2015年3月28日 (土)

■0328■

『Gのレコンギスタ』最終話「大地に立つ」、もちろんリアルタイムで視聴。
Rsg6heorxやっぱり、ベルリが大地に立つまでの物語であって、あの26話の中で起きた歴史というのは、2クールには収まらない。最終カットで、トワサンガやビーナス・グロゥブが同じぐらいのサイズで並んでいたけど、思想も信仰も微妙にズレていて、好戦的な人たちもごっちゃに住んでいる中で、何とか妥協点を見つけながら、うまく回していくしかない。
その妥協点を見つけながら上手に生きていくのは、今の年寄りには無理だから、物語の中でも大国の大統領には死んでもらうしかなかったんだと思う。


放送中はいろいろなことを思ったけど、敵味方の関係図をコンパクトにしたがる人が多かったような気がする。目の前で動いている歴史はコンパクトにならないし、「問いには必ず答えを用意してもらえる」インターネット的な短絡に物語を封じ込めようとする態度は、とても危険だと思った。
(その危惧が、前回の日記に書いた『アクト・オブ・キリング』とも関連してくる。極端に敵味方を分けようとすると、必ず暴力的な事態にいたる。)

「黒か白か」乱暴に決めたがるネットの言説から、『Gレコ』は遠いようで近いところにあった。あの世界は千年間は穏やかな時代がつづいたのに、タブーを破ったために21世紀と変わらない時間感覚が戻ってきてしまった、不安定な瞬間(だけ)を描いている。
物語後半で何度か言われていた、「戦争を面白がってしまう人たち」は、いまの日本にあふれている。右翼とか愛国って意味ではなくて、ネチネチと個人攻撃したがる人ばかりでしょ。そうやって、現実の皮膚感覚とアニメのような虚構とを重ね合わせないと、見ている甲斐がないわけです。


僕は『Gレコ』を見て、「歴史を勉強したら、きっともっと面白いんだろうな」と思った。
だけど、点数つけて作品を評価する人たちは、そもそも作品への謙虚さがない。「自分を楽しませてくれなかったから、減点」という、粗野な考えしかもっていない。だから、クソとかカスとかクズとか死ねとか、二文字ですむ言葉を簡単に使ってしまう。現実は、もっと立体的なはずなのに、スマホで「クズだ」「減点だ」と、指先で万能感にひたってしまう。

そういう乱暴な人たちをタブーで律しようという考えは、実は分からなくはない。そのタブーを傲慢だと感じる人たちもいて、それでも何とかやっていくのが人間の世界なのだ。
『Gレコ』の世界では、「バチが当たりますよ」という言葉が多用されていた。いまの日本では「○○は犯罪です」なんだよね。一方的な脅迫なんだ。「バチが当たりますよ」のほうが寛容だし知的だよね。

Gセルフが、クン・スーンの機体を振動波でつかまえるでしょ。「なんで私を縛る?」「縛ったんじゃなくて、つながっているんです。あなたのビーム・ウィップ(武器)とは違うんです」、こういうやりとりにも、穏やかな時代を引きよせるヒントが隠されていると思う。
(「もう僕は攻撃はしません。その意味は、分かりますよね?」 そう訴えるベルリの背後で、燃えさかる戦艦が降落していく……なんという端的な、冴えた演出なんだろう。)

(C)創通・サンライズ・MBS

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2015年3月25日 (水)

■0325■

モデルグラフィックス 5月号 本日発売
Mg
●組まず語り症候群 第29夜
今回のサブタイトルは「オマケに見る生と死」。二種類のオマケ・キットについて触れています。
ちょっと裏話をすると、実はキャプションを間違えて多く書いてしまったところ、担当の千葉ーザム氏が「文字数が多すぎるけど、このくどさが面白い!」と、写真を削ってまで残してくれたのです。
そういうフレキシブルさは、この編集部ならではの気風ですね。


「映画を見ている時間があるなら、原稿を進めろ」と怒られそうな状況下であるけど、レンタル半額デーなので、『アクト・オブ・キリング』。
Sub_3_large1965年にインドネシアで起きた大虐殺に加担した人々(今は大金持ちで、孫がいるぐらい恵まれた老人たち)が、大虐殺を再現した映画を撮る。その虐殺再現映画のメイキング……という、変わった体裁のドキュメンタリー。
楽しみながら、誇らしげに人を惨殺して、50年たっても「こうやって殺したんだ」「もっと残酷になれるぞ」と自慢する老人たち。その醜悪な姿を、知性と理性でとらえた映画。見た人は、「俺は非暴力だし死刑反対だし、こんな風に人を殺したりなんかしない」と他人事にしたがるだろうけど、誰もがちょっとずつ、理不尽な力関係に参加させられていると思う。過去をほじくったら、嘔吐してしまうような醜い行為を、誰もがしてきたんじゃないだろうか。

