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メガハウスの「ヴァリアブルアクションキット 新世紀GPXサイバーフォーミュラ」は、どうして“半完成キット”なのか?【ホビー業界インサイド第59回】
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組み立て済みのシャーシに、色分け成形されたパーツを組み上げていく。しかも接着剤もニッパーも必要ないという、異色の製品です。プラモデル・フェチ的ではなく大人向けの高額食玩でもなく、ひさびさに「ホビー」らしい気持ちのいい製品です。

社会に萌えキャラの居場所はあるのか?【第1回】弁護士・太田啓子さんインタビュー
『宇崎ちゃんは遊びたい!』などの萌えイラストを批判する側と、表現する側の両方にインタビューしていきたいね……という話を、EX大衆の編集者と2年ほど前から相談していて、とりあえず第1回は、『宇崎ちゃん』批判で注目された太田啓子弁護士に対するメールインタビューとなりました。
メールで膨大な回答が来てしまったので、整理する意味も兼ねて、直接お会いしてお話しする予定でした。そこへ緊急事態宣言が発布されてしまい、メールでの回答を、分けて掲載することになったのです。なので、ものすごい分量があります。


ただ、ホビーやアニメ業界にインタビューして、新製品や作品を盛り上げる娯楽性の高い記事ならまだしも、表現のような「思想」を聞きたい場合、文字上のインタビューを構成する記事という形で追及しきれるのか……。その限界については、担当編集とも話している。

『FAKE』というドキュメンタリー映画を観た。
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佐村河内守という耳の聞こえない作曲家に、実はゴーストライターに曲を書いてもらっていたという疑惑が浮上する。僕はこの事件そのものをまったく知らなかった。監督の森達也は、佐村河内の家に通い、まず彼が本当は耳が聞こえているのではないか?という疑惑をつきつける。奥さんと手話で会話しているが、それらはすべて演技なのかも知れない。
森監督が佐村河内を疑っていると画面から伝わってくるし、観ている側も「もしかすると、すべて茶番劇なのではないか?」と思わずにいられない。そうした疑いの中、映画は詐欺師扱いされている佐村河内の苦悩に迫っていく。森監督の疑いの目線が、この映画を終始、緊張させている。
これがもし、紙媒体で編集されたルポルタージュだったら、迫力は一割も出なかった気がする。


無論、ドキュメンタリー映画だって、撮ってきた素材を取捨選択して、意図をもって編集して、2時間の映画に構成する“演出”なくしては成立しない、監督の恣意なくしては映画作品たり得ないわけだけど。

映画の本質のひとつは、記録である。また、映画は人を受動的にする。始まったら最後、フィルムが途切れるまで観客の都合など無視して、二時間でも三時間でも続行される。観客はただ、映画の命ずるするままにジッと座りつづけているよりないのだ。
本とか読み物は、読者の能動性にのみ委ねられている。そこが弱点だ。漫画は、絵としての広がりであって、読みとるものではない(これは押井守監督の言葉)ので、訴求力がある。だから、Twitterでは漫画化して物事を伝えようとする人が多い。

そして、先日のようにハッシュタグだけをコピペしただけで、大規模な政治運動を起こしてしまえる。大衆は、どんどん受動的になっている。
数秒間で怒りや笑いをシェアしたい受動的な大衆に、「あなたの意志をもって私の記事を読んでください」とは頼みがたい。そこに、文字媒体の限界がある。


日本芸術文化復興会が、コロナウイルス被害に対応した「文化芸術復興創造基金」を創設したのに、例の法案抗議のハッシュタグや毎日新聞の記事を引用して反政府的なツイートを繰り返した小泉今日子らが、「文化芸術復興基金」の創設を訴えはじめた。

言っちゃ悪いけど、落ち目の芸人、50歳をすぎてもパッとしない俳優は「自分はもっと凄いはずだ」「こんな人生のつもりじゃなかった」と、焦りはじめるんだと思う。だけど、一般人から注目は集めたい。宍戸開とか古舘寛治は俳優として認識されずにTwitter(しかもデマツイート、強気で過激な子供じみたツイート)でのみ有名だし、頭の悪い左翼的発言でお馴染みの室井佑月さんだって、俳優としては数えるほどしか出演作がない。本業と呼べるものが脆弱すぎて、焦っている。挙句、反体制的なツイートで注目され、自分の人気と錯覚している。
小泉今日子も、二年前に不倫で騒がれて事務所を辞めて、それで資金繰りが苦しいのかも……と想像してしまう。ミュージシャンやライブハウス経営者たちは、この難局を乗り切ろうと工夫をこらしてきたけど、この人たちはハッシュタグで、いい気なツイートしていただけ。最後は政府にたかるなんて、俺にはみっともなくて出来ないけどね。

(ももいろクローバーZは、過去のライブを配信して募金を集め、日本医師会に寄付した。 小泉今日子とはやっていることが逆、これが現役アイドル、最前線の芸人の力だと思う。)

(C)2016「Fake」製作委員会

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2020年5月14日 (木)

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最近レンタルして観た映画は、『ダイアモンドの犬たち』と『カリートの道』。
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『カリートの道』は、アル・パチーノが零落した老いたマフィアを演じており、深く心に沁みる滋味と、素晴らしいカメラワークによるサスペンスを持ち合わせた優れた作品だった。
主人公は、自分の老いを自覚している。味方だった弁護士はコカイン中毒で、次々とトラブルを持ちこんでくる。ダンサーになるはずだった元恋人は、ヌードになって怪しげなクラブで踊っていた。
ジワジワと状況に追い詰められながらも、なんとか脱出口を見い出そうと必死にあがく主人公の姿に、心を奪われた。


#検察庁法改正案に抗議します


このハッシュタグにまつわる、不気味な感覚について。

“件のハッシュタグに関しては某ぱみゅぱみゅ氏の謝罪文に「話が降りてきて」というお仕事感の強い語彙が出てきたり、タグの初投稿者が広告業界勤務であったりと、PR系業界関係者の影が随所に見え隠れしてしまっているので、メディアがこの件を「自然発生」的な体で連日取り上げる様子には違和感を覚える”

この後につづくツイートのとおり、「東京高等検察庁の検事長の定年延長」は、2月に一部で話題になったにすぎない。僕は共産党と仲のいい「新日本婦人の会」アカウントをフォローしているので、なんか野党が「火事場泥棒」と批判しているらしいな……程度にしか知らなかった。
最初にハッシュタグで投稿した女性は、「フェミニズムへの興味」「広告制作の仕事」……本名は明かさず、素性は自己申告にすぎない()。第三者が検証できない情報に、僕は価値はないと思っている。

Facebookに新型コロナウイルス関連のチェーンメールをコピペしていた声優さんにしても、出どころ不明の情報を、どうしてそうも簡単に信用してしまったり、あるいは自分の発信は絶対に信用してもらえると期待できるのだろう?
まず自分の身元なり、発言のバックボーンなりを他人が検証可能な丸裸の状態にする、つまびらかにすることでリスクを背負わないと誰にも信用してもらえないと、フリーランスで生きてきた僕は実感している。だが、SNSの世界では、そうではないらしい。

いや、SNSは関係なくて、平均的な人はそれほど深く考えたり、疑ったり失望したりすることなく、漠然と曖昧に生きているのかも知れないな。理想や正義なんて抱かないほうが、生きていくのには向いている。


“反対するのはいいんだよ ただ内容をよく確認せずに皆が言ってるからやばいんだろうけしからん、って反射的に反対してるだけならその空気の方が怖いなあ 好きな作家さんが乗っかってるのも悲しい(まだ言う)”

