2016年7月23日 (土)

■0723■

ホビー業界インサイド第13回:フィギュア原型師を悩ませる「好み」と「偏り」原型師 稲垣洋インタビュー!
T640_709476一年前に、「アルターの原型師」としてデコマス作成担当さん、企画担当さんと一緒にインタビューさせていただいた原型師、稲垣洋さん。前回のワンフェスでお会いしたとき、「もうちょっと深いインタビュー、やりましょうか」という話なり、単独インタビューが実現しました。
ある意味、『我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか』の内容をバトンタッチしていただいた気もしています。

「自分が、そうなりたい女性キャラを作る男性モデラー」という分類にもハッとさせられますし、「ロリータ趣味からショタ趣味に移行した男性を、“変態”だと笑えないはず」という指摘にも、感銘をうけました。
オタクのセクシュアリティって、茶化されるばかりで真面目に言語化されてこなかったし、まして当事者が顔と名前を出して語る機会は珍しいのではないかと思います。当事者不在のまま、「二次元キャラが好き」というだけで、一方的にボコられたりするのは、真摯な自己言及が不足しているせいでは……という気もします。


告知を忘れていましたが、都築響一さんから、取材を受けました。
Og893記事のタイトルは『短期集中連載:マニア本の著者に聞く vol.1 「我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか」――廣田恵介とセンチメンタル・プラモ・ロマンス』
都築さんの有料メルマガ【ROADSIDERS' weekly】2016/07/20号 Vol.220()で、読むことができます。本では省略した恋愛遍歴、対人恐怖症のことなど、いろいろとぶちまけてしまいました。
『我々は如何にして~』自体は、発売から一ヶ月が経過。アマゾンの「模型・プラモデル」カテゴリで、売り上げ1位と2位のあいだを行ったり来たりしています。


ちょっとずつ時間ができてきたので、レンタルで『JUNO/ジュノ』。
15歳の女の子が、ボーイフレンドとのセックスで妊娠してしまうが、中絶せずに里親さがしを始める。
329516_01_01_02シリアスになりがちなモチーフだが、ジョークのきいた小道具やセリフの散りばめられた、あっけらかんと楽観的な映画。アカデミー主演女優賞にノミネートされた、エレン・ペイジがいい。

主人公のジュノは、父親であるボーイフレンドを頼らない。また、我が子の里親になってくれる夫婦のうち、夫に言い寄られるが、彼の誘いを断固拒否する。
この映画では、男はトラブルの種になるだけで、まったくの役立たず。にも関わらず、それぞれ魅力的に描かれている……ジュノ自身の父親も、そうだ。
男たちは、メイン・プロットから次々と脱落していくのだが、それでも、彼らは魅力的に描かれている。そこが心憎いというか、頭がいいなあと、感心させられる。バカな男をバカとして描くのは簡単だからだ。


一方、ジュノは母親になってくれる予定の女性が、知り合いの子どもと楽しそうに遊んでいる姿を、目撃する。ジュノの友人は「あの人、他人の子どもを誘拐しそうな勢いだね」と白けている。しかし、いつもはおしゃべりなジュノは、無言で里親が子どもと遊ぶ様子を見つめている。
その間、かまびすしい映画のトーンは抑制され、ジュノの表情を丁寧に撮る。僕が映画という表現に心酔するのは、こういう瞬間だ。
そして、頭の悪いティーン向けコメディ映画のフリをして、ちゃっかり社会的テーマをまぎれこませるテクニックにも唸らされるのです。

(C)2007 TWENTIETH CENTURY FOX

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2016年7月19日 (火)

■0719■

シン・ゴジラWalker 22日発売
51xchbnmpul_sx352_bo1204203200_庵野秀明総監督の作品、という視点からコラムを書きました。ひさびさに『トップをねらえ!』ラスト2話、『新世紀エヴァンゲリオン』第6話、『激動の昭和史 沖縄決戦』を、参考用に見返しました。

書いてもいい刻限になったので書きますが、このコラムのためにラッシュ試写を見ました。
ラッシュ試写会は複数回おこなわれており、同行した編集者によると、「試写のたびに完成に近づいている」とのこと。
僕が見たのは、エンドクレジットまですべて入った、完成に近いバージョンでした。


ラッシュ試写のあいだ、僕は声なき声を出して泣いていました。この映画は理性と客観によって支えられているので、お涙ちょうだいのシーンはありません。
では何に泣かされたのかというと、「日本映画って、本気になってつくれば、こんなに面白いじゃないか!」という驚き。それに尽きます。