たとえば、凶悪犯罪が起きたときに「死刑にしろ」とスマホで書き込む人たちは、死刑にされる様子は肉眼で見たくはないわけですよ。誰かに「目につかないところで、俺の気がつかないように殺しといて」って程度でしょ。「要望どおりに死刑にするから、見に来てください」と言われても、絶対に来ない。
邪魔なヤツに消えてもらいたい曖昧な気分だけで、スマホに触れる以上の体験は拒んでいるでしょ(スマホ歩きってのは、液晶画面以外で起きている事象を無視する態度でしょ)。そういう人ほど「俺には関係ない映画だ」って言いたがると思うよ。罪悪感まで引き受ける勇気はない、だけど、生殺与奪権は欲しい。そういう人が増えたら、日本でも、違った形で虐殺は起きると思う。権力に「ぜんぶ任せるから、殺しといて」って依頼心は、すでに、この国にあるわけだから。


昨日、『痴漢被害根絶のため車内防犯カメラの設置と学校での性暴力対策教育を求めます』という署名の回答が、JR西日本から来たわけですけど()。
何の成果もないから関心が低いのは分かるけど、こんな気の長い話より、「痴漢が捕まって、顔も名前もさらされて一生苦しむ」って有り様を、みんな早く見たがってるじゃなかろうか……?って気がしてしまう。あのね、何より怖ろしいのは「法を最大限に活用して、フェアに、潔く戦ってみせよう」なんて、誰も考えてないんじゃないか?ってことなんです。

性犯罪者を憎む気持ちを理解したい、でもだからこそ、社会の真ん中を走るルートを使って、法治国家にふさわしい形で無念を晴らしましょうよ。こちら側だけでも、きちっと筋道を通しましょうよ。そう考えるから、僕は顔と名前を出して行動できるんですよ。
だけど、誰も僕のあとに着いてこないのは、「コイツのやってることは回りくどい」ってことなんでしょう。驚くほど、みんな社会に要望を通す手続きを知らない、関心がないんです。
(だから、僕が「児童ポルノ」規制法に疑問を呈している件も「えっ、こんな自由自在に男どもを処罰できる便利な法律なのに、なんで?」とか思われていそう。皆さん、児ポ法の話題だけは綺麗に避けて通るから。)

だからね、やっぱり『アクト・オブ・キリング』を見てほしいんです。今の日本人は、罪悪感が足りなすぎです。ちょっとぐらい法的に間違えていても、私の気が晴れるんなら、誰をどう罰してもいいと思っている。「何が人権だ、二言目には人権だよ」って、虐殺者だった老人が、映画の中で言うんです。「自分の気にくわない相手の人権はなくてもいいよ」って、そう思ってない?

僕は、内乱とか戦争とか虐殺の起きる因子は、今の日本に明確にあると思う。ヘイトスピーチなどの見えやすいものより、一見リベラルそうな人の秘めている爆発的な攻撃性や人権への無頓着さのほうが、よっぽど怖いじゃないですか。

(C)Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012

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2015年3月22日 (日)

■0322■

毎日毎日毎日、朝起きたら原稿を書いて、昼間に買い物へ行ったとしても、夜はまた眠くなるまで原稿を書いて……という生活。どんな最悪でも、来月のギリシャ旅行までには、すべて終わらせないといけないからね。

でも、夜中まで原稿をやってるお陰で、『Gのレコンギスタ』第25話も、リアルタイムで見られました。
8hdn9mfzbガンダムではおなじみの大気圏突入シーケンスだけど、モビルスーツの組み合わせで、突入システムは3パターン、ドラマも三つ並行ですからね。普通、こんなめんどくさいこと、避けるだろうに。70歳をすぎて、こんなに伸びる演出家も珍しいでしょう。
しかも、第22話から始まったマスク大尉とマニィの関係が、どんどん予想を裏切っていく。「ベルリと仲良くしてください」どころか、ベルリに「マスクのために負けてやって」だからね。予定調和にしない。次への期待と不安をキープしつづける。
もう1クールやれそうな密度なんだけど、あと一話で終わってしまう。息切れしてないのも、すごい。信念のある仕事に接していると、元気になれるね。