この方の気持ちに近いものを、僕も感じている。
別に芸能人や著名人が政権批判をするな、などとは思っていない。騒ぎが収束しかかったころ、「芸能人にも言論の自由はある」という小綺麗な収め方をする人が多かったように思うが、そんな幼稚な話は誰もしていない。綺麗事で、誤魔化さないでほしい。
ハッシュタグを使って、「反対するのが当たり前」「この話題が今、もっとも熱い」という雰囲気を作り出した……根拠も示さず、どこかの誰かのつくった図やハッシュタグを使って。その安易な雰囲気づくりに、信用しているクリエイターがやすやすと乗っかったことに大きく失望した。幻滅に近い。多分もう、自分からは二度と会わない。

政府に反対する意見を示したことは、べつに責めない。しかし、そんな安易な示し方で、他人を説得できると思っているのか? もし説得できると思ったのであれば、貴方が他人をイエスマン、自分を承認してくれるチェスのコマとしか考えてないからだよ。チェーンメールを広めた声優さんだって、そうだ。自分のファンは、自分の思想を無条件に広めてくれる兵隊だとでも思ってるんだろう。ひとりひとりの人生や考えがあるなんて、露ほども思ってないんだよ。その姿勢のほうが、よほど民主主義を否定しているじゃないか。
「なあみんな、俺の作品が好きなら、俺の支持する意見にも、当然同意してくれるよな? 当たり前だよな?」という傲慢さを、あのハッシュタグから感じた。クリエイターともあろうものが、既成のハッシュタグを使うという身振りから。「ああ、バカにしてるんだな」と、侮辱された気持ち。
こうも思った。「あれだけ個性的な作品をつくる人間なら、さぞかし独特の思想を持つものと思っていたが、どうやら見込み違いのようだな」。俺の買いかぶりだったんだ。俺が間違えていた。そういう幻滅だ。


反原発デモに通っていたころ、右翼だけど反原発だ、という方たちの動画を見た。
右翼のイメージといえば、街宣車かネトウヨ。嫌悪感しかなかった。しかし、その人たちの活動は、原発再稼動に賛成した町の議員たちを「弾劾する」ために現地に向かい、自分も顔を出して直接口頭で抗議するという堂々としたものだった。議員が留守で、奥さんしか在宅していない場合は、丁寧に挨拶して帰っていく。
「だけど右翼だよな……」「愛国とか反日とか、そっち系の人たちだよな……」と割り切れないものを感じながらも、僕は感動した。

つまり、意見を発信する手続き、方法が大事なのだ。思想の左右なんて、本当にどっちでもいい。反政権でもフェミニズムでも、本当にどんな考えでも構わない。ただ、リスクを背負って弱点をさらして、それでも堂々として振舞うのであれば。卑怯な逃げ道を、都合よく準備しているのでなければ。空気に便乗し、同調しない者をハブるのでなければ。
恥をかいてもいい。失うのも、まあ仕方がない。魂を売り渡して理想を失うよりは、よほどマシだろう。いつでも負けそうな側に賭け、70億人が賛成しようとも、反対する一人でありたい。

(c)1993 Universal City Studios,Inc. All Rights Reserved.

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2020年5月10日 (日)

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最近観た映画は、『バルカン超特急』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ 完全版』、『ローズマリーの赤ちゃん』、『新聞記者』。
よくやってしまうのだが、「そのうち観なくては」と思っていた映画を、短期間に二度借りてきてしまう。『ローズマリーの赤ちゃん』は、途中で二回目であることに気がついた。最近の邦画は滅多に観ないので、『新聞記者』について、少し書こう。
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シム・ウンギョンの演じる女性新聞記者が、松坂桃李の演じる内閣情報調査室の官僚と事件を追う。
松坂のもとへ、秘密を握っている上司から電話がかかってくる。上司はビルの屋上から飛び降りる寸前だ。異変を察知した松坂は電話ごしに止めようとする。そのシーンで、カメラは真上から上司を撮る。彼は、画面右半分に位置している。右半分はビルの屋上。左半分は、ビルの谷間。車が行き交う道路である。
そして、上司を止めようとする松坂をも、カメラは真上から撮る。松坂は画面左側に位置している。先ほどの上司のカットとは、完全な左右対称の構図だ。言うなれば、真上から人物を撮った画面を右と左に分けることで、此岸と彼岸を表現している。
「待てよ、この映画はなかなか良いかも知れないぞ」と、身を乗り出した。


もうひとつ、良かったシーンを挙げよう。
あまりに政府の秘密に近づきすぎたシム演じる女性記者は、編集長から辞職を示唆される。一方、松坂演じる官僚は、冷徹な上司から口止めを言い渡され、出産祝いの現金を手渡される。
我が身に起きた辛らつな出来事に顔をゆがめるシムと松坂を、カットバックで描いている。シムの身に起きたこと、松坂の身に起きたことは、同じぐらい重大で深刻なのだ。カットバックさせることによって、それが分かる。映画の機能性、メカニズムによってのみ、表現できる事柄がある。

このシーン、上司が松坂に渡す出産祝いを、まるでシムが受け取ったかのように見える。人物を左右どちらかから撮ると、そのように錯覚する。なんとまあ、凝った繋ぎ方をするんだろうと感心しかけたが、どうもこれは偶然っぽい。上司の立っている位置が、しょっちゅう変化していたから。
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丁寧につくろうとしたのは分かるけど、新聞記者が社会問題の最前線で頑張っている……というモチーフの切り取り方が、すでに古風だ。足早に出勤する政治家に追いすがるように、執拗に取材を繰り返す……という絵も、あまりに陳腐すぎる。
紙の新聞も地上波テレビも、とっくにオールドメディアだよ。だからこそ、この映画はシニア層に受けたのかも知れない。


“映画は最初は「見世物」で、それだけだと飽きられるから「物語」が後から付け加えられたモノだけど…近年の「ミッション:インポッシブル」を見ると「アクション優先で物語がムチャクチャだ」と言うより「普段は物語に従ってるかのように見えた映画の「見世物」性が、物語に牙を向いた」と感じてしまう”

まったく正しい。映画の機能がむき出しになって機能しはじめ、物語が背景化する瞬間を、僕はいつも待っている。


#検察庁法改正案に抗議します

このハッシュタグが、昨夜からTwitterで大流行している。
僕の知り合いや、尊敬・信頼しているクリエーターも、特にコメントもなく、このハッシュタグだけをツイートしている。「あまり政治に興味ないけど」「政治のことはツイートしないつもりだったけど」という言葉も、よく見かける。「この改正案だけは……」「今回ばかりは……」という言い訳めいたフレーズまで、まるで誰かによってテンプレート化されているように見える。

反発するように「改正案に興味ありません」というタグが出てきたらしいが、それは「安倍政権の陰謀」「Twitter Japanの工作」と言っている人までいる。
なので、Twitterでは異論を唱えられない雰囲気だ。野党が反対して、国会で討議して押し返すなら、それはそれで正当な手続きだろう。しかし、Twitterでハッシュタグをつけてツイートすることが政治参加とされ、態度を保留している人が「民主主義の敵」だとか言われる状況が、僕は怖い。
『ガッチャマン クラウズ インサイト』に出てきた、空気を読まない人間を社会から消し去る同調圧力の怪物“くうさま”みたいじゃないか。


僕は反原発デモに、数え切れないほど参加した。
原発を日本からなくすために、反対派の姿を可視化する必要があると信じていた。しかし、主催者は原発以外にも反対するテーマを増やしつづけ、僕が霞ヶ関に足を運ぶと、いつの間にか秘密保護法反対デモ一色になっていた。待ってくれ、原発問題はどこへ消えた?
疑問をさしはさむと、「いま反対しないと現政権に殺されますよ?」と、信じられないものを見るような目つきで言われた。何が悪いのか分からないまま、僕は反対の声をあげた。分かってもないくせに自分が正義で、自分が多数派で、反対しない人間をすべて敵だと思っていた。

Twitterで、「それで? 次は何に反対したらええんや?」と書いている人がいて、僕はデモに足を運ぶのをやめた。
どうしても困ったことがあれば、地元の議員に直接相談するようになった。分からないことはメールで質問したり、電話で聞くようになった。僕には、それで十分だ。

