2010年2月10日 (水)

■2月のメモ「シーズン4」■

月刊アニメージュ 3月号 本日発売
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●『ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド』 4ページ記事 
新房昭之さん×吉野弘幸さんの対談をまとめました。
この手の対談にしては珍しく、原稿用紙何枚だとか、一話につき何カットだとか、データ的な話も出てきます。

吉野さんは、『マクロスF』で二度、インタビューさせていただいたのですが、やっぱり「売る」ことを、綿密に考えています。
「関連各社に損させない」+「スタッフに楽しんで仕事してもらえる」よう、すごく努力してらっしゃいますね。


『ギャラクティカ』シーズン4のサンプル、全21話を、3日間かけて見た。
やっぱり、すげえですよ、これは。見終わって、思い返してみると、ちょっと『ドグラ・マグラ』的に、クラッときます。

Nup_111710_1396ネタバレを避けつつ、印象に残ったセリフを思い返してみると、「革命とは理念ではない。一秒一秒の具体的行動の重なりだ」
誰が言ったのかは、伏せるけど……おそろしく過酷なシチュエーションの中で、「お前と戦ってきたことを、誇りに思う」とか「生きてるって、最高でしょ?」とか……思わず立ち上がって、誰かとギュッと握手したくなるような、力強いセリフにあふれている。

指の先にまで、熱い血がめぐっている。それを実感する。ボロ布のような僕にも、まだ体がある。この体で、何が出来るだろうか。そんなことを、考える。
『ギャラクティカ』最終章・シーズン4は、17日からスーパー!ドラマTVで始まる。


そして、16日からは、日本テレビで『ギャラクティカ』シーズン2が始まる。
Tv_bga02_t2215_0008a「僕は、ただの理想主義者だった」と、涙ながらに銃を取り出すゲータ中尉が印象的なのは、シーズン3だっけ。

シーズン2は、大規模な艦隊戦もあるし、もう少しハデだ。これが、タダで見られるのだから、地上波も捨たもんじゃない。
日テレの公式は、こっちに変わったらしい。


たまに、初恋の女の子と再会する夢を見る。
僕は彼女と二人、夜の五日市街道を、自転車で走っている。街路樹の奥から見える、民家やお店の明かりが、あまりに美しくて、二人で話しながら、涙が出てしまう。

あの頃、僕は映画監督になりかった。なのに、彼女は僕の手紙を読んで、「あなたは、文章のプロになる」と言った。そして、その通りになった。
彼女の予言の当たったおかげで、僕は餓死せずにすんでいる。だから、彼女にも元気でいて欲しいな、と思う。


ひさびさに、『ゼーガペイン』のDVD-BOXを見てみるかな。

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2010年2月 9日 (火)

■コメント欄から■

先日のエントリのコメント欄から、ご本人の許可を得て、転載します。(読みやすくして欲しいとのことなので、改行などに手を加えた)

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記事の趣旨からは外れるかもしれませんが、ちょっとお金の話しが出ているのでここに書きます。
 
昨日のイベントはとても楽しかったのですが、結局のところ、未見の方へのアピールとしては 「お金が無いなら無いなりに皆で頑張ろう」と言う話しに収束してしまったような気がします。

僕は「お金が無いなら、お金を集める方法を考えればいいじゃん」と考える方なので、少しばかり違和感を感じたというのが正直なところです。

(次々とアイデアを出すみなさんの熱意には心は打たれたし、作品を話題にすると言う意味では 面白いアイデアもたくさんあったんですけどね。)

私見ではありますが、いま新宿のイベントに参加したり、ラピュタに通いつめたりするハードリピーターの方々の気持ちって言うのは大きく分けて二つに分類されると思うんですよ。

ひとつは、この素晴らしい作品を、このまま知る人ぞ知る傑作にはしたくないと思う人達。もっと多くの一般の方にもこの作品を見てもらいたいと思っている人たちです。
無償でチラシを作ったり、友達を誘って何度も劇場に足を運ぶ人たちはこういう部類の人達だと思います。

もうひとつは、言葉は悪いんですが、「俺はまあ、最初から目を付けていたけどね」といいたいマニアな人たち。 
こころの中で薄々、「この作品がこれから切り返すことは無いだろうな」と感じつつも、この作品が持つ不思議なパワーや、それを取り巻く純粋なファンの熱意を鋭敏に嗅ぎとって、「この作品はこれから祭になるかもしれない。だとすれば、自分は最初から踊っていたい」と 心の底から思っている選民意識の強い人たちです。