あと、マニィ役の高垣彩陽が大気圏突入のとき、「いきます!」と腹から声を出していて、とても良かった。女性声優に、うわっつらの可愛い声を出させないのがいい。おかげで、完全にロマンスの主役、他の女性キャラたちを出し抜いてしまった。
ステア役のミシェル・ユミコ・ペインにも見せ場があったし、浅沼晋太郎というキャスティングにも驚いた。声の競演という面でも実り豊かな作品になった。音響監督は、木村絵里子さん。いつかインタビューしたい人だ。


Amazonが、「児童ポルノ」を流通させた件で、なぜか関連会社の派遣社員が書類送検されてしまった。その派遣社員は、また仕事を求めて苦しい生活を強いられることになるだろう。Twitterでは、さすがに疑問の声があがっている。
過去に出されたヌード写真集が「児童ポルノ」だとするなら、写真集の撮影も出版も、すべて犯罪行為なはずだし、モデルとなった児童は人権を侵害されてるはず。流通に関与した末端の人間だけ書類送検して、それで被害にあった(はずの)児童は救われたんだろうか?

もうひとつ、深夜の駅前で酔いつぶれたサラリーマンを盗撮している写真家がいる。
これがもし、スーツ姿のサラリーマンではなく女性だったら、間違いなく攻撃されていたと思う。サラリーマンだったら人権無視して笑ってもいい、「私の嫌いな男どもには人権なんてない」「盗撮写真ぐらい我慢しなさい」という雑な意識でいるから、女性や子どもの人権も、自然と守られなくなっていく。「女性や子どもの人権は尊いが、サラリーマンの人権は剥奪してもよい」などと、虫のいいことを考えてやしないか。

どんな汚い、醜い人間にも人権はある。「人を殺したからって、加害者の人権が消えてなくなるわけではないんです」と、母が殺されたとき、何人かの人から言われた。くやしいけど、その通りなんだ。
憎い相手の人権も認める。その見地から初めて、女性や子どもの人権を守れるのだと思う。……が、Twitterで炎上に加担しているような人たちには、そんな話すら通じない。彼らは単に、「誰かに罰を与えたい、懲らしめてやりたい」欲望を我慢できないだけだから。


すべてバカバカしく、「社会など、腐るところまで腐れ」という気分にさせられるのは、こういうときだ。
気をつけないと。
Change.org主催の「社会を変える第一歩を学ぼう」に応募して、チケット代も払ったのだが、この時期に三時間半もとられるのは、ちょっとキツい。

(C)創通・サンライズ・MBS 

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2015年3月18日 (水)

■0318■

引っ越しました。三鷹駅前へ戻ってきました。
僕は早死にすると思うので、終の住処になるかも知れない。


日曜日の夜は、渋谷アップリンクで公開中の【ら】のトークショーで、司会。
11033037_1583486131909865_139820955ゲストは、小澤雅人監督。同じ性暴力を映画のテーマにしていても、にぎやかな水井真季監督とは別世界の人のように泰然自若。小澤監督が準備中の『月光』のプロデューサーも来てらして、帰りに軽く酒。

プロデューサー氏は、僕と同世代なのに、いい意味で野心にギラギラしている。最前線にいる感じがする。
僕は、へんに心が静かになってしまった。若いころの夢は大きかったけど、夢が覚めるとき、潮が引くように心が平滑になってしまった。一度、大きくあきらめてしまうと、失うことは怖くなくなる。
「残された自分に出来ることのみやっていこう」「求められることだけをやっていこう」と思った。おそらく、一割でも夢がかなっていたら、残りの九割を手に入れるため、飢餓の人生になっていただろうと思う。


一晩、ネットが使えなかったので、『Gのレコンギスタ』第24話を見返していた。
この一話だけで、富野演出の集大成、バッテリー満タンの仕事を見せてもらったと感じる。『Gレコ』はデジタル・エフェクトの見本市だけど、七色のバリアを張りながら樹木状のビームを撃つなんて、世界中の誰も考えつかないだろう。GセルフのコピペシールドやGアルケインのフルドレス、もう少し早く出していれば注目度も変わっただろうに。どちらも秀逸なアイデア。特に、フルドレスのプラモデルは今から出しても遅くはない(変形用に取って付けたような翼状のスカートは、あのモビルスーツの欠点だった。商品としては変形を殺すことになるが、フルドレスこそがアルケイン本来の姿だろう)。

