2015年4月12日 (日)

■0412■

明日夜出発で、一週間、ギリシャのサントリーニ(ティラ)島へ行ってきます。

4/13  成田発
4/14 ティラ島着 フィラ泊
4/15 フィラ泊
4/16 フィラ泊
4/17 カマリへ移動 カマリ泊
4/18 イアへ移動 イア泊
4/19 イア泊
4/20 ティラ島発 アテネ泊
4/21 アテネ観光 アテネ発
4/22  成田着

フィラとイアの町並み見たさに行くのですが、途中で「ギリシャに行くのに、遺跡すら見ないのかよ?」と恥ずかしい気持ちになり、カマリという場所を組み込んでみました。
カマリからは、古代ティラへのバスツアーが出ているのです。まあ、途中から山道を歩くうえ、つまらないらしいんだけど……。

それと、帰りのアテネでのトランジットが長いので、空港近くのホテルを予約しました。翌日14時までに空港に戻ってくればいいので、午前中は、アテネ市内を観光できるのではないでしょうか。
もうちょっとキッチリと調べてから行きたかったのですが、とにかく先月末から仕事がギッシリだったので、いまごろ調べています。
(去年のスウェーデンは、旅行用にカードまでつくったのに。)


昨夜は、すべての仕事を終えられたので、ひさびさにDVDをレンタルしてきた。二週間ほど前に『キカイダーREBOOT』を借りて以来だ。
Sub5_large今回は、ウディ・アレン監督の『ブルージャスミン』。40代前半のケイト・ブランシェットが、アカデミー賞をとった。彼女の年齢を意識すると、ビターな映画の内容が、ますますやる瀬ないものに感じられる(それで賞をとったのだから、たいしたものだ)。
もうすぐ80歳にもなろうというのに、ウディ・アレンはダメな人々を愛らしく描くのが、腹が立つほど上手い。

大富豪の旦那に死なれ、パートタイマーの妹のアパートに転がりこんだケイト・ブランシェット。まずはパソコン講座に通い、ネットでインテリア・デザイナーの資格を得て、セレブに返り咲く……という計画が迂遠すぎて、その時点で悲しくなる。もちろん、彼女の計画はうまくいかない。いやいや始めた歯科医の受付のバイトに、意外と慣れていってしまうのが悲しい。
ふたりの子どもと、ダメ男に振り回されてばかりいる妹のほうが、よほど幸せに見えてくる。その対比のさせ方が、残酷なまでに上手い。


それで、実写映画というのは、女優のさえない表情を撮るだけで、マイナスを表現できる。
アニメというのは、線を引いて動きをつけて、色を塗ったり背景をつけたり……と、足していく表現なので、マイナスを表現できない。
なので、実写映画もいっぱい見なくてはダメだ、と思ってしまう。というより、アニメは「足していく」表現だと自覚しておかないと、かえって損をするような気がする。

人生のある時期をすぎると、マイナスの意味を知らされるというか、いやでもマイナスと向き合わねばならない時期がやってくる。
何か失うたびに、いちいち悲しんでもいられないので。
(C)2013 Gravier Productions, Inc.

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2015年4月10日 (金)

■0410■

Febri Vol.28 17日発売予定
Photo
●『ガンダム Gのレコンギスタ』 勢力相関図、各艦隊の航路図、キャラクター図鑑、名場面集 構成・執筆
勢力図と航路図は、番組を見ながらセリフをメモして、がんばって図表にしました。やっぱり複雑なので、3パターンぐらい書き直しました。
だけど、あの世界を親切に、分かりやすく見せようとすると、たちまち薄っぺらになってしまう。最初にエレベーターがあって、終着地点がどうなっているのか見せないまま地上で話を始めるから、月や金星を遠くに感じられるのであって。

劇場パンフ用に吉田健一さんにインタビューしたとき、「金星の人たち」という言葉を聞いてしまったので、僕はちょっとバイアスがかかっていると思う。……が、月も金星も少しずつしか見せず、まだまだ広大な世界がフレームの外に広がっていると想像させるスケール感は、他の作家には真似できないと思う。
ガンダム作品的には、「地球とコロニーしかない中で、どうやって生きのびるか」という閉塞的な世界を脱却できた。それは金星という新しい場所を出したからではなく、ラストに富士山(!)を出して「富士山を登る」という身近なスタート地点で終われたからです。
あのラストに希望を感じられないとしたら、それはもう、見ている側の負けだと思います。

