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昨日は、『日本の巨大ロボット群像』展の記者発表だった。
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五十嵐浩司さんの記事がいちばん正確だと思うので、それをリンクしておこう()。1年ぐらいだろうか、ずーっと取り組んできた。今がいちばん苦しい時期と思う。


記者発表は朝10時半が集合で、打ち合わせ後に晩御飯……という流れもあり得るので、朝は近場でモーニングすることにした。
こういう場合、荷物が多ければ家から近くて駅まですぐのA店にする。B店は、家から7~8分ぐらい。駅まで行くには、10分かかる。しかし、それだけ手間をかけて行くだけの魅力がある。
というより、「わざわざ徒歩圏内へモーニングセットを食べに行く」ことには、時間を自分のコントロール下に置くという意味がある。ぎりぎりに家を飛び出し、目的地にまっすぐ直行では、どんどん精神的に枯渇する。

よって、B店にした。この店へ行くときは、バス通りから路地のような細い抜け道を2本ほど通る。それがまた、「わざわざ」秘密の場所へ出かけるようでゾクゾクするのだ。
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しかし、昨日にかぎって財布を忘れてしまい、マンションの1階から5階まで取りに戻った。
店に着いたときは、9時04分。いつもは、9時の開店前に着いているのに。「着席と同時にハムトーストをオーダーすると、7分後にテーブルに出てくる。それから20分かけて食べ終われば、44分の電車には間に合うはず」……この計画が、くるってしまった。
幸い、窓際の席は空いていた。しかし、汗がとまらない。精神安定剤は一錠飲んであるが、さらにもう一錠。でも、緊張しているわけではないと分かっているので、パニックは起きない。
さて、いつもより4分も遅くついてオーダーすると、やっぱり7分後ピッタリに、ハムトーストが出てきた。素晴らしいオペレーション。

しばらくすると、女性客が2人、3人と来店した。こんな早い時間なのに、こんなに駅から離れているのに、人気あるんだなあと思う。そう、みんな教えられてもいないのに、それぞれの理由でわざわざ来ているお客さんたちなのだ。
いつもより少し早いペースで食べて、10分前の電車に乗れた。
そういえば、背筋をしゃんと伸ばして、いつもより大きな声で店員さんに「ハイ」「ありがとうございます」「ごちそうさまでした」と言えた。いつもは「あー」「はあ…」「うー」と、こんな子供みたいな返事しか出来ない。

でも、前回のブログを書いてみて分かった。せっかく声を誉められていたのに、もごもご話すのは損だよ。はっきり元気よく話せば、もしかすると「いい声だな」と思ってもらえるかも知れないのに、そのチャンスを単なるだらしなさから逃しているだけじゃないか。そう気がついた。
過去は変えられないけど、明日は変えられる。変えなかったら、ただ一方的に悪くなっていくだけ。なので、思い出しづらい過去のことを書いて良かった。僕が怖いのは、「やっておけば良かった」と後悔することだけだ。


記者発表後、横須賀美術館さんと打ち合わせしてから、「近くで食事でも行きましょう」となった。
実は僕、スタジオで解散となったら一人で行くつもりでクラフトビール屋を検索してあった。「そこいいですね」と電話してくれたのだが、15時でいったん休憩だという。「どうしましょうか」と3人ぐらいで検索して、「今から6人ぐらいで行きたいんですが」とドンドン電話してくれる。なんと頼もしい人たちなんだろう。この展覧会のスタッフは、本当に優秀。
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スタジオの人に教えてもらって、宮武一貴さんらも一緒に、中華料理屋へ入った。テラス席が空いていたので、「外にしませんか?」とちょっと強引に誘ったが、外気は涼しくなっていたので丁度よかったはず。
ひとりで、ジョッキ3杯も飲んでしまった。まあ、いいじゃないか。明日、死ぬかもしれないんだから、楽しいときに飲んでおくんだ。
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さらに国立競技場で下車、千駄ヶ谷近くで、ひとりで飲んでいった。曇っているけど、朝から大勢と話していたから、ひとりになりたかった。家でIPAを飲んだら、さすがに二日酔いになってしまったが、これもこれで良しとする。


たとえば、20代後半ごろ働いていた豊田市の工場。流れ作業で、ただひたすらアムウェイ製品を箱に詰めていくだけの毎日の労働。
あの職場にいた若い男女のアルバイトたち、ひとりひとりは個性的で悪い人たちじゃなかった。本当にみんな、あんな退屈で屈辱的なアルバイトをしないと生きていけなかったのだろうか?
そうではないだろう、あんな非効率なアルバイトは、その場しのぎでしかなくて、それぞれ面白い人生が待っていたはず……。西八王子に住んでいた90年代の苦しいバイト時代を思い起すと、ついセンチメンタルになってしまう。
あの時期は、視野が狭かった。でも今、あえて冴えない職場へ行ったら、若いころとは比較にならないほど深く人間を見られるから、むしろ面白いのではないか? そういう誘惑がある。

もうひとつ、声のことを書いていて思ったことがある。
10~20代のころって周囲に大人が少ないから、ちょっと低いだけで「いい声」と聞こえてしまうだけではないのか。30代になると、世の中にはいろんな人がいると分かってくる。だから、僕ぐらいの声は珍しくなくなり、たいして驚かれなくなった。そういうことではないのか。
つまり、中高校生のころは周囲と自分の経験不足でちょっと得していただけではないのか。でも、幸か不幸か、僕はすごく鈍感なので、これでも傷が浅くてすんだような気がする。幸せにも鈍感だったけど、そのぶん痛みも薄くてすんだんじゃない? 

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2023年6月26日 (月)

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上野の森美術館へ、「恐竜図鑑」を観に行った。
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入場料2300円は少し高めだし、たいした構成ではないんだけど、大量の絵の具を使って描かれた古い恐竜の油彩画の数々は、どっしりとした見ごたえがあった。特に、ズデニェク・ブリアンの始祖鳥の絵。南国の鳥のような羽の色……。

僕には、薄れかけているひとつの甘美な記憶がある。
親がどこかのお土産として買ってきた、鳥の鳴き声のする円筒形のオモチャがあった。円筒の表面には、南国の鳥たちの絵が描かれていた。そのオモチャが家にあったのは、確かな記憶だ。家に通ってきていたお手伝いさんが、「子供のオモチャじゃない、そんなの」と笑っていたので、小学五年生ごろであることは確実。

それと結びついて、小学二年生ぐらいのころ、ぼんやりと南国の鳥たちの絵にうっとりと見とれた記憶がある。確か、箱根へ家族旅行したとき、旅館の売店かどこかで、花火を買ってもらった、「ナイアガラ」という花火で、大きな滝のまわりに鳥の舞う絵が描いてあった……ような気がする。そのあたり、鳴き声のするオモチャとごっちゃになっている。
その絵のことを思い出そうとすると、夏休みの昼間、ひとりで明るい風呂場へ立っている情景が思い浮かぶ。祖母に「暑いから水風呂に入りなさい」と言われたような……。
何がどう結びつくのかは分からないが、いつもは夜に入る風呂場に、昼間に裸で入る不思議な、背徳感のような気持ちと南国の鳥たちの絵が、ぼんやりと結びついて記憶の奥底に息づいている。こうして文字にすると、夢の記憶と同じように「どこか違う」ものとして固着していってしまう。