まあ、実際は比率の問題で、極端に後者に偏っている人というのはそんなにいないとは思いますが、まあでも、今この作品を応援している人で、このような気持ちが全く無いと言う人は かえって胡散臭いと思います。(あくまで私見です)

で、後者の気質の強い人に、「劇場で10回見ろ」とか、「無償で、手弁当で、作品のPR活動をしてくれ」とか言っても、多分無駄だと思うんですよ。

でもね、「お金を払う“だけ”で、この作品を応援した証が残る」んなら、喜んでお金を払う人がこの作品には一杯いると思うんです。
 
少なくとも、自分にはそういう気持ちがあるし、現時点でも、映画を観るために飛行機で東京にきたり、作品の舞台を見るために防府に駆けつけたりする人が大勢いる作品なわけですから。
 (そういう人たちがピュアな気持ちでやっていないといっているわけじゃないですよ。念のため)

もちろん、タダで金を集めるわけには行かないから、形式上ファンクラブやファンドのようなものを作る必要はあるでしょう。そして、建前はどうあれ、
「ここでお金を払ってくれた人にはSpecialThanksとして、でDVDにお名前をクレジットしますよ」
とか追い打ちすれば、200や300のお金はすぐに集まると思うんです。
もちろん、それで十分とはいいませんが、宣伝費が完全に枯渇してしまっている現状を鑑みれば、ファンの熱意が強いうちに、少しでもお金を集める動きをした方がいいのは言を待たないと思います。

そして、「ほとんど名誉以外にメリットの無いお金」がそれだけ集まるってことが、今、上映を検討している映画館へのアピールやDVD化への働きかけにつながると思うんですよね。
(個人的には、仮初めにもアニメを商売にして生きている人間なら、業界の良心として、一人一万くらいはこの作品の応援にお金を出してあげても良いと思いますが)

もちろん、こんなことをしたら、純粋なファンからは非常に叩かれるでしょうし、製作委員会の中の権利関係で、「お金を集める」ということがそんなに容易いことではないのは想像が付きます。

ですが、たとえノリでつけてしまったにしろ、『公開宣伝会議』と銘打ったイベントで、「宣伝のためのお金を集めることに関する議論」が殆どなかったのは、とても不思議に感じました。
 
この作品は人に恵まれているとは思いますが、それでも善意で人を動かしつづけるには限界があります。この作品の将来のためにも、たとえ叩かれる羽目になっても、具体的にお金を集める話しをしてくれる人間が、登場することを願ってやみません。

こういうことを平気で書いてしまうのが、僕なりのこの作品に対する愛だと理解していただければ幸いです。作品への愛情や解釈ならいくらでも書く人がいると思いますから。

自分なりには真面目に考えて書いたつもりですが、もし廣田さんがお気を悪くされたら……とビクビクしながら送信ボタン押します(^^;;

投稿: 杉本晃志郎 | 2010年2月 9日 (火) 00時30分

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僕は、杉本氏の意見を、このまま、製作委員会へ送っておいた。
「この映画を救いたい」と思っている方たちも、「思い」ではなく「お金」に頭を切り替えてはどうだろう。

温かく優しい「思い」のため、この映画は再び、11月の悪夢をくり返しつつある(昨夜の大阪の客は、たった6人だった)。

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2010年2月 7日 (日)

■僕はもう、やめますよ?■

「京葉線が強風で遅延気味」とのことなので、ワンダーフェスティバル、完全に遅刻です。
でも、強風は自然現象なので、しょうがないよね。

『マイマイ新子と千年の魔法』の素晴らしい広告ビジュアルを作成した前岡和之さんが、ブログからすべての『マイマイ』記事を消してしまった。理由は、僕もよく知っている。Maimai_ad010
彼の広告を見て、「映画に興味が出た」という人たちがいる。いまや忘れ去られつつある、署名サイトに「広告を見て、来ました」と、署名してくれた人もいる。
効果絶大。映画の役に立っている。でも、そこまで役立ってくれた彼の好意を、一番ないがしろにしているのは、映画の当事者たちなんですよ。
(念のために言っておくと、前岡氏へのフォローのために動いている関係者も、ちゃんといます。よい結果になることを心の底から、祈っています)

