2015年7月 6日 (月)

■0706■

ガンダム Gのレコンギスタ キャラクターデザインワークス 10日発売予定
Photo
●吉田健一氏×コヤマシゲト氏対談 取材・構成
昨年夏、『G-レコ』の先行上映用パンフレットのため、初めて吉田さんにインタビューしたとき、コヤマさんと西村キヌさんの名前が出てきて、その年末に『ベイマックス』でコヤマさんにインタビューする機会を得たので、「吉田さんとコヤマさんに取材できるなら、『G-レコ』のキャラクター本が作れる」と、気がつきました。

ただ、僕が吉田さんの名前を知ったのは、『耳をすませば』を特集したコミック・ボックス(1995年発行)だったので、まずは十年前の『エウレカセブン』までさかのぼった、吉田さん単独の本はどうか?という提案をしたと思います。
やっぱり、『G-レコ』のデザイン本にしようという話になったので、「絶対にコヤマさんへの取材は外せない」と助言し、巻末の対談だけは責任もってまとめることになりました。

その分、「キャラクターデザインとは、そもそも何か?」という根源的な部分に踏み込み、デザイナーとアニメーターの立ち位置の違いにも、触れることが出来ました。
隅から隅まで充実した本になったと思います。


夏アニメの中では、『Classroom☆Crisis』(クラスルーム☆クライシス)第一話を、4度ほど繰り返して見た。

02まず、僕のようなアラフィフにとっては、90年代的な絵柄が落ち着く(キャラデのお二人のキャリアを調べると、割と納得するものがある)。Cというアルファベットを二つ並べたロゴも、ピチカート・ファイヴがお洒落といわれていた時代を思い出す。
(タイトルの中に☆を入れるのは、わざと古くしてるのか?と疑ってしまうほど。)
……こういうセンスに僕が安心してしまうとしたら、『クラクラ』がオジサン向けのコンテンツになっていないか、ちょっと危惧しないといけない。僕の世代には何だか分からないものが流行っている状態が、健全だと思うので。


制作会社のLay-duceは、ボンズの米内則智プロデューサーが独立してつくった会社だ。
火星のクレーターにコロニーを作るアイデアは『カウボーイ ビバップ』にあったが、ボンズ出身のプロデューサー作品と意識すると、やはり納得というか許せてしまう。
(こういう作品は、メカとキャラだけでは成立せず、ハンガーデッキのような特殊な美術デザインのできるスタッフが必要なのです。)

主役メカニックがロボットではなく、戦闘機ですらない試作宇宙船という点も、それゆえ高価で壊れやすいという設定や描写も、いちいち手堅い。落ち着いてしまう。
こんなに安心してしまって、いいのだろうか。『ガッチャマン クラウズ』は第一印象が「俺には、よく分からないものが始まった」で、第5話は「ずっと前から俺が考えていたことを探り当てられた」驚きで、そのギャップにゾクゾクしたものだった。
『クラウズ』第二期の第一話は、「なんだか期待していたものと違う」のだが、日本人特有の「空気」を説明したり、「気分」を可視化したりするくだりには、「きわどいことに触れている」ヒヤヒヤ感がある。

本当に面白いもの、本質に触れているものって、「ちょっと怖い」んじゃないかな。
『クラクラ』も『クラウズ』第二期も最後まで見るけれど……「テレビアニメを自宅で見る」って、映像に触れる手段の中では、いちばん受動的で楽なので、もっと体を動かさないとダメだな。


このままではアニメ業界は自滅する? アニメ制作の「実態調査」が暗示する未来
アニメ業界は必ずしも「食えない」わけではないが、業界全体を下支えする動画マンが、大変厳しい生活を送っている。助成金や補助金では限界があるので、タックスクレジット(税額控除)などの優遇措置で、苦しい制作現場を救おうというアイデア。

しかし本当に、ソフトを売る以外の回収方法はないのだろうか?
七千円の商品を六枚買わせるというのは、とてもニッチな商売ではないだろうか……。

(C)2015 CC PROJECT

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2015年7月 4日 (土)

■0704■

先日、『響け!ユーフォニアム』について、かなり分かりづらいことを書いてしまった。
いま、アニメを含むキャラクター文化は、複雑な状況におかれていると思う。
SNSによって、現実では出会わなかったはずの人たちが衝突し、ユーザーとして想定されていない層が、たまたまキャラ文化の特殊性を目にして、クレームをつける事態が増えている。

