2014年7月25日 (金)

■0725■

月刊モデルグラフィックス 9月号 本日発売
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●組まず語り症候群 第21夜
今回のサブタイトルは『禁断サプライズ☆』。担当編集は「キンダーサプライズ」と『禁断の惑星』をかけ合わせたかったようですが、いまひとつ分かりづらい!
取り上げているロビー・ザ・ロボットのキットは、とても良くできます。だけど、ページの趣旨としては、オマケの美女のほうがメインなので……。もともと、そういう不真面目なページだし、プラモデルなのに美少女のパンツが……と、笑っているのが楽しかったはずなんですよね。

この連載のおかげで、ずいぶん気が楽になっています。


昨夜、スーパーで買い物をしたところ、合計823円であった。千円札と23円を出したつもりが、一円硬貨を落としてしまったらしい。
レジの女性は、夏休みに入ってから始めたアルバイトの学生らしく、おどおどと「あと一円、ありませんか?」と小声で聞いてきた。
「いえ、払ったつもりですが」と答えると、「そんなもん俺が払うから、早くしてくれよ!」と、後ろに並んでいた若い男性が、一円硬貨を自分の財布から出した。やむなくそれで清算してもらい、「すみませんでした」と男性に謝った。

その後、自分の買い物カゴを見てみたら、一円硬貨が商品の間にはさまっていた。あわててレジに戻り、男性に「一円、ありました」と渡した。彼は、黙って受け取った。
荷物を下げて帰ろうとすると、先ほどのレジの女性が駆け寄ってきて、「私の間違いだといけないので、お返しします」と一円玉を差し出した。「カゴの中に落ちていたから、間違いではないです」と答えると、彼女はうつむいたまま、レジに戻っていった。

男性の行為は、確かにイライラしてやったことかも知れないが、親切だったと思う。
なのに、言葉が乱暴だったせいで、僕もレジの女性も、のろのろしていた自分を責めてしまう。とても小さなことだけど、やっぱり社会には(初対面の相手にタメ口をきけるような)強者がいて、強者の好きなように従わされたものは、弱者になってしまうのだと思う。


レンタルで、『ファーストフード・ネイション』と『エル・トポ』。
『ファーストフード・ネイション』の原作となったルポルタージュ『ファストフードが世界を食いつくす』は、発売時にむさぼるように読んだ。著者が脚本を書いているので、原作でポイントになった部分は、丁寧に網羅されている。ただ、丁寧すぎて、映画としての迫力には欠けたように思う。

『エル・トポ』は、ハピネットから発売されているHDリマスター版だ。
3111_01_01_02大学生のころに「カルト映画」ブームが起き、たしか映画館で見たはず。当時、『ホーリー・マウンテン』には感銘を受けたが、『エル・トポ』はあまり記憶に残らなかった。

前半、エル・トポは4人のガンマンを倒していくが、4人目はボロをまとった老人だ。銃すら持っていないので、「ワシとは決闘できないぞ」「あんたが勝ち取るものは何もないぞ」と、老人は笑う。エル・トポは苦しまぎれに「お前には命があるだろう、それをいただく」と銃をつきつける。すると老人は、エル・トポの銃で自分の腹を撃ち、「あんたの負けだな」とつぶやいて、絶命する。
とても重要なことを言っているように、僕には思えた。相手のルールに乗りさえしなければ、相手は勝ちようがないのだ。


メイキングでは無修正だったエル・トポの息子の股間は、本編ではボカシが入っている。髪を長く伸ばしているので、予備知識がなければ、性別不明である。

映画の後半に登場する、たくさんの身体障害者たち。本物の動物の死骸も大量に出てくるが、ホドロフスキーは露悪趣味で撮っているのではない。特に、身体障害者たちには温かい視線をそそいでいるようにすら感じる。
だが、それでも「見世物にしている」と怒る人はいるだろうと思う。全裸の少年についても、同様だ。主観によって評価の分かれるものは、やはり裁きようがないのだ。

ジョン・レノンがこの映画に惚れこんで、配給権まで買ったと聞けば、おそらく見え方も変わってくると思う(僕は、ついさっき知った)。自分を公平だと思っている人ほど、実は権威に弱いからだ。

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2014年7月23日 (水)

■オフ会のお知らせ■

日時■8月17日(日) 14時~17時
場所■新宿 コンファレンス東京()、ミーティングルーム
定員■8名

Img_conference_07特に、何のオフ会というわけではありません。強いて言うなら、「悩めるオタクの集い」みたいな感じです。
「アニメに対する偏向報道に怒っている」でもいいし、「クラスや職場で孤立していて、話し相手がいない」でも構いません。別に、アニメや漫画、ゲームには興味ないけど、「何となく生きづらい」でも構いません。
参加資格は男女年齢不問ですが、「他人の話の内容を、ネットに暴露しないこと」を約束できる方。当日は、ネット配信しませんし、録音などもしません。
また、参加者は、実名を名乗る必要はありません。