●Febri Art Style
今回は『ユリ熊嵐』、中村千恵子美術監督にインタビューしました。
幾原邦彦さんも、やはりすごい作家です。優れた作家は、どんなに自分の好き勝手をやっているつもりでも、時代性を取り込んでしまうのだと思います。

●『カイト/KITE』原作者 梅津泰臣インタビュー
『ウィザード・バリスターズ』以来、なんとかもう一度インタビューしたいと思っていた梅津さんに、原作の『A KITE』について聞けました。


いまのアニメ作品は、ひとりの作家にかかる負担が大きすぎるのではないかと感じている。
作家性に頼らず、民主的にソフトの売れる企画をつくろうとすると、どうしてもハダカやパンチラに頼らざるを得ない。30年かけて、そういう市場をつくってしまったのだろうし、現場のクリエーターやユーザーを信用できなければ、記号的なエロしか残らなくなるのも道理かも知れない。

企画というのは、何も作家ありきで成立するものではなく、エロの代わりに「売れた原作」とか「続編」「リメイク」とか、何かしら安心材料を持ってきて、初めて成り立つもの。
その安心材料をダシに好き勝手をやるから、そこに道が出来ていくわけだよね。『A KITE』だって、エロで売るんだけどハードボイルドなアクションをやったから、海外の映画人に注目されたわけで。
その「好き勝手」の部分が、どんどん萎縮している気がする。テレビという、時代遅れの媒体に対する萎縮も大きいし、お金を出す人たちがネットの反応を気にしすぎとも思う。たがいに気兼ねしすぎる社会のありようを反映してもいる。


来週月曜からギリシャのサントリーニ(ティラ)島に旅行なので、どんどん仕事を終わらせていく。
「どうしても廣田さんに書いてほしい」と頼まれるのは嬉しいけど、編集者に負担をかけてしまっている。編集者が「ここまで来てほしい」という地点まで、僕ひとりで登れない。上から、手を伸ばしてもらっている。助けてもらっているのが、自分でも分かる。

20代前半の編集者たちは悪戦苦闘しているけど、彼らには体力という資本がある。ミスするには、ミスしても取り返せるだけの体力が必要なんだ。オッサンになると、かすり傷でも治るのに時間がかかるから。

サントリーニ島には丸一週間も滞在するんだけど、そういう緩いスケジュールにしておいて良かったと思う。ビーチがあるので、革靴だけでなく、スニーカーを持っていくつもり。

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2015年4月 4日 (土)

■0404■

毎朝毎晩、原稿に追われている。13日からギリシャ旅行だが、その前日までかかりそう。そうならないように調整してきたつもりが、「勝手ながら」の前置きで、締め切りが旅行中に設定されていたりするので、昨日は倒れてしまった。
フリーランスの立場は弱い。出版社や編集プロダクションに、アルバイトのように使われるのは、まだ交渉の余地がある。彼らはまだ、ぎりぎり仲間だ。アニメ記事の場合、「版権チェック」がある。ここで、いつも主従関係が生まれてしまう。「従わなければ、画像は使わせませんよ」と、平然と脅迫してくるアニメ会社もある。パワハラの起きる場合が多い。


そもそも、膨大に直しが出たら、下へ行けば行くほど疲弊する。
担当者が「ここ、全部ナシで」と気軽に赤を入れたら、編集やライターやデザイナーは、なんとか工夫して「ナシ」にされたところを、埋めないといけない。

「こういう書き方しないでください」「こう受け取らないでください」と言われる場合は多い。もっとも力関係を実感させられるのは、「これ、ちゃんと調べましたか? ウィキペディアを見て丸写しじゃありませんよね?」と、根拠もなく疑われるとき。アンタは俺の上司か先輩ですかと。
ようは、アニメ会社の担当者は(社員なので)プロだが、こちらはプロ扱いしてもらえないのだ。

というより、彼らは不眠不休でオーダーに従うのがプロだと思っている。クオリティを高めるのではなく、「言うことを聞く」のがプロだと思っている。
しかしそれは、僕らライターが「はいはい、版元様の仰せのままに直します」と従いつづけてきた結果なのだ。


実写映画業界では、たとえ宣伝担当者が原稿を見ても、一文字たりとも直さない場合が多いのだから、やはりアニメ業界の一部に、幼稚なパワハラの起きやすい下地がある。
上下関係を与えられたとたん、遠慮会釈なく、相手に際限のない要求をつきつけてくる。教え子をセクハラする学校教師のように、「これこそ自分の権利だ」と言わんばかりに。

