2014年9月15日 (月)

■0915■

友だちが薦めてくれた『幸せへのキセキ』を、レンタルで。
1339159563_photo有名なコラムニストだった男が、長年の仕事を辞めて、二人の子供たちのために郊外に家を買う。ところが、その家は、廃業した動物園の一部だったため、主人公は心機一転、動物園の経営に乗り出す……という壮大なホラ話だと思っていたら、なんと実話。

そして、監督は『バニラ・スカイ』『あの頃ペニー・レインと』のキャメロン・クロウじゃないか。道理で、女優を撮るのが上手いわけだ。
そうは言っても、登場人物たちはカリカチュアライズされて、おそらくリアリティはないだろうと思うよ。だけど、僕は途中から涙腺がゆるみっぱなしだった。
それは、友だちが、今の僕の精神状態を想像して、「お前、がんばれよ」って意味で薦めてくれた映画だから。それに気がついたあたりから、ひさびさに映画を見ながら泣きました。

映画が優れているから、泣くんじゃないんですよ。その映画と僕との「関係」に泣くんですよ。


僕がライターをやってこられたのは、取材対象に対して感動するからです。

例えば、ちょっと前に、岡本太郎記念館で、海洋堂の宮脇専務と平野暁臣館長の対談があったんです。
宮脇専務は万博世代で、岡本太郎の作品も大好き。だけど、平野館長はフィギュアとかガシャポンには懐疑的だったんだそうです。では、どうやって二人の間に信頼関係が生まれていったのか……というお話が、身を乗り出すほど面白い、興奮しました。
平野さんという人は今まで知らなかった方だけど、50代半ばで、こんなにエネルギッシュで正直で、全身を使って感情をあらわすことが出来るなんて、本当に素晴らしい。
そして、平野さんのむき出しの情熱に胸打たれている自分を、誇らしいとさえ思えた。

そこでね、「いやあ、面白かったな!」「熱い魂をもった人に出会えたな!」と思えるから、記事を書けるわけです。「編集部のオーダーがこうだから、こういう構成でサクッとまとめて……」とか、そんなのは後でいいんです。プロだから、そういう計算もするんだけど、まずは「面白い!」とハートに来なければダメですよ。どんなに若くても、ベテランであっても、心から「面白い!」と思えない人には、この仕事は向いてません。


また別の日、若い編集者に「僕は廣田さんのような生き方は決して出来ないけど、だからこそ、一緒に仕事がしたい」と言われた。だったら、もっと仕事をくれよって話だけど。
でも、本気の人が少ないのは事実。周囲のオーダーだけで動いて、思ってもないことを書き捨てて、「ハイ、できました」って人ばかりだから。「本当に、心から思ったことだけを書くんだ」って人は、ほとんどいない。勇気がないんですよ、みんな。

10年ぐらい仕事を見てきて、「なんか表面的なことばかり言ってるなあ」って人に、中身なんかないんです。最近、ようやく気がついたことだけど。
本人も「いつかは、本気で書くぞ」と思っているかも知れないけど、そうやって先のばしにしている時点で、すでに本気じゃないです。本気じゃないほうが仕事が回ってくるのは、日本全体が「まあまあ、ほどほどのところで上手くやってきましょうや」って臆病なシステムで動いているからです。そのシステムに適当に合わせていた方が、無難な人生を送れる。

僕は、40年生きてきた人間には責任があると思っている。その責任とは、自分より年下の人間に「大丈夫、勇気を示せば、絶対に報われるぞ」って希望を示すことです。

(C) 2012 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.

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2014年9月12日 (金)

■0912■

レンタルで、『LIFE!』を借りて見る。
Sub2_vv235_large公開中は興味がわかなかったのだが、あるサラリーマンのブログに「どうしても見なければならない気持ちがわきおこり、日曜の夕方に、ひとりで見に行った。翌日、仕事をかんばろうという気持ちになれた」という紹介のされ方をしていて、そのことを、やはりサラリーマンの友人に話したら「分かる!」との返事であった。
僕は倦怠するほど長くサラリーマン生活を経験したわけではないけど、映画を見ることで、自分と異なる人生観を垣間見ることができるのは、楽しいものだ。
(もっとも、僕の友人のほうは『ライフ・オブ・パイ』のVFXチームが参加しているから……という理由で見たのだそうだ。僕は、友人から薦められた映画は、ほぼ例外なく見る。)

地味なサラリーマンが、自分の仕事をつきつめた果てに、地球を半周するほどの冒険的な人生を経験する。それまでの彼には空想癖があり、その空想シーンがVFXで再現されているわけだ。
ただ、旅立った後に、彼が現実に経験しているはずの世界旅行も、時間経過や実現性を無視した空想的なものとして描かれている。不思議なもので、『ライフ・オブ・パイ』の冒険のほうが「確かに、このような事実があったのだ」という印象を残す。僕らが日々接している現実に対する謙虚さが、映像の裏側に透いて見えるようなら、そこにはリアリティが息づいている。

例えば、どんな優れた小説でも、その本質はインクの染みである。
映画となると、さらに機械や機能がむき出しになる。映画はメカニックに過ぎない。そこに文学の香りが立ち込めるのはなぜなのか、考えつづける価値がある。


