■0628■
昨日は、『日本の巨大ロボット群像』展の記者発表だった。
五十嵐浩司さんの記事がいちばん正確だと思うので、それをリンクしておこう(■)。1年ぐらいだろうか、ずーっと取り組んできた。今がいちばん苦しい時期と思う。
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記者発表は朝10時半が集合で、打ち合わせ後に晩御飯……という流れもあり得るので、朝は近場でモーニングすることにした。
こういう場合、荷物が多ければ家から近くて駅まですぐのA店にする。B店は、家から7~8分ぐらい。駅まで行くには、10分かかる。しかし、それだけ手間をかけて行くだけの魅力がある。
というより、「わざわざ徒歩圏内へモーニングセットを食べに行く」ことには、時間を自分のコントロール下に置くという意味がある。ぎりぎりに家を飛び出し、目的地にまっすぐ直行では、どんどん精神的に枯渇する。
よって、B店にした。この店へ行くときは、バス通りから路地のような細い抜け道を2本ほど通る。それがまた、「わざわざ」秘密の場所へ出かけるようでゾクゾクするのだ。
しかし、昨日にかぎって財布を忘れてしまい、マンションの1階から5階まで取りに戻った。
店に着いたときは、9時04分。いつもは、9時の開店前に着いているのに。「着席と同時にハムトーストをオーダーすると、7分後にテーブルに出てくる。それから20分かけて食べ終われば、44分の電車には間に合うはず」……この計画が、くるってしまった。
幸い、窓際の席は空いていた。しかし、汗がとまらない。精神安定剤は一錠飲んであるが、さらにもう一錠。でも、緊張しているわけではないと分かっているので、パニックは起きない。
さて、いつもより4分も遅くついてオーダーすると、やっぱり7分後ピッタリに、ハムトーストが出てきた。素晴らしいオペレーション。
しばらくすると、女性客が2人、3人と来店した。こんな早い時間なのに、こんなに駅から離れているのに、人気あるんだなあと思う。そう、みんな教えられてもいないのに、それぞれの理由でわざわざ来ているお客さんたちなのだ。
いつもより少し早いペースで食べて、10分前の電車に乗れた。
そういえば、背筋をしゃんと伸ばして、いつもより大きな声で店員さんに「ハイ」「ありがとうございます」「ごちそうさまでした」と言えた。いつもは「あー」「はあ…」「うー」と、こんな子供みたいな返事しか出来ない。
でも、前回のブログを書いてみて分かった。せっかく声を誉められていたのに、もごもご話すのは損だよ。はっきり元気よく話せば、もしかすると「いい声だな」と思ってもらえるかも知れないのに、そのチャンスを単なるだらしなさから逃しているだけじゃないか。そう気がついた。
過去は変えられないけど、明日は変えられる。変えなかったら、ただ一方的に悪くなっていくだけ。なので、思い出しづらい過去のことを書いて良かった。僕が怖いのは、「やっておけば良かった」と後悔することだけだ。
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記者発表後、横須賀美術館さんと打ち合わせしてから、「近くで食事でも行きましょう」となった。
実は僕、スタジオで解散となったら一人で行くつもりでクラフトビール屋を検索してあった。「そこいいですね」と電話してくれたのだが、15時でいったん休憩だという。「どうしましょうか」と3人ぐらいで検索して、「今から6人ぐらいで行きたいんですが」とドンドン電話してくれる。なんと頼もしい人たちなんだろう。この展覧会のスタッフは、本当に優秀。
スタジオの人に教えてもらって、宮武一貴さんらも一緒に、中華料理屋へ入った。テラス席が空いていたので、「外にしませんか?」とちょっと強引に誘ったが、外気は涼しくなっていたので丁度よかったはず。
ひとりで、ジョッキ3杯も飲んでしまった。まあ、いいじゃないか。明日、死ぬかもしれないんだから、楽しいときに飲んでおくんだ。
さらに国立競技場で下車、千駄ヶ谷近くで、ひとりで飲んでいった。曇っているけど、朝から大勢と話していたから、ひとりになりたかった。家でIPAを飲んだら、さすがに二日酔いになってしまったが、これもこれで良しとする。
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たとえば、20代後半ごろ働いていた豊田市の工場。流れ作業で、ただひたすらアムウェイ製品を箱に詰めていくだけの毎日の労働。
あの職場にいた若い男女のアルバイトたち、ひとりひとりは個性的で悪い人たちじゃなかった。本当にみんな、あんな退屈で屈辱的なアルバイトをしないと生きていけなかったのだろうか?
そうではないだろう、あんな非効率なアルバイトは、その場しのぎでしかなくて、それぞれ面白い人生が待っていたはず……。西八王子に住んでいた90年代の苦しいバイト時代を思い起すと、ついセンチメンタルになってしまう。
あの時期は、視野が狭かった。でも今、あえて冴えない職場へ行ったら、若いころとは比較にならないほど深く人間を見られるから、むしろ面白いのではないか? そういう誘惑がある。
もうひとつ、声のことを書いていて思ったことがある。
10~20代のころって周囲に大人が少ないから、ちょっと低いだけで「いい声」と聞こえてしまうだけではないのか。30代になると、世の中にはいろんな人がいると分かってくる。だから、僕ぐらいの声は珍しくなくなり、たいして驚かれなくなった。そういうことではないのか。
つまり、中高校生のころは周囲と自分の経験不足でちょっと得していただけではないのか。でも、幸か不幸か、僕はすごく鈍感なので、これでも傷が浅くてすんだような気がする。幸せにも鈍感だったけど、そのぶん痛みも薄くてすんだんじゃない?