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2006年1月29日 (日)

■人生は軽いフットワークさ■

『ノエイン』 DVD Vol.1
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●ライナーノート (なのか? 見れば分かります)の編集を担当。
 原画を選び出すのは、それなりに気を使うし大変だと思った。

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 歌舞伎町イベント(アクエリオン新年会お越しの皆さま、どうもありがとうございました)で何時間も立ち続けていた弊害が、なぜか大阪・梅田あたりで出てきた。心斎橋からなんばまで歩いたのが、くるぶしに響いたようだ。ホテルに帰る前、西中島南方というゆる~い駅(やす~い飲み屋とラーメン屋と、あとはちんまりした風俗街だけ。俺は結構こういう小さな町が好きである。街じゃなくて町ね)で降りて、ようやく食をとる。それでも、ホテルで靴を脱ぐと呪いの五寸クギを打ち込まれたように激痛が走る。
 ま、最近はあちこちで恨みを買ってますからねぇ……しょうがないから、覚えたてのアルコールで痛みを和らげ、さっさと寝てしまう。翌日は午前中から新世界、阿部野橋とまわり、デジカメのバッテリーが切れたのでデパートのトイレのコンセントを拝借。
 と、肝心の仕事の部分を抜いてアリバイだけ書いてみたら、ただの日記になってしまいましたとさ。通天閣が摩天楼としては可愛らしすぎたので、梅田の観覧車は乗りたかったよねえ……でも、足に五寸クギ刺さってたから。

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2006年1月27日 (金)

■Man's room■

「MEMO 男の部屋」 3月号
memo

●「デンマーク発レゴブロックに
  日本人クリエイターが参加。」

10ページ目にあります。普通に立ち読みしていると、絶対に見落とします。

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2006年1月22日 (日)

■冒険者たち -LES AVENTURIERS-■

「フィギュア王」 96号
96

●「パワー・オブ・アクエリオン」 Vol.6
   頼むからキャプって画像流さないでね。

●「2006年よ、VAN-FORCEで目覚めよ!」
 レゴファン、河森ファンの皆さまお待たせしました。

●「Toy's NEW ARRIVAL」
ラスト見開き(シャアのドールとか)は僕の担当じゃありません。

●「ピュグマリオンの小部屋」
今回も新作情報のみですみません。次号は取材いきます。

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またもや今年も、仮面ライダーが「新ヒーロー」だそうだ。
これはつまりファンがライダー、ウルトラ、ガンダム以外のものを
「新ヒーロー」と認める勇気も愛も好奇心も審美眼も失った証である。

冒険よりも保障を求めた連中よ、とりあえず穴があったら入りたまえ。キミらの負けだ。

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2006年1月21日 (土)

■The round one■

 地上250メートルよ、俺を失望させるな……しょせん遊覧ヘリは遊覧以上のものではなかった。せいぜい、自分が書こうとしている世界がこの高さではないことが分かった程度だ。航空会社のお姉さんが「高すぎず低すぎず」と言っていたが、この高さは、とても下品だ。恐怖もなければ、神秘もない。
 このまま帰るわけには行かないので、ヘリポートから舞浜駅まで歩き(いつかディズニーランドへは一人で行ってやる)、隣駅の葛西臨海公園で降りた。ハチクロに出てきたあれに乗るためである。この前のパレットタウンの観覧車より2メートル高い。が、もはや高さの問題ではない。どう見るか、という問題だ。ゴンドラの中で寝そべったりのけぞったりして視界を広げてみる。
 それでも気がすまないので、海上バスで帰ろうかと思ったが、このシーズンは休航している。腹立ちまぎれに人工渚まで歩くと、はるか対岸で大きな風車が回っているのが見えた。次はあれを見に行こうと決めた。やはり建造物は丸いか、回っているものがいい(高い建物は、立つことによって重力に拮抗しているわけだから、ただ建っているというだけで立派だ)。
 ちなみに、その風車は住所がないところに建っているという点も素晴らしい。居場所なんかなくても回り続けるというのは素晴らしい。そこに「在る」ことによって、実在を宣言しているわけだ。しかも、ただ一人で回っているのではなく、風を味方にしているのである。そんな人生でありたい。

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2006年1月19日 (木)