昨夜は、ニコ生の【エロ漫画規制は是か非か? 公開生討論】をご覧いただき、ありがとうございしまた。プレミアム会員なら、まだ見られると思います。

予想以上に、議論が脱線を重ねてしまい、コメント欄には「早く話もどせよ」「反対派も発言しろよ」「その話は、もういいんだよ」「ちゃんとコメント欄も見ろよ」「こんな議論、延長しても無駄だろ」……現場では、一人三役ぐらいやっていた気がしますが、キャパオーバーでした。ごめんなさい。

これでもう、準備の必要な大きな活動は終えて、あとはメールやハガキで出来ることだけやろうと思っているんですけどね……。それだったら、もっと上手く終わらせたかった。
ちなみに、僕が「消える」と言っているのは、別に「悪口を言われて、疲れた」などの精神的な理由ではありません。ネットから消えるのが早いのか、この世から消えるのが早いのか。意外と、ずるずる何年間も、ブログを書きつづけていたりするのか。それは、まだ分かりません。


母の遺骨は、屋久島に住む友達のご両親が作ってくれた、華やかな箱の中に収められている。母の弟さんは「姉は、いちばん安心できる場所にいるのですね」と言ってくださった。
さて、それもそろそろ、井の頭公園あたりに埋めるべきなのかしら……と、考えはじめている。

あの事件で、僕が本当に後悔しているのは、母を守れなかったこと。
母を父から引き離して、何とか事態を収束させようとしていたなら、僕は10歳分ぐらいは歳をとっていただろう。そして、今も苦労していただろうと思う。
だが、僕は事件を防げなかった。そこから先の人生を、僕は「付け足し」「オマケ」のように感じている。そのオマケが長いのか短いのか、今はまだ分からない。


(いつも紹介しそびれてしまう「Takaの旅行記」()。中学教師の方が、世界中を旅して回っているのだが、「○○を見るために来た」と言いながら、急に予定を変えたり、バスを乗り間違えたり、アバウトな性格が出ていて楽しい。いまどき、ブログではなくHPという点もよい。)

(C)2013 Twentieth Century Fox Film Corporation All Rights Reserved.

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2014年9月 8日 (月)

■0908■

前回の日記は、少しだけ愚痴るつもりが長くなってしまい、意外な反響の大きさに戸惑っています。
読んでくださった人の分だけ、「児童への性虐待」への関心が広がるといいな、と思いました。僕ひとりが騒いでも意味がありません。「性虐待などできないように、大人たちの意識を高める」以外、道はないと思います。

少しでも興味をもっていただけたら、『沈黙をやぶって―子ども時代に性暴力を受けた女性たちの証言 心を癒す教本(ヒーリングマニュアル)』()が、古本で一円で買えますので、読んでみてください。
出版当時、18歳だという高校生の手記もあれば、驚いたことに終戦直後の話も出てきます(つまり、証言者は70歳すぎのお婆さんです。性虐待が何十年も、死ぬまで心に影響を及ぼすことが分かります)。
「子どもに性虐待を行うのは、父親や教師が多い」と聞いたときは驚いたものですが、この本は、通り魔の犯罪にも触れているので、ある種の公平性が保たれていると思います。

森田ゆりさんの本は一般向けですが、もっと専門的な本を読むべきです……と、僕はTwitterを通じてアドバイスされました。
よくよく聞くと、その方も、幼い頃に性虐待を受けたのだそうです。
僕は、そういう方を晒しものにしたくありません。しかし、もし僕が黙ってネットから消えてしまったとしても、皆さんは「性虐待を受けて、今もつらい思いをしている男女が、すぐ隣にいるかも知れない」と意識してほしい(そのためにも、本を読んだり、人の話を聞いたり、考えるための「根拠」が必要です。「性虐待と言ったって、しょせんこの程度のものだろう」と頭だけで考えている人が、まだまだ多いと感じます)。

もし、僕が黙り込んだり、急に消え去ったりしたとしても、「性虐待」という理不尽で不可解な暴力について、話しつづけてほしい。常に話題にのぼっていることが、「性虐待」を抑止するものと信じます。


なぜ、ここまで熱心に訴えるのか、さぞかし不気味に思われていると思います。
もともと、僕は美少女フィギュアなどの創作物が、「児童ポルノ」と呼ばれて規制されている実態を知り、「その呼び方は、あまりにも不自然ではないか」と気がつきました。
それ以前に、法学者の園田寿教授が“やはり「児童ポルノ」という名称が誤解と議論の混乱を生んで、よろしくない。たとえば、「児童性的虐待記録物」といったような名称に改めるべきである”とおっしゃっていた()のを思い出して、そのような趣旨の署名活動を始めたわけです。

署名当初は、漫画やアニメなどの表現物を「児童ポルノ規制法」の研究に加える……という案が優勢でしたから、署名の意図は「表現物は児童性虐待記録物ではないので、それぞれ分けて考えよう」という趣旨にしました。
しかし、児童ポルノ法から、表現物の研究事項が外れたこともあり、「性虐待そのものを止めれば、おのずと性虐待記録物は生まれなくなるではないか」と、考えがシフトしました。
それから、書店で手に入る本を読んだり、児童保護活動をしている団体を回って、性虐待の実態を知るようになりました。


