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2005年12月29日 (木)

■空は未だ群青色の朝■

 次の仕事まで5時間しかないので、歌舞伎町の雑居ビル4Fへ。こんな時間に来る客は珍しいのか、受け付けの女の子は戸惑いながら毛布を貸してくれた。「ありがとう」と言って、僕は三畳の薄暗い部屋へ潜り込んだ。ベッドは清潔だ。空調が効いているので寒くはない。昨日から今朝までのことをあれこれ考えながら毛布にくるまると、時計の針がとろけたように遅くなっていく。いつまでも時間が過ぎてくれない。
 パソコンの電源を入れて、目的地までの経路を確かめると、いよいよすることがなくなった。
 ちょっと早いがシャワーを浴びて外に出ると、今まで入ったことのないスタバでアイスティーとチーズの挟まったパンを頼んだ。まるで僕は旅行者のふりをしている。ラッシュアワーを避けて、りんかい線で東京エアポートへ。エアポートなのに飛行機はない。そのかわり観覧車があったが、もう約束の時間が近いので乗るのはあきらめた。前に来たときは、そんなこと考えもしなかった。
 エアコンは適温。仕事は静かに進む。あわてずとも、今日のうちに僕の手から逃れてしまうものはない。何もかもが僕の手のひらを暖めてくれている。そんな心の平穏が、僕には癪でしょうがなかった。

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2005年12月23日 (金)

■色気も色物もいろいろ■

「フィギュア王 No.95」 My work
95
●「パワー・オブ・アクエリオン Vol.6」
●「レゴルネッサンス -ともに歩む道-」
●「Toy's NEW ARRIVAL」
●「ピュグマリオンの小部屋」

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 ふだんアニメとかオモチャとかと無縁に暮らしている人たちからすれば、このような雑誌をつくる仕事は遊んでるようで「面白そう」ぐらいには見えるのかも知れないが、はたして未知なる世界として十分な魅力があるのかどうか、はなはだ疑問だ。
 “よい物語とは、常にすべてについての物語である”。だとすれば、こうした趣味の世界も他のすべて、シュミ以外の一切合財、自分であらざるものと広く、深く関係しなくてはならないのではないだろうか。そう考えると、趣味とは自閉の道具でなく、他の世界とつながるための言語なのだと分かる。
 そのことを心がけてつくらなければ、他の世界は永遠に「他」のまま。僕はそんなのはごめんだ。必死につくれ、世界の広さを深呼吸できるように。

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2005年12月21日 (水)

■Have a nice trip!■

 雪におおわれた動物園では、おごそかに「蛍の光」が流れはじめた。まだ15時半だというのに。しかも、もう客は僕一人しか残っていない。滑り止めを巻いた靴でなだらかな斜面を駆け下りると、いいタイミングでバスがとまっていた。ここ旭山動物園から駅までは悪路を40分。「なんか気分がムカムカしてきたな……まさか、昨夜の酒か?」 ちがう、これは乗り物酔いだ! バスで酔ったのなんか何十年ぶりだ?
 ……日本列島には記録的な寒波が来襲し、僕の風邪は順調に悪化していった。これは明らかに「行ってはいけない」というサインだ。それでも便は欠航にならず、僕はあっさり北海道に渡れた。もし悪天候で飛行機が落ちても、それはそういう人生なのだと本気で思った。トラブルには逆らわない。人間自分で決められるのは、物事の本当に些細な部分だ。それを確かめたかった。それには、歩くにも不便な北海道がちょうどふさわしく感じた(が、当地の人間はピンヒールでカツカツと歩いていたりする。滑り止めを付けて歩いていてると、一発で旅行者だと分かるんだそうだ)。
 そしてトラブルらしいトラブルは、旅行二日目の深夜2時過ぎにやってきた。なんで俺が北海道まで来て韓国人に逆ギレされねばならんのだろう。あれは本当にワケが分からなかったし、ひたすら不愉快だった。まるで崔洋一の映画の世界。だけど現実だったんだよな。やはり面白いな、現実は。不愉快だったけど。
 思うに、何もかもがお釈迦様の手のひらの上のこと。飛行機が空中爆発しても、お釈迦様の手のひらに落ちるだけだよ。気にしない、気にしない。

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2005年12月17日 (土)

■行こう、手の鳴る方へ!■

GREAT MECHANICS 19 グレートメカニック 19号gm-19

●「映像都市の文化誌 宇宙戦争と9.11」…いい加減に賢しらぶるのはやめようと思った。
●「DVDで復習 『スター・ウォーズ』最後の一本」…仮想敵を想定して記事を書くのは空しいと思った。読んだ人が元気になれる記事以外は今後二度と書くまい。
●「オヤヂ酒場」…藤津亮太さんとの対談ならぬ雑談記事。渋谷の女子高生だろうが麗しきミセスだろうが、女はオヤジになれない。今、オヤジをやれていて、最高に幸せだ。
●「『リーンの翼』富野由悠季監督インタビュー」…富野監督はとても楽しそうだった。思い出すと、その日は朝から晩まで楽しいことがいっぱいの一日だった。よって、記事も面白いはず。