『バトルガール ハイスクール』のCMへの苦情()が新聞に投書されたが、僕はそのニュースをTwitterで知った。その頃には、普段は美少女ゲームなど決してプレイしないであろう女性たちが「現実に頭を撫でられることが、いかに不快であるか」を熱く訴えていた。
その憤りに対して、「現実とゲームの区別がついていない」式の冷めた決まり文句は、あまりに脆弱だ。「ゲームやアニメには興味津々だが、実社会での出来事など知ったことか」といった、幼稚なニヒリズムを感じる。「現実では出会わなかったはずの人たち」の神経を、逆なでするだけだと思う。まずは批判を受け止め、無用な対立を避けながら、なんとか共存していく道を探るべき。
なぜなら、「頭を撫でれば、女子高生は喜ぶ」と思い込んでいるセクハラ男と勘違いするのもされるの、まったくのエネルギーの浪費で、1ミリたりとも現実を豊かにしてくれないから。誰の益にもならない議論で多くの人が疲弊すれば、世の中はますますギスギスしていく。僕は何より、それがイヤ。

「現実の女子高生」と、「女子高生のキャラクター」を厳密に分けねばならない、混同してはならないのは、法律の上でのこと。それとは別に、「現実を材料にした表現物が、現実の常識で推し量られる」のは、やむを得ない事態と思う。


「現実とフィクションの区別」とかいうより、「自分と他人の区別」がついてない人が多くなったような気がするね……。

どうすれば、他人に迷惑をかけず、楽しく快適に生きられるか、それを追求すべき。よく話題にのぼりがちな、性表現については、誰がどう感じるか分からないので、なるべく見えないところで、ひそかに楽しめよ……と思う。
だから、僕はゾーニングにはうるさい(Twitterで文句をつぶやくより、販売店やメーカーに直接意見する。なぜなら、僕はネットではなく実社会を改善したいからだ)。


現実の女子中学生や女子高生は、オッサンの目を楽しませるために制服を着ているわけではない。だが、アニメの中では制服のデザインが、ひとつの見せ場として機能する。フィギュアでも、そうだ。
その倒立、矛盾については、何らかのエクスキューズを用意しておくべきだろう。民間レベルの公正明大な対話によって価値観が変移し、その時代ごとの常識が形成されていくのだと思う。

そのうえで、他人の趣味や性癖に口を出しすぎるべきではない。同性間でも、そうだ。
ところが、価値観の違う相手や、理解できない趣味の相手を、ネットではいきなり罵倒するでしょ? 他人は、あなたの一部ではない。だからこそ、他人の事情も考えてやらねばならない。誰もが、苦しい、イヤな思いをして生きてきたはずだから。

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2015年7月 2日 (木)

■0702■

深夜アニメが終わったり始まったりする時期なので、夜中にぼんやり見ていた『響け!ユーフォニアム』最終回。山下敦弘監督の映画のラストのように、登場人物の存在感にまかせた、ふっきれた、抜けた感じの20数分間(絵コンテは、山田尚子さん)。
Still_05そうでありながら、演奏シーンは、繊細なカッティングも含めて、ずっしりとした見ごたえがあった。吹奏楽というテーマに、最後まで真摯に挑みきったアニメーションだった。

……と、偉そうなことを書いているが、僕は、この作品を半分ぐらいしか見ていない。後半は、声優の聞こえよがしな演技にたえられず、いつも途中で消してしまっていた。そこで、消音モードで見てみると、カメラワークの意図、BGオンリーの狙いが、とてもよく分かった。キャラからBGに大きくカメラを振って、会話に余韻を与えて感情をBGによって膨らませ、そこでAパート終了とか。セリフがなくても、「決意」とか「落胆」とか、気持ちのアップダウンが分かる。
あと、十秒間の間に起きたことは、十秒間に収める。そのために、演技の前後は切っても構わないとか、発想が実写映画っぽい。アニメというより、「フィルムにしようとしてる」というか。


もうひとつ、気がついたことがある。
『ユーフォニアム』は、共学校の吹奏楽部の話なのに、登場キャラクターの3分の2ぐらいが女子で、男性キャラクターは彼女たちの背中を押したり、相談に乗る立場だった。実社会では、思春期の男女の関係って、もっといびつに絡みあうと思う。
だけど、彼女たちは自分が女であることにストレスを感じていないし、性差をことさら意識してもいない。女子にとっての一種の理想郷が、男性向けコンテンツとして供されていることの不思議。実写でいえば、アイドル映画でしょう? 観客と作品の間には、厳然と性差が横たわっているし、登場人物も、観客によって性的に欲望されるのだろう。だけど、作品の内部は、無菌室のように清浄に保たれ、生々しい欲望は、周到に排除されている。

他のアニメは、あいかわらずオッパイが紐で持ち上げられるとか、パンツが見えて鼻血ブーだとか、男性本位のガハハな世界だと思う。しかし、『けいおん!』や『ユーフォニアム』の世界は、『プリキュア』のような女児向けアニメに近いんじゃないかな……。
それは、原作が女性だからとか、監督が男性だからといった単純な問題ではない。テレビという公器を介したとき、おのずと社会的性差は問われてしまう。同時に、視聴者の誰もがコンテンツからの影響をまぬがれないと思う。だから、「男性主人公がセクハラした後には、必ず女性キャラにおしおきされる」といった配慮がなされる(古い例だけど、『シティーハンター』は女性層を意識したので、そういう作劇になっているはず)。