まだ、ぜんぜん読んでいる本の種類も少ないです。また、NPO法人へは「どうせ、こういう団体も漫画やアニメを目の敵にしているんだろう?」という偏見が、当初はありました。
しかし、「子どもへの性虐待」の不気味さ・不可解さは、本を読めば読むほど、話を聞けば聞くほど、心に染みこんでいきました。
ある女性は、「性欲が動機ではなく、子どもへの支配欲が性虐待を引き起こすのではないか」と言います。だから、社会的身分の高い男が、加害者に多いのではないか?と……。

それだけではありません。変質者による犯罪が少なくないのは、ご存知のとおりです。しかし、ニュースになるのは、通り魔的な凶悪犯罪ばかりです。
いま、平和なはずの家庭の中でひそかに行われている性虐待は、決してニュースになりません。「加害者の強いる沈黙」「被害者が守る沈黙」「社会が培養する沈黙」、性虐待を覆い隠す『沈黙の共謀』という言葉があるそうです(1978年、サンドラ・バトラー)。

僕が黙れば、あなたが黙れば、それは陰気で卑怯な『沈黙の共謀』に手を貸すことになる。それだけは、間違いありません。
日本人は、「まあまあ」と肩を叩いて、沈黙を強いるのが得意です。しかし、こんな理不尽な、「社会的・肉体的強者が弱者をなぶりものにしている」実態を知って、僕は黙っていられません。こうして公に書くことによって、どんな陰口を叩かれようとも。


本当は、まだ、こうして悠々とブログを書いていられるうちに、映画を見た感想を書き残しておきたい。
だけど、憂鬱ですね。楽しくないです。まだ仕事のあるうちに仕事に没頭して、少しでも文化に貢献したい。
まだいっぱい映画を見たいし、いろんな国へ旅行もしたい。あと一回ぐらい、真面目な恋愛もしたかった。

国会議員と、漫画・アニメファンたちによる公開討論は、11日の20時から配信です()。
この手の議論は、いったんピリオドを打つべきです。児童への性虐待を含む性暴力を止めるにはどうしたらいいのか、そろそろ社会全体で考えましょう。どう偏見をもたれようが、今夜の僕には、それしか言えません。

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2014年9月 6日 (土)

■0906■

先日、アメリカでの長期勤務から帰国したクリエイターさん(アニメ業界の方ではありません)へのインタビュー後。編集者が「いま一番、オススメのアニメ」として、『Gのレコンギスタ』を薦めていたので、すっかり嬉しくなってしまった。
Photo ただ、『G-レコ』は、僕らファースト・ガンダム世代のオジサンたちは、それぞれの立場から「支える」作品であって、僕らがメイン消費者になってしまうのは、結果的に(作品にとっても僕らにとっても)幸福ではないだろうと思っています。

僕は子供のできないまま生涯を終えそうなので、「ファースト・ガンダムを見ていた年ごろの自分(13歳)」を、勝手に『G-レコ』の視聴者だと決めつけているんだけど(笑)、その世代の子たちは、ネットゲームやLINEが楽しみなんでしょうか。
『G-レコ』のプラモデルにしても、もっと簡単に組み立てられるものが出ないものだろうか……と、オモチャ好きの編集者と話したりしています(彼は既婚者だけど、子供はいません)。

MBSでは10/2から、TBSでは10/3から放送開始です。
いずれも深夜なので、小学校高学年~中学生ぐらいの子供のいるお父さんは、録画して見せてあげてください……と、勝手な願望を書いておきます。
つまり、僕の次の次の世代のために残しておきたい(そのために具体的に何ができるのか?)と、そういう意味で発奮させてくれるアニメ作品、それが『Gのレコンギスタ』です。


来週、国会議員と一般国民が【エロ漫画規制は是か非か?】について配信をやりますけど()、表現規制以外の話題は、なかなかTwitterで触れづらくなってしまった。
「児童ポルノではなく、ちゃんと児童性虐待記録物と呼ぶべき」という主張が、「あの人はエロ漫画を保護したいだけ」と矮小化され、何をどう言っても「しょせん、自分の欲望を肯定したいだけ」と解釈する人があらわれるから。つまり、「実社会の性虐待を隠れ蓑に、過激なエロ漫画を許容している男」と、表現規制に興味のない普通の人たちまでが言い出すようになってしまった。

そればかりか、僕が(性虐待を含む)被虐待児童の保護活動をしているNPO法人に接触しているのも「実は、エロ漫画擁護が目的」などと書かれてしまい、まあようするに「児童を助けたいなんて崇高な目的で行動するオタクなど、いてたまるものか」「しょせん、オタクは自分の性欲のためにしか動かない」と、人を見下げることで安心したいのだろうね。
と同時に、「性虐待記録物に注意を向けさせることで、実はエロ漫画や低年齢アイドル、あるいは痴漢や女子高生ビジネスを見逃そうとしている」と勘ぐられても無理がないほど、盛んに活動しているように見えるらしいので、「そうまで疑うなら、いっそ何もかもやめちゃうか」と、あきらめはじめてもいる。
(「本物の痴漢が、痴漢冤罪の危機感を訴えているとき、廣田の行動動機が分かった」と勝ち誇ったようなツイートも見かけてしまい……反論する気力さえわかないよ。そうまで、人を貶めたいか……)