ハリウッド映画を対置させて、「日本映画」と書いたわけではありません。「日本人が、日本人に見せるためにつくった映画」という意味です。
これは敗戦、復興とバブル、何度もの震災をくぐりぬけてきた国の人たちの映画です。別にハリウッドや、その市場としての中国に歓迎される必要はない。「もっとも国内的な映画こそ、もっとも国際的」なので、なにも心配していません。

唯一の懸念は、国内で「難しい」「怖い」とか言われて集客できないことです。そこまで、この映画は妥協を禁じています。ガチです。庵野秀明の真剣勝負、葛藤と逡巡をくりかえした56歳の底力、「実力」です(実力とは「実際にある力」という意味です)。

僕は「特撮映画」「怪獣映画」に対する愛着はうすい方ですが、それで良かったと思います。郷愁をさそうような映画にはなっていません。「今日」「現在」を血まなこで見つめようとした映画です。
その真摯さな姿勢に、まずは心臓を撃ち抜かれたのです。


「今回の脚本って最初、余計なものが入っていない純粋な情報だけで構成されていたんです。周囲からはあれこれつけ足せと言われていたみたいですが、それによって面白さの要素がスポイルされるのが僕も庵野さんもすごくイヤだったんです。(略)」
――ちなみに、その余計なものとはなんでしょう?
「離婚の危機に陥った夫婦とか、娘を失った父親の悲しみとかいったいわゆる“ドラマ”です。これを削ると『人間描写が足りない』とか言われるし、多くの方は『映画にはエモーショナルなものがある』という幻想をお持ちです。(略) けど、過去の名作映画と言われる『JAWS』や『エイリアン』などにそんな愁嘆場や恋愛要素はなかったのに、すごく面白いじゃないですか」
――EX大衆8月号、樋口真嗣監督のインタビューより抜粋。これを読んで、「やっぱりなあ」と納得しました。

「大人の仕事」しか映ってないんですね、二時間の間。直接的にも、間接的にも。
ここにはもう、特撮少年だった、趣味に生きるマニアだった庵野さんや樋口さんはいない。「面白い映画をつくってヒットさせる、職業意識の強いプロ」が二本の足で立っている。

そして、この映画が「面白い」のは、知性と論理がドライブ感をかもし出しているからです。
感情表現を分かりやすくするため、大声で絶叫するような人物は出てこないし、“ドラマ”の都合で際限なく時間が引き延ばされることもありません。この映画が抗しがたい迫力と説得力を持っているのは、冷然たる事実の蓄積によってのみ成立しているからです。
「気持ち」「雰囲気」だけでは、何事もなし得ないことを、この映画は教えてくれます。

『シン・ゴジラ』は、映画の外側も内側も、知力による総力戦です。
ぜひ大ヒットさせて、「僕たちは、もっとこういう映画が見たいんだ!」と、映画界に大声で訴えましょう。
 

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2016年7月17日 (日)

■0717■

アニメ業界ウォッチング第23回:下町を舞台にした小粋なショートアニメ「夕やけだん団」、その完成度の秘密とは? 二村秀樹監督、インタビュー!
T640_709087背景画一枚、キャラクターふたりだからこそ掛け合いの面白さのきわだつ、山椒のようなエンターテイメントになっています。
「少数だからこそ、精鋭にならざるを得ない」という言葉を、思い出します。なお、Wikipediaでは「にむらひでき」となっていますが、「ふたむら」監督です。


昨日昼は、舞浜アンフィシアターで、イベント『10th Anniversary ゼーガペインSBG 夏の始まり@舞浜サーバー』へ。取材でもご招待でもなくて、ちゃんと自分でS席のチケットをとりました。
10thsbgvisualいままで、僕は「スキあらば『ゼーガ』について語る、取材する」遊撃隊にすぎず、ライトユーザーのつもりでした。というか、今でも『ゼーガ』については「ぬるいファン」です。
ただ、10周年は二度とこないので、今年はファンとして遠慮なく参加するのだ……と決めています。(アルティールのプラモデルが新規成形色で発売されるのですが、どうにかして取材かレビューか出来ないものか……会場では、近くで見られなかったもので。)