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2020年5月 2日 (土)

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「ハクション大魔王2020」――50年ぶりの続編がつくられた理由【アニメ業界ウォッチング第66回】
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先月1日に取材した記事です。元タカラトミーのモギシンゴさんのおかげで、楽しいインタビューになりました。監督の濁川敦さんの言葉どおり、第2話でプゥータが活躍しはじめてから、すごく面白くなってきました。
また、このインタビューは、タツノコプロの広報の方と直接交渉しながら、進めました。ですから、記事の方向性や役割もハッキリしたし、融通もききました。いつもこんな取材だったらいいのに……と思います。


最近、DVDレンタルで見た映画は『雨月物語』、『アベンジャーズ/エンドゲーム』、『モスラ』。
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特撮モノが増えてきたのは、それなりに仕事に関係あるからだ(私はもう、バリバリ仕事してるし、売り込みもいっぱいやってますんで)。
『雨月物語』は学生時代に観て以来で、長回しのカメラの動きも、わりと正確に記憶していた。しかし、まだまだ膨大な発見がある。DVDを買おうかと思ったぐらい。1953年で、こんな高次元の演出をやっていたんだからな……。たかが90年代の映画を「古い、遅れている」なんてほざいてる場合じゃないですよ。

『エンドゲーム』は自分とは関係ない映画だったのでさておくとして、『モスラ』の膨大なミニチュア・ワークには唸らされた(特に水の表現力)。『ゴジラ』とは異なる、神秘的な世界観も気持ちいい。
怪獣を倒すプロットではなく、西洋人が悪役という点も画期的ではないだろうか。正義をつかさどるのは、有色人種(演じるのは日本人のみ)だからなあ。


さて、新型コロナウィルスをめぐって、陰湿な「自粛警察」が跋扈する世の中になってしまったらしい()。多数のメディアが問題視してくれているのが、まだ救いである。

僕が遭遇した例は、あまりに程度が低くて恥ずかしいんだけど……。Facebookの喫茶店を愛好するグループで、自粛警察の人々に追放されてしまった。その顛末を、以下に記す。
まず、グループに加わったばかりで、「私は喫茶店には行かず、家で自粛してます」と投稿した女性がいた。その投稿に対して、なんだか長文で「家にいてください」「散歩しないと免疫力が下がるんですか?」「外出はロシアン・ルーレットです」、さらに「皆さんがお店に行くから、仕方なく喫茶店の店主はお店を開けているんです」と説教がましく返信している男性がいた。別に店舗経営者でも何でもなく、元・大手喫茶チェーン勤務とプロフィールに書かれていた(現役ではないよ、元勤務だからね)。

だけど、そのグループには毎日、喫茶店に行って、レポート写真をアップしている人もいる。その人たちに向かって「家にいてください」「お店に行かないように」って説教するなら、まだ筋は通っているよね。
どうして加わったばかりの女性、しかも自粛している人に対して説教口調なのか、文章が下手すぎて理解できないので、僕は「誰に向かって何を言ってるのか、サッパリ……」とリアクションしてしまった。すると、その説教男性は「今後は、よく考えてから投稿します」「でも、いいねをつけてくれた人がいるから、文章は削除しません」。

……こうして書いていても、なんだか小学生の意地の張り合いみたいで恥ずかしいんだけど。その男性がやりとりから離脱してしまったので、僕はグループの管理人に、投稿の削除を提案した。
だって、毎日喫茶店に通っている人もいるグループで、「皆さんがお店に行くから、お店はやむなく開店している」、しかも経営者でもないのに「私は喫茶店経営者の代弁をしている」とまで書いているわけだから。ところが、管理人が加わってからが、すごかった。超展開。超バカ。頭悪すぎる。


グループの管理人がどうしたかというと、「私は男性の意見に賛同する」「お店の方の意見も尊重すべきだ!」と書き込んできたんですね。自粛警察、二号。
おいおい、どこにお店の人がいるよ? 説教コメントを投稿した男性は、大手喫茶チェーンに勤務していたとプロフィールに書いてるだけで、勝手に「経営者の代弁をした」と主張しているにすぎないだろう?
「一体、誰が“お店の方”なんですか?」と、管理人にメールしたんだけど、返事はない。

しばらくしてから、管理人が凄いことを書きこんできた。「喫茶店経営者の代弁をしている、と主張している人の意見は、経営者の意見も同然と見なします」
ええええ!? 自己申告で「私は経営者の代弁をしました」と書けば、「この意見は経営者の声です」と判断されちゃうの? しかも、「管理人がすごい飛躍したこと書いてますよ」と俺が投稿したら、管理人は自分の飛躍した発言をメンバーに見られたくなかったらしく、僕とのやりとりを全て削除してしまった。
どうですか、程度が低いでしょう? だけど、怖いとも思った。こんな調子で、デマが広まっていくんだろう。「私は医療関係者です」と文頭に書けば、無条件で信じてしまう人たちがいる。そうやって疑わない、考えない人たちがデマに踊らされて、トイレットペーパーを買い占めたんだと思う。
その頭の悪い人たちは消えてなくなるわけではなく、学びもしないから、今後も延々とバカをやらかし続けるんだろう。そう考えると、かなり怖い。


……なんというか、恥ずかしくないんだろうか。
「いいね」をつけてもらったから間違った発言でも撤回しないとか、人に見られたらヤバい発言をしてしまったから、こっそり削除とか。本業でも、そんな軽いノリで誤魔化しながら、ウソをつきながら、不誠実に働いているのだとしたら、世の中が良くなるわけがない。
まあ、本業でたいした活躍ができないから、SNSで大威張りしているのかも知れない。そうであってほしい。

だって、僕は実力以外で評価されたくないもん。
大学がどこ出身だとか、住んでいる地域がどうだとかで仕事を割り振る人、たまにいる。いい企画を考えても、「確かに面白いんだけど、このジャンルは別のライターさんが担当していて……」と断られる場合も、しばしばある。でも、そのライターさんは、僕のように面白い企画を考えられないんでしょ? 単に「今まで担当だったから」って気をつかわれて仕事をもらったって、俺はそんなのみっともなくてイヤだけどね。まあ、自己都合最優先で「知り合いなんだから、私に仕事を回してくれ」って当たり前のようにねだってくる同業者、たまにいるけどね。そういう恥知らずな人とは距離を置いて、実力だけでつながるように努めてきたので。 
すると、「そのネタなら、廣田が書けるはず」って、ちゃんと能力に相応しい仕事が来るんだよ。濁った水の中に安住している人には、分からないだろうけどな。

だけど、「俺の実力だけを見てくれ」なんて殊勝な人、滅多にいないんだろう。
「私は元○○勤務です」で下駄をはかせてもらったり、「私は医療従事者です」でデマを振りまいたり、そういう人が幅をきかせている。そういう分かりやすい肩書きや見てくれがないと、人の能力を見抜けないおバカさんが大多数なのだろう。
しかし俺は、中学・高校時代の俺のように、「どうして人間はこんなに不公平なんだろう」「どうすれば楽しい人生になるんだろう」と暗黒の底で苦悩している少年たちに手を差し伸ばしたい。その生きづらさは、必ず報われるぞ、と確約してやりたい。
コロナともFacebookの話ともズレてしまったようだが、無関係ではないと思う。ちょっとはマシな世の中にしなきゃ、あまりに報われない。出鱈目をやっている大人たち、いつまでも今のようにのさばってられると思うなよ? 俺が黙っていないからな。

© KADOKAWA CORPORATION 2020

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2020年4月28日 (火)

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編集者・柿沼秀樹氏が振り返る、ガンプラ大ヒットへ至るキャラクターモデル勃興の昭和史【ホビー業界インサイド第58回】
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柿沼さんとは、ホビージャパン ヴィンテージの打ち合わせで、よくお会いするようになりました。ガンプラ以前の歴史には、私は詳しくないので、“柿沼史観”ではありますが、自由に語っていただきました。柿沼さんは誰かを言い負かそうとか、自分だけが最高とは思ってないので、肩がこりません。
上手とか下手とかではない、世の中の流れに影響されながら右往左往する模型業界を見つめる、語る。最高に贅沢だし、とても楽しい時間です。


全世界的な新型コロナウイルス対策が続き……、まぁ、言葉は悪いけど「バカが炙り出されてきている」と思う。
声優の水島裕さんが、また出どころの不明な情報をFacebookでシェアしている()。水島さん、これで二回目。悪いけど、騙されやすい。
前回は、「信頼できる人からの情報なので……」と言い訳していたが、こういう甘い人の特徴だよね。自分が信頼できる人は、どこの誰だろうと、赤の他人でも絶対に信頼してくれるはずだという幼稚な思い込み。
どんなに言葉をつくしても信じてもらえない、誠意をつくしたのに全否定されてしまった……という辛らつな体験を飲み込んでこなかったんだろうと思う。水島さんの根拠不明なテキストを安易にシェアしている人たち、全部同じ。経験不足。

そして、なぜかアーティスト、表現者の人が多い。自分の善意が、無限に通じると思い込んでいる甘い人。
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ジャズ・トランペッターの辰巳哲也さん。「2週間後の東京は今のニューヨークよりはるかにひどい状況」と書いて、2週間たってしまった。「政府や行政の対応」を批判したいがあまり、大惨事を望んでしまう……。Twitterではよく見かける、「日本は終わりだ」式の破滅願望。欧米や韓国、台湾の対応は素晴らしいのに、他国に比べて日本政府はアベ政権は……と嘆くシナリオがまず先行していて、その予定調和に、現実を沿わせようとする。
「私が間違っていたかも知れない」と、ポーズだけでもいいから、一時的に反省したり撤回したりすればいいのに、それが出来ない。打たれ弱い。「すみませんでした」と、ウソでもいいから頭を下げれば、その一回で得られる対価はものすごく大きいのに、知らないんだろうと思う。気の毒になってしまう。


しかし、純朴なアーティストばかりではない。新聞記者やジャーナリストの居直りぶりも凄い。
フォトジャーナリストの安田菜津紀さん()。不法滞在の外国人にも、給付金を配るべきと主張しているようだ。こういう気楽で呑気な人を見かけると、「ああ、まだ大した惨事ではないんだな」と、じわじわ実感できる。
まあ、暇があったら、安田さんの他のツイートも見てください。ポエムみたいな、薄甘い言葉ばかり。そこに群がる人たちのリアクションが、また薄っぺらい。あのね、自分が追い詰められて食うや食わずの人は、こんな綺麗事は言ってられないから。だけど、安田さんは悠々食っていけるぐらいのお仕事をなさっているようだ。
つまり、同じ浅さの人たちをつかまえられれば、彼らのニーズさえ満たせば、それで仕事は成立するんだな……と、よい勉強になる。批判的な相手は即座にブロックしているのだから、ようするに「客にならない」「金につながらない」と判断しているのだろう。本気なら、議論につきあうと思う。

そう、どうして腹が立つかといえば、「本気じゃない」んですよ。彼ら。反論・異論に身をさらそうとしない。「ジャーナリストって、そういう職業ですよ?」と言われてしまえば、勉強になりました……と、返すしかない。だけど、自分が傷ついたりダメージを食らうことを想定してないとしたら、人間として甘すぎるよね。


僕はFacebookの「喫茶店が好き」コミュニティで楽しくレビューを書いていたのだけど、このコミュニティに東京新聞の記者に関する、政治的なテキストが書き込まれて、驚いた。僕すぐ管理者に報告したし、ただちに削除するよう求めた。
政治的にどんな立場でも構わないんだけど、反体制的な人たちは場所をわきまえない。どこででも、自分たちの主張を聞いてもらえると思っている。甘い。くだらない人生。話を聞いてもらうまでが、まずは大変なはずだが、彼らの世界観はそうではないらしい。反対意見は、「ネトウヨ」「レイシスト」「アベ信者」で処理するんだから、楽なものだ。

「もしかすると、自分の正義や誠意が通じないかも知れない、世の中そんなに甘くはないよなあ」……と覚悟している相手なら、話を聞く気になれるのに。そこで皆さん、大きく損をしている。
「必ず我が願い かなえたしとか 必ず調伏せむ などと力こめるのはかえって危険なのだ」……岡野玲子『陰陽師』の台詞を思い出してしまう。


毎日新聞は、どういう新聞か知らない。朝日新聞は昔から左寄り、読売新聞は右寄り程度の認識しかない。というか、地上波のテレビにも紙の新聞にも、僕はもう用はない。
しかし、毎日新聞のアベノマスクに関するニュースは、気になった()。汚れたマスクには「関係者提供」のキャプションがあるが、「関係者は語る」式の記事は、眉にべっとりと唾をつけて読む必要がある。名前を出せないということは、それだけ信用度が下がるということだ。
そこで、毎日に「関係者とは誰か」「この写真が本物であることを証明してほしい」とメールしたが、返事は来なかった。やむなく、記事中にある厚生労働省内の「マスク等物資対策班」の連絡先を調べて、取材に応じてマスクを提供することなどありえるのか直接聞いた。二度も電話を取り次いで電話口に出た全戸配布用マスク担当の男性は、ややキレ気味に「ありません」と答えた。
二度ほど言葉を交わしただけだったが、毎日新聞が取材したはずの厚生労働省が「違います」とキッパリ言うんだから、違うんだろう。毎日が何か答えてくれれば、僕はそっちを信用したかも知れないのに、黙っている相手を信用する術はない。

実際にマスクは汚れていたのだろう。その後、マスクは回収されたのだから。
しかし、汚れたマスクが事実ならば尚更、「関係者提供」などではなく、正確に、正直に提供者の身元を明らかにすべきだったと思う。明らかに出来ないのであれば、画像の掲載はあきらめるしかなかったと思う。そんな曖昧な、逃げ道を用意した態度で誰を信用させることができるだろう?  (みんな信じていたけどね、世界を簡単に理解したい人たちは……)

録音するのを忘れていたから、僕が厚労省に電話した事実は確かめようがない。
だから、僕の行動で得られる信頼は、たかが知れている。リスクを負ってない情報発信は、それに見合った信頼しか得られない。毎日新聞が「関係者」という逃げ口上を用意して、水島裕さんがテキストの出どころを明かせないように。
リスクを背負っていない、発信者に痛みのない情報には、ほとんど価値がない。


僕は、体育の時間のたび、ひどい屈辱を味わってきた。中学、高校と進むにつれて、どんどん苦しくなっていった。
しかし、普通の人はそこまで深刻な、全身で戦わねばならない事態に陥ったことがないんだろうな。だから、今回のような事態を「身にふりかかった災難」として利用して、正当性を主張する、エエカッコシイをするしかない。何の経験の蓄積もないから、適当なデマに食いついて、簡単に世界を理解したがる。それは本当の強さでも理解でもないから、悲劇なのかも知れない。コロナが収まった後も、彼らの単調な人生は変わることはないんだから。

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2020年4月24日 (金)

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レンタルDVDで『宮本から君へ』。原作は単行本をすべて揃えており、昨年のドラマ版も視聴済みだった。
しかし、映画版は何かの事故ではないかと思うほど、杜撰な出来である。時系列を変にシャッフルした脚本の問題だけでなく、シーン転換で音楽がバツン!と切れてしまい、何か見落としたか?と戸惑うことがしばしば。
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まあ、そうした常識以前の稚拙さは、ドラマ版から分かっていたこと。
『宮本~』という漫画には、映画という表現とは相容れない、描写上の難しさがある。
漫画にしてはあまりにも、リアリズムを貫徹しすぎるのだ。ものの見方の浅い企画者は、実在する場所を克明に描いてあるのだから、そこでロケすりゃ漫画のとおりだろ?と早合点してしまう。そうではなく、モブキャラにいたるまで、人物造形が(内面的にも外面的にも)写実的すぎるのだ。「映画にするまでもなく映画になっている」漫画なので、映画としてのアイデンティティを持たせることが難しい――というより、すでに映画なのだから、映画化することないじゃん?とまで思ってしまう。


『宮本から君へ』は、本当に容赦のない残酷な漫画で、その不公平さを公平に描くフェアな態度に、僕は感服していた。
主人公の宮本こそいかにも青年漫画の主人公風の、そこそこ整った顔の青年として描いてある。だが、彼は事務用品メーカーの営業マン……という地味な存在だ。原作者の職業差別にも近い視線を感じてしまうのだが、しかし地味な業界だからこそ、大手メーカーに対抗して事務用品を売り込む中盤のドラマが白熱するわけだ。
では何が残酷なのかというと、それは人物の美醜を容赦なく描き分けることだ。

漫画的な「キャラクター」として美人の記号をもって描かれたのは、初期に登場した甲田美沙子ぐらい。後半に登場する綾部栞も、おおきめのコマで宮本をドキッとさせるぐらいには、可愛く描けている。
では、それ以外の女性たちはどうだろう? 宮本が尊敬する敏腕営業マン、神保は美女と結婚しているのだろうか? 彼の奥さんは、背の低いコケシのような女性である。宮本と結婚する中野靖子は「ツリ目の意地悪ねえさん」と揶揄されるほど個性的な顔立ちだが、服装や仕草、周囲の男たちとの関係で「美人として扱われている」印象を演出している。ようするに、“漫画のような”記号的なヒロインは2人しか登場しない。
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そして、各エピソードに一度しか登場しないモブキャラの女性たちは、それはそれは、えげつないほど個性的に描かれている。
僕がもっとも残酷に感じたのは、中野靖子を強姦された宮本が、犯人の真淵拓馬に報復するため、あちこち動き回っているシーンで登場する喫茶店の女の子だ。客と話しているときには作り笑顔で可愛らしく描いてあるのだが、戦慄すべきはタバコの煙を吹かす表情。「これでもか!」というぐらい嫌な顔をしている。なんというか、周囲に無関心な「動物の顔」をしている。社会性のない顔、とでも言えばいいのか。次のコマでタバコをくわえなおす時には、周囲を意識したニコッとした顔に戻る。
現実世界は、まあそんなものなのかも知れない。美人がおどけて、ひどい表情をしてガッカリすることがある。それでも人間には生きる価値がある……というより、そんな人間たちでも普通に生きているじゃん?と、『宮本から君へ』は(作者がその気になれば美人で埋め尽くすことのできる)漫画という媒体で訴えている。僕らの感じている女性の美醜など、はるかに超越したと次元に、世界の実質があるのですよ……と。
それは、「ルックスに恵まれない人でも心は綺麗」なんていうタワゴトではなくて、「ルックスに恵まれない人は、恵まれないことを引き受けて生きるしかない」という当たり前の事実なのだ。


そういう漫画なので、主人公の宮本の彼女(中野靖子)をレイプし、報復にきた宮本を返り討ちにする敵・真淵拓馬は「漫画の約束事の中での強者」ではなく、「現実世界に実在する絶対強者」であらねばならない。
だから、大学のラグビー部で有名人で、外務省に就職決定している大金持ちのボンボンに設定したのだ。大人に守られた社会的強者に。
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(映画では一ノ瀬ワタルが好演していたが、拓馬ってのは「笑顔が可愛いくて愛想がいい」から、社会の中で強者でいられる。その笑顔が足りなかった。まあ、そこだけじゃないけど……。拓馬とマンションのベランダで挌闘するシーンは、唯一とてもよく撮れていた。)
レイプ魔の拓馬が自分の彼女に残すメモ、父親に残すメモ、これらがいかにも頭のいい嫌なヤツが書いた文面で嫌な気分になるのだが、映画では一切オミットされていた。
 
実は、ようやく彼女ができて幸福の絶頂のシーンから取引先の人間関係を通じて拓馬と出会い、カッコよく描かれていたはずの大人たちに幻滅していくシーケンスが重要だ。
お菓子が好きでケンカが強く、誰にでも優しい大野部長は酒を飲むと、別人のように目が据わる。こういう写実的な描写が、この漫画は本当に怖い。酔っ払っておもしろオジサンになるのではなく、醜い部分が表面化する。人間、そんなもんなのかも知れない。
拓馬の父親・真淵部長に幻滅するのは、むしろレイプされた後の靖子のほうだが、真淵部長は漫画的なアレンジが効いているキャラなので、まだ分かりやすい。レイプ事件後も大人ぶって事態に介入しようとした大野部長が宮本にすごまれて、あっさり舞台から退場してしまう構成には、ただならぬ人間への憎悪と現実への覚めた目線を感じる。大野部長と宮本が和解するような、甘っちょろいシーンはない。これが本物のリアリズムなのだと思う。
『宮本から君へ』が「熱い」と言われるのは、女性たちの美醜を容赦なく描き分けたり、フィクションに都合のいい出来すぎたキャラクターを徹底的に排除した結果だ。

ちょっとこの漫画については語りきれないけど……。
営業マンとして一人前になっていく宮本が、お昼ご飯を街中の汚いラーメン屋で、汗だくで食べている。その相席に、ランニングを着た労働者が座っている。また、その顔がね。その労働者には労働者の都合があるので、漫画に合わせていいキャラを演じてなんかいられないよ……って顔に描いてある。差別的でさえあるけど、その飾り気のなさすぎる現実の強度を、この漫画は最大限に利用している。少しだけ、現実が怖くなくなる。フィクションですら汚く描いていたので、現実もそういうもんだ、と思えてくる。
拓馬の居所を探して、東京23区のはずれ(板橋のあたりだろうか)を捜索する宮本は、喫茶店で刃物を使った大喧嘩に巻き込まれてしまう。その乱闘の末、手がかりを見つけた宮本は、自分が怪我していることに気がつく。シャツの胸のあたりに血が滲んでいて、乳首がスッパリと切られている。……漫画がだったら、まあ頬っぺたが切られていたほうが「ダメージを負った」表現になるじゃない? だけど乳首が切られていると、現実だったらどんなに痛いだろう?と、想像せざるを得ない。そういう、ふだん眠っている神経を刺激してくる漫画なのだ。

(C)2019「宮本から君へ」製作委員会

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2020年4月20日 (月)

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「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG」のSF設定は、アニメーションの構造に作用してドラマを革新する。【懐かしアニメ回顧録第65回】
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このアニメが放送されたのは2004年で、僕はまだ結婚していた。日経キャラクターズ!という雑誌が、「クールアニメ」という造語でプロダクションI.GやGONZOの作品を格上げしようとしていて、苦笑しながら横目で見ていた。『攻殻』のような一級品のアニメは日経BPと付き合いの深い編プロやライターの担当で、僕は二番手だった。
でも、僕はそれでよかった。アニメって文化は、くだらないから価値があるんだと、ずっと思っていたから。絵が動く、それも油絵などではなく漫画、黒い実線で輪郭を描いてベタ塗りした簡素な「絵」を動かして、分不相応な文学性や実写的リアリズム、そして性愛(セックス)のような面倒な領域まで縦横無尽に描出する、その大胆不敵さ、傲岸不遜さがアニメの最大の魅力だと思う。

80年代のロリコン文化風の顔つきとバンド・デシネのようなアダルトな肉体描写が異種間で交配したような、下品でグロテスクで、それゆえ果てしなく魅惑的な士郎正宗の世界観と、神山健治監督の生真面目さは、実は相性が悪かったと思う。
士郎さんは、見たことを公言できないほど猛烈な、それこそ、あまりにミもフタもない猥褻さゆえに芸術的なエロ漫画の世界へ進出したが、そういうのはアニメでは無理なんだと思う。『攻殻~』は、この20年で知性的で真面目なSFアニメとして定着しすぎてしまった。エロ、それも名も知られぬまま読み捨てられる劇画誌的なエロは、文化を下支えする。アニメには、最底辺で客をキャッチする下世話なジャンルが欠けているのかも知れない。

アニメを真面目でカッコいいもの、高級なものと規定すればするほど、底力が失われていく。エロや暴力は身体と絡みついているので、絶対に軽視してはいけない。


さて、アニメと恥ずかしさの話題に入ったので、このまま先日のブログ()の続きを書こう。
「体育ができない」と、ようするに自分の身体を過剰に意識させられる。ひとりで勝手に野球をやる分には面白くて、バットやミットを買ってもらうのが楽しみだった。ひとりか、仲のいい友達と、勝手にルールを決めて遊ぶのは楽しかった。
ところが野球チームに入ってしまうと、身体の優劣を見せつけられる。下手な選手が試合に出してもらえないのは分かるし、僕も大勢の前で恥をかきたいとも思わない。
最悪なのは、チームに入ったばかりに、人間関係が変わってしまうこと。「お前のような下手なヤツとチームを組みたくない」と言われるのは、まあ仕方ないだろう。野球と関係ない日常の時間まで、極端な話、登校する時間から「廣田ごときが」「あんなヘナチョコが」と、公然と言われつづける。10歳とか11歳とかで、そういう体験してごらん?

僕は漫画を描くのが得意だったけど、絵を描いていると、「ヘタクソが……」と嘲笑っていたクラスメイトが「先生!」とか言って、媚びてくる。
中学、高校へ進むと、彼らのような凡人でも知恵がついてくるから、体育の時間だけ顔つきが変わる。さっきまで普通に話していたヤツが、目をそらして「だって廣田くん、テニスできないんだもん」と、僕を無視しても正当化される理由を口にする。まあ、大部分がそういう連中ばかりだったよ。人間なんて好きになれるわけないでしょ?

高校一年のとき、野球部の生徒に暴力をふるわれていて、授業中のことだから、教師も見ていた。だけど、「野球部員は甲子園へ行く大事な選手なので、大目に見てやってほしい」という意味のことを言われて、大人にも幻滅した。大人たちが隠蔽するんだから、大学の体育会によるレイプ事件がなくなるわけがない。社会人でもスポーツ選手は高潔な人間、ということになっている。
世の中に対する不信と幻滅をベースに生きてるんだから、そりゃあ独特の人生にもなりますよ。大部分の人は体育の時間に蔑まれたり、人格否定されることはないわけだから。


だから、ちょっとアニメを見てみました、世の中で認められるようになったから一応アニメにもハマってみました程度の凡人が、「僕もオタクっすよ~」とか病んだフリしても、俺に勝てるわけがない。俺はアニメ専門家ではないけど、アニメの歪んだ部分に対する愛着だけは底なしだから。
ブログにこういう事を書いていると、「廣田さんの欠点を見つけたぞ」と勘違いするヤツが出てくる。「俺は体育は得意でしたよ」「廣田さんのように悲惨な人生じゃなかったですよ」だとか、自慢話?をしてくる。だから、そういう薄っぺらな人たちがどう生きてようと、俺はいちばん何とも感じないわけです。俺と同じような屈折とコンプレックスを抱えている人間が、いちばん怖い。何をするか分からないから。

屈辱も劣等も感じることなく生きてきた単なるリア充が「俺は廣田さんほどダサくないですから、ファッションにも気を使ってますから」「廣田さんと違って、ちゃんと女にモテますから」と優位に立とうとしても(信じられないかも知れないけど、そうやって口に出してしまう人が結構いるんだよね……)、ぜんぜん的外れ。どうも、そういう人たちは挫折や屈折がないこと自体が、悔しいらしい。悔しくなければ、30歳、40歳にもなって、わざわざ俺に言いに来ないよね。
何の欠損もない人は、どれほど歪んだ変態アニメを見ようと、その歪みを感知する器官がそもそも無いわけで、おそろしく平凡な感想しか言えない。そして、40歳ぐらいになると、自分の凡庸さに苛立ってくるんだ。何人も実例を見てきたよ。


「知人からホテルをクローズするという苦渋の決断をしたという連絡が入った日にふざけた466億円のアベノマスクが届いた。怒りで胸が震えた。」
こうやって、何もテーマを抱えていない凡俗が政治的なスタンスをとろうとすると、とりあえず反アベ政権になってしまう。「ああ、カラッポの人だな」と分かる。まったく本質を突いていない。本質と対峙するようなベースが、人生に何もないから。
「総理大臣は今すぐ辞職しろ」とかさ。そんな力も方法もない、自分の弱さに甘えているよね。それが凡人の生き方なので、好きにすればいい。どんどんくだらなく磨耗し、人生の質が落ちていく一方だけどな。
言っておくが、安倍総理を失脚させるにはこんな秘策がある、こんなメリットがあるんだぜと知恵をこらすようなら、俺は素直に感心する。だけど凡人は、何も工夫しないんだもん。何か失うかも知れない、後戻りできなくなったらどうしよう、という覚悟がないんだもん。

リベラルとかフェミニストを名乗る人たちが、よく「ヘルジャパン」という表現を使い、「欧米はこんなに進んでいるのに、日本は取り残されていく」と決まり文句を口にするけど、彼らのいう「ヘルジャパン」「取り残された日本」って、つまりは肌で接している現実界すべてのことなんだろうな。政治的な問題を話題にしているんじゃなくて、彼らが解決せねばならないテーマは「生きるのがつらい」「現実が怖い」、それのみだと思う。
だとすればチャンスじゃないか。だって、そんな深刻なレベルまで来られない凡人が大多数なんだから。せっかく人生を革命できるような創造的なテーマを持っているのに、反アベとか欧米礼賛で誤魔化さない方がいい。せっかくの挫折が、もったいないよ。

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2020年4月17日 (金)

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ここ数日で見た映画は『ノルウェイの森』、『フェリーニのアマルコルド』、配信では『ねらわれた学園』。
『ノルウェイの森』を監督したトラン・アン・ユン作品では『青いパパイヤの香り』を見ていたが、本作では村上春樹の「俺の性欲を全女性に徹底肯定してほしい」願望が痛々しくて、見ていられなかった。やっぱり、正気の人が悩んだフリをすると、自殺だとか愛のともなったセックスができないとか、表層的なアイデアに終わってしまうのだろう。
『アマルコルド』も明るく恵まれた性欲大肯定の映画で、初めて見たときほどは楽しめなかった。

それに比べると、『ねらわれた学園』のリアリティの欠片もない演出からは、不思議な叙情性を感じられる。
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このダンスのシーンとか、空間的にも時間的にも飛躍していて、いわば「どこでもない」「いつでもない」瞬間を切り取っている。ストレートに性的なモチーフを扱っているわけではないが、青春期特有のとりとめない妄想、現実味のない願望が匂い立つように感じられた。


中国発祥の新型コロナウイルスに関して、一律10万円が支給されることになったらしい。ところが、また野党が難癖をつけている()。「内閣総辞職に値する」んだって。別に安倍内閣支持ではないけど、ちょっと意味が分からんねえよな。じゃあ、どうすればいいの? 常に反対してられるのは、現状のままで何も困らないからでしょ? というより、常に反対してないと、「間が持たない」「やることがない」んだろうな。

この期におよんで、何はともあれ安倍総理に難癖つけているミュージシャン、俺は弱者の味方だ、日本国籍のない人にも10万円払えと、あえてわざわざ重箱の隅をつついているアーティスト。お前ら、何も困ってないだろう? ちょっと不愉快だとか気分が晴れないだとか、その程度だろ。本当は余裕しゃくしゃく、優越感にまみれて、エエカッコシイしてないと罪悪感でいっぱいで、恥ずかしいぐらいだろ? 俺にはバレてるぞ。


どうして分かるかというと、僕は小学校のころから体育が出来ず、劣等感に打ちのめされて育ったから。教師や同級生から嘲笑されつづけると、本物の混じりけのない恨みが心の底に熟成されてくる。今でも、体制が憎い。多数派が憎い。権力が憎い。それぐらい、身体に根ざす劣等感は根深い。
ヒエラルキーの最下層にいると、最上層部で旗をふっている本物の強者はほんの少数で、強者に合わせて擦り寄らないと居場所を得られない凡俗どもが大多数なのだと分かってくる。安倍政権に反対して、何かしら問題意識のあるポーズをとってないと「間が持たない」のは、ようするに、中間層の凡俗どもの成れの果てだよ。
(クラスの最上層で我が物顔だった人間たち、権力者たちは大金持ちやヤクザの子供だったりして、ちょっとした犯罪をもみ消すことも出来たりして、社会的なレベルで「悪党」になっていった。本物の権力者たちは敵にするにも味方にするにも危険すぎて、「割に合わない」のだ。)

そこそこ体育もできて、女子からも人間扱いされて、これといった不自由もなく育つと、人間はどんどん薄っぺらになる。やることがないから無闇に体を鍛えたり、せいぜいファッションに凝るぐらい。そういうヤツが「俺もオタクっすよー」とか言ってアニメを見ても、屈折していないから見方がスカスカなんだよ。
「あの……本当に自分のことオタクだと思ってますか?」と、俺がジトッとした目で聞き返すと、優越感にもたれかかって生きてきた凡人はギクッとする。30歳、40歳と年齢を重ねると、自分には何も中身がない、心からの悔しさもどす黒い怨念もなくて、のっぺらぼうの優越感だけだ……と気がつきはじめるから。
自分の身を危険においたことがないから、言葉が上っ面なんだよ。戦争反対だから兵器を買うなとか、軍事予算で弱者を救えとかさ。リスクをおかしてない発言は、まるで心に響かない。


俺は体育の時間が教師の都合でなくなると、教室で漫画を描いていられるから、ひとり陰気にほくそえんだ。
クラスの八割ぐらいの凡人たちは「あーあ、ドッジボールしたかったのにー」と、上層部の意向に合わせた表層的な悔しがり方をしていたが、本当に恐ろしい生徒は、教師を殺しかねない。逆に、体育の時間をなくしたぐらいで教師を殺すヤツなら、俺は尊敬したと思う。
でも、そこまで本気の人間は滅多にいない。


静岡県議会の諸田洋之って議員が、マスクを転売したでしょ? もうみんな政府の配布するマスク叩きにも飽きて、諸田議員がマスクで儲けたことなんて忘れてるだろ? 俺は諸田議員に「いつ議員を辞めるんですか?」と、ねちねちメールを出しているよ。
今の日本の法律では、諸田議員を辞めさせることは出来ない。一時的にネットで叩かれても、諸田議員は痛くも痒くもない。かすり傷ひとつ負っていない。どんなに腹がたっても、こんなザコ県議ひとり辞めさせることが出来ない。それが日本の限界。
だから、「総辞職だ」とか空疎な、しょせん本気ではない、恨みも憎悪もない表層的な言葉を繰り返している野党が嫌いだ。本当に切羽詰った、根源的な生き苦しさを抱えてしまった人間をバカにしているとさえ思う。

この時期に反政府的なスタンスで幼稚なツイートをしているミュージシャンや俳優は、これで底が割れたので見通しがよくなったと思う。(宍戸開だとか、デマを拡散するまでまったく、名前すら聞いたことがなかった。スポーツも出来てルックスにも恵まれて、だけど反アベぐらいしかやることが残ってない典型的な凡人。)
本当に怖いヤツは、いま絶対に人目に触れない場所に潜んでいる。

(C)KADOKAWA1981

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2020年4月13日 (月)

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なぜ「星合の空」は途中で終わらざるを得なかったのか? 赤根和樹監督が語る“日本のアニメを存続させるために、いまできること”【アニメ業界ウォッチング第65回】
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どうしてこのインタビューが可能になったかというと、『星合の空』のディスクが今月22日に発売されるため、その宣伝である必要がなくなったからです。
放送前にインタビューを申し込んだときは、エイトビット、TBS、そして外注の宣伝会社へ……とタライ回しだったので、それではロクな環境でインタビューできない(他社の取材と抱き合わせにされる例が多い)ので、断りました。
放送後、『ノエイン』以来の付き合いである赤根監督と直接交渉が可能になったから、こういう話を聞けたわけです。ようするに、製作委員会がインタビューなんて「宣伝」だとしか考えてないから、記事の質が下がるんです。そこに歯止めをかけられるのは、ライターや編集者ひとりひとりです。


ここ数日でレンタルして観た映画は、『戦争のはらわた』と『クレオパトラ』。
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『戦争のはらわた』は中学のころ、三鷹オスカーの戦争映画特集で観たように思う。爆発のスローモーションばかりが話題になるが、この映画は線ではなく点で出来ている。「誰かが銃を撃つ」「撃たれた側が倒れる」流れが、構図とカットで計算されているとは限らず、完全に別々の場所で撮ったカット同士を強引に繋げている。その乱暴さが、ある種の迫力を出している。
こういう「雑さ」は、ネタバレだ伏線だと神経質になってしまった今の娯楽映画では、許されないのかも知れない。


『クレオパトラ』は半裸の美女たちが舞い踊り、入浴シーンも結構あって、その通俗ぶりにちょっと笑ってしまった。
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ただ、上のような並外れたスケールの豪奢な作り物には、素直に感心させられた。
50年代はシネスコやビスタが開発され、映画会社は大画面の迫力を駆使して、テレビに奪われた観客を映画館に呼び戻そうと必死だった。IMAXフィルムで撮られていないのにIMAX上映する今の映画館の趨勢に、かなり似ている。
『スター・ウォーズ』新三部作の巨大なセット志向、「別に作り物に見えてもいい」「っていうか、昔の超大作はセット丸出しだったじゃん!」という開き直りのルーツは、50~60年代に、その萌芽を見ることが出来る。観客の顔色ばかりうかがっている最近の『スター・ウォーズ』が、いかにみみっちいか、分かろうというものだ。

もっとも、ルーカスは『クレオパトラ』のエロティックな要素は、受け継ぎそこねたのかも知れない。『クローンの攻撃』でナタリー・ポートマンの白い服で、乳首が浮いて見えるのでは?という噂があった。
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ご覧のように、縫い目が乳首に見えるだけなのであるが、このコスチュームが破れてヘソが見える……という演出は、童貞くさいルーカスにしては、ずいぶん思い切ったと思う。


吉祥寺のように過密しがちな街は「怖い」と感じるのだが、三鷹市のマイナーな通りは日曜日でもスカスカなので、散歩してきた。
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ところが、中華料理屋からは「ごちそーさん!」と大声で叫びながら暖簾をくぐって出てくるオヤジはいるし、大丈夫なのかなと思ってしまう。アベックや親子連れは、例外なく手を繋いでいる。
マスクが買えなかった、と意気消沈している家族も薬局の前で見かけた。僕はたまたま入荷時間に店にいたから買えたけど、この先が心もとないから、やむなく3日ぐらい同じマスクを使いまわしている。だから、政府の配布する布マスクは、けっこう助かる。

自分の行動には甘いくせに、他人の行動を厳しくチェックしてないか警戒すべきと思う。なぜなら、他罰感情は僕たち自身の心を濁らせ、腐らせるから。
たとえば一部の地域では、ドイツ人がフランス人を差別している()。欧米人・白人の人権意識が、とりたてて高いわけではない。誰もが差別者、加害者になり得る。自分だけは清廉潔白だと思っている人間から、順番に堕落していく。


