2015年3月 5日 (木)

■0305■

昨日、『痴漢被害根絶のため、「車内防犯カメラの設置」と「学校での性暴力対策教育」を求めます。』署名()の提出のため、文部科学省へ行ってきました。
Dsc_1972結果から言うと、文科省には受け取ってもらえませんでした。「性暴力」と「性教育」は担当部署が違うとかで、どこが受け取るべきか分からない……とのことです。「痴漢被害の署名」と言ったときも、首をかしげるような態度で、もし「義務教育で性犯罪について教える」こと自体にピンときてないようだったら、道は長いと感じました。

もうひとつ、いかにもお役所だと思ったのは、受付で「どの部署に行くべきか」問い合わせてもらっているうち、「文科省の代表に電話してください」と言われたこと。「え? ここ、文科省ですよね?」「はい」「文科省のロビーから、文科省の代表に電話するんですか?」
やむなく電話すると、待ち時間だけで10分ぐらいかかって、結局、どこに提出するか分からない。帰宅してから再度電話し、「おそらく保健指導係」と聞いたので、そこ宛てに郵送しました。直接行ったら、また「ウチじゃない」「電話して」と言われるからです。


もう一箇所、JR東日本へも行きました(他のJR各社へは郵送で提出)。
こちらは、ロビーに「サービス品質改革部」の社員の方、男女二名が降りてきてくださり、会議室で署名の要請内容を話しました。ちゃんとメモして、「お客様の声として記録する」と言ってくれたのですが、署名簿は受け取ってくれません。社内の決まりだそうです。「個人の集めた署名は受け取れない」とのことです。「では、団体だったら受け取ってくれるのですか?」と聞くと、団体が署名を持ってきたことはないそうです。

なので、JR東日本へ提出予定だった署名簿は、日本民営鉄道協会へ郵送しようと思います。この数時間の行動は、すべて空振りに終わったわけですが、実際に人と会って話すと、「答え」は得られなくても、肌触りとしての「情報」を得られます。たとえば、文科省は人を待たせても平気、自分たちの休み時間が最優先(態度がソワソワしてるのが分かる)。JR東日本は、飽くまでもこちらを「お客様」と扱うので、対応はソフトだが、「社会問題をともに解決する」という姿勢ではなく、あくまで「サービスの向上」が目的……など。

意見を言いたい「相手」に対面するのは、経験として身体に残ります。


防犯カメラも、性犯罪を防ぐ教育も、いずれにしても時間のかかる案件だと思います。そこFlxhfで、新学期が始まる頃に、『痴漢犯罪をおかすと、○○罪に問われます』といった文言を書いたステッカーを作ろうと思います。
しかし、ステッカーが出来てから「そんなもの配るな」と警察から道路使用許可が下りなかったら意味がないので、デザイン段階で警察に見せに行こうと思います。

配布するときは、ひとりでやります。本当は女性が配ったほうが効果的とは思うけど、「誰かボランティアに来ませんか?」とは呼びかけません。だって、誰も来なかったときのダメージがでかいですから。
表現規制反対の活動をしていたときも同じだったけど、何もしない人ほど、「こうすればいいのに、何でやんないの?」「俺だったらこうするんだけどなあ……」と、理想を描きがちなんですよ。「じゃあ、あなたの思ったとおりに、あなたが実際にやればいいじゃん?」と思うんだけど、「ネットで他人を批判すること」を「活動」と呼んでいる人もいるぐらいなので。

ボランティアでステッカーをデザインしてくれたり、署名簿を刷ってくれる友人はいます。彼らは、決してネットでぼやいたりしません。行動あるのみです。
だったら

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2015年3月 1日 (日)

■0301■

アキバ総研 【懐かしアニメ回顧録第3回】セルアニメ版「アップルシード」。唯一の実写映像付きOVA!!