同じように、覚書として書き残しておきたいことがある。
20代のころまで、僕は「声がいい」とよく言われていた。最初は、中学三年生のとき。別のクラスの、当時でいうツッパリ・グループに属していた女子に「声いいですね」と、急に話しかけられた(僕はナヨナヨした色白のオタクだったので、そういう子からは敬語で話しかけられる)。「何か話してみてください」と言われ、「えーと何を?」と答えたら、「わあ、話しちゃった……」とまるで憧れの男子と話せたかのようなリアクションをされた。
言っておくが、僕は髪の毛も鼻毛も伸び放題、制服は汚れていて、女子に好かれるような外見ではなかった。「暗い」と言われるようになったのも、その頃だ。それなのに、声だけでここまでモテ気分を味わえるのかと不思議な気持ちになった。自分の録音された声は、鼻づまりの変な声にしか聞こえないのに。

中学時代には、もうひとつ。確か図書の先生だったと思うのだが、クラスの担任ではない女教師と、何か用があって話すことになった。
「このプリント、図書準備室に運ぶよう村上先生に頼まれたんですけど」とか、そんな事務的なことを告げたところ、「わあ、渋い声」と言われた。こうして書いていても、本当に自分の身のうえに起きたことなのかと疑わくしなってくるが、忘れないうちに書き留めておこう。

男子からも「ヒッサンの声って『ダグラム』のフォンシュタインに似ている」と言われたし、兄からも「ホセ・メンドーサの台詞をしゃべってみてくれ」と頼まれたりした。
……が、同時に「早口」「もごもご言ってて、何言ってるか分からない」とも言われていた。それなら自覚があり、何とかしたいと思っていた。


次が、高校二年生。僕にとっては忘れられない学年で、隣のクラスのカッコいい男子に、猛烈な勢いでいじめられていた。そいつと仲のいい同じクラスの男子からもバカにされ、まわりの女子も一緒に僕のことを笑っていた。
……が、にも関わらず、声だけはモテた。ひとりの女子(そのいじめっ子グループと仲が良い子)が、僕が国語の時間にさされて朗読を始めるたび、まわりの女子と目を合わせることに気がついた。その子は修学旅行のバス車内で「誰か、男子に歌ってもらいたい人は? 名指ししていいよ」と言われて、「廣田くん」と即答した。僕はひどいオンチだったが、男子のひとりが「うーん、いい声」と唸っていた。
こうして書くと手のこんだイジメの一種だった気がしないでもないが、覚えているとおりに書く。

高校二年に決定的だったのは、生徒会の副会長に立候補したときだ。
どういう理由からか、選挙演説は大勢のまえで読むのではなく、放送のみであった。好きな女子が演説会の司会で、「早口になっちゃダメだよ」と可愛らしい口調で注意してくれた。僕は、そのことしか意識していなかったのだが、演説後に生徒会室にいたら、後輩の女子が走ってきて「先輩、みんないい声だって言ってましたよ! 竹中直人みたいだって!」と大声で告げた。
他の生徒に聞くと、僕の演説が校内に流れはじめた瞬間、「おお~」と教室にどよめきが起きたという。結果、対立候補の倍以上を得票して、副会長に当選できた。対立候補は、隣のクラスのいじめっ子たちの一人だったので、それはもう悔しそうだった。
とにかく不潔で不細工で、勉強もスポーツも全部ダメないじめられっ子だったのに、声だけで巻き返せるのだから、そういう事もあるのだと覚えておいてほしい。


面白いことに、僕が好きになった女性にはあまり声を誉められたことがない。
先ほど、演説会の司会をしてくれた女子を好きだったと書いたが、その子とよく二人で居酒屋へ行くようになった(微妙に未成年だった気がするのだが、そういうことには寛容な時代だった)。
居酒屋で「ビールふたつと豚キムチ、あとナスとレンコンの炒め物」みたいな感じで店員に注文したら、「ええ~? とても真似できないよ、すごい」と言われた。ずっと何のことだろうと思っていたのだが、その子に声を誉められたのは、その一回ぐらいではなかったか。

大学四年のころ、アメリカン・トイをコレクションしている年上の人と知り合った。
その人の仲間たちと酒を飲む機会があって、バンドをやっているという女性がきた。「なんか、声渋くないですか?」とまず言われ、「そのお通し、食べないならもらっていいですか?」と聞かれた。「どうぞ」と答えると、友人が「お前、今の声は渋すぎたぞ!」と茶化してきた。
同じころ、漫画の原作などを書いている作家さんと知り合い、よく飲みに行った。その席で、僕のことを指して「ほら、この人、うらやましいぐらいいい声してるじゃないですか」と言うので、そんな風に思っていたのかと驚いた。


ちょっと飽きてきたが、いろいろ思い出してきた。
大学の卒業制作で、教授たちの前で自分の映画について質疑応答する試験があった。他の人はしどろもどろだったが、僕はどの質問にも倍ぐらいの言葉数で反論した。その議論は大した内容ではなかったのだが、当時好きだった子が「ヒロリン、アナウンサーになればいいのに。声がいいから」……と、親密な女性に言われたのはそんな程度だった。

大学卒業後、同学年だった人から「自主映画を撮りたいから、ちょっと出てくれないか」と頼まれた。
自主映画にしては珍しく、メイクの女性が二人ほど来た。彼女たちは別室にいたのだが、撮影後、「素晴らしい声ですね」「うちの会社でPRビデオなどをつくっているのですが、今度ぜひナレーションに……」とまで言うので待っていたのだが、ついに依頼は来なかった。こちらから期待するとダメなのだ。
いくら声がいいと言っても、おそらく「素人にしては」という条件がつくのであろう。「プロの声優になれ、金なら出すからレッスンを受けろ」と勧められたことがあったが、結果はさんざんだった。そもそも、ほとんど自覚がないので、あまり一生懸命に練習しなかったので当然だ。
それが30歳ぐらいで、だんだん声を誉められる回数が減っていった。50歳をすぎてから「昔は、声がいいって言われたもんなのに」と言ったら、「ああ、そういえば」と男性編集者が相槌を打ってくれたぐらい。


特に最近はひとりで過ごすようになって、喫茶店で「トーストとコーヒー」と注文しても「ハイ?」と聞き返されるほど声が小さくなった。
全体的に、他人に対して接し方が雑になった。年をとって声帯が弱くなったから、とでも言い訳したいのだが、姿勢が悪かったり、態度がだらしないとか、正せば直る要素も多いのではないだろうか。

