■0810■

レンタルDVDで、『ハイキック・ガール!』。主演の武田梨奈は、『ワカコ酒』でアクションなしの演技でも注目された。まだ20代、いい女優人生だと思う。
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さて、案の定、ネットでは「ストーリー性がない」「ストーリーが薄い、分からない」といった批判が散見された。映画の本質を物語だと思っていて、あらすじを知ったら「ネタバレ」で面白さが損なわれると信じている人は、歌詞カードを読んで音楽のよさが分かるのだろうか? 僕は、音楽のメロディに相当する部分が構図やカットワークだと思っている。

では、『ハイキック・ガール!』の構図はそんなに凝ったものなのか? 印象的なカット割りやカメラの動きはあるのか? 実は、映画のほとんどが「嘘のないアクションを克明に見せること」に徹しているため、俳優の動きが収まれば十分……というロングショットばかりだ。カットを割ったらアクションを“盗んでいる”(編集時に動きを抜くこと)と疑われるので、長回しがほとんど。

さらには、一度リアルタイムで見せたアクションを、スローでもう一度見せる。『ピアニストを撃て!』で、トリュフォーが俳優が建物から転落するシーンを何度か繰り返したように、そこには「種も仕掛けもございません」と言いたげな見世物性がある。ヌーヴェル・ヴァーグの場合、撮影や編集による作為を排除しようとした結果、素人の撮ったような映画になったわけだが、『ハイキック・ガール!』は(物語や構図よりも)アクションを見せることを優先しようとした結果、ひとつのスタイルを獲得したのだと思う(『マッハ!!!!!!!!』のパクりとも聞くが、パクりは表現ではないのか?)。
理知的な構図だから映画なのではない。文学性のあるカット割りだから映画なのではない。映画の本質は一種類ではない。『ハイキック・ガール!』の場合、若い女優が本当に相手を蹴ったり、自分も蹴られたりする「生の記録」に本質がある。


とはいえ、監督がまったく意図しなかったであろう文学性も、あちこちに垣間見える。
映画の前半では、空撮の高層ビル街がシーン転換に使われていた。後半、武田梨奈の演じる空手少女が敵の罠に落ちてからは、地面から見上げた銀色の曇り空が、もっぱらシーン転換に挿入される。空撮のビルからあおりの曇り空への変化には、明らかな「ストーリー性」がある。……が、映画(というよりバトル)の舞台が都会ではなく山中に移ったため、やむなく空ばかり撮っていたのが真相ではないだろうか。
そうした、現場の都合がことごとくフィルムに影響してしまうところも、ヌーヴェル・ヴァーグっぽい。

もうひとつ、映画冒頭で、武田が神社で練習している男たちの間に、ズカズカと乗り込んでいく。
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これは、縦の構図であるが、左右方向へ男たちが次々とハケることで、武田が門を開いている(自分の道をつくっている)ように見える。まあ、こういう左右対称の構図と縦方向のカメラワークは、黒澤明の映画によくあるだろう。
なのでやはり、この“上手な” “意図的な”カットも、『ハイキック・ガール!』の本質とは思えない。いい表情の抜き撮りもあるのだが、この映画は「捨て身のアクションの記録」に他ならず、単なる記録が「映画として程度が低い」などとは誰にも言えないはずだ。

その記録性って、僕の言葉でいうと「AV性」なのかも知れない。(先日、『検察側の罪人』の恫喝シーンについて似たことを書いた。→
フィルムで撮られたポルノ映画は、(形式上の制約もあって)明らかに創作、表現の領域に属していた。AVは長回しワンカット、嘘のないセックスの記録が主体となった。作為のないビデオ映像を「表現」と呼ぶには、ちょっと覚悟がいる。
だから僕は、『ハイキック・ガール!』の記録性を語るにはヌーヴェル・ヴァーグを援用せざるを得ない。映画を、「なにか文学的なテーマを伝えるためのツール」と信じきっている人が、あまりにも多すぎるのだ。何らかの意味あるメッセージを伝えるのが表現、という素朴な思い込みがある。我々の信じている古びた伝達手段を壊すことだって、表現の役割ではないだろうか。

それにしても、武田梨奈の大胆不敵なセリフや表情、激しいアクションの中で、人をくったようなユーモアを混ぜる表現力には魅了された。そう、女優の顔だって表現のひとつなのだ。メッセージ性なんてものがあろうが、なかろうが関係ない。


玄関先に“中傷”するビラ 青森の実家に帰省
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(画像は、上記にリンクした記事より引用)

驚くことはない、人間ってこれぐらい排他的で意地悪な生き物でしょ? 覚えがないとは言わせないよ。
僕が怖いのは、差別してもいい他人をサーチ&デストロイするのは人間の本能なのに、そこをすっとぼけて「法的に取り締まろう」などとその場かぎりの解決策しか思いつかないこと。何を見てもセクハラだヘイトだ、「犯罪として厳罰を課すべきだ」と、新しい武器を欲しがるほうが、俺には恐ろしい。
そういう人たちが、戦闘機を買うな兵器を持つな戦争反対と喚いているのだが、私的制裁という即効性の高い暴力に訴えたがるのは、いつだって彼らの方ではないのか? ハッシュタグをつくってRT数で相手を屈服させるのが暴力でないとしたら、何なんだ?

(C)2009ハイキック・ガール!パートナーズ

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2020年8月 7日 (金)

■0807■

『突入せよ! 「あさま山荘」事件』で、原田眞人監督のペタンチックな、観客おいてきぼりなドライブ感にあらためて魅了されたので、Amazonプライムで見放題の『検察側の罪人』。
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日本アカデミー賞に選ばれたぐらいだから有名なのだろうが、二宮和也演じる新米検察官が、快楽殺人や強姦の常習犯をヤクザのように大声で恫喝するシーンには度肝を抜かれた。すっかり魅了されて、そのシーンだけ何度も見た。
原作小説にそういうシーンがあるのだ、と言われてしまえばそうなのだろうが、原田監督は人の悪さ、言葉の悪さでは右に出るものなしのイヤな劇作家だと思う。奇人変人が次から次へと登場する『タフ』シリーズから、一貫している。むろん、痛切な嫌味や悪意を魅力たっぷりに描くのも、作家の仕事だ。リスペクトせざるを得ない。
(原田監督は、庶民の側に立った分かりやすい善人なんて描いたためしがない。彼は体制側、強者にしか興味がないのだと思う。それは悪いことではない。作家は、それぐらい偏屈でいい。)