僕は、GMOメディアの美少女フィギュア・ブログ排除に対して署名活動を起こし、山田太郎参議院議員やAFEE エンターテイメント表現の自由の会と共に、GMOメディアに抗議しに行きました。
また、児童ポルノ禁止法について、「児童ポルノ」という曖昧な呼称を「児童性虐待記録物」に改めるよう、署名活動を行い、722名の全国会議員に1万3,000筆の署名簿を提出しました。
今は、ニコニコ生放送で『表現の不自由』という番組()をやっています。どこの組織にも属していません。

予備知識として持っていてほしいのは、それぐらいです。
参加は8名以下と予想しているので、今のところ、事前申し込みなどは必要ありません。今回は、参加費もとりません(ただ、飲み物は各自で用意してください)。質問があれば、コメント欄かYIV00571@nifty.comまで、お願いします。


どうして、オフ会などやる気になったのかは、オタク(アニメ、漫画、ゲームファン)へのバッシングが肥大化しつつあるからです。オタクは孤立しがちな気がするので、小さくてもいいから、互いに何でも話せる場所をつくっておきたい……と思ったからです。
別に、何か団体を立ち上げようとか、新たな運動を起こしたいわけでもなく……。

直接のきっかけは、やはり倉敷市で起きた女児誘拐監禁事件です。
僕はネットのニュースしか見ないのですが、「無事保護」の次に入ってきたのが、「容疑者の部屋にアニメのポスターが貼ってあった」というニュースでした。最初は、テンプレ通りの誘導報道だと聞き流していたのですが、「ポスターの件ばかり気にして、オタクどもは被害女児のことを心配してない」と、ターゲットがオタクに向いてきて(飽くまでもツイッター内部の話ですが)、何のために誰を叩いているのか、ワケが分からなくなってきました。
ついには「アニメや漫画が趣味じゃなくても、お前ら、キモイんだよ!」みたいな論調になってきて、表現規制に反対していた人たちまで丸ごと「キモいオタク」にくくる人まで現われて……。

で、改正法が成立したばかりだと言うのに、今ごろになって「児童ポルノ法を規制しろ」と言い出す人まで出てきた。こういう、何も調べずに「私の正義」だけで発言する人が、いちばん怖いです。


確かに、被害女児をほったらかしに考えてはいけません。
しかし、子どもの心のケアは、専門家に任せる以外にないのです。児童虐待の本を読んでいると、その困難さが分かります。何十年も心理的ダメージが残る場合が、多いようです。
「オタクどもは被害児童のことを気にしてない」と責めたてる人たちは……確かに無神経なオタクの発言に立腹するのは理解しますが、あなた方が被害児童に出来ることは何もないよ、と言っておきたい。

そもそも、普段は家庭内で性虐待にあっている子どもたちのことを完全に忘れ去っていているくせに、マスコミがニュースにしたときだけ「やはり、漫画・アニメの影響で凶悪事件が……」などと簡単に煽られてしまって、まあ、どっちもどっちですよ。
児童相談所でカバーしきれない児童保護の活動をしている団体は、ネットでいくつか見つかると思います。どこもお金に困っていると思うので、寄付してあげてはいかがでしょうか。(ネットから、カード払いで寄付できるところもあります。)
僕みたいな門外漢に言われたくないだろうけど、性虐待加害者の大部分は父親や親類、教師などの近親者です。事件にならないから、ニュースにならない、こうした陰湿な実態にこそ、「普段から」関心を持ってほしいです。


さて、犯人がアニメのポスターを貼っていた、それをマスコミが騒ぎ立てたばかりに槍玉に挙げられたオタクたちにも、少しは非はあっただろうと思います。
だけど、どうして僕らが過剰反応するかというと、「もともと、この世が生きづらい」からです。僕は、中学・高校時代が辛かったです。体育の時間は、心を「無感覚」にするのに懸命でした。「アニメ・漫画好きのヤツらはキモい」なんて、10代の頃から言われていたんです。いちばん多感な時期を嘲笑われて育ったんだから、それは神経過敏にならざるを得ない。

だけど、そういう事情を社会に分かってもらうのは第二段階であって、まずは、「ひとりで悩んでいる人たちを孤立させない」、これが最優先です。そのための「オフ会」です。

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2014年7月18日 (金)

■0718■

名作に学ぶアニメのつくり方  発売中
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こだま兼嗣さん、杉野昭夫さん、友永和秀さん、小林七郎さんのインタビューを担当しました。
それと、作画と背景の解説も書いています。

この本は、ひとりの編集者が悪戦苦闘してつくり上げました。僕は、彼の考えた秀逸なコンセプトと情熱に応えただけで、何かクリエイティブな作業をしたわけではないです。
友人が「最近は開き直って、基礎教養だから昔のアニメは見ろって、会社の若い連中に言ってる」そうで……僕も20代前半は、古くて退屈な映画も勉強だと思って、積極的に見ていました。基礎教養がないと、年上のプロデューサーたちと話が出来なかったし。

スケジュールの詰まっていた時期だったけど、「アンタがそこまで言うなら、頑張るよ」という気分で仕事できました。この本に関しては。ギャラの交渉がまだですけど……。


今週火曜(15日)は、無事にニコニコ生配信で『表現の不自由』を放送できました。
Bandicam_20140716_003039203プレミアム会員の方は、まだ見られるはずです。⇒
YouTubeでは、別に据えたカメラからの映像をUPしてあります(ただし、前半30分しか撮れてませんでした)。⇒