イベントは、トークショウ・朗読劇・ライブの三部構成。
浅沼晋太郎さんが、本当に細かいセリフや用語までおぼえていて、なおかつ『ゼーガ』を知らないお客さんのことまで気づかってくれて、心から感心させられる。
『ゼーガ』を知らないヤツは出直してこい、みたいな空気がない。
朗読劇は、さすがに本編のどのあたりのストーリーか理解できてないと苦しかったし、舞台上の3人だけで完結する構成にしてほしかったけど(シマ司令がギャグをとばしてくれたのは嬉しかったけど)、音楽の大塚彩子さん自らピアノを弾きはじめ、ROCKY CHACK(と、編曲の保刈久明さん!)が『and you』を歌うころには、もう涙で目がうるんでいた。

新居昭乃さんが登壇されることは聞かされていたんだけど、花澤香菜さんまで歌うとは思わなかった。登壇の順番、モニターを使った演出、ライブ・パートはメリハリがあって、とても良かった。
浅沼さんの当意即妙なMCぶり、最後の最後まで素晴らしかった。いい40歳に、いい大人になれたんだなーと……、高校生だった花澤さんより、当時30歳だった浅沼さんに、「10年のプラス」を感じさせられた。加齢ってマイナスではなくて、プラスなんだよね。


北原みのり「また萌えキャラですか」()
「萌えキャラがキモイ、というよりも、萌えキャラを重宝し濫用する男社会がキモイ」「なぜ男たちは、ここにいない少女たちを、執拗に求め続けるのか」……だそうですが、萌えキャラを好きな女性も、いっぱいいます。美少女フィギュアを造形したり塗装して楽しんでいる女性も、いっぱいいます。
彼女たちが少数派だとしても、少数派だからこそ、その嗜好を大事にすべきです。

「大勢が嫌っているから」「多くの国で禁止されているから」という理由をもちだすと、それはもう抑圧、外圧になってしまう。
僕は性別をとわず、少数の「負けそうな側」「抑圧されている側」に立ちたいと思っています。

(C)Y.D.D
(C)サンライズ・プロジェクトゼーガ

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2016年7月15日 (金)

■0715■

109シネマズでのみ上映されている短編連作アニメーション、『夕やけだん団』()。
Dandan_dvdようやく、DVDを買いました。今ごろ、こんな面白いアニメの存在に気がついて、すみません。
だけど、今月あたりからポツポツと『夕やけだん団』がらみのインタビューが、掲載されはじめます。「面白い」と感じたら、まずどこかで取材できないか、考えはじめます。

なので結局、あっちのアニメ、こっちのアニメと、スタッフさんにインタビューする日々がつづいてるんだけど……結局、名前の残っている方は、「仕事のさばき方が上手い」のです。どうすれば手間を最低限にして、高い効果をあげられるのか、常に考えてらっしゃるというか。
はじめるのは簡単だけど、終わらせるには知恵がいる。計算して工夫しなくては、前へは進まない。どんな仕事でも、同じだと思います。


それでも何とかして、取材のかえりに映画館へ急いだり、レンタルしてきたりして、何本か映画を見たんだけど……どれも、ピンとこない。疲れてるのかも知れないな。

“オーランド銃乱射事件で犠牲になったゲイの親友のために!『スター・ウォーズ』に同性愛者キャラを登場させる署名が始まる / 熱い思いが大きな運動に”(
『スター・ウォーズ』は、脳腫瘍で余命いくばくもない少女のために「R2-KT」というドロイドを有志が製作したり、社会福祉的な側面を担ってきた(「R2-KT」は『フォースの覚醒』以前、アニメの『クローン・ウォーズ』から登場している。『スター・ウォーズ』がルーカスの物だった時代から出演していたことは、強調しておきたい)。

「R2-KT」の公式サイトは、とてもかわいらしくて、ちょっとファンになってしまいそう。
ただ、その誕生の裏には、ストーム・トルーパーの世界的コスプレ団体である第501部隊や、R2ビルダーズ・クラブといった、常軌を逸したファンたちの暗躍があった。
彼らの流儀はあまりに厳格で公共性も強く、ちょっと近寄りがたいものを感じる。まあ、ナードですよ。お気軽なファンというよりは。


『スター・ウォーズ』は当初、ひとりのナードの雑多な趣味から生じた手前勝手で偏屈な映画であって、僕はそこに愛着を感じている。ルーカスの私物だったわけですね、『スター・ウォーズ』は。
それがディズニーに売却されて以降は、もうナードのものではなくなった。制作者や出演者の発言からもオタク性は除外されたし、私的なこだわりも消え去った。中正公平になった。
……そうやってエンタメは民主化され、進化していくのかも知れない。