さて、第3回ですが、どうでしょうか。誰もが心からガッカリしたOVA版『アップルシード』です。あの、ぜんぜん見たこともないキャラが出てきて「うわ、どうしちゃったのコレ?」って、悪い意味で驚くセルアニメ版ね。
前回が『プラトニックチェーン』だったので、何となく方向性が見えてきたでしょ? そうでもない? 懐かしアニメというより、「あんまりよく覚えてないアニメ」再評価です。この連載は。


『Gのレコンギスタ』第22話「地球圏再会」、良かった。

月のコロニーで、自分の生家を見てきたベルリが、育ての母と再会する。もちろん会話はかみ合わないが、母に抱きしめられたベルリをゆっくりとPANするカットが残酷なようでいて、ベルリの心情に寄り添うような手つきで、ゾッとするほど上手い。殺伐と哀しくもあり、なぜか少し嬉しくもある……その繊細なあわいを描き出すのが、演出の役割だと思う。

もうひとつ、記憶喪失になったのか人格改造されたのか、まるっきり説明されていなかったPxkyf4hz0 マスク(ルイン)と、彼を慕いつづけたマニィの再会。マニィは敵と見なされつつも、発光信号で「ルイン」と、マスクの本名を伝える。すると、マスクはマニィを「圧倒的な味方」と呼ぶんだよね。論理的整合性はない、説明されないんだけど、だから泣けるんだろうな。
いくら言葉にしても伝えられない矛盾や苛立ちを、「ルイン」という名前で、しかも信号にして伝えたから、だから伝わった。どの組織がどういう思惑で動いて……とか、もう関係ない。富野おじいちゃんは、頑張って伝えたかったんだな。生きているうちに、知っていることすべて。「お前さん方、誰かにとって、圧倒的な味方になれよ!」って。確かに、これはオジサン向けではない。


そうして再会できたマニィとマスクが抱き合っている横で、マスクの右腕だったバララが、私は何も気にしてませんよって顔で、ひとりで伸びをしている。だけど、マスクの前を去るとき、バララは自分のヘルメットを、彼から乱暴にひったくってるんだよね。しかも、その芝居はフレームの外でやっている。カメラが撮ったのは、バララの背中だけだった。それがまた、寂しくていい。

パイロットたちが雑魚寝しているシーンの次に、ブリッジで仕事している人たちが映る。誰かが寝てるときは、誰かが仕事している。フレームの外で、いつも必ず誰かが生きている。そう考えると、実は主人公たちの人生の晴れ舞台ってのは、この全26話には入ってないような気がする。シリーズの前後に広がってるんだ。
組織の中であれこれ争っている大人たちを見限って、子どもたちが「……行こう」と冷めてしまう。もう、大人たちの人生は終わっているから。彼らは、子どもたちを支配できない。世界は、フレームに収まらないほど大きかった。それが、富野おじいちゃんの生きてきた実感なんじゃない? とても誠実だし、スケールの大きな作品だと思う。

(C)創通・サンライズ・MBS

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2015年2月27日 (金)

■0227■

超合金Walker 発売中
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●村上克司さん、大石一雄さん、野中剛さんインタビュー
昨年から超合金の仕事が続いているのですが、今回は生みの親である村上さん、育ての親である大石さん、新世代第一号ともいうべき野中さんのインタビューを書くことができました(野中さんのみ、取材に同席できなかったのですが)。

どなたのお話もインパクトがあり、特に同世代である野中さんの「80年代のアニメブームより、70年代の仮面ライダーやマジンガーZの方が、より自分の深い部分に根を下ろしているのではないか」的な発言には、ハッとさせられました。
僕が、ライダーや東映ロボットを避けているのには、何か理由があるのでしょう。

ACE IN THE GUNDAM  U.C.0079‐U.C.0096 宇宙世紀のエースと専用機の系譜 発売中

07339593 ●『機動戦士ガンダムUC』パート執筆
「ガンダム」のアニメ、ゲーム、漫画などのパイロット本です。ひさびさに、物語設定の中での「ガンダム」本に参加させていただきました。一社独占ではなく、アニメ本と縁の薄い出版社が「ガンダム」ビジネスに新規参入できるのは、健全なことと思います。

「ガンダム」本って、いろんな編集部やライターが「この言い方、カッコいいな」と互いに流用しあって、独特のテキスト文化をつくっていった部分があります。ビームライフルを「持つ」でも「装備する」でもなく、「携行する」とかね。「強いビーム」ではなく、「高出力のビーム」とか。
だけど、アニメの制作現場では、そんな言い方はしていないので、ガンプラの解説書などから発生した文化なんでしょうね。


映画【ら】の水井真希監督をゲストにお呼びした、『表現の不自由』第五回、プレミアム会員の方は来週木曜まで視聴できます。(
Bxj_ojviaaczmcこれはね、終盤の水井監督の「どこから先が性犯罪になるのか?」というお話が、とても面白い。だけど、延長する機会を逃してしまったので、また次回やります。
というか、舞台挨拶を中継できないか、トークショーを中継できないかという相談も受けているので、【ら】との付き合いは、もう少し続きそうです。3/7より、渋谷アップリンクにて公開。