今日も、Twitterでは「モテ、非モテ」といった言葉が、悪意と自虐のもとに交わされている。
男がモテない理由は簡単で、性格が悪いから。「あなたは、何もかも顔のせいにしている」「あなたは、自分がされたくないことを他人に平気でしている」と大学時代に指摘され、それ以来、自分がモテないのは性格のせいなのだと自覚をしている。

アニメ業界では、幼稚なパワハラが起きやすいと書いた。濃いアニメファン同士も、よくトラブルを起こす。オタクならではの性格の悪さ、というものは間違いなくある。恨みぶかいというか、自分ひとりが不愉快なら、平気で場の空気をにごすのだ。そのくせ、「俺のことを変なヤツだって思ってるんだろ?」と、隅っこでいじけている。
コミュニケーションの不足をフィクションに頼った分、毒素の濃度は増している。薄めるには、生身の人間と触れ合うしかない。


どこへ行っても、うっかり気を許すと、力関係に取り込まれてしまう。
誰もが誰かを罰したいと思っている国だから、自由でいることは難しい。

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2015年4月 1日 (水)

■0401■

仕事の都合で、ずっとタイムボカン・シリーズを見ていた。
51sddf8ajql1983年放送の『イタダキマン』って、当時から「これじゃあダメだよね」と呆れ半分に見ていたんだけど、主題歌は康珍化さん作詞だったのか。道理で、80年代臭が強いわけだ。
(←アニメでは、天野嘉考さんのキャラを水村十司さんがリファインしている。このキービジュアルは、本編とはずいぶん雰囲気が違う。)
たぶん、『うる星やつら』や『さすがの猿飛』のような、軽くてナンセンスなギャグアニメを狙っていたんだろうな……。タイムボカン・シリーズはアニメというより、子ども向けテレビ番組の理想形を探っていたんだと思う。視聴者の顔写真を使うとか歌のコーナーがあるとか、バラエティ番組に近い。ところが、80年代に入って、細分化された「アニメ」というジャンルに無理やり分け入ろうと試みた感がある。

『うる星』でも『猿飛』でも、アニメ・オリジナルのエピソードがあって、そのときは中身スカスカで「今週はハズレだ」と、白けた気持ちで見ていた。『イタダキマン』の空虚さって、あの感じに近い。
80年代前半はとても懐かしい時代だけど、逆をいうと懐かしさしかない。「懐かしい」というのは、抜け殻の感情だから。枯れはてていくと、最後には「懐かしさ」だけが残るんじゃないかって気がする。


前に触れた、酔っ払ったサラリーマンが眠りこける醜態を盗撮していた写真家さん。
メールでいくつか質問をして、Twitterでメールを読んでもらえたか確認したけど、返事はない。ま、そういうガサツな人だから、盗撮なんてするんだろうと思う。
写真家本人の意図なんかより、無名のサラリーマンが酔った姿を盗撮されてネットに晒されていることに、誰も憤らないことのほうが僕には不気味だけどね……。

でも、電車の中や街中で、「こんなキモいカップルがいた」「こんな無様なオッサンがいた」と盗撮して笑うのは、女子高生でもやっていることだから。
僕は来週、中野駅前で痴漢被害啓発シールを配るけど、おそらく「何こいつ、キモイ」って写真を撮られると思う。痴漢する男もひどいけど、オッサンなら盗撮して晒してもいいだろうって意識まで含めて、モラルの崩壊ととらえなくてはいけない。女性への性被害だけ、きれいに削除することは出来ないだろう。一部の人は、「そんな都合よく解決するわけがない」って、気がついてると思う。

児童ポルノ法だって、同じこと。性虐待されている児童の顔写真が規制されず、自分で撮影したヌードで児童が逮捕されるって、もう何が目的の法律なのか、分からなくなっている。
児童ポルノ販売幇助でAmazonの関連会社の派遣社員を逮捕した愛知県警。その愛知県警の警察官が、小学生を脅迫してヌードを送らせて、逮捕されたでしょ()。
だから、人間の中身がよくならないと、何ひとつ解決できない。一箇所ほつれを直そうとすると、別のところがビリッと破れてしまう。くたびれたスラックスみたいだよ。


みんな、責任を負いたくない、とにかく誰かになすりつけたいんだよね。
『お花見シーズンで賑わう代々木公園 ゴミ放置で「台無し」の現状』()、このニュースに対して、「宴会を禁止にしろ」「ゴミ出したヤツを処罰しろ」「死刑でいい」という声が出ている。ゴミを片づける人間を増やそうとか、自分たちのモラルを改善しようとか、そっちの方向へはいかない。「罰しろ」「殺せ」なんです。