 昨夜、吉祥寺の葡萄屋で飲んでいたらロフトの斉藤さんから電話があった。来月というか来年はロフトプラスワンで『創聖のアクエリオン』イベント「神話的合体忘年会」。これを素敵な夜にするためにどうしたらいいのか考えよう。

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2005年12月15日 (木)

■スペースエイジのバラッド■

『EX大衆』1月号

ex-2 ●「ガンダム的生き方26佳言!」の構成・執筆をやりました。
ヌードグラビアの間に、4Cカラーでガンダム名言集。これは奇観。読むべし。

「まだこんなこと書いてるの? 前にも似たようなこと書いてたジャン?」
「書いてたよ。そして、また依頼があれば絶対に書くよ」
「そんなに同じことばかり書いてて、なんか意味あるの?」
「あるよ。読者は常に入れ替わっていく。新しい客がついてるのに、おいそれとスープの味を変えられるか?」
「ラーメンと雑誌は違うんじゃない?」
「ラーメン屋に行ったら雑誌ぐらいあるだろ。床屋にも喫茶店にも」
「雑誌は本屋で買うでしょ、ふつう?」
「そっちの方が特殊だよ。雑誌は街のあちこちに捨てられ、踏まれ、拾われる」
「そして、ちり紙交換に出されるんでしょ?」
「リサイクルだな。つまり、世の中の役に立ってる」
「そうかも知れないけど、私のいくラーメン店にはこんな雑誌なんかない!」
「まず、俺のいくラーメン屋ときみのいくラーメン店の相違について話さなくてはならんな……そういや、今夜は阿佐ヶ谷のラーメン屋で夕食をすませたよ。メンマラーメンを頼んだら、ワカメラーメンが出てきた。俺は自分の滑舌の悪さを呪ったね」
「どうせ“注文と違います!”とは言えなかったんでしょ?」
「言わないね。新しい客ってのは、柔軟性がとりえだからさ」

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2005年12月 9日 (金)

■一夜■

 この近辺の家々がクリスマスシーズンになると飾り付けに熱心なのは、たぶん都会が遠いせいだろう。たとえメディアが植えつけた幻想だとしても、クリスマスはロマンの源泉だ。馴染みのない街、たとえば日比谷だとか赤坂だとかそんな大人っぽい地名だとか、そこに飾られているだろう大きなクリスマス・ツリー、行ったこともない高級レストランのディナー、夜景の見えるバーであるとか、それらはメディアが加工したがゆえにいっそう華やかで、現実味が薄いぶんだけ蜃気楼のように美しいものに感じられる。
 近所の花屋ではガラスケースの向こうに花々が今やおそしと出番を待ちわび、焼きたてパンの店はケーキの予約の張り紙を出している。商店らしい商店は、たったそれだけの通りだが。
 横断歩道の近く。塀の上の猫に話しかけている人がいた。そんな季節なのだろう。坂道をくだっていくと、宵の明星に手が届きそうだ。届くのかも知れない。

 深夜のデニーズ。開いた本に顔を埋めるようにして何事かつぶやいている女の子。辞書は付箋でビッシリだ。どこの国の言葉なんだろう? 何時間も目を上げない。「どこの国に行きたいのですか?」と話しかける勇気もない。午前3時近く、お腹を空かせたカップルが席につく。ウェイトレスは韓国なまりだ。
 東京駅。飲食店はまだシャッターが下りたままで、弁当屋だけがにぎわっている。新幹線乗り場の前。こんな朝から、東京を離れる人々。みな、お腹を空かせている。お腹が空いても、東京を離れたい人々、離れなくてはならない人々。
 向かい合わせになった席のひとつに座ると、小学校の頃によく耳なじんだ歌が頭の中で奏でられた。「明日はどこから 生まれて来るの 私は明日が 明日が好き すてきな事が ありそうで 私は明日が 明日が好き」

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2005年12月 4日 (日)

「清掃作業」

 清掃のバイトは楽だった。ビルが大きすぎて監視が行き届かないため、サボり放題だったからだ。夕方、屋外に出るとチケット屋だとかクレープを売る店だとかが賑わっている。その界隈を通り抜けて広いバルコニーから刻々と暮れていく夕空を眺めるのが、日々の贅沢だった。何より、都心から隔絶された埋め立て地のアミューズメント・ビルというのが、孤独癖のある私にとっては奇妙にロマンチックに感じられたのだ。

 ビルは不思議な構造をしていた。貝殻の様に螺旋を描いているので、我々はよく道に迷った。仕事が深夜に及ぶと電源も落とされ、「昔、ここは墓場だったらしい」という常套的なおびやかしが笑いを誘った。デッキブラシ片手に「昔、ここは刑場だった」と唱えれば笑いが噴き出し、たとえ一晩の間ビルから出られなくても、同僚と愉快に過ごせた。