あと、喉の奥が大きく開いていないと声が響かないと言われる。基本的に、身体が緊張しているんだよね。思わぬ場面で猛烈に発汗するのも、根本的な緊張状態のせいだろう。酒を飲んでリラックスすると、もちろん話しやすくなる。
もうひとつ、高校時代に母と喧嘩して、怒鳴ったことがあった。その時は、我ながら太くていい声だと自覚できた。つまり、怒鳴ってまで相手に伝えたい強い思いがないと、声って細くなってしまうんだろうな。ひどい言い方だけど、僕はもう、そこまで真面目に他人に向き合ってないよ。好きな異性もいないし、友だちなんて年に1~2回会うだけでよくない?と思っているし……。他人に向ける意志が弱くなったと思う。ひとりで何でも楽しめるようになったから。

毎日、好きなようにのびのび生きていることと、何も努力していないのに(声でも外見でも)褒められることって別の種類の幸福なんだろう。
今から声を取り戻そうとしても、それは努力して無理やりに得た幸福であって、「望んでもいないラッキー」とは性質が違うよね。せめて、「確かに俺っていい声だな」と自覚して活用していれば、もうちょっと人生前半の自尊心を高められたのかも知れない。30代前半までは、本当に自分が嫌いだったから。声だけ褒められてもちっとも嬉しくない。
僕はいろんなものをあきらめることで、こんなに身軽になれた。自分を好きにもなれた。だけど、生得的な意味では失ったものもあるわけだ。それは明白な事実なので、ともかく受け入れるしかない。というわけで、明日は記者発表。

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2023年6月24日 (土)

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1年以上にわたって準備してきた展覧会『日本の巨大ロボット群像』()、あちこちのニュースサイトに情報が載りはじめています。
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ビジュアル・デザインは、植松久典さん。美術館に通うのが単なる趣味だったはずの僕は、なんとキュレーターとして招かれました。
一部媒体でフライング的に明らかにされたように、宮武一貴さんに巨大なロボット絵画をお願いしていて、その制作を見守るために、5月末から1ケ月近く、せっせと横須賀美術館へ通いつづけていたのでした。


東京でレギュラーの仕事を進めながらとはいえ、週に2~3日は海と山に挟まれた横須賀に滞在していたわけで、それは夢のような泡沫のような、リアリティの薄い非日常な日々だった。バスから見える壮大な水平線にも、いつしか慣れてしまった。
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ホテルを出て6~7分ほど歩くと、駅前の喧騒から離れた喫茶店“かうひいや かーぼ”がある。
店名のセンスが、すでに70~80年代っぽい。合皮レザーの椅子、レンガ壁、そしてフュージョンというか打ち込みの薄っぺらい耳ざわりのいい曲の流れる店内。何種類かあるモーニングセットの中から、いちばん高い生野菜とロースハムのサンドを頼む。入り口ドアのガラス越しに、外光が差し込んでくる。「カフェ」なんかではなく、昭和らしい「喫茶店」。もちろん、新聞・漫画雑誌も本棚にぎっしり。
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すっかりレトロな気分に染まって、ちょっと歩いたところにあるデニーズさえも、80年代風に見えてくる。西海岸というか、大滝詠一のアルバムジャケットのような、古き良きアメリカ文化の雰囲気……。デニーズの外装って、こんなに良かったっけ?と思う。
「ぺんぎんずばあ」というか「サントリー缶ビール」、「ダウンタウンソーダカムパニィ」とか、80年代のアルコール飲料CMの軽薄かつロマンティックな気分。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』的なオールディーズ感。まあ、店内はガッツリと2023年ジャパンだと思うので、海岸通りに向かうアメリカンな空気感だけ味わっておく。

海岸通りを目指して寂しい道を歩くと海が見えてきて、海沿いのテラス席で、戦艦三笠を眺めながらクラフトビールを一杯やれるのである。頭の上は青空でいっぱい。
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こうして、一つ所に留まることなく、あちこちへ旅するように仕事したかったはずなのに、毎晩居酒屋には行くし、金銭的な不安もなくはない。通知されてきた税金の高さには、いつも驚かされる。横須賀美術館へ行くたび、「毎日ご苦労様です。ハイ、出張手当一日一万円です」ってわけにはいかないのである。
いまの僕だったら、自分が何をやろうが楽しいわけだから、用務員や清掃員でも意義を見つけて、まあまあ前向きに取り組めるんではないかと思う。地味で寂しいのが好きだし、ほどほどに楽しめるんじゃないだろうか。若い頃のような「有名にならなくちゃ」って焦りもないし、結婚も海外旅行も経験できたし、もう人生にそれほど巨大な娯楽を求めちゃいない。
これからキュレーターになろうが、用務員になろうが、「自分が主軸」なので大して違わないとすら思いはじめた。


最近観た映画は『シカゴ』、ヒッチコック監督『逃走迷路』。
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シリアスなサスペンスに見えて、実は支離滅裂なシーン展開で何度も何度もどんでん返しを続ける『逃走迷路』のアナーキーなスタイルには、驚かされた。ストーリーもテーマもなく、ただ観客の予想を裏切るため奇想天外なシーンを繋いだだけ。無理やりなロマンスもあるし、終盤でキーパーソンだったはずの人物が出てくる頃には展開が錯綜しすぎ、もう彼が何者なのか分からなくなっている。ヒロインが「それって誰だったかしら……」と言うのだから、確信犯だろう。
そうそう、ヒロインが「道路の看板のモデル」とかいう奇妙な設定で、今後の展開を暗示するかのようなキャッチコピーを刷った看板が随所に登場するのにも笑った。でも、これがエンタメなんだと思う。途中、あまりに面白すぎて泣きそうになったぐらい。「なーんだ、真面目に見ることないんだな」という開放感があるんだよね。ラストも、いきなりバツンと終わってしまうし、これでいいんだよな。
そして、しっちゃかめっちゃかな『ピアニストを撃て』は映画の形をしたヒッチコック論だったのだと、あらためて思う。

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2023年6月11日 (日)

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金曜日、アーティゾン美術館「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」。
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鍵岡リグレ アンヌの幅6メートルの大作、これを見るために来たようなものだと納得できた。展示の最後のほうにあった作品だが、すべてをかっさらうぐらいの鮮烈さがあった。
美術館という場所は、文脈や意味を喪失させるために、いわばラリるために行くので、言葉による感想は空しい。また、僕には論評できるほどの知識もない。しかし、3フロアを使った壮大な展示を見られて良かった。


美術館の帰りに丸ビルへ寄ると、7階のオープンエアのテラス席が大幅に改築されていた。
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分かりづらいのだが、簡素な椅子と机だけのエリアは何も買わなくても入れるが、ソファのある豪奢なつくりのエリアは店舗の飲み物さえ買えば出入り自由だと後で分かった。
とりあえず、COEDO 毬花が1000円なのは人件費などを考慮しても高いと思い、東京クラフト(エール)にした。それでも、750円する。お店のお姉さんは「東京クラフトビールですね」と言っていたが、メニューには「東京クラフトエール」と書いてある。メニューを書いた人が、あまりビールに興味なかったんだろうな。クラフトビールと称して東京クラフトしか置いてないと、かえってガッカリする。前に来たときは生ビール(銘柄不明)だったのだが、どうせプラコップだし、それで十分なんだよね。