なので、Twitterで親や近親者から性虐待にあった人の体験や意見を読んでも、もはや無視するしかなくなってしまった。僕が性虐待についてRTすると「エロ漫画擁護のためのポーズ」と受け取られてしまうから。「エロ漫画好きのオタクが、性虐待サバイバーの人たちをダシに使っている」ように見えるなら、それこそ誰も救われない。せっかく性虐待防止に興味をもったオタクの人たちも、偏見で見られてしまうだろう。
それと、やっぱり、僕のように未婚の中年男が性虐待に興味を持つこと自体、気味悪がられるのね。フリーライターなんて職業も、怪しげだし。

だったらもう、世間で行われているであろう性虐待については口をつぐみ、性虐待サバイバーの体験談を広めることはせず、「沈黙の連鎖」(それこそが性虐待を可能にしているというのに!)に手を貸すよりない。
この社会のどこかで、いまも性虐待に苦しんでいる子たちを助けたいなら、彼らを保護するNPO法人に、黙って寄付するぐらいしか手段がない。

僕のように、雑誌に書ける人間が「沈黙」することは、加害者にとっては都合のいいこと。僕は、本当は加害者にインタビューして、告発したいぐらいなの。
だけど、そういう記事を出版できたとしても、「じゃあ、エロ漫画は罪じゃないんですか」「性虐待記録物がどうのと言っているくせに、過激なジュニアアイドルは見逃すんですか」と、僕の責任範囲だけが拡大していくんじゃないか……。


「性虐待記録物」という呼び名を広げたいのは、創作物規制と実際の性虐待・性暴力を分けて論ずるためだった。ところが、創作物を「しょせんエロ漫画」と笑う人たちが、「オタクじゃなくて近親者が性虐待してるから、オタクは無罪なんだってさ~」と無責任に発言してるのを見ると、徒労感しか感じない。
近親者だろうと通りすがりのオタクだろうと、性暴力は絶対にしてはいけない。その根本的なモラルまでもが、嘲笑と野次馬根性によって歪められてしまっている。

ネットの回線を切って、生身でできることをやるしかないんでしょうね。
今月末、性虐待サバイバーの方と会います。そのことをネットに書くかどうかは、分かりません。人と人が会って話せば、わざわざネットを媒介する必要もないからね。

(C)創通・サンライズ

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2014年9月 3日 (水)

■0903■

【エロ漫画規制は是か非か? 公開生討論】のお知らせ

来週木曜日、11日20時から、自民党の土屋正忠議員をゲストに招いて、討論会を配信いたします。
テーマは、児童ポルノ規制法の法務委員会で土屋議員が話した「犯罪を誘発するようなエロ漫画」()について。そもそも、そんな有害なエロ漫画は実在するのか? 規制する必要はあるのか?

規制反対サイドは、Twitterで募集した一般の方、3名が出席します。スケジュール調整していますので、もし欠員が生じた場合は、対応を考えます。
配信は、ニコニコ生放送の「表現の不自由」コミュニティ()から行います。


さて、今週は毎日取材か……と思いきや、ポッと時間ができたので、『Gのレコンギスタ』を見に行ってきました(パンフレットに関わった程度で、無料で招待してくれるわけではないので)。
Photo ひさびさに、「テレビまんが」を見た気分になれたけど、それは40代のノスタルジアではなく、「これから先、ジブリ作品のような古典になるかも知れないぞ?」という感触です。

たとえば、モビルスーツが進撃するのにビックリして、ジャングルの動物が擬人化された驚き方をする……という表現は、昔の『ガンダム』にあったでしょ。『ガンダム』に限らず、当時のアニメって、あんなの当たり前だったんです。いつの間にか、「シリアス物で、ああいうギャグはやめような」ってなっちゃっただけ。
『G-レコ』は「シリアスもへったくれも、誰にとっても面白くて、最終的にメッセージが伝われば、もうけものじゃん?」という緩さ。受け手も送り手も、勝手に「ギャグはギャグ物でやろうな」「シリアスなアニメで、ウンコとか出すのはやめような」って決めつけすぎじゃないかな……。

あと、ガケみたいな場所があって、そこを飛びこえるシーンが何度か出てくるけど、女の子が気合で飛びこえたり、男の子が手をのばしてギリギリで助かったり……って、こんな当たり前のハラハラドキドキを、もう、誰も恐れてやらなくなってしまった。
「宮崎アニメは、てらいもなく、ずーっとやってたよな」って程度。だけど、「落ちるかどうか」なんてシーンは、枚数かけなくても成立するでしょ。自動ドアにもたれていたら、ドアが勝手に開いてコケるとか。そんな枚数かけてやるようなシーンじゃないでしょ。
「どうです? いつもはシリアスだけど、ここだけギャグですから笑ってくださいね」ってタイミングで出すわけじゃない。『人間失格』に「人からお金を借りるときは、まず笑わせろ」って話が出てくるけど、その程度のこと。シリアスなことを語るなら、いつも笑顔でいようぜって作品です。


世の中ぜんぶ、「そういう考え方なら、○○派だよね」「□□クラスタのはず」と決めつけすぎ。『G-レコ』は、ロボットアニメではあるだろうけど、ジャンル分けしても意味がない。だって、『となりのトトロ』を「妖怪モノ」って呼ぶ人はいないでしょ。