「フルドレスって、まぶしいんだから!」「コピペシールド、いけるよね?」と、セリフで機能を印象づけるのも上手い。富野さんのコンテを見ると、戦闘シーンのカメラワークの指示が非常に細かい。作画に頼ってない。35年前のガンダムから、むしろメカ演出は進化しているのではないかと思わされる。

それにしても、「地球に降りることが優先」とするドレット将軍と「ドレット艦隊を地球に降ろす」と考えていたグシオン総監、双方の歩み寄りをめちゃくちゃにしたのはキャピタル・アーミィだったのだなあ……信仰によってタブーが守られていた時代が終わっていく、意外と暗い物語なのかも知れない。


昨夜、新しいマンションで業者の人たちと引っ越し作業をしていると、通りがかりの人が「ご苦労様です」と、和やかに声をかけてくれた。
たまに、自分の足音から電車の音、さまざまな雑音が音楽のように調和して聞こえることがある。ドキュメンタリー映画を繰り返し見ていると、あたかも事前に計算された音声や効果音で構成されているように見えてくることがあるが、その感覚に近い。
この世界が、シナリオどおり、すべて順調に進行しているかに感じられる。その不思議なリズム感は、どこか懐かしい。だが、いつどこで見聞きしたのか、どうしても思い出せない。

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2015年3月14日 (土)

■0314■

『Gのレコンギスタ』第24話。残り二話で、この消化ペースは、さすがベテラン。「権力者になりそうなベルリを憎むマスク大尉が、どうやってベルリと友だちになれるか?」という、シンプルな方向性が浮かび上がってきた。
Nj0hudndhあと、生きていても仕方のない大人は、さっさと殺す。その辺、最近の富野由悠季さんは分かりやすい。昔の作品では「こんないい人、将来のある人をどうして殺すの?」という理不尽を感じていたけど、ここ二話で死んでいる人たちは救えない人たちばかりだから。嫌な気持ちはしない。
ただ、スルガン総監の死に方とアイーダの反応は生々しくて、とても見事な演出だけど、見たくはなかった。アイーダが空気もれを防いで救ったと思ったら、別の窓から宇宙へ吸い出されていた……という、彼女の迂闊さが招いた死に見える。そこは、ちょっと意地悪。だけど、あの気まずさは『ハート・ロッカー』などの現代の戦争を描いた映画に見るリアリティで、富野さん、そこは勉強なさったんだと思う。

いい加減、「首が吹っ飛びました。どうです、過激でしょう?」というのは卒業したいよね。いまだにそういう演出をやっている富野さんを、見たくはないでしょう。作家は進化するんです。あの歳で向上心を失わないって、驚異的だと思います。ハングリーです。

(実は仕事で関わることになったので、絵コンテを見せていただいた。それぞれのキャラクターに関して、一言二言ずつ富野さんのメモが書いてあって、その言葉の優しさにジーンとしてしまった。
Gセルフがアサルトパックで狙撃するとき、カメラが各モビルスーツをPANして、名前のないキャラクターまでもが「よく狙え!」「私がついてる!」って声をかけて元気づけるでしょ? 『Gレコ』ってそういう作品なんですよ。)


作品のスタッフの方から紹介していただいた、宮城県の復興情報発信アニメーション『今、ふたりの道』()。自治体のつくったアニメなんだけど、サラッと現状を描いていて、けっこう良い。本当に「情報発信」であって、感情的ではない。
津波のシーンをかなりリアルにやっているけど、「アニメなら生々しさを希釈できるのでは?」と狙ってやったのだそうです。セル画の質感だと、フィルターがかかる。現実を直視しないですむ。だけど、描きたいものだけ取捨選択している分、描かれてないものを「なぜ描かなかったのか」気になる。ネガとポジみたいな関係がひそんでいる。実写映画だと、すべてポジだから疲れるんだろうな。

昨日、アニメ会社に取材して、一昨日が児童虐待の講演でしょ。さすがに、人と会いつづけるのがしんどくなった。引っ越し準備も原稿もあるから、二時間の映画をレンタルして見ている余裕はない。そういうとき、30分のアニメって、ちょうどいい。
人と会っていてしんどいなんて、今までにない経験なんだけどね。ドキュメンタリー映画『フタバから遠く離れて』をケーブルテレビで見たけど、あれも辛かった。