この放送内容を「文字に起こします」という人が現われて、そうやって自主的に動いてくれる人がいると、「やって良かったな」と思います。

僕はこの放送の中で、「アメリカ様」「イギリス様」と揶揄していますが、「アグネスが」「ユニセフが」よりはマシだと思っています。少なくとも、そんな手近なところに「敵」はいないと分かってもらえたんじゃないかな。
人に会うと、何色ともいえない、多様な色を僕は感じます。それを「こういう人に会ったよ」とネットに書くと、「そいつは敵なのか味方なのか」「俺たちにメリットがあるのか、デメリットしかないのか」みたいな話にされてしまう。
そのくせ、みんな権威に弱い。警官や公務員の悪口を書くと、「彼らのどこが悪いんだ?」と難癖つけてきたりとか。原発事故なら、東電社員を「彼らも大変だよね」と擁護したりとか。そうやって、権力が強化されていくんですよ。

僕らは、思春期を受験によって抑圧されて育ったから、「この世には逆らえないものがある」と無力感にさいなまれて当然です。でも、それをちょっとは押し返すために、今もしぶとく生きています、僕の場合。


今週は原稿がいっぱいあるんですが、ある児童保護施設に取材した記事を、その部分だけ「掲載お断り」と宣言されてしまって、やむなく消して、書き直しました。
あの人たちの活動の助けになるかと思ったら、ありがた迷惑になってしまった。付け焼刃で対応しないで、遠くから寄付だけする道もあったんでしょう。

だから、本当は「アニメのことしか書きません」と、耳をふさいで小さくなっているのが賢いんだと思います。だけど、その卑屈な態度が、結局は、自分をかつて抑圧した者たちを喜ばすんですよ。
僕は受験のために、好きな子に会いに行くのをあきらめて、睡眠だけを楽しみに勉強しました。18歳ぐらいなら、好きな子に会いに行くのが自然な行動です。だけど、そんなことでは未来はないと自分でも思い込んでいたし、何より大人たちが「今は大学に受かること」と強いてくる。力の強いものに屈して、のびのび生きられなかったけど、僕が苦しめば苦しむほど、大人たちは「頑張ってるな」と誉めてくれる。でも、それは奴隷の喜びでしかない。

「ありとあらゆる抑圧と戦う」というのは、そういう意味です。僕らは、かつて奴隷だった。その屈辱が何度も、胸によみがえってくる。それが「抗いつづけなければならない」理由です。

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2014年7月13日 (日)

■0713■

改正児童ポルノ禁止法が、来週火曜(15日)から施行される。多くの国民は、まさか自分の本棚やパソコンの中が捜査対象になり得るとは、考えてもいないだろう。それどころか、児童ポルノの定義すら知らない国民が大多数だと思う。
『となりのトトロ』テレビ放映時、無邪気に「パンチラや入浴シーンがあるから、児童ポルノだ」とネットで騒いでいた人たちを見れば、認識のレベルが分かる(「バルテュスの絵画には実在のモデルがいるから、やはりポルノだ虐待記録物だ」と誇らしげに語っているインテリ崩れも、『トトロ』で騒いでいた大衆と程度は同じである。)
「漫画やアニメの研究が付則から外れた」とホッとしているのは、この改正案の行方を見守ってきた一部のファンだけだろう。新聞の社説は、あいかわらず「わいせつなアニメ」を「児童ポルノ」と絡めて語ろうとする。

僕は先週までに、三つの児童保護団体を回り、性虐待の実態を知ろうと試みた。共通して聞こえてきたのは、「児童を性的に虐待するのは、ごく普通の家庭の父親(あるいは母親の恋人などの近親者)がほとんど」「救ってくれるはずの母親は見て見ぬふりをする」。『なかったことにしたくない 実父から性虐待を 受けた私の告白』の内容と、ピタリ一致する。僕には、もうひとつピンとくることがあった。それは、実父から性虐待を受けていた知り合いの体験談だ。彼女も、「母親が助けてくれなかったことが、ショックだった」と語っていた。
(その女性は、現在は子どもをもうけていて、最後に会ったときは幸せそうにしていた。児童ポルノを「児童性虐待記録物」と呼びかえる署名に関して、彼女に声をかける勇気はなかった。)

数字だけを見ると、児童虐待全体の中で、性虐待の占める割合はわずかだ。しかし、多くの場合において、実父や義理の父親が我が子に性行為を強いている実態は、ほとんど社会に知られていない(地域によっては親戚ぐるみで隠蔽してしまい、警察に届けられることは滅多にないと聞く)。
社会が児童性虐待の実態から目をそむけたまま、「子どもを守るための法律」が改正され、多くの国民が「アニメも絵画も児童ポルノ」と思い込んでいる現状――その無知と無関心の中、全国民の本棚とパソコンが「規制対象」となってしまったことに、僕は戦慄をおぼえる。