だから、タイトルに『ガンダム』という文字は入れてほしくなかった。なぜなら、「ガンダムには興味ないから、見ない」って人たちの方が、世の中には多いような気がするからです。
もちろん、僕が「EX大衆」で特集やったように、高年齢層に向けたイベント上映では「ガンダムの富野由悠季監督、最新作です」ってアピールしないと誰も見てくれないだろうけど、それほどシビアに客を選ぶ作品ではない。僕は「ガンダムを知らない小中学生向けに、上映会やりたい」と思ってしまったほど。許されるなら、たとえ3年後、5年後でもやりたい。

だけど、作品をヒットさせる、認知させるために考える・工夫する段階では、「まずカテゴリー分け」から入っているように見える。「深夜だから、萌え要素は必須」「聖地巡礼ブームにあやかろう」とか、それで客層は絞り込まれるんだけど、それは臆病な戦法だよね。
「これは萌えアニメなので、百合も入れとこう」ってのは、バラエティ番組の「ハイ、ここ笑うところ」って指示と、もはやレベルが変わらないと思う。本物は客を選ばないから、もっと泰然自若とすりゃあいい。いま、劇場版の『ガンダム』を見ると、「こんな難解なアニメ、クラスの男子全員が見てたのか?」って、唖然とするもの。一般向けにターゲットして宣伝したわけでもないのに、ちゃんと35年たっても見てもらえるでしょう。

だけど、今のアニメって、5年前の作品を取り上げようと思って問い合わせたら、「もうDVDの生産が終了しているので、結構です」と言われてしまう場合すらある。「もしも、Blu-rayを出すことになったら、その時は載せてください」って。
それで、心が豊かになりますかね? 何十年も見てもらえる作品になりますかね?

『G-レコ』を中学生ぐらいの子たちに、何世代にもわたって長く見てもらえる方法は、メーカーさんではなくて、意外と、いちばん長くアニメを享受してきたファースト・ガンダム世代が知っているのかも知れない。

(C)創通・サンライズ

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2014年8月30日 (土)

■0830■

レンタルで、『(500)日のサマー』。これは「ムービープラス」で、後半だけ見た。主人公が「カードライター」(カードに短文を書く仕事)で、すらすらと美しい言葉を口にするシーンで思い出した。ラストシーンも、よく覚えている。
334208_01_05_02いいんですよ。こういう映画は、中身なんてなくったって。パーティのシーンと、幸せなシーンと切ないシーンと、二人で映画を見るシーンがあれば。
あと、ロケ地が綺麗なこと。出てくる食べ物がユニークで上品なこと。恋愛映画は、それだけで十分。

『スター・ウォーズ』一作目が、ワンカットだけ引用されている(20世紀フォックスの映画なので)。あと、30歳前後の主人公二人が『ナイトライダー』の話をしたり、どことなくノスタルジアの漂う映画だ。


この手の、さして悲痛でも崇高でもない恋愛映画を見ていると、ハンサムな友だちと、彼の恋人のことを思い出す。
今でこそ、彼はよく出来た奥さんと結婚し、子供に恵まれているが、20代のころは美人で感情の起伏の激しい子と付き合っていた。(彼をMくん、彼女をN子さんと呼ぶ。)
Mくんは「N子と堂々と会うため」、実家からそう遠くない場所に、小奇麗なフローリングのアパートを借りていた。90年代のはじめ頃で、まだ世の中には、バブリーな空気が漂っていた。

夜中にMくんのアパートで長話ししていると、彼女から電話が来て、「今からN子が来るっていうんだけど、いい?」 N子さんは明るい子で、僕のような鬱屈した男にも、気楽に話しかけてくれた。
大学卒業時にこっぴどくフラれて以来、女性と距離のできてしまった僕は、Mくんが席を外しているときにN子さんに話しかけられると、間が持たないような気がして、どきまぎしたものだった。
「うわ、悪趣味!」と、N子さんが言う。彼女は『ワイルド・アット・ハート』の映画チラシを僕に見せて「見てよ、この衣装……」 だが、ファッションにうとい僕には、どこが悪趣味なのか、よく分からなかった。

N子さんが友だちを連れてきている夜もあって、いつも二人の周囲はにぎやかだった。僕は人付き合いが下手だったから、彼らの軽やかな人間関係には溶けこめないでいた。
誰も彼も、「お金がない」と言いながら、とてもオシャレだった。


MくんとN子さんの、どこか飄々とした恋人ぶりに、おそらく心のどこかで憧れていたと思う。
二人の乗った車に同乗させてもらったとき、洋楽のCDがかかっていた。「次の曲って何?」とN子さんが聞く。Mくんは抑揚のない声で、つぶやくように答える。「キミの嫌いな曲」。
そんな場面が、それこそ映画のワンシーンのように思い出される。
「キミさ……。その口紅の色だけは、何とかしなさいって言ったよね?」などとN子さんに不満をもらすMくんの声音には、不思議な優しさがこもっていた。

そのうち、Mくんには新しい恋人ができ、それからまた新しい恋人ができ、もちろんN子さんとの間には何度か修羅場が展開されたはずなのだが、それすらMくんは淡々と「泣きながら抱きつかれたら、追い返せないだろう……」と、他人事のように話すのだった。
「そういや、N子が会いたがっていたよ」 「会いたい? 誰に?」 「お前にだよ」――とうとう、N子さんの相談相手は、僕ぐらいしかいなくなってしまったのだ。
お互いの電話番号を知らないので、もちろん連絡のとりようなどなかった。