今回は性犯罪の話だったけど、たとえば、みんな今どうやって暮らしているのか、どこに生きづらさを感じているのか、僕にはすべて繋がって見える。アニメ・オモチャ系のライターだからって、社会性をバツンと切って閉ざしてしまうのは、僕には違和感がある。社会的な記事を書く技量はないけど、エンタメってのは社会の影響を受けざるを得ないので。あと、オタク性ってのはセクシュアリティと不可分だとも思うし。

とは言っても、本当の本当に苦しいことは、さすがにブログにも書けないけれどね。どうやったら楽しくなるのか、何が幸せなのか、いつも意識していないと坂道を転がり落ちる世界に生きている、とは感じる。

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2015年2月25日 (水)

■0225■

モデルグラフィックス 4月号 発売中

Photo
●組まず語り症候群 第28夜
今号は、アオシマのオーディオ・シリーズのプラモデルが二つ手に入ったというので、久々にメカ物です(サブタイトルは「カラオケのオケはオーケストラのオケなんだぜ」)。しかし、このページも人気があるんだかないんだか……。編集部からの「一冊にまとめませんか?」って話も、どっかへ消えてしまいました。

だからというわけではないのですが、僕のコピー誌[Fig 50's]を、『組まず語り』の感想を書いてくれた読者の方、20名にプレゼントします。20名というと、おそらく応募者全員でしょうけどね。
よろしくお願いします!


4月に、ギリシャのサントリーニ島に旅行するので、あまりお金を使わずにおとなしくしようとしていたのですが、3月に引っ越すことにしました。いま住んでいるマンション(……に見えるけど、中身は木造アパート)が、あまりに耐え難いから。
最初は旅行から戻って、5月ごろから物件を探してみようかと思ったんだけど、下手にネットで問い合わせてはいけませんね。不動産会社をたらい回しにされ、その中のさらに一社にたらい回しにされる。

あのね、去年の秋ぐらいに湯浅誠さんの本などを図書館で借りて、貧困について調べたんです。僕がライターという引きこもりがちな仕事をしている間に、世の中は激変していた。僕が大学を卒業した年って、まだバブルの余熱がたっぷりで、「就職すれば一生安泰」と信じられていたし、「バイトで食いつなぐ」ことが、気楽な生き方だと肯定されていた。
今、ワンルームを貸し出している不動産屋や引っ越し業者は、あの頃の浮ついた感覚で「サービス」している。いまが繁忙期だから強気なんだろうけど、自分で「繁忙期なので」と、満面の笑みで、割増料金を要求してくる。
「お金に余裕のある方からは、早めにとるようにしてる」なんて、平気で口にしちゃう。

若い彼らは、人のいなくなった、あの寂寥としたパーティ会場を見ていない。
僕らは、見たからね。三年間もバイトした模型会社で、アルバイト全員がいきなり解雇された瞬間を、僕はまだ覚えている。16億円もつぎこんで、一本もゲームを完成させられなかったゲーム会社から、次々と人が消えていった朝も、よく知っている。
パーティは、いつか必ず終わるんだ。


だけど、不況になってバイトが全員クビとか、社員半分リストラとか、まだ目に見えていたからマシだったのかも知れない。「ああ、これで終わったな」って分かるから。
今の不幸って、目に見えづらいんじゃない? 医療被曝は分かるけど、原発事故で自分がどれぐらい被曝してるか、そこまでは分からないじゃない? 後から、「実は基準値ごえの汚染水、ずーっと垂れ流しでした」なんて言われても、もう元には戻らないじゃない? だから、怒るタイミングさえ貰えないわけ。感情の動きさえ、えぐり取られている。後から、気づくんだ。

不幸な人って、自分が不幸であることに気がついてない。僕だって、そうかも知れない。不動産屋や引っ越し業者が、盛大に金を要求するから「待てよ、ちょっと変だろうよ」と言い返せる。「俺のこと、騙してねえか?」って睨みかえせるうちは、まだマシなんですよ。
だから、「いま幸せな時代だな」って、漠然と思っているとしたら、それが怖い。不幸も幸せも、この目で見て確かめるまで、信じてはいけない。

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2015年2月23日 (月)