「子どもを守れ」と、現場から距離を置いている人ほど声高に叫びたがる。
しかし、性虐待を生き抜いたサバイバーたちは、いやおうなく大人になる。成長する過程で、より年下の子どもに性虐待を行ってしまう場合もある。風俗業について、そこから「やり直し」をはかる女性もいると聞いた。あるいは、家庭を築けたとしても、上手くいかない場合がある。性虐待は、その人の一生を修復不能なレベルまで破壊しかねない。
(だから、僕は社会が直視しようとしない性虐待の実態を、広く知ってほしいと思っているし、そのための努力をする。見すごされがちな抑圧、沈黙を決め込む社会に対して、僕は抵抗しているつもりだ。「表現規制反対」だけでは不十分だと感じている。)

児童ポルノ法に関心を持つ人たちも、かつてはみんな子どもだった。
アニメや漫画、二次元の世界を愛好するオタクたちは、果たして「自分たちの趣味」を守るためだけに、この法律の行方を見守ってきたに過ぎないのだろうか?
僕には、性虐待サバイバーのその後の人生と、自己肯定しきれずに悩んで育ったオタクたちの姿が、ちょっとダブって見える。僕の友人のオタクは、まだ2~3歳の頃、母親から激しい虐待を受けていた。僕の家では、父親が「飼い犬を殺す」とわめき、母親が泣きながら止めるようなことがあった。
家庭でなければ、学校で劣等感を植えつけられた人もいるだろう。思春期に「キモい」などと言われれば、性的に屈折するのが当然だ。実社会に対して不信と憎悪と怖れを感じて、いつまでも子どもの意識を捨て切れない人たち……それがオタクなのではないだろうか。

そして今、「アニメも児童ポルノ」と大新聞は社説でミスリードし、性犯罪者の家から同人誌が見つかった、わいせつな漫画が見つかった等のセンセーショナルな報道を繰り返す。結局、ターゲットにされているのはオタクたちなのだ。「ごく普通の家庭で、実の娘を犯す優しい父親」ではなく。

NHKでさえもが「児童のわいせつな画像など」を「児童ポルノ」と定義している。わいせつな画像の所持を禁止したところで、「ごく普通の家庭で、実の娘を犯す優しい父親」は摘発されない。写真やビデオにさえ残さなければ、彼らの虐待行為は「沈黙する社会」が覆い隠してくれるのだ。

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2014年7月 9日 (水)

■0709■

新宿シネマカリテでは今週金曜までの上映だというので、『ホドロフスキーのDUNE』、見てきた!
5392034cb2394thm 原作も読まずにデビット・リンチ版の『砂の惑星』を傑作だと信じていた自分は、未完成のままポシャったホドロフスキー版は「もし完成しても、大した出来ではなかったのだろうな」と勝手に思い込んでいた。
ところが映画後半、リンチ版の『砂の惑星』を見たホドロフスキーのコメントに、場内大爆笑。ああまで映画館が笑いに包まれた光景は、90年代以来、久しく見ていない。
大らかでユーモアがあって、優しくて、純粋な野心があって、誠実で崇高な魂をもったドキュメンタリー映画。

メビウスの描いたストーリーボード(絵コンテ)をCGで加工してシーンを再現しているのだが、まずは冒頭シーンがすごい。
ひとつの銀河系にカメラが寄っていき、やがて盗掘したスパイスを撒き散らしながらの宇宙船同士の戦闘のただ中へとカメラが飛び込み、宇宙服を着た兵士(?)をチラリとなめて、カメラはまだ奥へ進む……と、小惑星帯の中へとカメラが突っ込んでいく。これらをすべて、ワンカット長回しで撮るというのだ!
『スター・ウォーズ』の公開が1977年、このコンテが描かれたのは1975年の話だ。しかも、このオープニングシーンは「技術的に撮影可能」だったというから、驚く。


ホドロフスキーは、自分の映画に必要な「戦士」を世界中から選び、くどいて回る。
メビウスとクリス・フォス(彼の宇宙船が“小惑星に隠れるための迷彩”を施されているセンスが凄い!)、二人はホドロフスキーの城に寝泊まりした。
しかし、『2001年宇宙の旅』で知られていたダグラス・トランブルは、会いに行ったホドロフスキーの前で40回も電話をとったため、「見栄っぱり」と判断された。確かに、人と打ち合わせしているのに電話をとる男は、たいしたヤツではない。この映画は、ちょっとしたビジネス論にもなっている(気むずかしい芸術家との交渉の仕方だとか……)。
80歳をすぎたホドロフスキーは、「技術よりも精神が大事だ」と熱弁する。『DUNE』企画時は46歳だったそうだから、ほぼ僕と同い年だ。

ホドロフスキーが考えた、映画オリジナルのラストシーンも素晴らしい。
リンチ版では、ただ雨が降って終わりだった(それでも当時は感激したものだが)。ホドロフスキー版では、雨どころではない。もう脳が沸騰しそうなほどメッチャクッチャで感動的で、このシーンが実現していたら、『スター・ウォーズ』は生まれていなかったのではないか?と確信せずにいられない。
(どちらかというと、『イデオン』そっくり。ハッタリの上手さといい、どこか富野由悠季っぽい人だ。そして、ホドロフスキーのような煮えたぎるような情熱をもった監督は、アニメ界から消えつつある……。この映画は、アニメ業界の人にこそ見てほしい。ホドロフスキー自身、「僕の企画を、誰かがアニメでつくってもいいんだ」と語っている。)