■The living thing■

 ライアンという名のその馬は、昼飯を食べ終わったばかりだそうで眠そうな目をしていた。だが、僕が近づくと鼻をならして頭を摺り寄せてきた。なんと優しく、静かで――神秘的な生き物なのだろう。
 そして、ライアンの背中に乗ったとき、どうして僕がここに来たのか、ハッキリと分かったような気がした。また「高さ」だ。この生き物に乗ると、否応なく目線が高くなるのだ。「視線はまっすぐ、遠くを見るように」とインストラクターが言った。その言葉が、呪文のように僕をとらえる。
 そして、小さな練習場はまたしても円形。観覧車も円形ならば、展望台も円形。高さと円の間には、なにか神聖な意味が込められているように思えてきた。高いところは、丸いところ。
 そんなことよりも何よりも、別の生き物と呼吸を合わせてひとつの運動をするということの面白さを、僕は持ち帰ってこなくてはならない。馬のことを知るのに馬の本を読むのは、もうウンザリなんだ。
 ヘリのことを知るのにヘリの本を読みたくないので、明日はヘリに乗ってくる。そういえば、ヘリのローターも円形じゃないか。

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2006年1月16日 (月)

■Higher than free■

「SUERTE」 1月号
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●アニメであけおめ バンダイチャンネル大特集

・ガンダムを創った男 富野由悠季の世界

・ハリウッドも注目する巨匠 押井守の世界

・『ケロロ軍曹』フィーバーの秘密

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GEOでもらえるフリーペーパー。が、タダだからといって舐められない内容。押井作品のキーワードが「犬」「東京」「立喰い」。マニアから見れば当然の選択かも知れないが、部数が大きく非マニア層が手にとるフリーペーパーでこれをやっちゃう編集者の心意気に燃えた。そして、俺も頑張った。

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■より一般的な言葉■

 ネットの片隅であれ居酒屋のカウンターであれ、わざわざ自分が「やれない」「行けない」「成しえない」と「ない」という消極さを強調する心理が分かりかねるのだ。たとえお客様であっても「甘ったれるな、ちょっとは成しえる工夫をしてみたのか」と喝してやろうか、と思う。一体、アニメを見てオモチャを買って覚えたのは送り手に対する甘えだけなのか、と喝してやろうか。

 そもそも、「ない」と言う裏に「ある」という言い訳を用意しているのがまた姑息だ。「仕事があるから行けない」、「生活があるから買えない」……私は、僕は、こんなにも忙しく、だから出来ない。「ない」ことを許してもらうために「ある」と言う。「時間がないのは、仕事があるせいだ」などと言う。卑怯じゃないか。「でも、努力はしてるんです」? 努力などするのが当たり前。努力という言葉を使う以上、それはすでに「実行中」なのだ。決意という言葉が「固まった」と常にセットであるように。

 仕事があって暮らしがあって、ちょっとは身軽になりたいなどと言う者は、実は何も持っていない。仕事も暮らしも無くしたことがある私から言ってやろう。そんなものは社会のルールで割り当てられたものであって、「持っている」のとは違うのだ。小学校の頃にお花係とか給食当番をしたことがあるだろうけど、誰もお花や給食を所有したわけじゃないだろう?
 ただ、どんな係でもどんな当番でも熱意だけは持てたはずだ! 他のヤツが非効率なやり方をしていたら、工夫して改善することは出来るのだ。「非効率なままでいい」なんてヤツは社会にいらない。このままではイカン、と思うものには積極的にNO!と言え! 言えることなのだから言え! それが実行力だ。実行力は誰でも持てる。実行力、情熱、勢い、創意工夫、他の何を持たずともそれらを手にすることは出来る。
 目に見えないポジティブな力……それら全てを総称して、私は「愛」と呼んでいる。しかも、それは名前ではなく「行動」そのもの。力とは、行使されねば力にならないからだ!

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2006年1月13日 (金)