女子高生の頭をなでるゲームのCMにはクレームがつくけど、『ユーフォニアム』の世界観は、社会的性差を薄めている。あるいは、適度に理想化している。


でも、性差によって生じるストレスを物語に持ち込まなかった分、女性声優の嬌声、男性視聴者に媚びたような話し方が、よけいに耳についた(全員ではないけど、局所的に)。
キャラクターデザインも、ちょっとキラキラと飾りすぎ(瞳のハイライトが多すぎる)。

だけど、そういう男性視聴者に向けた売りの部分を抑えていくと、ニーズの見えづらい、つかみどろこのない作品になってしまうのかも知れない。
ヒロイン物だから、企画として成立するんだろう。そこが難しい部分だけど、性的な部分のみ恣意的にクローズアップされがちな日本のアニメの中では、ちょっと不思議な位置を占める作品だと思う。

(C)武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

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2015年7月 1日 (水)

■0701■

ミリタリーSF好きの友人が、公開時に「あれはイマイチだった」と言っていた『バトルシップ』。テレビ放映にともなうネットでの盛り上がりがすごかったので、レンタルしてきた。
341532_01_04_02 最初は「1,800円払うほどの内容でもなく、日本語吹き替えで気軽に楽しめるポップコーン・ムービー」程度にナメていたのだが、クライマックス、ミズーリが再就役してからは、身を乗り出してしまって。ラストの勲章授与のシーンになると、もう笑いが止まらなくなって、ようやく、優秀だった軍人の兄貴が、とっくに戦死していたことが分かった。大活躍していたのは、チャラい弟の方だったのか。ようするに、「バカで何が悪い?」という映画なんだ。どんな崇高な映画より、人を救うよね。こういうスタンスの映画は。


ミズーリの戦闘描写は広角レンズを効果的に使って、日本のアニメみたいに豪快だった。『SPACE BATTLESHIP ヤマト』も、これぐらい頭が悪くて良かったのに。
義足の黒人がエイリアンを殴るとき、スロー気味で歯が飛ぶじゃん。エイリアンの歯が(笑)。『あしたのジョー』だよね。どんな名作でも、「真面目に実写でやったらアホっぽくなる」、自らの価値観を笑い飛ばす勇気や寛容さが、日本人には欠けている。失敗したら、容赦なく叩くからね。他人から笑われることを恐れすぎる国民性と表裏一体の、イヤな生真面目さがある。

日本の降伏調印の行なわれたミズーリは、太平洋戦争を語るには欠かせない艦。そのミズーリに日本人が乗り込み、(真珠湾のある)ハワイで勝利するアイデアには、複雑な感情が込められているんだろう。
だけど、笑わせたほうの勝ちだから。実写版『ヤマト』で、アメリカ人を笑わせてやれば良かったのに……と、本気で思う。
僕が『トップをねらえ!』を好きなのは、「日本が再びアメリカに宣戦布告し、勝利した」あとの未来世界を舞台にしているから。その裏設定に立脚して、ロボットとか美少女とか(東宝の戦争映画・怪獣映画のパロディとか)、日本のアニメにしか出来ないことをやっている。彼らは、「実写映画はともかく、アニメ技術やオタク文化の面ではアメリカに圧勝している」と自負しているのに違いない。その傲慢なほどの自信が「日本がアメリカに戦勝した」設定にあらわれている。

だけど、日本人は「侵略される」というテーマを、歴史的に笑えないんだろうな。だけど、自分にとって深刻なテーマを、ある角度から「笑う」のは、生きていくために必要なセンスじゃないかって気がする。『バトルシップ』を見ただけで、悩みがひとつ消し飛んだような気持ちになった。


「表紙を見ただけなので中身については詳しくはわからないのですが、ゲームの世界でもかなり児童ポルノが蔓延しているのではないかという印象を受けました。表紙には、制服(中高生?)姿の子どもが性的なイメージを想起させるものが散見され、ゲームの世界でもかなり児童ポルノがはびこっているのではないかと感じました。」
……これは、僕が最初に始めたアンケート『次のうち、あなたが「児童ポルノ」と思うものを挙げてください』()に寄せられた回答のひとつ。
このアンケートは、法律の定義とは無関係に、意識調査のつもりで開放しており、あえて批判などはしないつもりでいたけれど、「しょせん、こんな程度の認識なのか」「法文すら読んでいないのか」と、かなり落胆した。

みんな、「自分がいちばん嫌悪する性表現」に「児童ポルノ」という言葉を当てはめているだけで、他に便利な言葉があるなら、そっちでもいいんだろう。自分の価値意識と無関係に、被害児童が存在していることを忘れている。
これでは、昨年の法改正で「諸外国が」「欧米では」と繰り返すばかりで、国内事情を顧みなかった与党の国会議員と変わらない。