自分が殺すわけではないけど、目の前にいない誰かに対する処罰感情だけが、異常に肥大してしまっている。
ネットによって、「出会わなくていい人」同士が、指先ひとつでやりとり出来るようになってしまった。しなくてもいい嫉妬、憎悪、怒り……。
だから、僕が盗撮されてもいいような街中に立ちたい気持ちも分かるでしょ? 身体を経由しない、無駄な感情に付き合ってられないからです。

(C)タツノコプロ

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2015年3月28日 (土)

■0328■

『Gのレコンギスタ』最終話「大地に立つ」、もちろんリアルタイムで視聴。
Rsg6heorxやっぱり、ベルリが大地に立つまでの物語であって、あの26話の中で起きた歴史というのは、2クールには収まらない。最終カットで、トワサンガやビーナス・グロゥブが同じぐらいのサイズで並んでいたけど、思想も信仰も微妙にズレていて、好戦的な人たちもごっちゃに住んでいる中で、何とか妥協点を見つけながら、うまく回していくしかない。
その妥協点を見つけながら上手に生きていくのは、今の年寄りには無理だから、物語の中でも大国の大統領には死んでもらうしかなかったんだと思う。


放送中はいろいろなことを思ったけど、敵味方の関係図をコンパクトにしたがる人が多かったような気がする。目の前で動いている歴史はコンパクトにならないし、「問いには必ず答えを用意してもらえる」インターネット的な短絡に物語を封じ込めようとする態度は、とても危険だと思った。
(その危惧が、前回の日記に書いた『アクト・オブ・キリング』とも関連してくる。極端に敵味方を分けようとすると、必ず暴力的な事態にいたる。)

「黒か白か」乱暴に決めたがるネットの言説から、『Gレコ』は遠いようで近いところにあった。あの世界は千年間は穏やかな時代がつづいたのに、タブーを破ったために21世紀と変わらない時間感覚が戻ってきてしまった、不安定な瞬間(だけ)を描いている。
物語後半で何度か言われていた、「戦争を面白がってしまう人たち」は、いまの日本にあふれている。右翼とか愛国って意味ではなくて、ネチネチと個人攻撃したがる人ばかりでしょ。そうやって、現実の皮膚感覚とアニメのような虚構とを重ね合わせないと、見ている甲斐がないわけです。


僕は『Gレコ』を見て、「歴史を勉強したら、きっともっと面白いんだろうな」と思った。
だけど、点数つけて作品を評価する人たちは、そもそも作品への謙虚さがない。「自分を楽しませてくれなかったから、減点」という、粗野な考えしかもっていない。だから、クソとかカスとかクズとか死ねとか、二文字ですむ言葉を簡単に使ってしまう。現実は、もっと立体的なはずなのに、スマホで「クズだ」「減点だ」と、指先で万能感にひたってしまう。

そういう乱暴な人たちをタブーで律しようという考えは、実は分からなくはない。そのタブーを傲慢だと感じる人たちもいて、それでも何とかやっていくのが人間の世界なのだ。
『Gレコ』の世界では、「バチが当たりますよ」という言葉が多用されていた。いまの日本では「○○は犯罪です」なんだよね。一方的な脅迫なんだ。「バチが当たりますよ」のほうが寛容だし知的だよね。

Gセルフが、クン・スーンの機体を振動波でつかまえるでしょ。「なんで私を縛る?」「縛ったんじゃなくて、つながっているんです。あなたのビーム・ウィップ(武器)とは違うんです」、こういうやりとりにも、穏やかな時代を引きよせるヒントが隠されていると思う。
(「もう僕は攻撃はしません。その意味は、分かりますよね?」 そう訴えるベルリの背後で、燃えさかる戦艦が降落していく……なんという端的な、冴えた演出なんだろう。)

(C)創通・サンライズ・MBS

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2015年3月25日 (水)

■0325■

モデルグラフィックス 5月号 本日発売
Mg
●組まず語り症候群 第29夜
今回のサブタイトルは「オマケに見る生と死」。二種類のオマケ・キットについて触れています。
ちょっと裏話をすると、実はキャプションを間違えて多く書いてしまったところ、担当の千葉ーザム氏が「文字数が多すぎるけど、このくどさが面白い!」と、写真を削ってまで残してくれたのです。
そういうフレキシブルさは、この編集部ならではの気風ですね。