■0223■

日本映画専門チャンネルで、『花とアリス』。
12297_sub_066504ea33bc8983381077240公開時の11年前は、普通に「上手いなあ」と感心して見ていたはず。元嫁も岩井俊二監督が好きだったので、「蒼井優と鈴木杏、どっちがいいか」みたいな話をした記憶がある。
2人が縄跳びの縄を回して、憧れの先輩を飛ばせようとする。だけど、先輩は飛べない。なぜなら、彼は2人に騙されているから。その表徴を説明しすぎず、カットをバツンと切るところが上手い。不在だとか、空白を「存在するもの」を使って、何とか浮かび上がらせようとする意欲が感じられる。

そもそも、「先輩が記憶喪失になった」設定自体、鈴木杏が思いついた虚構であって、「だから、先輩は記憶喪失から回復しない」とウソをウソで強化して、自分の気持ちに都合のいい現実を作ろうと努力する。
それは、人間ひとりに認識可能な現実が、あまりにはかなく、薄っぺらいからだ。


鈴木杏は、文化祭で落語部(落語も、その場にいない人物同士を会話させる話芸だ)の一員として出演する直前、舞台袖で先輩にすべてを告げる。
しかし、舞台上では落語部の部長が、鈴木杏の準備が整うまでの間、必死に間を持たせようと奮闘している。いつも思うことだけど、鈴木杏に与えられたミッションは、憧れの先輩に涙の告白をすることではなく、一秒でも早く舞台に上がって、落語を演じることのはず。ところが、自分の気持ちがすむまで、えんえんと告白を続ける。
告白している暇なんかない、だけど告白したい、そのせめぎ合いを避ける。脇役の部長に、すべて押しつけている。日本映画の抱え込んだ疾病だと思う。「想い」が、状況に優先する。

もし、鈴木杏が先輩に想いを伝えたいのであれば、まず舞台の上で奮闘努力している部長を助けることも同時に考えなければならない。その合理性の中でこそ、「想い」という理外の理が伝わるのだと思う。


もうひとつ、蒼井優がオーディションでバレエを踊ることで、雑誌モデルとしてデビューする。そんな一部の業界の価値観を、ドラマの中で成功体験として位置づけている。
鈴木杏の告白シーンで、コメディリリーフの部長を見捨てたように、ここでもオーディションに落ちる他のモデルたちを「愚かな女たち」「残念な連中」として描いている。そんな描き方をすれば、蒼井優が受かるに決まっている。

バレエを踊る蒼井優に向かって、男性編集者とカメラマンは「下、何か履いた方が…」と言う。パンツが見えてしまうからだ。その気遣いに対して、蒼井優が「減るもんじゃないので」と答えるが、それはオッサン都合の妄想ではないだろうか。そこでハッとして蒼井はバレエをやめるんだけど、それでも素晴らしい踊りだった……では、なぜいけないのか。
女子高生というか、少女を「オッサンの都合を無制限に受け入れる女神」に祭り上げてしまっている。しかも、「パンチラが良かっただけでしょう」と文句を言う立場の広末涼子を、わざわざ「偶然に長電話している」というシチュエーションで、現場から外している。姑息ではなく、露骨です。せめて、広末が「あなたもプロなんでしょ、パンツぐらい何よ」って言えば、オッサンの都合でオーディションに受かったようには見えなかったのに。


ようはね、ちょいちょい、責任回避させる映画なんです。かわいい登場人物たちに。広末にしっかり責任を負わせないと、「社会人」として描けないでしょ。無責任な大人たちに認められて雑誌の表紙になって、それが女子高生にとっての成功体験というのは、あまりに貧しい。(もし蒼井優が、熱烈に芸能界に入ろうと頑張っていたのなら、話はまったく別なのだが、「プロのカメラマンに撮ってもらえて、女の子が嬉しくないわけないだろ?」という付け足し感がね……)

『風立ちぬ』で、二郎が喀血した菜穂子に会いに行くとき、大慌てしながらも図面をカバンに忘れず入れて、汽車の中で、ぼろぼろ泣きながら計算をしている。「想い」を抱きながらも、責任を忘れていない。現実にあらがう、とはああいうことを言うのだろう。

(C)2004 Rockwell Eyes・H&A Project

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2015年2月21日 (土)

■0221■

ずっと探していた『第九軍団のワシ』、ようやくレンタルで。
Sub_large ローマ帝国第九軍団が、北方で消息を絶って20年。第九軍団の隊長は「軍団の象徴であるワシの像を蛮族に盗まれた」と、汚名を着せられていた。その息子、マーカスは見事な指揮で砦を守り、部下を命がけで救出したことから、栄誉を受ける。
軍を名誉除隊したマーカスは、父の汚名をそそぐため、北の彼方にあるという蛮族の地におもむき、ワシの像を取り戻そうと考える。しかし、当地に詳しいのは、ローマ人に憎しみを抱く奴隷の青年ただひとり。もしかすると、旅の途中で裏切るかも知れない……果たしてマーカスは、ワシの像を見つけ出して、父の名誉を回復できるのだろうか?