見落としていた事件だけど、今年2月20日の記事「高知県警巡査部長を不起訴 横浜地検 児童ポルノ禁止法違反で」()。「神奈川県警は1月、巡査部長が昨年6月にインターネット上で入手した少女のわいせつ動画を自宅のパソコンに保存し、ファイル共有ソフトを通じて不特定多数の利用者に公開した疑い」なのに、不起訴。
氏名も公表されず、最も軽い「戒告処分」で済んでいるので、今も高知県警に勤めているんでしょうね……。

警官や教師のような社会的信用度の高い者が、なぜ低年齢の子どもに性暴力を振るうのかは、『スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか』(幻冬舎)を読むと、かなり理解できると思う。
『性犯罪者の頭の中』((幻冬舎新書)を読むと、痴漢が「より弱い者」を求めていく心理過程が分かる。このような「大人>子ども」「男>女」の不均衡を破壊せねば、性犯罪はなくならない。漫画やゲームを規制するとしたら、その後だろう。

ところが、社会は「大人の男」が頂点に立っているので、女性や子どもを尊重する構造には改変しづらい。なので、取り締まりの楽なメディア規制に偏りがちなのだろう。

(C)2011 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

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2015年6月28日 (日)

■0628■

ある人が誉めていたので、レンタルで『プレーンズ』。
Planes_subsub_230_11500_dts_v003_la世界観は『カーズ』と共有しているが、本作はピクサーではなく、テレビ向けのパート2物を専門につくっているディズニー・トゥーン・スタジオの制作。……じゃあ三流の作品なのかというと、飛行シーンは望遠レンズの効果を活かして、驚くほどリアルに撮っている。
飛行機それぞれの空力的プロポーションを保ったまま、キャラクターとして成立させるデザインセンスもいい。主翼がグニャッと手のように曲がることはない。かわりに、着陸足を使って、感情や色気を表現している。

ただ、エアレースというモチーフは、ちょっとマニアックだったかも知れない(今年、日本でも開催されたが、それまでは見たことがなかった)
。あと、第二次大戦の軍人(コルセア)が出てくると、どうしても日本軍が敵役になってしまう。戦勝国はいくらでも美談を語れるが、敗戦国で、余計なコンプレックスを植えつけられている国民のひとりからすると、現役空母や戦闘機が物語を強力にバックアップするのは、やや物騒に感じた(実写映画だと、そうは思わないのだが)。

大学卒業以来、ずっと兵器産業で働いている友人がいるけど、彼も「人の命を直接的に、大量に奪うような戦争の時代は終わったのではないか」という話ばかりする。
ミリタリー物のプラモデルを作っている人が、思想的に戦争を肯定しているとはかぎらない。兵器を捨てれば、戦争を放棄できるほど、人間は単純ではない。


『プレーンズ』のレンタルDVDにはメイキング映像が収録されていて、クレイ・ホール監督がトウモロコシ畑の中にある飛行場をロケハンしたり、実際に第二次大戦機に乗ったり、空母で何日間か過ごす様子が出てくる。戦闘機の離発着を見て、大興奮している。『インデペンデンス・デイ』を見ても分かるけど、これが平均的なアメリカ人の感覚なんだろうな。

メイキングによると、物語の始まる農場は、中西部に設定されている。『キャスト・アウェイ』のラスト・シーンも、「この先はカナダ」と言っているから、中西部でしょう。『未知との遭遇』で、少年がUFOに連れ去られるのはインディアナ州。『フィールド・オブ・ドリームス』は、アイオワ州。映画の中では、もっぱら、田舎というイメージで使われているのが中西部。
そして、常に美しく描かれてきたから、僕らはアメリカの田舎に、勝手な郷愁すら抱いてしまっている。だけど、『戦後史の正体』を読んでしまうと、ストレートに「きれいな国だな」とは思えない。


晴れたので、午前中から吉祥寺まで歩いてきた。
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チマチマしたプラモデルを組みたくなったので、バンダイのメカコレ「ラスコー級宇宙巡洋艦」を買う。本屋で、情景師アラーキーさんの『凄い! ジオラマ』(アスペクト)も買ってしまう。1ページたりとも無駄にしない、細部まで丁寧にデザインされた本。
ただ、模型という趣味は「侘び・寂び」に陥りがちなので、そろそろ新しい視点が必要なんじゃないかと思った。


「年をとると、人は自分に二つの手があることに気づきます。ひとつは自分を助ける手。そして、もうひとつは他人を助ける手」――オードリー・ヘプバーンの、この言葉が胸にひっかかっている。
残念ながら、両手とも自分を助けるために使っている人が、大部分だろう。