「映画を見ている時間があるなら、原稿を進めろ」と怒られそうな状況下であるけど、レンタル半額デーなので、『アクト・オブ・キリング』。
Sub_3_large1965年にインドネシアで起きた大虐殺に加担した人々(今は大金持ちで、孫がいるぐらい恵まれた老人たち)が、大虐殺を再現した映画を撮る。その虐殺再現映画のメイキング……という、変わった体裁のドキュメンタリー。
楽しみながら、誇らしげに人を惨殺して、50年たっても「こうやって殺したんだ」「もっと残酷になれるぞ」と自慢する老人たち。その醜悪な姿を、知性と理性でとらえた映画。見た人は、「俺は非暴力だし死刑反対だし、こんな風に人を殺したりなんかしない」と他人事にしたがるだろうけど、誰もがちょっとずつ、理不尽な力関係に参加させられていると思う。過去をほじくったら、嘔吐してしまうような醜い行為を、誰もがしてきたんじゃないだろうか。

たとえば、凶悪犯罪が起きたときに「死刑にしろ」とスマホで書き込む人たちは、死刑にされる様子は肉眼で見たくはないわけですよ。誰かに「目につかないところで、俺の気がつかないように殺しといて」って程度でしょ。「要望どおりに死刑にするから、見に来てください」と言われても、絶対に来ない。
邪魔なヤツに消えてもらいたい曖昧な気分だけで、スマホに触れる以上の体験は拒んでいるでしょ(スマホ歩きってのは、液晶画面以外で起きている事象を無視する態度でしょ)。そういう人ほど「俺には関係ない映画だ」って言いたがると思うよ。罪悪感まで引き受ける勇気はない、だけど、生殺与奪権は欲しい。そういう人が増えたら、日本でも、違った形で虐殺は起きると思う。権力に「ぜんぶ任せるから、殺しといて」って依頼心は、すでに、この国にあるわけだから。


昨日、『痴漢被害根絶のため車内防犯カメラの設置と学校での性暴力対策教育を求めます』という署名の回答が、JR西日本から来たわけですけど()。
何の成果もないから関心が低いのは分かるけど、こんな気の長い話より、「痴漢が捕まって、顔も名前もさらされて一生苦しむ」って有り様を、みんな早く見たがってるじゃなかろうか……?って気がしてしまう。あのね、何より怖ろしいのは「法を最大限に活用して、フェアに、潔く戦ってみせよう」なんて、誰も考えてないんじゃないか?ってことなんです。

性犯罪者を憎む気持ちを理解したい、でもだからこそ、社会の真ん中を走るルートを使って、法治国家にふさわしい形で無念を晴らしましょうよ。こちら側だけでも、きちっと筋道を通しましょうよ。そう考えるから、僕は顔と名前を出して行動できるんですよ。
だけど、誰も僕のあとに着いてこないのは、「コイツのやってることは回りくどい」ってことなんでしょう。驚くほど、みんな社会に要望を通す手続きを知らない、関心がないんです。
(だから、僕が「児童ポルノ」規制法に疑問を呈している件も「えっ、こんな自由自在に男どもを処罰できる便利な法律なのに、なんで?」とか思われていそう。皆さん、児ポ法の話題だけは綺麗に避けて通るから。)

だからね、やっぱり『アクト・オブ・キリング』を見てほしいんです。今の日本人は、罪悪感が足りなすぎです。ちょっとぐらい法的に間違えていても、私の気が晴れるんなら、誰をどう罰してもいいと思っている。「何が人権だ、二言目には人権だよ」って、虐殺者だった老人が、映画の中で言うんです。「自分の気にくわない相手の人権はなくてもいいよ」って、そう思ってない?

僕は、内乱とか戦争とか虐殺の起きる因子は、今の日本に明確にあると思う。ヘイトスピーチなどの見えやすいものより、一見リベラルそうな人の秘めている爆発的な攻撃性や人権への無頓着さのほうが、よっぽど怖いじゃないですか。

(C)Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012

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2015年3月22日 (日)

■0322■

毎日毎日毎日、朝起きたら原稿を書いて、昼間に買い物へ行ったとしても、夜はまた眠くなるまで原稿を書いて……という生活。どんな最悪でも、来月のギリシャ旅行までには、すべて終わらせないといけないからね。