それなのに、明日の夜はイベントの司会です。
“小澤雅人監督(「風切羽」)×廣田恵介(映画ライター)×水井真希監督 性虐待や性暴力、「児童ポルノ」とは何か、更にクリエイターと「表現規制」について”(
渋谷アップリンクにて、映画【ら】上映20:30~、トークイベント21:45~の予定。

このトークのテーマは、監督が水井真希監督が決めたと思うんだけどね。「終わったら、朝まで飲みましょう」なんて話もあったんだけど、そういうことも無さそうです。

(C)創通・サンライズ・MBS

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2015年3月12日 (木)

■0312■

社会や家庭の闇で多発する性暴力や虐待を真正面から描く映画『月光』、その『月光』を勝手に応援するサイトのポッドキャストに出演しました。⇒
滑舌が悪くて、自分でも聞きづらいですけどね。まだ撮影も始まってない映画なので、応援というよりは、自分の来し方を振り返るような内容になりました。かつて関わった映画脚本のこと、『マイマイ新子と千年の魔法』、母親の死、東日本大震災と原発事故……。

2011年は、福島県いわき市に救援物資を運ぶのを手伝ったり、同地で『マイマイ新子』の上映会をやったりする一方、反原発活動にも積極的に参加した。
Friendsafter311_large日本映画専門チャンネルの「24時間岩井俊二映画祭presentsマイリトル映画祭」で、初めて『friends after 3.11【劇場版】』を見た。あの当時、僕が支持していた人たちばかり出てくるので、恥ずかしかった。自分がどう見えていたのか、今あらためて見せつけられたような。
あの一年間が最も幸せだったんじゃないか、後からそう思い返すことになるんじゃないか、と漠然と感じていた。その通りになった気がする。
何かを盲目的に信じて、毎日その何かに祈りをささげて寝起きする方が、ずっと楽なんだ。


あるいは、誰かを蔑み、誰かを無限に罰することで自分の正義を実感できるのなら。
多くの日本人は、子ども時代の復讐をやっている。同い年で並べられ、「こいつの出来ることが、なぜお前に出来ないんだ?」と、義務教育でコンプレックスを植えつけられた。だから、減点法が好きなんだよね。「残念でした、不合格です」って、毎日のように大人たちに烙印を押されつづけたから。同じことを、誰かにしてやりたいわけだ。

Twitterをやっていると、敵・味方のカードを出したり引っ込めたりしながら、いかに自分が攻撃されずに一方的な正義を主張できるか、陣取り合戦に参加している気分になる。
スマホやPCの前から指先ひとつで、どこかの誰かを「ハイ、あなた失格」とやりこめたい人たちばかり。本来対峙すべき相手と会ってやろう、話してやろうという人は珍しい。みんな、怒りの矛先を「叩いても安全な誰か」に向けている。

あるいは、誰かが動くのを待って、動いた瞬間に「ハイ、失格」と言いたい。自分が無条件に優位に立つことを「権利」だと思っている。自分の大嫌いな相手にも権利があるのだ、と認めたくない。それぐらい雑で粗暴な考えを、みんな心の隅っこに抱えている。
そのずるさを、恥とも思わなくなったのですよ。2011年以降の大人たちは。


「できることなら、繊細な感性を弄んで一生を終わりたい」(押井守)、そうやって死ねたら、どんなに幸福か。だから、僕がちょっと無理をしてでも海外旅行するようになったのは、窒息しそうだから。海外なら、僕のことなんて誰も知らないから。せいぜい、「変なアジア人が歩いてるな」ぐらいにしか思われない。すごく楽。

今日は、「社会福祉法人 子どもの虐待防止センター」主催の小さな講演会に行ってきた。文京区で小児科医をやっている先生の子育て話だったけど、心が広くて、ユーモアもある。とても勉強になった。こういう場所に集まる人たちは児童と接している職業の人が多いんだけど、礼儀正しくて、敷居も低い。ホッとできる時間だった。
……でも、こうやって書いてみて分かったけど、僕も安住の地を求めてるんだよ。自由に、のびのび生きたい。ひっそりと、好きな趣味だけに囲まれて隠遁したい。それで十分に幸せだったはずなんだよ。明らかに、2011年以降、迷走している。

(C)「friends after 3.11 劇場版」製作委員会

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2015年3月10日 (火)