自分と意見や価値観の違う相手は、人権を奪われようが惨い死に方をしようが、どうでもいいと思っている。それぐらい、今の日本人は余裕を失っている。

(C)2013 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

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2015年6月27日 (土)

■0627■

『性的虐待の時効は大人になるまで停止して下さい。子どもが全国どこでも助けを求められる体制を!』(
このような署名活動がありますが、ある時期から、賛同者数がにぶってきました。自民党の馳浩議員が「女性の権利保護プロジェクト・チーム」の座長となり、実際に児童虐待防止法を改正しようというニュースが流れてからだと思います。

僕は、この署名をTwitterでプッシュしていたのですが、「自民の馳浩は戦争大好き」といった乱暴なメンションが届くようになり、たいへん失望しました。僕も自民党は嫌いだけど、目的は、「性虐待を受けた児童が、成人してから加害者を告訴できるよう、法改正すること」でしょう? なぜ戦争の話が出てくるんだか……。

馳浩議員に不安があるなら、メールフォームから意見を送ればいい。国民の権利を行使すればいい。僕も、真っ先に意見を送りました。
だけど、あいかわらずTwitterでは、「こうすればいいのに」「なぜ、そうしない?」と、独白を書いてる人ばかり。自分から、情報を集めようとしない。疑問があっても、当事者に聞こうとしない。だけど、要望だけは通したい。そんな怠惰なムードに、嫌気がさしたことも、アカウントを削除した理由のひとつです。


もうひとつ、表現規制反対でも性犯罪対策でも、僕が直接、誰かと会おうとすると、止める人がいるんです。「いや、いま相手を刺激したら、かえって不利になります」とか「あなたに余計なことされると、今後のわれわれ(って誰?)の活動にひびく」とか、見ず知らずの人からダメ出しが出る。
だけど、たとえば児童ポルノ規制法を要望どおりに改正したのは、議員と定期的に顔をあわせている団体でしたよね。堂々と会って、直接に話した者が優位に立つ――僕には、そう見えるのですが。

痴漢被害対策のため、防犯カメラやポスターを増やしてほしい――という署名のときも、似たようなリアクションがありました。
防犯カメラは「下からのぞくような位置に取り付けられて、その画像がネットに流出する可能性があるから、やめてくれ」という女性。しかし、埼京線の防犯カメラを画像検索すれば分かるように、天井に付けられています。そして2010年の設置以来、録画内容が流出したなどという話は、聞いていません(とにかく調べないんだわ、こういう人たちは……)。

また、痴漢防犯ポスターを掲示すると、「ポスターの掲示してあるような場所で痴漢にあったら、被害者の注意不足だと責められるので、やめてくれ」。確かに、二次被害が起きないよう配慮はすべきです。しかし、「ポスターを増やす」目的は、二次被害以前に、痴漢を減らすことですよね? ポスターが悪いんですか? 痴漢が悪いんじゃないですか? なんだか、禅問答みたいです。 


Twitterは実行動と相性が悪いというか……ジャンルによるんでしょうけど、僕のところには、「動かない理由」を並べ立てる人が、多く訪れました。
勇気がないんなら、そう言ってくれていいんです。僕は電話は苦手ですし、医者から対人恐怖症と診断され、20年以上も精神安定剤を処方してもらっています。
「お金がない、時間がない」も、納得できる理由です。僕も昨年、貯金をゼロにされたことがあり、その時期は生活するだけで精一杯でしたから。

だけど、そういう赤裸々な理由ではなく、「私も、本気になれば動けるんだけど」「あなたに動かれると困るんだけど」と、ひねった言い訳を考えてくる。その人たちが動いたという話は、ついに一度も聞かなかった。
窒息しそうでしたよ。行動の予告・報告のため、Twitterを始めたのに、「行動しない主義」の人たちに、常に監視されてるみたいで。
あるいは、フォロワーがいっぱいいる発言力のある人たちが、「じゃあ、痴漢被害に対抗しましょうか!」と計画するところまでは、いつもワーッと盛り上がるんですよ。だけど実行する前に、次の話題にうつって、すぐに忘れてしまう(笑)。

僕の行動を手伝ってくれた何人かの人は、ネットでは何も言わないんです。サッと現場に現われて、雨の中、チラシ配りを手伝ってくれたり。重たい封筒の束を抱えて、最寄り駅まで来てくれたり。
Twitterでの意見交換も大事でしょうけど、ひとりでも多く、実際に人と会ったり、合法的な手段で社会に働きかける人が増えたら、男女ともに住みやすい、子どもを大切にする社会を実現できると思います。現状のままでは、あいかわらず男尊女卑的な不愉快な状況がつづき、人権もへったくれもない、報復と懲罰と相互監視の社会が到来すると思います。
それが怖いから、僕はジッとしていられないのです。

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2015年6月26日 (金)