こういう気持ちになりたくなければ、いろいろ調べて試して、改善していくしかない。自分の好みのシチュエーションを微調整していく。だって、井の頭公園の休憩所では「キリンかアサヒ」「缶か瓶」、その二択だけで十分に楽しいもの。
人生が面白くない人って、こういう、ささやかな好みの部分で妥協している。あるいは、べつに好きでもないものを雑に「好き」と思い込んでいる。つまり、向上心が低い。


翌日、どんより曇っていたが、わざわざ開店時間にあわせて三鷹北口の喫茶店へ行く。二人ほど客が待っていたが、窓際に座れた。
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メニューのクロックムッシュの上から、テープで「アンチョビバタートースト(ピクルス付き)」と貼られていたので、迷わずそれにした。
しかし、「ピクルス付き」で分かるように、完全にワインのつまみであった。でも、それでいいんだよ。確かめずに知ったふりをするよりは、試して失敗したほうが気がすむ。
そのために少し高いメニューを頼むのは、ちっとも惜しいとは思わない。ここで下らない後悔を残すぐらいなら、僕はお金を使う。

窓際の席から道行く人たちを眺めていると、日曜日でデートなのかお洒落な人が多い気がする。たまに、オジサンでも洒落た格好の人がいるので油断できない。ぽつぽつとした人通りを見下ろしていると、この世への愛おしさのような感情が湧いてくる。
……何も後悔はない、自分はよく頑張った。仕事も遊びも、欲張ることができた。いろんな国へ行ったし、何人かの女性にも愛された。1年で20万円もとられる税金のことを考えると重たい気分になるはずなのだが、時にはずる賢く図太く、自分は無理やりにでも乗り切ってきたのだろうと思う。
最初から何もなかったような、そもそも生きてすらいないのだから死ぬわけがない……といった不思議な安心感がある(母の死が大きかったのだな、やはり。死ぬことは母と同じ体験をするわけだから、べつに怖くない)。生まれたくて生まれてきたわけでもなければ、日本政府と契約したわけでもない。最初から何もないのだから、怖いものも無いはず。


最近観た映画は『十八歳、海へ』と『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』。後者は何度目だろうか、私財を投げうって終わりのない撮影に挑むコッポラを見ていると勇気が出てくる。ただ、この当時のコッポラは家族と潤沢な報酬に恵まれており、べつに狂ってはいなかったと思う。

ここのところ横須賀への出張が多いので、ホテルのベッドに寝転がって缶ビールを飲みつつ、つげ義春原作『散歩の日々』のドラマもよく視聴している。この作品を原作漫画で知ったときは20代終わりごろの90年代、貧乏アルバイト時代。その苦しい時期に出会った漫画や音楽には、ひときわ思い入れがある。

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2023年6月 6日 (火)

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スーパーマンたちが10代の姿に!何度でも“聴きたくなる”「ジャスティス・リーグxRWBY」豪華声優が参加した吹替版の魅力とは?
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ムービーウォーカーに掲載されたコラムです。
自分には、もうこういう短いスパンの仕事は来ないだろうと思っていたら、編集者さんが『RWBY』の日本語版に詳しいライターということで探し当ててくれました。
版権元からの要請を上手くさばいて、こちらへの要求と修正を最低限に抑えてくれて、こんな有能な編集者がいたのか……と、短い納期ながら気持ちよく仕事できました。


『RWBY Volume.1』の日本語吹き替え版の試写会に呼んでもらったのは、もう8年ぐらい前。
最初は類型的な美少女キャラを並べただけのコミカルなアクション物かと思っていたら、最後のエピソードで、慄然とした。それまでチーム論、リーダー論がストーリーを牽引してはいたけれど、最後はチーム内での人種差別の話だった。
被差別人種のブレイクと、上流階級の令嬢ワイスが対立する。最後に、ワイスは「これからはチームメイトに相談なさい」とブレイクに告げる。ちゃんとチーム論に回収している。しかし、このエピソードではゲスト的にロボット少女のペニーが登場して明らかに異質な存在として扱われるので、人種対立や差別といったテーマは解決するどころか、むしろ深まっているのだ。

テーマだけの問題ではない。
行方をくらませたブレイクを探して歩くメンバーたち。高慢な態度の中にも迷いを見せるワイスの芝居は、モーションキャプチャーを使って細かな芝居を拾っている(「無実なら逃げないはずですわ」と、つまらなそうに呟くところ)。
コミカルな動きの多いアニメなので、さり気ない日常芝居が良いアクセントになる。
ペニーが大活躍した後、すでに仲間のもとへ戻ったブレイク、ペニー(一人だけあぐらをかいているのが可愛い)らのところへ、ワイスが黙って歩いてくる。このラストシーンでワイスとブレイクは和解するのだが、まず停車しているパトカーの絵にかぶせて警察無線がノイズっぽく入り、ワイスの足がフレームインすると同時に、静かなピアノ曲が始まる。
ド派手で子供じみたアクションで始まったのに、情感豊かにひっそりと幕を閉じる大人のセンス。その深い余韻に陶然として、誰とも話したくなくて、ひとりでワーナーの試写室から遠い駅まで歩いた。少し泣きながら帰った記憶がある。「こんな良いものがまだ世の中にあったのか」という驚き、喜びだった。
それ以降、『RWBY』に関ることはすべて僕の個人的体験であり、いかようにも書くことが出来る。


仕事で、先月末から何度か横須賀美術館へ通っている。泊まりで行っても午前中は時間が自由なので、横須賀中央駅の西側の山を登ってみた。
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山に向かう道なので、商店の向こうは空だけだ。日曜だからなのか、ほとんどの商店が店を閉めている。
その静寂の中、DIYのお店が歩道に花をいっぱい並べていた。自分は脳内麻薬物質が過多だと思うのだが、その光景だけでも天国のように美しく、山の上にある横須賀市自然・人文博物館までの道のりが楽しくて仕方なかった。

将来の収入など、いろいろ不安なはずなのに、世界の存在を感じているだけで嬉しい。今日、曇り空の早稲田通りを歩いたけど、風が涼しくて気持ちよかった。雨の日も晴れの日も、ぜんぶ愛おしい。


最近観た映画は、『ブレイクアウト 行き止まりの挽歌』『さらば映画の友よ インディアンサマー』をプライムビデオで。
原田眞人監督の『さらば映画の友よ』は、二回目かも知れない。観客ほったらかしの支離滅裂な内容だが、『ピアニストを撃て』のような爽快感はない。この10年後が『ガンヘッド』である。
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『ブレイクアウト』は、ひさびさに目が釘付けになるほど集中して観られた。ロッポニカという変なブランド名になって、「邦画ってダセえなあ」と当時は失笑していたものだが、いざ見てみると、日活の底力を感じさせる娯楽作だった。
クライマックスは二転三転しすぎるが、パトカーが三台も潰れる派手なカーチェイスがあったりして、ちっとも飽きさせない。車が納屋に突っ込むシーンでは、納屋の中にもカメラを置いて撮っている。
何より感心させられるのは、シーンをまたいで霧雨が降りしきっていること。雨がやむと、地面がしっとり濡れている。当たり前のようだが、時間をかけて計画しないと、こういう撮影はできない。霧雨が、絶望的な逃避行の情感を醸しだしている。何となく晴れ、何となく曇りではダメなのだ。