■0310■

ムービープラスで、『ジャッキー・ブラウン』。途中から録画しはじめて、まだ見終わっていない。
Bwe2ac3iqaa5vz8jpglarge前半でドジを踏みまくった挙句、撃ち殺されてしまうロバート・デ・ニーロが、徹底的なダメ男を演じている。彼のダメさは、サミュエル・L・ジャクソンに事の顛末を説明するシーンで分かる。ジャクソンは、自分の金を失ったのでイライラしている。デ・ニーロに責任があるのだが、彼は「順を追って話す」。それが人をイライラさせるのだ。大事な話は、要点、結論をビシッと最初に言わないとダメ。

タランティーノは、こういう脚本が上手い。勉強になる。なので、ちょっとずつ見ている。


原稿を回しながら、引っ越し準備を進めている。いろいろな業者とやりとりしている。

いま驚いているのは、廃品回収業者。まず、「回収に来る」と約束した時間にこない。ドタキャンである。僕はその後、打ち合わせがあったので出かけたが、気がつかないうちに、携帯に着信履歴が残っていた。その業者のものだと思うが、約束の時間から3時間ほど経過している。
そちらとは早々と縁を切って、地元の別の回収業者にメールしてみた。即座に返信があった。

僕らの業界でもそうだが、レスポンスの早い人は、まず信用できる。原稿を送っても、「受け取りました、今から確認します」と一言でも返信がくると、安心できる。
フリーランスの仕事は、スケジュール管理に始まり、スケジュール管理に終わる。時間感覚を共有できない人とは、仕事が成立しない。「今日できなかったら、明日まで延ばせばいいだろう……」と、曖昧な感覚ですごしている人とは、どうしても話がかみ合わない。
(最初に、「ケツは○日です」と言ってくれると、丸一週間、連絡がなかったとしても、長期のスケジュールに組み入れてあるから対応できる。その一週間は、短期の仕事を各個に片付けていけばいいわけだ。)


ケーブルTVの契約更新に来たのは、学生かと思うほど若い女性だった。
僕は相手を緊張させないように、原稿を手直ししていた。仕事とはいえ、独身中年の部屋に入るのは嬉しくないだろう。
「しかし、これはイカン」と思ったのは、自分の会社に電話するとき、「ねえねえ、いまお客さんの部屋なんだけど、○○って確認できる?」と同僚にタメ口で話してしまうところ。お客の前だったら、いくら仲のいい同僚とでも、敬語でやりとりしないと。
だけど、それはいずれ誰かが注意するので、僕は苦笑しながら契約を更新した。相手が年下の女性だからって、タメ口なんてきかない。ちゃんと敬語で話すこと。とどこおりなく、工事のスケジュールが組めたのだから。

老若男女、誰だってイヤな思いをして暮らしているのだから、ちょっとすれ違う程度の相手にこそ、笑顔で接する。お礼をいう。ケチらない。

(C) 1997Mighty Mighty Afrodite Productions, Inc.

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2015年3月 7日 (土)

■0307■

『Gのレコンギスタ』第23話。どうしてもリアルタイムで見たくなって、夜更かし。
Yyibcgrqrあいかわらず勢力図は難解だが、その分、各勢力の寄り合い所帯であるメガファウナの独立性が、すがすがしく立ち上がってくる。
「メガファウナという、海賊船の一員のままでいいです」
「なんでそういう、面倒な言い方をするのだ」
「アメリアの……というのではなくて、誰かさんの命令に従いたくないのです」
これ、70過ぎのおじいちゃんの書いた脚本だからね。大人を肯定しないのよ。子どもたちの側に立つのよ、73歳。逆立ちしても、かなわない。アイーダが、育ての父から離れていく。敵対する勢力同士の子どもたちが、大人の思惑を乗りこえていく。スタートラインに、立っていく。

メガファアナ甲板上の、アメリア製のGアルケイン、トワサンガ製のGセルフ、ビーナス・グロゥブ製のGルシファー……という並びも綺麗。Gルシファーをラスボスっぽく告知しておいて、実は女子2人用に使うという外し方も上手い。メカのキャラづけは、もっと誉められてもいいと思う。
最終話『大地に立つ』まで、僕はもう、ジェットコースターに乗った気分。元気で貪欲で、高潔な作品。反権力、脱中心、だけど人間に絶望してないんですよ。