ただ、ルーカスがマチズモの権化で、旧作シリーズを封建主義にこり固まった前近代的な映画のように批判するのは、事実誤認もはなはだしい。
ルーカスは1983年に離婚してから、3人の養子をとって、ひとりで育てた。2013年にようやく再婚し、代理母出産で、4人目の子どもを授かった。
彼の複雑な家族観は、ちゃんと作品に反映されていると、僕は思う。ルークもレイアも養子だったし、アナキンには父親がいない。クローン・トルーパーのホストである賞金稼ぎは、なぜか自分そっくりの(母親のいない)息子を欲しがる。
両親のそろった、一般的な家庭がまったく出てこないことで、映画の根底に悲観的な、孤独なトーンが流れつづけている。

ルーカス6部作を見るとき、そんなことも思い出してほしい。ルーカスの人生が幸せだったとは、僕にはとても思えない。

(C)Y.D.D

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2016年7月10日 (日)

■0710■

【懐かしアニメ回顧録第20回】「勇者王ガオガイガー」の合体シーンに見る、ロボットの「人格」と「主導権」
T640_708810_2非常にくどく書いていますが、合体シーンでは、ロボットは人間とマシンの形をいったりきたりします。マシンである間は、ロボットの「人格」は停止されているのです。それを、『ガオガイガー』では「目の色が消える」「黒く塗りつぶす」ことで表しています。
ロボットの目の色が消えている間、マシンの内部メカは、目と同じ色に光っています。そこには、合体するロボットの「主導権」のやりとりが行われているのではないか?……と、面倒なことを考えてみました。


夏アニメが、いろいろと出揃った。『甘々と稲妻』は、実に“聞かせる”アニメだ。幼稚園児役に、子役を配したのがいい。別に成人した声優が演じてもいいのだろうが、業界の「外部」から異分子を放り込むことで、共演する声優たちの演技にも幅が出て、「いつも」と違って聞こえる。
2039c628038730b56286d5255e060faa中村悠一さん演じる主人公が、クライマックスで白いご飯を食べるとき、「美味しい」ことを表すため、ヒュッと息をのむ。声ではなく、息をのむ生の音を拾っている。これは多分、子役の芝居を録音するために、音響チームが何かやっているんではないだろうか。
「誰が音響監督なのだろう?」と、気になる。たなかかずやさんであった。『惡の華』で、伊瀬茉莉也さんと日笠陽子さんから、ああまで重厚な芝居を引き出した、たなかかずやさんである。『くまみこ』がたなかさんだし、『ミチコとハッチン』もたなかさん。なんとなく、たなかさんの狙っている路線が分かると思う。

キャスティングと演技指導をつかさどる音響監督からアニメを見ていくと、実に面白い。音響監督にも、作家性がある。だから僕は、打越領一さんや木村絵理子さんにインタビューをお願いした。


「この監督で、このスタッフィングで、このキャスティングで」……という座組みの部分で、すでに“勝っている”作品って、あると思う。面白いかつまらないかは、僕は二の次だと思っている。ビジネスとして失敗しようが、結果としてガッカリしようが、トライした事実は歴然と残る。
企画した、発想した時点で抜きん出ていれば、僕はそれだけで元気になれる。
バブルのころは、いろいろな分野の人が映画業界に闖入してきて、やみくもに監督デビューした。ほとんどの映画が「つまらなかった」という感情的な理由で忘れさられていくけど、「冒険した」こと自体を評価したい作品が、僕にはいっぱいある。

「見てつまらなかったから、ダメ、失敗」という評価のしかたは、本当に殺伐としている。
「○○監督だからダメに決まってる」とか、「あんなヤツに映画が撮れるわけがない」だとかは、予想外のアクシデントを排除し、自分の心に芽生えるかもしれない「新たな評価軸」「新たな価値観」の芽を摘む、不毛な発想だと思う。

だって、「あんな両親から、まともな子が産まれるわけがない」って、自分の出自に最初からダメ出しされたら、生きるのがイヤになるでしょ? 同じことですよ。
明日はどうなるか分からない、意外な方向へ好転するかも知れない……と思っていたほうが楽しいでしょ。やる気も出るでしょ。
作品をつくる、作品を見るのは「未来に希望を持つため」。傑作と駄作に分類して、採点するためじゃない。もちろん、一時しのぎのヒマつぶしで見ても構わないんだけど、僕は作品からエネルギーを補充しないと、この現実を生きていけないです。そのために、「ほめる基準」は、いっぱい持っておきたいです。

(C)雨隠ギド・講談社/「甘々と稲妻」製作委員会

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2016年7月 9日 (土)