あのね。
応援してくれている人たちに感謝の気持ちがあるのなら、皆の応援に見合った分、実効的な方法を見つけ出し、「プロとして」「スペシャリストとして」厳密に、精密に、時には冷徹に実践すべきなんですよ。

僕は先日、関係者に「廣田さん、署名活動してくれて、ありがとうね」と何度も言われたけど、「ありがとう」と言われたいために、やってるんじゃない!
そんな簡単なことで、「良かった」なんて、思わないで欲しい。少なくとも、僕は2万人という目標を設定し、それに遠く及ばないことを、恥じている。今夜のイベントをお断りした理由のひとつも、それです。勝利には、ほど遠いと身に染みているからです。
「ありがたい」「嬉しい」「泣けてくる」って、この映画の周りにいると、そればかりなんですよ。感動したいのは観客。制作者たちが感動するのは、目的を完遂してからでしょう?

あちこちの映画館に「この映画を上映しませんか」って話を持っていっても、そりゃあ、話が進まないわけですよ……。
だって、「これぐらいの規模で」「このぐらいの売り上げで」って具体的ビジョンがなくて、ラピュタ阿佐ヶ谷なんて「情で」延長してるんだもん。「最終日は、監督に舞台挨拶して欲しいから上映延長」って、場当たり的ですよねえ。関係者が「感動したいから」「気持ちいいから」ではなく、「ビジネスとして賢い方法」をとるべきでしょう? そして、この発言もNGですか?
シネマ・アンジェリカの件は、週明けに発表だったはずなのに、あちこちで周知の事実になってるし……この不手際も、責めたらイカンのですか?

『ガンダム』で、ゴネる難民たちに向かって、アムロが「皆さんがいると思えばこそ、戦っているんじゃないか。……僕はもう、やめますよ?」と言い捨てるけど、今、彼の気持ちが、ちょっと分かってしまった。

※かみぃさんの「未完の映画評」に、今回のいきさつの一端が書かれています。考察に関しても「まさしく、その通り」。よくぞ、言ってくださった。
前岡さんの広告も、ダウンロードできるようになっています。

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2010年2月 6日 (土)

■「そうはさせるか」という人たち■

今朝も、阿佐ヶ谷は寒かった。チケット、一番とれたけど、俺が見るんじゃないのよん。新しい観客を、増やすため。

100205_22240001すでに伝えられているとおり、『マイマイ新子と千年の魔法』はラピュタ阿佐ヶ谷で、レイトショー延長(19日まで)。そして、2月13日からは横浜ニューテアトルにて、公開決定。こちらは、16時30分からと18時30分からの、2回上映です。

もう、このブログでは告知しなくて良いかなーと思っていたのですが、なかなか情報が回っていかないので、援護をつづけます。


さて、やや話題に乗り遅れた感がありますが、前岡和之氏が、「もうマイマイ新子の広告を自分でつくることにした」そうで、会社の休み時間に、泣きながらつくったそうです。Maimai_ad003
Maimai_ad004 Maimai_ad002_2








これだけじゃないですよ、何パターンかあります。文字なしバージョンもダウンロードできるそうなので、キャッチコピーや情報を入れ替えて、使ってください。
(作者が記事を削除してしまったので、ご入用の方は、「未完の映画評」さんからダウンロードしてください)

ただ、ダメだと言うのではなく、代案を提出する。
しかも、今の状況に見合った代案。3ヶ月前とは違うんだ、という意思表示。
何度も言うようだけど、普通の映画は、絶対にこんなことしてもらえませんから。ロードショーでコケたら、終わりなんですよ。普通はね。

だけど、「そうはさせるか」という人たちが、いっぱいいる。
前岡さんは、ラピュタ阿佐ヶ谷に何度か足を運んでくれて、「なんでこの映画が、こんな小さな公開のされ方してるんだ?」とイライラしていた。怒っちゃったのか、と思っていたら、仕事の合間に、こんなことをしてくれた。

これはある意味、「11月21日時点で最良とされたビジュアルが、上映環境の激変した2月現在では、もはや通じないのではないか」という、痛烈なダメ出しでもあると思う。
毎月、何かしら公の出版物にかかわっている身としては、「どうして、これが表紙? 売る気あるのか、出版社!」と激怒しちゃうことも、あるんです。実際は、その裏には営業的な判断や、出版サイドなりの経験則が作用していたりするので、一概に責められない。
「だけど、ちょっと待てよ」というところから、切磋琢磨されていくのだと思う。公の表現物は。

