「木々」
その家は繁茂した樹木の奧にあり、薄暗い中にコンクリートの壁が陰鬱に見え始めると、私はいつも見知らぬ誰かの庭に入り込んだ様な罪悪感に近い気持ちに陥るのだった。
その日は、彼の恋人を私の仕事仲間のパーティーに連れていった帰りだったので、いつもに増して罪に似た気持ちを感じながら門をくぐった。彼女は常に私に寄り添い、
「インテリですよね、彼は」
などと快活に私の仲間に話しかけ、
「こんな感じでいい?」
と目で確かめてくる。もちろん、列席した誰もが彼女のことを私の恋人だと信じ込んだだろう。私は目上の編集者に適当な挨拶をすると、
「これから、彼女と約束がありまして」
と早口に言いつくろって、パーティーの場を辞した。もともと来場したくもなかったのだ。その言い訳のために、友人の恋人を拝借したのであった。
私の恋人役を演じてくれた彼女を友人に返すために、こうして鬱蒼とした木々をくぐっている。こうした罪悪感は、しかし気持ちの悪いものではなかった。彼女は知らない人々と言葉を交わして高揚しているらしく、帰りの車中でも喋りっぱなしだった。
「最近、あなたの記事ばかりでしょう? この人、雑誌であなたの名前を見るたび、オエッなんて言うの」
彼女は、私に笑いかけた。友人は、その会話を無視していた。
「何がオエッ、なんだよ?」
私は日の落ちかけた窓際で沈黙している友人に問いかけた。私が彼女を連れ出したのが気に入らないのだろうか。
「君の恋人なら、こうして返しに来たじゃないか」
「次に借りるときは、断らなくていい」
彼は怒っている風でもなかった。その朴訥とした言葉には、むしろ不思議な親しみが感じられた。
ともあれ、彼は何か用事でもあるらしく、どこかに出掛けてしまった。彼が居なくなると、さっきまで数人の人間が思い思いに話していた部屋が、急に深閑と静まった。そんな錯覚を起こさせるほど、彼の家には常に何人かが出入りしているのだった。彼の弟、そのバンドの仲間たち。どこで知り合ったのかファッションデザイナーの卵、以前に働いていたプロダクションの先輩、などなど。彼も彼女も社交的で、誰とでも平等に言葉を交わす……
ランプシェードが、プリンの様なクリーム色の光をぼうっと灯している。酔ってでもいるかのようにご機嫌な彼女は、何か食べるものを買ってくると言って、車で出ていってしまった。私は、この広い家で留守番をする羽目になった。
危惧した通り、しばらくすると彼女から電話があった。道に迷ってしまったので、もう少し待っていて欲しいという。慌てていても陽気な彼女の声を聞いて笑いが出た。
「ゆっくり帰ってきなよ」
私はそう答えた。
私は、すっかり闇に沈んだコンクリートの家を出ると、門の前に座って彼女の帰りを待つことにした。彼女が買ってくるであろう外国製のチーズやクラッカーの銘柄を頭に思い浮かべながら。
この家の隣は鉄柵に囲まれた教会だと私は知っている。四方から虫の声が聞こえている。少し眠い。携帯電話はポケットに入れてある。もし眠ってしまっても、彼女からの電話が起こしてくれる。座ったまま振り返ると、陰鬱な林の奧にコンクリートの壁が微かに見えた。
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この夢に出てくる友人は、実は先日の日記に出てきたメグロくんだ。
こんな風に、僕は彼と彼女の暮らしの一番外側に触れていたような気がする。
(もちろん、ディテールは粉飾してあるし実体験ではない)
この文章を読み返してみると、ドラマの始まる一歩手前でプツン、と途切れる雰囲気が自分は好きなのだと思う。
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コメント
管理人さま いや筆者さま、おはようございます。TAKAです。メガ80’sが閉鎖になって、少し残念です。
がしかし、こちらにアップされる作品を拝読するにつれて、「(お会いしたことはございませんが)きっと、今一番フィットするスタイルがこれなんだな。」という気持ちを強くしております。
応援しております。
ところで、この作品の「友人の彼女」との距離感、大学時代を思い出しました。私の場合、「彼女の彼氏」は友人ではありませんでしたが。
あのひとには、さまざまな感情をもらいました。
「ハチミツとクローバー」を見るときに感じる気持ちと、なんだかクロスオーバーしてしまって、ちょっと切ないです。
「彼女」・・・デキる女性なんでしょうねえ。
投稿: TAKA | 2005年11月17日 (木) 07時37分
■TAKA様
感想、ありがとうございました。
書き方がまずかったのかも知れませんが、やっぱり「友人」もその「彼女」も実際とは違います。
ベースとなった夢を見たのは数年前のことだし、「思い出」というわけでもありません。
そして、こうやってウェブに公開してしまえるほど「大事じゃないモノ」なんです。
こんな感傷的な気分を、何年も持ってるもんじゃないですよ。どんどん捨ててくべきなんです。
投稿: 廣田恵介 | 2005年11月18日 (金) 08時31分