藤竜也の顔に傷ができて、それが少しずつ治っていく……こういう描写も、技術と段取り、スタッフワークの賜物である(ちなみに、特殊メイクは原口智生さん)。村川透監督のキャリアを、甘く見ていたようだ。ロッポニカ作品=低予算という思い込みもあった。
こと実写映画に関しては、僕の興味は「現場の記録」からどれぐらい離れているか、「現場の記録」から一歩も出ていなくても、それはそれで映画の在りようではないのか……と、その辺りに滞留しつつある。

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2023年5月30日 (火)

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ホビージャパンヴィンテージ Vol.10 明日発売
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1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』放送、『ガメラ 大怪獣空中決戦』公開などを起点としたキャラクター文化の夢のような繁栄期を多数のプラモデルと共に振り返る40ページ巻頭特集の構成・執筆を行いました。
インタビューは『カウボーイビバップ』の南雅彦プロデューサー、メカニックデザイナーの山根公利さん。もう一本、平成『ガメラ』シリーズの怪獣造形で知られる原口智生さんにも取材しました。ツクダホビーのソフビキット、あんなにお金のない時期だったけど、ちゃんと八王子の模型屋で買って組み立てたんだよなあ……と、ちょくちょく書いているように、苦しいアルバイトで貧乏暮らししていた90年代がものすごく懐かしい。なので、この特集には、当時の風俗や流行もなるべく掲載しました。
(地下鉄サリン事件は、八王子の模型工場でアルバイトしているとき、ラジオで聞いた。そのアルバイトは時給1000円で、他のバイトたちより多くもらっていたのに、それでも3食100円の焼きそばを友達に買ってきてもらって、毎日そればかり食べていた。その友だちは奥さんの実家に住んでいたので、晩御飯に呼んでくれたりもした)


ようやくライター業にありつけたのは1998年、『ガンダム』20周年の前年。それまではテレビで『Gガンダム』や『∀ガンダム』を見て、アルバイト代でオモチャやプラモを買っていた。『Vガンダム』の頃は、すぐ近所に住んでいた女友達に録画してもらっていた。
その人とは、互いの家で安酒を飲んだりして、クリスマスには彼女の友だちと3人でパーティーしたことさえあるのだから、貧乏とはいえ割と楽しかったんではないか……と、まるで他人の人生を覗き見ているような不思議な気持ちになる。

何が苦しかったかといえば、自分は本当は映画監督(というか何か凄いクリエーター)になるべき才能があるのに、誰からもぜんぜん認められてない……という自己肯定感の低さなんだろうな。25歳のときに彼女ができて、僕のシナリオを読んで「凄いじゃない、もうプロ並みだね」と誉めてくれたけど、ぜんぜん価値がないと自分で分かっていたから、余計に苦しくなった。恋人だからって内輪受けでシナリオを誉めてもらって、恥ずかしくすらあった。
「こんな程度の低いシナリオを誉めてしまうような女と付き合っていたら、さらに自分はダメになってしまう」という不安が強まり、その恋人とは1年ぐらいで別れてしまった。あれほど彼女が欲しくて誰にでも声をかけていたくせに、いざ女が出来ると不満しか出てこない。

枯渇感・飢餓感を自分で再生産しているというか、わざわざ苦しくなるほうへ自分から向かって行って、「ホラな、やっぱりダメだったろ?」と不幸を確認して、そこに安住していたんだと思う。本気じゃないというか、本当は何をどうしたいのか考えていない。
人生には何か難解で崇高な答えがあって、何かしらの困難な方法によって、この脆くて傷つきやすい自我が救済されねばならないと、30代前半まで信じていた。「いつまでたっても一向に救われない自分」に酔っていた。だから、よく泣いていた。何もかもが、つまらなかった。


先ほど書いた『Vガンダム』を録画してくれていた女友だちは、僕の嘆き癖をよく見抜いていて、恋人ができるたび「結局、きみもマイホームパパ、平凡な人生か」と揶揄してきた(当時は、FAXでよくやりとりしていた)。無論、僕が結婚する時にも、精一杯の嫌みを言っていた。確かにその後、離婚したり何だりで、ひとりで海外へ行くのが楽しみな人生になったのだから、女友達の言うことは大当たりだったのだ。
女友達は、僕のパニック発作にも理解があって、取材で人と会わねばならないと電話で告げると,「じゃあ、お薬いっぱい飲まないとね」と精神安定剤のことを肯定的にとらえてくれていた。今ここにいる自分を否定せず、精いっぱい楽しむしかないのだと、あの人には分かっていたんだろうな。
壮絶にオンチな僕のことを笑わず、よくカラオケにも行っていた。「じゃあ、20代のころ楽しかったんじゃん!」と、我ながら思う。

その女友達は旅行作家になって、今でも本を出しつづけている。
「〇〇君(僕につけられた仇名)も、海外へ行けばいいのに」と、よく言っていた。彼女に言われた通り、離婚後の僕は海外旅行を大好きになったのだから、羅針盤はそっちを指し示していたのだ。きっかり30年前の話である。思い出しながら、唖然としている。
あの絶望的な貧乏時代に、「こっちへ行けば脱出路があるぞ」と道は示されていた。だのに、僕にはそれが脱出路に見えなかった。


プレイステーションのギャルゲーを買って、西八王子駅南口の古本屋で安い本やCDを買って、少しでも知識を増やして……そうこうする間に、30歳をすぎてしまった。
八王子~豊田の低賃金の工場、アルバイトでしか稼げないと信じていた沢山の人たち。彼らを乗せたバス。あの小さな世界が、今では不思議と愛らしい。その後につづく、牢獄のような結婚生活すら、ふいに愛おしくなるのだから人生は面白い。自分を肯定すると、過去がすべてポエムになる。


最近観た映画は、変わった邦画『ケイコ 目を澄ませて』、『TANG タング』、あと仕事関係で『ジャスティス・リーグ』など。
ドン・バージェスが撮影監督をした『フォレスト・ガンプ 一期一会』も再見したが、『キャスト・アウェイ』とは演出に明確なスタイルの違いがあって、共通点は見つけづらかった。


パニック発作で、初来店時には猛烈に発汗してしまった喫茶店、3度目に行って来た。
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小学生の頃に自転車で通りすぎた道、中学~大学にかけて犬を散歩させた道が、水槽の向こうに沈んでいるかのような静寂に包まれている。その向こうでは、物理的でない雄大な時間が流れている。それは死を内包した、永遠の時間とも言える。

一万円で買ったバッグが壊れてしまったので、駅前のカバン専門店で18,000円のカバンを買った。
そのカバンを背負って歩くこれからの時間を買うつもりで、ケチらずにお金を使う。服でもそうだが、「本当に欲しかったのはコレじゃない」と思って歩いていると、毎日が暗くなる。未来へ投資するつもりで買う。

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2023年5月20日 (土)