複数のクリエイターによるビジュアルイメージを満載した分厚い冊子(その価値は、まさに『スター・ウォーズ』数本分に及ぶだろうし、このような試みがなければ『ブレードランナー』も生まれず、日本のアニメもまったく別の進化を遂げていたに違いない)は、各映画会社に配られた。
ハリウッドはホドロフスキーを拒絶しておきながら、その強烈なイメージの影響を受けずにはいられなかった。彼の企画が、企画の成功と失敗の目安にもなった。ホドロフスキーと、彼の編成した小さな軍隊は、負けたような勝ったような不思議な立場にたたされ、そのうちひとりは、うつ病のように部屋にこもりっきりになってしまう。
だが、ホドロフスキーは主役のポールを演じるはずだった息子を前に、「常にYesだよ。やめる時でさえ、Yes(よし、やめよう)じゃないか」と、笑顔を見せる。ドン、と背中を押された気持ちになる。なんという、スケールの大きな男なのだろう。

20代前半、山のようにつくって持ち込んだ映画企画に思いをはせる。
企画だけではない、若い頃の失恋の数々、つい昨日、失敗した仕事のこと……我々の身に起きるどんな些細なつまずきであっても、それはホドロフスキー的宇宙から見れば、「Yes」なのだ。

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2014年7月 8日 (火)

■0708■

ニコニコ生放送で『表現の不自由』()という番組を開始しました。
1404723586958昨日はテスト放送したくて、家から徒歩15分ほどのビジネスホテルに泊まったんですが。ネット環境のある喫茶店の会議室を2時間借りると、4千円。ホテルだと、15時から翌朝10時まで、19時間使って7千円。
「テストなんて、家でやればいいじゃん」と言われそうですが、まずノートPCに家のLANケーブルを繋いでも、ネットに繋がらない(これはノートPCを用意してくれた友人にも原因が分からない)。
もうひとつ、家とは別の環境で配信できなければ、本番テストで慌てることになる。結果、ノートPCがカメラを認識してくれないことに気がついたのが、チェックインして4時間ほど経過してから。喫茶店を使っていたら、ここで時間終了だった。

ノートPCから音声だけは配信できると分かったので、20時から突発的に「第零回」を配信()。配信中に来てくれた人が32人、コメントが84もあるので、まあまあ盛り上がったと思う。
ただ、隣室の人のクシャミが聞こえるぐらい壁が薄かったので、ぼそぼそ声になってしまった。

来週火曜、15日20時からは、ちゃんと映像ありで(WEBカメラを購入した)第一回を放送します。ゲストは、盟友ともいうべきレナト・リベラ・ルスカ氏。“The Daily Beast”などの日本叩き記事に、敏感に反応していたのがレナトさんでした。
なので、これら英語圏のリアクションが、どうしてこうも偏向しているのか? そもそも、日本の漫画やアニメはどう受容されているのか? 専門家に語ってもらいます。


そんなこんなで、また新しいことを始めた。ただ、思ったことを言える自由のためだけに。
日本のホテルは、こんな寂れた場末のホテルであっても、タオルは清潔だし、歯ブラシもヒゲソリも揃っている。クロアチアでもスウェーデンでも、こんなホテルはなかったからね。
旅行に行きたい。言葉の通じない国の、何があるわけでもないありふれた街角を、何の目的もなく歩いていたい。

僕のこの放浪癖というか、人知れず歩き回っていたい願望は大学生のころに形成された。
当時は、片想いしている子の部屋に入れてもらえず、電車もなくなって、夜の住宅街、あるいは団地や公園が広漠とつづく学園都市を、眠ることもなく歩き回るハメに何度か陥った。
真夜中の国道を歩いていると、にぎやかなネオンが光っているのが見えた。何のことはない、看板メーカーのショールームだった。人がいないことにがっかりしたような、安心したような不思議な気持ちになった。

今でも、いかにも東京らしい、匿名性の高い街の景観を見ると、愛着のような感情がわき起こってくる。無表情な街に、得たいの知れない親密さを感じてしまう。
冷たいビルとビルのすき間に、ベンチの置いてある木の生い茂った静かな一角などを見つけると、陶然とした気持ちになってしまう。

ひとりでいること、好きなだけ歩いていられること。僕にとっての自由とは、実はその程度のことだ。そんなだから、僕は「家庭」というユニットには馴染まない。

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2014年7月 6日 (日)

■0706■

いま発売されている『ダ・ヴィンチ』8月号に、 『不健全図書「新基準」初適用、改正児童ポ51et0txjtcl__sl500_aa300__2ルノ法成立 マンガ・アニメ表現規制の今後は?』(取材・文/橋富政彦氏)という記事が掲載されています。
僕は、「児童ポルノではなく【児童性虐待記録物】と呼んでください。」署名の呼びかけ人として取材を受けました。最初は、青少年健全育成条例についても語ってほしいと依頼されていたのですが、漫画規制については専門の人が良かろうと思い、永山薫さんを推薦しました。

漫画・アニメ規制に明確に反対の立場をとる記事はページ数をもらえることが少なく、『ダ・ヴィンチ』の記事も1ページです。
ただ、編集部に反応を送れば、定期的に載せてもらえるかも知れません。編集部内で回覧できるよう、FAXやハガキなど、形の残るもので送った方がいいですね。

