■また旅に戻る■
感情の状態としては、固体よりも液体の方がよく、たまには気体でいるような状態が好もしい。自分を一枚岩のように変化しないもの、せいぜいガンダムがZガンダムにバージョンアップする程度のものだと思っている人が少なくない。もちろん、足りない部品を探して苦労して継ぎ足していくことも、社会で上手に立ち回るのに必要だ。
でも、それだけじゃないんだよ。それだけでも何とかなるんだけどね。同じような完成度の人たちとそこそこの仕事をして、そこそこ充実感を味わうなら、それだけでいいんだけれど。
「俺にはどうしても足りない部品がある。ここ、粘土で埋めて代用しとこう」。本当にそれでいいのかどうかは僕自身にも分からない。正しい部品を探してこれた人たちから、圧倒的にバカにされたりもする。実際、ここ数日に二人もの人から連続して「廣田さんは、自分が尺度になり過ぎている」とお叱りを受けたので、自己肯定するような気分にはなれないし。
ただ、ひとつだけ分かっているのは理想を持つこと(僕の場合は、おもに仕事に対する理想だが、もちろん人間関係への理想もある)。自分の理想に合うのか合わないのか……それを尺度にするぐらいは辛うじて許されていいはずだ、と。いや、許されないのかもね。理想と理想が違うから、人はいさかいを起こすんだろうから。
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コメント
ひろたさま、こんばんは。
ほんの数年前、「俺ァさ、よそさまに自分の物差しあてがおうとはおもっちゃいねえけど、よそさまの物差しではかられんのもごめんこうむるね。」と吐いてました。
言葉にすること自体、おこちゃまだったと赤面することしきりです。おそらく、ひとは自分の物差し以上の定規を持ってはいないのですから。
とはいえ、今でも「自分で大風呂敷を広げて、それに自分をおっつけたい」というのは変わらないようです。
ひろたさまの文を拝読して、こういうコメントが自分から出てくること、それ自体が自分の物差しではかっている・・・ということだと自覚しつつ。
ひろたさまの言の葉に、どんな考えをめぐらすか。ひそかな、そして知的な楽しみとなっております。
投稿: TAKA | 2005年12月 2日 (金) 21時56分
■TAKA様
コメントありがとうございます。実際に僕を知っている人たちは完膚なきまでに、このblogを無視してくれますからコメントがあると嬉しいです(笑)。
>おそらく、ひとは自分の物差し以上の定規を持ってはいないのですから。
はい、だから「みんな、お互い様じゃないか」とも思うのです。
ただ、僕の場合は限度を超えていたのでしょう。だから指摘されたのだ、と思うとヒトとしての自信がかなりのイキオイで揺らぎます。
おそらく、僕は人間として過剰であり余剰なんだと思います。
そういう人間は、居場所を見つけるのに苦労するんです(笑)
投稿: 廣田恵介 | 2005年12月 3日 (土) 11時35分