■0626■

昨年4月に作成したTwitterアカウントを、削除しました。数日前、雑談用のアカウントを作りましたが、そっちは飽くまで、アニメや模型、映画の情報集め用なので……。

本来は、GMOメディアが、個人のフィギュア作品ブログを「児童ポルノ」と呼んで削除しようとしたとき、反対署名を集める()ために、Twitterを始めたのでした。
その流れで、「児童ポルノ」という言葉を、メディアや個人が自己都合で解釈し、「私が不潔だと思うもの」「私が嫌悪しているもの」程度の意味で濫用している現状を変えたいと思い、「児童性虐待記録物」と呼びかえるべく、さらに大規模な署名を始めたのでした()。

このときは、児童ポルノ規制法の改正前で、付帯決議として、漫画やアニメを研究対象にする案が残っていたので、それを回避する意味が強かったです。その時期にフォロワー数が伸びたので、「廣田は、エロ漫画などの表現規制に反対する人」というイメージが強いと思います。

だけど、僕は「性虐待」という言葉を、ダシとして使い捨てるつもりはありませんでした。被害者の心情を知りたくて、東小雪さんや森田ゆりさん、海外の研究者の本から、手当たりしだいに読みました。それはもう、署名とは一切関係なく。
児童福祉系のNPO法人を訪ねたり、「ゴー宣道場」などの討論会にも出席して、児童をモチーフにしたエロ漫画に反対する方の意見も、直に聞きました。その頃から、「一切、表現規制するな」「自由に描かせろ、読ませろ」では理解が得られないと思いはじめていました。だから、『コップのカドでグリ美ちゃん』のような性的な含意の強いフィギュア()は、販売場所を考えるよう、何社かに批判意見を送りました。

だから、表現規制に反対している一部の人からは嫌われたし、怒られもした。だけど、一年も性虐待・性暴力について調べたり、被害にあった女性の話をじかに聞いたりして、まったく考えが変わらないほうが、どうかしてるでしょう。


だけど、痴漢対策を求める署名()まで始めると、Twitterの内部のみで対立している男女の陣取り合戦みたいのが、うっすらと見えてくるわけです。痴漢被害に対抗して、「痴漢冤罪のほうが深刻だ」といったレベルの。

僕は、自分の声と体を使った活動を前提に、Twitterを告知や報告用のツールとして使っていたので、顔も名前も立場も隠したネットの中での議論、罵りあいには、関わりたくないのです。だけど、僕は「児童ポルノという言葉を変えて、エロ漫画を守ろうとするゲス男」として、かなりの数の女性たちからブロックされていて、その不寛容でみみっちい争いに、漠然と巻き込まれているような感じもしていて……そんな非建設的な叩き合いより、僕は、生で人と会うのが目的なんですよ。実社会で起きていることは、実社会でしか変えられないのに、なんでTwitterに書いてるの?と、不思議で仕方がない。


そこへ来て、通常国会が3ヵ月も延長されたでしょう?
僕が山田太郎議員を通じて国会へ提出した、【実在児童への性暴力写真に関する請願書】()の結論も、先延ばしになってしまった。もし保留にされるなら、一日でも早く、賛同してくれる議員を増やすために活動したいのに。

それで、あえてアカウント名は書きませんが、この請願について、こんな風にツイートされました。『廣田という人はもともと、自分のブログの創作の児童の画像が規制されたのを機にこの「実在児童」「児童虐待記録物」という運動を始めている。』
ちょっと調べれば分かることですが、僕のブログではなく、他のフィギュア・モデラーの方たちのブログですよね。規制されたのは。
『要は、「絵なら児童ポルノじゃないから規制するな」のスタンスであることは忘れないようにしたい。』『児童と性交渉(レイプ)するマンガ作品は「誰の人権も侵害していない」という主張だから、「実在児童」という言葉を使っている。』
「実在児童」という言葉は、山田太郎議員事務所の要望で入れたのです(先方も、相応のリスクを背負いますので)。それと、「漫画作品を児童ポルノとして規制しない」のは、昨年の法改正で決まったことですよね? 僕ではなく、国会議員の方たちが決めたことです。検索すれば、すぐ出てくると思うんですけど……。

そもそも、「性虐待記録物」という言葉は、刑法学者の園田寿教授が、少なくとも二年前に出した案()だし、大阪府が「性的虐待の記録」という用語を使用している例は、署名サイトに明記したはずです。
このアカウントの方も、たいへん苦労なさっているようなので、責めるつもりはありません。批判は結構ですが、最低限の情報ぐらいは調べていただきたい……と思いました(Twitterは自ら調べず、「教えてください」という人が多いですね)。


一年たって、僕も勉強しました。表現物でも、人を傷つける・不安にさせる可能性がありますから、18禁雑誌の売り方について、近所の書店に意見を出し、売り場を改善してもらいました。

だから、創作物の敵にまわる可能性だって、おおいにあるわけです。「理想もなく、ただ、今の自分を変えないために、他人を叩く」のは、苦しいだけだろうと思うんですけど……だけど、僕はTwitterの中で、ぼやきに近いような女性たちのツイートを見て、彼女たちが「女である」だけで、いかに苦労してきたか、蔑まれてきたかを知ることができました。それは、とても大きな、十分すぎるほどの収穫でした。
あとは、「実社会で、何が出来るか?」だけです。

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2015年6月24日 (水)

■0624■

モデルグラフィックス8月号 明日発売
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●組まず語り症候群第32夜
『レッドホーク連合艦隊これくしょん展開希望』のサブタイトルで、アオシマの「合体巨艦ヤマト」を、見開きで取り上げています。
……これは難しかった。僕も手伝った『アウトサイダー・プラモデル・アート』などで、すでに再発見・再評価されて久しい商品なので、新しい価値を再発見することが困難だった(今回のアイテムのセレクトは、編集部)。

なので、担当編集の意見も聞きながら、自主的に三回ほど原稿を書き直しました。
「愛しすぎて笑ってしまう」感覚は、なかなか文章にしづらい。単に「嘲笑している」と受け取られてしまう。それは価値観の相違なんかじゃなくて、僕の技術不足とひとりよがりのせい。

「組まず語り」も、もうすぐ三年目だし、バージョンアップしないと!


「ネタですよね? ネタじゃなかったらガチですか?」みたいな荒っぽい峻別が、インターネットの根底にあって、どんな繊細な感覚でも、野蛮な攻撃にさらされる可能性がある。
(だからってわけじゃないけど、雑談用のTwitterのアカウントを、別に作ってみた。それだけでも「廣田は逃げた」とか何とか、言われかねないんだけれど。)

古本を売るついでに、三鷹駅前図書館に寄ってみた。
すると、地域の情報を載せたチラシやパンフがいっぱいあって、「こういう、地元への取材を仕事に出来ないかなー」と考えてしまう。(三鷹市にはジブリ美術館や多数のアニメスタジオがあるおかげで、地元に密着しても、アニメとは縁が切れないし。)

三鷹では、アニメの上映会もよく行なわれる。「ブルーレイ&DVDの第一巻が発売決定!」なんていう、業界の都合最優先の薄ら寒いCMより、親子連れが公民館で見るアニメのほうが「生きている」感じがする。
福島県いわき市で『マイマイ新子と千年の魔法』上映会をやったときには、現地の人たちの受けた感覚までは分からなかった……が、この感覚を知らないまま、アニメ業界と接するのは不健康な気がしてきた(おりしも、明日は徒歩で行けるアニメ・スタジオに取材である)。

取材って、やっぱり「人と話す」ことなので。「業務」という頭で人と会うと、場の空気は冷えてしまう。


そもそも、心から面白いものって、「体の芯から面白い」。生理的なものだから、パンツを脱がないと気づけない。でも、ここ数年の僕は、パンツを脱げないのを歳のせいにしてきた。
70歳になっても、パンツは脱げます。ジョージ・ミラー監督が証明している。
 

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2015年6月22日 (月)

■0622■

売り切れ直前だった、ハセガワの1/35メカトロウィーゴを入手。
Cimg0795どうして、原作アニメすらないこのプラモデルが売れているのか、ここ数年、あるいは十年ぐらいのポップ・カルチャーを掘り起こさないと、説明不可能ではないかと思う。
このキットには、昭和レトロな少年と少女のフィギュアが付属していて、まずは大阪万博世代にリーチする手堅さがある。だけど、同時に平成不況のもとで根づいた、シンプルで簡素なものを求める、軽やかな嗜好にもマッチしている。
(例えば、ゆるキャラのセンスなんかも、どこかでリンクしていると思う。)

あと、昨夜、友だちとファミレスで話していて気がついたんだけど、90年代後半のガシャポンの高品質化と食玩ブームが去って、ベンダートイには、当時とは違う客層がついている。マニアだけがホビー業界を支えているというのは、尊大な思い込みであって。
広くて薄いライトユーザーの価値観って、必ずコアなユーザーに影響を与えている。しかし、ことにプラモデルというジャンルでは、頑迷固陋なマニアの声しか、テキスト化されてこなかった。


1/35メカトロウィーゴは、パッケージ・アートが、漫画家のあらゐけいいち氏というのも驚きだった。商品のもつ軽さや自由度を、このうえなく奔放に表現していて、「リアル」とか「重厚」とかいった、メカ物の陥りがちな陳腐さから、解放されている。

プラモデルの世界は、「とにかく作れ」「色を塗れ」「自分で改造しろ」という、年寄りの根性論が支配的で、「精密なら精密なほどいい」という泥沼にはまってしまっていた。その反動は、すでにあちこちから起きはじめている。
アニメもそうだけど、緻密さを極めてしまったら、あとは上手にUターンしてくるしかないと思う。Uターンが下手だと、単なる手抜きになったり、特典に頼ったくだらない商法に落ちぶれてしまうわけだけど。

