗れるのかい?」と私は問い直した。彼女は困惑した様に「先生方はこれを使ってらっしゃるから……」と曖昧な笑みで答えた。

 会話の途中で、私は急に「さえ」と会えなくなる事の意味がありありと分かった。それは余りに明らかで絶望的だったので涙が溢れた。無駄だと知りつつも、私は彼女の名前を二度ばかり呼んだ。

-----------------------------------------------

以上の夢の場合、最後の最後で「ああ、これは夢なのだ」と気がついたところ、そして実在の女友達と夢の中から電話で話せたこと(マトリックスかよ……)が画期的である。
ところで、以上のようなシチュエーションを僕は人生の中で数限りなく体験しているのだが、女にフラれて始発電車まで夜の街をさまよったことのない男など、童貞と同義である。
孤独で惨めで泥まみれの朝を知らない男は、本当の勇気を手に入れることは出来ない。
しょせん、導いてくれる精霊は夢の中にしか現れない。二日酔いに耐えながら毎日を有意義に生きるのだ!(と、自分を元気づけてみたり)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月15日 (水)

「出発日」

 他の生徒への挨拶を終えると、発車時刻まで、いくらも時間がなかった。仕方なく、私は帽子をかむりトランクを抱えたまま、二階の彼女の部屋へと急いだ。

 いつも開けっぱなしのドアをくぐると、彼女はピアノの稽古をしていた。そして、こちらに背中を向けたまま、明日が音楽の試験だから聞いてみて欲しい、と言う。こちらは今すぐにも発たねばならず、少しでも顔を合わせて挨拶したかったのだが、私は黙ってベッドに腰をおろした。
 それは、ごく簡単な練習曲だった。リズムを取っているつもりか、彼女は鼻歌混じりに弾いていた。こちらは真面目に聞いているのに、もう少し年相応に振る舞えないものなのだろうか……とにかく曲が終わったので、私は「じゃあ、元気で」とか何とか口走って部屋を後にした。譜面をめくりながら、彼女は生返事で答えた。とうとう顔を見られなかった。今日限りで会えなくなるのは知っていた癖に……彼女の子供じみた態度に少し苛々しつつ、私は時刻を気にしながら忙しく階段を下りはじめた。と、そこで突然に足が止まった。

 階段の途中のガラス窓から、裏通りの坂道が見える事は知っていた。日の射さない陰鬱な坂道だったが、今日に限って向かいのマホガニーの花壇に黄色や紫の花が沢山咲いていたのだ。私は、呆然とガラス窓の向こうの花々に見とれた。彼女のつたないピアノ曲が背後から聞こえている。
 少しだけ満足すると、私は階段を再び駆け下りた。

----------------------------------------------------------------------

オマハ族の格言によると「夢は人より賢い」。
また、夢の中で精霊が現れるのはアメリカ・インディアンの世界観では常識的なことであるようだ。
上に書いた夢がどのような暗示なのかはサッパリ分からないのだが、
僕が書き溜めてある夢には、ほぼ例外なく女性が登場する。
……精霊か。うーん。精霊ねぇ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月 9日 (木)

■It's a Small World■

 9階という高さのせいか、風が激しい。隣室のベランダに詰まれたゴミ袋のひとつがこっちまで吹き飛ばされて来て、洗濯物の下でからからと転がっている。ちょっと腹が立ったので隣のベランダへお返ししたのだが、今朝また戻ってきていた。
 それがまた触るのもはばかられるほどバッチイ色をしたビニール袋なのだが、俺はもうあきらめてそいつをつまむと、部屋の中にあるもっと大きなビニール袋の中に入れてやった。「外は寒かったろ? ほら、仲間たちが待っているよ」 隣室のゴミもこの部屋のゴミも、たまたま居場所が離れていたに過ぎない。

 実は、我々が触れている世界というのは、たったひとつの大きな海原で、目に見えているのはひとつひとつの波頭に過ぎない。憎たらしいあの野郎も愛しのあの子も、実はひとつの海から生じた波のひとつひとつ。ATMの行列に並んだ客たちすべて、コンビニのレジの前で小銭を数えているお婆さん、それをイライラしながら待っている若い店員、もう二度と通らないだろう町角ですれ違ったホームレスも、蕎麦屋のテーブル席で怒ったり笑ったりしながら食事していた家族も、とうとう触れられなかったあの細い指先も、丼を受け渡しする時なぜか確実に触れ合ってしまうオバチャンのぶっとい指も、実はみんなひとつ。分かりにくければ、『惑星ソラリス』でも見てくれ。つまり、ああいうことだ。

 そう考えると、すべてが空しいような愛しいような不思議な気持ちにならないだろうか。後悔もないかわりに、期待もない。それが世界の実相だ。腹を立てても大声で笑っても、どうあがいても世界はひとつきりで、たくさんのいろんなパーツは大きなひとつのものが別々の現れ方をしているに過ぎない。そう思わない? 俺にはそうとしか思えないんだが。で、「この話は、何だかよく分からない」と首をひねっているアナタも、ヒモをたぐっていくと残念ながら俺と繋がっているわけ。だから、いがみ合っても意味ないわけ。あるいは、いがみ合わない努力ぐらいはしなきゃならないわけ。
 もう一度言う。すべては大海の波頭。だから、安心していいし、絶望することはない。というか、絶望したって無意味なんだよ。楽しめ、としか言えない。世界と付き合うコツは、楽しむことぐらいしかないからな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月 3日 (金)

■58m/h■

 「どう違うの?」 全長58メートルの二つの塔を前にして俺は尋ねた。「右が急上昇、左が急降下です」と、係のお姉さんはつまらなそうに答える。無理もない、通常800円のところ、あまりに客が少ないので500円にオマケしてくれているのだから。だからって、58メートルは58メートルだ。さて。「急降下の方ね」と俺は答えた。
 さすがに声が出た。高いのは怖くない。が、落ちる瞬間、恐怖と笑いがないまぜになる。これぞ未知の感情さ。「あはは!」 笑いが出た。落ちろ落ちろ、もっと落ちろ! まあ、安全上そうもいかないのであるが。でも、最初のマイナス1Gで尻が浮いた瞬間は「あはは!」だったな。
 昨日から住んでいる部屋は、地上9階。ベランダから風で飛ばされそうだ。飛ばされたら、その時はその時。それまでの人生よ。
 Kさんが言った。「どうして、人類はああいう危険な乗り物ばかり作るんだろうね」。いや、Kさんには分かっているはずだ。空は、あの世に接している。何たって、天国は空にある。稲垣足穂の本に「空にあるものは、何だってみんな美しいんだろうね」という一節があった。あの世に近いからだろう。
 そして、重力とはお釈迦様の手のひらのようなもの。高いところへ登ることによって、われわれは生死を重力にゆだねられていることを知るのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »