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アメリカ発CGアニメのスピンオフを、日本アニメの文法でつくる! 「RWBY 氷雪帝国」のストーリーを創出した虚淵玄(ニトロプラス)×冲方丁の仕事術【アニメ業界ウォッチング第89回】
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他でもない大好きな『RWBY』なので、バンダイナムコピクチャーズさんに連絡して、取材が実現しました。


6/23~24にかけて、神戸市と福岡市へ二泊三日の旅行。美術館の方たちと打合せするのがメインだったが、鉄人28号やνガンダムの立像を見学して、最終日は一人で福岡アジア美術館と福岡県立美術館、福岡城・鴻臚館を見学。フラッと一人で昼飲みしたりして、まあまあ楽しかった。
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ひとつ、どうしても記しておきたいことは、帰りの飛行機(行きは新幹線だった)。窓際の席で、しかも隣が女性だったので、離陸時は叫びそうなほど緊張した。離陸してから、飛行機が激しく揺れたのも怖かった。逃げるように精神安定剤を飲み(薬の入った財布を手元に置いておいて良かった)、文庫本二冊に集中した。
しかし、離陸直前、席から立ち上がって「やっぱり降ります!」と逃げ出しそうなほどの圧迫感だった。海外旅行のときは、必ず通路側を予約している。窓側だけと閉塞感が怖い。あと、女性という存在が怖い。離婚後に女性に好かれていた時期も、この恐怖症は治まらなかった(その女性たちと一緒にいても、まるで緊張はしないのだが、別の場面では凄まじい緊張感に苦しんでいた)。

いつも行っている喫茶店でも、思いがけず混んでいて隣が女性だと、滝のような汗をかいてしまう。このパニック発作のような症状、本でも一度も見たことがない。広場恐怖症に近いのだろう。


その飛行機は、Peach Aviationであった。詳しく知らなかったのだが、一昨年、機内でマスク強要をめぐるトラブルがあったためか、とても冷たく「今すぐ着用してください」と搭乗口で言われた。機内では先述のようなパニック状態だったので、ずっと顎まで降ろしていた。
ほかには、福岡県立美術館がマスクにうるさい。アジア美術館は「マスクできません」という札を下げておけばオーケー、鴻臚館は「マスクがないなら、じゃあ話さないでください」。私ひとりしか客がいないのに(笑)。でもまあ、Peachや県立美術館の冷徹な態度に比べれば、柔軟性があって可愛らしい対応だった。

東京に帰ってきてから、すさまじい猛暑のため、ほとんど家にいる。取材で出かけるとき、大きなビルだと受付でマスクするよう指示されるが、それ以外の場所では完全に自由だ。仕事相手がマスクしている場合がほとんどだが、いつの間にか相手も外していることが多い。
せめて午前中の涼しい時間を選んで喫茶店へ行こうと外へ出てみると、まだ8割ぐらいの人が汗をかきながらマスクしていて、呆れながらも「まあ、こんなもんだろうな」とも思う。常々、満員電車とかサービス残業などの理不尽で過酷な状況に、なぜみんな耐えているのか不思議に思っていたが、学校という場所が忍耐強い労働力を量産する工場だと思えば、今のマスク社会になっても何の不思議もない(学校が、何か創造的なアイデアを学ぶ場だと勘違いしている人が多い)。

気温が36度もあるのにひたすら耐えてマスクしている大人は、「嫌だけどみんなに合わせる」という道を選択したか、もっと恐ろしいのは無意識に苦痛の多い道を選んでしまっているかだろう。
「マスクを続ける自由もある」などという屈折した言い方が出てくるのは、「自分の意志をもって自由になっている奴らが妬ましい」「奴らではなく俺らが自由という形にしてほしい」という歪んだ平等感のあらわれだろう。負けた人間は、形にこだわる。


一人を得させるぐらいなら、みんなで損をしたほうがマシ。それが、日本社会だと思う。
先述したように、僕はパニック発作を抱えている。だけど、嫌なことは徹底して避けている。どこにも就職していないが、いつも十分なお金を稼げて、いつでも好きな時間に寝ている。毎日、好きなものを食べている。好きな場所へも行っている。嫌なら帰るだけだ。
でも、今のマスク社会になって、どうやら8割ぐらいの人が理不尽な我慢をしているらしいと分かってきた。「そんなわけがない」と思ったら、あなたは残り2割の側だろう。カッコよくてお洒落な人たちが猛暑の中、マスクをして歩いていると、「なんだ、彼らは8割の側だったのか」と不思議な気持ちになる。リア充の「充実」って、自由とは関係がないらしい。

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2022年6月18日 (土)

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頭のデカい悪役ロボは好きですか? 「機甲戦記ドラグナー」の1/144ゲバイ(バンダイ)なら、頭デカいよ!【80年代B級アニメプラモ博物誌第23回】
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いつもの素組みレビューです。


木曜日、どちらかというと仕事上の都合により、市民優待枠でジブリ美術館へ行ってきた。10年ぶりぐらいだろう。
僕は外を歩くときはマスクをしないのだが、入り口で「マスクはお持ちですか?」と呼び止められた。なぜマスクを着けねばならないのか聞いてみると、ややキレ気味に「皆さんにお願いしてますからっ!」とのことであった。
子供たちが遊べる猫バスのコーナーでも、全員がマスクをさせられていた。すっかり気持ちが覚めて、目当ての企画展だけ早足に見て、30分ぐらいで帰って来た。Twitterで調べてみるとジブリ美術館のマスク強制は悪名高く、3歳以上は必ず着用なのだという。
メールで「科学的、医療的な根拠は?」と問い合わせてみたが、返事はない。

コロナが流行る何年も前の話である。SNSで「風邪が治ってきたので、ちょっと近所までお買物」と書いた人に対して、「ムッ! 風邪は治りかけが肝心ですぞ」「気を緩めないように!」など、上から𠮟りつける人が結構いた。ようは、コロナ騒動の本質ってそれでしょ? 病気をダシにして他人に言うことを聞かせたい、上に立ちたい、自由を制限したい。仲間外れをつくりたい。でも、そういう空虚な上下関係や圧力によって、社会が維持されてることも間違いないと思う。
「コロナ」の部分に、いろいろなものを代入して、憎悪と排除を正当化してきたんだろう。


小学校5~6年生のとき、担任教師が「先生は仕事があるので、次の一時間は好きなことしていいぞ」と言った。
驚いたことに、40人ぐらいの生徒は僕以外全員、ドッジボールをするために校庭へ駆け出して行った。僕は教室に残り、一人で『ミクロマン』のイラストをコツコツと描いていた。
たぶん、本気でドッジボールをやりたかったのは数人だったと思う。あとの何十人かは空気を読んで、仲間外れにならないために参加したに過ぎないだろう。それが社会なんだと思う。みんな、そこまで本気で考えていない。みんなが「いい」と言う映画を見に行って、なんとなく「いい」気持ちに染まっている。そのまま平凡に歳とって、なんか不都合ある?という話だ。

僕はドッジボールどころか、体育や運動が致命的にできなかったため、自分で楽しみを探すしかなかった。小学校高学年で『ミクロマン』なんて買っていたので、「まだそんなオモチャ買ってるの?」「幼稚だね」と言われた。そう言っていた彼が中学生になり大学生になり、他人に合わせながら自分を殺して、少しでも得するために四苦八苦していたのを、僕は知っている。自分独自の楽しみや生きがいや価値観を見つけられず、周囲に合わせるのに終始している人のほうが、実は社会の圧倒的多数なのだ。
「地域の仲間」とかさ。「同じ学校の出身」とかさ。何も見つけられなかった人が最後に頼るのが、「組織」「決まり」なんだ。それは不思議なことではない。バカは理不尽な決まりが好き。決まりにさえ従っていれば、どんなバカにも生存権が与えられる。
決まりに従えないバカは、自分の居場所を自分で作るしかない。僕という人間は、その記録なのだ。

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2022年6月14日 (火)

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ホビージャパン ヴィンテージ Vol.7
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先月末、ようやく発売となったムックです。巻頭特集の構成と執筆を担当。

未来バイクが巨大ロボの腕になる! だけど片腕だけ? 「魔境伝説アクロバンチ」のバンチャー・アロー(アオシマ)を変形させてみた!【80年代B級アニメプラモ博物誌第22回】

アキバ総研に書いている素組みコラムです。

「積んどくモデラー」の楽しみ方 プラモ買っても作らない派がグッとくるポイントとは

乗りものニュースに書いているコラムです。


先月末に世田谷美術館と五島美術館をハシゴし、今月は横須賀中央に前泊してバスで横須賀美術館へ行った。
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その間、あちこちで夕飲みしているのだが、やはり飲みすぎると酔うことが目的化してしまい、つい家でも安いワインを飲み続けてしまう。すると、その日に払ったコスト(お金だけでなく、自分の足で探した情報の価値や恵まれた天候)は台無しになってしまう。


最近観た映画は『ブルーサンダー』、『未来警察』、『アシュラ』、『さらば愛しき人よ』。
原田眞人が1987年に撮った『さらば~』は、80年代の軽佻浮薄な気分やファッション、当時の業界人のカメオ出演に感傷的な気分にさせられ、なおかつ原田得意のひねった癖に彩られた悪役たちが楽しい。『ガンヘッド』を経由して『タフ』シリーズへ至るアクションの系譜が、明らかにこの映画から始まっている。

日本映画も面白いなと思いはじめたので、なんとなく「女性向けのポルノだろう」との偏見から遠ざけていた『娼年』を気まぐれに観てみた。
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そして、その成熟した人間観に、すっかり感心させられた。映画が終わるころには、冒頭に登場した軽薄な女子大学まで、身の詰まった彼女だけが生きてきた唯一無二の性を背負っているように見えてくる。ひとりひとりの女優が、恥も照れも年齢も武器にしながら、その人だけの喜びを表現していた。

ネオンサインに彩られた夜の街はCGのように人工的に美しく撮影され、昼間働いている人々が歩く横断歩道は穏やかなグレーに沈んでいる。表層的に生きるしかない凡人たちを軽蔑しているわけではない。グレーの世界には、グレーの世界なりの穏やかな落ち着いた美しさがある。凡人たちだって、言葉に出来ないだけで彼ら固有の生と性を生きているはずなのだ……そんな厳粛な距離感が、映像の質感から伝わってくる。
映像なんて綺麗に撮れれば何でもいいんだろうと、ずっと思ってきた。『娼年』の映像には、倫理と世界観がある。ひさびさに、誠実な表現を見た気がする。

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2022年5月27日 (金)

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アートか、ホビーか? 変形する金属彫刻を作りつづける造形作家、坪島悠貴の幻想世界【ホビー業界インサイド第81回】
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変形トイの原型も手がける作家、坪島悠貴さん。幅広く仕事ができるのは、才能のみならず温厚な人柄ゆえでしょう。


17日は東京駅近くの博物館インターメディアテク、東京ステーションギャラリー、国立西洋美術館を一日で回った。
22日は練馬区立美術館、24日は北区飛鳥山博物館・紙の博物館・渋沢資料館へ足を運ぶ。
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そして、仕事の関係で招待券で行った日本科学未来館の展示「きみとロボット」に魅了されてしまい、なんと一週間後に自費で行ってきた。このあたりのことは、Twitterにリアルタイムで書いている()。

「弱いロボット」という概念に心惹かれて、提唱者の岡田美智男博士の著書まで買ってしまった。
『ニューロマンサー』と『ヨコハマ買い出し紀行』を読んだときのような、驚きと同時に少し寂しさを感じる……それが、僕にとっての未来だ。フェトウスというファッションブランドのコピーで、「未来は少し懐かしい」というのがあったと思う。その「懐かしい」とはレトロ・フューチャーという意味ではなく、僕には「寂しい」と聞こえる。


その間、三度も四度も夕飲みしているのだが、ほとんどが曇り空。
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これは、まだ日の高い時間に行った石神井公園の休憩所。
しかし、外飲み・夕飲み自体が単なる習慣と化してきているので、気をつけねば。曇り空に失望するたびに2~3千円も出ていく。これがまた、メンタルによくない。贅沢な、豊かな気持ちになるために苦労して夕飲みスポットを探し歩いているのに、消耗する一方では本末転倒だ。


政府が、マスクの規制緩和を宣言したらしい。
しかし、街ではマスク姿が9割ぐらい。それほど驚かないというか、「だって世の中の大半の人って自分では何も判断できないよね?」という感想しか出てこない。無意味に行列したがる、電車に駆け込み乗車する、ぜんぶ同じ心理だろう。
小学校のころから、先生が指図するまでは我慢する、自分で勝手に判断してはダメという教育を強いられてきたように思う。誰かに責任を押しつけて、自分はその他大勢に埋もれていたい。みんなが我慢するなら、自分も我慢すべき。学校って、そういう空間だった。

中学校のころ、クラスのみんなから「ギュリヒグ」とあだ名をつけられ茶化されている人がいて、彼が何かやるたび、みんな一斉に「ギュリヒグ!」「ギュリヒグ!」などとヤジをとばす。ふと気がつくと、「ギュリヒグ」と名指しされているはずの本人も「ギュリヒグ!」「ギュリヒグ!」と茶化す側に加わっている。すると、疎外されている特定個人は消失して、集団による蔑視と悪意だけが残留する。それが社会なのだ。
コロナであろうと他の病気だろうと、事故だろうと事件だろうと、人は理不尽に死ぬ。その不合理を直視する勇気がないから、なんとなく「命は平等だ」「ひとりも死んではならない」などと、表層的で偽善的なスローガンだけが無責任に漂っている。

「『俺がマスクをして苦しい思いをしているのに、なんであいつはマスクをしていないんだ』と批判されることを恐れて、結果的に全体のマスク着用率は高い、というね。社会心理学的に見て、スパイト行動というのは、とにかく平等を求める気持ちなんですよね。とにかく平等にっていう思いや、競争心が強くなりすぎると、みんなが貧しくなる、ゲーム理論では“共貧状態”って呼ぶんですけど、こうした状況が起こってくる」


最近観た映画は、『レイジング・ブル』、『海底47m 古代マヤの死の迷宮』、懐かしのインディーズ映画『ゴンドラ』。
映画を早送りして観はしないが、2時間を超える映画は本当に長いと感じている。

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2022年5月16日 (月)

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バサラの痛み、ミレーヌのとまどい……「マクロス7」第5話は、最終回へ向かって静かに走りはじめる【懐かしアニメ回顧録第90回】) 
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最近、ちょっと恐ろしい本を読んだ。『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』。若い世代は、ウェブ配信で映画を見るとき、さっさと「ネタバレ」で検索して何が起きるのか理解してから、よけいな間を省略して観るのだという。
何が恐ろしいのかというと、「まあそうだろうな」と納得できてしまうからだ。よほど引き込むような演出を使っていないかぎり、ついスマホに手が伸びてしまう。さすがに、飛ばして見ることはしないが、途中でストーリーをGoogle検索して、誰が何をしているのか確認することはある。
しかし、登場人物が誰でどうなのか、意図的に曖昧にしている場合があったり、また、誰が誰だか分からないことが映画の印象を独自づけたりするのだから、これは勧められたことではない。ところが、食い入るように見たとしても、映画の本質は「記憶」へと遠ざかってしまう。「このカットに感心したんだ」と伝えるには、画面をキャプチャするか、上にリンクしたような評論風の読み物にして留めておくしかない(果たしてそうなのか……手元で、「ホラここのカット繋ぎを見てよ」と説明することが、今ならいくらでも可能なのに?)。

10年前に観たときはさっぱり分からなかった映画が、勉強をへた現在なら、ストンと腑に落ちたりする。若いころの出鱈目な“感性”とやらを恥じるし、知識も経験もない未熟な「感動」の薄さに気がついたりもする。一方で10年後、20年後の自分がいま知っている映画をどう理解するか、楽しみでもある。


しかし、『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ』で感じた本当の恐ろしさは、何十年前にもいたであろう無能で不勉強な若者たちが、ネットの時代、バカはバカなりの卑怯な手段で勝ちに来ている……という点だろう。
ツイフェミもそうだが、彼らは事実を精査したりなんてしない。「話」を「話し」、「裁判沙汰」を「裁判駄々」などと書いてしまう人もそう。伝わりさえすれば、間違っていようと事実でなかろうと、今の感情が絶対優先という人たちとSNSは相性がいい。「事実はどうであれ、私は傷ついた」「私が傷ついたことは事実」、これで相手を謝罪に追い込むことが出来る。
炎上に参加して社会的強者を殴っている人たちは、自分で情報を探してきたりはしない。あいかわらず、そこは勘のいい有能な人たちに丸投げで、彼らの成果にだけタダ乗りしようとしている。そもそも社会で認められていないので、「信用を失う」なんてこともない。学ばない人たちの刹那的で破滅的な態度が、僕はおそろしい。

よく気をつけて勉強しながら生きていかないと、見苦しく堕落してしまうということだ。人間は、自分で自分を騙す。警戒しないと、愚かな流れに飲み込まれてしまう。


先週水曜は静岡へ行って、ホビーショーに参加。伝説のプラモデル設定者、村松さんと飲んだ。
翌日、静岡県立美術館へ。ロダン館の「地獄の門」の迫力に圧倒された。
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昨日、土曜日は神楽坂の廃ビルに特設された美術展「惑星ザムザ」。その後、天王洲アイルまで行ってWHAT MUSEUMへ。「建築模型展ー文化と思考の変遷ー」と「OKETA COLLECTION 展」。
曇っていたが、テラス席でビールも飲んだ。


最近観た映画は、『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』、『漁港の肉子ちゃん』、『バクラウ 地図から消された村』、『トキワ荘の青春』、『ドライブ・マイ・カー』。

『漁港の肉子ちゃん』の作画が、圧倒的に凄い。「まだアニメには、こんな表現力があったのか」という驚き。
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一方で、おそらくチック症という設定なのだろう、誰も見ていないと発作的に変な顔をしてしまう少年の表現がグロテスクで、かなり怖い。何かのアクシデントで、映ってはいけないものが映りこんでしまったような感触さえする。そういう行き過ぎた表現も含めて、芸能人が企画したアニメにしてはオーバースペックの異色作。すべっていて、意図の伝わらない部分まで含めて、表現として力強い。
そして、ろくに観てもいない一般人から叩かれるのは、まさしく「芸能人が関わっていないと見ない」「普段は地上波テレビしか見ていない」層に届いた証拠ではないだろうか。そうした、「バカに伝わる」事態を恐れてはならないのだと思う。世の中の七割は、ろくに調べもしない向上心のない「バカ」だと覚悟しよう。

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2022年5月 8日 (日)

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ゴールデンウイークなどの連休は家でじっとして、平日に出かけたいのだが、いろいろ事情があって、まず前半は三菱一号館美術館、昭和館へ。後半は国立科学博物館、アーティゾン美術館へ行った。その合間に喫茶と夕飲みを織り交ぜた。
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すると、休日にしか飲食店に来ない人たちと出会うことになる。混んでいるのに、ひとりで4人席を占有する人、お冷を追加するどころかペットボトルの飲料を取り出してまで長居する家族もいる。
そうした人たちを見ていて思うのは、ようするに彼らは「タダ」で「得する」ことばかり考えているのでは……ということ。お金のかかる飲食の時間ではなく、無料サービスの水だけ飲んでいる時間は「タダ」である。お金を払っていないから、遠慮を忘れて強欲になる。スーパーで、無料で置いてある割り箸やビニールを山ほど持っていく人がいる。あれと同じだ。
いつも自分は損しているという実感があるから、その不公平感を手軽に払拭しようとして、「タダ」の物品や時間にたかる。クーポン券、サービス券は貧乏人に「得している、取り返している」というドリームを与える。逆を言うと、クーポンやポイントカードを使うほど貧乏な感覚が身についてしまう。


僕がいつも気にしている歩きスマホも、彼らが歩いている時間を「タダ」と捉えているのであれば、なんとなく説明がつきそうだ。
「タダ」で過ごせる時間なのに何もしないのは「もったいない」、だから、その場で現金をとられるわけではないスマホアプリで使いつぶそうとする。駅のホームから電車が発車しそうになると、あわてて駆け込む人がいる。あれも「損したくない」感覚のあらわれだろう。
つまり、「どっちにしても同じなら、スマホで楽しい思いをしたり早い電車に乗れたほうが得だろう」という考えが身に染みてしまっている。「タダ」を何かで埋め尽くそうとする焦りこそが貧乏の本質なのだ。だから僕は、同じ場所にタダのベンチとお金を払わないと座れない店舗のテラス席があったら、お金を払うほうを選ぶ。「タダ」は焦りを生み、人を厚かましく、はしたなくする。(ポイントの溜まる店にばかり行くなど)「タダ」にこだわるから選択肢が狭まり、気持ちに余裕がなくなり、貧乏になるのだ。

かなり以前に、「歩きスマホしている人はポケットからお金がこぼれ落ちても、気がつかない人」と書いた。
あるいは、「人にぶつからないよう気をつけて歩く」という余計なタスクを自分に課したうえ、実際のリスク管理は他人に丸投げしている。絶対に仕事では関わりたくない相手である。


『月曜日のたわわ』炎上に関して、プロ奢ラレヤーという人が回転寿司を例えにツイートしていた。
“不快な広告のはなし、「すごく納豆が嫌いなひとでも、回転寿司で納豆が流れてきたときに『嫌いなんです!流さないでください!』なんて言わない」という共通認識がくずれて、せかいのすべてが私の私物!わたしの為のせかい!わたしが不快なものはすべて犯罪!みたいに自我が膨張した妖怪のはなしっぽい”

この誰でも乗っかりやすい例え話に、ツイフェミ(?)の人が頭の悪い返事をしていた。
“女は回転寿司に流れたくないし、そもそも寿司じゃないのに、「お前らは消費される寿司なんだ」って言われて勝手に流されたいことにされたり無理矢理コンベアに乗せられるからふざけんなクソって言われんだよ。”
あまりに文脈を読み間違えているので「……え?」と首をかしげてしまうが、この人のプロフィールを見たら「カナダ在住」「翻訳者」となっていた。何年か前は「そうか、海外で仕事している人なら、俺の知らない経験や知識をいっぱい持っているんだろうな」と一目置いていたところだが、自己愛性パーソナリティ障害について調べていくと、彼らは「そんな嘘ついて空しくないの?」というぐらい、自己粉飾のため誇張した嘘をつくと分かる。信用してもらうには実名を出すなり「コスト」「リスク」が必要なはずだが、彼らは何でも「タダ」でやり過ごそうとする。

そういえば、広告も「タダ」で見られて、どんな貧乏人でも簡単に「客」になれるので、いつも損ばかりしている底辺がここぞとばかり文句を言うんだろう。貧乏というのは、そうやって「タダ」につけいって、あれもこれもと強欲に取り返そうとする心理のことだと思う。


さいきん観た映画はブニュエル『忘れられた人々』、ロバート・アルトマン『ザ・プレイヤー』など。

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2022年5月 1日 (日)

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「機甲創世記モスピーダ」のレギオス・アーモダイバー(イマイ)を組み立てたら、“中間形態”ゆえの不安定さにクラクラした!【80年代B級アニメプラモ博物誌第21回】
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今月の素組みは、『モスピーダ』のアーモダイバーです。


少し前に、「自己愛性パーソナリティ障害の呼び名が使いづらい、もっと的確で手軽な呼称がないか」と書いた。
漫画や広告を吊るし上げるツイフェミの人たちも、ほとんど自己愛性~で解説できてしまう気がしている。高校のころ、痴漢を捕まえたら相手は大企業の社員で、謝りに来たという話をTwitterで読んだ。
確かに日本社会に痴漢は多く、嫌な思いをしてきたことは分かるのだが、途中で「はっきりいうけど、大学は海外に行ったんだよ」という話題の切り替え方をしている。本当の話なら「はっきり言うけど」なんてもったいつけなくてもいいと思うのだが、留学したとか英語が話せるとか外国人の友人がいる、海外で働いている系の見えすいた自慢はフェミ……というより、自己愛性~の人にすごく多い気がする。
「実は自分は凄いんだ」「学業が優秀だったんだ」と隙あらば注釈を入れざるを得ないのは、社会に対して「役に立っていない」というコンプレックスがあるからじゃないだろうか。それでいて、プライドが高くてバカにされたくないから「なめんなよ!」とネットでイキるしかなくなる。

男性フェミニスト(?)のシュナムルさんの発言でも、「こんなに専門的で難しい話を娘に聞かせてやっている知的な俺」に陶酔している様子が、あちこちに顔を出す。いかに知識が多くても、そうやってTwitter上での自慢話にしたとたんに安っぽくなることが分かってない。……いや、分かってはいるんだけど、自分の夢想する「理想の自分」を維持するため、「生身の自分」を犠牲にしているというべきか(もし娘さんが実在するなら、父親が自慢するダシに使われて可哀そうな気がする)。
結果、現実の自分はほったらかしで理想だけが際限なく高くなっていく。せめてネットで勇ましい自慢話をして現実を忘れるしかない、それが自己愛性~の悲劇だと思う。
「ありのままの自分が好き」なのではなく、「過剰に理想化された自分が好き」なので、相手を自分の幼稚な幻想に巻き込もうとする。


先ほどの「痴漢を捕まえた」ツイートで勉強になったのは、「二次被害になるので痴漢被害者の連絡先は被疑者には教えないはずなので、警察の人が悪いんじゃない?」と、冷静に矛盾をついてきた人がいたこと。
それに対するツイート主の答えは、「父と今話をしていたのですが、父の記憶は警察から弁護士があって直接謝罪をしたいと言ってるが、私が未成年だし当事者なので親が代理でみたいな話から連絡が来たと言っていました。」
「いま父と話をしていた」って、後から設定を付け足したにしては、あまりにも苦しいでしょう……というより、いかにも取ってつけた言い訳だと自分では思わないのだろうか? 自己愛性~の人は、あからさまな嘘を相手に呑ませる傾向がある。「これ以上疑うなら、あなたも加害者だ」などと相手に罪悪感を抱えさせて、自分が身軽になろうとする。

「信じてもらえないなら、まあ仕方ないか」と、大きく構えることが出来ないんだよね。「いつ、どこでボロが出るか」「ちゃんと自分の期待どおりに他人が評価してくれるだろうか」と、いつも張りつめていて息苦しい。だから事前に、自慢話で防御せざるを得ないわけだ。
「もうちょっとうまい同調の仕方あるじゃん、勉強になりますーでもお詳しいんですねーまだまだ女性差別は根深いですねーでも。なんでこんな融通聞かない頑固親父みたいなリアクションしかとれないんだろ。」
これはシュナムルさんに対する感想だけど、まさにこれ。融通がきかない。自分が悪くなくても軽く謝罪しておくとか、その場を気まずくせずに自分が多少は損をするような大らかさがない。フェミというより、自己愛性~の人たちの特徴。自分が少しでも折れたら負け、という狭量さ。「まあ、いいか」「別にいいですよ」と、自分や他人を許せる優しさこそが、人生を豊かにするのだと思う。

※メモ
“だから反出生主義でもフェミニストでもないんだってば。自分が得ることの出来ない「幸せ」とされてるものすべてを否定することで、自分を救おうとしているだけの人達なんだってば。目的がそこなの。正義じゃないの”


ほぼ2~3日に一度は、夕飲みに出かけている。陽気がいいので、電車に乗ってまで飲み場を探してしまう。
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都内某所……とだけ言っておくが、イベント参加のために泊まったホテルから二駅。以前に時間が合わなくて入れなかった店の前に、開店時間と同時に着いた。庭園に隣接しているので、ビニールカーテンの向こうは夢のような夕暮れの光景だった。

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2022年4月24日 (日)

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おとなが愉しむ プラモデルの世界
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セブンイレブンで発売されているムック本。監修・執筆を行いました。
お勧めキットのセレクト、各メーカーさんへのサンプル送付のお願い、画像の申請、取材の申請、撮影のディレクション、とにかく何でもやりました。静岡コーナーと田宮俊作さんのインタビュー、店舗ガイドなどは他のライターさんです。
ぴあのディレクターのほか、編プロさん、構成などを考えたライターさんとはリモートで定例会をもち、ほんのたまにお会いして一緒に取材したりしました。何でも意見できて、のびのびと仕事のできる優れたチームでした。誰かのミスは、必ず誰かがキャッチしていました。
そして、ストレスをためずに自由に仕事ができて、十分なギャラを得られた経験は、真っ青な空のように自分の人生を照らしてくれます。

アニメ業界の新人たちに必要なこととは――? アニメーター・コーチ、小島昌之さんに聞いてみた【アニメ業界ウォッチング第88回】

釣りファンも模型ファンも注目、「ルアープラモ」をつくった老舗の金型メーカー、株式会社マツキさんに人気の秘密を聞いてみた!【ホビー業界インサイド第80回】
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目の前に川の流れている下町の工場と呼ぶべき金型メーカーさんに、取材してきました。模型専門誌が拾わない小さなニュースは、しっかり僕が取材していきます。


19日(火)は新宿に前泊して、初台の東京オペラシティアートギャラリー、「篠田桃紅」展へ。
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無意味に思える抽象的な描線を、何とかして動物や人間に解釈しようとするのは、僕の認識力がそのように慣らされているせいだろう。抽象画を見ることは、その脳の慣れを排除することだ。
やがて、力強い描線が普段は眠っている深層へと訴えてくる。それは僕たちが無意識野に押しやっている、言語化未満のかすかな記憶だ。たとえば、若いころの強烈な思い出を正確に記述しようとすると、「こんな人と会った」「こんな事があった」といった物語的な出来事ではなく、色や模様で表現せざるを得ないのかも知れない。それが生きる、感じつづけるということではないだろうか。
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アートギャラリーはコレクション展も充実していて、中西夏之の絵もあった。こうした絵は目覚める直前の混濁した意識、遠すぎて思い出せない記憶の再現に思えてならない。
この日、中野までのバスが出ているのに気がついて、見知らぬ通りをバスに揺られて、放浪の人生を送っているかのようなゾクゾクする気持ちを味わった。


水曜日はスタジオで撮影、木曜日は吉祥寺まで裾上げしてもらったパンツを取りに行って、帰りに松月でビールを一杯やった。
金曜日は根津美術館へ、「燕子花図屛風」展へ。
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屛風絵は、立体的に展示するのでディオラマ的な表現だ。そのグラフィカルなデザイン性に、興味をそそられる。そして、人の大きさに合わせて描くので、実物を見ないと評価ができない。
すばらしく天気がいいので、ひさしぶりに海へ向かう。竹芝近辺のレストランは、ホテル併設で料金が高すぎる。なので、台場で以前によく利用していたレストランへ行った。
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中東系のウェイターが、「予約席ですけど5時までなら使っていいですよ」とテラス席に座らせてくれた。安いし、信用できる店だ。
家族連れが、ワインをあけて賑やかにパーティを開いている。しかし、海側はおそろしいほどの静寂で、その鮮やかな対比に「永遠」を感じる。誰にも邪魔されない、完全な自由。
しかし、お会計のときに大学生のような若い男たちが、だらしなく座ってビールを飲んでいるのが見えた。うるさくしないのは別にいいのだが、こうまで安いと色々な層の客がテラス席で飲みたがる(平日だったのだが)。なので、自分だけの特別感が薄れてしまうのだ。


翌日の土曜日は朝から打ち合わせで、昼からは自由なので、てきとうにバスに飛び乗った。この解放感!
しかし、夏のような気候の中、昼飲みの場所を探すのは手間取った。まず江戸川橋で地下鉄に乗り換えて、三田駅で降りた。御成門の近くの高層階にあるレストランがホテルに併設で、あまりに金額が高かったからだ。駅からすぐの居酒屋にテラス席があるというのだが、そこは雑居ビルの踊り場のような場所で、お世辞にも眺めがいいとは言えない。
そこで、そこから10分ちょっと歩くが、以前にマークしておいた運河沿いの店を訪ねてみることにした。
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駐車場もあるが、とにかく空いている。入ってすぐのところに、子供向けのくじのような物が置いてある。近くに高層マンションが多いせいか、よく子供連れが来るようだ。
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テラス側は川沿いの遊歩道に面しており、なんと船から来るお客さんもいた(調べてみたら、隣にホテルがあった)。
とても静かで、僕の後ろに近所の親子連れが来て、子供はアイスクリーム、お母さんはアイスコーヒーだった。店員さんは、とても親しそうに話しかけていた。駅からは歩くが、近所の人に支えられているのだろう。開店一周年だそうだが、きっと長く愛されるだろう。

グーグルマップを見てみると、以前に倉庫街を眺めながら飲むために行ったバグースバーが近い。歩いて行ってみることにした。
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ところが、この写真より一段低いところに、遊歩道と混じり合ったようなベンチ群があり、そこで外国人たちが酒盛りしていた。アベックで、缶ビールか何かを傾けている人たちもポツポツいる。
以前の僕なら、彼らをタダで楽しんでいる人として軽蔑しただろう。しかし、彼らの席の方が運河に近い。なぜか、あれはあれで楽しいんだろうな……という気持ちになった。前日の、アクアシティお台場5Fのレストランは、テラスの向こうが空だけだったので陶酔感が決定的に違う。その時その時の気分にもよるのだろう。


最近観た映画は、ゴダール監督『女は女である』、ジョディ・フォスター監督『マネーモンスター』、『ガス燈』、『にがい米』、『山河遥かなり』。
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『にがい米』が、圧倒的にリズミカルで躍動感があって面白かった。
厳しい労働に耐えている女たちが、一斉に反乱を起こす。
田んぼで腰を曲げて働いていた女たちが、申し合わせたように手を止めて腰を伸ばす。次のカットでも、別の女たちが腰を伸ばす。監督している数人の男たちが、同じタイミングで振り返る。次のカット、また女たちが手を止めて腰をのばす。別の監督役の男が、振り向く。次のカット、もたしても別の女たちが腰を伸ばす。
ここでようやく、男が「仕事を続けるんだ」と怒鳴るが、それまでまったく台詞がない。女たちが手を止めて曲げていた腰を伸ばす、そのミュージカルのような演技の積み重ねだけで、反乱が起きたことを示している。こういう機能的なシーンを、いつも探している。

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2022年4月15日 (金)

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EX大衆 2022年5・6月号 本日発売
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“ファーストガンダムの隠れた名作が映画化! いま、新たな1ページが開かれる 『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』考察ガイド”、特集記事を執筆しました。ザク研究、映画化されなかったベスト・エピソード選集など。
この手の企画記事は、お手の物です。

カメラは近づき、カメラは遠ざかる――「戦闘メカ ザブングル」第1話に見る富野演出の基本【懐かしアニメ回顧録第89回】
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アキバ総研で連載しているコラム。ひさびさにストーリーではなくて、演出のことを書けました。


「いま、ウクライナで起きていることが理解できる」と古くからの友人が言うので、プライムビデオで『あの日の声を探して』を見た。
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現代とは思えないような、泥臭く原初的な人間の堕落、憎悪がむき出しに描かれている。
確かに優れた映画なのだが、そういえば「友人が話題にしていたから」……などという理由で映画を見ること自体、ひさしぶりのことだ。いつもは、ただ自分の内面や記憶とのみ対話して、その日にやりたいことを決めている。誰とも話さない。せいぜい、喫茶店の人に注文を言うか、クリーニング店に衣類を出すとき、事務的な会話をかわすぐらいだ。

どこからどこまでを友人と呼ぶのか分からないが、少なくとも「親友とそれ以外」という考え方をやめた。「彼は親友だから」と関係を口にした途端、たちまち呪縛となる。そこまで他人に期待しない、そこまで他人を追わない……それが、僕の生き方になっている。
たまたま、仕事でも付き合いのある人と飲む機会が重なったのだが、やはりどうしても相手のペースが気になり、自分の機嫌とのバランスを考えてしまう。相手を尊重しつつ、自分が後悔したりしないように……そのバランスを考えるのに疲れたから、ひとりで過ごすようにしている。
反面、友人がひょいと映画のタイトルを口にしてくれたように、自分とは関係なく遠くで世界が動いているのだと実感できる、この距離感も心地いい。孤独だけど孤独じゃない。海外旅行へ出ると、この温かい疎外感をキープできる。
こんな雨の日、喫茶店で窓際にすわって濡れた街路を眺めるのもいいが、常連客が大声でマスターと雑談している、その自分とは無関係の世界の残響に身を浸すのも楽しいものだ。ずっと、自分には孤独を楽しむ素養があった。しかし、若いころは「友達はたくさん居るべき」という俗説に取りつかれていたので、この年になってようやく味わい方が分かってきた。


一方、他人に依存し、他人を犠牲にすることで不自然なまでに自分が優れている、ケタ外れに優遇されていると意識しつづけねばならない自己愛性パーソナリティ障害の人たちに、もっと手短な呼び名はないだろうか?と考えている。「人格障害」では差別になるので、「パーソナリティ障害」なのだと聞いた。長すぎて覚えづらいとは、誰も思わなかったのだろうか。
「発達障害」「PTSD」という呼び名は、社会に定着した。言葉は悪いけど、バカとかマヌケとか無能とか、あきらかに社会に存在していたのに「努力が足りない」などと適当に言いくるめられてきた多数の人たちが、顕在化された。「発達障害」という呼称で救われた人は、かなり多いと思う。
そして、自己愛性パーソナリティ障害の人たちによるモラハラやドメスティックバイオレンスなどの加害と支配は、社会の一部と言ってもいい。しかし、彼らはナルシシストとかサイコパスとか、おおいに曲解されうる通俗的な呼び名しか与えられていない。それでは、問題が可視化できない。

自分が常に話題の中心にいないと気がすまず、ウソをついてまで他人の心に踏み込んでくる……何か問題が起きたとき、自分だけは責任を負うまいと他人を攻撃する。そういう幼稚でずる賢い人たちのせいで、どれほど多数が人生を台無しにされただろう? 自己愛性パーソナリティ障害は、社会の病根だと言ってもいい。
そういう迷惑な人たちは社会で養ってあげて、本当に仕事のできる人たちのみが、十全に能力を発揮できる間だけ働けばいいと僕は考えている。


『あの日の声を探して』以外で、見た映画。
『リリーのすべて』、『キャッツ』。どちらも、トム・フーバーの監督作品だ。
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『リリーのすべて』は、性別と異なる内面を持った男性が主人公で、しかも彼は画家である。したがって、『英国王のスピーチ』以上に画面は絵画的に構成されている。二重になった自我を表現するため、鏡面も積極的に使われている。その絵画性に着目すれば、『キャッツ』のように人工美にあふれた作品も理解できる。『キャッツ』はカット割りも構図もへったくれもなく、俳優と特殊メイクとCGによって描かれた動くイラストレーションだった。

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2022年4月 7日 (木)

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5日(火)は、府中市美術館へ。
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日曜・月曜は雨がひどく、ずっと部屋にこもっていた(部屋でできる仕事でよかった)。そのせいだと思うが、武蔵小金井駅からバスに乗って知らない停留所で降りると、「そこにいる」というリアリティがなかった。
人混みをかき分けたり、行列に並んだりするストレスもなく、あっさり入場できたのも良かった。

日本画は興味なかったが、近代美術館の鏑木清方展から変わった。
府中市美術館の『春の江戸絵画まつり ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります―京の絵画と敦賀コレクション』は、最初に大きな屛風絵でインパクトを与えて、以降もメリハリをつけた展示と分かりやすいキャプションで、楽しく見せてくれた。
コレクション展は地味ながらもボリュームがあって、あっという間に一時間が経過した。


美術館に併設されたカフェでは、陽気がいいのでビールにした。
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酒は10日ぶりなのに、それほど酔えなかった。
府中駅に行ってテラス席で飲んでもいいな、と店を検索してあったのに、国分寺行きのバスが来たので、国分寺駅へ出てしまった。
すると、なかなかテラス席がない。あっても、すぐ横に質素なアパートが建っていたりして、なかなかロケーションが難しい。ついつい、以前にも入ったことのある喫茶店へ入ってしまった。そこは、インテリアも音楽も適当で、喫煙者がタバコを吸いに立ち寄るような店だった。みんな暇つぶしに来ているので、最低限のドリンクだけ注文して、あとはタバコをふかしながらスマホをするだけになってしまう。
こんな店なら、自分もちゃんと座ったり落ち着いて読書しなくてもいいんじゃないかと思ってしまう……選択を誤ると、そういう恐ろしい思考の侵入を許してしまう。

どんなにカッコいい人でも、短距離で手っ取り早く快楽を得ようとすると、とたんにだらしなくなる。せっかくファッションを小奇麗に決めていても、だらだらとスマホ歩きしている人は低知能でルーズに見える。
「駅から近いから」「どこにでもあるチェーン店だから」「安いから」「ポイントがつくから」……それは自分の培ってきた価値観ではない。自分の外からヒョイと借りてきた、薄っぺらな価値観でしかない。そうした「考えない人」にアピールするよう狙いをすまして、チェーン店やスマホアプリは設計・デザインされている。
単にお店に入るだけで、何も買わない人でも即座に権利を手にすることができる。簡単に、最短距離で優越感を得られる。だから、お店に入ったときに人間の品性が露わになる。気を付けなくてはいけない。


電車の中で、スマホを眺めながら足を組んでいる人は多い。
先日、空いている電車で足組みしてスマホを眺めている若者がいた。前を人が通っても、ヒョイと足首を伸ばして「ほら、通れるように避けましたよ?」とアピールする程度。次の駅で、片手にベビーカー、もう片手で幼児の手を引いたお母さんが乗って来た。その若者は、彼らが前を通る時は足組みしたままだったが、しばらくして足を降ろして、きちっと座り直した。
ひさびさに、美しいものを見た思いがした。恥を感じて、自分の身振りを顧みる。それが、人間らしい思考と感情だ。(車内は空いていたので、お母さんは子供を座らせて自分は立っていた。)


さいきん観た映画は、『英国王のスピーチ』と『ザ・シークレットマン』。
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『英国王のスピーチ』は10年ぶりぐらいだ。
上のスチールは、ジョージ6世の教師となったライオネルの部屋だ。ジョージ6世とライオネルが初めて会話するシーンでは、不機嫌なジョージ6世の座るすぐ後ろに、この塗装の剥がれたような壁が広がっている。一方、会話をリードするライオネルの背後には、空間が大きく余裕たっぷりに広がっている。ランダムに色の散った壁紙は、いわば追いつめられて混乱するジョージ6世の心理を表わすように、彼の背後にのみ広がっているのだ。
では、ジョージ6世がライオネルに見守られて開戦後すぐのスピーチをするクライマックスのシーンはどうか? 
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このように、規則正しい模様が、狭い放送室のすべての面にキチッと並んでいる。圧迫感もあるが、調和してもいる。優れた美術デザインだと思う。

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