でも、夜中まで原稿をやってるお陰で、『Gのレコンギスタ』第25話も、リアルタイムで見られました。
8hdn9mfzbガンダムではおなじみの大気圏突入シーケンスだけど、モビルスーツの組み合わせで、突入システムは3パターン、ドラマも三つ並行ですからね。普通、こんなめんどくさいこと、避けるだろうに。70歳をすぎて、こんなに伸びる演出家も珍しいでしょう。
しかも、第22話から始まったマスク大尉とマニィの関係が、どんどん予想を裏切っていく。「ベルリと仲良くしてください」どころか、ベルリに「マスクのために負けてやって」だからね。予定調和にしない。次への期待と不安をキープしつづける。
もう1クールやれそうな密度なんだけど、あと一話で終わってしまう。息切れしてないのも、すごい。信念のある仕事に接していると、元気になれるね。

あと、マニィ役の高垣彩陽が大気圏突入のとき、「いきます!」と腹から声を出していて、とても良かった。女性声優に、うわっつらの可愛い声を出させないのがいい。おかげで、完全にロマンスの主役、他の女性キャラたちを出し抜いてしまった。
ステア役のミシェル・ユミコ・ペインにも見せ場があったし、浅沼晋太郎というキャスティングにも驚いた。声の競演という面でも実り豊かな作品になった。音響監督は、木村絵里子さん。いつかインタビューしたい人だ。


Amazonが、「児童ポルノ」を流通させた件で、なぜか関連会社の派遣社員が書類送検されてしまった。その派遣社員は、また仕事を求めて苦しい生活を強いられることになるだろう。Twitterでは、さすがに疑問の声があがっている。
過去に出されたヌード写真集が「児童ポルノ」だとするなら、写真集の撮影も出版も、すべて犯罪行為なはずだし、モデルとなった児童は人権を侵害されてるはず。流通に関与した末端の人間だけ書類送検して、それで被害にあった(はずの)児童は救われたんだろうか?

もうひとつ、深夜の駅前で酔いつぶれたサラリーマンを盗撮している写真家がいる。
これがもし、スーツ姿のサラリーマンではなく女性だったら、間違いなく攻撃されていたと思う。サラリーマンだったら人権無視して笑ってもいい、「私の嫌いな男どもには人権なんてない」「盗撮写真ぐらい我慢しなさい」という雑な意識でいるから、女性や子どもの人権も、自然と守られなくなっていく。「女性や子どもの人権は尊いが、サラリーマンの人権は剥奪してもよい」などと、虫のいいことを考えてやしないか。

どんな汚い、醜い人間にも人権はある。「人を殺したからって、加害者の人権が消えてなくなるわけではないんです」と、母が殺されたとき、何人かの人から言われた。くやしいけど、その通りなんだ。
憎い相手の人権も認める。その見地から初めて、女性や子どもの人権を守れるのだと思う。……が、Twitterで炎上に加担しているような人たちには、そんな話すら通じない。彼らは単に、「誰かに罰を与えたい、懲らしめてやりたい」欲望を我慢できないだけだから。


すべてバカバカしく、「社会など、腐るところまで腐れ」という気分にさせられるのは、こういうときだ。
気をつけないと。
Change.org主催の「社会を変える第一歩を学ぼう」に応募して、チケット代も払ったのだが、この時期に三時間半もとられるのは、ちょっとキツい。

(C)創通・サンライズ・MBS 

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2015年3月18日 (水)

■0318■

引っ越しました。三鷹駅前へ戻ってきました。
僕は早死にすると思うので、終の住処になるかも知れない。


日曜日の夜は、渋谷アップリンクで公開中の【ら】のトークショーで、司会。
11033037_1583486131909865_139820955ゲストは、小澤雅人監督。同じ性暴力を映画のテーマにしていても、にぎやかな水井真季監督とは別世界の人のように泰然自若。小澤監督が準備中の『月光』のプロデューサーも来てらして、帰りに軽く酒。

プロデューサー氏は、僕と同世代なのに、いい意味で野心にギラギラしている。最前線にいる感じがする。
僕は、へんに心が静かになってしまった。若いころの夢は大きかったけど、夢が覚めるとき、潮が引くように心が平滑になってしまった。一度、大きくあきらめてしまうと、失うことは怖くなくなる。
「残された自分に出来ることのみやっていこう」「求められることだけをやっていこう」と思った。おそらく、一割でも夢がかなっていたら、残りの九割を手に入れるため、飢餓の人生になっていただろうと思う。