原作小説を、宮崎駿が絶賛したんだよね。映画は、ディテールの手堅い冒険娯楽モノに仕上がっている。下手に美女だとかラブロマンスだとか、出さないところが潔い。徹頭徹尾、友情と忠誠の物語。
僕らも、「命をかけて」とまでは言わないまでも、日々、友だちと信頼をやりとりして生きているはず。50歳も近くなれば、そういう手ごたえを人生に感じていないと、空しいでしょう。だから、身のまわりの人間関係を想起ざるを得なかった。

途中、あまりにも広大で尊大なローマ帝国が、現代のアメリカと重なって見えるんだけど、それは意図的にやった(アメリカ人俳優にローマ人を演じさせた)んだそうです。
「どの方向から、何とでも批判していいよ」という、キリッと勇ましい映画です。充実した二時間を過ごせた。


『「マンガ・アニメ」をもっともエンターテインメントだと感じているのは20代(約3割)! 一方、「コンサート(ライブ) 」は全世代で6割から7割にも』(
バンダイナムコゲームスによる「エンターテインメントに関する意識調査」の結果。エンタメの第一位は、ライブやコンサートで、アニメやゲームは20~30代の一部が楽しんでいるにすぎない。

アニメのディスクを売るとき、初回特典として「イベントチケットの優先購入応募券」ってあるでしょ。それを目当てで買わせようって言うんなら、もはやアニメ本編よりもイベントの方がお金を出す価値がある……と、メーカーが認めてしまっているわけだよね。
僕の周囲でも、アニメのディスクは全く買わないけど、声優のコンサートは必ず行くって人はいるからね。アニメ業界も、その娯楽的価値の変遷には、とっくに気がついているんだろう。知人に言わせると「アニメ自体はまったく面白くないが、主題歌アーティストの売り方が抜群に上手い」メーカーもあるという。


メーカーがアニメを製作するようになって、映像そのもので回収しようと考えるようになって、2006年にアニメの制作本数がピークを迎えたけど、その頃ですよ。ネットカフェ難民という言葉が生まれ、日本の貧困率が注目されはじめたのは。みんな、お金がなくなった。
いちどテレビで無料で見られたアニメが二話分のみ、正味一時間しか入っていないディスクに、毎月6,000~7,000円出してくれというビジネスは、もうさすがに成り立たない(まだやってるけど)。今度は、ディスクを買うと、本編を端末にダウンロードできるサービスが開始される。場所をとるディスクは、どんどんオマケ化していく。

なのに、いまだにディスクが何枚売れたか……でしか、アニメの商品価値は計られない。僕らが本の企画を考えるときも、「あの作品は売れなかったからね」って話になる。
すると保守的な本ばかりになって、お客さんもオフィッシャルなもの以外、あまり読みたくないんじゃないか?とも感じている。
あるアニメ会社の偉い人の、「みんなで、こういう状況にしたんだ!」という苦渋に満ちた一言が、耳から離れない。

(C)2010 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

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2015年2月19日 (木)

■0219■

ニコラス・ローグ監督の『WALKABOUT 美しき冒険旅行』。1971年のイギリス映画。
Walkaboutオーストラリアに旅行に来た姉と弟。だが、特に理由もなく父親が発狂し、砂漠の真ん中で、子どもたちに発砲しはじめる。その不条理な行為が気持ち悪くて、なかなかゾクゾクする出だしだ。

姉は弟を連れて逃げ出し、小さなオアシスを転々とするうち、アボリジニの少年に助けられる。
「美しき冒険旅行」という無理やりな邦題がついているが、動物の死骸はこれでもかと出てくるし、カンガルーを原始的な武具で叩き殺したり、残虐なシーンが多い。そして、アボリジニの少年は、美しい姉と結婚し、廃墟で暮らしていくことを夢見るが、彼女に拒絶されてしまう。その末路は、あまりにも惨い。

では、何が「美しき」なのかというと、白人の姉を演じたジェニー・アガターのヌードだろう。『2300年未来への旅』や『狼男アメリカン』、最近では『アベンジャーズ』にも出演している女優だから、そっちの方が僕らのようなオタクには、馴染みぶかいはず。
そのジェニー・アガターが全裸で泳ぐ美しいシーンがあるのだが、アメリカではカットされて公開されたという。彼女は当時、16歳だったそうだ。


僕の借りてきたDVDはHDリマスター版で、つい今月、出たばかりらしい。
しかし、「16歳の全裸のシーンがある」と言われたら、今どきは「児童ポルノ」と烙印を押されかねない。22歳の歌手が、アメリカのファッション誌にトップレスのセミヌード写真を掲載したところ、国内で「童顔なので13歳に見える」「児童ポルノ」と批判されたらしい。笑ってすませられない、ある種の病理を感じる。⇒“米歌手セレーナ・ゴメスのトップレス写真に「まるで児童ポルノだ」の批判”(

それだけ、アメリカでは児童を狙った性犯罪が多いのだと思う。イギリスでも、たまにギョッとするような数字を目にすることがある。
だが、犯罪性のないヌードをいくら取り締まったところで、犯罪が減少するわけではない。欧米での聖職者による性虐待のニュースを見ると、彼らは何を正すべきか混乱をきたしてしまい、出口のない泥沼にはまっているかに見える。
なので、「先進国は日本などと違って、これだけ厳しいのだ、立派なのだ」と言われても、性犯罪の数字を見てしまうと、説得力が消し飛ぶ。

……にも関わらず、アメリカ映画もフランス映画も、その表現の幅はとてつもなく広く、自由だ。もちろん、この『WALKABOUT』も。その獰猛なまでの開拓精神には新鮮な気持ちにさせられるし、カンヌ国際映画祭に出品されたと聞くと、異質な文化を受け入れる柔軟さに胸を打たれる。


『WALKABOUT』でジェニー・アガターの全裸が出てくるのは、アボリジニの儀式で少年が「妻を得てもいい」と許されるからだ、との解説をネットで見つけた。つまり、ヌードが出てくるのには必然性があるし、エロチックに描かれる必要がある……と。
僕には、そこまでは読みとることは出来なかった。だが、ばっさりとカットして何か為した気になっている大国より、まだこの国には文化の解読者・理解者がいるのだ。

……いや、『WALKABOUT』のヌードシーンをカットしただけで、アメリカを文化的に野蛮だと断じてもいけないな。もっともっと、よく勉強しないと。

(c)1971 Si Litvinoff Film Productions. All Rights Reserved.

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2015年2月16日 (月)

■0216■

レンタルで、ジョディ・フォスターの監督した『それでも、愛してる』。
Main_largeうつ病に苦しむ男が、ぼろぼろのビーバーのパペットを左手にはめ、そいつを別人格として演じることで、周囲の人々と新たな関係を結びなおす。
主人公の幼い息子と、彼の演じる“ビーバー”が初めて会話するシーンだけで、もう他人事とは思えなくなってしまった。僕は離婚して十年の間、妻の飼っていた犬を「心の中で引き取って」、毎日欠かさずに会話しているからだ。その行為が何であったのか、この映画に教えられたような気がする。

メル・ギブソン演じる主人公は、大会社の社長で、その重圧に押しつぶされようとしている。だが、彼は“ビーバー”という相棒を自ら作り出し、彼を自由奔放に振舞わせることで、がんじがらめになっていた自分を解放することに成功する。
男であること、父親であることは少しも偉くない。「男らしさ」こそが、他ならぬ重圧なのだ。ジョディ・フォスターは聡明にも、その事実をつまびらかにする。白日の下にさらす。それだけで、この映画には価値がある。人々を解放する。自由にする。


『寄生獣』も、自分の体に別人格が顕現することで、ひとりの人間のパーソナリティが分裂していく物語だった。パーソナリティの分裂を防ぐため、新一はミギーを切断しようとしたことがあった。
だが、高校生ぐらいなら、むしろ積極的に自分を変えていこうとするのが自然な姿のような気もする。『それでも、愛してる』は、「自分は変わらない」「変えたくない」という強迫観念にとらわれた中年男が解放されるから、切迫感がある。