 仕事を終え、地階に通じるエレベータへ乗った。時刻は0時近かった。エレベータの扉は透明で、地下に着いた瞬間、もぞもぞと動く彼女の姿が見えた。厚手のカーディガンを着ていた。もう、そんな季節だったのだ。

 「迷ってしまって……潮留駅まで着ければいいんですけど」

 おそらく何時間も地階をさまよったのだろう、彼女の目は赤く腫れて、短い髪はかきむしったように乱れていた。右手には、デッキブラシ。新入りのバイトだと私は看破した。

 「大丈夫。外に出るにはコツがあるんだよ」

 私は、エレベータを降り、狭い物置から通路に出た。一般の客は立ち入らない近道だ。ウォーターフロントのビルには似つかわしくない古い真鍮製のドアノブを回す。その時だ。「これは変じゃないか?」と私は思った。こんな時間に女性清掃員が残っているなんて。ローテーションで深夜に女性のバイトは入れないようになっているはず。しかも、清掃員は二人コンビが原則なのだ。好んで居残っていた私ならともかく、こんな時間に女一人とは、いかにも不自然に思えた。

 「昔、ここは墓場だった」

 例の常套句が浮かび、よもやと彼女の横顔を見た。血色はよくない。だが、瞳は澄んでいる。そして、見るのがつらいぐらいに疲れていた。

 思い出しても不思議なのだが、私は全く迷うことなく扉を開け階段を上り、広いガラス窓の玄関まで彼女を導くことができた。のみならず「階段が長すぎると思ったら引き返すこと。地階から一階へ出るには、昇りばかりとは限らない」と、彼女にヒントを与えたりもした。この複雑なビルの構造をある程度まで把握していたとはいえ、多分、私は妙に張り切っていたのに違いない。
 途中の物置にデッキブラシを置くように言うと、彼女は躊躇した。

 「これ、別のフロアから持って来ちゃったやつなので……」

 「いいんだよ、誰にも分かりはしないから」
 柱のかげに、そっと隠すようにデッキブラシを置いて戻ってくると、彼女は初めて小さく笑った。

 ガラスに仕切られた表玄関の外は、広い公園の先にモノレールの駅があるだけだった。ここまで来れば、迷うことはないだろう。暗い芝生のあちこちに、街灯もある。

 「あの、出来れば潮留駅まで……」

 送って欲しいという意味だったのだろうが、「駅はあっちだから」、そんな調子に答えて、私は彼女と別れた。しかし、とてもモノレールのある時間ではない。私はビルに帰って仮眠したが、彼女は灯の消えた駅に向かって、一人で公園を歩いて行ったのだろう。あの疲れた目で道を確かめながら。

  私は、彼女と二度と出会う事もないまま、清掃のバイトをやめた。やめた後もしばらく、時々そのビルへ来ては、バルコニーから夕日を眺めた。すぐそこのチケット・ショップで、手に入れたい上映会の券が売れ残っているのを知っていたが、いつも買いそびれて手ぶらで帰った。


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 この文章を掘り起こして思い出したのだが、大学の頃にちょっだけ深夜清掃のバイトをしていたことがあった。ただひたすら無意味だったあんな体験を、いちいち覚えている脳というのは偉い。

 この文章を書いたのはかなり昔のことだが、今になってちょこちょこ手を加えるのは楽しい。くすぐったい感じがたまらん。

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2005年12月 2日 (金)

■また旅に戻る■

 感情の状態としては、固体よりも液体の方がよく、たまには気体でいるような状態が好もしい。自分を一枚岩のように変化しないもの、せいぜいガンダムがZガンダムにバージョンアップする程度のものだと思っている人が少なくない。もちろん、足りない部品を探して苦労して継ぎ足していくことも、社会で上手に立ち回るのに必要だ。
 でも、それだけじゃないんだよ。それだけでも何とかなるんだけどね。同じような完成度の人たちとそこそこの仕事をして、そこそこ充実感を味わうなら、それだけでいいんだけれど。
 「俺にはどうしても足りない部品がある。ここ、粘土で埋めて代用しとこう」。本当にそれでいいのかどうかは僕自身にも分からない。正しい部品を探してこれた人たちから、圧倒的にバカにされたりもする。実際、ここ数日に二人もの人から連続して「廣田さんは、自分が尺度になり過ぎている」とお叱りを受けたので、自己肯定するような気分にはなれないし。
 ただ、ひとつだけ分かっているのは理想を持つこと(僕の場合は、おもに仕事に対する理想だが、もちろん人間関係への理想もある)。自分の理想に合うのか合わないのか……それを尺度にするぐらいは辛うじて許されていいはずだ、と。いや、許されないのかもね。理想と理想が違うから、人はいさかいを起こすんだろうから。

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