一晩、ネットが使えなかったので、『Gのレコンギスタ』第24話を見返していた。
この一話だけで、富野演出の集大成、バッテリー満タンの仕事を見せてもらったと感じる。『Gレコ』はデジタル・エフェクトの見本市だけど、七色のバリアを張りながら樹木状のビームを撃つなんて、世界中の誰も考えつかないだろう。GセルフのコピペシールドやGアルケインのフルドレス、もう少し早く出していれば注目度も変わっただろうに。どちらも秀逸なアイデア。特に、フルドレスのプラモデルは今から出しても遅くはない(変形用に取って付けたような翼状のスカートは、あのモビルスーツの欠点だった。商品としては変形を殺すことになるが、フルドレスこそがアルケイン本来の姿だろう)。

「フルドレスって、まぶしいんだから!」「コピペシールド、いけるよね?」と、セリフで機能を印象づけるのも上手い。富野さんのコンテを見ると、戦闘シーンのカメラワークの指示が非常に細かい。作画に頼ってない。35年前のガンダムから、むしろメカ演出は進化しているのではないかと思わされる。

それにしても、「地球に降りることが優先」とするドレット将軍と「ドレット艦隊を地球に降ろす」と考えていたグシオン総監、双方の歩み寄りをめちゃくちゃにしたのはキャピタル・アーミィだったのだなあ……信仰によってタブーが守られていた時代が終わっていく、意外と暗い物語なのかも知れない。


昨夜、新しいマンションで業者の人たちと引っ越し作業をしていると、通りがかりの人が「ご苦労様です」と、和やかに声をかけてくれた。
たまに、自分の足音から電車の音、さまざまな雑音が音楽のように調和して聞こえることがある。ドキュメンタリー映画を繰り返し見ていると、あたかも事前に計算された音声や効果音で構成されているように見えてくることがあるが、その感覚に近い。
この世界が、シナリオどおり、すべて順調に進行しているかに感じられる。その不思議なリズム感は、どこか懐かしい。だが、いつどこで見聞きしたのか、どうしても思い出せない。

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2015年3月14日 (土)

■0314■

『Gのレコンギスタ』第24話。残り二話で、この消化ペースは、さすがベテラン。「権力者になりそうなベルリを憎むマスク大尉が、どうやってベルリと友だちになれるか?」という、シンプルな方向性が浮かび上がってきた。
Nj0hudndhあと、生きていても仕方のない大人は、さっさと殺す。その辺、最近の富野由悠季さんは分かりやすい。昔の作品では「こんないい人、将来のある人をどうして殺すの?」という理不尽を感じていたけど、ここ二話で死んでいる人たちは救えない人たちばかりだから。嫌な気持ちはしない。
ただ、スルガン総監の死に方とアイーダの反応は生々しくて、とても見事な演出だけど、見たくはなかった。アイーダが空気もれを防いで救ったと思ったら、別の窓から宇宙へ吸い出されていた……という、彼女の迂闊さが招いた死に見える。そこは、ちょっと意地悪。だけど、あの気まずさは『ハート・ロッカー』などの現代の戦争を描いた映画に見るリアリティで、富野さん、そこは勉強なさったんだと思う。

いい加減、「首が吹っ飛びました。どうです、過激でしょう?」というのは卒業したいよね。いまだにそういう演出をやっている富野さんを、見たくはないでしょう。作家は進化するんです。あの歳で向上心を失わないって、驚異的だと思います。ハングリーです。

(実は仕事で関わることになったので、絵コンテを見せていただいた。それぞれのキャラクターに関して、一言二言ずつ富野さんのメモが書いてあって、その言葉の優しさにジーンとしてしまった。
Gセルフがアサルトパックで狙撃するとき、カメラが各モビルスーツをPANして、名前のないキャラクターまでもが「よく狙え!」「私がついてる!」って声をかけて元気づけるでしょ? 『Gレコ』ってそういう作品なんですよ。)


作品のスタッフの方から紹介していただいた、宮城県の復興情報発信アニメーション『今、ふたりの道』()。自治体のつくったアニメなんだけど、サラッと現状を描いていて、けっこう良い。本当に「情報発信」であって、感情的ではない。
津波のシーンをかなりリアルにやっているけど、「アニメなら生々しさを希釈できるのでは?」と狙ってやったのだそうです。セル画の質感だと、フィルターがかかる。現実を直視しないですむ。だけど、描きたいものだけ取捨選択している分、描かれてないものを「なぜ描かなかったのか」気になる。ネガとポジみたいな関係がひそんでいる。実写映画だと、すべてポジだから疲れるんだろうな。

昨日、アニメ会社に取材して、一昨日が児童虐待の講演でしょ。さすがに、人と会いつづけるのがしんどくなった。引っ越し準備も原稿もあるから、二時間の映画をレンタルして見ている余裕はない。そういうとき、30分のアニメって、ちょうどいい。
人と会っていてしんどいなんて、今までにない経験なんだけどね。ドキュメンタリー映画『フタバから遠く離れて』をケーブルテレビで見たけど、あれも辛かった。