男性アイドルが、悪意むきだしの恫喝をするのは、清純派女優が濃厚なセックスシーンを演じる……に近い、倒錯的な快楽がある。素人には出来ないこと。築いてきたものを破壊している。勇気がある。感動した。インタビューを見ると、どれだけルックスに恵まれていようが、第一線に立っている俳優はバカではない。よく見て、よく考えている。「感情移入」なんていう、程度の低いサルみたいなことはしていない。


検事に大声で脅される殺人者・松倉は頭は剥げているし、顔にやけどの跡のような染みがあるし、これでもかというぐらい無様なルックスだ。設定のうえでも、アルバイトで生計を立てていている独身中年で、二宮演じる検事に「あと10年もすりゃ役所の世話になる」「クソみてえな人生」と言われてしまう。
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ハゲ独身中年の僕は、明らかに、この松倉サイドの人間だ。だから、単純に考えれば二宮和也はムカつく、顔がよくて体制側の強者の役で職場の女の子と恋愛して、俺らブサイクな貧乏人を罵りやがって、罪まで着せやがって……と、胸糞が悪くなるはず。
ひょっとして、フェミニズム的な立場(?)から「女性キャラが性的に描かれすぎていて、悔しくてずっと泣いてた」とか言う人は、こんな風に「私の属性が、劇の中で貶められている」と単純に感じているのかも知れないな。
『ゼーガペイン』のなかで、「ハゲろ!」という悪口が出てきたとき、やっぱりカチンときたし、厳密に言うと「傷ついた」のかも知れないけど、そのセリフを言ったのは高校生キャラだからね(演じている声優は成人ではあるが、未成熟な役をあえて演じているわけで)。
仮に女子高生のカミナギが花澤香菜さんの声で「ハゲのおじさんは気持ち悪い、目にしたくない、ハゲは視界に入らないで」と言ったとしても、それはそういう劇だからね。その劇を観ている私がハゲている事実は、私と劇の関係において大事なことだろうか?

ちょっと話が脱線してしまうけど……。
フェミニストでレズビアンだという人が、「男は死ね」「男は気持ち悪い、話しかけてくんな」と連日のようにツイートしている。もしその人に会ったら近づかず、離れていようとは思うけど、もしかしたら世の中の女性の八割ぐらい、「男は近寄るな」「ハゲのブサイク男は視界に入るな」ぐらい思っているのでは……と、ビビりはするんだよな。女性が怖くなったのは事実。なぜなら、そのツイートは「劇ではない」から。
どちらにしても、実害がないかぎり本気で怒るようなことではないだろうけど、『検察側の罪人』を観て、「松倉の言動が気持ち悪い、殺人犯は許せない」と怒っている人はいるんだよ。偽善だよね。そういう単純バカは劇を見てない。役の内側だけを見てしまっている。そういう低レベルな勘違いを起こしてしまうから、僕は映画を見て「ただただ、号泣しました」なんて感想には警戒してしまう。


本当は、もうちょっと強者の側に立ちつづける原田眞人監督、『タフ』シリーズの面白さに語ろうと思っていたんだけど……。
二宮さんのような甘いルックスの俳優が、もう60歳になろうかというパッとしない役者人生を送ってきた酒向芳さんを恫喝するシーンは、たぶん不愉快なはずなんだよ。脚本には、二宮さんの演じる検事が、どうしてそこまで怒るのか書いてない。その後の、吉高由里子に誘われてドギマギする初心な演技とも矛盾する。
でも、だからこそAVのような倒錯した、人間の動作や感情表現を不自然に、脈絡なく強調した倒錯美を感じるんだよな。

80年代、小林ひとみのAVには大興奮させられたものだが、カッコいい恋人との関係がうまくいかずに錯乱した(という設定の)小林ひとみが、汚い酒飲みの浮浪者(の役)を誘って、体をまかせてしまうシーン。そのシチュエーションが素晴らしかった。そこへ、カッコいい恋人が現れるわけだが、観ている側としては、女と縁のないはずの浮浪者と若くて綺麗なお姉さんの組み合わせのほうが興奮する。フィクションって、そういうもんでしょ?
いつもヤクザ役ばかりやっている男優が怒鳴るのではなく、アイドルで善人ばかり演じてきた若い俳優が怒鳴るからエンターテイメントとして機能するわけだよね。二宮さんがインタビューで「楽しく演じた」と言っているけど、そういうものだと思う。そういう悪意、そういう残酷を見ることが出来たから、より一層、自分が鍛えられるわけでしょ? より深く、人間の複雑さに触れることが出来たわけでしょ? 「この表現に傷ついた、消してほしい」なんていうのは、人間として未熟なんだよ。もしくは、問題のポイントを間違っている。だから、有色人種の役を白人が演じてはいけないとかいう、野蛮な結論にいたる。

想像力、妄想やフィクションをナメてはいけないですよ。闇の力を持っているから、フィクションは価値があるわけでしょ? 俺は偽善よりは、目を背けたくなる強者の暴力からのほうが、圧倒的に学べるんだけどさ。フィクションで容赦のない描写を楽しんでいるから、かえって実社会で権力に立ち向かう胆力が養えるんじゃないの、違うかな? 俺は『検察側の罪人』で二宮さんの演じる検事のすさまじい暴言を見て面白かったうえに、勇気が出たけどな。

(C)2018 TOHO/JStorm

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2020年8月 1日 (土)

■0801■

「伝説巨神イデオン」から40年、キャラクターデザイナーの湖川友謙氏が振り返る“あの時代”【アニメ業界ウォッチング第68回】
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ふしぎと仲良くなってしまった湖川さんに、『イデオン』中心に聞いてきました。
大勢のかたに読んでいただいて、まずは良かったです。「世の中も人間も、そうそう捨てたもんじゃない」「やっぱり尊いもの、大事なものはこの世に存在するんだ」と思ってもらうのが、たぶんこの仕事の目的なんだと思う。


昨日、三鷹の共産党市議の方が、自民党の政策をTwitter上で批判していた。
まあ愚痴レベルのツイートではあるけど、もういい加減、Twitterで大量RTされたから正義! トレンド入りしたから正しい! みたいな風潮は警戒すべきと思い、その市議さんにメールを差し上げた。ツイートではなく、具体的に自民党とどう対峙するのか、議員報酬分の仕事はしてほしい、と。三鷹市議は月に55万円ぐらい貰っているはずで、そんな高給取りが自分の職域についてTwitterでボヤいて終わりでは、そんなのプロではなくて素人でしょう?
即座に返事が来て、意見は拝聴したので、ついては日ごろの業務内容を報告したいとのこと。「素人」「仕事してください」と言われて、カチンときたのでしょう。カチンとくるなら、それこそ業務内容を日常的にツイートしてはどうかとお返事して、やりとりは終了。