傍系的葛藤として、主人公の長男の話が進行する。彼は他人になりすましてレポートを書くのが得意で、学年主席の女生徒に卒業スピーチを依頼される。やがて彼は、彼女のカウンセラーのような不思議な立場をとっていく。
若い彼らも、やはり「言いづらさ」「生きづらさ」を抱えている。自分をオープンにして、己の置かれた社会的立場を、もっと活性化させたいと望んでいる。信用ある立場におかれた人間ほど、自分から解き放たれたいと願う。単に自由になりたいのではなく、融通無碍に自分を有効活用できないかともがく。
(普遍的なテーマだと思うのだが、意外とこの映画の知名度が低いのは、ある程度の運と才能に恵まれた人たちの悩みをテーマにしているせいかも知れない。)

例によって、映画の結論はどうでもいい。どうせ、プロデューサーの意向で保守的なところに落ち着くのだから。しかし、もっと多くの人、特に男性に見てほしい映画だ。


署名キャンペーン【痴漢被害根絶のため、「車内防犯カメラの設置」と「学校での性暴力対策教育」を求めます。】⇒
僕が今までやった署名の中でも、ワーストワンの集まりの悪さ。理由は、いろいろ指摘してもらった。それでも皆さん、この春から電車通学を始める子たちを、このまま見殺しにするつもりですか、と問いたい。

(C)2011 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.

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2015年2月14日 (土)

■0214■

EX大衆 3月号 10日発売予定
81ptspnaq9l
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN I 青い瞳のキャスバル』公開記念
シャア・アズナブル 知られざる過去 構成・執筆
いくつか切り口があると思うのですが、EX大衆的には「シャア」が受けるそうなので、『逆シャア』ラストのセリフを引用しながら、シャアと母親についてのコラムも書きました。
……ただ、『THE ORIGIN』は既存のシリーズに直結するわけではないらしく、書き方が難しいですね。宇宙世紀年表の抜粋も掲載したけど、飽くまで「参考程度」ということで。
最終的に“正史”となった『ユニコーン』に比べ、『THE ORIGIN』は、やや取り扱いが難しいコンテンツになりそう。


さて、本日2/14で、離婚十周年です。
離婚当初の、朝焼けのビルの屋上で風に吹かれているような、一枚の羽になったような無限に自由な気分が少しずつ降落してきて、あっという間に、紅灯の巷を這い回るドブネズミになってしまった気がする。

僕個人にとっては、2011年元旦、母が殺され、父親が殺人犯となったこと。それが離婚などより、ずっと大きな体験だった。公判が終わるまでの9ヵ月。それを過ぎても、事件にかかわった「普通の人々」の鈍感さ・愚鈍さには、憎しみを感じた。
事件のあった朝、離婚から始まった第二の人生は、これで終わったと思った。凍りついたような立川県警のロビーで、父親の残した飼い犬たちと、夜まで震えつづけていた(ドアには「開けたら閉める」と書いてあるのに、警官たちは必ず開けっ放しにしていく……そういう人たちなのだと思った)。

母の火葬が終わり、お骨を持ち帰ってくると、「どこでもいいから、海外へ行きなさい」という母の言葉がよみがえった。彼女の分まで、80歳まで生きてやろう、という気持ちになれた。
ところが二ヶ月後の3月11日、大震災が起きた。原発が爆発し、僕の誕生日、関東地方にも放射性プルームが来た。ずっと後になってから、ベランダに溜まった泥を測定したら、3,000ベクレルだった。


原発事故とインターネットは、切り離せないと思う。事故によってこの国のモラル崩壊が明らかになったが、崩壊を加速させたのはインターネットだろう。もしネットがなかったら、僕たちは直に顔を合わせて怒ること、議論すること、妥協点を見つけることが、かなり上達していたんじゃないだろうか。何しろ、これだけの難問を山積みにしているのだから。
ところが、ネットでボヤいたり嘲笑したり、「絶対に許さない」「死ね」「クズ」とつぶやくことで、みんな満足するようになってしまった。

いつだって、普通の人々に失望させられる。
原発事故の科学的影響よりも、たとえば汚染された食材が学校給食に出されて、子どもたちの口に入ってしまった事件。メールしたり電話をかけたりして県や業者を追求していくと、「国から聞かされてなかった」「あまり大ごとにしないでほしい」と、シレッと責任回避する人ばかり。「子どもたちに悪いことをした」と反省している人は、ひとりもいなかった。