ところが、滅多に行かない渋谷を歩いていたら(僕のことだから映画の帰りだったと思う)、偶然にN子さんと出会った。「ちょっとだけ話していい?」と、僕はファーストキッチンに連れていかれた。
「会いたい」と言っていたわりに、N子さんはたいした話はしなかった。Mくんは、新しい恋人とうまく行っていたので、僕は正直に「彼は彼で、幸せそうだ」と答えてしまった。N子さんは、笑顔のまま涙をポロポロこぼした。20代なかばの僕には、対処の方法が思いつかなかったので、相手が泣きやむまで、黙っているしかなかった。

やがて、N子さんは泣きやむと、「彼女いるの?」と僕に聞いた。いるわけがなかった。「じゃあ、いいよね」と、彼女は自分の携帯番号をメモして、涙のまじった笑顔で僕に渡した。ぼちぼち、携帯電話が普及しはじめていた頃だ。
僕は何度か、彼女に電話してみた。何度目かで、「私、もう新しい彼氏いるし……そもそも、どうして廣田くんは私に電話してくるわけ?」
そのへんの間合いが、徹底的に測れない、20代半ばの僕だった。2~3年後、僕にも彼女ができたけれど、重たくて重たくて、11ヶ月で別れた。

30代に入ってから知り合った子と結婚したわけだけど、ご存知のとおり3年で離婚した。
もう、人生に恋愛のチャンスはないだろうけど、僕の恋愛観には、MくんとN子さんのジメジメした部分を他人に見せない洒脱な付き合い方が作用している。適度な出来具合の恋愛映画を見ると、今でも彼らに憧れた日々を思い出す。

(その二人をモデルにした短編小説が、これである。⇒

(c)2009 TWENTIETH CENTURY FOX

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2014年8月28日 (木)

■0828■

『Gのレコンギスタ』 先行上映版パンフレット

Product_theatre02●吉田健一さんインタビュー
キャラクターデザインと総作画監督の、吉田健一さんにインタビューしました。
ジブリ時代の話、バイクで事故った『もののけ姫』の話、ボンズの話も出ました。何年分もの膨大なラフスケッチ、作監修正も見せていただきました。ユーモアと風格があって、これから何十年も絵を描いていきそうだ、と予感させてくれるタフさも感じました。
こういう人に会えるから、ライター、インタビュアーという仕事はやめられないのです。そして、『Gレコ』のようなみずみずしい作品に、ほんの端っこだけど公式に関われて、光栄に思います。


レンタルで、『少年と自転車』。ベルギー、フランス、イタリア合作で、カンヌ国際映画祭でグランプリをとったから、知っている人もいるだろう。

Sub2_large脚本が高く評価されているけど、ラストは、いかにもヨーロッパ映画らしく、どうとも受けとられるような多義的な味わい。ヒョイと曲がり角をまがって、その先がどうなっているのかは分からない。

親に捨てられた少年が主人公だけど、聖母のような女性に救われもする。だけど、幸せじゃない。思ったようにならないけど、死にたいとか殺したいとか、そこまではいかない。
その、人生がいやおうなく続いていってしまう倦怠を、自転車という小道具を随所で生かしながら、ありありと見せてくれる。
「自殺したいほどでもない不幸」は、何かの拍子に、生きていく力になってくれる。


この映画の少年は、父親に騙されて捨てられるんだけど、軽視されない人間なんていない。どんなに誇りをもって生きていても、どこかの誰かから見たら、虫ケラなんだよね。それを受け入れないと、生きていくのはつらい。
それに耐えられない人は、負けそうになると弱みを口にする。持病だとかさ。「僕は病気で、あなたより不幸であるにもかかわらず、こうして負けてあげてるんだよ。そんな僕を責めるあなたって、実にひどい人だよね」って。
病気や家庭の不幸には同情するけれど、武器に使うのは卑怯なんだよ。

僕は昨日、市役所の職員から、それこそ「取るに足らない、生きてるだけで迷惑な役立たず」に扱われたから、それこそ「家庭の不幸」を印籠のように取り出そうかと考えた。
でも、それをやったら、さらにバカにされるからね。自分も傷つくだろうし、相手の望むような阿呆に徹した。すると相手は、「あ、こいつ、思ったとおりの虫ケラだったな」って顔をしてくれる。
その顔を見た瞬間、最低限の要求は通せると確信したし、実際、そこそこ通せた。すると、帰り道は湖のように心が静まっている。

変な例えだけど、『レイズナー』の後期で、乞食のフリをして敵の目をあざむくエイジ。あれが一番つよい。本当は服の下の肉体は鍛えてあるし、手のこんだ作戦も立ててある。だからこそ、いちばん目につきやすい外見を、相手にバカにされやすいよう、汚くしておく。
そういう捨て身の知恵と工夫さえあれば、きっと誇りは最後まで守られる。

(C)Christine PLENUS

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2014年8月25日 (月)

■0825■

月刊モデルグラフィックス 10月号 発売中
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●「組まず語り症候群」第22夜