この市議さんをさらし者にするつもりはなくて、なぜならTwitterであやふやな情報を目にして「ええっ?」「これホントに? だとしたら許せない」みたいな迂闊な発言をする人は、国会議員の中にも大勢いるから。しかもその情報ソースが、一般人が撮影したテレビ画面で、引用元も何も書かれてない無責任なツイートで、そんなものにプロが反応するな、まず落ち着いて情報を集めろよ、と。
「たかがTwitter、昔の2chと同レベル」とタカをくくりながらも実質、情報収集の万能ツールみたいに扱われて、誰もが軽率になった。感情的・暴力的に人や物事を断罪するようになって、社会の性能は確実に低下した。


ひさびさに『突入せよ! あさま山荘事件』をアマゾンプライムで何度も観て、あさま山荘のドキュメンタリーをYouTubeで探して寝ながら見ていた。
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起きたら、記者クラブの主催する党首会談が配信されていた。
先日、東京新聞の望月記者のクドクドと質問が長くてひどいと書いたが()、他社もまったく同じ。「私が思うに、これじゃダメじゃないかと思うんです。その点、どうですか?」と、自説を裏づけたいだけ。そんな聞かれ方をされても、良いとも悪いとも言えないわけで、政治家は誤魔化しだと分かっていながら無駄な言葉を重ねるしかない。それを「逃げている」と責めるんだから、記者によるマッチポンプでしょ? そんなものを仕事だと思いこんで、仲間内で「鋭い追求だ」などと誉めあっている程度の低い人たち。
政治的に右だとか左だとかいうレベルに達してない。読売新聞のような保守系でも、まったく同じ。どうすれば相手を説得できるか、どうすれば相手を気持ちよくさせて話してもらえるか、まるでつかめてない。

たとえば、まずは相手を誉めておいて、それから本題に入るという策略ができない。自分ではなく相手に興味をもって、相手の能動性を引き出す駆け引きを知らない。いきなりケンカ腰でべらべらまくしたてて、無条件に聞いてもらえると信じこんでいる。
新聞記者の人にそんなこと言っても、もし分かるようなら新聞記者なんてやってないと思う。ぜんぜん、本物がいない。太宰治の小説に、たいして美味くもない寿司を、いかにも職人っぽく首をふりながら握っている板前が出てくるけど、そういう人ならいっぱいいる。

(C)2002あさま山荘事件製作委員会

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2020年7月28日 (火)

■0728■

レンタルDVDで、森達也監督の『i-新聞記者ドキュメント-』。
森監督は『FAKE』で、対象に同情しすぎない冷静な取材姿勢に好感をもち、『A』『A2』も良かった。今作『i』は、反権力的な取材姿勢で名を馳せる、東京新聞社会部の望月衣塑子記者が対象だ。さて、どうなるのか。結果、森監督への信頼は崩れずにすんだ。
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望月記者は辺野古への基地移転問題、森友学園問題を取材し、主に前者について菅官房長官に長々とした「質問」を行い、官邸側から「質問は簡潔にお願いします」と何度となく注意を受ける。やがて望月記者は、自分への質問が制限されていること自体を問題にして、辺野古問題はそっちのけ、官房長官に質問を制限しないよう「質問」をするようになる。
森監督は望月記者に同情的で、自らも官邸へ乗り込んで撮影しようと試みる。もちろん、警備している警官に制止される。だが、森監督はブチきれたりはしない。やむなく、選挙活動の場で言い争う安倍総理支持者と批判者たちを撮り、最後には「僕は反原発だし、いわゆるリベラルだ。しかし、暴走した正義は過ちを犯してしまう」と、ナチスの独裁から解放された後、ドイツ兵と恋愛していたフランス人女性たちが私刑にあった様子を振り返る。
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森監督は、望月監督を取材しても何も得られないことが分かって、それで仕方なく自分の考えをナレーションで述べるという、ドキュメンタリー映画としては悪手をとらざるを得なかったんではないか。


しかし、望月記者という人の薄っぺらさには、かなりの驚きを感じた。真っ先に想起したのは、女優の室井佑月さんだ。
室井さんも激しい政権批判で知られるが、あまりの不勉強や無知、短絡的な思い込みや勘違いゆえ、幼稚な失言が多い。その失言を批判されているだけなのに、室井さんは「ネットいじめを受けています」と自分が不当な被害を受けているかのように偽った。
望月記者も、気味が悪いほど同じ行動パターンをとる。脅迫電話を受けたのは映画で録音テープが流されたように事実であろうし、官邸から質問を短く、少なくするよう勧告されたのも事実だろう。
だが、そこで戦略的に対応を練ることなく「権力者から不当な弾圧を受けている」「国民の知る権利が脅かされている」などという感情的で単純な図式に当てはめる。挙句、新聞労連らによる「記者イジメをやめろ」デモに参加する始末だ。

室井さんであれ望月記者であれ、まずは「巨大な権力の欺瞞に、敢然と立ち向かう私」を設定し、その単純な図式に事実を当てはめているだけに見えてしまうのだ。
(余談だが、共産党系の団体「日本婦人の会」さんが自衛隊の兵器を掲載した絵本を重版不能に追い込んだとき、その行動を批判した人たちを「改憲と排外主義の極右勢力」と決めつけた。この人たち、みんな同じ。自分の幼稚さ・粗暴さをとがめられているのに、政治的対立に当てはめて被害者サイドに立ちたがる。)


望月記者は、官房長官の記者会見で、膨大に質問を浴びせる。あまりに発言内容が長すぎ、もはや質問ではなく、室井記者の意見発表会になってしまっている。当然ながら、「時間がないので質問に入ってください」と注意される。
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僕もインタビュアーだが、質問は短い。相手にバカと思われてもいいから、質問はなるべく簡潔に。すると相手は「そんなことも知らないのか、では説明してやろう」と話す気になってくれるわけだ。シーソーのように、こちらが引き下がれば、相手は「ちょっと待った」と後ろ髪を引かれる。
ところが、素人は自分の考えを長々と自慢げに述べたうえで「……について、どう思いますか?」と、最後に聞く。まず、長い話を聞かされる相手の負担を考えてない。人として未熟だ。
そして、シーソーの原理を分かっていない。こちらが押せば押すほど、相手は引いてしまう。それは相手が卑怯なのではない。恋愛に例えると分かりやすいかも知れない。こちらが熱烈にアプローチすればするほど、相手はウンザリして逃げる。逃げた相手に、「そんなに僕のことが嫌いなのか?」と詰め寄っても、ますます嫌われる一方だろう。それは人間関係の原理であって、政治でも恋愛でも仕事でも同じことだ。
仕事の出来ない人は、ダーッと長文のメールをよこして、それだけで相手を疲弊させることに気づかない。相手が自分の長文を読むのは当然と思っているから、人として嫌われる。