■0709■

昨日は、『君の名は。』のマスコミ試写。
News_xlarge_kiminona_201605_poster東宝の宣伝展開は、巧みにミスリードしているので、まんまと乗せられて見にいったほうが「得」だと思う。
最初の10分ぐらいは、「ああ、いつもの新海誠さんだな」という感じ。「ひょっとして、80年代の大林作品を意識してます?」などと、浅はかな勘ぐりもしてしまう。
ところが、とんでもないことが起きはじめる。デジタル・ネイティブならではの発想とテンポ感……だけでなく、今度の新海さん、デジタルの対極にあるかのような伝統工芸を、よく勉強なさってます。
それらのシーンは力量のあるアニメーターたちの手によって入念に作画され、視覚的な見せ場となっているうえ、プロット上でも重要な役割を果たします。
また、試写会場で哄笑が起きるぐらい、ひとつひとつのギャグが冴えてます。老若男女とわず笑わせるテクニック、それにも唸らされた。


では、「放課後のコンビニの匂い」だとか「雨上がりの田舎のバス停にたたずむ制服」が消えてしまったのかというと、おそらく新海監督は「僕は、ああいう世界から抜け出せないのだ」と自覚したうえで、ポンとそこへ戻ってきます。
2002年、ろくすっぽ中身も確かめずに『ほしのこえ』のDVDを買った身としては、もがきながらも作家が崖を這いのぼっていく姿を見るようで、おこがましくも「文句を言いながら見てきて良かった」とも思うのです。

背景や撮影のフェテッシュな美しさにため息をもらしつつも、いつも人物造形やプロットのゆるさにガックリするのが新海作品であり、その「ガックリ」を覚悟するのが、僕にとっては新海作品に向き合う慣例のようになっていました。
でも、『君の名は。』は違う。堂々としている。新海作品は女性の視点を大事にするので、ジェンダー的にバランスのいいプロットになっている。それは、他にない強みだと思う。


『君の名は。』は、単に「よかった」「好きだ」「泣いた」ですませられるほどシンプルではないです。これから十分な時間をかけて、いろいろな人たちによって論じられていくんでしょう。
『君の名は。』を論ずることで、たとえば大林宣彦監督の尾道三部作も、新たな意味を与えられるでしょう。そもそも、「邦画」という80年代には死にかけていたジャンルに、アイドル・ブームの渦中にいた若者が何を期待していたのかも、2000年代に登場した新海作品を援用することで、ありありと正体を現してくる気がするのです。「映画」と「アニメ」の関係についても、新しい視点が見つかるんではないか……。

この作品単体が優れているかどうか以上に、旧来の価値観をアップデートする厚みをもっており、そこに何よりゾクゾクさせられています。

(C)2016「君の名は。」製作委員会

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2016年7月 7日 (木)

■0707■

3日連続で取材がつつぎ、明日はあるアニメ映画の試写。
どうせ有楽町に行くなら、パスポートを更新しようと思ったのだが、僕の本籍地は、結婚したときに妻の地元に変えられてしまっていた。10年前にパスポートを取得したのは、離婚の前月だったので、さほど面倒には感じなかった。
しかし、夫の本籍地を、わざわざ自分の住所にする……というのは、やはり支配欲のあらわれなのだろうな。


『メイドカフェはクールじゃない?カナダの人気チーズケーキ店に賛否』(
ほとんど注目を集めてない記事なのだが、ツイッターで「オタク文化が海外でも通じると思うなよ」と、責められるような取り上げられ方をしていたので、ちょっと気になった。
(記者は、作家・翻訳家のモーゲンスタン陽子さん。)

記事では十分に触れられていないけど、まず「てつおじさんのチーズケーキ」という日本発のケーキ屋が、世界各地に進出して成功してるんだそうです。
ところが今年、カナダのトロントに出店した「てつおじさん」系列のカフェは「メイドカフェ」形式で、ウェブ上では不評なんだそうです。

記事中に書かれている、「メイドの衣装を着た若い女性たちがステージで歌って踊る様子」はこちらの元記事(“blogTO”)に、動画も貼ってあります。
20160404uncletetsusangelcafe59010“blogTO”では、メイドの踊る姿を「可愛らしく、親しみを感じる」と好意的にとらえています。(この画像は、“blogTO”の記事中より引用しました。ちゃんと女性客もいます。)