この連載も、そろそろ開始して二年ぐらいになるんですね。今回のサブタイトル、「てめえらの爪はなに色だーっ!!」の意味は、本文を読めば分かります。ネタは『北斗の拳』と『伝説巨神イデオン』のフィギュア・キットです。

80年代の、ほんの3年ぐらいの間、「とりあえずプラモデルにすれば、子どもに認識してもらえる」文化がありました。その感覚は、後に「擬人化」「萌えおこし」などのキャラクター文化に吸収されていったと思うのですが、プラモデル文化まで把握して語る人は、なかなかいませんね……。


昨日は、友人に誘われ、「平成26年度 富士総合火力演習」(総火演)を見学してきました。
ロボットアニメをつくるとき、あるアニメ監督が「本物の兵器を知らなければ架空の兵器など描けるわけがない」と、スタッフを総火演に引き連れていった逸話があります。

Dsc_1883自衛隊も兵器も、日本ではフィクションに近しい存在なので、無料配布のパンフレットには『ガールズ&パンツァー』と『白銀の意思 アルジェヴォルン』(ミリタリー調のロボットアニメ)の広告が刷られていました。
総火演の後半は、「敵に上陸された島を奪還する」シナリオでの訓練で、ナレーションを交えるとますます虚構性が高まり、見た後は「USJのような、実物大のプロップを使った大迫力アトラクション」を堪能したように感じられます。

もし、ミリオタっぽい男性ばかりが観客なら「派手なアトラクションだったな」という、お気楽な感想は出なかったのかも。観客は親子連れ、夫婦連れが多く、中には迷彩柄のタンクトップを着たセクシーなお姉さんも……。
「そういう普通の人たちが、本物の兵器を楽しむために集まるなんて異常だ」と、神経質な人には言われてしまいそう。食べ物の屋台は出てるし、自衛隊関連のグッズも売っているし、完全に「お祭り」なんだよね、雰囲気は。


誘ってくれた友達は、兵器関連の仕事をしているので、帰りの車中ではいろいろな裏話を聞いた。彼とは『コンバット』ごっこをしていた小学生時代からの付き合いで、そもそもミリタリーモデルの楽しみ方もプラモデルの塗装なども、すべて彼から学んだ。
今では二児の父親となった彼は、思想的に偏っているわけではなく、現政権への批判も多い。

それは別にして、僕がちょっと気になるのは、『ガルパン』や『艦これ』のような萌えミリタリー・ジャンルが「日本の右傾化に拍車をかけている」などと、ネットで批判されがちなことなんだよねえ……。
社会からの批判に対して、アニメ業界は対抗手段を持っていないと思う。児ポ法改正後、毎日新聞の社説で「アニメ業界は自粛に取り組むべき」とまで書かれたのに、それすら知らない業界人が大半だろう。

そして、萌えミリタリー物が叩かれる理由は、「アニメだから」「ゲームだから」「アニメやゲームのファンは気持ち悪いから」という、ありきたりな偏見が原因だと思う。児ポ法改正の煽りをくらったのと、たいして変わらない。
児ポ法改正に関して、漫画業界の動きは活発だったけど、アニメ業界は沈黙したままだった。社会とのケーブルが断線しているかのように、僕には見える。批判に対して、何のリアクションもないから懲りてないように見えてしまうし、それゆえ、(漫画より)叩きやすいんだろう。


結局、性犯罪も右傾化も「気持ち悪いオタクのせい」にされてしまって、「とにかくオタクを叩けば、意見が正当化される」という風潮が出来ているとすれば、それはこの後も、ずっと続くでしょう。
どうしてオタク文化が「気持ち悪い」と思われてしまうかというと、「よく知らない」「見たことがない」から(これも毎度のことだよなあ……)。もしかすると、僕らから「外部」に向かってアピールしていくことが必要なのかも知れない。

「こっちには、こういう事情があることを分かって欲しい」とオープンに言い合える社会になれば、かなりの誤解や憎悪、差別を取り除けるのではないでしょうか。
やっぱり、話し合いと語りかけが大事なんですよ。僕は二度の署名でお金も力も使い果たしてしまったけど、まだもうちょっと、出来ることがないか考えてみます。

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2014年8月21日 (木)

■0821■

レンタルで、『コンプライアンス 服従の心理』。
Sub11_largeアメリカのファストフード店に、警察官を名乗る男から電話がかかってくる。若い女性店員が客から金を盗んだと嫌疑をかけられ、女性店長は警察官に言われたとおり、彼女を丸裸にしてしまう。
ここに貼った写真のように、ファストフード店のディテールが繊細に切り取られ、この小さな事件に緊張感を加えていく。例えば、ストローの内側に溜まった水滴、駐車場のすみに溶けのこった雪など……。

電話で指図を受けた人々は、羞恥心と好奇心を引き出され、こじんまりとした人間関係にヒビが入っていく。事件後、裸にされた女性店員は犯人ではなく、店長を訴えようと考える。
もはや若いとはいえない女性店長が、雑談をしている顔のアップで、映画は終わる。やや深刻な立場に追い込まれつつあるというのに、不思議なもので、そういうときにかぎって人間は笑い出してしまう。その得体の知れない笑いの表情には、異様な迫力がある。