だから、逆に「こんなポスターじゃダメだ」と言われる覚悟も、前岡さんはしなくちゃいけないと思う。多様性こそが、文化の本質だから。


ここ何日か、署名が伸びていて、嬉しいんだけど……「何が署名だ」と、いまだに言われてますよ。実際、目標の一割もいってない。ちっとも美しい話じゃない。「あんまり集まんなかったけど、良かったよな」というのは、負け惜しみでしかない。
だったら、署名活動という亡骸を踏み越えて、「あんなもんじゃダメだ!」って、誰かが前に進んで欲しいんですよ。
失敗することに意義があるとしたら、代案を提出できるってことです。誰かが代案を提出したときに、やっと署名活動は終わる。忘れられる。
死屍累々、堆積のうえにこそ、成功があるのだと、僕は信じている。

いろんなアイデアがある、多士済々である、という状況が、最も望ましい。『マイマイ新子』は、いま、そういう状況になりつつある。もっと、多くの映画館でやろう。もっと、多くの人たちに見てもらおう。ひとつのアイデアが駄目なら、誰かが別案を出そう。
文句ばっかり言ってて何もしなかったら、映画も負けるし、僕らも負けるんですよ。

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2010年2月 5日 (金)

■2月のメモ「もう、自分の信念に背を向けたくはない」■

『ギャラクティカ』ファイナル・シーズンのサンプルが全20話、来た!
Nup_107036_0186「グレートメカニックDX」連載の都合とはいえ、これを見始めると、止まらなくなる。やっぱり、カーラはいいヤツだ……僕には、あんな才能はないけど、彼女のように、一直線に生きてみたい。

2話まで見て、印象に残ったセリフは「もう、自分の信念に背を向けたくはない」。誰が言ったかは、ふせておきます。でも、どのキャラクターが口にしても、おかしくないセリフ。そこが『ギャラクティカ』っぽいよなあ……あ、バルター博士は別か(笑)。

シーズン4は、2月7日に第1話先行放映(スーパードラマ!TV)、17日より本放送。
シーズン2は、2月16日より地上波初放送(日本テレビ、そろそろ公式サイト更新しようよ)。


中野レコミンツのside B、アニメ店ではない方へ行ってみた。
100204_16230001アニメを置いてないお店なのに、『マイマイ新子と千年の魔法』、大プッシュ! ちゃんと目の高さに展示してあるのが、素晴らしい。
片渕監督のサインが、アニメ店とは別バージョンで、蝶々が描かれておりました。

2/7の「公開宣伝会議」ですが、ゲストも決まったようで、良かったです。
僕は「署名をやった廣田さんです」と紹介されて拍手を浴びるのが、どうしても耐えられないので、辞退しました。
何しろ、署名は目標の1割も達成していません。今月末で受付は終わりますから、「してやってもいいかな」という方、ぜひお願いします。

署名を始めた直後、あちこちで痛烈に批判された言葉の数々が、今になって効いてきました。レコミンツさんにも、署名のURLが貼ってあったので、ありがたいと同時に、面目ないような……複雑な気分でした。
前回は郵送でしたが、最終提出は、手渡しします。前回、何のリアクションもなかった山口放送さん、松竹さんにも持って行きます。

かみぃさんのブログ「未完の映画評」は、上映情報も公式サイトより確かだし、状況の見方も冷静です。自主上映したい気持ちは、私より強いご様子だし、『マイマイ』のホームグラウンドと化しつつあります。

私は明朝、宇都宮から上京する友達のために、ラピュタ阿佐ヶ谷に並びます。
観客を増やすには、今はそれしか、方法がありません。


話は変わりますが、明日からのイベント、魂フィーチャーズには行ってみたい。『ゼーガペイン』ファンとしては。
アルティールは、すげえ出来がいいみたいですよ。プラモより動くみたいです。

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2010年2月 4日 (木)

■2月のメモ「作る人」■

いま読んでいる本によると、『ホテル・ハイビスカス』(02)は、オフィス・シロウズが自社配給として、車にフィルムやスクリーンを積み込んで、沖縄のあちこちで上映。しかも、半年から一年もかけて、回った。回った結果の興収、8千万円と健闘。
シロウズの前作『ナビィの恋』は、沖縄だけで3億の興収。案外、沖縄はデカいマーケットである、という話。