■0520■

火曜日は、寺田倉庫WHAT MUSIEAMで開催中の高橋龍太郎コレクション「ART de チャチャチャー日本現代アートのDNAを探るー」、公開制作:能條雅由「うつろいに身をゆだねて」へ。
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いずれも、狭い会場内をテクスチャの異なる多様な作品で埋め尽くし、濃密な時間を体感できた。これらの美術作品を間近に見ても、言語化できるような意味もストーリーも読み取れない、だけどそれは無意識の知覚領域が起動されている証拠だと思う。
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面積・体積の大きな作品は、それだけで有無をいわさぬ表現力がある。でも、それ以上に質感や密度が体感時間に影響する。僕は田代裕基、熊澤未来子の作品の間を何往復もしたが、多めに見積もってもトータルで20分ぐらいだっただろう。
でも、2時間ぐらい見ていたような感覚で、外へ出ると軽く疲れを感じるほどだった。


天王洲アイルに来たら、ほぼ必ず寄るT.Y.HARBOR。まだ13時半で、奥の席は大勢の客でうるさいので入り口に近い席に座るようにしている。
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まずIPA、二杯目はフランク・ザッパをイメージしたという期間限定のIPA。ショートサイズなら、ほぼ1時間かけて2杯飲むのに丁度いいうえ、千円ちょっとで済む。

翌日は猛暑のなか、取材で新宿へ行った。
その翌朝も暑かったが、お気に入りの喫茶へモーニングを食べに行き、深煎りブレンドを一杯おかわり。
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午後からリモート会議が続くので、この日は休肝できた。
好きな時間に起き、好きなだけ喫茶店の窓から、ぼんやりと外を眺めていると、こうしている間に100年、200年と時が流れていくような不思議な感覚になる。こんな贅沢な時間の過ごし方があるだろうか? 
逆に、20~30代の貧困時代にどうやって生きていたのか不思議に思う。毎日の晩飯が、松屋の定食であったことは、よく覚えているのだが……。


月収60万稼いでいても、全額をホストにつぎこんで、自分は路上で暮らしている女性がいる。好きなことに使っているのだから、それはそれで幸せな人生だろうし、そんなに稼いでいてもホームレスになり得るという事実を彼女は立証してもいる。
思ったように物事の進まないストレス状態を、僕たちは「不幸」と認識する。20代の僕は、自分は優れたクリエーターとして有名になるべきなのに、まだ誰にも見出されていないから、朝から晩まで我慢してアルバイトして時間を切り売りするしかないのだ……と不満を抱えていた。

40代になってから、ライター業で空いた時間に掃除のバイトを入れてみたら、それは納得づくで働いているので、人間関係を楽しむゆとりがあることに気がついた。なぜ、そういうオペレーションで会社が清掃作業を回しているのか興味がもてたし、改善策も思いついた。
「自分は望んでもいない掃除のバイトを無理してやっているんだ」という認識ならば、たとえ何十万稼げようと、それは「不幸」なのだ。おそらく僕は「不幸」や「不満」が再び自分の人生を覆いつくすのを恐れるあまり、「貧乏」という経済的な属性を与えたがっている。そうしないと、漠然とした不安を直視できないのかも知れない。
……だが、毎日こんなに好き勝手に生きているくせに、「漠然とした不安」など、本当はありもしない幽霊を怖れているようなものじゃないのか?


最近観た映画は、『氷の微笑』、『ゴーストバスターズ』、『あばよダチ公』、『ラストムービー』、『キャスト・アウェイ』。配信以外では、自分で購入した『転校生』のDVDも見た。
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『キャスト・アウェイ』は三回目ぐらいなので、ぼんやりと次の展開を覚えていた。にも関わらず、かじりつくように画面を凝視できた。
というのも、シーン転換する最初のカットに印象的な被写体を持ってきて、そこからカメラを引いて全体状況を把握させる……という段取りを、パターン的に行っていると気がついたのだ。すると、興味がどんどん喚起されて飽きずに見られる。

トム・ハンクス演じる主人公は、FedEx社の輸送機に乗って遭難するのだが、最初に飛行機に乗るシーン。輸送室にコンテナを運び入れる一社員をカメラが追い、彼が飛行機のドアから出ていくまで撮る。彼と入り代わりに、主人公が乗り込んできて、カメラは今度は主人公を追う。主人公が操縦席へ乗り込むまでを撮ると、ワンカットで「操縦席」と「輸送室」の近さが把握できる。すると、遭難時に主人公が大量の荷物とともに島に流れ着くことに、説得力が生まれる。

登場人物の動線にしたがって、カメラが動く。これはロバート・ゼメキス監督がいちいち指導していたというより、現場が慣習的に(おそらく撮影監督が主体となって)行っていたカメラワークじゃないだろうか(撮影監督はドン・バージェス)。
主人公が飛行機で事故に遭う前の、機内に無造作に脱ぎ捨てた靴のアップから恋人から贈られた時計までのパン。一方、生還後の主人公は靴を脱がずにキチッと足を揃えて乗っている……等、前後を比較して分かりやすいシーンもある。どちらも、シーンの冒頭にくるカットだ。
しかし、そうした文芸的な意味のないアップにこそ注目したい。たとえば、生還後の主人公を祝う同僚たちのパーティー。
●「そろそろパーティーはおひらきだ」と、主人公の同僚が告げるのだが、まず彼が空のワインボトルをアイスペールに放り込むアップから始めている。歩き出した同僚をカメラが追うと、その先には疲れた顔の主人公が立っている。
●カメラはそのまま、今度は大勢の人に囲まれて歩き出す主人公を追う。同僚の動線から主人公の動線へと、乗り換えているのだ。主人公は立ち止まりカメラも止まり、去っていく人々を見送る。再び、同僚がフレームに入ってきて、主人公をハグする。ここまで、ワンカット。
効率的に状況を説明しつつ、俳優の表情も無理なく撮れている……が、それ以上に起承転結の流れがある。ワインボトル、同僚、主人公、主人公と同僚、少しずつモチーフが移り変わっていく。その流れを、カメラが作り出している。僕は、こういう検証をしているとき、我を忘れて熱中できるのだ。

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2023年5月13日 (土)

■0513■

先週、着席したとたんに猛烈に汗をかいてしまい、逃げ出すように席をたった喫茶店。平日、定例ミーティングの前に再訪してみた。
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野菜たっぷりのオープンサンド、これは日によって野菜の種類が代わるらしい。そして、深煎りブレンドの器はザラリとした手触りで、これも好み。今回は女性客と向かい合わせの位置に座らないよう、壁を向いて座った。壁には、大きな森の写真が掲げられていた。静かで雄大で、すごくセンスがいい。
客層もいい。女性客は明るく「ごちそうさま」と言って退店し、窓際席に残った男性はノートパソコンを広げて仕事していた。しかし、カチャカチャとうるさくしない。立ち振る舞いが、静かでスマートだった。

親切なメールをくれたご主人だが、「こないだはすみませんでした」「いえいえ」といった程度の会話しか出来なかった。まあ、人間そういうもんだろう。「パニック発作」と言っただけで、普通の人は引くもんね……いい勉強になった。