今日、小澤雅人監督の映画『月光』の応援ポッドキャストの収録だったんですけど。20分×4本という、大長編になってしまった。
本番ではそんなに話してないんだけど、『児童ポルノではなく、性虐待記録物と呼んでください』ポストカードがあったので、児童ポルノ法の何が問題なのか話したら、とてもよく理解してもらえた。実は、児童福祉周りで働いてらっしゃる方も、児童ポルノ法をめぐって何が起きているのか、ほとんど把握してらっしゃらない。そういうことは会って話してみないと、分からない。会って話せば、腹も立たない。

山田太郎議員の『さんちゃんねる』の文字起こしをしてらっしゃる方がいる ()。
表現規制に反対する人たちからは、こういう人材が新たに出てくるから頼もしい。ちょっと、以下に引用させてください。発言は、山田議員のもの。

「つまり今の、新しいポルノ改正法の規制案だったとしても、規制法にしても、モザイクをかけたりだとか、虐待されてるのに性器の部分だとかエロイ部分が写っていなければ、実は流通してもOKと、変な話なんだけど僕は局部を隠すことよりも顔を隠してあげたことのほうが、その人の人権を守ってると思うんだよね。」
「つまり虐待をされていても、つまり虐待を防止できないんです。虐待された事実を防御できないってのが今回の児童ポルノ規制法の欠陥。」

性虐待されている児童の顔写真は、「児童ポルノではないから」という理由で、取り締まることが出来ない。すさまじい人権蹂躙だと思うんだけど、山田議員以外、ほとんど誰も何も言わない。「児童ポルノ法は、エッチなアイドルDVDを規制してくれるからオッケー」とか思っている。性虐待されている写真は、エッチじゃなくても止めないとダメでしょう? みんな何とも思ってない様子なので、山田議員にメールして「何とか止めたい」と伝えてある。

で、「ポルノ」を禁止したければ、刑法175条でやろう。バカじゃないなら、大人ならば、それぐらいの使い分けできるだろうに。


IT業界で最強に困る無理難題は一体なにか!?(
「俺は今すぐ完了させられないが、お前は今すぐ完了するのが当然。ITなんだから当然できるだろ?」……フリーライターも、しばしば似たような扱いを受けます。

(C)創通・サンライズ・MBS

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2015年3月 5日 (木)

■0305■

昨日、『痴漢被害根絶のため、「車内防犯カメラの設置」と「学校での性暴力対策教育」を求めます。』署名()の提出のため、文部科学省へ行ってきました。
Dsc_1972結果から言うと、文科省には受け取ってもらえませんでした。「性暴力」と「性教育」は担当部署が違うとかで、どこが受け取るべきか分からない……とのことです。「痴漢被害の署名」と言ったときも、首をかしげるような態度で、もし「義務教育で性犯罪について教える」こと自体にピンときてないようだったら、道は長いと感じました。

もうひとつ、いかにもお役所だと思ったのは、受付で「どの部署に行くべきか」問い合わせてもらっているうち、「文科省の代表に電話してください」と言われたこと。「え? ここ、文科省ですよね?」「はい」「文科省のロビーから、文科省の代表に電話するんですか?」
やむなく電話すると、待ち時間だけで10分ぐらいかかって、結局、どこに提出するか分からない。帰宅してから再度電話し、「おそらく保健指導係」と聞いたので、そこ宛てに郵送しました。直接行ったら、また「ウチじゃない」「電話して」と言われるからです。


もう一箇所、JR東日本へも行きました(他のJR各社へは郵送で提出)。
こちらは、ロビーに「サービス品質改革部」の社員の方、男女二名が降りてきてくださり、会議室で署名の要請内容を話しました。ちゃんとメモして、「お客様の声として記録する」と言ってくれたのですが、署名簿は受け取ってくれません。社内の決まりだそうです。「個人の集めた署名は受け取れない」とのことです。「では、団体だったら受け取ってくれるのですか?」と聞くと、団体が署名を持ってきたことはないそうです。

なので、JR東日本へ提出予定だった署名簿は、日本民営鉄道協会へ郵送しようと思います。この数時間の行動は、すべて空振りに終わったわけですが、実際に人と会って話すと、「答え」は得られなくても、肌触りとしての「情報」を得られます。たとえば、文科省は人を待たせても平気、自分たちの休み時間が最優先(態度がソワソワしてるのが分かる)。JR東日本は、飽くまでもこちらを「お客様」と扱うので、対応はソフトだが、「社会問題をともに解決する」という姿勢ではなく、あくまで「サービスの向上」が目的……など。