これは『ホテル・ハイビスカス』や『ナビィの恋』が、個人的に面白いかどうかとは、まったく別の話だ。ビジネス話と、映画の印象をごっちゃにする人がいるので、なかなか話しづらい。

同じ本に、単館系でヒットする映画のチャート表が載っていた。その表と照合すると、主題歌やテーマ性など、『マイマイ新子と千年の魔法』は、単館系では「ヒット路線」なのである。
それなのに、これから単館で上映したいという時に、「だって、シネコンで入らなかったじゃないですか」と、まるで食い違う話をされたりする。
映画のプロが、そういう話をされるもんだから、本当に耳を疑う。

さて、10日発売の「月刊アニメージュ」3月号なのだが、なんと、『マイ新』配給の松竹が、読者のQ&Aコーナーに登場しているらしい。
「こちらマイアニ特捜部」という、とても小さなコーナーなのだが、ちゃんと『マイ新』の話をしているそうなので、興味のある方は、ぜひ。


福田麻由子の出演映画は、とりあえずすべて見たいので、『GOEMON』をレンタルしてくる。
F4f01804登場シーンが少ないのは分かっていたが、広末涼子の少女時代という設定で、回想シーンにしか出てこない。
『犬と私の10の約束』もそうだったし、このままでは、回想シーン専門女優になってしまうよ!……というところで、ちょうど受験でお休みなので、いずれ、いい役が巡ってくるでしょう。

興収は、14.5億だったという。「おーっ、そんなに入ったの?」というのが、正直な感想。ぜんぜんリクープできてないんだけど、うーん
やっぱり、キャスティングが大スクリーン向けだったのかな、という気がする。

映画の印象の話をすると、「俺がルールだ!」と言わんばかりの紀里谷和明監督は、嫌いじゃない。
ワガママをやる代わりに、批判も聞きますよ、という態度がいい。「クソ」とか「死ね」とか言って、何もしない人よりは、メチャクチャでもいいから「作る人」のほうがいいわけです。生きるに値する、というか。

一仕事したら、今度は『おと・な・り』です。麻生久美子と谷村美月という、思わず正座したくなるキャスティング。
監督は『ニライカナイからの手紙』の人だ。じゃあ、そんなに悪くないはずだよ。というか、麻生と谷村が出てるんだから、つまらないはずがない。俺にとっては、ですが。


ラピュタ阿佐ヶ谷での『マイマイ新子』、なんと鈴木タツヨシ役の江上晶真さんが、舞台挨拶されるとか。2月5日(金)です。支配人こと「バー・ラピュタの女」が、キャーッってなっちゃいますね。

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2010年2月 3日 (水)

■2月のメモ「ガンダムUC」■

新宿ピカデリーで、『機動戦士ガンダムUC』。マスコミ試写と銘打っておきながら、ライター・編集者ばかりか、メカデザイナーのお知り合いも。声優・絵描き・芸人と、カオスな試写会だった。

意外によかったのは、背景。スペースコロニー内。
Img_story_02人間が移動するには、電車のようなものを使わなくてはならないけど、プチ・モビルスーツに乗ると、3次元的に移動できる(プチ・モビが一瞬、風にあおられる描写がニクい)。
プチ・モビを出すことで、コロニー内が、少しだけ、狭く感じられるわけだ。
だけど、モビルスーツで移動しようとすると、まず突入路を考え、常に脱出路を探してないと、おいそれと戦っていられない。ようするに、コロニーが狭すぎてしまう。
その、丁寧なスケール感の描き分けを堪能するには、大画面の方がよいかな、と思う。
2月20日より、主要都市5館で上映。

背景、というか演劇的な「舞台」という意味では、『装甲騎兵ボトムズ 幻影篇』が面白い。「こんな使い方も、出来るのか」と、ちょっと関心。
こっちは、3月26日発売。


『ミツバチのささやき』と『エル・スール』を、二週間も上映している静岡シネ・ギャラリーは、素晴らしい。1/31には、静岡県立大学准教授の大楠栄三さんのセミナーまで、あったらしい。
この歳になって、「映画の先生」が欲しくなってしまった。人に聞かないと分からないことって、いっぱいあるので。

20年前は、洋泉社『映画の現在形』を読んで、見てない映画を片っ端から、探して歩いた。当時は、レオス・カラックスら、「ネオ・ヌーヴェルヴァーグ三羽烏」が流行っていた。「お前、ベネックスも見てないのかよ?」というあのノリは、シャフト・新房作品の流行り方に、ちょっと似ている気がする。


