■(仮)のもの■
EX大衆 5月号 発売中
●愛ドルのリコーダー 中村知世
●桜井まり
●大島麻衣
●相沢真紀
それぞれ、グラビア・ポエム執筆。よく「そんなことやらないと、食えないんですか?」という顔をされるが、文字数以外、内容に何の制約もない自由な仕事なんて、ほかにないよ? それに「好きなように書いていいです」と言われると、意外に書けないもんだ。しかも、それをお金のもらえるレベルにしなきゃならない。
たった今、押井守監督のインタビュー起こしをやっているけど、面白い。こんな面白い話が聞けるってだけで、アニメ好きで良かった。
どうせみんな掲載誌なんか読まないんだから、この取材テープをアップロードした方が、世のため人のためになるんじゃないの?と職業倫理を投げ捨てたくなるぐらい、面白い。だって、みんな見事に本を読まないもん。渋谷陽一が書いていたように、インタビューって上を見れば際限がないぐらい難しい。テクニックが必要。でも、どれぐらいニーズがあるんだろうかと考えてしまう。好んでインタビューを読む人は、もはや特殊なお客さんではないのか。
電車に乗ったら、みんな携帯かPSPを開く。本を開く人がいると「おっ」と感心してしまう。日本人はモニター依存症になってしまった。訴求力で言ったら、やっぱり文字より映像の方が強いんだ。
それも理由のひとつだけど、「書く」ということに僕は何の幻想も持っていない。お金をもらえる文章と、そうでない文章との差は歴然とあるけど、それすら絶対的なものではない。別に魔法を使って書いているわけじゃないし、ライターに免許なんかないんだから、ケースバイケースではないだろうか。
伝達だけが目的だったら、ネットの方が有効だと思う。事実、僕が仕事で書いた文は読まれてないのに、このブログはあっちこっちで叩かれてる(笑)。それでも、読まれているだけマシなのかも知れない。「読まれない」という事実に対峙しないと、僕の仕事には緊迫感が生まれない。「読んでくれるに決まってる」と思って書くと、たちまち内容が弛緩する。そういうヤツの文章は、一読しただけで分かる。
現実を直視しないと、その先の理想も野心もリアルにならないんだよ。まずパンチを食らわないと、こっちの一打は出せない。痛いから殴り返せるんだ。
と思っていたら、友達が「本って、いいもんだよね。たまに読むと、安心感があるよね」なんて
言う。持ち運べるし、人に貸せるし……と言う。「それは、紙とインクだからだよ」と俺は答えた。「本ってのは、物体だから」。
すると、こうしてネットに書き付けている文章というのは、「まだ印刷される前の文」とも考えられる。ネットの中のものは動画、音声、すべてバーチャル。文もバーチャル。電源を引っこ抜いたら消える。すべて仮のもの。この考えは、ちょっとだけ僕を安心させる。
でも、「もっと本を読め」とか「ペンの力は偉大だ」とかいう石頭をどっかで捨てないと「次」が来ない。「次」というのはネットで読む文学とか、人気ブログが書籍化などフォーマットのことではなく、「どう伝えるのか」っていう根源的なコミュニケーションの手段のこと。それが見つかったとき、僕はブログをやめるんだろう。
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