翌日は都心のほうへ打ち合わせに出かけたので、高田馬場のちょっと変わった喫茶店へ。
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カウンターで注文・会計をすませるタイプのお店で、いけてる感じのお兄さん・お姉さん店員が和やかに会話しているのだが、こういうアウェイなお店にこそ、足を運ばないと! タイソーセージサンドウィッチには辛みを和らげるためのリンゴが挟んであって、感心させられた。
やや狭くて、あまりゆっくりできないタイプのお店かと思いきや、40分ぐらい読書に没頭できた。明るい店員さんたちだけど、けっして失礼ではない。そこが大事なところだな。


帰りは陽気がいいので、中野で途中下車してクラフトビール。
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スプリングバレー、TOKYO BLUES……どこにでも置いてあるようなメジャーな銘柄だが、それでも構わない。
2杯で1500円は確かに高いはずだけど、ほかの部分で切り詰めているんだと思う。ここでケチると、「思い通りにしなかった」悔いだけが残る。
ベンチでウクレレを弾いている人がいて、子供たちがシャボン玉を飛ばしている平日の夕方。ここで飲まないで1500円を浮かせたところで、いったい他に何に使う?


結局、お金というのは「どんな良い思いができたか?」「ちゃんと自分の気がすんだか?」に換算しないと、いくらあっても変わらない。貯金が20万円だろうが200万円だろうが、今日やること・やりたいことは変わらないのだ。そして、体験を重ねれば重ねるほど、欲望の精度は上がっていく。

体験を積んでない人は、質の低い欲望で満足してしまう。質を高める=高級店へ行けばいいというほど単純ではない。僕の場合、晴天だろうと曇天だろうと、その日の表情を感じとれる喫茶店で、ゆっくり読書したい。その欲求と体験に対価を払っているので、高すぎるとは思わない。満足できることのほうが大事なのだ。
「お金がもったいないから、缶コーヒーを公園で飲めばいい」「ビールなんてスーパーの発泡酒で十分」……その短絡的な「我慢」の発想が、「貧しさ」だと思う。
20代で、何もかもケチってやりたくもないアルバイトをしていた頃は、クーポン券やポイントカードを頼りに安い居酒屋にばかり行っていた。「これで節約できているはずだ」と信じていたが、それなのに毎日がつらかった。そんな貧困生活が10年近く続いた。
本当は、もっと頭のいい楽しみ方があったんじゃないか? 工夫が足りないか、知識と経験が狭いだけだったんじゃないか?と、今なら分析できる(その分析を経たうえでなら、スーパーの発泡酒にも別の価値が見つかるのかも知れない)。


若いころの僕のように、「考えの浅い人」を引っかける罠が、社会にはたくさんある。「コスパ」「タイパ」のように、貧乏な人を貧乏のサイクルに押しとどめておく概念は、いつの時代にも流布している。店にできる行列もそう、「平等」という考え方もそう。「誰もが平等なはずだ」という思い込みが、無用な嫉妬を誘発する。嫉妬心は人の心を汚し、枯れさせ、疲れさせる。

「暇つぶし」という考え方、誰かの指示を待つ仕事のやり方……世の中には、人を不幸にする概念ばかりが履いて捨てるほどある。
20代の僕は、ことごとく、それら社会に広まりやすい不幸のサイクルに引っかかりつづけていた。「もっとキツい仕事をしないと」「早く有名にならないと」……これらの空虚な思い込みは、貧乏と相性がいい。
モラハラ気質の元嫁との、なかば強引な結婚と離婚、母の不条理な死が強制的なリセットとして作用した。元嫁の父親は経営者だったので生活の心配はなくなり、貯金ができた。母の死によって、裁判という形で社会参加できることを学んだ。いろんな制度に僕は守られているし、権利もあると知った。あとはモラハラ気質の人を遠ざけて、なるべく人と関わらずに一人でも充実できるよう、自分だけのセンスを磨くこと……。

なぜだろう、20代のいちばん辛かった時期が懐かしい。もう、あのころの価値観には戻れないという安心感があるのかも知れないし、自分を好きになれたという証拠でもあると思う。

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2023年5月10日 (水)

■0510■

一昨日の月曜日は、森美術館の「ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」展へ。
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朝から雨だったけど、近所のお気に入りの喫茶店でモーニングを食べて、10日ぶりぐらいの美術館はすごく楽しかった。有名どころを中心に、現代美術のベスト盤みたいな充実ぶり。
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隣接する東京シティビューの「ヘザウィック・スタジオ展:共感する建築」、これも優れた展示だった。展示されている模型より、バナーを大量に使った空間デザインがセンスいい。
さて、歩いていける東京ミッドタウンにクラフトビールのお店がある。でも、雨があがったばかりでテラス席は使用不可だというので、近くで別のお店を探した。
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スーパーでも売っているBREWDOGのIPAだが、この時間・この天気・この場所で飲みたいので高くても頼む。
すると、雨上がりのテラス席に、一組また一組と人が増えてきた。赤ワインを頼んでいる人たちもいる。月曜だから、昼間だからこそ自分の時間を満喫しなくては。


翌日の火曜日は、六本木と一駅しか離れていない青山一丁目で打ち合わせだった。
一時間ほど早く現地へ行って、レトロ調の喫茶室でサンドウィッチ。窓からの緑、風が気持ちよかった。
打ち合わせ後、気分いいし暖かいので、そのまま外苑前へ歩いて信濃町駅近くのテラス席へ座った。クラフトビールのメニューが増えていた。
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この店は、好きだった女の子とよく歩いた高校の通学路に面しているのに、もはや以前のように懐かしい気持ちにはなれない。だからといって悲しくもない、不思議なものである。もっともっと、中身のつまった新しい思い出ができたからだろうな。
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そんな心境変化もあってか、千駄ヶ谷駅近くのカフェへ移動したくなった。歩いて8分ほどだと分かった。
やや汗ばむぐらいの陽気。夕陽のコントラストが映える、線路沿いの道なりも美しかった。
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18時をずきて、確かに夕陽は沈んでいくのだが、いつものように周囲がオレンジ色に染まるほどではない。なかなか難しい。そのかわり、帰りの総武線から見るビル街の上階が、夕陽を照り返して、まぶしく煌めいていた。
テラス席には、ひとりで座っている男性が2人いて、ひっそり静かだった。彼らはそれぞれに、ぼんやりと都会の夕景を楽しんでいた。

だからまあ、これでいいんだ。こういう日もあるし、また別の日にはもっといい思いを出来るかも知れないよね……と考えられる、この気持ちが手に入ったことのほうが、僕は嬉しい。
打ち合わせで都心へ行くのも楽しいし、それにかこつけて新しい喫茶店を探すのも楽しい。
将来の収入に不安はあるけど、うだるような夏、凍えるような年末、それぞれの美しさがあると知っている。世界の美しさは、永久に変わらない。だから、たとえホームレスになるとしても「明日が楽しみ」、これだけは変わらない。