人間を卑下せず、その不思議さに迫ろうとする映画には温かみを感じる。たまには、こういう映画に振り回されないと、心のバランスがどうにかなりそうだ。
出てくる人々が、とくに裕福そうでも、格別に幸せそうでもないのが良かった。


僕の友人は、奥さんと子どもに恵まれたまっとうな男が多いのだが、彼らはインターネットをほとんどやらない。特に、SNSには近寄ろうともしない。まことに賢明だと思う。
ツイッターは匿名でやっている人が多いと思うが、本音をこえた本音がぶちまけられていて、たまに狂気を感じる。狂った人間が多いという意味ではなく、ふつうに暮らしている人の狂気が発露しやすい場なのだろう。

それはまあ、いい。疲弊するのは、すきあらば人を嘲笑しよう、少しでも優位に立って頭のよさをアピールしようと狙っている、ケチな男と出会ってしまった場合。
揚げ足をとられないように気をつけていればいいのではなく、ようはツイッターをやっている以上、彼らを避けるわけにはいかない。
現実の問題を解決するには、結局は、生きた人間と対面するしかないと思っているので、僕がネットに依存しすぎなのだ。


今の仕事は、勉強熱心なクリエーターの方たちの話を聞けるので、心が老いるということはない。
だけど、上手な歳のとりかただってあるはずだ、とたまに思う。ひとりで、朝まで飲んでOKなのは、30代までではないか……例えば、そんなことを考える。

「愛する家族と一緒に暮らすとか、食いたいサラミをたらふく食えるとか、コーヒーもおかわりできるとか、風邪をひいたら風邪薬。そういう人間らしい暮らしな、どう思う?」
――『茄子 スーツケースの渡り鳥』より

(C)2012 Bad Cop Bad Cop Film Productions, LLC 

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2014年8月18日 (月)

■0818■

大人が「G-レコ」を見る必要はない! 「ガンダム Gのレコンギスタ」富野由悠季に直撃取材――アキバ総研
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●取材・文
富野監督には何度かインタビューし、『アイアン・スカイ』のプロモーション生配信でもご一緒しましたが、これはかなり面白いインタビューに仕上がったと自負しています()。

ただ、もう40代の使い古しのライターでないと、富野監督にインタビューできないのだとしたら、それはそれで健全とはいえない。
(僕は、自分のところに依頼のくる富野監督への取材を、どんどん若いライターに回していた時期があります。その彼も、そろそろ30代の終わり頃では……。)


コミケ会場でAFEEのチラシ配りボランティアをした翌日、長距離バスで、福島県いわき市に向かう。
特に用事はない。三年前、マスクなどの物資を持っていき、ついでに原発や放射能について取材させていただいた方たちと、ひさびさに会うというだけの小旅行。

学習塾経営のGさんが、勿来と呼ばれる沿岸地域を、車でグルリと回ってくださった。
Dsc_1880まだ倒壊したままの建物もある。この眺めのいい場所は、公園になる予定だという(右奥は、火力発電所)。
僕は、『マイマイ新子と千年の魔法』の上映会のときのように、彼らと何か協力しあう気持ちで行ったのだが、その必要はないようだった。

いわきの町は「ここ数日、毎日どこかしらで盆踊りをやっている」そうで、にぎやかだった。
この町は、もう三年前とは違う。再生しようとしている。もう、僕が手を貸せることは、ひとつもない。


二児の母のNさんによると、彼女の娘さんが『マイマイ新子と千年の魔法』を林間学校へのバスの中で上映したところ、子どもたちに大ウケだったという。
その話を聞いても、やはり……偉そうに言わせてもらうなら、自分は(上映会で)種ぐらいはまいたのかも知れない。まいてないかも知れないが、とにかく、葉っぱは芽吹いているのだ……それが、この小さな旅の印象であった。

いわき駅前には、洒落たガールズバーが出来ていた。値段が安かったせいか、ついつい飲みすぎてしまった。


東京に帰ってきた翌日、これといった目的もない「オフ会」へ。
表現規制に反対している方たちが、男女7人も集まってくださった(偏見があるかも知れないが、エロ表現への規制に反対している女性は、思ったより多い。僕の行った「性虐待記録物」署名でも、少なくとも三割が女性だった……ので、偏見もたないでね)。

初めて聞くような情報(それぞれの方の実体験。それが何より貴重)が、せまい会場にとびかった。もっと、悲壮感のただよう会合になると思ったけど、皆さん、「こんな不満を抱えています」「僕なんて、もっとイヤなことあった」と言い合いながらも、意外と元気。

……どういう世界が理想なのか、それぞれ考えていると思う。世の中どうでもいい、自分の趣味だけを守りたいと思っているだけなら、そもそも、見知らぬ人と話そうとはしないだろう。
「明日は、今日よりマシな自分でいよう」って程度の向上心は、持っているはずだよ。「二次元表現規制反対」=「変態のロリコン野郎」と思われているだろうけど、そんな、性欲のためだけにガツガツと生きている人間はいないでしょうよ……。
(少なくとも僕は、理不尽に人の心に入り込んでくる規制に対して、反対している――そこについては、もっと実際的な肯定意見が、女性陣から出た。)

だけど、同時に、僕らにまったく罪がないのかというと、そんなことはないだろう。
人と関係を結ぶのに、罪悪感だけは素通りではないような気がする。人への罪悪感ってのは、自己完結しないからね。

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