僕もいま、あちこちに取材を申し込んでいますが、漫画・アニメ規制に積極的なところほど、取材に応じてくれやすい。漫画・アニメ規制について立場を明らかにしていない児童保護団体などは、反応が鈍いです。何とか、彼らの本音を聞いてみたいんだけど……。


フランス映画、『最強のふたり』。
157792_4首から下が全身麻痺しているフランス人貴族の介護人として、アラブ系の青年が訪れる。しかし、青年は失業保険が目当てで、介護になど興味はない。金持ちの白人と、貧困層の有色人種が不治の病を通じて交流するプロットは、『最高の人生の見つけ方』そっくりだが、『最強のふたり』は実話ベース。フランス映画らしいアンニュイさが漂う。笑えないジョークも出てくる。

全身麻痺の初老の貴族には、ペンフレンドがいる。黒人青年は「文通なんて、まどろっこしいよ」と、相手にいきなり電話をかけてしまう。繊細さと豪胆さが交換され、やがて二人はひとつの人格のように統合されていく。
黒人青年は、笑い転げながらオペラを見る一方で、柄にもなく絵を描きはじめる。彼はなりゆき任せの行動しかとらないが、それは白人貴族がやりたくても出来ないことばかりなのだ。

まだ職につけないでいる頃、彼は何もすることがなく、仲間の集うたまり場に向かう。カメラは、彼の後頭部をアップで撮りつづける。
介護の職を解かれた後、まったく同じカメラワークが繰り返される。つまり、介護の経験を通じた後でさえ、彼は何も変わらなかったという意味だ。こうした細部に、カメラの、映画の知性が宿るのだ。


秋になったら、チェコに旅行できないかと考えはじめている。ヨーロッパばかり行っているので、別の地域でもいい。
しかし、署名活動にかかったお金は、思ったより大きかった。貯金を回復させるには、もっと仕事をしなくてはダメだ。今月は、漫画・アニメ規制について語るネット配信も始めようと思っているが、場所代に1万円、ノートPCの頭金で1万円、告知用ポストカード作成に1万円……と、少しずつお金が出ていってしまう。

そうした社会に訴えかける活動をやめ、海外旅行もあきらめるとしたら、自分は「2年ぐらい前の自分」に戻るのだろう。……それは面白くないね。当時は、自分を矮小化していたと思う。穴倉に引っ込むようなものだ。
そもそも、結婚もしてない一人暮らしの中年が、ひっそりとアニメやフィギュアにかまけて暮らせる世の中ではなくなってしまった。だから、僕はこの記事()に抗議文を送ったんだ。

僕なんかはマシな方で、(性虐待をふくむ)大人からの虐待で、生きているだけで辛い人はいっぱいいると思う。アニメや漫画は、そういう人たちを確実に救ってきたはず。
アニメや漫画に出会えなかった人は、さらに陽の当たらない裏道を、逃げ隠れるように生きているのかも知れない。「人生、負けた」と思い悩んでいる人たちが、肩を寄せ合えるように……大きなお世話かも知れないけど、僕はそう思いながら生きていきたい。

(C)2011 SPLENDIDO / GAUMONT / TF1 FILMS PRODUCTION / TEN FILMS / CHAOCORP

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2014年7月 2日 (水)

■0702■

わが国で憲法解釈を変更するための閣議決定がなされた昨日、僕はレンタルDVDでリメイク版の『ロボコップ』を見ていた。

中東ではアメリカ製の軍事ロボットが配備されて国民を監視しているのに、Untitledアメリカ国内ではロボットの配備を禁ずる法律がある、という設定。ロボットを開発している大企業は、何とかして、この厄介な法律を廃止に追い込みたいと画策するわけだ。
「アメリカほど偉大な国が間違いをおかすわけがない!」 民意によって法改正を妨害された軍人がテレビ画面に悪態をつくシーンで、映画はバスン!と終わる。

だけど、この映画を見ることは現実逃避だったんだろうな。
官邸前には、数万人の人々が集まっていたという。秘密保護法のときは、僕も毎日のように永田町へ足を運んでいた。理屈をこねるのは苦手なので、せめて外で声を出していたい。動機は、そんな程度のものだった。


児童ポルノ法について、非常によくまとまったブログ記事がUPされた。ありすの宝箱blog「児童ポルノ法 - おぞましい児童虐待をポルノと同一視する悪法」(
実際の性虐待のデータを豊富に引用しながら、これまで、主に漫画・アニメ規制反対派が「?」と思ってきた点を、ほぼすべて網羅している。力作だ。

だけど、このブログのコメント欄を見てよ。「児童虐待防止法」のデータと「児童ポルノ法」のデータをごっちゃにしてますよ、という指摘はいいんですよ。ブログ主さんも調べなおして、訂正しているぐらいだから。
同様のやりとりは、ツイッターの中でもあったの。ある程度までは「ほうほう、勉強になるなあ」「よくご存知だな、そうだったのか」と感心しながら読んでいたんだけど……ようは、「AとはBである」と宣言した人に対する「おっと残念、BではないAもあるんだよねー」程度の難癖にすぎないんじゃないか?と思えてきて、議論を追っかけるのをやめたね。
また、というか、「まだ」こんなことやってるんだ!?って。