それなのに、明日の夜はイベントの司会です。
“小澤雅人監督(「風切羽」)×廣田恵介(映画ライター)×水井真希監督 性虐待や性暴力、「児童ポルノ」とは何か、更にクリエイターと「表現規制」について”(
渋谷アップリンクにて、映画【ら】上映20:30~、トークイベント21:45~の予定。

このトークのテーマは、監督が水井真希監督が決めたと思うんだけどね。「終わったら、朝まで飲みましょう」なんて話もあったんだけど、そういうことも無さそうです。

(C)創通・サンライズ・MBS

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2015年3月12日 (木)

■0312■

社会や家庭の闇で多発する性暴力や虐待を真正面から描く映画『月光』、その『月光』を勝手に応援するサイトのポッドキャストに出演しました。⇒
滑舌が悪くて、自分でも聞きづらいですけどね。まだ撮影も始まってない映画なので、応援というよりは、自分の来し方を振り返るような内容になりました。かつて関わった映画脚本のこと、『マイマイ新子と千年の魔法』、母親の死、東日本大震災と原発事故……。

2011年は、福島県いわき市に救援物資を運ぶのを手伝ったり、同地で『マイマイ新子』の上映会をやったりする一方、反原発活動にも積極的に参加した。
Friendsafter311_large日本映画専門チャンネルの「24時間岩井俊二映画祭presentsマイリトル映画祭」で、初めて『friends after 3.11【劇場版】』を見た。あの当時、僕が支持していた人たちばかり出てくるので、恥ずかしかった。自分がどう見えていたのか、今あらためて見せつけられたような。
あの一年間が最も幸せだったんじゃないか、後からそう思い返すことになるんじゃないか、と漠然と感じていた。その通りになった気がする。
何かを盲目的に信じて、毎日その何かに祈りをささげて寝起きする方が、ずっと楽なんだ。


あるいは、誰かを蔑み、誰かを無限に罰することで自分の正義を実感できるのなら。
多くの日本人は、子ども時代の復讐をやっている。同い年で並べられ、「こいつの出来ることが、なぜお前に出来ないんだ?」と、義務教育でコンプレックスを植えつけられた。だから、減点法が好きなんだよね。「残念でした、不合格です」って、毎日のように大人たちに烙印を押されつづけたから。同じことを、誰かにしてやりたいわけだ。

Twitterをやっていると、敵・味方のカードを出したり引っ込めたりしながら、いかに自分が攻撃されずに一方的な正義を主張できるか、陣取り合戦に参加している気分になる。
スマホやPCの前から指先ひとつで、どこかの誰かを「ハイ、あなた失格」とやりこめたい人たちばかり。本来対峙すべき相手と会ってやろう、話してやろうという人は珍しい。みんな、怒りの矛先を「叩いても安全な誰か」に向けている。

あるいは、誰かが動くのを待って、動いた瞬間に「ハイ、失格」と言いたい。自分が無条件に優位に立つことを「権利」だと思っている。自分の大嫌いな相手にも権利があるのだ、と認めたくない。それぐらい雑で粗暴な考えを、みんな心の隅っこに抱えている。
そのずるさを、恥とも思わなくなったのですよ。2011年以降の大人たちは。


「できることなら、繊細な感性を弄んで一生を終わりたい」(押井守)、そうやって死ねたら、どんなに幸福か。だから、僕がちょっと無理をしてでも海外旅行するようになったのは、窒息しそうだから。海外なら、僕のことなんて誰も知らないから。せいぜい、「変なアジア人が歩いてるな」ぐらいにしか思われない。すごく楽。

今日は、「社会福祉法人 子どもの虐待防止センター」主催の小さな講演会に行ってきた。文京区で小児科医をやっている先生の子育て話だったけど、心が広くて、ユーモアもある。とても勉強になった。こういう場所に集まる人たちは児童と接している職業の人が多いんだけど、礼儀正しくて、敷居も低い。ホッとできる時間だった。
……でも、こうやって書いてみて分かったけど、僕も安住の地を求めてるんだよ。自由に、のびのび生きたい。ひっそりと、好きな趣味だけに囲まれて隠遁したい。それで十分に幸せだったはずなんだよ。明らかに、2011年以降、迷走している。

(C)「friends after 3.11 劇場版」製作委員会

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