ところが、『メイドカフェはクールじゃない?』では、どういう文脈からか、“女性を物体として扱っているように見えるこの手の商法は、「性差別」「女性蔑視」として反感を買う恐れがあるかもしれない。コメントの中には「前にもメイドを見たことがあるけど本当にぞっとする。日本ではメイドの下着が見えるように床がガラス張りのところもあるらしい」などの拒絶反応も。”と、急カーブを描きます。


正直、僕自身は「メイド」という文化を、いまひとつ理解できないでいます。
吉祥寺にメイド居酒屋があったころは、男女をとわず、よく編集者を連れて飲みにいきました。なぜなら、みんな喜んでくれるからです。だけど、ひとりでメイドキャバにも行ったときは、とても居心地が悪かった。
けれども、従業員が承知のうえでメイドの格好をして、客がその姿を見て、会話をして癒されるのであれば、それを邪魔する権利は、どこの誰にもない。
僕がそうしたいと思わないだけであって、そうすることで、心の安寧を得られる人たちもいる。だったら、外野が「性差別」「女性蔑視」などと、余計な口をはさまないこと。

カナダでは売春が合法だそうなので、モーゲンスタン陽子さんがナーバスな気持ちになるのも分かります。
だけど、一店のメイドカフェがカナダで「性差別」「女性蔑視」を惹起しているかのように書くのは、あまりにもミスリードが過ぎるのではないでしょうか。
もし何か問題があるとしたら、「てつおじさんのチーズケーキ」の店舗展開が失敗しているだけであって、論点を「メイドカフェ」「日本文化」全体に移すのは、フェアとは言えません。


また、日本の18禁アニメやゲームが、海外で「HENTAI」と呼ばれていることを嘆く人をよく見かけます。しかし、海外の人たちが「HENTAI」とジャンル分けしてまで、彼らが自由に愛好しているのであって、18禁メディアをつくっている日本人が押しつけているわけではありませんよね。
ようするに、部外者の日本人が「海外(というか欧米)に対して、恥ずかしい」ってだけではありませんか? (ヨーロッパの多くの国々では、売春は合法です。それは恥ずかしくないのでしょうか。売春は「女性を物体として扱っているように」感じないのですか?)

僕にだって、目をそむけたくなるような、吐き気をもよおすような性表現はあります。でもね、その性表現を好む人からすれば「大きなお世話」なんです。
他人の性嗜好や性欲を笑ったり、バカにするのは、「心の多様性」を軽んじた忌むべき態度だと思います。責められるべきは、実社会で起きている性暴力・性犯罪のほうでしょう? 行為を責めるよりも「心」を罪悪視する社会を、僕は恐ろしいと感じます。

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2016年7月 5日 (火)

■0705■

レンタルで、『スプリング・ブレイカーズ』。
Sub3_large4人のセクシーな女子大生が、強盗してつくった資金で、ビーチのある街へ旅行に行く。旅先で、彼女たちは水着か、あるいはトップレスのまま、男たちと体中に酒をかけ合い、コカインをやって、昼となく夜となくパーティを楽しんでいる。

警察につかまった彼女たちを、銃と金とピアノが自慢のギャングの男が釈放し、泥沼のような快楽の日々へと没入していく。
その無軌道で退廃的な日々を、映画は時系列を無視しながら撮り、前後を入れかえたり、同じセリフをリフレインしながら編集していく。映っているものは毒々しく暴力的なのだが、詩のように美しい。

まるで、カメラを経由せず、誰かと誰かの記憶を抽出して、断片的につなぎ合わせたかのような映画。
酒に酔った明け方に見る、支離滅裂な夢のような異様なセンチメンタリズムを味わった。まるで、あの世をのぞいたような気分だった。


「ここんとこ、美味しいラーメンが減ったよなあ」とつぶやけば、「はあ? ウチの近所の○○屋のラーメンは、すごく美味しいんですけど? 食べてないのか、お前。○○屋に謝れよ!」と返される理不尽な場がインターネットだとは知りつつも……
結局、「過去に自分がやられてイヤだったこと」を赤の他人にぶつけ、過去の恨みを晴らす人があちこちにいて、やるせない気持ちにさせられる。

「我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか」著者・廣田恵介さんインタビュー()には多くの反響があり、ハゲもふくめて僕の醜いルックスに対する感想もチラホラ……。

この本が発売されて2週間ほど経ちましたが、面白い仕事が意外な方向から来るようになりました。そのうちのひとつは、学生時代からの友人からの紹介で、会うのは数年ぶりです。
「俺、めちゃくちゃに太りました。たぶん、会うと驚くはず」と、事前に言われていたものの、彼の性格の温厚さ、発想の柔軟さ、場を和らげる会話術は変わっておらず、何よりそこに安心しました。