ほうふ日報の縄田記者のTwitterによると、「ワーナーマイカルシネマズ防府のN支配人から商議所へ電話が入り、『マイマイ新子と千年の魔法』防府で11000人動員突破の報を聞く。2月28日までは防府での上映確実視。3月7日までの上映を交渉中」とのこと。
なるほど、3月7日までなら「マイマイ探検隊」に参加した人が、そのまま映画館に流れることが出来ますね。そろそろ、宿を予約しておかないと。

縄田記者はもちろん、この映画と何年も付き合っている監督、プロデューサーたちのスタミナは、凄い。嫌なこともいっぱいあるだろうに、まだ戦いつづけている。
僕なんか、この映画と知り合って、4ヶ月の新人だ。

大阪での上映を盛り上げよう、という方たちも現れた。
氷川竜介さんが「アニメージュオリジナル」で書かれていたように、『マイ新』を巡る状況は、本当に「奇跡」じゃないか、という気がしてくる。


2月7日のワンダーフェスティバルに向けて、絶望的状況のもと、制作のつづく『亜空間漂流ガルダス』。
1月30日の制作ブログによると、映画の完成を前に、DVDパッケージを発注したらしい。
しかも、「演出を実験的にする」とか……。今回の『ガルダス』は、ファンタジーじゃなかったのか(笑)。もし間に合わなかったとしても、もはやこの状況が、エンターテイメントという気がする。

そういえば、同人誌で『ガルダス』の岩井はるみさんにインタビューして、写真も撮ったけど、撮影に使った新宿御苑が「成果物を送ってください」と電話してきた。
公園事務所で「同人誌」「即売会」について説明した日が、懐かしい。

さて、ワンフェスに『ガルダス』は、お目見えするのか? あと4日しかない!

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2010年2月 1日 (月)

■2月のメモ「ミツバチのささやき」■

池袋の新文芸座へ、『ミツバチのささやき』と『エル・スール』の二本立てに行った。
窓口で「今からですと、お立ち見になりますよ」と言われ、次の回の上映まで待っていると、なんと開場30分前から並ばされる。女性の一人客や、外人のカップルもいる。日本公開から25年、いまだ「名作」と認知されてるんだなあ……と感慨深い。

8383c83o836082cc82b382b382e282abどのショットも、寒々しいまでの切実さに溢れている。小さい頃、夜毎に布団の中で感じていた、形にならない不安。恍惚。映画の中で「精霊」と呼ばれるものたちに、確かに触れていた時代が、僕にもあった。

20年前に記していた「映画鑑賞ノート」を引っ張り出してみたら、僕が『ミツバチのささやき』を見たのは、1988年だと分かった。
同じページに『怪盗ルビィ』、『ドグラ・マグラ』、『汚れた血』など、明らかに映画館で見た作品の名前があるので、間違いなく88年。ということは、映画館ではなく、ビデオで見たのだろう。
『ミツバチ』のすぐ下に、ケン・ラッセルの『マーラー』と記してある。この二本立てがあったという記憶もない。

「映画鑑賞ノート」には、驚いたことに「ミツバチのささやき…訴求力が弱い」と、そっ気ない一言が添えられていた。
これだから、歳はとっておくものだ、と思う。僕は大学卒業後、文献で『ミツバチのささやき』の批評を繰り返し読み、自分自身の感想はそっくり忘れたまま、「名作」のレッテルを貼ってしまっていたのだろう。

死ぬまでに、もう一度、どこかの映画館で出会うことになるだろう。その時、僕は今よりずっと年寄りで、死に近づいて、「精霊」の世界を、身近に感じられるんだろうと思う。


『マイマイ新子と千年の魔法』、バウスシアターの件が、いまだにモヤモヤと頭から離れない。言いたくて言いたくて、でも飲み込まなければならない言葉が、いくつもある。
署名を始めた12月初旬頃から、ずーっとこんなです。

「アニメージュオリジナル」の記事は、シネ・ヌーヴォの上映は2月12日までになっているし(実際は2月19日まで)、ラピュタ阿佐ヶ谷での上映も終わっていることになっている(2月12日までやってます)。
どうしてそうなっちゃったか……、文責として名前が載っている以上は、僕の責任です。

問題点は、現場、現場で各個に解決していくしかない。「A案がダメなら、B案がある」と言えるのは当たり前のことであって、ノーレスポンスの人までは救っていられない。具体的に、体を使って考えること。頭だけでは、ダメだ。
歩き、話すこと。それ以外に、問題の解決法はない。