■Failure teaches success■

 貰った番号札は344番で、病院の待合室にあるような長椅子にはまだ100人以上も並んでいる。このパスポートセンターに来る前、中華街の裏通りにある陰気な料理屋で、茹でてから確実に30分は経過した覇気のない坦々麺を胃に流し込んだばかりだったので、なにか暖かいものを飲みたかった。
 ともあれ映画の時間には確実に間に合わないのでパスポートセンターを出てから、山下公園を通ってマリンタワーに登ることにした。僕の好きだったバードピアは閉園され、観光スポットとしては衰退の一路をたどっている。展望台自体も非常に狭いのだが、外を見たままゆっくり歩いていくと視界の限界(と思い込んでいた範囲)をフッと超える瞬間がある。外を向いたまま展望台を何度も走ったら、その感覚はもっと強くなるはずだ(他に客がいなければ確実にやったと思う)。
 この世の果てというと、誰もが荒涼とした大地を思い浮かべるが、垂直方向にもこの世の果ては存在する。天を摩する塔を建造することは、間違いなくあの世に近づく行為だ。常に崩壊の危険を孕んでいるのも、その一因だろう。
 日本国内には、まだまだこんなタワーがいくつかあるので、ひとつずつ回ってみるのもいいかも知れない……いや、飽きるかな。どこも似たつくりだからな。
 ロバート・シルヴァーバーグの『ガラスの塔』で、生涯をかけて建造した超高層通信タワーを失った主人公は、最後に通信先の宇宙のかなたへ宇宙船を走らせる。垂直がダメなら水平で神の住処に到達してやろうというわけだ。なかなか面白い。失ったものでくよくよ悩まずに、失ったことで見つかった方法を即座に試す心意気もいい。

 大幅に予定を変更して見に行った映画は、くやしいぐらい泣ける内容だった。映画館では泣かないようにしているのだが、これにはヤラれた。

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2006年1月10日 (火)

■不定期航路■

 行ったことのない町の映画館へ行った。ワシントンホテルから横断歩道を渡ると、急に場末の雰囲気になり、映画館は地下一階。文芸地下のように裸電球が下がっているかと思いきや、入り口に洒落た三脚なんかが立ててある(喫茶店の軒先によくあるやつ)。
 東京の町とはまるで雰囲気が違うので、あたりを歩いてみることにした。午後3時半、冬の日は緩やかに傾いている。国道から一本入ると、急に声をかけられた。「7000円でいいよ!」 よく見ると道幅5メートルばかりのその路地は風俗街なのだった。ファサードが総ガラス張りで、受付のおばちゃんが帳簿なんかつけている。のどかなものだ。だいいち、まだ4時にもなっていない。笑いながら通り過ぎると、「写真だけでも見てってよ!」 道の反対側から若い呼び込みが叫んでいる。まるで魚屋のお兄ちゃんだよな、まっすぐにこちらと目を合わせるのが歌舞伎町なんかとは違うよなぁ……と、なんだか本当に遠くへ来たような気分になる。
 遠くへ来たような気分とは、「さて今夜の宿を決めて、どこかで晩飯を食べて、それからちょっと騙されてみるかな」、そんな忍び笑いの気分。
 国道を渡って公園に行くと、缶ビールのおじさんたちが酒宴を開いていた。ここでは空気までもが黄金色に染まっている。気分の回廊、とでも言うのだろうか。気分が螺旋になっていて、今は緩やかに下っていっているとハッキリ分かる。とても穏やかな下り道。
 日が暮れるとこの気分がぶち壊しになってしまうので、急いで市営地下鉄への入り口を探した。改札口で、晴れ着姿の女の子が紺色のスーツを着た同級生に照れくさそうに挨拶していた。

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2006年1月 6日 (金)

■115 meters to the Heaven■

 今度こそは、と家族連れに混じって列に加わった。時間が早いせいか、それとも天気が悪いからなのか、客は少ない。もとより、一人で観覧車に乗りたがる客など僕ぐらいなものだったが。
 高さ115メートルとはこんなものか……と落胆し、早く頂上までつかないかと苛々した。それで、首を伸ばして自分の先を行くひとつ前のワゴンを振り仰いだ。ゾッとする瞬間だった。視界の真っ直ぐ先で、音もなく鉛色の空に向かう、くすんだ橙色のワゴン。その進む先には空しかない。そして、空には何もない。観覧車が退屈なのはそれを面の運動と考えるからで、線の運動と考えた瞬間に、それは初めて上昇する。回転をやめて、上昇する。鉄製のワゴンは天国へ出荷される果物となる。

 あらゆることを立体的に見なくてはならない。立体でないものは面白くない、人も物事も。
 そんなことを思いながら、卓上のエンパイアステートビルに登ったキングコング(1933年版)のフィギュアを見た。直立しているものは、みな空へつながっている。つながろうとしている。スカイスクレーパー、天を摩するもの……。

 東京テレポート、グランベリーモール、中野駅北口……仕事の合間に、とにかく食べた。お腹のすく日は、よい日に決まっている。

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