自分で醜いとわかっている顔をさらすことは、ひとつのリスクです。僕は持っている武器が少ないので、リスクをとる(顔や名前をさらす)ことで発言に説得力が出るなら、お安いものだと思っています。


学生時代、とくに体育の時間に教師やクラスメイトから嘲笑われたことで、僕は自尊心を失いました。50歳にちかい今でも、対人恐怖症が治癒しないのは、自分のルックスや能力に自信がない、自分に価値を感じられないからです。

ただ、学生時代に片想いしていた女性から、「あなたは、自分の心の欠点を、すべて顔のせいにしている」と言われたことを、たまに思い出す――。
醜い顔は変えられないけど、心は変えられる。努力や工夫によって変えられる部分が、その人の値打ちであり本質なのだろう。

20代までに自尊心を奪われた人間は、残りの数十年すべてをかけて、自尊心を獲得するために生きる。それはそれで、誇り高い生き方ではないか……と、自分に言い聞かせるのです。
そして、「自尊心」と「他人を踏み台にした優越感」を混同しないようにしなきゃ、とも思います。

(C)Spring Breakers, LLC

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2016年6月30日 (木)

■0630■

連日の取材・打ち合わせラッシュが始まる前に、レンタルで『ストックホルムでワルツを』。スウェーデン映画。
Sub1_large昼間は電話交換手、夜はジャズ・クラブで歌うシングル・マザーが、少しずつ有名になっていく。フィクションだろうと思って見ていると、『私は好奇心の強い女』の監督、ヴィルゴット・シェーマンが出てきて、びっくりさせられる。クライマックスには、ビル・エヴァンスやマイルス・デイヴィスまで登場する。
これは、スウェーデンの国民的ジャズ・シンガー、モニカ・ゼタールンドを主人公にした実話なのだ(原題は、シンプルに『Monica Z』)。

ステージで倒れたモニカが、病院に座っている。そのカットは、手前に大きくモニカの横顔が入っているだけだ。画面に白衣の医者がフレームインしてくるので、病院だとわかる。
医者が長期療養が必要だとつげて立ち去ると、彼はピントの外れた背景へと溶け込んでしまう。被写界深度が浅く、手前に何かボケたもの(花だとか人の頭だとか)を置いている。カメラも手持ちが多く、カットワークはラフだ。その臨場感が心地よい。


しんみりしたシーンで、ピアノ曲が流れはじめる。シーンが変わっても、その曲はつづき、実はモニカがステージで歌っている曲の前奏なのだとわかる。彼女の曲が流れたまま、また別のシーンへとつながる。
こういう映画は、信頼できる。語り口が、堅実だ。

ストーリーは追わないつもりだったが、自殺未遂までおかしたモニカが創作意欲をとりもどし、ビル・エヴァンスと競演するラストには泣かされる。実に滋味ぶかい、よく出来た映画なのだが、日本では小規模公開だった。もったいない。
主演のエッダ・マグナソンが、とにかく美しい。本業は歌手で、これが映画デビュー作だという。『コンタクト』や『エリン・ブロコビッチ』のように、女性がひとりで、ガツガツとがんばる映画が好きな人なら、必ず気に入る。


GIGAZINEのインタビュー()で、ちょっと児童ポルノ規制法について触れた。また、『セーラームーン』のミュージカルで降板されたアイドルについても、話した。
どうも、そこにかこつけて、ジュニアアイドルのDVDこそが児童ポルノだという文脈にもってきたがる人がいるようだが、「自分がエロいと思うので取り締まるべき」という主観を正当化するため「児童ポルノ」という言葉を援用するのは、いい加減におやめなさい。だから、ポルノではなく「性虐待記録物」と呼ぶべきなんです。

山田太郎議員を通して、僕が国会に提出した『実在児童への性暴力写真に関する請願書』の記事、読んでください()。
「この裁判での判決は、児童ポルノの定義を、端的に言えば局部が見えているか見えていないかでまずは判断するという、信じられない結果だけを残したことになります。この点は、国会での法の審議の際にも、私が散々指摘をしていますが、児童がどんなに虐待されたとしても、ポルノでなければ処罰の対象にはならない、というこのおかしな事実」……