監督のお声がけで、署名者数がグッと伸びました。毎日、必ず目を通しております。あと28日間ですが、よろしくお願いします。

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2010年1月31日 (日)

■観客の役目■

吉祥寺バウスシアターで、『マイマイ新子と千年の魔法』のチラシが貼ってあったのに、上映がなくなった件。
なくなった経緯は、僕も知っているのだけど、別にバウスが悪いわけじゃないんですよ。
むしろ、理不尽な目に合わされているように、僕には思えた。
連続上映が無理なら、イベント上映みたいな形にできないか、バウスに提案しているし、監督にも相談した。僕らだけが苦労している、とは言わないよ。でも、「噂にすぎなかったじゃないか」「ダメだったんじゃないか」とガッカリさせないよう、努力しているし、それが僕らの「仕事」でしょ?

今まで、ずっとそうやってきたんだよ。泣き寝入りせずに、ずっと動いてきたんだよ。
バウスの古いスタッフは、『アリーテ姫』を上映したときのことを、今でも覚えているそうです。支配人さんも、『マイ新』本編を見て感激し、「上映したい」と立ち上がったそうです。
それを「大人の事情」で水に流していいの? それを止めるのが、僕らの役割じゃないの?

「何とか上映できるよう、努力します」と言ってくれた映画館さん、みんな黙っちゃいましたよ? なぜ? この映画には、客が入らないから? いまや、そうではありません。僕ら観客が、その定説をひっくり返して見せたじゃありませんか。

僕は、この映画の関係者ではないし、何ら特別な立場の人間ではありません。
最近では、ライターとも名乗らないし、署名のことも口にしません。口下手なので、電話は苦手なのですが、必要とあらば、目をつむってダイヤルを回します。必要とあらば。
僕みたいなヘタレに出来るんだから、皆さんにも出来ます。
泣き寝入りするヒマがあったら、行動を。


今日は、池袋まで、『ミツバチのささやき』と『エル・スール』を見に行く予定です。
誰かが見つづけ、誰かが語り継がねば、文化なんて残るわけがないんですよ。レンタル屋のスタッフが、ビクトル・エリセを知ってると思ったら、大間違い。シネコンの受付のお姉ちゃんなんて、自分が生まれたあとの映画しか見てないよ。テレビで、古い映画をやらなくなったんだから、仕方ない。
だけど、「やらなくなった」ってことは、「権利者が止めてる」ということでもあるんですよ。映画を解放するのは、僕たち観客の役目です。


追記。この春~夏は、プチ『ゼーガペイン』祭になるそうです。
4年前のアニメを、支えつづけたファンがいたからこそ、です。ここに至るまで、制作者の方は無念の涙を飲んできたそうです。そんな裏話も、今年は笑って話せるかも知れません。

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2010年1月30日 (土)

■ジョソコを全力で肯定する■

『マイマイ新子と千年の魔法』、大阪シネ・ヌーヴォでの上映、本日よりです。
チケット販売は、朝10時ごろからだそうです。2/19の終映まで、満席のつづくことを期待しています。

あと、吉祥寺バウスシアターさん、がんばってください。『アリーテ姫』と二本立てで、やりましょうよ。応援します。
全国の映画館さんも、期待しております。
シネ・ジュニア国際映画祭もおめでたい話なので、国内での知名度UPに繋がってくれると、嬉しいです。まずは、国内なので。

マイマイ新子@ラジオは、面白かった。支配人さんが出てきたとき、「おばさんがバー・ラピュタの女ですか」って書いた人、誰だ(笑)。


読売新聞に、「ジョソコ」の話題が掲載されていた。
100129_19200001性同一性障害でもなければ、ゲイでもない若い男子が、積極的に女装して楽しんでいるという。この流行、ものすごい腑に落ちる。
社会で「男を演じる」ことは、ものすごく、しんどいのです。
「雄々しく、堂々とする」ことは、社会生活に必要ではあるが、それは手段でしかない。僕らの本質は、体育会的な「男らしさ」では、断じてない。大人の強要する「男らしさ」とやらは、まず体育の時間に、教師たちが奪い去っていったではないか。「跳び箱が飛べないなら、休み時間もずーっと練習していろ」などと、クラス全員の前で言われた「男の子」が、雄々しく堂々と育つわけがない。
それを今さら、「男らしくあれ」とは、ムシが良すぎる。