彼らが特殊なのではなく、どんな業界でも、当事者意識をほったらかしに自分の仕事を貶め、価値を低めてしまっている人が多い。「自分の会社さえ良ければ」「自分の業界さえ良ければ」「クライアントと自分さえ儲かれば」など、原子力ムラ的な共同体意識に、あちこちで出くわす。
社会に暮らす人たちの方を、向いていないんですよ。


原発事故後、人に言われて頭から離れない言葉。

「日本人には、基礎学力がない」
「考えることが多すぎて、みんな、考え方が雑になっている」

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2015年2月11日 (水)

■0211■

マスコミ試写で、『カイト/KITE』。
上映前、宣伝会社の女性が「18禁アニメなんですが、物語がすごく良いのでハリウッドで実写映画化されたんです。原作アニメの出来も、すごく良いんですよ」と、熱心に説明していた。
読売新聞は昨年、児童ポルノ法改正にかこつけて、「日本製アニメなどの性表現の過激さが海外で強く批判されているのは確かだ。たとえアニメでも、子どもを性表現の対象とした作品が大手を振ってまかり通っては、日本が世界から信用を失う。業界は本気で自主規制に取り組むべきだ」()と根拠薄弱な持論を展開し、「どの作品を指して言っているのか?」という僕の質問にも黙ったままだが、批判されるどころか、たっぷり愛されている証拠が、13年もの紆余曲折を経て完成した『カイト/KITE』である。

映画は、原作アニメの『A KITE』とそっくりなシーンがあり、オープニングから驚かされます。ハリウッド映画人が、原作アニメのどこに惚れていたのか、よく分かる。キャラクター名も、そのままです。ちゃんと、体内で爆発する弾丸も出てきます。
1116047_1200舞台は、『第9地区』でもお馴染みのヨハネスブルグ。殺伐としたロケ地と、銀のこし風のザラッとした映像の相性がいい。近未来という設定なので、遠景はマット・ペインティングで地味な未来都市が描かれている(これ見よがしでないところがいい)。

で、アクションというよりは、バイオレンス映画。ありとあらゆる道具を凶器にして、「いや、その方法で人間の頭を貫通させるのは無理では?」といった殺しのシーンが続出するので、タランティーノ以降の「これはちょっとあり得ないのではないか?」という物理法則無視の無茶なバイオレンス描写と復讐譚が好きな人には、たまらない映画になっている。


ただ、ストーリーは難解。サミュエル・L・ジャクソンがアカイを演じているのだが、アカイの正体を、もっと早くサワに分からせる必要があったと思う。オブリの立ち位置も、いまひとつ分かりづらい。
だけど、小道具などで原作アニメの良いところを少しずつ拾っているので、「なぜ原作どおりにしなかった?」という批判は、あまりに酷な気がする。
それと、アダルトシーンを外したバージョンを原作にしているけど、サワとアカイは肉体関係にあった方が、2人の残酷な隷属関係がはっきりしたと思うんだよな……。サミュエル・L・ジャクソンが嫌がったのかも知れないけどね。

ラストシーンは開放感があって、とても綺麗。原作ファンはもちろん、コンプレックスにまみれた大手メディアの日本アニメ叩きにうんざりしている人は、応援のためにも見にいって欲しい。4/11から。


話題はガラリと変わるけど、【痴漢被害根絶のため、「車内防犯カメラの設置」と「学校での性暴力対策教育」を求めます。】という署名キャンペーンを始めました()。
これは、痴漢対策に関するアンケートをベースに立ち上げたもので、文部科学省とJRグループに要請文を送ります。

まだ署名開始から24時間も経ってませんが、集まりは悪いです。痴漢問題に限らず、ネットで匿名でゴネていたいだけであって、現実的解決策へ繋げようなんて考えてない人が多いから。児童ポルノを「性虐待記録物」と呼びかえる件でも、「法律に合わない」と理屈をこねる人ばかりで、「では法律を変えよう」なんて人は出てこない。しょせん、本気じゃない。

でも、だから世の中は変わらない。僕らは侮辱されつづけている。明日の朝の通勤電車で、また誰かが痴漢にあうでしょう。そして、吐き気のする思いで我慢して、沈黙を強いられる。
痴漢をする男には会社員が多いという統計があるけど、そんな方法でしか他者を屈服させられない、そうまでして他者を貶めないと自我を保てない男たちも情けない。
沈黙しているほうが何かと都合のいい世の中だから、僕はひとりでもいいから動こうと決めたんです。

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