望月記者は沖縄にまで足を運んで、結構いい取材をしているのではないかと思う。
ところが、記者会見での質問は、その取材の成果を長々と述べて、「……これは政府の落ち度ではありませんか?」と、最後にちょろっと聞く。そんな長い一方的な独自取材の話、いちいち覚えてられるわけないでしょう? 相手がゲンナリすることを自分から仕掛けておいて、「どうしてゲンナリするんですか?」と因縁をつけている。そして、「政治家として何かやましい裏があるから、私に指摘されて逃げたんでしょう?」と、自分があらかじめ用意しておいた物語に当てはめる。
程度が低い。仕事のレベルが低いから、僕は望月記者を嫌悪する。議論が成り立たないような難癖をつけて、相手が嫌がると「政治的に不利なんだろう」「どうせ裏で癒着してるんだろう」と誰にも検証不可能な推測をするんだから、チンピラじゃないか。


やり玉にあげて悪いんだけど、KuToo運動の石川優実さんも、まったく同じ。
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ヒール・パンプス強制に反対するところまでは分かる。もっとよく知りたいとも思う。だけど、「私が!」「私が!」「私が!」って主張が一方的に長くて、とても聞いてられない。自ら多くを語らなければ、「石川さんの主張は、どういうものなんですか?」とこちらから聞きたくなるのに、自分から相手を疲れさせておいて「私の主張を聞いてもらえない」という図式をつくり、「女性であるだけで不当に差別されている」というテンプレに当てはめる。
そして、Twitterで自分への反対意見が多いこと自体を問題化してしまったので、もはや石川さんの最初の主張なんて誰も問題にしてない。Twitterで議論したり誹謗中傷に対して裁判している人、というイメージしかない。

あまり左翼って言葉は使いたくないんだけど……ツイフェミと呼ばれている人たちも反権力の人たちも、どうにかして“片想い状態”を維持したがる。
僕が反原発デモに通っているとき、当時は野田政権だったから「野田ブタ、やめろ」みたいな主張が多かった。で、野田総理がやめて安倍総理になったでしょ? 翌週から「安倍、絶対許さん」に変わった。反原発が反TPPへ、秘密保護法反対へ、デモのテーマも知らないうちに変わっていった。権力なんて消えてなくならないんだから、次から次へと政府に反対していれば、「こんなに頑張ってるのに、このままでは権力が暴走してしまう、もっともっと頑張らなくては!」という戦闘状態を維持できる。
戦闘状態をキープしてないと落ち着かない人たちが、たまたま左翼とかフェミとかのスキンをまとっているだけではないのか。交換可能なのではないか。……権力との戦いって、そういうもんなのかな。僕は、いま僕の戦っている問題をボヤかしたくないけどな。そして、相手との和解であれ妥協であれ、早く戦闘状態を終わらせて優雅にコーヒーを飲みたいと思うけどな。

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2020年7月25日 (土)

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「ベターマン」では、“身動きのとれないキャラクター”が世界の秘密を握っている?【懐かしアニメ回顧録第68回】(
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割といつも気にしている、「自由に動き回れない人物に感情移入してしまう」現象について書いています。

このコラムでは第1話についてだけ書きましたが、超人モノというか超常現象アニメ『ベターマン』は面白いです。1999年ごろは、まだまだ『エヴァ』ブームの余熱が冷めていなくて、作家性・企画性の強い自由奔放なアニメが、それなりの予算とスケジュールでつくられていた時代。90年代はシャープな線のシンプルなキャラが多くて、枚数が少なくてもそれなりに動きが映えるところもいい。
「スペシャルコンセプター」「造形師」など、今ひとつ役割の分からないスタッフもいて、豊かな時代だったと思う。06年ごろからソフトの売り上げが落ちて、失敗しないよう慎重な企画が増えてしまった。
90年代後半については、今後どんどん取材して、ゆっくりと検証したい。


さいきん観た映画は、DVDレンタルではパトリス・ルコント監督『列車に乗った男』、大学時代に授業で観た『宗方姉妹』など。
しかし、若松孝二監督が低予算で自主的に撮った『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』、アマゾンプライムで見はじめたら、あまりの迫力に度肝を抜かれた。
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男優・女優ともルックスの整った人を揃えており、「ハイ、ここは悲壮なシーンですよ」「ほら、このシーンは残酷でしょう?」と認識しやすい音楽の入れ方をしているのだが、どこかでフッと撮影現場の荒々しさ、俳優の生身が覗いてしまう瞬間があった。訓練されているはずの機動隊員が、雪原でずっこけたりするのだが、それがリアリティにつながっているのだ。
一方で、山荘で人質になる管理人の奥さんを奥貫薫が演じており、無用なお色気を発散しているのが気になる……これでは、普通の商業映画じゃないかと思う。
しかし、だからこそ、同じようにルックス重視で抜擢されたにキャストに違いない坂井真紀の演じる赤軍メンバーが、自分で顔を殴るよう強要され、ボコボコに腫れ上がった自分の顔面を鏡で見て慟哭するシーンの凄みが出る。

ルックスが武器であるはずの女優が連合赤軍のメンバーを演じるのは、映画を社会にスムースに流通させて、より多くの観客とコミュニケーションするための方便でしかない。「皆さんご存知の坂井真紀さんが出演してますよ、これはただの演技ですよ」と、商品的なインターフェースを整えるわけだ。
ところが、坂井の演じる役は「化粧をしている」「髪を伸ばしている」「オシャレをしている」と責められ、「二度と男に色目をつかえないよう、目もちゃんと殴れ」と命じられて、まぶたが腫れるぐらい顔が変形してしまう。
劇の内部において、女優という職業を、売りであるはずの顔面を、文字どおり「潰して」いるのだ。坂井の泣き方が痛切で、このシーンには戦慄した。


坂井の演じるメンバーを「オシャレを捨てられない」と責め立てる永田洋子に、ちゃんと男性の恋人がいるのには驚いた。
自分と同時代を生きていた若者たちが政治的理由から仲間殺しをした連合赤軍事件の異常性に興味がわいて、この映画を観たわけだが……なんだか、Twitterでのハッシュタグによる稚拙な政権批判、ツイフェミと呼ばれている人たちの男性への憎悪ツイート、同性への「男に媚びてる」などの批判ツイートを想起してしまう。ようするに彼らは、理不尽に暴力的なんだよ。

よく知っているはずの人が、唐突に「検察庁法改正案に抗議します」なんてハッシュタグを使いだした時は、怖かった。政治的だからではなく、その唐突感、理不尽さが。
赤軍派は「総括」などという誤魔化しの、いかにも政治っぽい頭の良さそうな難解な用語で、日常のさまつな苛立ちを解消しようとした。あの時代の「革命」がいま、「反アベ」に入れ替わったに過ぎないのではないか? 安倍総理はそのうち辞めるか死ぬかするだろうけど、そうしたらまた別の何かにブチ切れるんでしょ?