説明書には記載されていないけど、メカトロウィーゴには、ちゃんと女の子フィギュアも乗れます。そんな仕様も含めて、本当にキュートなプラモデルになったなあ……と、ほれぼれ。


レンタルで、『42 ~世界を変えた男~』。第二次大戦直後、メジャーリーグ初の黒人選手が、野球界の偏見を塗りかえていく。
346143_003「もともと、世の中は複雑なんだ。野球界も、もはや見て見ぬフリはできないぞ」と、ブルックリン・ドジャースの経営者(演じるのはハリソン・フォード)が、野心満々に言う。彼には、黒人のチームメイトを差別から救えなかった苦い過去がある……ひとつ残らず、実話である。

映画の冒頭、ラジオから日本の全面降伏についてのニュースが、さりげなく流れる。映画は差別撤廃の美談を語る一方、少なくとも70年前、アメリカを覆っていた、見るにたえない傲慢と不寛容を暴きたてる。
白人がリベラルなんてウソっぱちなのに、僕らは「白人のようになりたくなる」教育を受けてきた。たとえば、その惨めな敗戦コンプレックスに切りこめる日本映画は、見当たらないわけです。「欧米に比べて、日本は……」と嘆いていたほうが、戦わなくてすむし、楽だから。
黒人差別は対岸の火じゃない。日本人だって、海外に行けば、きっちり差別されるよ。

アメリカ映画は、しばしば、自国のダークサイドに言及するからね。その姿勢は見習うべき。この映画で描かれたように、「すごいのは白人だけじゃない」と証明してこそ……だと思うんだ。

(C) Warner Bros. Entertainment Inc.

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2015年6月18日 (木)

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アキバ総研 アニメ業界ウォッチング第9回:模型メーカーの感じる「ガールズ&パンツァー」商品化の醍醐味 雑誌編集から模型業界に転職した高久裕輝(マックスファクトリー)インタビュー!
Chv9l3ducaaeoqj「アニメ業界」というくくりで考えると、「ん?」という企画ですが、内容は抜群に面白いはずです。特に後半、「クオリティ・ファースト」や「決定版」という概念が、いかにホビー業界を敷居の高い、年寄りだけが住みやすい偏屈な世界にしてしまったか、よく分かると思います(もちろん、ホビー業界だけでなく、他業種にも当てはまることです)。

マックスファクトリーとは、30年前に少し仕事を手伝わせてもらっただけで、新社屋は初めて訪問したのですが、とにかく開放的で、「何の会社だろう?」という雰囲気。女性社員も多いし、西洋人も働いています。
このリラックスした若々しい模型業界のムードを、いままで、どのメディアも伝えてこられなかった。地道に取材してきた方には悪いけど、みんなが知っている有名大手メーカーを、みんなのイメージどおりに伝えるだけだったと思います。

そして、心から良いと思ってない製品(作品)を、「お約束」として持ち上げてきたのではないでしょうか。


話は、ガラリと変わって、僕の作成した請願書の行方を、山田太郎議員が伝えてくれています。⇒児童ポルノ禁止法で児童が守れないという理不尽!全てはその定義に【第47回山田太郎ボイス】(

12日付で、法務委員会に付託されたことが分かりますが、「請願は、関係の委員会の理事会に付託されますが、全会一致でなければ、保留となってしまう」「こういったことに賛同できる議員を他に10名集め、法律を変えるためのきちんとした改正案を出すことを、早急に考えていきたい」……なるほど。

発言の説得力は、リスクの大きさに比例すると思っています。誰にでも簡単に出せる請願書の効果など、その程度のものかも知れません。ただ、このひどい判決内容を、多くの人に知ってもらえたのは、良かった。

それにしても、どこの誰がどうした……という話ではありませんが、社会に対する理想もなく、「誰かが何とかしてくれる」としか考えてない人は、情報を集めるのさえ面倒がるし、他人が自分の思いどおりに動いてくれないと、冷笑まじりにいじけてしまうんですね。
やらずぶったくりを、恥とも思わない人がいる。


『キャスト・アウェイ』。ラストの十字路のシーンを過去に見たような、あるいは誰かに聞かされたような、どこかで感想を読んだような……とにかく、既視感があった。
162818view001そして、トム・ハンクスの4年間の漂流体験も、ふしぎと自分のことのように思える。世界観の一変してしまうような空白期間が、自分にも、確かにあったような気がする。

ネットの感想を読んでいたら、「何年かに一度、とても見たくなる映画」と書かれていた。よく分かる。
それにしても、無人島の不安定な空模様が、絶妙に美しかった。

ZADEROSENTHAL_64/20THCENTURYFOX/DREAMWORKS/TheKobalCollection/WireImage.com

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