僕は、今でこそ「ハゲ、ヒゲ、メガネ」という「男らしい」記号で外見を固めているが、男になんかなりたくなかった。小学校高学年の頃は、肩甲骨の下まで髪をのばし、女子に間違われるのが、とても嬉しかった。
祖母に「この子は、女の顔をしている」と言われたときは、自分が初めて、認められたような気がした。(くどいようだが、今はハゲ・ヒゲである)

漫画では、『11人いる!』のフロルが好きだった。一見、少女にしか見えないフロルは、ま20090505163436だ男でも女でもない。成人すると、男女どちらかになる。性差の間で揺れ動くフロルの戸惑いに、心から酔った。友達に、「お前、こいつ(フロル)が好きなんじゃないの?」とからかわれたが、それは違う。僕は、フロル自身になりたかった。

結局、僕は運動が不得手で、色白なまま、第二次性徴を迎えねばならなかった。
女子の目線を意識せねばならない年齢で、体育がダメなら、ルックスも良くない。ついでに、頭も悪い。これは、遺伝子的敗北である。
恋愛で勝つには、ひたすら誠意と卑屈を武器にするしかなかった。――なぜ、恋愛で勝たねばならないか? それ以外に、自分の性を決定づけるものが、なかったからですよ。異性に受け入れられる以外、自分を「男」と認識する方法がない。

だけど、そこから先がなかった。結婚しても、恋愛シミュレーション・ゲームを捨てられなかった。離婚してからは、キャバクラに通った。ゲームやキャバクラでなら、自分は寸分たがわぬ「男」でいられた。だけど、僕の年齢だと、そこでデッド・エンドなんですよ。
いまだに、「男としての自信」はないし、必要ないのではないか、とさえ思っている。


初音ミクを使って、曲を発表する人たちがいる。男なのに、女の子の恋心を歌わせたりすMikutmbる。ミクが女の子である理由は、そこにある。性を無効化してくれるんですよ、ボーカロイドって。だから、「SFより凄い」と、前から言っているでしょ。
初音ミクは、単なるキャラクターではないし、ツールでもない。「男らしくない」僕たちの、肉体の一部なんだ。

キャラクターでいうと、『処女はお姉さまに恋してる』には驚いた。もう、5年前のゲームか。「歪んでる」と思ったんだけど、かつてフロルに感情移入していた僕に、言えた言葉ではない。
ハーレム・アニメが減っていき、女の園だけを描いた作品に、男性が感情移入するようになった。それを僕は「キャバクラ化」と呼んだけど、そうではない、と今では思える。自分も彼女たちの友達なんだ、と思った方が、心が楽なんですよ。「百合」の定着化も、近い理由だと思う。性差を越えない恋愛の方が、すんなり感情移入できるってことでしょう。

そうした流れの中で、「ジョソコ」が出てきても、何の不思議もない。「男らしくあれ」という社会の抑圧が、それだけ強いという証拠でしょう。
「男らしさ」は、社会構造にとって有益なだけで、僕たち個人にとっては、実はどうでもいい。女々しい方が、心が自由でいられる。


もうひとつ言うと、新垣結衣が、応援団長という「男らしい」役を演じる『フレフレ少女』。これも、僕にとっては重要な映画だ。
547529恋愛がきっかけで、応援団に入った新垣は、日常生活でもガクラン姿で生活せざるを得なくなる。すると、ガクラン姿の新垣に「女の子の」ファンがつくのである。さらに、チアガール部のキャプテンを男優が演じることで、この映画は、「男らしさ」「女らしさ」を木っ端微塵に吹き飛ばす。

『フレフレ少女』を見たとき、僕は自分が男装カフェに通っていた理由が、分かったような気がした。男らしくあろうとする女子(男らしい女子ではありません)に、憧れがある。性のボーダーを揺れ動く姿は、男女を問わず、美しいのです。


日本は、アメリカよりも自由の国である、と思う。今は大人たちが、自由を潰して歩いているだけの話だ。
逃げたかったら、逃げてもいい。30代の自殺者が、激増している。あらゆる逃避の手段を、今こそ肯定すべきときだ。「男らしさ」という錆びついた牢獄から、あらゆる方法で脱出しよう。
男になり切れず、思春期のまま一生を終えそうな僕は、ジョソコを全力で肯定する。

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