日常がつまらない、人生がうまくいかない。家庭環境に問題があった、学校でいじめられていた……結局、ネットに臓物のようにブチまけた罵詈雑言、不平不満は自分が直面してきた私的な問題が発生源だ。どうすれば楽しくなるのか、幸せになれるのか、それはやっぱり自分で工夫しなければ良くならない。自分の内部から目をそむけているから、暴走する政治が悪い、男たちの性的消費が悪い等、解決しようのない漠然とした理由を外部から接木していくハメに陥る。
彼らは、よく「ヘルジャパン」だの「日本、地獄かよ」と不満を口にするが、あなたの人生、あなたの直面している現実がつまらないのであって、自らの問題を先送りにしている膠着状態が「地獄」なんじゃないの?
ツイフェミの人、男性嫌悪の人が例外なく「反アベ」なのは偶然ではないし、ましてや彼らが正しいからでもない。慢性的なイライラを他人や社会や属性のせいにしたがり、自らは決して努力も工夫もしない性格傾向に過ぎない。

解放されて自由に生きている人間は、ああまで次から次へと怒りや憎しみの原因を探してこられないよね。そうでしょ?

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2020年7月20日 (月)

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500円の“アートフィギュア”が、僕たちの価値意識を革新するかもしれない――株式会社SO-TAのカプセルトイ【ホビー業界インサイド第61回】
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造形作家のムラマツアユミさんのツイートから株式会社SO-TAさんを知って、すぐに取材を申し込み、段取りはとてもスムースでした。最初の返事がもたつくと、たいてい後味の悪い取材になりますが、SO-TAさんは打てば響くような返事でした。メールの返事が早いだけで、信用に値します。

インタビュー記事って、インタビューイの話したことをそのままベタ起こしのように書いていると勘違いしている人が、いまだに多いです。
彼らは、インタビュー記事には、インタビュアーの意志なんて入ってないと思いたがる。実際には、何を聞きたいか、聞けた話にどう価値を見つけて、読んだ人にどんな気持ちになってもらいたいか、インタビュアーがすべてを意図して編集・構成しているのです。
「インタビューイが話したとおり、そのまま書きました」だったら、動画を撮って未編集で流せばいいのです。自分に主体性のない人ほど、他人の仕事もしょせん意図も意志もないものと見下して、ニヒリズムの中に安住したがるものです。


ヒッチコック監督の『舞台恐怖症』を、DVDレンタルで観た。冒頭30分、ひとつの殺人事件が回想にさらに回想を重ねて、バトンリレーのように人から人へ広がっていく描写はエキサイティングだった。
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大女優が夫を殺したことに始まり、それが愛人へと伝わり、その愛人から名もない新人の舞台女優へと主役の座がスライドしていく。新人女優は、大胆な推理力をもった父親を心強い相談相手にして、事件の真相へと迫ることになる。そこまでが、ざっと30分なのだ。

見どころは、大女優の頼みを聞いて、愛人が殺人現場へ服をとりに行くシーンだろう。
カメラは、まず床に落ちた暖炉の火かき棒を映す。それは、大女優と殺された夫との争いの痕跡だ。カメラは愛人の視線をたどるように、ゆっくりとPANする。すると、クローゼットの前に、不自然な格好で倒れている夫がいる。夫の死体が、クローゼットの扉を邪魔しているのだ。では、どうやってクローゼットを開けて、服を取り出せばいいのか?
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カメラは、クローゼットを開こうとする愛人の上半身だけを撮る。愛人は、扉を開けようとするが、足元へ目を落とす。そう、そこに死体が転がって扉をふさいでいることを、僕たちは直前のカットで知らされている。だが、カメラは扉をふさいでいる死体を映さない。「死体を邪魔に思っている愛人の上半身」だけを映しつづける。じれったい。そして、僕たちの感じるじれったさが、クローゼットを開こうと必死な愛人の感じているじれったさとシンクロしていくのだ。

何をフレームに入れて、何をフレームから排除するか? 観客は何を知っていて、何を知らされていないか? 認識を、図像によってコントロールするゲームが映画なのだと思う。


“言論人といえば弱者に寄り添うもので、アーティストといえば差別を告発するもので、正義といえば加害者を絶対に許さないことで、連帯といえばRTとハッシュタグで実現するものになってしまった世界においては、ぼくの居場所はまったくない。この状況は10年ぐらいで変わるのかな。変わって欲しいなあ。”

そう、アーティストといえば判で押したように反体制、スタイル、ポーズとして反戦・反差別。自分が反対しているものの本質と対峙することなく、詮ずるところ、自分だけは清廉潔白な立場をキープしたい。

アーティストにかぎらず、クラスで孤立することなく平均点をとり、これといって劣等感や焦りを感じてこなかった凡人が、何か政治的な発言をプラスオンしようとすると、わかりやすい反体制・反権力の物語を鵜呑みにすることになる。
彼らは苦悩した経験がないから、浅いところで「分かりました」「私も同じこと考えてました」と理解したがる。何を見ても「カッコいいですね、これ欲しいです!」「すげー感動しました! もう、ボロ泣きです!」と、簡単に感情表現したがる。手痛い失敗をしてきた人間は慎重に、自分の感情すら疑ってかかるものだ。
幼稚な人間ほど、「傷ついた」と言えば、すべてが正当化されると思っている。


Twitterは、もはやトレンドが1~2日で移り変わる世界になってしまって、昨日は「いらないおじさん」であった()。
僕の根底には“自虐”があるので、「いらないおじさん」と言われるとドキッとしてしまう。コロナで自粛警察やってる我の強いおじさん達は、人間としてのレベルは低いけど、本人は醜悪なまでの強烈な自己肯定感に満ちていてるから、うらやましくもある。
(レジ袋が有料となり、袋が必要かどうか聞かれて、大声で「いらない!」と怒鳴るおじさん……同性から見ても、うんざりする。)