この請願書が「審査未了」になってから、僕は文部科学大臣の馳浩さんの事務所あてに送りました。反応ないです。名前は書きませんが、女性なら関心をもってくれるのではないかと思い、ある女性議員にも送りました。まったく反応ないです。
考えられないですよ。顔が写ってなくて、性器が映っていたら一般人が興奮するからダメ。性器は映ってないけど、無理やり精液をかけられた顔写真は、「性的に興奮しないから、罪に問わない」なんて。

たぶん、この大人社会の根底に「性的に興奮するのは、恥ずかしいこと」「けしからんこと」という古風な道徳観が横たわってるんでしょうね。
それでいつも、「○○に興奮するヤツら、気持ち悪い」「ズリネタが大事なだけなんだろう」という話にされる。他人の性って、はかり知れないものだと思いますよ。その人の生い立ちや育った環境、倫理観に根ざしているはず。「生身の女性に相手にされないから、代わりになるもので発散している」ほど簡単ではない。

男装の麗人オスカルに憧れた小学6年生の僕は、『ベルサイユのばら』の「人の心に命令はできない」というセリフに、震えるほど感動しました。
他者への加害行為は厳しく禁ずるべきだけど、「心には命令できない」、それがすべてです。

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2016年6月26日 (日)

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アニメ業界ウォッチング第22回:“キャラクター”として認めてもらえるCGメカを作る、動かす! オレンジ代表・井野元英二インタビュー!
T640_708053「フィギュア王」で『創聖のアクエリオン』の連載をやっているとき、トークイベントの最後に、いつもCGの短編ギャグ・アニメを持って駆けつけていた井野元さん。
「アニメージュ」でもインタビューしたことがありましたが、今回は「どうやら丸々一本、3DCGによる新作を準備しているらしい」と聞き、取材をお願いしました。


ここのところ、ほぼ連日、取材や打ち合わせが重なっていたのだが、昨夜は小学校時代の友人に誘われて、『10 クローバーフィールド・レーン』を見にいった。
Ce04817r_large「何者かによる攻撃で、大気が汚染された」と強く主張する謎のオヤジ(ジョン・グッドマン)によって、若い男女(メアリー・エリザベス・ウィンステッドとジョン・ギャラガー・Jr.)が、シェルター内に監禁されてしまう。
まるで冷戦下に発想されたかのような終末観に貫かれた映画で、良くも悪くもクラシカルだ。劇中、いつまで続くか分からないシェルター内の生活で、ヒマをまぎらわすために大量の映画を見るシーンがあるが、確かVHSテープだったような気がする。
ゲームや雑誌も、オヤジが攻撃に備えて、以前からシェルター内に用意していたものなので、どれもこれも古い。パソコンすらない。シェルター内は圏外なので、スマホは役に立たない。
いっそ、「いま僕は、近所からレンタルしてきたVHSビデオを、友だちの家で見ているのだ」と錯覚したほうがシックリくる、のんびりと楽しめる映画。牧歌的といってもいいぐらいのぬるい湯加減のサスペンスなので、まさにヒマつぶしにピッタリ。

セルスルーのホラー映画、SF映画のビデオが、個人経営のレンタル店にあふれていた時代を知る世代なら、「★☆☆☆☆」だの「100点満点で○点」だの、愛のない評価軸を頭から追い出して、ゆったりした時間を味わえるはず。104分という短さもいい。


「我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか」著者・廣田恵介さんインタビュー(
『我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか』は紛れもない青春譚であるという話(
【書評】我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか(

ツイッターにも、非常に優れた、僕の書けないような高度な評価のしかたをしてくださる方が何人もいます。2本目の書評を書いてくれた高久裕輝氏は、本書の内容を知る前から「三島の『金閣寺』のような本になるのではないか」と、鋭い指摘をしていました。
アマゾンの書籍トータルの売り上げでも、総合100位以内に入ったので、もう僕の手を離れたでしょう……。

人工知能の本を読んでいたら、「他人がいなければ、自分を認識する必要はない」と書かれていて。どうやって自分を受け入れたらいいのか分からなくなった人が、苦悩し屈折するんだと思います。
加えて、学校という場は自尊心を奪うように出来ていますので、自発的に主張するのはいけない、出すぎた真似だ、おとなしく偉い人に従っておけ、「自分の考えを書きたければ、小説でも書けばいい」()という病に陥ってしまうのです。
真剣に悩んでいる人を笑ったり、何かに反応するとき、まず否定形から入るのも同じ病だと思います。「この人は何と戦ってるんだろう」というネットスラングを、僕もかなり浴びせられてきたけど、当事者意識の不在、自尊心の欠如に屈した、奴隷の言葉だと思うのですよ。

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