しかし、今回のコロナ騒ぎ、欧米での感染者数・死者数が増加してから、急に「世界全体の問題」に格上げされたように感じている。
そして、すでに桁違いの被害者を出している国・都市の人たちが「次は日本だぞ」「日本の対策は甘い」など、脅しに来る。以前から、ずーっとそうだったような気がする。何がどう変わったわけでもないのだろう。
もし、中国・台湾・韓国・日本などアジアの一部に感染が留まっていれば、欧米はそしらぬ顔をしていたような気がしてならない。僕らは、彼らの周章狼狽に合わせてやっている部分もあるだろうし、それによって損している部分も助かった部分もあるだろう。

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2020年4月10日 (金)

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最近観た映画は、熊井啓監督の『忍ぶ川』、ヒッチコック監督の『ファミリー・プロット』。
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熊井啓といえば、僕が映画に興味をもった頃は『海と毒薬』や『ひかりごけ』。ホラーになりかねないような際どい題材を扱う、当時の言葉でいえばカルトっぽい印象だった。ところが、『忍ぶ川』は救いのある恋愛ドラマで、呆気にとられた。

まず、構図がいい。手前に大きく花や街路樹などをナメて、広角気味に撮る。オシャレだ。
鳥の群がバッと飛び立つカットをあるシーンで使ったら、それをドラマのあちこちにインサートして、心理描写とする。ありふれた演出のようだけど、カットの短さ、音のシンクロ加減などのセンスがいい。キレがある。

黒澤明のように、構図それ自体が何かを語っているような、文語的な構図ではないんだけど、映画に耽美的なムードを与えている。1972年ともなれば、もう映画に出来る新しいことは残されていなかったと思うので、これでいいんだろう。
『ファミリー・プロット』は、すでに『スター・ウォーズ』前年の作品なので、完全にヒッチコックの役割は終わっていると感じさせた。60年代初頭の『サイコ』、『鳥』。この2本で、次世代に最後のバトンを渡し終えたのではないかな。


先日、総理大臣の会見で時間が終わりそうになると、「まだ質問あります!」「逃げるのですか!」と騒いで、頑張って仕事した気になっている記者たちのことをブログに書いた。「ああいう記者は素人」とTwitterに書いたところ、「彼らは逃げるのですかと騒ぐところまで含めてお仕事」「そういう絵をつくるプ専門のプロなので」と指摘された。「やっぱり、ヤラせですよねえ(笑)」と話を合わせてしまってから、猛烈な自己嫌悪がこみ上げてきた。

あのね。「どうせ、あいつらは金もらってんだよ」「しょせん、世の中なんてそんなもんだよ」と白けたところで、何かプラスになるものがあるんですか? それは「しょせん本気ではない」大人の態度を、遠くから肯定しているに過ぎないと思う。
「ああいうお仕事なんですよ」「ある意味でプロなんですよ」と聞いたふうに指摘してきた人たち、どんな仕事をなさっているのか、さっぱり分からない。悪いけど、プロとして仕事を貫徹できてない半端者なんだろうな、と邪推させていただく。

例えば、デモ活動を見るたびに「あいつらは金もらってんだよ」「プロ市民だよ」と指摘して、冷笑する人たちがいる。
僕がデモに腹が立つのは、参加者が「しょせん本気じゃない」から。「アベ辞めろ」というプラカードを掲げている人たちが、じゃあ明日から首相が望む人に代わったら……と、現実的に想定してるだろうか。してないよね。「アベが辞めるわけがない」「明日も今日と同じ日常なんだ」と安心しながら叫んでいるから、耳を貸す気になれない。本気でやってるなら、右も左も関係ない。与党精神と主体性のある人なら、僕は最大限に評価する。
そこまでのリスクを覚悟していない政治活動も、「まあ、あいつらはプロ市民に過ぎないから」という無責任な嘲りも、同じ泥沼に浸かっている。向上心を捨てた、無気力な泥沼に。


「違和感のあることを続けていると、いつかとんでもない事になっちゃうのよ!」――大学四年のとき、そのように僕に叫んだ女性がいた。その一言を聞いた瞬間、僕はゾーッとして、彼女への幼稚な恋愛意識を捨てて、なるべく早く愛憎の泥沼から離れようと決心できた。
「違和感のあることを続けていると、いつかとんでもない事になってしまう」……なんという、ありがたい一言なんだろう。恋愛だけではなく、仕事のうえでもそうだよね。最初に違和感をおぼえると、いつか必ず破綻する。人間関係でも、ちょっと会ったばかりの人でも「?」と欺瞞を感じると、いつかは化けの皮が剥がれる。なので、経験によって培われた感覚は信じていいということだ。(離婚のとき、母が殺されたとき、すべてこの違和感が起点にあった……)

今朝、かなり有名なタレントの方が中国発祥のコロナウィルスについて、一週間ほど前に流行ったチェーンメールをFacebookにアップしていた。「これが例え本当の話でなくとも、大事なことが書いてあります」とのことだった。……え? たとえ本当のことでなくとも……ウソ話でも大事なことは大事……!? 何だ、この怖さ? 
俺は今、「一歩も外に出るなよ」「いま営業している店は裏切り者だぞ」というムードになっているのが、いちばん恐ろしい。とりあえず1日部屋にこもった後、昨日と今日は駅前に出てみた(というより、マンションが駅前にある)。
大手チェーンの店は休業に入っていたが、個人経営のラーメン屋や弁当屋はいつも通りに堂々と商売していて、少しではあるが、行列も出来ていた。
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そこで今日は駅の反対側へ行って、お気に入りの喫茶店がオープンしていたら、ちょっと休んでいこうと思った。もともと会話禁止の店だったが、さらに客数を限定4名にしぼり、客と客との間隔を2メートルほどあけるよう配慮されていた。店の主人は、もちろんマスクをしている。ちょくちょく窓をあけて、換気もしていた。
でも、そんな配慮とは関係なく、「飲食店に入ったヤツは犯罪者だぞ!」と断罪されかねないムードがあり、そのムードに負けてお気に入りの喫茶店へ行かなかったフリをするのが、俺は何より怖い。コロナも目に見えないが、同調圧力も目に見えない。
(チェーン系の喫茶店はギッシリと満席になっており、その人ごみに入っていく勇気は、僕にはなかった。)


感染拡大を抑えるために、なるべく外出せず、人と接触しないよう努めるべきなのは分かる。そのために、国や都が十分な対応をしているとは思えない(まして、三鷹市は何もしていない)。
最終的に自分の身は自分で守りつつ、僕ほどの歳にもなれば、少しは社会のこと(特に先の長い子供世代のこと)を考えて行動せねばならない。そう思っている。

だけど、Facebookに貼られていたチェーンメール、具体的な医療機関名を後から削除したため、不自然な文体になっていたチェーンメール……。政府が配る布製マスク2枚を竹槍に例える文化人、空港に設置されたダンボール製ベッドを見て「日本やばくないですか?」「まるで野戦病院」「まるで戦時中」と感染爆発中の欧米から、わざわざツイートしてくる海外在住の日本人……彼らに対する違和感。
(岩田健太郎とかいう医者だか教授だかが、ちゃっかりコロナ関連の著書を出したり……)
なんというか……、本当は痛くないくせに痛がっているフリというか、はっきり言うと、ウソツキ感。チェーンメールにあった「助けられる命」「できるかぎり家族や友人に」「時間がありません」……この、脅迫めいた綺麗な言葉の数々。この、「逆らわせまい、従わせよう」という支配欲。こんな隅っこでまでイイ子ぶりたい、可愛がられたい、ペテン師に特有の自己愛。俺は今、そんなものとは距離を置きたい。

アルコール消毒液が置いてあれば、必ず使う。スーパーでは前の人と距離をあける。機会があれば必ず手を石鹸で洗う。せっかく家で仕事できる人なんだから、遠出はすまい。
4月の仕事はすべて納品してしまったので、次の取材まで、あいかわらずプラモ本の企画を考えさせてほしい。「圧力をともなった善意」には、ほとほと愛想が尽きた。

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