スターバックスやマクドナルドで、従業員のマスクが自由になったという。
マスクしてない店員がつくると飛沫入り、ウイルス入りの飲み物が出てくると騒いでいる人がTwitterにいる。先日、スープストックで「赤ん坊が来るなら、もう店には行かない」と騒いでいた人たちと同じで、主体的に行動しない。いつまでも、どこまでも受動的な「お客様」だから文句を言うぐらいしか自由がないと思っている。
こういう変化の時こそ、全国チェーン店へ習慣で行くのをやめて、自分の行動範囲を広げて、自分だけの楽しい場所を探し当てるチャンスかも知れないのに、そもそもチャンスが来ていることに気がつかない。

前回書いたように、僕はふとした不安感や違和感から、滝のような汗を流すパニック発作に苦しんではいる。軽度の障害だろうし、生きづらいとも思う。
でも、それは自分のことだから「次に自分自身がどうするか」しか関心がなくて、「お店や世の中がルールを変えるべき」とは思わない。上手くいかない辛いときですら、自分が主人公。「お客様」ではない。
でも、何もかもがつまらない人って、自分が一体どうしたいのか、何が面白くて絶対に嫌なのは何なのか、そこまでつき詰めて考えてない気がする。受動的だから、周囲の価値観に合わせる。他人の指示を待ち、結果に文句を言う。
孤立しようが排斥されようが、「次に自分がどうしたいか」だけを考えていれば、何がどうなっても納得のいく人生になると思う。

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2023年5月 7日 (日)

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三鷹北口の某カフェ、連休の土曜日なので開店時間に2~3人が待っていた。
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女性の店主が、センスのいい映画ポスターを店内に貼って、のほほんと経営している。コロナで2~3年ほど開店したり休んだりしていたが、ようやく通常営業に戻った。僕は窓際の席に座って、40分ほどかけて読書した。

……が、ここまで来るのが大変だった。
まず、出かける前に新しい喫茶店へ行こうと決めて、開店時間を調べた。ランチタイムにぶつかっているので混雑するかも知れないが、その時はその時だ。ちょっと窮屈な席に座ることになっても、まあ仕方ない。そんな気分で出かけた。
気温は28度で、かなり蒸し暑くはあるのだが、タオルで汗をぬぐうほどではない。ところが、その店に入って着席した途端、服の中を汗が流れるのが分かるぐらい、滝のような汗が噴き出てきた。
店主は女性、2人のお客も女性。席が少ないので、僕はひとりの女性客と向かい合うようなところに座ってしまった。本当は、その人の視線をかわせるソファもあったのだが、4人席なので遠慮してしまった。
(念のため言っておくと、その女性客がじろじろ見ていたわけではない。何というか、見られても仕方のない場所へ座ってしまった、その関係性が怖いのだ。)

いつもなら、10分ぐらい何とか我慢すれば、汗はひいていく。ひさびさに「これはヤバイ」と思ったので、財布から精神安定剤を取り出して飲んである。しかし、女性客の視界内で汗を拭きつづける無様さに耐えられず、一度机に広げた本やスマホを片付けて、「ちょっと気分が悪くなってしまって」と、席を立った。
お金はいらないとのことだったが、店主は呆気にとられていた。こちらに向いた席に座っている女性客も、「?」という感じで見ていた。


店内にいる間は、地獄の釜の中に縛られているような逃げ場のない気持ちだったのに、外へ出たとたん爽やかな風の中に解放されて、たぶんサウナってこんな快感なのだろう(徒歩2~3分のところにサウナがあるようなのだが、マナーが分からないのが怖くて、行ったことない。こんなに気持ちいいなら、行ってみたい)。
大通りを歩いて、2年ぐらい前に行っていた今ひとつ冴えない喫茶店へ行ってみようか?と足を向けた。思い出したのだが、1日に一度、この緊張を味わえば、2度目はない。体質がそういう構造なのか、それとも思い込みなのか、とにかくそういう法則がある。だから、もう大丈夫のはずだ。

ところが、精神安定剤をもう一錠飲んでも、店に入る勇気が出なかった。また発汗しそうで、怖い。
どうしようかと周辺をさまよった末、もう少し歩いた場所にある上の写真の店舗へ向かったのだった。その頃には精神安定剤が効きはじめたからだろうか、それとも2週間ぐらい前にも来たから慣れてるのだろうか、何だかうきうきしたような気分で過ごすことが出来た。


帰宅してから、先ほど食べずに出てきてしまったお店にメールを送った。お店のせいではなく、僕にはパニック発作の傾向があるのです……と。
お店の方はすぐに、好意的な優しい返事をくださった。そういえば、赤の他人にこの奇妙な緊張癖、精神科医ですら病名を与えられない症状を話したことは初めてのことだ。
元妻は、「精神安定剤を買う金がもったいないから我慢しろ」とまで言った。離婚後に好きになってくれた女性に打ち明けてみたが、「私も緊張することあるよ」と言ってくれた程度だった。僕は緊張のたびに、世の中から弾き出されたような疎外感に襲われるのだが、そこまでは分かってもらえない。

『エイリアン』のデザイナーである画家、H.R.ギーガーが日本のテレビ番組の取材で、工藤静香にインタビューされていた。
ギーガーは可哀そうに、女性を前にして緊張したのか、早口で何か話しながら汗をハンカチで拭っていた。僕は大学生ぐらいだったが、「同じ人が他にもいるんだ」とホッとした。それぐらい、この病気(?)は珍しい。

これは、一種の障害ではないかと思う。
自分でバリカンで刈るようになる前は、床屋へ行くたびに不自然に大量の汗をかいていたので、苦痛でならなかった。やっぱり、自分の外見に自信がないんだと思う。僕が親だったら、子供がどんなに醜くても、鉄壁の自信をもてるように育てる。僕は、そうではなかった。何かしら、家の中には対立があった。兄と母のケンカが終わると、今度は父親が怒鳴り出すという感じ。
だから、恋愛して女性に受け入れられることで、ようやく自分を肯定できた。ようやく、自分のような醜い出来損ないにも価値があると認めることができた。離婚してからキャバクラに通っていたのも、そういうことではないかと思う。
なので僕は、ホスト狂いの女性たちには「好きなだけ遊びなさい」と言いたくなってしまう。誰に騙されていようと、それは不合理な人生に対する復讐であり、復讐だけが傷をいやす方法なのかも知れないからだ。


飛行機の中、バスの中、好きで行っているはずの喫茶店、どこで緊張状態が起きるかは分からない。
その遠因は、心の休まらなかった家庭にあると思う。体育ができずに、学校がつらかったことも関係しているだろう。
でも、皮肉なことに、この不合理に対する怒りが、仕事においては爆発的なエネルギーになる。他の人には、こういうエネルギーはない。そこそこのレベルで、受け身で満足してしまう。それは家庭や学校に居場所があって、嘆いたり怒ったりする必要がなかったからではないか。それはそれで、そっちの方が幸せなのかも知れない。
だけど僕は、そうではなかった。前触れもなく襲いかかる緊張状態が、僕の個性を決定づけている。個性とは身体のことなのだ。


最近見た映画は『セブン』(二度目)、『ベルファスト』、『殺人魚フライングキラー 』。

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