意見を言いたい「相手」に対面するのは、経験として身体に残ります。


防犯カメラも、性犯罪を防ぐ教育も、いずれにしても時間のかかる案件だと思います。そこFlxhfで、新学期が始まる頃に、『痴漢犯罪をおかすと、○○罪に問われます』といった文言を書いたステッカーを作ろうと思います。
しかし、ステッカーが出来てから「そんなもの配るな」と警察から道路使用許可が下りなかったら意味がないので、デザイン段階で警察に見せに行こうと思います。

配布するときは、ひとりでやります。本当は女性が配ったほうが効果的とは思うけど、「誰かボランティアに来ませんか?」とは呼びかけません。だって、誰も来なかったときのダメージがでかいですから。
表現規制反対の活動をしていたときも同じだったけど、何もしない人ほど、「こうすればいいのに、何でやんないの?」「俺だったらこうするんだけどなあ……」と、理想を描きがちなんですよ。「じゃあ、あなたの思ったとおりに、あなたが実際にやればいいじゃん?」と思うんだけど、「ネットで他人を批判すること」を「活動」と呼んでいる人もいるぐらいなので。

ボランティアでステッカーをデザインしてくれたり、署名簿を刷ってくれる友人はいます。彼らは、決してネットでぼやいたりしません。行動あるのみです。
だったら

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2015年3月 1日 (日)

■0301■

アキバ総研 【懐かしアニメ回顧録第3回】セルアニメ版「アップルシード」。唯一の実写映像付きOVA!!

さて、第3回ですが、どうでしょうか。誰もが心からガッカリしたOVA版『アップルシード』です。あの、ぜんぜん見たこともないキャラが出てきて「うわ、どうしちゃったのコレ?」って、悪い意味で驚くセルアニメ版ね。
前回が『プラトニックチェーン』だったので、何となく方向性が見えてきたでしょ? そうでもない? 懐かしアニメというより、「あんまりよく覚えてないアニメ」再評価です。この連載は。


『Gのレコンギスタ』第22話「地球圏再会」、良かった。

月のコロニーで、自分の生家を見てきたベルリが、育ての母と再会する。もちろん会話はかみ合わないが、母に抱きしめられたベルリをゆっくりとPANするカットが残酷なようでいて、ベルリの心情に寄り添うような手つきで、ゾッとするほど上手い。殺伐と哀しくもあり、なぜか少し嬉しくもある……その繊細なあわいを描き出すのが、演出の役割だと思う。

もうひとつ、記憶喪失になったのか人格改造されたのか、まるっきり説明されていなかったPxkyf4hz0 マスク(ルイン)と、彼を慕いつづけたマニィの再会。マニィは敵と見なされつつも、発光信号で「ルイン」と、マスクの本名を伝える。すると、マスクはマニィを「圧倒的な味方」と呼ぶんだよね。論理的整合性はない、説明されないんだけど、だから泣けるんだろうな。
いくら言葉にしても伝えられない矛盾や苛立ちを、「ルイン」という名前で、しかも信号にして伝えたから、だから伝わった。どの組織がどういう思惑で動いて……とか、もう関係ない。富野おじいちゃんは、頑張って伝えたかったんだな。生きているうちに、知っていることすべて。「お前さん方、誰かにとって、圧倒的な味方になれよ!」って。確かに、これはオジサン向けではない。


そうして再会できたマニィとマスクが抱き合っている横で、マスクの右腕だったバララが、私は何も気にしてませんよって顔で、ひとりで伸びをしている。だけど、マスクの前を去るとき、バララは自分のヘルメットを、彼から乱暴にひったくってるんだよね。しかも、その芝居はフレームの外でやっている。カメラが撮ったのは、バララの背中だけだった。それがまた、寂しくていい。

パイロットたちが雑魚寝しているシーンの次に、ブリッジで仕事している人たちが映る。誰かが寝てるときは、誰かが仕事している。フレームの外で、いつも必ず誰かが生きている。そう考えると、実は主人公たちの人生の晴れ舞台ってのは、この全26話には入ってないような気がする。シリーズの前後に広がってるんだ。
組織の中であれこれ争っている大人たちを見限って、子どもたちが「……行こう」と冷めてしまう。もう、大人たちの人生は終わっているから。彼らは、子どもたちを支配できない。世界は、フレームに収まらないほど大きかった。それが、富野おじいちゃんの生きてきた実感なんじゃない? とても誠実だし、スケールの大きな作品だと思う。

(C)創通・サンライズ・MBS

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