ただ、僕は人間として堕落したまま、向上心もなく生きていくことをイメージできない。無理なく好きなことだけやれる安穏とした人生を手に入れたが、緊張感を失うことが怖い。

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2020年7月17日 (金)

■0717■

『サウルの息子』で注目されたネメシュ・ラースロー監督の第二作、『サンセット』をDVDレンタルで。
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これは非常に難解な映画だった。ストーリーが、ではない。カメラが、どうしてそこまで主人公の女性の真後ろか真正面のアップばかり撮るのか、まるで意図が分からない。
長回しなら、ダルデンヌ兄弟の作品のように、なにか決定的な出来事を見逃さないため、記録としてフィルムを回し続ける手法がある。カメラワークによって、文学的な意味を発生させるのが映画だと思う。

ところが、『サンセット』は主人公の女性が帽子店に勤めはじめ、その一方で行方不明の兄を探しつづけるプロット上の要請なのか、八割ほどのカットが主人公の後頭部から見た構図。そして、主人公の歩くに合わせて、手持ちカメラで追っていく。彼女が遭遇する出来事を、やや後ろからのぞき見ている感じ。
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カメラはぐるりと正面へ回りこみ(なぜかカットを割らない)、主人公の表情をとらえる。ほんんどのシーンが、似たようなカメラワークで構成されている。
そして、主人公の女性は、行方不明の兄を想っているためか、ずっと眉間にしわを寄せて、黙り込んでいる。なぜ終始、そんなに不機嫌なのかも、よく分からない。馬車に揺られてきて「2クローネです」と料金を告げられても、なぜか深刻な面持ちで沈黙している。
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上のカットは、帽子店に勤務している先輩格の女性。手前の後頭部は、例によって主人公の後頭部である。
この先輩女性は、主人公をつねに凝視しており、つかつかと睨んだまま歩いてきて、「騒ぎを起こさないで」「あなたを解雇すべきだった」など、短くて辛らつな一言を残して、すぐフレームアウトする。他の登場人物も似たり寄ったりで、まず主人公をジッと睨む。そして「……立ち去れ」「……何の用だ?」などと、一体どうしてそんなに冷たいのか?と首をひねるような言葉を発する。それで事態が進展しないので、ストレスはかなり高い。

何より、主人公をはじめ、ほとんどの人物が思わせぶりな表情で、どうとでも受けとれる言葉を残して去っていくのに疲れた。「ガンをとばして、わざと相手を煙に巻く」ような感じ。自信のない人って、よく傲慢で尊大な態度をとる。この監督には、どうしても「映画の機能」が必要というわけではなく、ただ間が持たないから長回しとクローズアップで、せいいっぱいイキっているように、僕には見えてしまうのだ。
4DXなどで「映画の世界に没入させる」「世界を擬似実体験する」過剰なアトラク志向は、映画表現の停滞ぶりを、何より端的に示すものだろう。


池内さおりさんに取材拒否され、怒りのメールを送ってから()何日かたった。
最初は、彼女は「フリーライターとかいう下賤な者には会う必要がない」と、高圧的に取材をキャンセルしたものと思っていたが、実は学生時代から政党に入りびたってきたような甘ちゃんは、僕のように在野で自分の人生を切り拓いてきた人間が「マジで怖いのではないか」と思えてきた。組織に養われている池内さんには、俺と生身で対面する勇気なんてないんじゃないだろうか。

共産党だからどうの、というつもりはない。地元の共産党議員には助けられた経験があるし、自民党に投票するぐらいなら共産党の候補に入れる。少しでも変化の起きることを期待して。だが、池内さんという人は何度も選挙に落ちて、国会議員としての身分も失って三年、今も働かずに共産党に“勤めている”のだとしたら、まあ大したヤツではない。学生気分のまま、組織に食わせてもらっているヤツが、社会の底辺を這ってきた人間にビビるのは、まあ仕方ないことだ。
数の力で相手を黙らせようとしたのは、自分が組織の中で、数の力に屈してきたからだろうしね。

「女性を差別し続け性的に消費し続ける」とか「これはポルノだ」とか、陳腐で類型的な言葉さえ並べておけば、容易に賛同者が募れると分かってるんだろうな。「差別も戦争もNO」だとかさ。言葉に、生きてきた人間の重みがない。ポーズに過ぎないんだよ。


ここ数日、友人と話していて思ったのは、僕たち昭和世代のオタクは「世の中から認められていない、恥ずかしいジャンル」だからこそ、アニメにすがっていたのではないか……ということ。僕は友だちが出来なかったから、無口で孤独なヒーロー、キリコ・キュービィーに自分を重ねていた。
同じように、美少女キャラに(現実に女装趣味などがなくても)感情移入していた人もいるだろうし、そういう人は美少女キャラをけなされると、自分が否定されたように感じて、烈火のごとく怒るのではないか。生身の自分を劣っていると認めているからこそ、弾力性があって抽象度の高いアニメの世界に、自分の魂を解放できるのではなかろうか。僕だけだろうか。

『涼宮ハルヒの憂鬱』でハルヒダンスを踊っていた世代には、ルサンチマンからアニメを好きになる心理構造が分かりづらいだろう。
ようするに、昭和のオタクは美少女やロボットに、現実世界では欠陥品である自分を没入させて、過酷な日常をやりすごしてきたため、愛着がものすごく強い。他人に触れて欲しくないぐらい、独占欲もある。
だから、仕事でアニメの本をつくっていても、まずアニメ会社の人(権利サイド)がロボットのスペックに神経質な修正を入れてきたり、「そんなことも知らないんですか」と嘲笑うような態度をとったり、知識量で優劣をつけようとする。つまり、虐げられてきたオタク同士で内ゲバのような事態が起きやすい。
非オタクの外部から見ると、「えっ? だってアイツラも廣田さんも同族じゃん。そりゃあ、トラブルが起きないはずがない」と見えるらしい……こっちは仕事なので、淡々とやるしかないのだが、オタクは「どうされたら相手がもっとも痛がるのか」知り抜いているので、同属に対する攻撃は容赦ないなと、思い知っている。

© Mátyás Erdély / Laookon Filmgroup

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2020年7月14日 (火)

■0714■

アベノマスクブラを使った選挙ポスターについて、ハッシュタグを使って抗議活動を展開した池内さおりさん()に、編集者を通じて取材依頼を行ってきました。しかし、池内さんの事務所からお断りの返事が来たので、僕からは以下のメールを出しました。

池内さおり様

お世話になります、以前にメールしましたフリーライターの廣田です。
「いただいたメッセージには必ず目を通し……」というHPの一文を信じていますが、どうせ事務所の方が検閲して、このメールは破棄されるかも知れません。