僕は日曜日にデザイナーと会って、いっぱいご飯を食べてもらって、今後の活動のためのポストカードを依頼しました。そのポストカードの文案も、いろいろ「採点」「減点」可能だと思うよ。
だけど、生身の人たちに対して、何を訴えたいのか、「僕はこういう社会にしたいんですよ」と話しかけるためのポストカードだからね。誰かを論破したり、優越感にひたるのが目的じゃないんですよ。


こんな嫌味を書いて申し訳ないとは思うんだけど(だって、それが難癖だろうと何だろうと議論は深まったわけだから)、人が苦労して作成した記事を「共に良くする」のではなく、「採点」「減点」する人とは、一緒に何かできないでしょ?
僕は、みんなのいう規制賛成派の人のところにも会いに行きます。殴りこみに行くんじゃなくて、まずは話を聞かせてもらうんです。だって、よりよい社会をつくるのが目的なんだから。今のところ、大喧嘩になったことはないです。

あんまり規制派だの反対派だの分けたくないんだけど、反対派の人は……自分が可愛いのは当たり前です。賢いと思われたい、認められたいのも分かります。ただ、せっかく頭のいい人であっても、「相手を言い負かす」ことには何の意味もない。誰のためにもならないですよ。
もったいないと思う。せっかくいい部分に着眼しているのに、「対話」になっていないからです。「対話」するのに、ネットは向いていない。冷徹に、相手を切り崩していくのには向いている。

週末、僕はある国会議員のところへ取材に行きます。人と会うのは苦手だけど、そこには体温があるし、言葉で割り切れない感情が渦巻いているから。

(C)2013 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. and Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

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2014年6月30日 (月)

■0630■

近所の歩道橋を渡ったら、階段の隅っこに鳩がうずくまっていた。
僕が通りかかるとき、ビクッと驚いていたが、その場から動こうとしない。よく見ると、左の羽が不自然に曲がっているので、骨折してしまったのかも知れない。
――どうしよう、と考えた。線路の反対側には獣医があるが、連れて行ったら、迷惑がられるかも知れない。今から友達と会うので、家に連れて帰ることはできない。せめて、水だけでも与えられないかと思案したが、鳥がどうやって水を飲むのか見たことがない(いま考えると、ボトルのキャップに水を溜めてやれば、飲めたのかも知れない)。
しばし佇んで、「どんな生き物にも宿命があるのだ」と自分に言い聞かせて、歩き去った。

助けないまでも、気にはかけたのだ、とここに書くことで、僕は許されようとしている。
その直後に会った友人は、「ネットには現実を虚構化する力がある」と言っていた。


「現実の重力を持った出来事が、ネットに書かれた瞬間、その重みを失ってしまう」とも、その友人は言っていた。だから、物事を遠くに追いやって他人事にするには「あれはクソだな」「あいつはカスだな」と、匿名のままネットに書き散らすにかぎる。

先週は、ほぼ毎日、かつて接触のなかったジャンルの人たちの元へ足を運んだ。
そこで得られる情報は、話し手の表情や声色によって、いく重にも意味が膨らんでいく。そうして得られた実感も、ネットに書いた瞬間、「はあ? 今ごろ気がついたの?」などと見知らぬ他人に笑われてしまう。あるいは、頭でっかちな理屈で「あいつの行動は得策とは言えない」などと批判されてしまう。

集団的自衛権に抗議して、男性が焼身自殺をはかった。「バカなことを」「無駄なことを」と、安全圏から小石を投げる人たちで、ネットは溢れかえっていることだろう。


オタクという人種は、現実の生きづらさを嫌というほど肌身に感じてきた人が多いと思うので、匿名で物事を遠くにおいやることで「現実からの退避」をはかるのは、理解できる。「ネットの外へ出ろ」とは、言いづらい。
ただ、名前も身分も一切を隠したまま、自らは社会に対して意見しない、立場の違う者と話そうともしない、まるでリスクを負わない人間の言葉に説得力が出るわけがない。
漫画・アニメに対する弾圧を跳ね返せないのは、まさに「オタクがオタクであるがため」。実社会で行動しない言い訳だけはズラリと並べて完全武装するオタクの性癖ゆえだろう。

それでも、ネットに引きこもっているからこそ、出来ることだってあるはずだ……と、僕は考える。
例えば、被虐待児童を救おうとしている団体は、小さなところほど実効力のある活動をしており、それゆえに人手でもなく資金もない。どこの団体へも、ゆうちょ銀行から寄付できるはずなので、児童ポルノ法を契機に児童への性虐待に憤った人は、千円でもいいから寄付してはどうだろうか、と思う。それなら、顔を出さなくてすむかわり、ネットには「児童保護団体に寄付しました」ぐらいは書けるので、オタクのイメージアップにもなるだろう。
メディアの流布する「オタクはロリコンで変態で、いつも児童を狙っている」屈辱的なイメージを、少しは押し返せるはずだ。