■■社の○○さんという人から取材の依頼が行ったと思いますが、取材拒否の理由は「他党や他党の候補者についての意見表明は適切な場でさせていただきます。」
びっくり仰天しましたね、Twitterではハッシュタグまでつくって協力を呼びかけておいた癖して自分たちの用意した場でないと質問に応じない? 呆れた卑怯者ですね。
私は共産党の中央委員ではなく、池内さおりさんという『人間』に会ってみたかった。

会えば、こういう人だったのか、この人なりの事情や生き方があって、それでああいう発言になったのか……と、理解できるはずだと、私は信じているんです。
私にも悪いところがあれば、もちろん頭を下げるつもりでした。

「直接会う」というのは互いにリスクを分け合うことであり、顔を合わせてようやく対等なのだと思います。
なのに、池内さんはTwitterに頼って、取材を拒否する。対話を拒む。本当にそれでいいんですか?
それでは、政党に鉄壁のガードを固められた臆病なお姫様ではありませんか。
あなたのいる場所には、風が吹いていない。これでは、首相官邸にこもった総理大臣を笑えません。
恥ずかしいと思ってください。

以上です。出版社と担当編集の名前は、(あまり意味ないと思いますが)伏せさせてもらいました。あくまで、廣田個人から池内さん個人へのメールなので。
編集者は丁寧に企画書を作成して取材依頼してくれて、事務所の方も、最低限の言葉ではあるけど、ちゃんと返事をくれたことには感謝します(この手の取材依頼は無視されて終わり、というパターンが多いので)。


僕は今まで、フィギュア規制をめぐる抗議だとか各種の署名提出などで、人に会ってきたんですよね。キモい顔の、対人恐怖症の独身中年ではあるけど、それが自由をキープするための最低限の行動だと信じていたから。左翼的かも知れないけど、それが国民の権利でしょう? 自由の証でしょう、違いますか?
いろんな場所に出かけていったけど、誰かに迷惑をかけて、嫌がらせをして相手を折れさせた覚えはないんですよ。でも、ハッシュタグを政党をつうじてTwitterでリツイートさせて憎い相手を追い込むのは、形のない暴力ですよ。
池内さおりさんは在日外国人に対するヘイトスピーチに反対なんでしょ? 安倍政権の弱者切り捨て政治に反対なんでしょ? じゃあ、あなたがアベノマスクブラをつけた女性候補を追いつめて選挙カーのうえで泣かせたことは、いったい何なんですか? 

会えば、いろいろ分かるはずだと信じていた。俺の知らない池内さん固有の人生が確固としてあるはずで、その片鱗だけでも理解できれば……と。だけど、組織の中に浸かりすぎて腐っていったんじゃない? 取材を受けてもらえない、会ってもらえないなら、こうして想像するしかない。一方的な想像が分断と対立を招くわけだけど、仕方がないよね。
池内さんが共産党でなかったら、きっと対応は変わったと思う。これじゃあ、牢屋の中の人に手紙を書いてるみたいだよ。
(池内さんは学生時代に入党したので、ようするに一度も世の中へ出て働いてないわけだよね。組織に面倒見てもらって生きてる、世間知らずのお嬢様なんだと思う。これも想像だけどさ。)


50歳をすぎた今になって分かったのは、体育ができず、性格も暗くてバカにされていた小学校、中学校時代、野球部の連中から毎日暴力をふるわれていた高校時代が、今の僕をつくったんだ……ということ。

暗鬱な少年時代、奴隷のように日々を耐えながら、何とか工夫して生きのびるよりなかった。これ以上ひどい人生にならないよう、あれあれと創意工夫を重ねてきた。心の芯から奴隷になってしまわないように。
だけど、くじけて本物の奴隷になっちゃったヤツが世の中の大多数なの。この、俺の目から見ると、はっきりと分かるんだよ。凡人たちのズルさや甘さが。

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2020年7月13日 (月)

■0713■

“メカメカしいけどかわいい”! 「テクノポリス21C」のスキャニー(アオシマ製)を組んでハートがときめいた!!【80年代B級アニメプラモ博物誌】第1回
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新連載、始まりました。
やっぱり根が屈折しているので、「おっぱいパーツはどう処理している?」という頭の悪い話になってしまいました。でも、バランス感覚なんかより変態性が自分の売りなので、今後も好きなように続けていくつもりです。


最近、DVDレンタルで観た映画は『マディソン郡の橋』、『大脱走』、『リンカーン』、いちぱん良かったのはジョン・カサヴェテス監督の『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』。
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予告を見ると銃撃シーンを主に構成してあるし、ジャケット裏には「フィルム・ノワール」と書かれている。確かに主人公は人殺しをせざるを得ない状況に追い込まれるが、彼はストリップ劇場の経営者だ。
上のカットは殺人を請け負って、怪我を負ったその直後なのだが、自分の店に電話して「ショーはどんな感じ?」「どの演目をやってる?」「曲はどれ使ってる? この曲か?」と、電話に向かって歌いだしたりする。それぐらい主人公は、自分のストリップ劇場を愛している。

そして、ストリップ嬢はひとりひとり個性的で、場末のショーにこんな完成された裸体の美女たちが出演するのかよ?とは思うのだが、皆とても愛らしい。ショーの進行役で道化を演じる「ミスター伊達男」が、映画の終盤で「ここの出し物は、俺のグロな芝居が欠かせないと思う」と、謙遜しながらも誇りをもって語るところが良かった。フィルム・ノワールどころか、底辺のショービジネスの美学を語るような、風変わりな映画になっている。


主人公は殺人を請け負った際、腹に銃弾をくらって、なんとそのまま治療もせずに数日間あちこち忙しく歩き回って、映画のラストでは劇場に来た観客たちに挨拶する。
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一応、腹のあたりから赤い血(というか、明らかに赤いペンキ)が垂れてはいるのだが、瀕死の重傷というのは比喩的な意味であって、そういうリアリティのアバウトさ、出鱈目さはヌーヴェル・ヴァーグっぽい。ラフな、ドキュメンタリックなカメラワークもヌーヴェル・ヴァーグゆずりだ。

さて、上の挨拶のシーンで、主人公は無愛想なバーテンダーやウェイトレスたちを、初めて観客に紹介する。ウェイトレスたちがまた可愛くて、衣装がウェスタン調に統一されている。決して上品ではないのだが、主人公があれこれ考えて決めたんだろうなあ……と、映画が終わる頃には、すっかり共感できるほどになっている。
俳優でもあったカサヴェテス流の、エンタメ論なんだろうな。犯罪映画としての内実を脚本的にも演出的にも破壊して、人間臭さだけ残した。ラフなカメラワークが、温かみをかもす。


さて、ラブドールと性加害の関連性は否定できない、その関連性を疑問視する我々を「性加害応援団」と呼んだ大貫憲介弁護士。
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大貫弁護士の所属する第二東京弁護士会あてに、懲戒請求を行いました。結果次第では、大貫弁護士を告訴します。
最初は、編集者を通じて、取材を申し込んでいたんです。それが最初は返事がなくて、さらに追及してもらったら「コロナで溜まっていた仕事があって、忙しいので」と断られたそうです。せっかく弁明の機会を与えたのに、まあ、しょうがないね。

北区都議補選で、アベノマスクをブラジャーにした選挙ポスターを「女性を差別し続け性的に消費し続ける」という宣言と勝手に受け取って、ハッシュタグまで作って自分より若い女性候補を追い詰めた池内さおりさんも同じく。事務所に取材を申し込んだが、何の理由もなく「遠慮します」との返事
あのね、Twitterで他人を蔑む人って、結局は公の場に出てこない。組織に囲われている卑怯者。おいおい、池内さおりさんは「ヘイトスピーチ許さず」「加害の事実に向き合う」とプロフに書いてるよな? じゃあ、向き合えよ。臆病者。組織にかばってもらって、恥ずかしくないのかよ。ひとりの人間としての誇りはないのか?
アベノマスクブラの件で、しんどうかな候補が演説中に泣いたり、配信で「身の危険を感じる」とまで言っていたのは誰のせいだ? あれだけ責め立てておいて、後はだんまりか? 何が加害の事実と向き合うだ、表面ばかりカッコつけたハリボテの偽善者が。

しかし、大貫弁護士に対しても、池内さおりさんに対しても、俺は頭ごなしに罵倒しようなんて気はないですよ。そこまで失礼はしない。ここではヒートアップしてしまったが、最低限の礼儀は尽くしたうえで、話を聞きたい。別に、人間に幻滅してもいないので。
なぜ意見の違う他人を「性加害応援団」なんて罵倒するのか、合法である選挙ポスターをつぶすためネットや組織力を使うのか、それを落ち着いて聞きたい。まずは、相手の言い分をじっくりと聞く。思想がどうであれ、会って話せば意外と悪い人ではなかった……という経験が、過去にたくさんあるから。
漫画の規制に賛成していた土屋正忠・元衆議院議員、公開討論では話が折り合わなかったけど、別に喧嘩別れはしてない。「声かけてくれて、ありがとうね」という感じだったんです。堂々と、批判覚悟で出てくるということは、僕も相手も同じぐらいリスクを背負っているので、恨みっこなしなんです。少なくとも、敵ではない。こそこそと逃げ回るヤツ、責任転嫁するヤツ、組織を隠れ蓑にして力だけ行使するヤツラを、全身で軽蔑する。
でも、だからといってハッシュタグを流布させて、数の力で相手を追い詰めようなんて卑怯なことは考えないわけ。俺は堂々と、自分の足で立っていたいから。

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2020年7月12日 (日)

■0712■

まだ20代で八王子に住んでいたころ、K君という変な友だちがいた。彼はいつもいきなり、フラリと僕のマンションに現れては、これからどこか知らない町へ遊びに行って朝まで映画を見ようとか、創造的で魅力的な提案をするのだけど、結局は僕だけがお金を払って翌日の生活がメチャクチャになってしまうのが常であった。彼のすることの中には犯罪行為も含まれているのではないかと思い、一度など警察を呼んだことさえあった。それぐらい、K君は危険で、だけど魅力的で、いつも言葉だくみに物事を誤魔化して逃げおおせる厄介な、憎い相手でもあった。
彼はアーティスト志望なのか、たまに彫刻のようなものを作っては近所の中古レコード店に売りに行ったりして、考えられないような極貧生活をおくっていた。


K君はたまに、身奇麗な女性を連れていることもあった。彼と同じように貧乏な人だったが、夕方になると路地裏の食堂でエプロンをきゅっと腰に締めていたので、そのお店で働いていたのだろう。彼女は無口で真面目で、たまに幼い子供を連れていたりもした。
僕はてっきり、K君の妻子だろうと思っていたのだが、そうではなくて子連れの女性がK君と恋人になった、というだけの関係のようだった。
もうひとり、K君には不思議な友だちがいた。作家だか哲学者だか、たいへんなインテリで、一緒に飲むと、難しいけれどとても含蓄ある言葉を口にするのだった。仮にJさんとする。


ある時、そのJさんと2人だけになった。僕はK君に日々翻弄されており、毎日とても疲れていると彼に打ち明けたかった。だけど、K君の名前を出してしまったら、またK君はそのことを逆手にとって、ずるく利用して僕を脅かして、ますます窮地に追い込むことだろうと容易に想像できた。
なので、Jさんには「俺の生活、今めちゃくちゃです」とだけ言った。するとJさんは珍しく快活に笑って、とても上手い言い方で「人間、そうそう困ったことには陥らないものだよ」という意味のことを答えた。「そうですね、めちゃくちゃってほどではないですね」「うん、そうだろう」とJさんは僕を励ましてくれて、ひとりで酒を飲みに行った。別れぎわにJさんの顔を見ると、老けた人だと思いこんでいたのだが、僕より年若いほどの人だった。おそらく大変な苦労をして、その過酷な経験が彼を実際以上に老けこませてしまったのだろう。そのJさんもまた、K君よりはマシであったが、それなりに窮乏生活を送っていた。

Jさんと別れた後もやはり、「八王子にこんな場所があったのか」と呆然とするような見たことのない貧しい路地に、僕はひとり残れされた。
酒屋でビールでも買って帰ろうとしたが、どんどん知らない路地に迷い込んでしまった。薄暗いトタン屋根と木々の向こうに子供たちが遊んでいて、その奥に青い海が切り取られた絵はがきのように広がっていて、その美しさに足を止めて、何枚も写真を撮った。
すぐ後ろにおばさんたちの話し声がしたので、彼らの生活圏に足を踏み入れてしまったのだろう。驚いたことに「○○漁協」という看板が見えた。こんなところに漁港があったのか。

それは不気味で神秘的で、だけど魅力的で僕を解放してくれる、不思議な明け方の夢だった。すさまじい極貧生活で気味の悪い場所ばかり出てくるのだが、決して忘れてはいけない事のように思えて、ICレコーダーに夢の中でのことを吹き込んだ。

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