団体の具体名を出してしまうと、それこそ「現実の重力」のないフラットな情報になってしまうので、書かないほうがいいと僕は判断している。
直接会った相手には、「あの団体もいい活動をしてはいるんだけど、告知の仕方で損をしている」「少しだけ寄付したけど、もう十分かな」などと、具体的に話をするようにしている。地道な活動をしている人たちほど、どことなく話が下手で、だけど一生懸命で、僕は親近感をおぼえてしまう。


僕の中で、漫画・アニメへの国内外からのいわれのない弾圧への抗議と、児童への性虐待(とその対応策)は、ゆっくりと別々のものへと剥がれつつある。
ただ、友人とも意見交換したのだが、現実に立脚しない創作物はあり得ない。「犯罪をおかさない代わりに、創作行為をしている」と言える面さえある。それはそれで是非を議論する必要があるだろう。「結論ありき」でなければ、創作物と犯罪の関係を研究するのも構わない。

そのとき、「ネットから出てこない頭でっかちなオタクたち」は、研究対象にされるだけで議論に加われないのではないかという危惧はある。(いま現在、「気持ち悪い」と糾弾の対象にはなっているわけで。)
そんなジレンマを抱えながら、右手でメディアの暴論に拳を突き上げつつ、左手で児童保護活動にかすかな接点を保っているのが、今の状態。

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2014年6月26日 (木)

■0626■

月刊モデルグラフィックス 8月号 発売中
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●「組まず語り症候群」第20夜
今回のサブタイトルは『家ーイ! めっちゃホリディ』。

最近、この連載は何を取り上げても評判がよくて、「この路線で突っ走って、本当に大丈夫なのだろうか?」と、担当編集とよく話しています。最初は、僕と編集だけが「何だ、この頭のいかれたパーツ分割は」と笑いながら撮影していたのですが、最近はベテランのカメラマン氏が「僕らが何を喜んでいるのか」分かってきたフシがあって……。
ひとりぐらい、「これの何が面白いの?」という人にいて欲しいんですけどね。


どこから、何を書いたらいいんだろう。児童ポルノ法が改正され、国内外のメディアがこぞって「漫画とアニメを規制しなくていいのか!?」と大合唱しています。
僕も、次号の『創』誌で取材記事を書きますが、もうぜんぜん追いつかないです。

一方、僕が展開した『児童ポルノではなく【児童性虐待記録物】と呼んでください』署名に対しては、ほとんどリアクションがありません。
ただ、僕自身は、実際に性虐待を受けている子たちを救うための手助けができないかと考え、いくつかの団体に連絡をとっています。現場で児童保護の活動をしている人たちに接してみると、彼らはお金も時間もなく、したがって漫画やアニメを叩いているヒマなどないのです。最前線は創作物規制どころではない。
(単純所持規制も、被害者を助けることにならないと彼らは知っている。)

そういう活動をしている団体があったら、「どうせコイツラも、漫画やアニメの敵だろう」と思い込まないで欲しい。
僕は、かなり偏見を払拭できました。そういうのは、ネットの情報だけでは分かりません。


ただ、オタクは生きづらい人生を歩んできた人たちだと思うので、「敵」の存在に敏感で、被害妄想的に考えてしまうのも分かります。だからこそ、漫画やアニメを楽しみに生きている人たちを追いつめるようなマスコミの暴力的な姿勢には……「頼むから、もうやめてくれ!」と、もう声に出して叫びたいぐらいなんです。

でも、実際に僕が表現規制派の議員に会おうと動いたりすると、匿名の人から「また余計なことを」とか言われちゃうのね。「匿名で文句は言うけど、社会に対しては何もしない」ことも生きのびる方法だと思うので、僕は反論はしません。
僕はたまたま、顔も名前も出して行動したいってだけであって。叩かれるのも承知の上だし。


先週、新宿コマ劇場前で、薬をもられた女子大生たちが昏倒しましたね。
マスコミもほとんど報じず、警察は捜査すら行わないので、ネットの不確かな情報しかないけれど、明治大学の公認サークルがレイプ未遂したらしいですね。「へーえ、こっちは逮捕しないんだなー」って感じです。リアルに犯罪を行っているのは、社会的強者なんですよ。警察官だって、女子高生を買春してますよ。だけど、刑事罰は受けてない。
その代わり、アニメ・漫画好きを「児童を誘拐して殺すかも知れない」ように印象操作している。【児童ポルノ】は、オタク弾圧用語になってしまった。大手新聞の社説が【児童ポルノ】を盾に、表現の自由を軽んじるような発言をしているようでは、もう末期的ですよ。

リアルに暴力をふるっている強い者同士がおおらかに許しあい、暴力をふるう体力などないオタクを嘲り疑りながら、リアルな犠牲者を路上に投げ捨てている。正義もへったくれもない。こんなはずじゃなかった。こうまで酷いはずじゃなかった……。

もう、漫画がどうとかいう話ではないですよ。
新宿コマ劇場前で倒れていた女子大生の中には、未成年者もいたそうです。19歳以下ですね。そっちは取材せず、助けようともせず、「漫画を罰しろ」「オタクは気持ち悪い」とわめきたてる社会。責任をとらない大人。勇気のない大人。
ひとりでもいい、「僕は違う」と言ってほしいんです。この理不尽な世の中に対して、最後まで戦うと。勇気のある人は、本当に少ない。

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